第53話 トリナイダの正体
それから2時間ほど経過してシプレーが拠点へやって来た。
イッキを介して告げられた二人はマグ・ショットの部屋へと向かうと、既に他の人達がテーブル席に揃っていた。
シプレーに収納されていたプレイヤーのクグイとその連れである異形の女性、トリナイダは体外へと解放されている。
ソラボックに擬態しているシプレーことキッブロスは、人の良い笑みを真顔に変えて席に付いている。
クグイは知らない場所に連れてこられた事もあり、借りてきた猫のように椅子に礼儀正しく座っていた。遺跡で遭遇した時装備として被っていたズタ袋は先の戦闘で消失したため、白い骨格で形成された仮面状の顔と露出した筋肉で構成された異形の顔はそのまま晒されている。
トリナイダはその節足と鋏を備えた巨大な2枚貝の如き外見と巨体故に椅子に座ると言う行為が出来ないので、近くで脚を畳んでその場に座る様な態勢をとってその場にいる。手慣れた様子である事から、それが座る際の姿勢らしい。
ツェイトとセイラムが空いている席へと座ると、定位置に座っていたマグ・ショットがそれを合図に口を開いた。
「……さて、揃った所で改めて挨拶しよう二人とも。私がこの集団の代表を務めているプレイヤーのマグ・ショットだ。我々のもとへ来てくれた事、感謝する」
そう言って、マグ・ショットは二人へここへ来ると言う選択を取った事への礼を述べた。
「クグイだったか、君は溝向こうにいたそうだな。あそこは異種族に対して否定的だからな、大変だっただろう。それと、向こうでプレイヤーに襲われたと聞いている。――後で詳細を教えてくれ。あの手のプレイヤーは早急に対処しておきたい」
「あ、あぁ。分かった」
クグイはマグ・ショットの姿と彼の醸し出す雰囲気に緊張しているのか、体を強張らせつつも頷いていた。
「そして……トリナイダさん、だったかな? 話は聞いている」
「……はイ」
「そう緊張しなくていい。君自身が私達に敵意を抱いていないならば、どうこうする理由は無い。もし姿形について心配しているのならそれこそこの場の面々にとっては今更だな。それで人の良し悪しが決まるのであれば、まず私が否定される立場になるだろうからな」
言って、自分の胸に金色の外殻で覆われた手を添えながらマグ・ショットは声だけでおどけてみせた。
毒々しさを思わせる赤紫色の外骨格に覆われ、全身に生えた金色の節足がリングの様に巻き付いて、二股の鋭い尻尾を持ち、額から節くれた触覚を生やした透明なガラス状の外殻から覗く四つ目の髑髏顔の悍ましいムカデの異形姿は、この世で最も邪悪な存在のように思わせる程の恐ろしさがあった。
そんな様子を見て、ツェイトはつい目を伏せてしまった。
オロンの話を少し聞かされてから、ここでそれをおくびにも出さないでクグイとトリナイダへ接するマグ・ショットの姿に、思わず敬服してしまったのだ。
そう言ったマグ・ショットの説明と態度が二人に届いたのか、クグイとトリナイダの警戒心が少しずつ少しずつ薄れていくのがツェイト達から見ても分かった。
それを証するように、トリナイダから動きがあった。
複数の節足で支えられた大きな二枚貝がゆっくりと開かれて、中から何かが姿を現す。
それは、薄い桜色をした軟体状の女体だった。
頭から背中まで伸びる豊かな頭髪のような部位も体と同じもので構成されており、よくよく見れば細い触手である事が分かる。
顔は黒い眼球に白い瞳孔とぽってりとした唇が特徴の、美女と評しても差し支えの無い顔立ちだ。
体は上からボロボロの白衣を帯で結んで着ているが、服越しでもわかる胸部の膨らみや見事な形の谷間、腰部の細さが彼女のプロポーションの良さを教えてくれる。
だが、両腕は無いようで、着込んだ白衣の袖が肩の付け根から先が下へだらんと垂れたままだ。
腿から下は節足と鋏を持つ二枚貝の異形と繋がっており、外殻で覆われたそれらが彼女の体の一部である事を照明している。
トリナイダは決意で固くした顔でこの場にいる全員に己の素性を明かした。
「…………私ノ名はトリナイダ、トリナイダ・インゲイル。かつテ、霊長医学機関の研究者でシタ」
音程がずれた口調で打ち明けられたそれにギョッとしたのはツェイトとセイラム。クグイは既に聞かされていたのか、気遣わしげに彼女を見ていた。
イッキとキッブロスも多少驚いていたが、どこか納得した様子だ。クグイが彼女の安全を約束する事に固執していた事や彼女の姿、遺跡で襲われた事などから何となく察していたのかもしれない。
しかし、マグ・ショットだけはこの中で唯一全く動じていない。一人静かに納得して、トリナイダの姿を見ていた。
「……成程、あそこに所属していたのか。クグイが君を案じていたのは、あの組織の関係者だと露見して過去の所業から恨みを買われる事を恐れていたからかな? その姿から察するに、機関内で何かあったと見受けるが」
「えぇ、そノ通リデす。……機関の所業ヲ密告しタ事がバレて実験素体にサレたみタいでス」
「密告……するとトリナイダさん、貴女は」
イッキが驚いて赤い宝石のような左目を見開くと、トリナイダは重々しく頷いた。
「…………機関ガ武装蜂起すルきっかケを作ッタのは、私でス」
今から数百年前、世界崩壊の引き金となった大戦争期の後の荒廃した時代をようやく過ぎて間もない時代。トリナイダ・インゲイルは連合の大陸の隣、連合に住む者達が“溝向こう”と呼ぶ大陸に存在する“五大国”が誕生する以前に存在した数ある小国の中の一国で、代々医学に携わる家系に生まれた医者の両親を持つ娘として生を受けた。
医者として人を癒す両親の姿を見て幼いトリナイダも医学に興味を持ち、やがてその道を目指すようになる。
両親の血を受け継いだからか、優秀な頭脳を持った彼女は若い頃からメキメキと才覚を伸ばし、20代へ至る頃には若輩の身でありながら一人の医者としてその界隈で頭角を現す才人となっていた。
しかし、いくら優秀と言っても救えない命は多数存在した。世界に蔓延るモンスターや当時小国間や個々人規模による争で生じた怪我、まだ解明されていない多くの病への治療法、そして何より当時の医療技術の未熟さ。
己の力及ばぬ場面を多く目のあたりにして来た。救いたくても救えなかった、或は、切り捨てなければいけなかった命達。その中には、親しい友人や、両親もいた。
友人家族を失い、孤独となって多くの難題に直面していく内に自分の能力などたかが知れているのだと打ちひしがれ、トリナイダはそれらへの解決法の模索をしていく内に、研究者としての側面が強くなっていった。
クエスターとなって、世界各地に埋もれた遺跡に眠る過去の遺物に新たな医療技術の可能性を見出すと言う考えは無かった。
そもそもトリナイダ自身にモンスターの脅威を退けながら遺跡発掘に勤しめる身体能力や才能は無かった。あくまで優秀と称されたのは医者としての頭脳と手腕だけなのだ。
それでもトリナイダは彼女なりに医者として活動しながら新たな医療方法を求めて研究を続けてきた。そこには、純粋に多くの人達を救いたかったのがあるし、自分が救えなかった人達への罪悪感や後悔があったのも否めない。
ある日、そんなトリナイダへ接触する者達が現れた。その者達の組織の名は“霊長医学機関”。かつての大戦争によって逸失した医療技術を復元し、種族や国家を問わず、それを発展させあまねく人々へ普及するために設立された組織とだと言う。そんな彼らが、トリナイダを勧誘しに来たのだ。
最初はそんなものが本当に存在するのか、ちゃんと組織としての体を成して機能しているのかと訝しんだトリナイダだが、見本として渡された治療薬を彼らの許可を得て調べた結果、本当に従来の品よりも効率の良く完成度の高い薬品だった事を知って驚愕した。
トリナイダはそれを機に彼らの組織に興味を持ち、詳細を訊ねた。彼らもトリナイダへの勧誘を急かすような事はせず、彼女が納得いくまで可能な範囲で機関の事とそこから生まれた成果物について教え、標本を提示した。
知れば知る程、トリナイダは蒙が拓かれる思いだった。こんな手法があったとは、嗚呼、何故気が付かなかったのだろうと、今までの己の研究がいかに発想が貧しかったんだと悔やんだ。
幾つもの機関の情報とその研究成果と見聞きしたおかげで、トリナイダはかの機関が遥かに発展した医療技術を有した組織だと確信し、自分も是非末席に加えて欲しいと頼んだ。
ここで身に着けた技術や知識は多くの人々を救える。理不尽に死んでいく人の数を、減らせるかもしれない。一縷の希望に望みを託して、トリナイダは今の仕事を片付けると霊長医学機関へ参加した。
霊長医学機関には多種多様な種族が所属していた。
五大国の大陸の隣、エヴェストリア大境界溝を越えた先の大陸に住むという異種族達の研究者もこの機関にいた事にトリナイダは驚いたが、世界中の医者や研究者達に声をかけているとは事前に聞かされていたので、機関の本気の度合いを理解する事が出来て息を飲んだ。
その拠点は、異種族達の住む大陸の方への経路を確保する必要性もありフュミニアン達のいる大陸側の未だどこの国の領土にもなっていないエヴェストリア大境界と海に面した場所に構えていた。
当時のトリナイダは意欲に燃えていた。
同じ志を持つ仲間達とともに決して夢物語ではない目標を掲げて研究開発に従事する日々は、今までにない程に心地よく、ようやく生きがいと言うものを実感出来た。
数年の歳月がかかったが、その結果出来上がった今までよりも遥かに効果的な薬品や編み出された治療法が遺物のそれと同等で、尚且つ実際に効果的だと実証された時、今までの自分の努力が報われたような気がしたのだ。
ここまで漕ぎ着けられたのは研究員達のたゆまぬ努力があった。
同時に、組織内のとある二人の存在もまた大きかった。
その二人とは、霊長医学機関の所長と副所長。姿は仮面と白衣で素肌を晒さないように身を包み、素性も一切不明な人物達で、唯一分かったのは所長が男性で、副所長が女性である事が体格や体つきから判明したくらいだった。
元々霊長医学機関とは、二人の発明を実現化させるために資金や人手が圧倒的に足りない事から起ち上げられた組織で、二人の頭脳だけが他の研究員とは圧倒的に隔絶していた。
発掘した遺物の僅かな情報からでも分析と推察でそれと同等のものを作りだし、時にはそれを上回る発明すら考案して効果的な結果を出す様子に、組織の者達は所長と副所長の卓抜した頭脳に尊敬の念を抱く様になり、いつしか二人は機関内では自分達にとって絶対的な存在として敬われるようになった。中にはその頭脳に嫉妬し憎悪した者もいたが、いつの間にか彼らも二人を尊敬するようになった。あの時は二人の人徳なのだろうと、その時二人を尊敬していたトリナイダはそう思っていた。
世に出しても問題ないと判断された医療薬や医療技術は格安で販売する形となった。利益をあまり求めないのは、多くの人々へこの医療技術が行き渡る事を至上目的とし、売買での収益に関してはあまり視野に入れなくて良いと言うとんでもない御達しが所長と副所長からあったのだ。
というのも、この組織を援助してくれる者達がおり、そこからくる莫大な資金援助が潤沢に来ているので、医療の研究に専念してほしいとの事である。
そんな大量の金を湯水のように流す豪気な支援者達とは何者なのだとトリナイダ達は気になったが、素性を公に出来ない立場の方々で決して疾しい者ではないと所長と副所長に念を押された為、皆追及は止めて言われた通り研究に集中するようになった。元々この場にいる者達は皆研究者達なので、問題さえなければそれ以上の追求よりも医学の発展に注力する方が有意義で、それさえ出来れば文句など言えよう筈が無かった。
世間は当初機関が売り出したそれらに対して懐疑的で見向きもされなかった。特に裕福層でそれが顕著なのは、荒廃した時代からようやく国々が建つほどには人々が文明的な社会を築ける余裕が出来たが、そんな中で詐欺商法が横行している事が原因で、機関のそれも同類と思われていたが故である。
しかし、それでもその価格の安さに僅かな希望を賭けて購入する貧困者層からその効果の程が徐々に知れ渡り、そこから購入者層が広がって多くの人々に存在が認知されるようになった。
機関も売り出す薬品や技術を次々と世に送り出していった。
この世に存在する極小の生物――細菌という概念とそれを見つける器具。それらが及ぼす有害な効果を防ぐ抗生物質。
各種族の人体の詳細な構造とそれらへの適切な外科手術・内科的医療法。
これまで多くの人々を死に追いやって来た数々の伝染病を予防し、免疫を作る医薬品。
欠損した肉体を限定的にでも再生させる薬品。あるいはそれを補強するためのからくりの義肢技術。
人工的に作り上げた生体部位を拒絶反応なく対象へと取り付ける生体移植。
生まれながらに先天的な欠陥を持つ肉体を健全な状態へと細胞規模で作り変える肉体改造。
それ以外にも、普通では何十年、何百年かかるのか定かではない発明の数々が設立して数年の内に生み出された。
歴史に残る様な偉業の数々だった。
事業拡大の為、世界中から同じ志を持つ研究者達を更に集め、研究所を両大陸に複数建設してより多くの人々へその発明が届く様にと販路や懇意になった各商人や権力者達との連携の強化にも努めた。
時には、その技術力を独占しようとする者達、場合によってか国そのものが妨害や襲撃を行う事もあった。
しかし、所長が事前に抱え込んだクエスターや武装勢力によって撃退し、周りからくる不当な圧力に決して屈しなかった。
トリナイダにとって、夢のような日々だった。あらゆる素性が謎に包まれた二人に率いられての活動だったが、多くの命が救う事が出来たのならば文句など言えようがない。
このままこの組織に骨を埋め、天寿を全う出来るのなら、とても本望だと、その時は思っていたのだ。
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