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紺碧の大甲虫  作者: そよ風ミキサー
第四章 【異界から来た者達】
52/65

第43話 場所も分からぬ地で

_人人人人人人人人人人_

>ヘイ ブラザー!  <

> ギブ・アップかい?<

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄


 ⇒まだまだ!

  さらばっ!


というわけで続き投稿です。

お待たせいたしました。

 ぱちりと目の覚めたセイラムは、全身に行き渡る妙なすがすがしさに困惑した。

 何度か黒一色の眼をぱちぱちと(しばた)かせながら上半身をその場から起こす。いつもなら寝起き直後の拭いきれない眠気で半開きの(まなこ)を手でこすりながら欠伸をしている所なのだが、今はその動作すら必要が無い位に頭がしゃっきりしている。

 セイラムがいる場所はマグ・ショット達のいるどこかの施設の個室。そこに備え付けられてあるベッドに似た寝具で眠っていたのだ。

 眼が覚めてすぐに意識がはっきりしているからか、自分がどうしてここで寝ているのかをセイラムは鮮明に覚えていた。

 シチブの案内の元でこの場所へと誘われ、そこでツェイトの知人と会ってお茶をしながら話をしていたら急激な眠気に襲われてお付きの女性に此処まで連れて来てもらい、床に就いた瞬間泥のように眠ったのだ。

 部屋の中は未だに暗いが、天井に備え付けられている照明がほのかに光を放っている。僅かな明かりは部屋の全体を薄らと把握できる程度の照度に調整されており、睡眠には差支えない。実際、セイラムがこうして目覚めた直後にその明るさを認識しても眩しさを感じてはいない。


 どうしよう、とセイラムは部屋の中を見回してその薄暗さに困った。

 寝る前の話だが、セイラムは自分がこの部屋に連れて来られた時、此処は今の様にほのかな照明も無く完全に真っ暗だったのを覚えている。

 しかし、連れて来てくれたイッキが部屋の入り口近くで何か操作をして室内は明るくなり、セイラムが眠りに付く頃に気を利かせたのだろう、部屋を今の様に僅かな明かりだけにしてくれたのだ。

 してくれたのは良いのだが、こうして眼が覚めて起きるとなると、どうやって部屋を明るくするのかセイラムには分からなかった。

 蝋に火を(とも)すような方法ではないのは確かだ。イッキが入り口付近で何らかの動作を行った途端に部屋の明暗(めいあん)が切り替わったのだ。


 そうやって眠る直前の出来事を思い返しながらセイラムは体を預けていた寝具から降りて、僅かな照明の灯りを頼りに部屋の入り口まで向かう。服装はいつものままだ。羽織っていた毛皮の蓑は壁に賭けられてあり、荷物は寝具の近くに備え付けられている机の上に置かれてある。

 僅かな明かりのおかげもあるが、セイラムは元々暗がりでも夜目が結構効き、更に額の触覚から周囲の状況はすぐに把握できた。

 危なげない足取りで入り口まで辿り着き、壁を見つめて多分それらしいと思われる該当箇所を見つける。

 壁に薄く小さな板状のものが、丁度セイラムから見て胸下くらいの高さで張り付けられている。確かイッキはこれに手を伸ばして何かをしていた。

 そこには別段それ以上の凹凸が見当たらない。押せばいいのだろうか、そう思ってセイラムが黒い外骨格で覆われた手甲の様な手を伸ばして触れてみたら、突然部屋の明かりが完全に消えた。僅かな明かりすらなくなった部屋の中が完全に暗闇に包まれる。


「あ、あれっ?」


 何か取扱い方を間違えたのか。セイラムは突然視界が暗がりになって狼狽し、額の触覚を忙しなく動かしてしまう。

 どうすればいいのか分からずあたふたしていると、セイラムの触覚が入り口の扉の向こうから誰かがこの部屋に近づいて来る気配を察知した。

 空気が鋭く抜ける音と共に入口の扉が横へ滑って壁の中へと納まると、現れたのはイッキだった。黒を基調としたスーツ姿の薔薇の異形がスッと現れてセイラムが思わず一歩退いた。

 イッキは暗い部屋の中、ドアの近くでまごついているセイラムを見て状況を理解したようで、迷わず入り口近くのスイッチに手を伸ばす。


「もう一度触れると点くのよ」


 イッキがスイッチに触れると、部屋の証明が点灯して明るくなった。

 天井から照らされる白色の光源を見上げて呆けていたセイラムだが、目の前のイッキの存在を思い出してすぐに意識を戻した。


「お、おはようございます?」


 窓が無く、外の様子が見えないので昼夜の確認が出来ないセイラムの自信なさげな挨拶にイッキの口元が笑みを作った。


「そうね、今は朝だからあっているわ、おはよう。……もしかしたらと思って来てみて正解だったわね。此処の使い方、普通じゃ分からないもの」


「あの、どうも、ありがとうございます」


 事前に使い方を教えようにも、あの時のセイラムは睡魔に襲われてそれ所では無かったのでこうなるのをイッキは目に見えていたらしい。

 セイラムは少し緊張しながら礼を言いつつイッキの顔を見る。

 顔の左半分が黒い薔薇で、もう片方は青白い肌に茨が這い、その隙間からのぞく眼は全てが赤い。身に着けている衣装はセイラムが今まで見た事のない造形をしていて、一目見ただけで間違いなく相当に上等な服だと分かった。

 昆虫人と通ずる箇所の造形を見る限りではとても美人だ。しかしイッキの種族的な外観や身なり、それとも佇まいがそうさせているのか、見る者が思わず姿勢を正してしてしまうような迫力が彼女にはあったのだ。

 ツェイトの知り合いという事前情報があったので幾分か落ち着いて接する事が出来ているが、他人として会っていたら緊張は恐怖へと変わっていたのかもしれない。


「調子はどう? 昨日この部屋に寝かせたら全くも動かないまま寝てしまったけど、余程疲れていたのかしら?」


「それなんですけど……なんか凄く体の調子が良いんです。寝てただけなのに」


 元々体に疲れとかは無かったはずだが、こうして自分の脚で立ってみると、セイラムは妙に体が軽く感じた。

 体だけではなく、気分だってとても落ち着いている。頭の中や胸の内が軽くなったような、清々(すがすが)しい気持ちで心身が満たされている。

 確かにこの部屋の寝具は寝心地がとても良かったけど、それだけが理由なのだろうか? 原因の分からない快調具合に首を傾げながらセイラムが答えると、イッキが目を細めた。


「そう。……あぁそうだ、お腹すいてない? よかったら食事を持ってくるけど」


 しかし見かけによらず親切な人らしい。自分を此処まで連れて来てくれたし、こうして気にかけてくれているので、セイラムはイッキに対して面と向かい合うと緊張はするけど良い人、という認識を持ちつつあった。


「それじゃあ、お願い出来ますか?」


 セイラムがいる部屋は室内に椅子や机を置いてもなお面積に余裕がある広さがある。部屋内での食事も十分可能だ。

 なのでツェイトもいないこの現状、大人しく部屋の中にいた方が良さそうだと判断したセイラムはイッキの提案を受ける事にした。


「わかったわ。今持ってくるけど、その前に部屋の使い方とか、水道場を教えておかないとね。そのままじゃ不便でしょう?」


「あ、それは助かります。……此処って何か見た事ない感じでどうしようか分からなさそうですし」


 先ほどの照明の操作の時もそうだったし、そもそもこの建物に来た時からそうだったが、この建物内はセイラムが暮らしていた場所とは仕組みが全く違う。

 事をその身を以て感じているセイラムにとって、イッキの気遣いは渡りに船であった。あと、寝起き直後なので出来れば顔も洗いたかったというのもある。


「あの、ツェイトはどうしていますか?」


 セイラムはこの場にいないツェイトがどうしているのか気になって訊いてみた。

 この場所へ用があるのはツェイトであって、自分はそのツェイトの付き添いで来ているに過ぎない事を自覚している。

 なので縁や所縁(ゆかり)に覚えのない場所で一人部屋に取り残されているこの状況が気まずかったり、心細さを感じていた。


「ああ、彼なら会長と話し込んだ後は別室で休んでいるはずだけど……なんだったら食事の後にでも呼んでおく?」


「え、でもそれはツェイトに悪いんじゃ……」


 自分はツェイトに付いて来て、お菓子とお茶を振る舞われてそのまま寝ていただけだが、ツェイトはあれから大事な話をしているはずだ。

 それなのに、こちらの都合に合わせて呼び付けるような事をするのはいくらなんでも横暴過ぎるのではないかと思えば遠慮がちにもなる。


「あれから会長と話した事も含めて、貴女達二人だけで色々と話しておかなくちゃいけない事があるだろうから、良いんじゃないかしら」


 そう言われると、早い内に会って話した方が良さそうかもしれないとセイラムも納得した。


「それなら、もし、ツェイトの方が大丈夫なら一緒に食べながら話したいです」


 そう答えたセイラムを、イッキが赤い宝石の様な片側の眼を軽く見開いて見てきたが、納得した様子で頷いた。


「分かったわ。じゃあまずは部屋の中の使い方からいきましょうか。大丈夫、そう難しい事ではないわ」


「……よろしくお願いします」


 セイラムはイッキの態度に違和感を感じながらも大人しく説明を受ける事にした。









 部屋と水道場周りの説明を終え、食事を持ってきてくれるのを待つばかりとなったセイラムは、ベッドの上に胡坐をかき、腕を組みながら首を傾げた。

 この部屋を含めた近場の設備の使い方についてはイッキの丁寧な説明もあって概ね覚えられた。操作自体が簡単なのでセイラムでもすぐに使えそうだ。


 その中で驚かされたのは水まわりの仕組みだろうか。

 水道場では手を(かざ)しただけで勝手に水が出て、布を使わず同じように手を翳せば温かい風を吹かして乾かせる箱が壁に備え付けられているのだ。

 更にセイラムを驚愕させたのは(かわや)であった。リュヒトの家にも似ている物があったが、此方の建物にある物の方がより洗練されていて異質感がある。

 何が凄いかと言えば、腰かけ式の便座の奥から温い水が尻目がけて飛んでくる事だ。

 何でこんな仕掛けがあるんだと混乱するセイラムの横でイッキが補足して、そのあと催したので試してみて、とても、大変よく理解できた。

 思わず今まであげたことのない凄く変な声を漏らしてしまい、酷く恥ずかしい思いをしてしまった。ただ、まあ、こういうのもあるんだなとは、認識した。


 途中軽く世間話程度で話を聞けたのだが、この場所は遺跡を再利用しているらしく、つまり建物内で今も動いている設備は全部遺跡由来の物という事になる。

 昔の人は良くこんな物をつくったものだ。特に尻へお湯を吹きかけるなんて、普通は考えないだろうに。千年前の人達の考えは理解できないなあ。

 未知の刺激は年若いセイラムにとっては未体験の衝撃だった。部屋に戻った当初はベッドの上で血がのぼった顔を両手で覆い、唸りながら転がり続けるくらいには羞恥心を大いに刺激された。


 気持ちが落ち着いた所で改めて今の状況を振り返ってみるのだが、自分が此処ではとても場違いだなとセイラムは思う。

 この場へもツェイトの伝手で来ているし、大事な話は主にツェイトがしている。それに引き換え自分はと言えば、お茶菓子を飲み食いしながら話を聞いている最中に眠気にやられて先に眠るお客様状態。

 そもそもツェイトと旅を始めてから今まで、何かあった時はツェイトがほぼ全て解決している。……森で暮らしていたにしてはやけに世間慣れしているが、そこはたまに話で聞く思い出話などからして外の世界を経験した事もあるのだろう。それに比べて、自分がしている事なぞ一体どれくらい貢献しているのか。



(……イッキさんか、何か変だったような気がする。考えすぎか?)


 ふと、思い出したのは此処の設備の使い方を教えてくれたイッキの事だ。

 軽く世間話をしていた時、セイラムの体調を気にしている様な質問があった。多分、不慣れな場所で寝起きして不調を起こしていないか彼女なりに気遣っていたものと思うのだが、その時こちらを見て来る視線に何か不思議なものを感じたのだ。

 悪意は無かった、と思う。あれは此方を思いやる善意の眼差しだったように見える。ツェイトの知り合いで、事前に注意を受けていたわけではないから悪い人では無い筈だから、後者であって欲しいという願望もあった。

 あの人とは初対面だ。となると一番あり得そうなのは、ツェイトが連れて来た娘という事で興味を持たれた線だろうか? あるいは……



 そう考えている内に、部屋の扉を軽く叩く音が聞こえた。

 ワムズで暮らしていた時はあまり馴染みが無かったが、外の人が部屋にいる人へ用がある時の礼儀作法らしいという事をセイラムは最近知った。


「セイラム、俺だ。今入っても大丈夫か?」


 ここ最近聞き慣れた声だ。

 セイラムはベッドから降りて扉へ向かい、扉付近の開閉装置を押した。返事をして相手に空けてもらっても良かったが、覚えた操作方法を自分で実践してみたかった。


 扉が自動で開くと、そこには仏頂面の昆虫人の男が片手に盆を持ちながら立っていた。


「おはよう。食事と飲み物を持ってきたぞ」


 二人分の食事と飲み物が乗せられた盆をセイラムへ見せるように軽く掲げて見せてくる。


「ありがとう、机があるからそこで食べよう」


 持とうか? とセイラムが言うが、気にしなくていいとツェイトがそのまま部屋にある机へと運んでいく。

 丸い天板の机へ置かれた盆に載せられた食事を改めて見ると、セイラムも故郷で見覚えのあるものだった。

 握り飯である。六つもある。それも焼き海苔で巻かれ、添え物に薄く切った大根の漬物が付いている。しかしセイラムは見慣れた食べ物への安心感より、この場所とあの人達からは似つかわしくない献立だなあと、困惑気味にぱちぱちと黒一色の目を(しばた)かせた。


「……あの人達って米食べるのか?」


「あぁ、まぁ、あれでもマグ・ショットはワムズ出身で元昆虫人だからな。そりゃ米も食べるだろうさ」


「昆虫人か……そうは見えないんだけど、ツェイトが言うと説得力があるな」


 席について向かい側にいるツェイトも今は昆虫人に化けているが、その実態はセイラムよりも倍以上も巨大な人型のカブトムシだ。

 本人から話を聞いた上で実際に見てみないと信じられない話だ。それでも正直、セイラムは今も目の前の昆虫人があのカブトムシの巨人と同一人物だという実感がまだちょっと薄かったりする。

 そしてもう一人思い浮かぶのは、話題に挙がった件のムカデの男、マグ・ショットだ。

 ツェイト程ではないにせよ、セイラムの背丈からすれば十分見上げるほどに大きな体躯は一目見た時から背筋が震えた。

 全身に纏う毒々しい色の外骨格や、あの硝子(がらす)の様な透明の殻で覆われた髑髏の顔。ツェイトの知人で会話をする相手だと事前に知っていなければ卒倒していたかもしれない程には恐ろしく見えた。

 あれもツェイトと同族と言うのだから、ハイゼクターと言う種族は昆虫人の様に見た目に纏まりは無いようだ。

 先の二人以外でセイラムが知るハイゼクターはアリジゴクのダンと、ツェイトが探している友人というクワガタの友人の計4人だが、いずれも見た目は虫の特徴が強く残っている。



 席についてまずは腹ごしらえからという事で、二人の食事が始まる。

 そこでセイラムが握り飯を頬張っている時、ふと前方から視線を感じたのでセイラムは顔を上げる。

 ここに視線を向けてくる人は一人しかいない。必然的に視線の主はツェイトだった。握り飯を咀嚼しながら、不思議な眼差しでセイラムを見ていた。


 セイラムが視線を目で追った事で、必然とツェイトと眼が合う。首を傾げながら訊ねてみた。


「どうした?」


「ん、いや、元気そうだな、と思ってな」


「何だよそれ」


 歯切れの悪いツェイトの態度に訝しんでいたセイラムだが、そこに妙な既視感を覚えた。

 そうだ、さっきイッキにも似たような事を訊かれた時。それに何だか似ているのだ。

 確かにツェイトに比べれば遥かに劣るだろうが、過分に貧弱と思われたみたいなのが気に入らない。セイラムはぶすくれながら手に残っている握り飯の残りを口に放り込んだ。


「何かイッキさんにも似たような事を言われたな。別に寝る場所が変わったくらいで調子が悪くなるほど(やわ)なつもりはないぞ」


「……」


 何気の無い言葉だった。しかしそれを聞いたツェイトの表情が硬くなったように見えた。元々硬いので見間違いの可能性もあるが、セイラムには確かにいつもと表情が違っていた様に見えたのだ。


 ツェイトが昆虫人に化けられるようになってから分かった事だが、ツェイトは以外と表情が豊かな男だった。

 ハイゼクターの時は全身と同じく顔面も外骨格で文字通り鎧兜の様に構成されていてかつ本人も物静かな性質(たち)なので、喋らないと表情が読み取れない事が多かった。

 しかし昆虫人になってみれば、眉間に皺を寄せてしかめっ面を作っているので一見近寄りにくい様子だが、話してみれば思いの外表情を柔らかくしたり口元に笑みを浮かべたり出来る事が分かったのだ。

 それと好奇心も後押ししてツェイトの事を観察していた事もあるからだろうか、ツェイトの様子がおかしい事をセイラムは察する事が出来た。


「……ツェイト変だぞ、何かあったのか?」


 あるとしたら自分が寝ている間に交わされた話の内容だろうか。

 そう思っていると、ツェイトが空いている手で頬をかきながら答えてくれた。


「昨日マグ・ショットと、あのムカデの奴だが、あいつと話していた事を思い返していたんだ」


「だからってそんなに私を見なくだっていいだろ。……それとも、私の事で何か話でもあったのか?」


「まぁ、確かにあった」


「え、本当に?」


 自分を見ていたから何となくで聞いてみたら思いの外当たっていたのでセイラムがキョトンとした。

 ツェイトがやや苦い顔でわけを話す。

 

「セイラムと会った経緯とかな。……あと、セイラムが狙われている事も話した」


「それは……」


 言ってしまって大丈夫だったのか。

 不安気な表情でツェイトを見ると、幾分か和らいだ表情が返ってきた。


「大丈夫、セイラムが心配するような事は無い。マグ・ショット達も奴らと今も争っているからな。此方の事情を説明したらすぐに受け入れられた」


「そっか……そうなんだ。それなら良いんだけど……」


 セイラムは肩を動かすほどに大きな溜息をついて、椅子の背もたれに深くもたれ掛るように姿勢を崩した。

 思えば自分が狙われている事について、ツェイト以外に知らせたのは初めてではないだろうか。

 並の力では全く敵わない危険な者達の標的にされているなど軽く他者に気安く話せるはずもなく、もし話せば災いをもたらす厄介者としてみなされて排他されるであろう事をセイラムは身を以て知っている。自分が故郷の村を追い出される原因となったように。


 いつ襲い掛かってくるかは分からず、どこで露見して厄介者として冷たい目を向けられるかも知らない。

 あまり気に病まないようにとはツェイトにも言われて心掛けてはいるが、そういった目に見えない精神的な圧迫は無意識にでもセイラムの心をじわじわと消耗させていた。

 なのでこの様に受け入れられた事は、セイラムが思っている以上に気が楽になった。それだけ故郷の村で起きた出来事がセイラムの心に傷を残していた。


 そんな脱力する様子のセイラムを見たツェイトが少し口を緩めて苦笑した。








「それで、これからの話なんだが」


 雑談を交えながら食事をしていたが、腹が膨れた所でツェイトが今後の話について改まった態度で話してきた。

 真面目な話をするのだろうと察してセイラムも今まで崩して姿勢を正す。


「さっきの話で察したかもしれないが、マグ・ショットと協力し合う事になった。といっても向こうは依頼人で、こちらは依頼を受けるクエスターって言う形にしなくちゃいけないけどな」


「そういえば(あきな)いをしている様な事を言っていたような…………ん? いやちょっと待った、あの人って商人なのか?」


 自分で口にした言葉に困惑するセイラム。

 まさかあの姿で商売をしているのか? 来客相手に腰を低く揉み手で応対するマグ・ショットの姿を想像して――


 ――そこでセイラムの想像力は止まる。店先で客が腰を抜かして逃げるほうがまだ想像しやすい。

 虚空を見上げながら奇怪な表情で想像の翼を広げているセイラムへ、ツェイトが補足する。


「俺みたいに擬態して商売していたんだとさ」


 セイラムは目の前の昆虫人に擬態しているハイゼクターの事を思い出した。身近に実例がいる事を忘れていた。色々と衝撃が多かったので思考能力が鈍っていた様だ。


 とはいえ、いつまでも人の事を気にしているわけにもいかない。いま気にしないといけないのは、自分達のこれからについてだ。


「それで、これから私達はどうすれば良いんだ?」


「今は未だ俺達に頼む事は無いと言っていた。今回はただの挨拶だけで終わりそうだ」


「じゃあこのままクエスターの仕事を探しながら旅を続けていくのか?」


「それなんだが、正直手持ちの貯金に大分余裕があるから無理に仕事を探す必要が無いんだよな」


 この間のエルフの国の件でツェイトが王から報奨金として訳の分からない桁の金額を受け取ったのをセイラムは思い出した。

 確かにあれだけあれば過ごし方にもよるだろうが、当分は働かなくても不自由なく暮らしていけるだろう。

 億と言う、養父から教えてもらう位でしか普段見聞きする事のない桁が自分達の貯金額になったセイラムだが、それを知った当時は衝撃が一周回ってどう反応すればいいのか分からなくなってしまった。

 その後、自分なりに故郷の村で過ごした際にかかる費用を思い出しながら計算して、ざっくり一生分を遥かに上回る金額だと気が付いた所で喉から変な悲鳴が漏れたものである。


 そんな大金を図らずも手に入れ、下手な上流階級や商人よりもお金持ちになってしまったセイラム達。

 おかげで当面の暮らしについて心配する事が無くなったが、しかしそれでクエスターの活動を今後全くしないというのもそれはそれで問題がある。


「じゃあ友達を探すのはどうするんだよ」


「マグ・ショットに探してもらっている。あいつもプロムナードには用があるみたいだからな。と言っても、奴に任せっきりにするわけにはいかない」


 しかしそうなると、これからどうするのだろうとセイラムが首を傾げているとツェイトが「そこでなんだが」と何か話を持ち掛けて来た。


「セイラムさえよければ、ちょっとだけ此処に滞在してみないか?」


「此処にか?」


 セイラムは黒一色の眼を(またた)かせながら聞きかえす。


「ああ。これから色々と付き合っていく事になりそうだから、此処にいる人達にも挨拶しておこうとも考えているんだが」


「う、うーん……」


(と言ってくれてもなぁ……)


 セイラムは、ツェイトが何か行動するとき必ずこちらの意見を聞いて、その意思を尊重しようとしてくれているのを知っている。

 その心遣いがセイラムは嬉しい。だが、自分はあくまでツェイトの旅に付いて行っている立場で、これまでの旅程において自分が(ほとん)どツェイトにおんぶにだっこの状態でいる事もあって、あまり我を通す事に対してどうしても気後れしてしまう時があった。

 なのでこれまでの旅の中でツェイトの判断に誤りが見られなかった事もあって、基本的にセイラムはツェイトに判断を委ねがちになっていた。

 今回の件に関しても自分よりツェイトの方が色々と状況が分かっているだろうから、事情だけ聞いて確定する事が前提の事前確認といった意味合いが強いだろう。


「私は断る理由なんて別に無いだろうし、必要な事なんだろ? ならやっておいた方が良いだろ」


 了承すると、昆虫人に擬態しているツェイトはその顔でじっとセイラムを見た後、納得したように頷いた。







「この間のミステルに出た遺物の事は憶えているか?」


 一休みを挟んでから、二人は部屋を出て挨拶回りに向う為に通路を歩く。そうしているとツェイトが話しかけて来る。


「……そりゃあ、覚えているさ」


 忘れようもない。つい最近の出来事だったのもあるが、あの怪物が自分に対して妙な動きをした事が印象的だった事が今では強かった。

 こちらを害そうとせずに捕えようとしてきたあの怪物の挙動。最初は何も思わなかったが、他者を捕縛などせず容赦なく皆殺しにする以外の行動を取る事はないと後でツェイト伝手に聞かされてからはその考えも変わった。

 結局何も分からないままだったので気にはなっていた。

 その話をするという事は、これから向かう先と何か関係があるのだろうか。

 確か、倒した時に国に提出するものとは別にシチブへ一部渡していたというのを聞いていたので、もしかしたらそれかもしれない。


「何か分かったのか?」


 期待を込めてツェイトを見てみれば、首を捻りつつも同意が返って来た。


「少しだけ、らしいけどな。俺も昨日マグ・ショットからそう伝えられただけだから、行ってみないと分からない」


 本人もよく分かっていないようで、これから向かう先にその調査をしている人物がいるのだという。


 通路を通り、この昨日この建物に来た時に使った設備――昇降機を使い、大分下の階へ降りていくと、(おもむき)が変わった。

 辺りの内装が鈍色の無機質なものに変わり、それらの壁や天井を金属らしき管がいくつも伝うように伸びている。転々と天井に備え付けられた明かりがそこを味気なく照らしていた。雰囲気的には、初めてこの建物に来た時の殺風景な大部屋があった階に近いが、此方の方が雑多な感じがある。


 ツェイトを先頭にして昇降機から降りて進んでいく。

 事前に場所を伝えられているようで、その足取りに迷いはあまりない。

 何度か通路を曲がり、似たような扉をいくつも通り越して足が止まる。どうやら目的地に着いたらしい。


 暗い色の扉だ。白い塗料か何かで数字が角ばった書体で書かれてある。

 ツェイトが扉の前で辺りを見回している。開け方が上の階のそれとは違うようで、分からないようで眉間の皺が深くなった。

 セイラムから見てもその扉には取っ手らしき物がどこにもない。


 セイラムはツェイトの後ろで彼が扉を開けようとしているのを所在なさげに眺めていたら、頭の中に声が聞こえて来る。


『……おっと、ちょっと待った』


 大人の男と思しき声だ。とても落ち着いた喋り方が特徴的だった。

 その途端、目の前の扉から錠前が空く様な音が幾つも鳴り、横へと滑るように開いた。


『ほら、開けておいたからそのまま入りなさい』


 再び同じ声が頭に響く。

 ツェイトにも同じ声が聞こえたらしい。扉の向こうを凝視した後、後ろを振り返ってセイラムを見て眼が合う。


「……今のは?」


「部屋の中の人の声、なんだろうな」


 多分だが、と付け加えながら困惑気味のツェイトが部屋の中へと入っていくその背中をセイラムも追いかけた。





『いらっしゃい』


 気軽に来客を出迎えるような声が頭に届く。部屋で待ち構えていた人物の態度からしてそれが声の主だろう。

 部屋の中にいるのは一人だけ。見た事のない道具や複雑な設備が設置され、操作を行うための装置が集中している場所にそれはゆったりと椅子に座っていた。



 此処に来て、マグ・ショットとイッキの二人に会ってからセイラムは薄々感じていたが、この建物の住人達は自分の知らない未知の種族が多いようだ。

 今目の前にいる人物も例外ではない。先に会っていた相手(マグ・ショット)の容貌が凄かったから、セイラムはその姿に驚きながらも割と落ち着いて相手の事を見る事が出来た。


 彼の人物を簡単に表現すると、“頭が全て脳髄だけで出来ている”怪人物だった。

 脳の形状は人の頭部全体に近い輪郭をしており、頬や顎のような形を作っている。

 うなじから額にあたる個所まで複数の金属製のプレートが曲面を描いて覆うように伸びている。そこからこめかみ、顎部分へと伸びて、その大きな脳を包み込むようにしていた。

 首から下は爪先まで繋ぎ目の見当たらない不思議な素材の黒い衣装で、手首から先は同色の手袋をはめていて素肌が全く見えないようになっている。顔全部が脳みそな人物の首から下がどうなっているのかなど、全く予想がつかない。

 その衣装の上からから襟付きの白い外套を羽織っているので、佇まいや周りの雰囲気も相まって何となく学者とか頭を働かせることを仕事にしていそうな印象があった。

 脳の男がセイラムたちにその皺が刻み込まれた顔を向ける。


『マグ・ショットから話は聞いている。まぁ、その話の前にまずはそちらの娘さん、突然頭の中に声が聞こえて驚いたろう。すまないね、私はこうしないと会話が出来ないのだ』


(そうか、口が無いから喋れないのか)


 再度頭の中へ脳の男の声が聞こえてくる中で、そう感じ取るセイラム。

 実際、脳だけで出来た男の頭部には何の動作も無かった。それも当然か、人の様な目や口などの器官が何一つとして存在していない、脳特有の皺だけが刻まれているだけなのだから。

 どういう理屈なのか分からないが、そういった力をこの男は持っているのだろう。


 脳の怪人が体を預けていた椅子から立ち上がる。

 セイラムや今のツェイトより頭二つ分くらい大きい。シチブくらいはありそうだ。

 片手を胸に沿えながら名乗る。



『改めて、私の名前はリンクル。まぁ、一つよろしく頼むよ』


 今のセイラムが知る由もない事だが、ツェイトと同じようにこの世界に迷い込んだプレイヤーの一人でもあった。

今回はセイラム視点からのお話です。おしり洗浄機能で革命的衝撃を受けている場合じゃない。最後にちょっぴりだけ出たプレイヤーにつきましては次回までお待ちいただければ。

ツェイトがマグ・ショットと話した内容についてはおいおいツェイト視点の時に書いていきたいと思います。

いつも思うのですが、科学技術に触れた経験のない人物の視点から見た道具への触れ方の描写が難しいけど楽しいです。

自分がもしその道具を知識が無い前提で触れる場合、どんな感じ取り扱うのかなどを試しに頭の中で演じてみたりして、こんな感じなのかなと思いながら書いてます。


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