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紺碧の大甲虫  作者: そよ風ミキサー
第四章 【異界から来た者達】
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第54話 とある元研究員の懺悔

 機関に所属してから数年経った頃、機関の活動の雲行きが怪しくなってきたのは、その頃だろうか。

 トリナイダ達がいつものように新たな開発に勤しんでいたある日、新薬や新治療法の臨床試験の被験者に世界中に蔓延る盗賊や悪事を働いた犯罪者を使うようになったのだ。

 以前までは開発中のそれに見合った症状の持ち主に対して報酬込で被験者の募集を行うなどして慎重に選出し、治験後も気を配ったりしてきていたのだが、ここにきて方針の変更にトリナイダは首を傾げた。

 しかもその被験者達は機関が保有する武装勢力によって力尽くで捕獲して連れて来たらしく、治験も大分乱暴で、被験者が死んでも構わないとでも言うかのような処刑紛いな扱いをしていた。


 トリナイダはそれに驚き、僅かに良心が痛んだが、構うものかとその感情を振り払った。

 連れて来た者達はどれもが世界中のどこかで悪事を働き、他者の命を弄んで己の快楽を満たしてきたようなろくでなしども。多くの命を救わんと日夜研究し続ける自分達霊長医学機関とは対をなす存在、敵と言っても良い。

 そんな輩達でも少しは世の人々を救う糧になるのならば有効活用となるし、多少なりとも溜飲が下がる。そう自分を納得させたのは、自分の両親が理不尽な理由で命を落とした事を思い出したからか。

 機関の人々も最初はトリナイダの様に驚き戸惑ったが、連れてくる被験者達が全員そういった人種であると分かるとじきに収まって普段の仕事風景に戻って行った。中には、そういった被験者達へ嬉々と臨床試験を行う者もいたが、そういう者達はかつて身近な人をこのような人種によって失われた者達だった。


 それだけなら、まだ良かった。世の平穏を脅かす輩が実験で命を落そうが、廃人になろうが、のさばらせて無辜の人々に害を及ぼす事を考えれば人材の有効活用と見做して冷酷になれた。


 しかし、この後の方針変更によって霊長医学機関は斜陽を迎え、トリナイダの人生も大きく狂う事となった。


 所長が更なる研究の為に被験体の増加を目的として、犯罪者以外の人々まで対象にするよう命じて来たのだ。

 世界中の浮浪者や身寄りのない孤児、挙句には一般の民間人や有力なクエスターすら密かに捕まえて無理やり被験体に利用するようになってしまった。


 何の罪もない者を無理やり拉致して被験体にするなど、それはもう犯罪行為だ。

 そんな事が露見すれば機関は世界の敵になってしまう。今までの事業が全て無駄になってしまうではないか。


 その方針に異を唱える職員達は所長へ訴えたが、所長は聞く耳を持たずそれを断行。

 機関はとうとう後戻りできない所まで来てしまっていた。


 その頃の霊長医学機関は、増員や方針変更に伴う思想の変換によって二つの派閥が生まれていた。

 より多くを救うために犠牲を払う事も厭わない過激派と、なるべく犠牲を無くすように努める穏健派。トリナイダは後者だった。


 この被験体確保の一件は二派同士の対立が生まれ、機関内は大きく荒れた。

 しかし、その被験体確保を推し進めているのは、他ならぬ機関の長である所長だった。反対意見を唱え続ける穏健派は言ってしまえば所長の指示に逆らう組織内の異分子、次第に立場が悪くなっていき、その数を減らしていくようになってしまう。

 居場所がなくなる事を恐れて過激派へと移った者もいた。そして、今のやり方に賛同出来ず機関から脱退を試みる者もいた。


 だが、機関は脱退を許さなかった。

 今行っている所業の漏えいを避けるため、あらゆる手段んで以て脱退しようとする者を引き留めようとし、最悪無理やり逃亡しようものならその者は他の職員達と離され、別の研究に従事させられるようになるらしいが、当時はその実態が未だ明らかにされていなかった。


 機関内部ではそんな陰惨な治験が繰り広げられているが、世間的には未だに画期的な医療技術を提供し続ける素晴らしい組織として通っている。

 それもどこまで維持できるのかは怪しい。今の所長の独裁的行為が悪化し続ければ、露見するのも時間の問題だ。穏健派の者達は皆機関の行く末に立ち込める暗雲を感じていた。


 どうして、こんな事に。トリナイダは所長の強権に我が身の危機を感じて渋々と研究を続けながら組織の変貌に心を痛めた。

 組織に参加した時は希望に満ち溢れていた。それが今や、人々の見えない所で組織内部にじわじわと悪意が滲み出し、それが溢れだそうとしている。

 トリナイダとて綺麗事だけで生きていける程この世界が都合よくできているとは思っていない。これまでの人生で嫌と言うほど痛感している。

 なので大を生かす為に小を切り捨てるという理屈は理解できる。だが、今回の所長のやり方はいくらなんでも強引過ぎた。


 この事態を引き起こした全ての元凶は、人攫いをするように命令を下した所長だ。

 今更他者が言葉を尽くして意見を変えるような人ではない事はもう分かっている。

 ならば力づくで止めれば良いのかと言えば、それも不可能だ。機関が有する武装勢力は、元々所長が独自に呼び寄せた者達だ。彼らの所長へ向ける感情は忠誠そのもの。故に武装勢力は実質所長の手駒である。そんな者達が所長の周りにも護衛として待機しているのだ。

 何より、所長自身の力だ。所長は世界でも類稀なる頭脳を有しながらも、その戦闘能力もまた常軌を逸していた。

 以前機関の技術を手に入れるべくどこぞの勢力が所長を攫うべく襲い掛かって来た事があるのだが、所長はそれを生身のままで全て文字通り秒殺、恐るべき身体能力によって皆殺しにしたのだ。

 所長が力を見せたのはその一度だけではない、所長は幾度となくその頭脳から狙われ、時として暗殺も行われた。武装勢力の包囲網をかいくぐって所長へと辿り着いたそれらは尽く所長の力の前に屍をさらしていったのだ。

 その力は武装勢力の比ではない。更に言えば、どんな高位のクエスターでも、国の軍隊であろうと敵わないのではと思わせる力だった。故に機関で最も強いのは、最も警護されるべき所長自身だったのである。


 そんな所長が相手だから穏健派達は行動に移せず、従い続ける日々を過ごさざるを得なかったのだが、とうとう我慢の限界に達してトリナイダ達はある人物へ訴えに出た。

 霊長医学機関で所長の次に権力を持つ副所長である。副所長自身は完全に研究者らしいのだが、彼女の言葉には所長も無視できないでいる事が度々あった。

 しかし、今の方針に対して何も意見を言わずに粛々と仕事に徹していたので、副所長も所長と同じ意見なのかと穏健派は彼女への接触を諦めていたのだが、事ここに至って背に腹は代えられず、意を決してトリナイダ達穏健派は副所長へと訴えに向かった。

 副所長の言葉なら、あの所長も耳を貸してくれるのでは、という可能性に賭けて彼女の部屋へと一同は向かった。


 意外だったのは、副所長がその訴えを拒絶しなかった事だった。

 副所長は穏健派達の話を静かに聞くと、厳重に隠されていた書類の束を彼らに渡し、受け取った穏健派達はそれに目を通して絶句した。

 そこに記されていたのは、これまで拉致された人々が性別や人種、職や体質などが詳細に列記されていた“被験体の目録”だったのだ。そしてその被験体の中には、機関からの脱退を強引に行おうとして、別の研究を任されていた研究員の名前まで載っている!

 どの様な薬品や施術を行われ、どのような反応を示したのか。結果は全て死亡。まるで、殺す事が前提であるかのような治験内容には文字そのものに悪意が込められているような錯覚を覚える程だ。

 その目録だけでなく、副所長はより明確な証拠として、遺跡で発掘された技術によって用いて作られた対象の光景を紙に焼き付ける機械で密かに撮った、その治験時の光景が描かれた写し絵も数枚渡してきた。

 写し絵に写された光景は、渡された目録の惨状をより分かりやすく穏健派達に教えた。


 投薬されて全身の筋肉が異常に発達し、黒い血管が浮かせて泡を吹きながらもだえ苦しむフェミニアンの男。


 麻酔はされたが、意識が明確な状態で見せつけるように体の部位や臓器を取り出され、人工義肢や臓器と交換させられる様に絶望するエルフの女性。


 様々な種族の肉体部位を繋ぎ合わせて本来の種族や性別が一切分からなくなってしまいながらも生き永らえている何か。


 他にも数々の治験……否、人体実験が写し絵に描かれており、渡された穏健派の者はあまりの酷さにそれを取り落とし、込み上げてくる吐き気に口を押えてその場にへたり込んだ。

 

 今まで自分達が行ってきた治験とは全く別の、人の命を弄び、悪意で飾り付けるが如き恐るべき所業。

 それを自分の属した組織が、霊長医学機関がやっているのだと思い知った時の絶望は如何程のものだったか。 


 恐怖と絶望に沈む彼らへ、「それらを持って、貴方達は此処から脱出しなさい」と副所長が言うのだ。

 既に所長の説得は不可能。霊長医学機関は、世界によって罰せられなければならないと静かに述べる。

 多くは語らなかったが、機関の現状に対して何か思う所があったのがは確かだったらしい。世間では謎の失踪事件が少しずつ問題視されるようになってきているので、証拠となる資料を揃えて穏健派達へ渡すつもりだったようだ。


 その事を所長は未だ知らないらしいが、時間の問題だ。故に副所長は彼らに機関からの離脱を勧めたのだ。

 副所長はどうするのかと訊けば、「私にはまだ此処でやる事があります」と答え、機関へ留まる旨を穏健派達に伝えた。


 残されていない時間の中、トリナイダ達は副所長の提案を受け入れた。

 逃走先に宛てがあるようで、副所長は書状をトリナイダ達フュミニアンとその他異種族達の二組へと渡し、逃走手段は副所長が今まで見た事のない魔法によってトリナイダ達は皆“移動させられた”。

 足元に光の円陣が浮かび上がるとトリナイダ達は光に包まれ、次の瞬間には全く別の場所にいたのだ。


 行先は、フュミニアン達の住む大陸側のクエスター組合本部だった。異種族の研究員達はその場におらず、恐らく異種族達側の大陸のクエスター組合本部へと飛ばされたと思われる。

 突然現れたトリナイダ達へ組合の人々は驚いたが、素性を明かし、組合のさる人物へ取り次ぎを求めた。

 その人物とは、当時のクエスター組合の組合長だった。副所長は書状をその人物へと渡す様にトリナイダ達へ伝えていたのだ。


 組合長は霊長医学機関の者と名乗る者達を訝しみながらも、渡された書状の印を見てギョッとして、慌てて執務室へと駆けこんだ。

 間もなく戻って来た組合長は青ざめながらトリナイダ達を迎える旨を話し、詳しい話を彼女達から聴取した。


 トリナイダ達による機関の恐るべき実態を知る事となった組合の動きは早かった。

 世界各国でも謎の失踪事件は重く受け止められ、クエスター側でも被害が出ていたので捜索が行われていた所にトリナイダ達が証拠資料を携えて現れた事で、今までの謎が一気に判明したのだ。


 組合はすぐさま大陸全土の各国へと通達、それを知るや世界中に国々は連盟を組んで霊長医学機関を糾弾。しかる後に機関壊滅の為の武力行使を決行する事が決定した。

 時を同じくして、クエスター組合経由で異種族達側の大陸でも同じように国々が機関壊滅の為に動き始めた事をトリナイダ達は知らされる。



 トリナイダは他の者達と一緒に情報提供者としてクエスター組合で保護され、暗澹たる気持ちで世界各国による機関殲滅の動きをそこで聞いていた。

 自分達が数年間、多くの命を救えるようにと夢に向かって奔走してきた場所が、此度の戦いを引き起こす元凶となってしまったなど、悪夢を見ている様だった。

 各国が機関の各施設への攻撃を開始した時、機関はそれに武力で以て応戦。しかし、世界各国、ひいてはクエスター組合も加わっての全面攻勢の前にはたかが一つの組織など磨り潰されるものと、その時は誰もが思っていた。

 だが、霊長医学機関は所長の私兵である武装勢力だけでなく、あるものを投入してきた。それを知らされた時、トリナイダは絶望する。

 今まで自分達が積み上げて来た技術を利用して、捕獲した人々や動物やモンスター達に改造措置を施して生体兵器として繰り出してきたのだ。


 そんなトリナイダ達へ、更なる追い打ちをかけるように事態は悪化していく。

 霊長医学機関は世界の国々と全面戦争に発展し、戦線に投入した生体兵器達の想像以上の戦闘力で多くの国々が大打撃を受け、数多の命が大地へ血肉となって消えて行った。

 

 もたらされた情報トリナイダ達は、目の前が真っ暗になり体を震わせてその場に崩れ落ちた。

 自分達は、そんなものを生み出す為に研究してきたんじゃない!

 多くの人達の命を救えるように、理不尽に死んで欲しくないから、大切な人を失う悲しい思いをさせたくなかっただけ……なのに――。


 世界へ機関の実態を暴露した事は間違いだったのか? 自分達は、いたずらに世界に混乱を齎した元凶なのではないか?

 自分達の行いに疑問を抱いてしまうほどには、この戦いで失われた命があまりにも多すぎた。

 増え続ける死傷者、夥しい死人を生み出す世界規模の争いの発端となったのが己らと言う罪悪感が積もりに積もり、ついに心が耐え切れず自ら命を絶つ者まで現れ始めた。


 そして、審判の日が訪れる。


 全世界が予想だにしなかった力で機関が世界中に莫大な被害を齎し、数年間にわたる長い膠着状態が続いた時、トリナイダ達は機関による急襲を受ける。

 保護されていた組合本部を破壊しながら現れた機関の実験生物達。クエスター達が応戦するも、物量とその時投入された実験生物達の戦闘力によってその殆どが餌食となった。


 護衛していたクエスター達を無惨な血肉の飛沫に変えながら姿を現した異形から、かつてよく訊き慣れた男の声が聞こえてくる。


――――よくもやってくれたな、裏切者ども。


――――あの時大人しく我々に従っていれば、身の安全くらいは約束しても良かったものを。


――――貴様達と、あの女のおかげで機関は滅ぶ。


――――だが、ただでは滅びぬ。その命、最期まで私の為に役立てるがいい。


 トリナイダ達は抵抗する事すら許されず、実験生物達によって無惨にその肉体を破壊し尽くされながら殺された。


 これが私の報いなのか、と自分の体が死肉に変えられていくのを実感しながら、何処かで納得していたトリナイダ。

 意図していなかったとはいえ、この実験生物達を生み出す技術の根幹に自分の開発した技術も組み込まれているとなれば、自分も同罪なのだと思わずにはいられない。

 トリナイダは懺悔とともに頭を破壊され、意識は血肉と共に飛び散って行った。かに見えた。


 死を意識したトリナイダが次に目覚めた時、自分の体が異形の姿に成り果てていたのだ。

 

 だが、ここで予想外の事態が起こった。これはトリナイダへ何かを施した所長も想定外の事だっただろう。

 他の異形へと変えられた元研究員達は自我を亡くし、ただ暴れ回るだけの狂った存在になっていたのに対し、何故かトリナイダだけ自我がはっきりと残っていたのだ。

 気怠い朝を迎えるような朦朧とする意識と、そんな中で認識した現状への混乱に苛まれながらもトリナイダはその場から辛うじて逃げおおせた。


 そこから先は、辛い逃亡の日々だった。

 誰かに見つかればその異様な姿から機関の作った怪物だと騒がれ、クエスターや国の軍、他にも武装した人々に執拗なほどに襲われ、追いかけられ、言葉を発しても聞く耳を持たれず、自衛を繰り返しながら逃げる事しか出来なかった。


 皮肉な事に、変貌した異形の肉体は強く、そこいらの武装した軍隊やクエスター達が束になっても退けられる力はあった。流石に上位の者達であればただでは済まないが、それでも生き延びれる程の性能を有していた。傷を負ってもそれ以上の再生速度で完治出来た事も、生き延びれた要因だろう。

 そしてその身体は劣化という概念が無いのか、何年、何十年、何百年と時を経ても衰える事は無かった。

 異形になりさらばえた身に嘆いて自殺を試みた事もあった。しかし、トリナイダの強靭な異形の肉体は本人の死の願いすら跳ね除ける。

 クエスターや軍の力を利用しての自害すら計画した事だって何度もあったが、トリナイダは死ねなかった。どれだけの武器や魔法、兵器を駆使しても異形となったトリナイダの肉体を死に至らしめる事が叶わない。

 餓死や溺死、服毒など、様々な手段も試みたが、ただいたずらに苦痛を受け続けるだけで死に至らず、やがて命を絶つ事にすら疲れ果て、とうとう諦めた。


 死ぬ事も出来ず、ただ生きているだけの日々。誰かと会う事すらうんざりして、人気のない未開の地、モンスター達を退けてその地を安住の地と見定めて静かに暮らした事もあった。

 けれどそれも永遠にとはいかなかった。人類の国やクエスター達による開拓行為で発見され、その場を追いやられては静寂な場所を目指して大陸中を彷徨い続けていたのだ。


 流浪の最中、偶然霊長医学機関のその後を知る事も出来た。トリナイダが異形となって逃亡生活を始めてから数年後、世界中の国々による総力戦の果てに機関の代表の死とともに組織はとうとう壊滅し、もはや大昔の出来事となっていたとは!

 それを知ったトリナイダは人知れぬ場所で壊れた様に高笑いをし、やがて異形になっても以前の面影を濃く残した顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。

 いつか滅びると、滅びてくれと信じて願った。しかし、実際にそれを知ってしまった時の感情は、やはり、だがそれでも、嗚呼…………。



 生きる気力も意味も見失って力なく彷徨い、仮初の宿として遺跡で過ごしていたそんな時にトリナイダは彼、クグイと出会ったのだ。

 遺跡の奥で過ごしていた時、何者かの侵入を察知したトリナイダがこっそりとその侵入者を初めて見た時、その特異な姿にもしや機関、ないしは噂で耳にした残党が生み出した実験生物の類か? とトリナイダは疑った。

 しかしすぐさまトリナイダの気配を察知して接近した異形の者は、予想以上に理知的で、トリナイダの姿を見ても会話が可能と分かると此方の姿への嫌悪も無く、酷く疲れた様子で彼女へ話しかけて来た。


 ぽつりぽつりとたどたどしく始まったこの会話に、トリナイダは困惑した。

 クグイと名乗った異形の者は、その姿からこのフュミニアンの住む東の大陸ではモンスターや機関残党の実験生物扱いされ、何処へ行っても討伐対象として追いやられていったそうだ。無理もない、機関の残党は今も独自の活動を行い、その爪痕は未だに残っているし、加えてこの大陸の住人フュミニアンは異種族、特に自分達より大きく姿形が異なった存在に排他的だ。

 そこまでは良い。人並みの知性をしっかりと確立していながら異形の身が原因で社会から追いやられる様は、トリナイダ自身の現状と重なって見えて、親近感が湧いたから。

 しかし、そこからぽろぽろと溢す言葉の節々や、自分の知る一般知識と今一つ噛みあわ無い所が散見し、最初は数百年も経ったから時代とともに言葉が変わったのか、と思ったのだが、どうもこの異形の男は事情が大きく違った。

 エヌエフオー、ネオフロンティアオンライン、プレイヤー、ジーエムなど、未知の言語は何かの業界用語かとも思ったが、聞けば知らない内にこの大陸にいたと言う。

 まるで、どこか遠い場所から見知らぬ地へ連れ去られてきたかのような言い方ではないか。それも、トリナイダの生まれ育ったフュミニアン達の国々のある大陸ではなく、エヴェストリア大境界溝の向こうに住む異種族達の連合国家でもない、全く未知の場所からだ。

 クグイの種族も、元いた場所では珍しくはあったがクグイ意外にも同種がちゃんといる確かな種族として存在しているという。話しぶりからして嘘をついている様子ではない事から真実なのだろう。


 医者から機関に入って生物学者みたいな事もしていたからだろうか、トリナイダはすり減っていた人の心に学者としての探求心にほのかな熱が生まれ、クグイに興味を持ち始めた。どちらの大陸にも存在しない種族、というのがトリナイダの食指を動かしたのだろう。


 トリナイダは改めて、自己紹介から始めた。

 自分の事、自分がこうなった経緯、自分が昔目指した夢、そして現状など。

 最初の方こそクグイも警戒していたが、親身になって話しかけてくる彼女の態度に絆され、気を許していき、世間話が出来るような仲になった。

 クグイは遺跡へ流れ着いた経緯を考えれば、人に飢えていたのだろう。そして、それはトリナイダも同じ。

 互いに追われ、命を狙われて人の手の入らない場所を求めて来た者同士。ここで二人は同じ立場同士の共感しあえる関係を築いていくようになっていった。


 そして訪れる、流浪の日々。

 クエスター達が新たな遺跡発見の為に足を運んできた時にトリナイダ達と遭遇し、その場はクグイの凄まじい力でクエスター達を退かせ、その隙に二人はその場を脱出。

 だが、いつまでもこんな日々を続けていては駄目だ、という考えに至ったには、気の許せる仲間が出来た事で少しだけ前向きに頭が働く様になったからだろうか。

 トリナイダとクグイは、話し合いの末、今いるフュミニアン達のいる大陸を脱出し、隣の異種族達のいる大陸へと渡る事を決意する。

 果てしなく大きいエヴェストリア大境界溝を渡れる術はないので、二人の身体能力や機能を駆使して、何とか海を渡って来たのだ。





「――――そウして、私達ハこの大陸ヘ辿り着キまシタガ、此方デもモンスターと似た扱イをサレ、人気のナイ場所ヲ移り住みナガら過ごス日々ヲ続け、今回貴方方トこうシテ会う事が出来マシた」


 長い話、それも一人の女性が語るにはあまりにも長く壮絶な人生を聞いたツェイト達は、誰もが言葉を発する事が出来ず、ただトリナイダとクグイを見る事しか出来ないでいた。

 トリナイダが霊長医学機関、それもまだ研究機関として活動していた頃からの生き残りだと言うのも驚かされたが、彼女の歩んで来た身の上があまりにも痛々しくて、機関の事を聴けようはずもなかった。


「……ありがとう。良く話してくれた。嫌な事を話させてしまって申し訳ない」


「気にシナいでクダサイ。今モ多くノ人達や貴方がたヲ脅かシテイルのが、私ノ古巣が元凶なラ、コの程度ノ事は」


 プレイヤー一同を代表して頭を下げるマグ・ショットへ、トリナイダは彼の謝意を感じて目を伏せたのは、自分過去を思い返したからか。

 トリナイダは下げた視線をゆっくりと上げてマグ・ショットへ向けると、どこか縋るように提案して来た。


「貴方がタがクグイと同郷の人達なラ、あレラを止められるかモしれなイ。ナらば、私の方かラモ微力ナガら協力さセテクださイ」


「それは願ってもない話だが、良いのだろうか? 確かに私は君がプレイヤーの関係者で、尚且つ機関に所縁がある者とにらんでそちらのクグイと一緒に保護をして、あわよくば機関の情報が取れれば儲けものと思っているのだが」


「昔なラば前のよウに国々が止めテクれるだロうと思っテいまシタが、今回の遺跡テの件で痛感シましタ。――――“アレ”ハ国の軍隊ヤクエスター達でハ勝てマセん」


 アレとは鉄の竜人――オロンの事だろうとツェイト達は察した。

 変わり果ててしまっているが、もし全盛期の力を発揮できるのなら、国の一つは確実に滅ぼす事が出来るだろう。

 少なくとも遥か上空から山を抉り、地下深くまで焼き貫ける破壊力を持つ熱線を有しているのだ。それが世界へ向けられれば脅威以外の何物でもない。


「……つまり、貴女は機関の情報提供や協力をするから、我々の力で機関の残党を倒して欲しいと、そう仰っているのだな?」


「そう思ッていタダいテ構イませン。たダ、身を寄せル先ガ良識のアる方々デあル事を祈っテイまス」


「と、お連れのご婦人はそう仰っているがクグイ、君の方はどうかな?」


 トリナイダと会話を交わしていたマグ・ショットが、トリナイダの隣で聞き手に徹していたクグイへと話を振ると、ビクリと体と背骨に似た形状の触手を震わせ、異形の相貌で思案顔を浮かべながら答えた。


「……彼女の安全を約束してくれるのなら、俺は彼女の意思を尊重します。トリナイダさん、それが良いんだよな?」


「えエ。……ゴメんなサい、私ノ我儘の為ニ貴方ノ事を利用すルヨうな形をとッてシまっテ」


「いや、いいよ。トリナイダさん、時々何か思いつめていたから……この事だったんだな」


 クグイの立場を利用するような形で話を運ぶ事に罪悪感を感じているトリナイダは表情を暗くしているが、クグイはそれに人外の顔に笑みを作って返してみせる。

 そしてクグイが、意を決したようにマグ・ショットへと顔を向けた。


「マグ・ショットさん、改めて俺からも何か手伝わせてもらえませんか?」


「積極的に協力してくれるのはありがたいが、君は大丈夫なのか? はっきり言うが、遺跡で君が負傷した時の様な事態がこれからも起きると思う。勿論、こちらでも可能な限り支援はするが、命に係わる危険も伴うだろう」


 それでも良いのか? とマグ・ショットは敢えてそれが危険である事を強調してクグイの覚悟を問うと、クグイの異形の顔に臆した様子は無かった。


「それでも、やらせてください。トリナイダさんが頑張ろうとしているのに、俺だけ消極的でいるなんて、情けないじゃないですか。」


 クグイを突き動かしているのは、もしかしたら男の意地、のようなものだったのかもしれない。だが、その気持ちに水を差す者はこの場に誰もいなかった。

 マグ・ショットは亀裂の様な赤い四つの眼光を細めながらクグイの心意気を歓迎した。


「後で面談の時間を作るとしよう。君に何が出来るのか、それを把握する必要があるからな」


 マグ・ショットがスッと立ち上がると、テーブルを迂回してクグイ達の元へと歩み寄ると、二人へ金色の外殻で覆われた手をスッと伸ばした。


「改めて、ようこそ二人とも。これからもよろしく」


 ここに、マグ・ショット達のコミュニティーへクグイとトリナイダの参入が正式に決まった。





 マグ・ショットがクグイとトリナイダ――トリナイダの場合手が無いので触手だが――と握手を交わすとトリナイダを見た。


「こうしてあの時代を生きた生き証人の二人目が来てくれた事は僥倖だった。それも研究員、色々と知恵を貸してもらう事になるかもしれない」


「……二人目? まサか、他ニあノ時代カら生キていル人がイるのデすカ?」


 トリナイダはよもや自分以外にもあの時代から生きている人物がこのコミュニティーに在籍している事に驚くと、マグ・ショットが自分の胸に手を添えた。


「私だ、もうかれこれ800年程生きている」


「は、800年!? ハイゼクターってそんなに長生きなのか!?」


 クグイがマグ・ショットのこの世界で生きた年数を聞いて仰天すると、まじまじと彼を見て、次に現在昆虫人に擬態しているツェイトの方も見るが、ツェイトは困り顔を作るだけだ。果たしてハイゼクター全員がマグ・ショットのように長寿なのかは定かではなく、検証のしようがないのだ。


「霊長医学機関が世界と戦争を起こしたあの時、私はこの連合内のとある国にいた」 


 ツェイトが以前聞いた話では、その頃のマグ・ショットは後のオービタル商会の大元となる酒造店で働いていたらしいが、そこから詳しい話までは聞かされていなかった。

 そこに、マグ・ショットと霊長医学機関との因縁があるのかもしれない。ツェイトは双方のやり取りを聞きながらそう考えている中、トリナイダが驚きながらも納得した様子でマグ・ショットを見ていた。


「そウ、だッタのでスか……」


「俺と機関の関係も、その時始まった。……“あの男”がまだ死に損なってこの世界を彷徨っているのなら、今度こそ始末しなければならない」


「……待ってクダサい、マグ・ショットさン。所長を、知っテイるのでスか?」


 その言葉に何か気付いたトリナイダは、神妙な表情でマグ・ショットへと訊ねる。

 マグ・ショットは深紅の眼光を光らせながら、亀裂の様な四つの眼光を更に鋭くさせて是と答えた。


「知っている。あぁ、知っているとも」


 マグ・ショットの声の音調はさっきと変わらない。しかし、その声の裏に潜む感情をツェイトは感じ取った。



「あの男は私の友を狂わせ、“自分の治めていた国”すら滅ぼし、最後に私が殺した」


 そう、殺した、筈だったんだがな。

 空気に重く沈み込むように呟くマグ・ショットの異形の顔には、確かに悔恨の念が滲み出ていた。

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[一言] 殺した筈の男…誰かが蘇らせたのかそれとも オートで改造手術兼蘇生を行えるようにしていたのか あるいはもっと単純に同じレベルの高い頭脳を持った人間が生き返らせたのか 謎が深まりますね
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