第42話 セイラム出生の謎
お待たせいたしました。
「話だけではお前も信じられないだろう。見せてやる」
混乱しているツェイトを他所にマグ・ショットが席から立ち、最初に座っていたデスクへと向かって行った。
デスクの上にあるPCらしき情報機器を操作しだすと、その機器の横に取り付けられている物を取り出して、ツェイトのいるテーブルへと戻って来る。
マグ・ショットが手にしている物は、彼の掌の中にすっぽりと入るくらいの画面付きの板状の機械だ。恐らくは先程デスクにあった機器の子機の類なのだろうか。
外骨格で覆われた異形の指で画面を手慣れた手つきで起動させ、いくつかの手順で指を滑らせて操作をすると、機械の上、何もない空間に映像が映し出された。保存した映像情報を空中に投影する機能を有しているしい。
ツェイトはその機械を興味深く見ていたが、映り出したものを見て興味がそちらへと向いた。
映し出されたのは二人の男女。高画質なので鮮明に見える。撮った場所は何処かの住居内の様だ。
男の方は見るからに人ではない異形の姿、赤い外骨格を鎧の様に身に纏うギラファノコギリクワガタのハイゼクター、プロムナードだった。
そして、そのプロムナードと一緒にいるもう一人。
「マグ・ショット、この人が?」
「ああ、セイラムの母親だ。更に言えばプロムナードの妻でもある。名前はイヴ」
ツェイトは映像に写る女性を凝視した。
姿は人間――この世界で言う所のフュミニアンと思われる。
二十歳前後くらいの若い女性は、ツェイトが一目見て分かる程に美しかった。
芸術的な美しさとでもいうべきだろうか。男を虜にする蠱惑的さというよりかは、そこに佇むだけで周囲の風景にまで付加価値を与えて一つの絵になってしまいそうな風雅さがあった。
腰まで伸びる頭髪や顔の造形の一つ一つが職人の手によって精密に創り上げられた至極の逸品の様で、服越しに見える体つきも女性としての魅力を十二分に備えている。
ツェイトが彼女の種族についてフュミニアンと暫定するにとどめたのにはワケがある。
彼女の肉体を構成するものが一つを覗いて全て真っ白だったのだ。
毛髪から肌など、衣服から露出している肉体はどこもが染み一つない、雪の様な、あるいは脱色か漂白されたように白一色となっている。
そしてその白い体色の中でただ一つ、瞳だけは深い空の様な蒼を湛えているのでその色彩がより際立っていた。身に纏う衣服は動きやすさを重視しているのか、女性的というよりかは男性的な服でコーディネイトされおり、黒を基調としているため女性の白い肌や髪がより強調されていた。
美貌を携えた女性の表情は全くの無表情。感情を表現する機能を入れ忘れてしまったかのようでいて、女性の美しさを無機質なものにしてしまい、極めて精巧な人形の様な印象を見る者に与えていた。与えているのだが……。
「……個性的な人みたいだな」
映っている女性――イヴのポーズに、ツェイトは困惑気味に眉間の皺を寄せた。
無表情のまま首を傾げて顔の横でダブルピースをしている。おかげで彼女に対する印象が、色々と台無しである。
ちなみにプロムナードはその後ろで何かに躓いたのかバランスを崩して今まさに転ぶ寸前の状態だ。
表情だけだと全く味気を感じないが、全体的に見れば仲は良さそうである。多分。そもそもよりによってこの写真しかなかったのだろうか。
こうして見てみると、セイラムはよくよく父親に似たらしい。これの良し悪しの判断が出来ないが、セイラムと母親の共通点が見出せなかった。
呟いたツェイトの感想にマグ・ショットが補足する。
「個性的と言うか、自分の記憶や世間一般の常識が全く無かったぞ」
このポーズもプロムナードに言いくるめられてやったものだと付け加えられて、ツェイトは顔をマグ・ショットへと向き直した。
「どういう事だ?」
外見と何か関係があるのか、ツェイトの疑問に対してマグ・ショットが席に着きながら話す。
「今から二十年位前か、プロムナードと接触してから少し経った頃だな。奴が彼女を私の所に連れてきた時、彼女は厳重に拘束具を着せられた状態だった」
「拘束具? 捕まっていたのか?」
「どうかな。彼女は研究所の保存装置の様な物の中に入れられていたとプロムナードは言っていた」
徐々に話の雲行きが怪しくなってきたツェイトは無言でマグ・ショットに話の続きを促した。
「私達の所へ連れてこられた当初のイヴは酷くぼんやりしていてな、言葉も話せず日常生活も碌にままならない状態だった。だが時間が経つごとに意識もはっきりとして流暢に言葉も話せるようになっていた。その時訊ねてみたんだがな、彼女には記憶が全く無かった。プロムナードと彼女に了承をもらって私が“技能”でいくつか確かめてみたんだが、記憶が完全に空の状態になっていた。他のプレイヤーにも調べさせたから間違いはないだろう」
マグ・ショットが種族と職業の能力を駆使すれば、応用次第ではその効果は多岐にわたる。その気になれば精神への干渉も可能だ。
それに対してマグ・ショットが個人的な見解を述べた。
「最初は薬か何かの影響で脳に何らかの後遺症を患っているのかと思ったが、あれはいわば産まれたばかりの赤ん坊みたいな状態だったのかもしれない。何の知識も情報もまっさらな状態……ツェイト、お前は元の世界の知識はまだ憶えているか?」
この世界に来てひと月程度しか経っていないので、記憶の劣化はまだ起きていない。
ツェイトが頷くとマグ・ショットが続けた。
「ならこう言い換えても良い。例えが悪いが、彼女をパソコンなどの情報機器に例えた場合、本体であるハードには問題ないが中身のソフトが初期状態のような状況になっていた」
「記憶喪失というわけでは無く?」
「そう、記憶を失ったのではなく“元から無かった”と見た方が適切だ。以前何度か記憶を意図的に消された相手を調べた事があったが、あれと違って何の痕跡も無く綺麗に無くなり過ぎている。入荷したての未使用のパソコンのような感じと言っても良い」
出会った場所は研究施設。其処にいた彼女は記憶がない。しかもその記憶は外部からの介入では無く元からの状態。
言葉の節々から彼女に対する認識に不穏なものが見え始めて来る。プロムナードが連れて来たその女性、どう考えても普通ではあるまい。
そこから導き出される可能性に、ツェイトは自分が緊張しているのを自覚した。それは、セイラムに関わる事でもあるからか。
「結論から言うと、彼女は既存の人類を素体にして生物的な改造を施された、もしくは遺伝子を調整して一から作られた人工的な生物の可能性が高い」
場を沈黙が流れ込む。
何と言葉を口にすればいいのか分からず口を閉ざしてしまったツェイトを、マグ・ショットが赤い眼光で静かに見つめながら問いを投げる。
「ツェイト、お前は“霊長医学機関”という組織については耳にしているか?」
話の流れからして、関連性があるのではと思っていた嫌な組織の名前が出て来る。
この世界で生命操作を技術的に行うと言えば、かつて猛威を振るった彼の組織の存在は無視できない。母親とセイラムに共通点があるとするのならばその組織くらいしかない。
この男は組織の事を知っていた。マグ・ショットの情報網に感心しつつも、ツェイトは自分の気分が沈んでいくのを自覚した。
「知っている。彼女がそこと関係しているって事か?」
「ああ。元を辿ればプロムナードがその組織に襲われた報復の為に単独で拠点に殴り込みに行って、そこで奴は“保管”されていた彼女と出会ったそうだ」
聞かされた己の相棒の所業にツェイトは少しばかりの呆れと、大きな納得を含ませた溜息をついた。あの男ならやるかもしれない。この世界に来たばかりなら戸惑っていただろうが、慣れた頃ならあり得なくはないだろう。
「ただの行きずりの女を連れ込んだだけなら文句をつけてつまみ出していたかもしれないが、連れて来た彼女の素性が素性だ。調べて特に爆弾が埋め込まれているわけでもなかったから私達の所で落ち着くまで預かる事にした。そこで名前の無い彼女にプロムナードがイヴという名前を付けた」
「それでイヴか……旧約聖書から付けたのか?」
「いや、古いたばこの銘柄だと」
「……そういえば、あいつの名前もたばこの銘柄からとったんだったな」
本人は吸わないが、祖父が愛煙家らしく、その祖父が持つコレクションから自分のアバターの名前を決めたという経緯をツェイトは昔聞いた事があった。
そうなると、もしかしたらセイラムの名前もたばこの銘柄から来ているのかもしれない。タバコの知識など無いツェイトには分からないが、名付け方の流れからしてそんな気がする。
マグ・ショットの話が続く。
「実際プロムナード達が私達の所にいたのは精々1週間くらいだったな。元々この件が無くても私達の所に長居するような男でもなかったが、イヴの学習能力の速さがそれに滑車をかけた。実際に彼女が生活に支障がなくなる程度になるのは三日くらいしかかからなかったぞ。乾いた土が水を吸い込むと言うか、演算能力の高いコンピューターが勝手に学習していくような感じと言うか。言葉は私達の会話を見聞きして言語の法則性を学んだらしい、それに加えて本を貸し与えたらそこから文字の読解もすぐに習得して殆ど手間いらずになっていた」
どの程度の質と量を彼女に教えたのかは知らないが、全く無知の状態から完全にそれらを学ばせて生活に応用できる所まで短期間で習熟させたとなると、成程それは驚くべき学習速度である。
「それで最初は感情のない人形みたいな状態だったんだが、物事を学んでいく内に人格が形成されたらしくて、まぁこうなった」
マグ・ショットが異形の顔をちらりと向けるのは、今もテーブルの上に置いた機械から映し出される映像の中のイヴ。
映像には今も無表情の彼女が表情とは不釣り合いなポーズを取った姿で映っている。
「そんな表情だが中身は純粋な娘だ。少しばかり好奇心が旺盛でプロムナードが引きずり回されていたが、まぁそれは大した事では無いか、奴が拾って責任をもって面倒を見ると言っていたんだからな」
「あいつが、なぁ」
基本的にコンビで活動するにあたっての行動方針を率先して決めては自分を振り回していたのはプロムナードで、あの親友が逆に振り回される姿を想像してツェイトは意外そうに片眉を上げた。
「その後彼女はプロムナードの旅に付いて行ってはたまに私達の所へ奴と一緒に顔を出すのを繰り返していた。実際彼女は出自の所為もあってプロムナードの旅に付いて行けるくらいの力はあった。……ただし、致命的な欠点が彼女にはあった」
マグ・ショットはツェイトの反応を見ながら言葉を紡いでいくが、そこに再び真剣みが戻って来た。
二人しかおらず、そして片方は殆ど聞き手に徹しているこの部屋の中、マスク状の外骨格で覆った異形の口元から聞こえる声は冷静で、よく通る。
その酷く冷静な声が、これから何か残酷な真実を告げられる事を予感してツェイトの心が身構える。
マグ・ショットの話を聞いていて疑問に思っていたのだ。プロムナードの現状については仄めかされていた。だが、彼女の、イヴの“今”がこの男の口から語られてないのだ。
「欠点、とは」
嫌な予感にツェイトの喉が強張る。
硬くなった声による問い掛けには、無情な事実が返事として返って来た。
「端的に言えば、寿命だ。最初は全くそんな予兆は無かったんだが、しばらくした頃に旅先で彼女が原因不明の体調不良を起こしたのをプロムナードが担ぎ込んで来たのを調べて分かった。肉体の急速な劣化、イヴは極めて短命だったんだ」
見えてくる答えをツェイトは胸の中の空気が重くなってくるような錯覚を覚える。
ここまで話を聞けば否でも察してしまう。
しかしそうであれば、プロムナードがあまりにも悲し過ぎるではないか。
「まさか、彼女は、もう」
「そう、イヴはもうこの世にはいない。元々寿命間際で弱っていた所にセイラムを身籠って出産もあったからな。セイラムを産んで間もなく息を引き取った」
幾ばくかの沈黙の後、ツェイトは映像から視線を外し、静かに首を掻いた。
セイラムの母親が判明した事で、いつか話せる機会があればプロムナードの事も含めて彼女に実の両親の事を打ち明け、あわよくば会わせてあげたいと思っていたのだが、故人になってしまっているとなれば迂闊に言い出せなくなってしまった。
「お前達の都合を知らないで言うのもおこがましいのは分かっている。それでも、助ける事は出来なかったのか?」
セイラムの母について、その死を回避する術があったのではないか。既に過ぎた事ではあるが、ツェイトは可能性を確かめたくなった。
プレイヤーがこの男の元に複数いるのであれば、アイテムないしは技能などでの回復や蘇生手段はいくつかあったのではあるまいかと。有限であった場合は無理強いは出来ないのだが。
そう言う点で言えば、このムカデの男は回復も蘇生も出来るプレイヤーだ。それでも死を止められなかったのには理由があるのか。
「プロムナードへ貸しを作る下心もあったから手は抜かなかった。此方で可能でかつ許される範囲内での肉体の再生や再構築、彼女の肉体だけ時間を止めて治療方法が判明するまで死を先送りする事も試してみた。だが、全てが意味を為さなかった」
そんな事があり得るのか、という言葉がツェイトの口から出かかるが、この世界に自分達のいたゲームの世界の力が全て完全に反映される、もしくはまかり通るような理屈があると決まっているわけではないし、万能と言うわけでも無い筈だ。ツェイトは自分の力がこちらでも十二分に発揮されていたのでどこかで思い込みがあったのかもしれない。
マグ・ショットがテーブルに頬杖をつき、尻尾をうねらせながら当時の事を思い返すように話した。
「確かに彼女には私達プレイヤーの技能は効かなかった。寿命のせいもあったんだろうが、彼女の体に干渉するような技能が一切通らなかった」
「それはやっぱり、彼女の生まれと関係しているのか」
体質と一言で纏めてしまうにはこれまでの話からして不自然で、自ずとそんな因果関係に結びつく。
「だろうな。プロムナードと出会った場所や体からして、意図的に人の手が加えられているのは分かっている。短命なのも、その影響なのだろう」
いずれにせよ、イヴを救う手段をマグ・ショット達は持ってはいなかった。
そのどうしようもない事実をツェイトは受け止める事しか出来なかった。
「……彼女の墓は、あるのだろうか」
生きてセイラムと会わせる事が出来なかったが、せめて彼女の眠る場所に手を合わせに行く事くらいはしたい。
そんな、無性に湧き上がる遣る瀬無さからの提案はマグ・ショットの否定によって終わる。
「いや、彼女に墓は無い。遺体は訳あってプロムナードの手で完全に消滅している」
「消滅?」
死だけでも穏やかではないのに、その弔い方は更に上を行っている。
火葬というには生温く、まるでこの世から彼女の存在を完全に消すかの如き所業にツェイトは困惑した。
しかも、それを成したのがよりによってプロムナードだという。
事情が事情故に理由はあるのだろう、それをマグ・ショットが説明する。
「どうしてあいつが……? 何だってそんな事を」
「彼女の遺体を利用されないようにするために、やむを得ずだ。さっき話した霊長医学機関だがな、奴らはセイラムが生まれてから程なくして私達の拠点へ襲撃をかけて来た」
「何だって?」
思いがけない存在が引き起こした、予想だにしていなかった事態にツェイトの顔が強張った。
「……大丈夫だったのか?」
「多少の手傷は負ったが皆無事だ。とはいえ、その時使っていた拠点は破棄せざるを得なくなったがね。戦闘の余波でとても住める場所じゃなくなっている」
やはりあの組織はプレイヤーに有効打を与えられる力を持っている。プレイヤーの集団へ襲い掛かり、負傷者を生み出した。
ワムズの王都でその集団と戦って片鱗を見たツェイトは、自分の予想が確実となった事に緊張の度合いを高める。
「元々奴らの標的はプロムナードとイヴの二人だったらしい。あの男、イヴと一緒に旅をしている間もその組織に彼女と一緒に散々狙われたらしいな」
娘が狙われている原因を遡れば両親に行き着くのは不思議な事ではないので、プロムナードも狙われていた事についてはそこまで驚きはしない。
「どうしてそこまでしてプロムナード達を狙う……マグ・ショット、お前は何か知っているのか?」
だが、プロムナードを狙う理由が分からなかった。以前霊長医学機関の目的が強靭な生命を生み出す事だと聞かされていたいたので、ツェイトとしては不愉快だが、プロムナードは成程確かに格好の捕獲対象になり得ると納得出来てしまう。
しかし、この間アルヴウィズで起きた遺物の騒動で遺物がとったセイラムへの反応を思い返すと、それだけではない気がしてますます謎が深まっていく。
眉間の皺を深く刻みながら険しい表情で思い悩むツェイト。対して感情の発露が向けられないマグ・ショットがその様子に眼光を向けながら一拍置いて静かに答えた。
「分からない。奴らは自分達の目的を一切喋らない。捕まえたとしても口を割らずに自決する」
「まさか、お前の“力”でも駄目なのか?」
「ああ、抗えない状態になった途端相手の肉体が強制的に自壊して消滅する。セキュリティは完全らしいな。こちらで自壊を止めようとしても無理だった」
この男が技能を駆使すればもしかしたら何か判明するのではないかと考えたツェイトだが、相手の方が上手だった事に驚いた。
その表情から考えを読まれたのだろう、マグ・ショットが警告する。
「ツェイト、奴らを甘く見ない方が良い。あの組織は我々プレイヤーに通用する力を持つ個体を保有している。流石に私やお前ほど戦闘に突出した性能は持ってい無い様だが」
「ヒグルマが負傷したあれか」
色々と耳聡いこの男だから以前ワムズで起きた事件も知っているのだろう。
なのでそれを前提にしたうえでヒグルマの事を話題にして切り返すツェイト。
「そうだ。お前は以前ワムズの首都で体験済みだったから少しは分かるだろう」
「マグ・ショットの方で何か分かった事でもあるのか?」
「……」
「おい、どうしたんだ」
此処に来て、初めてマグ・ショットが口を噤んだ。
顔の構造上表情が分からないが、何かよからぬ気配をツェイトは感じながら呼びかけてみる。
「……あぁ、甚だ不愉快な話だが」
返事は返って来た。しかしツェイトはマグ・ショットの言葉に違和感を覚える。
淡々と情報を提示するような口ぶりが続いていたが、ここで明確に嫌悪の感情が込められている事に気が付いたのだ。
この男が忌諱するほどの何か、それが男の口から答えられる。
「奴らはその性能を引き出すためにプレイヤーの肉体を材料にしている」
「」
絶句と同時に、背筋にひやりと冷たいものが走っていくのをツェイトは感じた。
思わず聞き間違えではない。マグ・ショットの明瞭な言葉は今しがた一言一句聞きもらさずに聴覚と頭脳が認識した。
薄々、もしかしたらという可能性を考えないでもなかった。そして、ツェイトはマグ・ショットの言葉に思い当たる節があった。
ワムズの王都ディスティナの大門前で戦った、獣の顔を模した仮面をかぶった鎧の男。あの男がその正体を晒した時に見せた、ハリマオの成れの果ての様な姿だ。
NFOではプレイヤーでしか存在しない種族がこの世界に存在していた事に疑問を抱いていたが、つまりあれは、どこそこで捕獲したプレイヤーを“再利用”している事になってしまう。
「本当なのか」
「私は笑えない冗談は好まない」
「……そうだったな」
体から体温が抜けていくような、芯を冷やす悪寒が蝕んでくる。血の気が引く、というのはこの様な感覚なのだろう現象がツェイトを襲う。
以前ヒグルマから、この世界に来ているプレイヤーは最古参組しかいないと聞かされている。
最古参組はNFOのサービスが開始されてからあの日まで現役でい続けて、各アバターの成長の伸びしろを完全に伸ばしきった者達だ。
あらゆる事情や環境によって引退する者が続出していく中で、振るいにでもかけられたかのように残りつづけていった彼ら彼女らは個人差や方向性の違いこそあれども、いずれも多くの経験を積んでプレイヤースキルも高められた猛者と言っても良い。それが最古参組と称される者達だ。
そんな最古参組のアバターはこの世界にとっては強力だ。
この世界でプレイヤーのアバターである事は一定以上の優位性を獲得できる。少なくとも、本来の人間の姿のままこの世界に放り出される事に比べればとれる手段も立ち回り方も断然多い。故の安心感がある。
仮に最古参組が何某かの危険に見舞われても、最悪そのアバターの性能で無理やり押し通す事だって出来てしまえるだろう。使い方次第では、良くも悪くもこの世界に多くの影響を及ぼす事が可能の筈だ。それこそある種の神や悪魔に近い存在と捉えられなくもない。
だが、その最古参組もこの世界では狩られる対象に、それも非道の輩達の研究材料にされ、戦力にさせられる事が判明したのだ。心の底でどこか無意識に信じていた安心感は無くなり、強い危機感が本能的に主張し始める。
この状況でマグ・ショットが嘘をつく可能性は低いだろうとツェイトは判断している。こと非常事態でまで無駄に謀略を働かせて潜在的な敵をいたずらに増やすような事を好む男ではない筈だ。
だからこそツェイトはマグ・ショットの言葉を多少疑いつつも聞き入れたのだが、同時に疑問も生じた。
「マグ・ショット、奴らの事に詳しいみたいだが……」
狙われた事があるのだろうか。
そう問われたムカデの男は椅子に深く腰掛け、腕を組みながらツェイトに四つの眼光を向ける。
その時、ツェイトの気のせいだったのだろうか。マグ・ショットの赤い眼光の光度が僅かに暗くなったように見えた。
「不本意ながら、あの組織との“付き合い”は長くてな。個人的にも、“我々”としても。……今は昔ほど奴らも大きな行動をおこせないようだが」
「……何があった」
「恐らくだが、プロムナードの仕業だろう」
そこで何故プロムナードの存在が出て来るのか。
セイラムを他者に託した事と、関係があるのか。
ツェイトに眼で問われるマグ・ショットがその理由を話した。
「セイラムが生まれて間もない頃に襲撃を受けた話はしたが、続きがある。奴らの狙いはプロムナードとイヴ、そして襲撃をかけたタイミングからして間違いなくセイラムも標的に含まれているのは確実だ。撃退した後、産後すぐに息を引き取ったイヴはこのまま弔っても奴らが亡骸を狙いかねないからプロムナードが自身の手で利用されないように跡形もなく消した。赤ん坊だったセイラムもその時の機転でダミーを使って死んだように見せかけている。その後、プロムナードは私達に行先を告げずに生まれて間もないセイラムを連れて行方を眩ませた。……それから少し経った頃から各地で何かの建造物を破壊されている痕跡がいくつも見つかり出した。破壊跡からその跡地が霊長医学機関に関わる施設で、破壊したのは――」
「プロムナードだって、お前は言いたいのか?」
「見つけた跡地のいくつかが“超高温の嵐で掻き回された”ように一帯が焼き払われていたんだ。奴の能力や組織との因縁を考えればそう結びついてもおかしくはないだろう。多分、奴はあれから機関の施設を破壊して回っている」
堪らず、ツェイトは無言のままきつく目を瞑って俯いた。
親友を取り巻く事態の深刻さと、その痛ましさに胸が締め付けられる。
自分が知らないおよそ20年の間、プロムナードがこの世界で辿った道のりの一端から読み取れるものは平坦な物では無く、凄惨さがあった。
つい最近にリュヒトとグリースの様に平穏な家庭を築く事が出来た二人を見てきた事もあって、尚更プロムナード達三人の有り方の悲しさに滑車をかけて来る。
妻は短命により早世し、その亡骸を自らの手で葬り、娘は生まれて間もなく他者に託し、今も自身と娘は狙われ続けている。その心境は、如何なるものだったのだろうか。
「あの時のプロムナードの行動について考えていたが、あの娘の今までの暮らしぶりが判って大体はっきりした。多分だが、セイラムを守るためだったんじゃないかと思う」
マグ・ショットが仮説を語る。
「産まれて日が浅い新生児を連れ出すなど本来ならば正気を疑う行いだが、あれも襲撃で拠点を失った私達への後ろめたさからの行動だったのかもしれない。私達の元から姿を消す前の奴は、色々と思いつめた様子だったから、あの男なりに悩んだ末の決断だと私は見ている」
話を聞いているツェイトは俯いたまま何も話さなかった。
話が耳に入らなかった訳ではない。マグ・ショットの話を聞きながら、己の心の動揺を抑えて感情と情報の整理を行っているのだ。
マグ・ショットはツェイトの態度に何かを言う事も無く、その様子を静かに見るだけに留めている。
あくまで今の話はマグ・ショットの推察から組み立てられただけの仮説に過ぎない。
だが、この男自身の素の能力と、そのアバターが最終的に就いていた職業が持つ能力の多様性によってその言葉に信憑性を与えている。
なのでツェイトはこの仮説に大きな過誤のない確度の高い情報なのだと感じている。
プロムナードはセイラムを預けた老人を、ウィーヴィルという男の人柄を信じていたのだろう。
短い期間だったが、ツェイトがカジミルの村で見たあの老人はセイラムを自分の娘として接していたし、思いやっていた。その結果が今のセイラムの有様に反映されているのだろう。
セイラムは心身ともに健やかそのものに見える。そこに育て親としての愛情を感じたのはツェイトの見間違いでは無い筈だ。
ツェイトは今も憶えている。あの時、村を発つ前夜で見たウィーヴィルの顔。己の無力さを悔やみながら苦渋の顔でツェイトにセイラムを託したあの姿を。ツェイトはあの姿を忘れない。
(プロムナード、お前もそうなのか)
葛藤と苦悩の果て、導き出した結論が産まれたばかりの我が子を自身の側から離れさせ、その子を脅かす存在を根絶やしにする為に一人で戦う事を選んだのか。
あの時、この世界へプロムナードと同じタイミングで来れていれば違う結果になっていたのだろうかと、過ぎた可能性がツェイトの脳裏を過ぎってしまう。
つかの間の沈黙、そして二人の男が口を閉ざした静寂を破ったのはツェイトだった。
「……プロムナードとセイラム、そして“彼女”の話をしてくれてくれた事、礼を言う」
マグ・ショットにはプロムナードに関わる事で色々と尽力してもらったようだ。
我が身に起きた事ではないが、借りが出来た。ならば何某かの形で返すべきだろう。ツェイトの培ってきた道徳観念がそう判断させた。
プロムナードのこれまでの軌跡の一端を知り、セイラムの出生を聞く事が出来た。
そうした上で、自分がするべき事を考えながらツェイトは口を開く。
「いくつか確認をしたい。俺達はプロムナードを探すために旅をしている。今後もそれを主軸にして動きたいと思っているんだが、それでそちらの活動に支障は出ないか?」
「構わない。此方にお前を無理に拘束する心積もりはない。何かあれば此方から接触して随時依頼する」
変に拘束力が無い事を確認したツェイトが了解の意を込めて頷く。
そしてある意味、ツェイト達にとってある意味一番問題である問いを内心緊張しながらながら投げかける。
「……それと、俺達は妙な組織に狙われている。多分、霊長医学機関かもしれないんだが、それでも俺を引き込むつもりか?」
ツェイトが口にするまでもなく、マグ・ショットは一連の流れから既に分かっているだろうが、事前確認だ。
これからツェイト達はマグ・ショット達に厄介事を押し付けてしまう事になるかもしれないのだ。例え知古の間柄とは言え、大きな被害を被らせるような隠し事を何も言わずに持ち込めば、関係は破綻して最悪敵対関係へと変貌する。
それに加えて、マグ・ショットにはNFOでの頃とこの世界でのプロムナードの件があるから、尚の事誠実さに欠けた態度を取る事をツェイト自身が躊躇った。
「それこそ私達にとっては今更の話だな。元々奴らとは遭遇次第戦う間柄だったんだ。その関係に多少の変化が起こった所で誤差の範囲だろう。むしろ個人的に言えば、お前とこうしてこの世界で繋がりが出来る事の方がありがたい」
ツェイトが自分達に付きまとう危険性を述べてもツェイトを引き込もうとするマグ・ショットの意志は強いようだ。
そうであるならば、ツェイトからこれ以上言う事は無い。
他の初対面のプレイヤー達の集団へ身を寄せる事に比べれば、多少腹の底が読めなくとも気心の知れたプレイヤーの方が頼りやすい。そしてプロムナードを知り、彼の話を聞けた事で腹は決まった。
「……そこまで言うのなら分かった。俺もプレイヤーと渡りを付けたかったところだ。よろしく頼む」
静かに頭を下げて、ツェイトは此度の誘いを承諾した。
恐らく、この男と手を組む事がセイラムを守りながらプロムナードと再会する最短の道である。故の打算が含まれた選択だが、マグ・ショットはそれも承知済みなのだろうとツェイトは予感する。
「それは重畳。私も昔の頃と同じように良い関係を築いていきたいと思っている」
“私がお前達を利用する、だからお前達も私を利用しろ”。かつてNFOの頃に自分達を勧誘してきた時の言葉をツェイトは思い返す。
人情味の無い酷く乾いた言葉だったが、あれはあれでマグ・ショットなりの友好の示し方だったのだろうと後にプロムナードとギルドに所属して活動する内に理解する。
「さて、お前から色よい返事を貰ったからもう少し此方としても話しておきたい事があるんだが……その前にちょっと待て」
そう言って、マグ・ショットはテーブルの上で映像を投影させたままだった端末を手に取って映像を消し、端末に何か操作をすると口元に近付けた。
「“リンクル”、もう良いぞ」
その端末は、通信機器としての機能も備わっていた。
聞き覚えのある名前を端末の向こうにいる相手へそう告げると、施設内部に変化が起きる。
眼に見えて変わってことは無いが、今までマグ・ショットとイッキくらいしか感じられなかった気配の数が数名増えたのだ。現在ツェイト達がいるフロア内、そして上下階にぽつぽつと何かが居るのをツェイトの気配探知が認識している。
今しがたの端末でのやり取りと、マグ・ショットの性格からツェイトはこの気配の増加の理由に勘付いた。
「……そうか、避難させていたのか」
「最悪交渉失敗でお前と戦う事も想定していたから、施設からプレイヤーをいつでも退避出来るようにしておいた」
悪く思うなよ。そう言いながら端末を置いて自然体を維持しながら椅子に腰かけている目の前のムカデの男に、ツェイトは気分を害する事こそなかったが呆れと感心がない交ぜになった溜息をついた。
何となく、それくらいの警戒はこの男なら普通にやるだろうとは思っていた。そして恐らくは時間稼ぎもこの男は場合によっては一人でやるつもりだったのかもしれない。それだけの実力をマグ・ショットは有しているのをツェイトは過去に身を以て知っている。
「別に気にしてはいない。俺だって自分の力が現実に実在した時の危険性は身に染みているからな」
終始一貫して警戒していたのなら、当人の前でそれを打ち明ける必要はないだろう。マグ・ショットならばそれを悟らせず、もっと悪辣な手段を取れた筈だ。
それを態々当人の前で警戒を解いて見せたのは、マグ・ショットなりの誠意の見せ方なのだと解釈しておく。
「リーダーの立場も楽じゃなさそうだな」
「仮にも組織のトップを務めているんだ。最悪の事態を想定して身内の安全を確保する責務がある」
さも当然と言う態度が返って来る。
どうやら面倒見の良さはNFOの時から変わっていないようだ。
それが分かっただけでも、この男と再会出来たのは正解かなと、ツェイトは皺の寄った眉間を揉み解しながら少し体の力を抜いた。
セイラムのお母さん(故)登場の回でした。
ご息女は父親似のようです。今のところは。
ちなみにプロムナード(夫)、イヴ(妻)、セイラム(娘)の三名の名前は皆実在するたばこの銘柄からとっております。
当作品をご覧になって評価、ご感想いただけますと嬉しいです。