第48話 追跡、そして
前回の投稿から7ヶ月経過していることに絶句しながらの続きです。
緊迫した空気の中、昆虫人に擬態したツェイトが掴んでいた鉄球の鎖を放り捨て、構えを解いて対話を望んでも、囚人服の異形の男はその提案に乗る様子は無い。
むしろ自分でも抗えない膂力を披露したツェイトへ今まで以上に警戒している。ツェイトが放り捨てた鉄球は瞬く間に鎖が縮み、異形の男の手元へと戻った。どうやら鉄球の鎖は伸縮自在のようだ。
戦闘態勢を解かず、ツェイトの一挙手一投足を油断なくズタ袋の穴の奥にあるであろう眼で観察しているのをツェイトも察して、埒が明かないと困った。
このまま相手が喋るのを待っていたら、最悪相手が逃げるかもしれない。
そんな可能性が脳裏を過ぎったツェイトは、更に此方から話しかける事にした。
丁度良くセイラム達のいた洞窟の入り口から距離が離れた所まで吹き飛ばされた。ここなら“セイラムに聞かれる事は無い”。周囲も二人以外の気配は無い。
「NFOプレイヤーの方ですね? 私もNFOプレイヤーです。ハンドルネームはツェイト」
静かに、それでいてはっきりと聞き取れるようにツェイトは伝える。
すると異形の男の反応は顕著だった。
「プレイ、ヤー……? ツェイト?……ッ!?」
ツェイトの名を口にし、警戒していたその態勢が崩れるその様子から、ツェイトを知っているようだった。恐らくはツェイトの事を知識か噂で知っている初対面のプレイヤーだろうか。
しかし、完全に警戒を解くには至っていない。動揺していたが次には此方を凝視――まるで記憶の中のそれと照らし合わせているかのような素振りを見せている事から、今の昆虫人の姿に擬態しているツェイトの事を疑っているように見える。ツェイトの名が知られるようになったのは、ハイゼクターになってから事だ。昆虫人の頃の姿を知っているプレイヤーはあまりいない。
「わけあって姿を擬態していますが……今、戻します」
騙りと思われて交渉が失敗する事を避けたツェイトの選択は、擬態の解除だった。
ツェイトの思念に従い、非物質化していた擬態化の腕輪が装着者にかけていた擬態を解く。
変化は一瞬。昆虫人の男の姿が淡い光に包まれると、その輪郭が一気に大きくなり、瞬時にカブトムシ型ハイゼクターツェイトが姿を現した。
「う……ッ」
体格差が逆転し、ツェイトの巨体を見上げた異形の男から息を呑む音が、否、喉から掠れた悲鳴のような音が聞こえる。
敵意を滲ませていたのが一転して、後ずさる姿は腰が引けていた。明らかにツェイトに対して怯えを見せている。
だが、ツェイトは相手を威嚇する為に擬態を解いたのではない。今にも逃げ出しそうになる異形の男へツェイトは声をかけた。
「待ってください、私は同じプレイヤーの貴方を保護しに来ました。貴方に危害を加えに来たのではありません」
「…………何?」
相手を刺激しないように、慎重に話しかけた事が功を奏したのか異形の男が聞きかえしてきた。
気が動転しているのか返事がたどたどしいが、ひとまず足が止まった事を良い事に、ツェイトが更に言葉を重ねていく。
「私達NFOプレイヤーは、原因不明の現象でこの世界に来てしまっているようです。ですが、この世界に散らばって現れたプレイヤー達が集まるコミュニティーがあります」
なるべく短い言葉で相手が分かる様な説明を。そう頭の中で反芻しながら伝えていくが、混乱気味の相手に果たして通じるだろうか。自分の言葉は、適切なのだろうか。
あまり多くの言葉をかけても逆効果故に、なるべく簡潔にまとめた言葉を伝えた後は相手の反応を待つツェイト。
異形の男はツェイトの話を聞いてから沈黙を続けている。今の話に考えを巡らせているのかもしれない。
「…………それは、どんな種族でも良いのか?」
幾分か落ち着きを取り戻した異形の男が、警戒を滲ませながらツェイトに問いかけて来た。
ツェイトはかすかな手ごたえを感じて、説得に熱が入る。
「はい。そこの代表を務めているプレイヤーも異形系の種族ですので、見てくれや種族だけで受け入れを断る事はありません。みた所、貴方は行く宛てが無いように見えます。詳しく話をしませんか?」
出来れば、このまま話を受け入れて欲しいと願っている。
ゲームの世界ならばまだしも、意図せず連れてこられた異界の地でプレイヤー同士が戦う事をツェイトは望んではいない。
どれくらい経っただろうか。
異形の男の返事をツェイトは急かさず静かに待つ。
言葉の無い緊張の張り詰められた沈黙の時間が続いたが、終わりを迎える。
「…………………駄目だ」
ズタ袋の中から絞り出すように口にした言葉は、拒絶だった。
男の様子にツェイトの眼光が困惑で僅かに歪む。
「それは、何か理由があるのですか?」
そう問いかけるツェイトの言葉に、異形の男は何も答えずにある言葉を呟いた。
「“帰還”」
同時に、異形の男の姿がその場から何の全長も無く消えてしまった。
ツェイトはこの場から異形の男がいなくなった事を気配で確認。だが、遺跡の入り口付近で再び気配を感知して、彼が所持していたアイテムの存在を知って独り言ちる。
(ポータルストーンか!?)
NFOプレイヤーならば所持していても不思議ではない。
恐らく、転移先を近場に登録していざと言う時の緊急離脱用として所持していたのだろう。NFOでも良くある手法だ。
ツェイトが急いで遺跡の入り口へと駆け出したその時、遺跡の方から轟音が響く。
向こうで何かあったのか、ツェイトは並外れた身体能力にものを言わせて跳躍する。
殆どひとっ跳びでツェイトが遺跡の入り口へ着くと、キッブロス(擬餌)の姿に再び戻ったシプレーとセイラムが入り口のあった洞窟から外へと退避していた。
それもその筈、洞窟が崩れてしまっていたのだ。奥にあった扉は崩れ落ちた岩土の中に埋もれてしまい、外へ逃げ延びた二人が崩落した洞窟を覗き込んでいる。
ツェイトが重い足音を立てながら戻って来たのに二人が気付き、昆虫人の擬態を解いてハイゼクターに戻ったその姿に何かあったのか各々が反応する。
「ツェイトさん」
「すみません、逃げられてしまいました……ポータルストーンでこっちに転移した様ですが、一体何が?」
ツェイトは崩れた洞窟を見やると、話を聞いていたキッブロスが何かに納得した様子で説明する。
「今しがた扉の奥から爆発が起きて入口が崩れたんですよ。彼の仕業でしょうね」
「私達が入れないように破壊したのですか?」
「恐らく。今も遺跡の中を移動しながら通路を破壊している様です。なりふり構っていませんね。あぁ……貴重な遺跡をばかすか壊しちゃって……」
まるで異形の男の居場所が手に取る様に分かっているかのように嘆いているキッブロス(シプレー)にツェイトが反応するが、先にセイラムがそれについて訊ねた。
「さっきの人がどこにいるのか分かるんですか?」
問われたキッブロス(シプレー)はの自分の胸に手を当てた。
「この私(擬餌)が彼に掴み上げられた際、追跡用の“印”をこっそり付けさせていただきました。隣の国まで逃げなければ何処にいるのかは把握出来ます」
キッブロスの正体であるシプレーのアバター、パンドラの箱に備わった擬餌能力には相手をおびき寄せる罠としてだけでなく、それに触れた相手の居場所を離れた場所からでも特定して追いかける能力がある。
ダンジョン内を、酷いと外のフィールドすら越えて延々と追いかけて来る性質の悪い追跡力だ。鈍重そうな箱型とは思えない移動速度、呪いなどによる相手へのデバフ、他にも数々の能力であらゆるプレイヤー達を追い詰める厭らしくも恐ろしいモンスター、それがパンドラの箱である。ツェイトも中堅の頃、NPCモンスターのそれにひどい目に遭わされたのでよく覚えている。
「とはいえ、このまま放っておくわけにもいかないでしょう。あの様子ですと、遺跡内の奥へ引っ込む腹積もりかも知れませんが……わざわざ生き埋めのままでいるつもりもないでしょうし」
「脱出口があるかもしれない、という事ですか?」
ツェイトの問いに多分ですけどねとキッブロスが頷く。
「こういった立地もありますが、施設の出入り口が一か所しかないのは不便過ぎますから、どこかに裏口が設計されていると思うんですよ。避難口、搬出口、隠し通路とか」
「……であれば、急いだ方が良さそうですね」
ここでまごついていたらプレイヤーが逃げてしまう。
ツェイト達にここで一旦引き上げる選択肢は無かった。
「でも、どうするんですか? 入り口は崩れて入れませんよ」
セイラムが瓦礫で埋もれた遺跡の入り口を見ながらキッブロスに問うが、キッブロスは事もなげにツェイトを見た。
「そこでツェイトさんの出番ですよ。確か、出来ましたよね?」
ツェイトはあぁ、とキッブロスの言葉の意味を理解していた。
「可能です。では力仕事は此方でやりますから、キッブロスさんも誘導をお願いできますか? 流石に中の構造を詳しく把握出来ないので、変な場所に通して二次崩落なんて起こしたくないですから」
「それならお安いご用です。私の方で指示を出しますから、それに沿ってください」
「え? あ、あのちょっと待って。つまりどういう事?」
あれよあれよと進む二人の会話にセイラムが割り込んだ。
要領を得ない会話の内容だからであろう、困惑した様子だ。
事情を知っているプレイヤー同士でしか分からない様な会話なので無理もない。
それに答えたのは、青い外骨格で覆われた大きな指をゴキゴキ鳴らして早速作業に取り掛かろうとしているツェイトだった。
「別の場所から通路を掘るんだ。少しキッブロスさんと離れていてくれ」
ツェイトの様子から手で掘るのだろうという事は理解できたセイラムの表情は微妙だ。
しかしこのカブトムシの大男の掘削能力の程を、彼女はまだ知らない。
入り口が崩壊する音を後ろへと置き去りにしながら、異形の男は暗い遺跡の中を疾走する。その速度は大柄でありながら空気を裂くように素早く、既に入り口を遥か後方へと追いやるほどだ。
瓦礫で溢れた足場の悪い遺跡内部の通路で脚を捕らわれる事も無くその速度を維持しながら、途中天井を手枷の鉄球で破壊し、瓦礫と土砂で通路を堰き止めていく。やり過ぎれば遺跡全体が崩壊するのでさじ加減は急いでいながらも慎重だ。
そんな異形の男の表情はズタ袋が被さっているので読めないが、しきりに破壊した通路を振り返り、口元から垂れ流す焦りの言葉からかなり切羽詰っている事が伺える。
「まずいまずいまずい……急がないと追い付かれる……!」
異形の男がツェイト達の目の前から消えたのは、NFO由来のアイテム――ポータルストーンによるものだ。そうでなかったら確実に捕まっていただろう。
ポータルストーンを所持していれば、何回でも任意の転移場所への設置と取り消し、再設置が出来るアイテムだ。異形の男はたまたま自身がかつていた世界――NFOから持ち込まれたこのアイテムによって何度も助けられていた。
しかし、今回はそのアイテムへの感謝の念など抱いている暇は男には無かった。ただ、追いかけて来るであろう追跡者の存在に対する恐怖が心を支配している。
(冗談じゃない。よりによって、なんであいつと出くわすんだ!?)
かつてのNFOの世界で言葉を交わした事は無かったが、その名と姿は彼の相棒であるもう一人のプレイヤーと共に有名だった。
NFOの全フィールドで様々な騒動を時には巻き起こし、時には巻き込まれている注目のプレイヤー二人。
同時にNFO界トップ陣営の実力者。虫系プレイヤー、ひいてはNFOプレイヤー内でも最強格に数えられる二人。
その片割れ、カブトムシ型ハイゼクターのツェイトとこの世界で、まさかこんな状況で遭遇するなど、異形の男は予想だにしていなかった。
ツェイトは異形の男を保護しようと話を持ち掛けて来た。
だが、それを他でもない異形の男自身が蹴ってしまった。
ツェイトの提案が信用できなかったのか?
それはある。とは言ってもツェイトに限った事ではなく、他者全般がその対象だ。
元来異形の男は人間不信をもった性質ではなかったのだが、この世界に来た時、異形の男のいた場所が悪かった。
今いる種族間連合とは違う領域、エヴェストリア大境界溝を隔てた東の向こう側、地球の人類に酷似した種族、フュミニアンが支配する5つの国家が支配する地。
その地はフュミニアンがほぼ大半を占めているからだろうか、他種族の存在には排他的だった。そこにモンスターと見紛うような容貌の者が現れれば、もはや知的生命体を相手にする態度ではなかった。
囚人服から覗く筋組織が露出した体、背中から伸びる背骨の様な触手状の器官、そして頭部には穴の開いたズタ袋。
その異貌が災いし、モンスターと同じ扱いをされて何度も襲われた。中には“機関の実験体の生き残り”などとわけのわからない事を言って異形の男を捕獲しようとする者までいた。応戦せずに対話を求めようとすれば尚更気味悪がられ、襲撃の勢いに滑車がかかる始末。
異形の男は己の身を守るために戦った。ただし、皆殺しにはせず戦闘不能にして立ち去るようにしている。
応戦すればするほど襲い掛かる人数が少しずつ増え、強いのであろう者達も現れて来た。異形の男はNFOにいた頃は最古参組に数えられる一人、強化の極まったアバターにとってこの世界の強者弱者の度合いが良く分からず、それらは全て有象無象に過ぎなかったのは不幸なのか幸いなのか。
逃亡の旅の最中、奇跡的にも同じプレイヤーに会う事が出来た。相手は人間――ヒューマン種族のプレイヤーだった。
が、異形の男を同郷の者として優しく迎えてくれる者ではなく、隙あらば他者を陥れて我利を貪る非道の人種だった事を身を以て思い知る。
気を許した途端そのプレイヤーは襲い掛かった。異形であると言うだけで問答無用で襲われ続けて精神が消耗していた所で、ようやく心許せる相手が出来たと安心した時に背後から急所を狙った攻撃だった。
相手プレイヤーの本性を知った異形の男は負傷して危うく殺されかけるも、這う這うの体で逃げおおせる事が出来た。
そしてその地の全てに失望した男は、一縷の望みをたくして多くの種族が集まる西の大地、種族間連合の領域へ海を渡ってやって来たのだ。
だが、ここでも扱いはあまり変わらなかった。
この地でも異形の男の姿は不気味ととられ、姿を見られれば東の大地と同じように国の兵士やクエスターが排除に動いた。
そうして、ここまで流れ着いてきてしまった。
そう言った経験が異形の男の心に不信の芽を植え付け、他者に心を開けなくなってしまったのだ。
だが、そんな異形の男にも例外が一つだけあった。
金属製の非常階段を飛び降り、入念に通路を破壊して瓦礫で埋めて異形の男が向かっているのはこの遺跡の最下層。
目指す先にある部屋はかすかに明かりが灯され、異形の男はその部屋へ飛び込むように入った。
部屋の中は他の遺跡内部と同じように荒れて劣化した内装が目立つ広い場所だ。
部屋は入り口手前側と奥側とで二つに仕切られており、間仕切りの壁は分厚いガラスで作られているが、経年劣化か何か別の要因によってか一部が砕け、染みのようなものが乾燥してこびり付いている。
他にも手前側には割れた瓶や錆びた金属製の医療器具らしき物や機械式の操作盤の様なものが設置されており、奥側には牢屋があったりと、此処が何かの実験室だと思わせるものが残骸となって部屋の隅に散乱していた。
異形の男は部屋に入りの室内の奥へと駆ける。
実験対象を収納していたのだろう広い場所には、一つの大きな異形が鎮座していた。
それは貝と甲殻類を掛け合わせたかのような奇怪な存在だった。
シャコガイを彷彿とさせる重厚な二枚貝は、人一人を容易く飲み込んでしまえるほどに大きく、常人よりも大柄な筈の異形の男が小さく見える程だ。
その貝状の胴体の下部には分厚く巨大な節足が六本生えており、今は動く必要が無いからか器用に貝の胴体に沿って畳まれている。
そしてその貝状の胴体の左右には巨大なエビの鋏、それこそロブスターの形状に近いそれが備わっていた。
そんな異形は開けた部屋の片隅で、何処からか持ち込んだのだろう大型作業台の前に座して何やら作業をしている。
分厚い二枚貝は少し拓いており、その隙間から薄い桜色の軟体めいた触手が数本伸びて、テーブルの上に開いていた草臥れた本へとボロボロの羽ペンとインクで何やら書き込んでいるらしい。
他にも作業台の上には様々な書物や纏められた書類が散乱し、隅には棒状の物体が光を放って転がっている。部屋をほのかに照らしていたものの正体はこれの様だ。
そんな巨大な貝の異形は、異形の男が部屋へ近づくと作業を止めて節足を動かし、男の方へと巨大な貝部分を向けた。
「“クグイ”、サッきかラ凄イ音がシテいルケド、何かあったノ?」
女性の声だった。妙な発音だが、確かに女性の声が巨大な二枚貝の隙間から聞こえてくる。
その声が、不安と困惑を込めて異形の男――クグイへ問う。
「“トリナイダ”さん、不味い事になった。ここを離れよう」
異形の男――クグイと名乗るプレイヤーが焦った様子で貝の異形――トリナイダにこの場からの退避を急かす。
トリナイダも状況は把握し切れていないが、クグイの焦った様子から、容易ならざる事態が訪れたのだと理解して声を固くした。
「……討伐隊の大軍デモ来タの? そレトもクエスター?」
「それよりやばい奴だ! このままじゃ貴女が殺されるかもしれない!」
トリナイダは、ここまで慌てたクグイの姿を見たのは初めてだった。
そんな状態のクグイから明確に伝えられる死の可能性にトリナイダはある存在が脳裏を過ぎる。
「もシカしテ、貴方ト同ジ故郷の?」
「その中でも飛び切りとんでもない奴だ。それが追ってきているんだ!」
トリナイダはそれでクグイが酷く焦りを見せている理由に納得した。
トリナイダはクグイがこの世界では極めて高い戦闘能力を持っている事を、彼と共にする様になってから度々目にしている。そして、彼の素性についても多少は知っている。
その彼がこれ程までに狼狽する相手となると、トリナイダも危機感を抱かざるを得なかった。
「非常口から逃げよう。入り口から此処までの通路は潰したけど、どんな方法で追いかけて来るか分からない」
この遺跡は入り口から地下へ5階へと下っていく構造の何某かの研究施設だと思われる。建造したのは公的な組織ではなく、非合法な集団なのだろう。ねぐらとして利用するためにこの遺跡内部を調べた限りでは、倫理から外れた実験を何度も行ってきた形跡があったのだ。
しかし今は何らかの理由で施設は放棄され、遺跡と化して長年放置されていた所をクグイ達が見つけて、仮初の寝床として使っていたのだ。
この遺跡で暮らしていく内に、内部の構造も大体把握できている。
最上層の1階にあるカモフラージュされた入り口とは別に、地下5階にも非常用の出入り口が存在している。
大量の搬出入や緊急時の脱出口として作られているそこを使って逃げれば、追ってきているであろうツェイト達を躱す事が出来るだろう。
「コこモ潮時なのネ。……分かッタワ、脱出しマしょウ」
トリナイダはテーブルの上の書物や書類を自身の桜色の軟体めいた触手で素早く纏めると、貝を少し開いて中へとしまい始めた。
こうして落ち着ける場所を見つけても、追手の気配があれば再び宿無しの放浪者の日々が戻って来る。もう何度目になるか分からない寝床との別離にトリナイダの声は疲れていた。
そんな彼女の様子にクグイはふとツェイトからの提案を思い出し、僅かに後悔の念が顔を出した。あの話を受けるべきだっただろうかと。
出来る事なら、自分よりも長く追われる身として暮らしていた彼女に安らぎの地を与えたかった。
ツェイトの話が正しければ、どんな外見の種族も迎え入れるコミュニティーがあるらしい。恐らく、プレイヤーだけが対象なのだろうが、クグイと一緒ならトリナイダも込みで保護してくれる可能性もあった。
だが、それが出来なかった。下手をすれば、プレイヤーと明確に敵対しかねない要因が彼女にはあったのだ。
それに加えてクグイはプレイヤーの悪意をその身で知っている。甘い言葉をかけながらすり寄って、隙あらば命を狙う。それがあのツェイト達に無いとは限らないという疑心がクグイに彼らの提案を受けると言う選択肢を採らせなかった。彼女を害する可能性が少しでもある限り。
クグイはトリナイダを死なせたくないのだ。
この世界に迷い込んだ自分を受け入れてくれた、この異形の女性を。
自分の脳裏に浮かんだ葛藤を振り払い、クグイはトリナイダを連れて同階にある非常口へとトリナイダと共に向かう。
が、そこでクグイが突然立ち止まった。
クグイの様子に後ろからついて来たトリナイダは節足の動きを止め、二枚貝の外殻がクグイへと怪訝そうに向いた。
「……クグイ?」
「誰か来る」
クグイは右手に繋がった鉄球を構えながら非常口方面を睨みつける。
背中から伸びる背骨の様な形状の触手じみた四本の器官が、当人の警戒心を表すかのようにうねりだす。
クグイのアバターの職業、“深淵の囚人”は、閉所においてその真価を発揮する職業だ。
自分がいる構造物の内部を広範囲に渡って精密に把握、罠や障害物への無効化・非干渉など、主に建物内に関わる技能を有している。
その技能によって、クグイは外部から非常口方面へと高速で移動し、こちらへと接近してくるから何者かの存在を察知していた。
尋常ではない速さだ。今まで見て来たこの世界の軍人やクエスター達などとは比ぶべくもない。
数は6。ツェイト達とは違う。人数や人員の構成が全く別の第三者集団だ。
そして明らかにこちらへ害意の感情を持つ者達でもある。
ならば敵だ。自分の見方は背後に入る彼女だけ。この世界で味わった苦い経験が、迎撃という選択をクグイにとらせた。
非常口と通路を仕切るスライド式の機械扉が、強い力で破壊されこじ開けられる。
吹き飛んだ扉の残骸が暗い通路へと飛び散るのと同時に、侵入者達がクグイの前に現れた。
姿を現したのは、一見すると人型の爬虫類とでもいうような者達だった。この世界で栄えている爬虫種族のレプセクターとは違い、その肉体は爬虫類側の比率へ大分傾いている。
頭から長い尻尾の先まで衣類をまとわぬ全身を覆う黒ずんだ緑色の鱗は鎧のように分厚く発達し、それらを見た者は鎧を身に着けているのだと錯覚するだろう。
脚の膝から下は逆関節になっており、両手の指そのものが鋭く長いかぎ爪となっている。
爬虫類然とした頭部は顎が左右に裂ける構造をしており、後頭部から2本の角が後ろへと伸びていた。
体格も常人からすれば大柄なクグイに劣らぬ巨躯だ。
しかし、よくよく見てみれば、その人型達は爬虫類以外に別の生物の要素が所々にあったのをクグイは見つけた。
全身を覆う鱗は方や脇腹と言った局所局所が虫や甲殻類の一部が纏うような外骨格で形成されており、逆関節状の足の爪先も飛蝗のものに近い。
そして爬虫類特有の顔は下あごが左右に開き、それ自体が昆虫の顎のように機能しているのだ。
まるで爬虫類と虫の混ざりもの。
照明機能が死んで暗闇に包まれた通路内でも、その異様な姿をクグイとトリナイダは各々の人ならざる視覚器官で確かに認識していた。
(誰だか知らないが、こいつらは敵だ)
突如現れた謎の異形達だが、遺跡へと侵入した時点で感知した際に害意を確認したため、クグイはすぐさま邪魔者と断定。攻撃に移る。
右腕に繋がる鎖付の鉄球を腕がしなる様に振るえば、鎖が質量の法則を無視して伸びて鉄球が異形達目がけて凄まじい速度で飛んでいく。
異形達もクグイの攻撃に反応して襲い掛かろうと動き出す。だが、クグイの放った鉄球がそれらの反射速度を凌駕する。
異形達が構えるよりも早くにクグイの放った鉄球は一番近くにいた個体の頭部に直撃して粉砕。
そこから更に骨肉と内容物をまき散らすよりも早く、鉄球が砕いた異形の“顔面を跳ねて”近くの異形へと襲い掛かり、同じように頭蓋をバラバラにした。
同じ動作をする事5回、瞬きをすれば見逃してしまうほどの一瞬で鉄球が通路へ侵入してきた異形達の頭部を打ち砕き、首から上が弾けて崩れ落ちる前に放たれた鉄球はクグイの手元へと戻っていた。
斃れ、沈む異形達。
巨体が床をにぶつかる重々しい音と、弾けた頭部から溢れた内容物が床にまき散らされる生々しい音が暗い通路に響く。
頭を失えば即死だろう。だが、クグイは異形達の亡骸を見ても警戒を解いていない。
(変だ、確認できたのは“6体”だった筈)
外から非常口へと侵入してきた時にクグイの技能で確認できた数は6人。
なのに姿を露わした者達は5体。非常口から通路へと接近している内に数が減っている事を気のせいとは思っていない。
同時に、自分の能力を絶対視してもいなかった。
「ぬっ!」
何かを察知したクグイが鉄球を放ったのは自分とトリナイダの背後の天井。
しかし伸びた鉄球は、ただ天井を破壊しただけで終わる。
だが、そこから床、壁、また天井を縦横無尽に砕きながら常人では目で追えない速度で“何かを追いかけるように跳ね飛んだ”。
跳ねまわるごとにクグイと鉄球を繋げる鎖が金属を擦る音と共に夥しい長さへと伸びてゆく。
鉄球がぶつかった地点から跳ねた先へと方向が変わるのに合わせて鎖も衝突地点から折れ曲がっては伸び、それを繰り返す事で通路内に鎖が蜘蛛の巣のように張り巡らされていった。
鉄球の跳弾と鎖の伸長が続く中、張り巡らされていた鎖の一か所に何か触れたのをクグイは感知する。
(捕らえた)
その瞬間、通路中に張り巡らされていた鎖が生き物の様に高速で動き、見えない何かが接触したヶ所目がけて殺到した。
隙間を埋めるように鎖が高速で唸る鞭のようにしなり、されどもトリナイダへぶつからないよう結集し、見えない何かへと襲い掛かる。
「グゲエッ!?」
何者かの悲鳴が響く。
伸び広がった鎖が見えざる者を絡め取ったのだ。夥しい量の鎖が巻き取った先には、姿が見えずとも何かの輪郭を鎖が強く締め上げていた。ギリギリと軋む音が出る程の締める力に、堪らず相手が悲鳴をあげたのだ。
クグイは更に追い打ちをかけるべく動く。
腕の枷から伸びる鎖が、まるでワイヤーが巻き取られるように枷の中へと引き戻されてゆき、それに合わせて巻き取られたものがクグイの元へと勢いよく引き寄せられる。
それに合わせてクグイが手隙の片腕で握り拳を作り、大きく振りかぶった態勢で引き寄せられる見えざる者を出迎えた。
そして眼前へ飛んできた調子に合わせて、クグイの剛腕が振り下ろされる。
舞い上がっていた埃を風圧で飛ばしながら、巻き取った獲物を抉るように拳が直撃した。
「ギャアアアアァ!?」
見えざる者かは血を吹き出しながら通路の壁を粉砕、めり込みながらとうとう姿を露わにした。
透明だった像がぼやけ、現れたのは此方もまた人型の爬虫類の姿をした異形だ。
先の異形達よりも鱗は硬質化しておらず、発達した筋肉の盛り上がりが良く見える程に薄い外皮の色は枯葉色。
左右の円錐形の眼がそれぞれ目まぐるしく動くそれは、虫の特徴を持ちつつも地球にいるカメレオンに酷似した姿をしていた。
姿が見えなかったのも実際のカメレオン、否、それ以上の体色変化による高度な迷彩機能で周囲に溶け込んでいたのだろう。クグイが察知していた6体目の気配の正体はこの異形だったのだ。
壁に叩き付けられたカメレオンの異形は、姿を表したままその場で血反吐をまき散らしてのた打ち回っている。クグイの一撃で致命的な傷を負った事で、迷彩を維持できなくなったようだ。
クグイの操る鉄球は、ただの鉄球ではない。NFOで囚人系職業のみが装備できる特殊装備、拘束具の中でも最上位級の一品だ。
更に囚人系職業固有の技能が組み合わさる事で、閉所において強力な戦闘能力を発揮するようになっている。
壁にぶつかるとまるで生き物の様に高威力の鉄球が相手を高速で追尾し、再び壁にあたればまるでゴム玉のように跳ねて標的目がけて跳んでいく。
加えて鉄球に繋がる鎖はかなりの遠距離まで伸ばす事が可能で、鉄球が何度も跳ね飛んでいる間に鎖も伸び続けて周囲に蜘蛛の巣のように張り巡らされ、対象が触れれば鎖を操って即座に絡め取ると言う芸当も出来る。
そして鉄球を繰り出す本人自身も力に秀でているので、迂闊に近付けば本人の怪力によって殴殺する。それがクグイなのだ。
「……こいつで最後、か?」
クグイはカメレオンの異形を油断なく警戒しながら再び遺跡内の気配を調べる。
慎重に調べてこの場の6体以外に侵入した形跡がない事を確認すると、改めて襲撃者達を見た。
(何だ? こいつら)
瀕死の一体を除いて屍となった謎の異形達。
間違いなく自分達へ害意を持つとクグイの探知技能が結論を出したので、自分達を狙った襲撃者と見做して出会いがしらに問答無用で叩き潰したのだが、今までの襲撃者とは毛色が違うように感じた。
クグイ達はこの遺跡へと来るまでに様々な者達の襲撃を受けて来た。
クエスターや国の軍隊、裏社会の犯罪組織、そしてプレイヤー。
しかし今回の異形達はそのいずれとも何かが違うとクグイの勘が告げている。
野生のモンスターというのも違うだろう。
姿形が均一化されたこの異形達の動きは、何か組織のように統率が為されていたように見える。
「トリナイダさんは何か知って……?」
自分よりもこういった事に詳しいトリナイダへ意見を訊こうとしたクグイは、彼女の様子がおかしい事に気が付いた。
「……? トリナイダさん?」
トリナイダは貝状の外殻を、まるで眼を見開かせた様にいつもより大きく開き、そこから薄い桜色の“中身”が身を乗り出さんばかりに露出しかけていた。傍から見た外殻で覆われた厳つい姿はトリナイダの肉体を構成する一部でしかなく、その本体は外殻の中に常に隠れているのだ。
二枚貝状の外殻から僅かにのぞく本体もまた、“両の眼”を見開かせて爬虫類の異形達を凝視したまま身じろぎひとつしない。
「……こレハ、そんナ」
少し音調のずれた彼女の声に、困惑と動揺の感情が乗せられていたのをクグイは聞き逃さなかった。
それについて訊ねようとした時、先程クグイが叩きのめして瀕死に追いやったカメレオンの異形の様子に変化が起きた。
「オ゛、ゲ……エ゛ア゛ア゛」
まだ抵抗する余力があるのか、とクグイがとどめを刺そうとするが、思わずその手が止まる。
のた打ち回っていた様子から一転、激しい痙攣を起こし始めたのだ。
バキバキ、ミチミチと異形の体から何かが砕け、潰れて捩じれるような音を鳴らしながら壊れた人形のように身を放り出すように激しく震える様は、こちらへ攻撃する挙動には感じられない。
更に顎が顔面の構造を越えて裂けんばかりに大きく開くと、胸がから喉へと何かがせり上がるように盛り上がり、そして大きく開いた口からそれが露出した。
顔を出したのは複数の穴がの開いた筋繊維と思しき肉の塊だった。
一体なんだ、とその異様な事態に二人が様子を伺っていると、異形から声が聞こえて来た。
『―――私の声が聞こえるかね?』
否、正確には異形というよりも、口からせり出された肉塊から声が聞こえてくる。
空いた無数の穴を微弱に細めたり広げたりして音を発しているようだ。
流暢な、そして厳かで重々しい男の声がする。知的さを感じさせる冷静な口調だが、相手に対して全く熱の無い冷たい感情が嫌でも伝わって来る。
このカメレオンの異形の声ではあるまい。当の異形は異様に開いた口の端から泡を漏らしながら痙攣を続けている。とてもではないが会話ができる状態ではない。
まるで、肉塊を中継して別の誰かが話しかけているようだ。
「ア、あ……」
肉塊から聞こえる声に、トリナイダが過剰に反応を示している。
恐れを滲ませた声を漏らしながら、クグイを上回る大きな外殻で覆われた巨体が、節足でゆっくりと異形から後ずさりだしたのだ。
そんなトリナイダの様子をカメレオンの異形の眼を介してみているのか、今にも死にそうな状態なのに円錐形の眼をトリナイダにじっと向けながら、口からせり出す肉塊から『ほお』と冷めた雰囲気が伴う感嘆の声が出た。
『ほう、最後に報告を受けた時から姿が変わっているが、しっかり自我を保っているようだ』
「ソ、んナ、ドう……シテ」
『どうしてだと? 私がこうして貴様に接触している時点で、既に察しが付いているのではないかね?』
男の声に冷たく重い圧力をクグイは感じ取った。荒げているわけでもないのに、耳にする者の体にプレッシャーを感じさせるそれが、声の主が只者ではない相手である事を示すのには十分だった。
そしてその声には、主の顔を見ずとも分かる程の害意と敵意が確かにあった。
『始末し損ねた君を再度始末しに来たのだ。我々を裏切ったかつての同志、トリナイダよ』
声の主は、確かにトリナイダへ憎しみを抱いていたのだ。
よろしければ評価とご感想をいただけると嬉しいです。