遠藤織枝とろくでもない後輩
薄暗い部屋の中、ふたりの人間が寄り添っている。
片方は、ひどく大人びた、落ち着き払った雰囲気の少年。
もう片方は、少年とは対照的。
腰まで伸ばした美しい金髪に、青い瞳。
「金髪美少女」という言葉をそのまま三次元に変換したような、浮世離れした美貌の持ち主だ。
ふたりはぴったりと肩を寄せ合いながら、テレビ画面に夢中になっている。
映っているのは映画だ。
一見して恋愛もの。画面の中では妙齢の見目麗しい男女が、英語で情熱的に言葉を交わしている。
字幕には、当然のように「愛」の字が並びたてられ、ムーディな雰囲気が、気分をこれでもかと盛り上げる。
画面のふたりが唇を重ねた、瞬間。金髪美少女が歓声を上げた。
「うおおお、へいたろ。ちうだよ、ちうしてるよこのふたり!」
「……そうだな、ミラ」
身を寄せる金髪美少女――ミラに肩をゆすられ、へいたろ――平塚平太郎は、無感動に同意を口にした。
「あー。いいなー、オレもしてーなあ! ちう。なあ、へーたろ!」
目をキラキラさせながら、誘ってるとしか思えない言葉を吐くミラ。
それに対し、平太郎はゆっくりとリモコンをテレビ画面に向け、映画を一時停止させると、ミラに向き直った。
「ミラ、いち常識人として意見を言わせてもらえば」
淡々とした口調で平太郎は言う。
一片の揺らぎもなく、一片の高揚もない声で。
「映画の最中に、大声を出して騒ぐな。それがコメディやアクションなどではなく、恋愛映画ならなおさらだ」
まったくの正論だ。
この場面で言うべき言葉がそれか、という気もするが。
「――それに、部屋の中とはいえ、他人の居る場でおおっぴらにキスしたいなどと放言するのも、わからん感性だ」
「もう、ノリ悪いなへーたろは」
「常識人だからな、俺は」
言って、平太郎は映画をふたたび再生させる。
金髪美少女も、すこし肩をすくめると、ふたたび少年と肩を寄せ合い……
「恋人同士かお前らぁっ!!」
わたしは我慢できずに、扉をぶち開けて叫んだ。
こちらの姿をみとめて、ふたりはそろって声をかけてくる。
「お。織枝ちゃん! ちーっす」
「……織枝か」
「さっきから見てれば! 日曜日の昼間に男ふたりで、部屋の明かり落として恋愛映画とかキモイにもほどがあるっ! あれか? お前ら本気で付き合ってるっての!?」
一息に言って、びしいっ、と指先を突きつける。
そうなのだ。
平塚平太郎。椿山高校二年生男子。
滝本ミラ。同じく椿山高校二年生男子。
わたしにとって幼馴染の、このふたり。どちらも男なのだ。
「そんなわけないだろう。常識で考えろ、織枝」
「そだぞ織枝ちゃん。俺そっちの趣味ねーし? へいたろは親友だよ親友」
ため息を吐いた平太郎の腕をとって、ミラが笑顔で答える。
その姿は、どう見ても恋人同士。
「――ま、俺がへいたろと仲良くしてんの、妬いてんのはわかるけどさっ」
やれやれしゃーねーなーといった様子で肩をすくめるミラ。
ちらちらと妙な視線をこちらに向けながら、鼻の頭を膨らませている。
「……帰る」
言いたいことをすべて飲み込んで、わたしは部屋を出る。
背中越しに、遠慮のない声が聞こえてくる。
「おいおい織枝ちゃん、図星突かれて照れて帰っちゃったぜ? これ絶対オレに惚れてるだろ!? なあへーたろ!」
「……まあ、常識的に考えてそうだろうな。俺のような常識だけが取り柄の男に惚れているというよりは、よほど現実味がある」
ぷっちーん。
頭の中で、なにかが切れる音。
それと同時に、わたしは全力で駆けだした。
平塚家の隣。
「遠藤家」と表札の掛けられた庭付き一戸建てに飛び込む。
二階の左隅。自分の部屋を目指しながら、わたしは呪詛を口にする。
「ミラうざい。頭剃れ。丸坊主にしろ。美少女みたいなナリして女に興味津々みたいな態度やめろマジうざいっ!!」
自室の扉を蹴飛ばすように開け、壁にもたれかけさせている等身大のウサギのぬいぐるみ――ウサミディールを抱き起こす。
ずしりと重い。
元は着ぐるみだが、中に人型のサンドバッグを詰めてある……軽いと手ごたえがないから。
「平太郎の――」
ありったけの怒りをこめて。
ウサギの喉に向け手刀を繰り出す。
「朴念仁っ! 常識で考えてわたしが好きなのお前だってわかるだろクソ馬鹿ーっ!!」
「ごふっ!!」
地獄突きを打ちこまれた人形が、悲鳴を上げた。
あまりに奇天烈な現象。せき込みながら転げまわるウサミディールを、わたしは呆然と見つめることしかできない。
「げーっほげほげほげほっ!」
しかし。
よく聞けば、その声にはどこか覚えがある。
それに、怒りに目がくらんでいたせいで気づかなかったが、勉強机のかたわらに、レザー生地の人型サンドバッグ――ウサミディールの中身が、両足を放り出して座っている。
導き出される答えは、ひとつ。
いまだに転げまわるウサミディールの、かぶり物の頭を引っこ抜く。
中から現れたのは、くりくりと大きな瞳に眼鏡、かわいい丸顔に真っ黒ショートヘア。わたしがよく知る少女の顔だった……涙目でむせかえっていたけれど。
「その、音子……ごめん」
「――っ。死ぬかと思ったッスよーっ!!」
目に涙をにじませながら、少女はよく通る声で抗議してきた。
猪瀬音子。おなじ学校の後輩で、中学時代からつき合いのある、ひとつ年下の少女だ。
「――まったく。先輩、普段部屋でこのウサギにナニ話しかけてるのかなーって気になったんで、こっそり着ぐるみに入って待ってたら……ナニいきなり地獄突きとかかましてんスか!? 死ぬかと思ったッスよ!」
「たったいま、同情の余地が消失したんだけど」
「そんなことはどうでもいいんスよ! 織枝先輩! あんた普段このウサギをどう扱ってるんスか!」
「え、と……ストレス発散用の愛玩人形として?」
「うおー、かわいい顔してナニ言ってやがんスかこのアマ!? というかあれっすよね、愛玩人形っつってもエロイことするんじゃなくて殴ったり蹴ったりしてストレス発散させてるってことっすよね!?」
「いや、主にパイルドライバーとかバックドロップとか……」
「プロレスっ!? そのちっこかわいいガタイでなぜに!? つか先輩の私服ってあれっスよね? その古臭い真っ黒ワンピ筆頭にスカート系っスよね? どう考えてもめくれますよ自分の部屋とはいえナニやってんスか痛っ――げーほげほげほっ!?」
わたしのお気に入りを古臭いとかクソ失礼なことを言いやがった後輩に、二度目の地獄突きを喰らわせる。
ふたたびむせ転がる音子の鳩尾を足の親指で抑えて、顔をのぞき込む。
「……あの、先輩、動けないんスけど」
「動けなくしてるんだから当然でしょ……で、音子。あんたも別に、こんなイタズラのためにここ来たわけじゃないでしょ?」
音子を踏みつけにしたまま、尋ねる。
仲の良い後輩だが、家が離れているせいで、我が家に来たことはほとんどない。わざわざ来たからには、なにか理由があるはずだ。
「いや、そうなんスけど……先輩? なんかその体勢で見下ろされてるとなんだか背筋がゾクゾクするんスけど……キマシ的な感じで」
「キマシ?」
「わかんないならいいんスよ――っと」
足を退けると、音子はくるりと回って胡坐座りになった。
首から下はウサミディールのままなので、非常にシュールな光景だ。
「にしても、先輩。先輩が荒れてるのって、また平太郎さんがらみっスよね?」
喉を押さえて涙目になりながら、音子はにやりと笑う。
言われて、顔が真っ赤になるのを感じた。
よく考えれば、あの告白ともとれる雄叫びを、間近で聞かれていたのだ。
「あー真っ赤になっちゃって。先輩マジかわいいっスわー。嫁にしてー」
「なに言ってんのバカ」
「いや、でも実際先輩かわいいっスよ。服のセンスとかダサいっつーか、まあ渋めっスけど、長い髪はつやっつやだし、肌は白いし、ロリ入ってるけど美形だし」
「音子、あんたは褒めてるつもりかもしれないけど、思いきりわたしのコンプレックス突き刺してるからね?」
「いやいや、ガチ褒めっスよ……だから、それで振り向かない平太郎さんてば絶対ホモだろとか思うわけっスよ。思うわけっスよ!」
「やめてよ! 最近本気でその疑問感じてるんだから」
「ミラさんっしょ?」
「そ、あのふたり、いっつもべたべた。恋人かっての」
「うへへ、そりゃあ眼福な光景なんでしょうね」
「音子よだれ、よだれ」
だらしなく顔を緩ませる後輩に注意する。
「つかあんた、ミラのこと好きなんでしょ? それでその反応ってどうなの」
その関係で、彼女から何度か相談を受けたことがある。
わたしとしても利害関係の一致から、協力するにやぶさかではない、のだが。
「いや、こればっかりは別腹っていうか……先輩もどうです?」
肝心の本人が、なんというか、駄目な感じだ。
こっちにいらっしゃーい、とばかりに手招きする音子に、しっしっ、と手を払う仕草を返す。
「その世界を受け入れちゃったら、よけいにストレス溜まりそうだし」
ただでさえ一日一度はこいつらホモかと心の中で突っ込んでいるのだ。
腐った目で見るようになれば、その機会は、おそらく数十倍に膨れ上がる。
音子のように割り切って見ることができればいいが、わたしには無理だ。想像するだけでストレス死できる。
「まあ、今日お邪魔したのは、やっぱりミラさん関係の相談なんスけど」
「……聞きましょうか……まあ、その前に、紅茶でも淹れるから待ってなさい」
「あざーっス」
ため息まじりに応えると、音子は調子よく手を上げた。
◆
紅茶を淹れて部屋に戻ると、音子は勉強机脇の本棚に向かい、何かをにやにや眺めていた。
「……なにしてんの? 音子」
「いやー、かわいいっスね御幼少時のミラさん。いまでも超美少女系美男子っスけど、こう、幼女姿も嗜虐心をそそるっていうか」
どうやら小学生の頃のアルバムを勝手に見ているらしい。
ちらと視線を送って――思わず悲鳴。
「ぎゃああああああんたなに見てんの!?」
「いやーこの頃から仲良かったんスね、先輩と平太郎さん」
写真の中ではわたしと平太郎が、腕を組んで、笑顔で顔を寄せ合っていた。
――うわああわたしの宝物がよりによってこいつに見つかった!
「あうあうあうあう……」
「いやー、幼女な先輩もかわいいっスねー。お人形さんみたい。平太郎さんは、なんつーか、変わらない感じっスけど……この頃の三人って、どんな感じだったんスか?」
「……どんなも何も」
完全に赤面しているのを自覚しながら、にやにや笑いで聞いてくる後輩に答える。
本人は意図してないのかもしれないが、その写真が彼女の手元にある以上、首根っこを掴まれて押さえつけられているようなものだ。
「……この頃は、まあ、あんまり性別とか意識してなかったし。ミラの馬鹿もいまみたいに思春期丸出しじゃなくて、単純に子供子供してて……平太郎は、この頃から、なんというか、大人びてて、みんなのお兄さんみたいな感じで」
それで、いつの間にか好きになっていたのだ。
心の中でつぶやいただけで、恥ずかしくて頭に血が上ってくる。
音子はわたしの様子を見てにやにや笑いながら、ふと気づいたように首をかしげた。
「ミラさんって思春期丸出しなんスか?」
「そうだよ。さっきもさ、なんかわたしがミラに気があるみたいな勘違いした自意識過剰なキモイ反応して……」
音子の問いに、憮然と答える。
思い出したらまた怒りが込み上げてきた。
「えー、そうなんスか? わたし今日ミラさん遊びに誘ったんスけど、へーたろと遊ぶしいい、とか言われたんスけど……ふひひ」
「傷ついてんのか興奮してんのかどっちなの……」
「いや、わたし得なのはいいんスけど……ミラさんの思春期行動って、ひょっとして先輩限定なんじゃないスか?」
「なにそれキモイ」
わたしが口をゆがめると、音子は呆れたように言った。
「先輩、ほんとにミラさん嫌いなんスね……なんでなんスか?」
「平太郎独占してるからに決まってるでしょうが」
幼馴染だし、異性の中では、たしかに仲のいいほうだ。
だが、平太郎が絡めばヤツは完全に敵。つまりは常時敵だ。
「即答? まあ、そうなんでしょうけどね……わたしから見たら羨ましい話っスよ」
ぺらぺらとアルバムをめくりながら、音子は寂しげに紅茶を口にする。
たしかに。わたしには邪魔でも、音子にとっては違う。たとえ本音でも、彼女の前で言うべきことではなかった。
「ごめ――」
「やっぱロリ体型っすかねえ。その魅惑のちっぱいが、ミラさんを魅了してやまないんスかねー」
謝ろうと思ったが止めた。
つかその無駄にでかい脂肪を揉みしだくのはやめろ。
この前、平太郎がその駄肉を目で追ってるのを見たときは、本気で殺意湧いたぞ。
「ねえ先輩。どうしたらミラさん誘惑できるっスかね?」
「くねくねするの、止めいっ……まあ、わりと簡単じゃない? あいつ人見知りだし、音子のこと、まだあんまり知らないでしょ? だからいま突っ込んでも逆効果。まあ、じりじり仲良くなって、いっしょに居る時間増えれば、勝手に向こうから寄ってくるんじゃない?」
イメージとしては猫だ。
人見知りするが、慣れれば寄ってくるし懐いてくる。
わたしの助言に、音子は目を輝かせた。
「的確な助言あざーっス! よーし、これでミラさん攻略頑張っちゃうぞーっ! 先輩も平太郎さん攻略、頑張ってくださいねっ!」
「ちょ、音子、声大きい! あんたの声、よく通るんだから。下手したら平太郎に聞こえちゃうでしょ。おなじ二階で、部屋が向かいあってるんだし」
「いいじゃないっスか。むしろ聞かせちゃいましょう。平太郎さーん! 織枝先輩が平太郎さんのこと愛してるって――モガガ」
「ちょ、本気で止めて! 死ぬっ! 平太郎に聞かれたらわたし死ぬっ!」
叫ぶ音子の両肩を羽交い絞めにして、必死で阻止。
そのまま揉み合っていると、突然携帯の着信音。
この音楽は、平太郎専用のものだ。
「はい、織枝だけど……ひょっとして、いまの、聞こえた?」
「聞こえたぞ」
心臓が跳ね上がる。
顔が真っ赤になっているのがわかる。
もし、平太郎がわたしの好意に気づいたら。
どうなってしまうんだろう。不安と期待がないまぜになって、頭の中は滅茶苦茶だ。
「――内容まではわからんがな。映画を見ていたのは知っているだろう。だったら何度も騒ぐな。常識を考えて、それくらいの気遣いはしてくれ」
平太郎は電話を切った。
言うだけ言って。何事もなく。
わたしには一切興味ないとでも言うように。
ふつふつとこみ上げてきた怒りは、あっさりと沸点を越え、理性がぷつんと音をたてて切れる。
「あのー先輩。なんでウサギの面をかぶせるんスか? なんでまた羽交い絞めにするんスか? なんでわたしを抱えたままベッドの上に登るんスか?」
「平太郎の――」
感情のままに、わたしはいつも通りウサミディールに怒りをぶつける。
フルネルソンの体勢からウサミディールを持ち上げて身をそらし、急転直下、背中越しに落とす。
――ドラゴンスープレックス!
「馬鹿やろーっ!!」
「へぶしっ!?」
頭からベッドの上に叩きつけられたウサミディールは、そのまま力なく五体をベッドに投げ出した。
興奮が冷め、中に詰まった後輩のことを思い出したのは、しばらくしてからのことだった。