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紺碧の大甲虫  作者: そよ風ミキサー
第四章 【異界から来た者達】
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第45話 マグ・ショットの依頼

年明けとともにご挨拶しながら投稿しようとしたのに、気がついたら節分がすぐそこじゃあございませんか。

お待たせ致しました。第45話、投稿です。

 金属とコンクリートで構成された飾り気のない広い部屋で、照明に照らされた二人が戦う態勢のまま相対している。

 

 一人は、黒装束の昆虫人に擬態しているツェイト。

 その場にゆるく構えた態勢で、向かい側にいる相手の様子を伺っている。


 それに対するのは、この間新調した槍では無く金属の棒を構えたセイラムだ。何時も身に着けている衣装とは違い、動きやすさを重視した運動着に灰色の半袖を上下着用している。手足が無骨な外骨格で形成されているため、袖が大きなサイズのものを腰紐などをきつく締めて調整してある。

 こちらはツェイトと違って肩が上下する程に息は荒れ、こめかみから垂れた汗が頬を伝って床へと静かに落ちていく。


 互いの距離は2m程度の間隔、視線がぶつかるの中でセイラムが先に動いた。


 引締めた表情のままに、姿勢を低くして一度の踏み込みでツェイトの懐へと飛び込み、手に持つ得物の穂先を鋭く突き入れようとするが、その穂先が“すり抜けた”。

 否、すり抜けたと錯覚するほどの素早い体捌きでツェイトが紙一重で避けたのだ。

 セイラムはそれに顔を顰めるだけでそこから薙ぎ払い、連続の突き、時には蹴りも織り交ぜて動きを止めることなく連撃を繰り出していく。

 だが、ツェイトはそれら全てを黙々と、ギリギリ当たるか当たらないかの距離で躱し続けている。

 ツェイトが小さく後ろへ飛び退けば、それを追いかけてセイラムが走り、得物と四肢を駆使してツェイトに攻撃を繰り返す。


 ツェイトが避け、セイラムが攻める。

 しかしその様相の中で明らかに消耗しているのはセイラムだった。

 汗を飛ばし、息を吐き、激しい動きを続けた代償として蓄積された疲労がセイラムの動きを徐々に鈍らせていく。


 傍から見ても疲労困憊で動きが鈍くなった時、守勢に徹していたツェイトが攻勢に出た。

 セイラムが棒を振り切ったその瞬間、その一撃を避けたツェイトは音が聞こえる程の吸引音を発しながら空気を吸い始める。空気をため込んでツェイトの胸が一回り大きくなった。


 何かを仕掛けてくるのだろう、というのは疲れ果てたセイラムでも見て分かったらしく、表情に僅かな動揺が表れる。

 そして振りかぶった後、セイラムが一番態勢を崩している瞬間目がけて勢いよく吐息。だが、それは人が吐き出す息と言うには激しく、空気の大砲を撃ち出した様な音を発していた。


「うあっ!?」


 踏み込んでいた片足が突然、見えない塊に撃ち込まれた様に弾かれ、その勢いで態勢が崩れたセイラムが倒れ込んでしまった。

 セイラムが地面にぶつかる前にツェイトが服を掴み、勢いを殺してその場にそっと仰向けで寝かせる。


「……何が、あったんだ?」


「思いっきり息を吐いてセイラムの脚をすくったって言えば、信じられるか?」


 息が絶え絶えの中、絞り出すように問いかけたセイラムは、その後返って来た答えに訳が分からず呆けていたが、大きく溜息をついて脱力。呆れた顔で天井を見上げた。


「そんな無茶な……」


 信じられないのではなく、ただの吐息で何でそんな事が出来るんだと言う常識外の現象に対するぼやきであった。


 ツェイトは床に寝転がるセイラムの様子を見て、特に怪我らしい怪我がない事を確認して密かに安堵する。

 身体能力を極限まで強化した影響は肺活量と言った内臓まわりにまで及んでいるようだ。

 こういった部分はNFOでは出来なかった事なのだが、この世界に来てある時ふと思って試してみた所、木がいとも容易くへし折れて吹っ飛んだので加減さえ調整すればちょっとした場面で使えるだろうと手数に数える事にしている。


 どうやらここら辺が限界らしい。その様子を見てツェイトが側にしゃがんで顔を覗いた。


「立てるか?」


「ちょっと……休ませて……」


 喋るのも辛そうだが無理もない。今は昼頃、朝食をとって今までから度々小休憩を挟みはしたが、かれこれ三時間くらい全力で動き回っていたのだ。

 育て親の手で幼い頃から鍛えられていたから常人よりはずっと体力があるだろう思われたセイラムも流石にへとへとだった。棒も手から転げ落ち、体を動かすのが酷く億劫なくらいには体力が消耗している。


 ツェイトはセイラムの近くに胡坐をかいて、彼女の体力が回復するのを待つ事にした。







 事の始まりはセイラムとの何気ない会話が発端だった。

 必要な用事を全て済ませた後、このマグ・ショット達の拠点に少し滞在する事になったツェイト達。最初は未知の環境に興味津々だったセイラムだが、入れる場所が限られている事もあり、徐々に暇を持て余しはじめていたのにツェイトは気が付いた。

 元々じっとしているよりも体を動かしている方が好きな娘だ。外が見えない建物の中で大人しくい続けると言うのは中々辛いものがあるだろう。


 そこでツェイトはある事を思いつき、マグ・ショットとシチブの両名が用事で拠点を出ていたのでその管理を務めているうちの一人であるフィーゴにその事を尋ねると、とある場所の使用許可が下りた。


 ツェイト達が今いる場所は、主にフィーゴが自身で発明した品の実験や外から持ち込まれた大型の発掘品などの動作確認に使われる地下の実験場だった。元々は倉庫の一つだったらしいが、マグ・ショットが発見して改築した際に今の様な形に改装した。

 実験と言う用途の関係で、此処の部屋の強度は他の部屋よりも遥かに頑丈に作られている。特殊な金属へ更に魔法的な処置によって強度の底上げ施した壁面はそう簡単には傷つかない。

 ここならツェイトが本気で暴れなければ問題は無いだろうと一定の太鼓判を押し、加えて「暴れたら弁償代わりにお前の外骨格を剥がして寄越せ」とフィーゴから割と本気の目で釘を刺されてしまった。


 思いついたのはなんてことはない、気晴らしがてらの手合せだった。

 以前聞いた話では、セイラムは育て親のウィーヴィルから武術の訓練を施され、その際ウィーヴィルとも相手をした事があると言っていた。

 ならばここで手合せという形で目一杯体を動かせば多少は鬱憤も晴れるだろうと考えての誘ったが、当初セイラムはツェイトの戦闘力の一端を知っていたので「え、冗談だろう?」と僅かに怯えが見え隠れした困惑顔をツェイトに返してきた。


 勿論、ツェイトはセイラム相手に本気で戦うつもりなどない。というか、ツェイト側にいくつも制限をかけたこれは戦いと言うにはいささか一方的過ぎる形式となっている。

 ツェイト側から物理的な攻撃の禁止。一定以上の距離をとらない。動きは極力セイラムが追随できる程度に抑える。更に行動は基本、防御と回避にのみ限られているというあくまでセイラムに打ち込ませる事前提の条件だった。

 要は、追いかける側が攻撃ありの鬼ごっこと言ったところだろうか。

 





 そして現在セイラムは息を上げ、汗にまみれたその肢体を実験場に横たわらせている。

 当初セイラムはツェイトの告げた条件に不公平すぎやしないかと難色を示したが、実際にやってみるとものの見事にかすりもせず、セイラムが従来持ち合わせていた負けん気の強さも相まって、すぐさま認識を変えて本気でツェイトに仕掛けて来た。

 本来ならリュヒトに新調してもらった槍を使ってもらうつもりだったが、こちらについては頑なに拒否された。いくらツェイトが平気でも、刃を向けたくは無かったそうだ。なので手隙だったフィーゴに頼んで不要の廃材を加工した金属棒を代わりの得物として使ってもらっている。


 セイラムが今着ている服は、イッキが用意してくれたものである。元々セイラムの普段着が汚れていたのでこれを機に洗濯で洗おうという事で、滞在を始めた昨日には手渡されたのだ。セイラムの手足の構造上、裾がぴっちりしたものは手足が引っかかるか入らない事が多いので、大きいサイズのものの腰紐を締めて着ている。なので心もちちょっとセイラムにはぶかぶかだ。

 ちなみにツェイトの黒装束は生命力を媒介にして生成される形式なので、発信装置である腕輪を操作すれば綺麗なものに作り直す事が出来るから不要だったりする。

 





「くそー、当たりそうで当たらないってのは悔しいな! 何だあの動き!」


 数分経つと、ある程度息が整ったセイラムが悔しそうに呻きながら手足をぐっと伸ばし、体を起こしてツェイトの体をしげしげと見てくる。


「……元の姿の時も身軽だとは思っていたけど、何だあれ、当たる前に体がぶれて消えたやつ。何かの術とかじゃないんだよな?」


「いや、素早く動いて目の錯覚を起こしただけだ。残像って言ったらいいのか」


「えぇ……素早く動くってもんじゃなかったぞあれ……」


 そも、初期のNFOの頃のツェイトは必ずしも受けて耐えるアバターではないので、主に回避か受け流すなどの方法で敵の攻撃を捌いてきた。

 敵の攻撃の中には受ければステータスに状態異常を与えるものや、反撃の動作を阻害するような強力な一撃を繰り出してくる者も少なくなかった。強敵を相手にする場合、それらによって生じる隙は致命傷になりかねない。

 なのでアバターを成長させて頑強さも身について来てからも、ツェイトは回避を主眼に置いた戦法を続けていた。今の様に受けて弾き返すようになったのは昆虫人時代の末期からハイゼクターになってからだった。

 初期から比べれば真逆の戦い方だ。だが、それらの積み上げられてきた経験の結果、避けてよし、受け止めてよし、叩き返してよしと器用に立ち回る術をツェイトのアバターは獲得するに至った。長年の経験と身体能力強化を主眼に置いた育成が花開いた結果である。

 今回敢えて自分に不利な条件を付けたのも、昆虫人へ擬態する機会が増えるだろうと予想したので身のこなしの再点検をしようと思い立ったが故でもあった。


「やれるかと思ったんだけどなぁ」


「こっちも結構豪華な賞品を用意しているんだ。そう簡単に当たってやるわけにはいかないだろ」


 この遊びでセイラムがツェイトに一撃でも当てる事が出来た場合、ツェイトはセイラムの願いを一つだけなんでも叶えると約束してある。

 気晴らしの提案の一押しに、何かしらの旨味を提供する必要性を感じたツェイトなりの気遣いだった。幸い、今のツェイトはこの間エルフの王から報酬金を頂いているので、経済的な要求にはある程度応える事が出来るくらいには大金持ちになっている。

 それに加えて、セイラムの性格的に無茶や無理難題な注文はしてこないだろうという信頼と打算の混じった考えも多少はあったが。


 セイラムもこの誘いには前向きだったのをツェイトは思い返す。



――何でもって、何でもいいのか? 本当に?


――……まぁ、出来るだけセイラムの願いを叶えられる様に頑張るけど、頼むから世界が欲しいとか無茶な奴はよしてくれよ?


――そんな訳の分からない事言うわけないだろ! ……ようし分かった。じゃあ、約束だぞ。



 思えばあの時セイラムの眼には何か真剣みがあったが、何だったのだろうか。

 ツェイトはセイラムに訊いてみる事にした。



「ちなみに、俺に何を頼もうとした?」


「……言わない」


 露骨に視線を逸らしたセイラム。

 そう言われると気になってしまうのは人の心理だが、今の所叶う気配がなさそうなのに無理に聞くのも意地が悪い。

 ツェイトは聞かないでおく事にした。


「なら、当てられた時に改めて聞くよ」


「それがいつになるのか見当がつかない」


「さすがにそう簡単に当てられたら俺も落ち込むけど、セイラムなら無理じゃない気はする」


 どうして? とセイラムが訊ねても、何となくとだけしかツェイトは返さない。ツェイト自身も自分の発言に対する明確な根拠を持ち合わせていなかった。


 とはいえ、決して慰めだけで言っているわけではない。ツェイトはかれこれ昨日からはじめたこの遊びを思い返す。

 セイラムの身のこなし関しては元々ウィーヴィルと言う武術を修めた人物から幼い頃より手ほどきを受けているから基礎は十分できているので、ツェイトから何かを言う事は特に無い。

 そんな彼女に対してツェイトは、NFOのステータスが反映された超人的な身体能力とそれを操る経験でセイラムの攻めを難なく躱し続けていけている。今の調子ならばセイラムがどんな動きをしてもまず当たる事は無い。それくらいツェイトとセイラムの間に天と地ほどもの実力差があった。


(……間違いなくセイラムは俺の動きを追えているんだよな)


 セイラム自身気付いていないみたいだが、ツェイトはこの遊びの中で少しずつ回避する速度を上げていたのだ。

 上げる度合いはほんの僅かだ。しかしそれでも、ちょっとずつではあるがツェイトの動きを補足してきている事は間違いない。

 ツェイトの動きに慣れて来たのか、セイラムの潜在能力が起因しているのかは未だ判断がつかないが、もしも後者であるならばそれはそれで構わなかった。それが結果的にはセイラムの自衛力の底上げに繋がるのであればツェイトは歓迎したい。


 これは本格的な訓練として継続してやったほうが良いのだろうか? セイラムのまだ見ぬ可能性に頭を捻っていると、その頭の中に声が聞こえてきた。



『失礼二人とも、君達にマグ・ショットから話がある』


 落ち着いた男の声、脳髄が人の形を成した異形のプレイヤーリンクルからの思念波だった。

 セイラムにも届いているのだろう。急に聞こえた声に驚いて周りを見渡している。

 その様子がリンクルの方でも見えているのか、小さな笑い声が頭の中に響く。


『私は自分の部屋にいたままでもこうして言葉を伝えられるのさ』


 やろうと思えば通話も可能な事をツェイトは知っているが、今回は伝達だけのようだ。リンクルの言葉が一方的に伝わってくる。


『先に体を洗ってから来なさいだとさ。特にセイラムのお嬢さんの方はそのままじゃ可哀想だろう』


 それだけ言うと、リンクルからの思念がぱったりと消えた。通信終わりという事なのだろう。

 再び静かになると、ツェイト達も動き出す事にした。


「……それじゃあ、好意に甘えて行ってきたらどうだ?」


「そうだなぁ、というか体中汗だくで服が重いな」


 そうぼやくセイラムの全身は息を整えた今でも汗だくだ。休む暇を与えず動かし続けたのでフルマラソンでもやらせたのかと言うくらいの発汗量だ。

 ショートカットの黒髪は毛先に汗のしずくが溜まり、着ていた灰色の運動着は汗で染みていないヶ所はほとんどなく、服が肌に張り付いたセイラムはそれが不快で襟元に指をかけてひっぱり、外気を取り込もうとしていた。

 強く引っ張っているから中の下着が丸見えになってしまっているのだ。下着とは言っても、セイラムの場合胸にさらしを巻いているだけなのだが、そうはいっても男のツェイトが無暗に視線を向けていい箇所ではないなので、セイラムが襟に指をかけた時点でツェイトは顔を背けていた。


「此処に来て色々と驚かされたけど、風呂場のあれは不思議だったな。あの管付の取っ手みたいな奴から暖かい雨みたいに湯が出る奴」


「あぁあれか、手早く済ませられるから便利と言えば便利だな」


 拠点内部には元々の建造物の名残か一人部屋の個室が幾つも設けられており、室内にはシャワールームも設置されている。

 ツェイトはセイラムの部屋の隣の個室を使うことになったが、部屋の広さ的に人間サイズの種族であれば十分広さがとれるので窮屈さは感じないだろう。

 言い方を変えると、ハイゼクターの姿では絶対に入れないのでツェイトは擬態の出来る腕輪を作ってくれたリュヒトに内心感謝しっぱなしである。



「ツェイトはあまり風呂に長く浸からな……って、“いつもの姿”だとあまりそう言う事は気にしてないとか?」


「いや、俺だってそれなりに身綺麗にしたくはなるさ。湯に関してはハイゼクターの力でどうとでも出来る」


「え、湯が沸かせるのか?」


「ちょっとした応用だけどな、機会があればその内見せよう。……じゃあ済んだら呼んでくれ、俺は部屋で待ってるから」


「うん、分かった」




 一旦セイラムと別れたツェイトは自室に入って、ふと思い出したように自身の体を嗅いでみる。

 セイラムに汗を流すように勧めておいたものの、自分もそれなりに動いたから多少は汗で臭っているんじゃないかと思ったのだが、別段そんな事は無く、衣服も昆虫人特有の緑色の肌もさらっとしていた。


 あの程度の運動は汗をかくまでもないということか。ツェイトはそのまま自室に添え付けられた椅子にでも座ろうとした時、隣の部屋からごそごそと音が聞こえる。

 壁が薄いわけではない。この拠点内は各部屋、各個室ごとに防音性は高くして作られているのだが、いかんせんツェイトの超人的な聴覚がその機能を越えて向こうの部屋の音を聞き取ってしまっていたのだ。


 場所はセイラムがいる部屋。音は布が擦り落ちる音の類だ。どうやらこれからシャワーを浴びるようだ。

 それ以降の隣から聞こえる音を、ツェイトは意識しないよう努めてベッドに寝転がった。26歳の男が、10歳年下の娘の、それも浴室内の生活音を傾聴するのは倫理観的にとても不味かろう。


 友人がシャワーを浴びているという認識を自身に言い聞かせながら、ツェイトはマグ・ショットからの呼び出しについて思いを馳せながら待つ事にした。








「依頼したいのは遺跡の探索だ」


 場所は先日も会談の場として使っていたマグ・ショットの部屋の一角。そこで、ツェイト達はイッキと共に向かい側に座っているマグショットから今回呼び出された件について話を聞いていた。

 ツェイトの隣に座るセイラムは、シャワーで汗を流し、いつも着ている丈が短く色々と手の加えられた巫女服を着ているのだが、その服はツェイトが今まで見たものよりも遥かに白みが増していた。

 聞けば今まで洗濯板などで水洗いしていた程度だったのだが、今回マグ・ショット達の好意で洗濯したおかげで、落ちなかった汚れまで落ちて本来の色に近づいたのだとか。ツェイトはマグショットの部屋へ行く途中、嬉しそうに話をするセイラムから聞かされた。


 ツェイトは初めての依頼内容を訊きかえす。


「遺跡の探索?」


「ああ。数百年前に作られた施設が放棄されて遺跡化したもののようだ。場所は“エルゴ”にある」


「エルゴ……あぁ、オーガの国か」

 

 確かワムズから離れた地域を国土とする、オーガが主体となっている国家だったなかと以前学んだ事をツェイトが思い返していると、マグショットはテーブルの上に肘をついて手を組みながら、亀裂のように鋭く赤い四つの眼光を向けて話を続け来た。


「件の遺跡から少し離れた場所に大きな村があるんだが、最近そこの村人が遺跡を見つけてな、その遺跡に近づこうとした途端、遺跡から出て来たモンスターに追い返された。その村は交易路という観点から近いうち街へと開発が検討されている。それに乗じて私の知人が経営している商会も支店を開こうと計画しているんだが、出店予定地がモンスターの脅威に晒されている問題は排除したい。だからその遺跡内へ調査し、モンスターの討伐をして安全を確保したいというわけだ」


「それが表向きの理由、という事で良いのか?」


 ツェイトが明け透けに訊ねると、マグ・ショットの異形の相貌が静かに頷いた。


「この依頼の本来の目的は、その遺跡内部に潜伏しているある“人物”への接触、可能ならば保護したい」


 遠まわしな言い方をしているが、ツェイトは遺跡に潜んでいる者がプレイヤーだろう事はすぐに察せた。

 この場にはプレイヤーの事を全く知らないセイラムがいる為マグ・ショットが曖昧な言い方をしているが、そういう事なのだろう。


「現地には事前に近辺を調べさせている“専門の職員”が待ち合わせるように手配するから、詳しい話はそちらから聞いて欲しい。勿論、私達の方でも可能な範囲で支援はする。……どうかな? この依頼を受ける気は?」



 ツェイトは腕を組みながら先程の内容を頭の中で再確認してみる。

 今回の依頼は自分の力を見込んでの内容だろうから、なにかしらの争い事が発生するであろう可能性はすぐに考え付く。

 内容の向き不向きについては、マグ・ショットなりに考えて振り分けてきているはずだろう。

 ツェイト個人としては受けても良いと思っている。こういう場合のマグ・ショットの手回しの良さは過去にNFOの頃に経験済みの為、向こうが友好的であるのならば頼もしい期待できるだろう。事前調査も既に済ませているようだ。

 逆に、これが敵に回った時はその手腕が鋭く牙を剥く厄介な相手となるので、この世界に来てもそれなりに良い付き合いを続けていければと思う。


 あとはセイラムの存在が少し不安材料なわけだが。


(ここでセイラムを預けるのは、違うな)


 何でもかんでも危険から遠ざける事はきっと今後の自分達の為にはならないだろう。

 あまり考えたくはないが、ツェイトがセイラムの側にいられない場合、彼女の身を守るのは彼女自身なのだ。

 幸いにも、セイラムは戦う術を持っている。であれば経験を積ませる事も兼ねて彼女も連れていくべきだろう。もっとも、ツェイト自身も此方の世界ではある種素人の様なものなので人の事は言えない所があるから、初心に戻って学習していく所存であった。

 それにバックアップも用意してくれているらしく、至れり尽くせりな初回の依頼を断るのもマグ・ショットに悪く感じる。


 昨日、マグ・ショットとから話を聞くにあたってこのコミュニティーが活動する“最終的な目的”と、そこへ至った経緯を聞いている。

 腹芸がそれほど得意でもないツェイトでも、あの時のマグ・ショットは間違いなく本気だった。落ち着いた物腰なのはいつもの事だったが、執念の様な熱を確かに感じたのだ。

 そうであれば協力関係を築く、ないしは築こうとしているプレイヤー達を無碍にしようとする事はないだろう。


 ツェイトはセイラムへ確認をとると、マグ・ショットへ依頼の受諾を伝えた。


「分かった、この依頼受けよう」


「そう言ってくれると助かる。人手は多いに越した事はないからな」


 静かに頷きながらムカデの異形は、隣で控える薔薇の異形へと顔を向けると彼女が一封の封筒を取り出してツェイトの前に置いた。

 A4サイズくらいの紐綴じ仕様の封筒だ。ツェイトは手に取ってその肌触りから、それが皮紙製なのだろうと察する事が出来た。


「中に目的地までの詳細を書いた地図が入っているわ。待ち合わせ場所や誰がそこに来るのかも備考欄に書き込んであるから二人で読んでおくよう」


 バラの異形、イッキの説明を聞きいてツェイトがマグ・ショットを怪訝な目で見た。妙に準備がいいのだ。


「お前なら受けるだろうと思って用意しておいた。無駄にならなくてよかっただろう?」


(……もしかして、早速掌で転がされているのだろうか?)


 とはいえ手際が良い事は確かなので、ツェイトは素直にマグ・ショットからの説明を聞き、その後セイラムとその場を後にして依頼先へと向かう準備に取り掛かる事にした。









「良かったのですか?」


 ツェイトとセイラムの退出を見送った後、イッキが植物と人が顔の右半分が青白い人型の相貌をマグ・ショットへ、その赤く宝石のような眼を向けている。


「あの娘を預かっても良かったんじゃないかと言いたいのか?」


 あの娘とはセイラムの事だ。

 普通の昆虫人より黒い外殻の比率が多く、手足は完全に具足の様になっている風変りな容姿の少女。そして、“あの”プロムナードの娘。

 先程のツェイト達との会話を思い出しながら、椅子に体を預けているマグ・ショットは赤い亀裂の様な眼光をイッキへと返した。


「しかし、彼女は自分でツェイトに付いて行くと意思を示した。ならば無理に引き留めはしない」


 引き留めようと思えばいくらでも言い様はあるが、強引な事をしても双方にいい事はないだろう。

 それに、あの時見せた娘の顔は惰性で選択した様な物では無く、確かに覚悟を秘めたものがあった。

 その意思を感じたからこそマグ・ショットは何も言わずに二人を見送ったのだ。


「君はイヴの世話をしていたからな、やはり彼女の子供が心配か」


「……あんな最期でしたから」


 セイラムの母親がマグ・ショット達のもとへ連れて来られた際、一般常識が全くなかった彼女の教育と世話を任されたのはイッキだった。

 最初は同じ女性で能力的に適任だからと、マグ・ショットから言われて仕方なくという感じだったが、イヴがプロムナードと行動を共にする様になった頃には友人のような関係へと変わっていた。


 故にイヴの最後の死にざまはイッキの心に今も強く残っている。

 自分の産んだ子供の産声を聞きながら、その子を抱く事も出来ず事切れた彼女の姿。


 イッキは彼女の娘を、セイラムを預かろうとプロムナードとマグ・ショットへ提案した事もある。

 だが、結局それは叶わなかった。間もなく襲撃をうけた後にプロムナードがセイラムを連れて姿をくらませてしまったから。


「でも、思ったより元気に育っていましたから、そこだけは安心しています」


「預けた相手が良かったのだろう。相当に辺鄙な場所のようだが、それがかえって上手い事目くらましになったと言うわけか」


 セイラムの居場所が判明したのは、シチブがワムズの首都でツェイトと接触した時だったのだ。

 ツェイトが妙な昆虫人の娘を連れている、名をセイラムと報告が入った時は、聞いていたイッキは反応が遅れて事情を知らない通信機越しのシチブに怪しまれてしまった。

 聞けば件の集団から襲撃を受け、川に流されている最中にツェイトが助けたというのでかなりギリギリの状況だったのは間違いない。

 彼女の住んでいた場所は僻地の山村。プレイヤーの人手が不足している事も相まって、マグ・ショット達の情報網や捜査網に引っかからなかった。

 とはいえ、襲われたあの日までは平穏に暮らせていたらしいので、託したプロムナードの慧眼は確かだったのだろう。




「あれから十数年経っていながら、“彼女達”はセイラムを狙う理由は何だと思う?」


 ふと、マグ・ショットに問いかけられ、イッキはその意図を読むように宝石のような赤い右目を伏せながら答える。


「戦闘力の高い親から産まれた子供の潜在能力に目を付けた……と、言う訳ではないのですよね?」


「まぁ、“あの”プロムナードとイヴの間に産まれた子供だ、もしイヴの肉体的な欠陥が遺伝されず、健全な状態で生まれ育ったのならば。化けるだろうな、彼女は」


 肉体が劣化し始める前のイヴは、最古参組の重戦闘特化か、よもすればそれすら上回る凄まじい戦闘力を有していた。NFO内でも屈指の殲滅力を持つプロムナードと並び立って戦えた程だ。


「だが、重要なのはそこではないだろうな。――イッキ、リンクルに解析を頼んだ件の進捗状況はどうなっている?」


 ついこの間、ツェイトからもたらされたアルヴウィズに現れた謎の生命体の残骸。現在リンクルに最優先で遺伝子構造から素性を調べさせている最中なのだが、イッキからの返事は芳しくなかった。


「珍しく難航しているみたいです。遺伝子情報に読み取れないものがあるみたいで。やはり、“あれ”が関係していると?」


「“あれ”がセイラムを捕まえて向かおうとした先については、ある程度予想がついている。だからこそ分からない」


 テーブルに肘をついたマグ・ショットは、手を組みながら四つの赤い眼光を細めつつ、独り言ちるように言葉を連ねていく。


「どうしてセイラムにだけ反応した? あの襲撃から十数年経ち、プロムナードの手で勢力を激減させられた今になっても尚“彼女達”がセイラムを狙う理由は、きっとそこにあると思う」


 “彼女達”、とマグ・ショットが呼ぶ彼の者達。それを口にした時、マグ・ショットの声質が僅かに変わった事を側にいるイッキが察して目を細める。


「そこには私達の目標に関わるものが……(あるい)は、それそのものがあるかもしれない」



 マグ・ショット達のコミュニティーの最終目標、それは「元の世界への帰還方法の確率」。

 約800年前に ある事をきっかけとして本格的に帰還方法を探す事に着手したマグ・ショットは長い年月をかけてこの世界について可能な限り調べて回った。

 その努力は未だに実ってはいない。だが、可能性はある。

 そうして今、その可能性に指をかけられるかもしれない重要なファクターが現れたのだ。


「彼女に何があるのかを確かめる必要がある」


「……その為にあの子をあのまま行かせたのですか? おびき寄せる餌にしながら、あの子の潜在能力を試そうと?」


 イッキの眼差しに険が宿る。 

 マグ・ショットが清廉潔白な人物ではない事はNFOで彼のギルドでサブリーダーの一人として務めていた頃から知っているが、それでも気にかけている娘を危険に晒すのは、理屈はわかっても納得しがたいものがあった。


「勘違いしないで貰いたいんだが、私だって味方を使い潰すような手段は好きじゃない。だから適任のプレイヤー“達”を呼び寄せてフォローしてもらうよう頼んでいる。そうでなかったら、“彼女達”に塩を送る様な物だ。それは避けたい」


「まぁ、そうでしょうね。そうでなかったら私が代わりにねじ込むか、一緒に同行していました」


 きっぱりと言い切るイッキの棘のある態度にマグ・ショットが肩を竦める。


「それは困るな。イッキが補佐してくれるおかげで手間が大分減ったのに」


「まったく……」


 感情の読めないムカデの異形の様子に、イッキは困ったように溜息をついた。





(礼を言うぞツェイト、お前は私に希望を齎してくれた。これで今までの苦労が無駄にならずに済みそうだ)


 イッキの溜息を聞きながらマグ・ショットは、この場にいない新たな同士になり得る者へ感謝の念を抱きながら、己の胸の内に巣食う執念を抑えていた。

 

(焦る必要はない、今必要なのは二人から信頼を得て、セイラムの可能性を確かめる事だ)


 仮にこれでマグ・ショットの予想が外れたとしてもそれはそれで構わなかった。ツェイトの戦闘力を頼りに出来る様になるだけでも十分お釣りは来る。

 だが、マグ・ショットは自分の予測が強ち間違っているとは思っていなかった。長い間個人で、時には組織的な人海戦術を駆使して調べ、かき集めたこの世界の情報を精査して行き着いた答えがマグ・ショットの意志を後押しする。



 ある筈なのだ。この世界のどこかに“向こう側”へ、“故郷の大地(地球)”に関わる何かが。

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