第41話 コネクションヘッド
お待たせいたしました。
ディスティナを離れた夜の街道を、ツェイトとセイラムはシチブの誘導のもと進んでいた。
山や森の隙間を縫うように少し拓かれたその道を、各々が砂利を踏みしめる音とシチブの背負った大きなバックパックについた金具から鳴る音だけが聞こえてくる。
三人が通る街道の周辺には他に通行者の姿は無い。
夜に活発化するモンスターや夜闇に紛れて無法を企む者達が潜む危険性が高くなる時間帯なので、余程喫緊の用事があるのか、安全が確立されてる場合でもない限りは日が昇っている間に出発する者の方が自ずと多くなる。
だが、それを狙っての夜間行軍である。ツェイト達がこれから目指す場所は衆目に晒されてはいけない場所だ。プレイヤー達が国に知られず住まう土地だ。目耳の少ないその時間帯はツェイト達にとって都合が良かった。そういう都合もあって、ツェイトは目立たない昆虫人の姿のままでいる。
だからといってこのまま徒歩でのんびり行脚と言うわけにはいかない。此処から先は特殊な方法で目的地へ向かうのだ。
懐中電灯によく似た筒状の照明を片手に夜道を歩いていたシチブは、周囲に自分達以外に気配が無い事を確認すると照明を消して手袋に包まれた手で街道から外れた森を指差すと、そちらへ行先を変えて進んでいく。
「なぁツェイト、これ本当に大丈夫なのか?」
それに従ってついていくツェイトとセイラムだが、セイラムの方は半信半疑の様だ。隣で歩くツェイトに控えめな声で話しかけて来た。
一応、事前に理由や方法についてはぼかしながらの説明は受けているが、夜の街道から道の無い暗い森の中を歩かされれば、経験のない者ならば疑念の一つも抱きはするだろう。
「別にお前さんなんぞ取って食いやしないっての」
聞こえないように話したつもりなのだろうが、シチブには丸聞こえだったので想定されていなかった返事にセイラムがギクリとする。
それを肩越しにちらりと見たシチブだが、すぐさまに脚を止めた。どうやらここで“やる”つもりの様だ。街道から外れて木が目隠しになっているこの場所は、とても都合が良い。
コートのポケットに手を突っ込んで、取り出した物を二人に手渡した。
「おら、これ持っとき」
渡されたものは、全体に鳥の羽を模した模様が刻まれた楕円形に形成された手の平に乗る程度の緑色の石だ。
「しっかり持ってろよ。うっかり落としたら取り残されるからな」
石の正体を知っているツェイトはそれを一瞥した後は自然体のままシチブを待ち、不思議そうに石を見ていたセイラムはシチブに言われて強く握り締めている。
「いいかセイラム、これには準備が必要でな、いや大したことじゃないんだが……まず耳を手で塞いで眼と口を全力でかっ開き、つま先立ちで前かがみになりながら尻の穴にギュッと力を入れて――」
「いいから早くやれ」
そんな手順を踏む必要が無い事を知っているツェイトが半目でシチブに催促した。
一瞬、ツェイトはシチブの言葉通りにやっているセイラムの姿を想像しかけるが、即座に頭を振ってそのイメージを掻き消す事に成功する。
肩を竦めたシチブはコートの内ポケットからツェイト達に渡した石によく似た――しかし金属製のフレームがはめ込まれ、鎖で繋げられている違いのあるそれを取り出して口元に近付けた。
「んじゃ気を取り直して――帰還」
「……え?」
最初に声を出したのは、この現象を初体験したセイラムだった。
シチブが石へ呟いた瞬間、ツェイト達の視界が夜の森の中から一転して、見知らぬ建物内と思しき構造物が広がる場所へと移ったのだ。
其処は縦横10m近くはある綺麗な正方形になっている様で、今ツェイト達はその中央にいる。綺麗に均らされた薄いねずみ色の床や壁、天井の材質はただの石というには艶があるが、しかし見た感じの質感的には金属とも違うようだ。繋ぎ目が見えないこの部屋の天井に埋め込まれた白色の照明灯によって鈍い照り返しが起きている。
部屋の中は天井の照明と、ツェイト達の目の前に見える壁面にドアらしき物体が備わっている意外に家具の類は一切なかった。極めて簡素で殺風景な造りの部屋だが、だからこそ、それらの一つ一つが無駄を省かれた異様さに少し不気味さを覚える。
呆けたように見回していたセイラムと一緒に部屋の内部を観察していたツェイトの手に異変が生じる。正確には、その手に握っていたものが、である。
石を握っていた手の隙間から微かに緑色の光が漏れているのだ。セイラムもそれに気が付いて、慌てて手の中の石を見る。
「……消えていく?」
淡く光りながら石はさらさらと崩れてゆき、その崩れた残りかすも光の粒となって消えて無くなっていった。
“跳躍石”と“ポータルストーン”。いずれもNFOにあったアイテムだ。
跳躍石は使用者が現在地のフィールド内をランダムに移動出来る代物だが、それを生産職プレイヤーが特殊技能で加工すると登録された位置へと何度でも転移出来るポータルストーンと連動させる事が可能で、対象のポータルストーンを発動させるとそれと同じ場所へ転移出来るようになるのだ。
前者がツェイトとセイラムに渡されたもので、後者がシチブが持っているものだ。跳躍石は一回限りの使い捨て仕様で、一度使うと消えてなくなってしまう。その結果がツェイト達の掌の中のものだ。
「ほれこっちだ。ついてきな」
部屋を見回しているツェイトと呆けているセイラムに声をかけながらシチブがドアへと向かう。
このドアもまたドアと称して良いものか一瞬躊躇われるものだ。壁面に高さ3m程度の長方形の溝が一か所あり、事前知識が無ければ壁の模様くらいにしか思わないだろう。
しかしシチブが近付くと、シュッと空気が吐き出されるような音を立ててその箇所が内側へ凹み、横へ壁に収納されるように素早くスライドして入り口が出来上がった。
蝶番ドアとは違う。類似しているのは引戸だが、その構造は手動のそれとはもはや全くの別物だ。
その未知の建具にセイラムと、そしてツェイトも面食らいながらシチブの後ろを付いて行き、そのドアをくぐって部屋を出た。
部屋を出たその先は3~4mほどの短い通路とその先に同様のドアがあり、風除室やエアロックの様な二重扉の構造になっており、更にそこを通ると大きな通路へと出た。
広がっているのは一本の通路だ。角の取れた四角い形状になっているのそこは、ハイゼクターのツェイトが3人横に並んで歩いても余裕がある。
どうやらこの部屋はフロア内でも端の方に位置する場所らしく、通路が一直線になっているので対となる端がすぐに見えた。両開き仕様の扉が設置されてるので、其処が別のフロアへと続く階段なりへと繋がっていると思われるが、その扉の横に設置されてあるものが目に留まったツェイトはピクリと眉を動かした。
この通路には向こう端にある部屋以外にはドアらしきものが見当たらないところからして、今出て来た部屋だけ孤立しているように思える。
もっと言えば、この通路もだ。どうして中途半端な距離を設ける必要があるのだろうか。何の意図があってこの様な構造にしたのだろうか? これの意味する所がツェイトは少しだけ気になった。
シチブの案内を受けて一同が歩く通路は、シチブのブーツとセイラムの脚に備わる脚甲の様な外骨格が硬質な床を静かに鳴らす足音だけが支配している。
発言を禁じられるわけではないのだが、案内されている二人は今いる場所の異質さに思わず口を噤んでしまっていた。
ツェイトは既視感があるので衝撃が小さく済んだが、セイラムは今まで暮らしていた場所とは全く違うからか、まるで異世界に迷い込んでしまった様な困惑した様子で歩くその動きは少しぎこちない。ツェイトはその気持ちが分かるので、彼女に少し同情した。
通路の方も先程の部屋と似た材質なのか、足袋を履いている今のツェイトの脚からは綺麗に加工したコンクリート床を歩ている様な感触があった。金属、というにはやはり何か違う。壁も同じ材質の様だ。
天井も同様だが、こちらは埋め込み式の照明が均等に設置された照明灯が通路の向こう側まで続いている事で明るさは確保されている。
大した距離ではないのですぐに向かい側の扉へと到着する。こちらにある両開き扉もスライド仕様のようだ。
そこで目を引くのが扉の横に取り付けられたボタン付きのパネル。
通路に入った時から既に肉眼で見えたが、こうして間近で見るとますます妙な気分にさせられる。どう見たってあれにしか見えないのだ。
思わず一歩引いて扉全体を凝視するツェイトの視線を無視してシチブがパネルのボタンを押す。すると、扉の奥から何かの動作音が微弱ながら鳴り出した。
すると程なくしてポーンと音が鳴り扉が開いた。
中は四角い箱になっており、天井には照明灯が付いている。入って来た扉以外に道は無く、行き止まり……と言うわけではない。セイラムはそう思っているようで中に入って辺りを見回したが、他の二人はそうではなかった。
ツェイトが部屋内の扉横を見ると、案の定複数のボタンが並ぶ操作盤があった。
「上へ参りまぁす」
「え……あ、ちょっ閉っうぉっ」
扉横に立っていたシチブの気の抜けた声にセイラムが反応するが、シチブが操作盤のボタンを押すと扉が閉まり、次の瞬間部屋全体に生じた圧力に驚いて身構えるなど忙しく慌てだした。
「お、おぉぉ??」
「大丈夫だセイラム。これは、多分、上に昇っているだけだと思う」
「う、上?」
狼狽えるセイラムを落ち着かせるよう冷静に声をかけるツェイトは今の状況を憶測で伝えるが、その内心では確信と共に自分が口にした言葉に毒づいていた。
(何が多分だ、どう見てもエレベーターだぞ)
ご丁重に扉の上部には位置表示用のパネルまで取り付けられてある。
明らかにツェイトがいた地球にある技術、自動昇降機械――エレベーターだ。ワイヤーロープを装置が巻き上げる電動と思しき機械音が微かに聞こえてくるので、現代の地球で普及されているそれに近い作りをしているのだろう。それも恐らく、高性能な代物だ。
奇妙な沈黙が続く部屋は、やがて目的の階へと到着したようで、ポーンと音を鳴らして部屋は停止し、扉が開いた。
開いた先は通路なのだが、先程までのものとは趣が違っていた。
全体的に通路内は最初の場所と同じくらい広く明るい。床へ均等に敷かれた石質の正方形タイルは黒鼠色だが、壁面や天井は清潔感のある白で統一され、それらもまた大き目のパネルではめ込まれた様に均一に作られていた。また、照明の色も先程の下の階よりも優しく感じる。昼白色、という奴だろうか。照度もゆるく調整されているようで通路内の明るさにも角が無い。
この階に来てから、少し生活感が感じられるようになった。シチブに連れられて進む通路の最中には個室に繋がるドアが見えるようになりはじめ、観葉植物まで置かれているのが見える。
(何なんだ此処は……雰囲気が違いすぎやしないか)
どう見てもツェイトのいた現代の地球で見られる建造物内のそれに酷似している。あまりにも技術が隔絶しているのだ。ツェイトがこの世界に来てから今まで目にして来たワムズやアルヴウィズ等の建造物などとは明らかに一線を画していた。
今までの建築物は中世的な趣が強かったが、今視界に広がるものはそれよりも先の時代の技術――近代工法が用いられているのだ。
かつてこの世界は高度に発達した文明が滅んだ過去を持っているらしいが、これらはその文明の名残か。それとも、此処にいるプレイヤー達の仕業か。
他にも気になるのは人の気配だ。
通路に今の所誰も見当たらないが、この階に来てからツェイトはこのフロア内に何かがいるのを気配で察知出来た。
数はたった二人。距離的に、恐らく目当ての人物がその内の一人と思われる。この人数の少なさは何なのだろう。他のプレイヤー達は何処にいるのだろうか。
今、案内役として前を歩いているシチブに色々と言いたい事が喉元まで出かかっているが、ツェイトはそれを飲み込んだ。必要な事を喋る女ではないし、恐らくこれから会う人物にまとめて訊ねた方が早い。答えてくれるかまでは、何とも言えないが。
そうして直線といくつかの曲がり角を進み、目的の場所へと到着するもその前にいる存在に。
ドアが左右にある事から両開き仕様なのだろう。扉には“所長室”とこの世界の文字で彫り込まれたネームプレートが埋め込まれている。気配も此処から感じられるので間違いない。
(数は二人。一人は確定しているとして……もう一人は“彼女”か?)
NFOでは、彼のプレイヤーの補佐をしていたプレイヤーがいる。
二人いるという事は、そのプレイヤーの存在を思い出すのだがはたして。
しかし、何故所長なのだろうか。ツェイトはこの建物の持ち主であろう人物が名乗る役職と言うか呼称に、違和感を覚える。
「おっす、ツェイト連れて来たぞ。後は任せる」
ドアの横にある装置――インターホンを押してシチブが声をかけると、特に返事もなくドアが左右にスライドして開いた。
しかし、開いた先にも2m程の距離を空けて似た扉があった。ここも二重扉になっているようだ。
「とりあえず、私の仕事はここまでだ。後は向こうで聞きな」
扉が空いたのを確認したシチブはそう言って、帽子の被り具合を正しながら二人を見た。
どうやら彼女が同行してくれるのは此処までのようだ。
「シチブはこれからどうするんだ」
「お外でお散歩だわな」
という事は、再び行商に扮して連合国内を歩き回るのだろう。
思えば、シチブと出会えたから他のプレイヤーと渡りがつけて、セイラムの槍や擬態用の道具の都合がついた。
本人的には仕事の一環でツェイト達と接触した所が大きいのだろうが、この巡り合わせには感謝せねばなるまい。
「色々と助かった」
「じゃあ次は何か私から買えよ。割高で売ってやるから」
「……そこは割安じゃあないのか」
「はっはっは、じゃーなー」
身を翻し、シチブは棒読みで笑いながら手をひらひら振って、気楽な様子で去って行ってしまった。
何だかよく分からない内に別れてしまったが、多分、あの言い方だとこれからも会う事になりそうなのでまぁ良いかとツェイトは気を取り直して、セイラムと件の人物と会うべく中に入る事にした。
近付いた人物を認識して自動で開く扉をくぐると、広い個室がツェイト達を出迎えた。
色調は通路と同じく白で統一されている。この施設全体がこうなのだろうか。
部屋の面積はざっくりと60㎡以上はあるかもしれない。目立つのは部屋の中央にある10人位が寛げるようにソファーとテーブルが設置された空間だ。一段下に下げて作られているにもかかわらず、他の空間に大分余裕がある。
他にも所々で散見される洒落っ気のあるデザインは、部屋の主の趣味が反映されているのだろう。ツェイトはかつてNFOでもギルドの拠点で似たような雰囲気の部屋を見た覚えがあった。
そして奥には座った人を囲うような楕円形のデスクがあり、整頓されたその上には薄い2枚の板を組み合わせてL字にしたもの――恐らくPCに類似する機器が置かれている。
「懐かしい顔が来たな」
そこに件の人物達がいた。ツェイトの予想通り男女の二人組だ。
ツェイト達が入室したのを見るや男が席から立ち上がり、女を伴って歩いて来る。
二人が歩くたびに床のタイルを叩く足音が広い部屋の中を静かに鳴り響く。
一つは女のヒールだ。コツコツと均一に床を軽快に叩く音はする。
もう一つは、男の外骨格で形成された脚の音。硬質物が床を重々しく叩くような音は、人工物ではなく生物の重量からくるものだ。
近付いて来るその人物達の姿に、青ざめ顔をひきつらせたセイラムが後ろへと後ずさってしまった。
無意識なのか、ツェイトの装束の端を掴んでいる。
「……姿を変えるくらいしておいた方が良かったかな」
「だから言ったのですよ。慣れていない娘が来るのは分かっていたのですから」
セイラムの反応に男は呟き、それに女が少し批難しつつやって来る。
二人ともその姿は異形としか言いようのない外見をしていた。
一人は人の形をした薔薇と称するのが良く似合う女の異形。
身に纏うのは上下漆黒のパンツスーツ。所々に薔薇と茨を思わせる意匠が散りばめられている。
顔はほぼ左半分が黒い薔薇の花弁で形成され、右半分と口元は青白い肌の女性の顔をしているが、後頭部から背中まで伸びる頭髪が黒く細い茨で形成されており、側頭部側の一部の茨が顔へと伸びて隈取模様を描くように這ってある。
茨の間からのぞく眼は赤一色の美しく研がれた宝石の如く輝き、ルージュをひいた様な黒い唇は引き締められていて、彼女の生真面目な気質が垣間見える。
男の半歩斜め後ろの位置を保持しながら歩く姿は同に入っており、青白い肌に黒い爪の細く整った手には腕に収まる大きさの少し厚みのある板――恐らく此方も何らかの情報端末機であろうそれを脇に挟んで持つ佇まいは、服装も相まってさながら出来る秘書の様である。
異形の女の名はイッキ。NFOの頃から男のパートナーとして側にいたプレイヤーである。
「擬態の体には慣れたか? あの体格では面倒だろうからな」
男の声から推測される年齢は、ツェイトと同年代位だろうか。静かな、それでいて重みのある声色には知性と品性が感じられる。
もしこの声の主が、人間であったりこの世界で暮らす通常の種族達であったならば、さぞかし教養のある人物なのではあるまいかと想像がついただろう。
しかし、目の前の男の姿はそのような声とはあまりにも結びつかなかった。
目にする者を凍り付かせるような悍ましいムカデを人の形にした異形だった。
猛毒を彷彿とさせる暗い赤紫色の外骨格は、2m半ばまである引き締まった長身の筋肉に沿うように纏われており、限りなく人体のシルエットに近い。
その上からあばら骨の様にも見える細く鋭い黒みがかった金色の外骨格が、両手足と胴体にいくつも巻き付いて歪な蛇腹の様相を呈しているが、よくよく見ればそれら全ての正体は全身から生える細い節足が巻き付いている事だと分かる。
腰部から伸びる蛇腹状になった二股の尾の先は槍の様に尖り、持ち主の歩みと共に長いそれがゆらりと揺れている。
更に異彩を放つのはその顔。顔の上半分が“透けている”ので、内蔵物が丸見えなのだ。
人体で言う所の顎関節近くから口元へと太く鋭い牙の付いた外骨格式の顎が口元を守るように伸び、その奥にある口は別の外殻でマスクの様に覆われている。
上半分は透明なつるりとした外殻で覆われ、中には人間の頭蓋骨によく似た白い外殻で形成された顔が見える。人間と違うのは眼窩が通常の位置の更に上にもう一組の計4つ、それらから亀裂の様な眼光が血の色に似た赤い光を灯している。額から節くれた触覚が透明な外殻を突き抜けて伸び、山羊の角の様な形を成して姿と相まって、禍々しい悪魔の如き印象を与える一因となっていた。
しかしその実体は悪魔ではなく、ツェイトと同族のハイゼクター、ペルビアンジャイアントオオムカデ型ハイゼクター。
この男こそシチブの雇い主であり、この世界に流れて来たプレイヤー達が集まるコミュニティの一つを取りまとめている者。
かつてNFOでは、大手の一角を担ったギルドのトップ。
ギルド「オービタルコネクション」のリーダー、“マグ・ショット”その人とツェイトは異界の地で再会する。
「はじめましてお嬢さん、私の名はマグ・ショット。そこの男とは古い友人でね。そして私の横にいる彼女はイッキ、私の助手を務めてくれている」
「どうぞ、よろしくね」
ツェイトとの挨拶もそこそこに、マグ・ショットがセイラムへと挨拶をした。その物腰はツェイトが記憶しているなかでもとりわけ優しく見えた。ほぼ髑髏顔の異形の姿故に、表情がほぼ読み取れないのだが。
イッキが紹介を受けて挨拶をするのだが、その黒いルージュがひかれたような口元には笑みが浮かんでいる。
NFOの頃からの付き合いで二人の人となりを知っているからこそ、ツェイトはこのソフトな対応に何か裏があるのではあるまいかと訝しんでしまった。ゲームの世界ではあったが、大人数で構成された組織のトップで謀もこなしていた二人だ。駆け引きや腹の探り合いなどはツェイト達と比べれば手慣れているだろう。
それと先程の挨拶から感じる二人のセイラムに対する感じ、それに何か既視感を覚えるのだ。それが明確に表現できない事がツェイトは歯痒い。
対するセイラムはと言うと、二人の異彩を放つ異形の姿に気圧されて体がガチガチに硬くなっていた。
イッキはまだ良いとして、マグ・ショットの姿はどう低く見積もっても他者を害する怪物のそれだ。見慣れているツェイトはともかく、この世界の住人が初めて見た場合、どう目に映るのかは今のセイラムの態度を見れば一目瞭然である。
「あ、こ、こ、こ、ちにぇっ」
「セイラム、もうちょっと肩の力抜きな」
呂律が回らないという言葉のいいお手本を見せている。全く言葉が成立していなかった。それにまだツェイトの装束を掴んだままである事に彼女は気づいていない。
その様子を見ていたマグ・ショットの四つの眼光が細まったのにツェイトは気づくが、その心情までは読めなかった。
「まずは、そっちで話そうか」
そう言って誘われた場所は、部屋中央のソファールームから少し離れた場所に設えてある六人席のテーブルだ。金属製の脚とフレームに硝子の天板が乗せられたスマートな仕様である。
そこに現在この場にいる中で最も大きなマグ・ショットでもゆったり座れるチェアと幅が確保されている。
腰部分の背面が空いており、肘付なので座面はそこと繋がっている不思議な造形だ。しかしマグ・ショットの尻尾に対応している様で、マグ・ショットが席に着くときその隙間に器用に尻尾を通し、尻尾を動かしながら具合を確認していた。
「ちょっと失礼」
皆が腰かけたタイミングで、イッキが指を鳴らした。
突然の挙動に疑問を抱く暇もなく、テーブルの上に音も無く4人分のお茶と茶菓子が置かれた。
柔らかい画風の茨模様が描かれた円柱状の透明なガラスのコップに注がれたのは、冷えた緑茶――所謂アイスグリーンティーだ。中には小さな氷が数個、コップにはコルク製のコースターが敷かれてある。
そしてテーブル中央に置かれたガラスの皿には、白みがかった赤や黄色、緑と賑やかな色合いのイガっぽい粒状の砂糖菓子――金平糖が盛られていた。
「ワムズで評判の店から取り寄せた品だ。口に合えばいいが」
お茶と菓子がが出て来たからくりは分かっている。魔法で別の場所から持ってきたのだと思われる。イッキは魔法系の上位職を極めているので、これくらいの芸当なお手の物なのだろう。此方の世界でもNFOの魔法関係の技能は使えるらしい。
そう言えばこちらの世界でプレイヤーが魔法を使ったのは初めて見たとツェイトは観察しているが、セイラムは仰天した様子で目の前のコップやお菓子をまじまじと見ていた。
ツェイトはちらりとテーブルに並ぶ品々を見る。どちらも美味そうだ。
アイスグリーンティーは透明感のある緑色を保ちつつ、僅かにコップの底に細かい茶葉の沈殿物が見られる。氷で冷やされたそれは飲んだ者の心と体を涼やかに潤してくれそうだ。
金平糖は現代日本でよく見る明るい透明感のあるものではなく、恐らく昔作られた感じなのだろうが、全ての粒の形が均一で綺麗に作られているので手間暇がかけられていると思われる。
そして二人を見る。気のせいだろうか、セイラムに意識が向いている様に思えるのはツェイトの同行者と思われているからか。
……悪意はない、様に感じられる。特に二人のセイラムへの態度は、負の感情とは違うものをツェイトは感じている。
あまり疑いすぎるのも疑心暗鬼が過ぎるかなと、ツェイトは遠慮して手を付けていないセイラムへの毒見も兼ねて、金平糖に手を伸ばした。
3粒ほどつまんで口へ運び咀嚼する。小気味の良い音を立てながら噛み砕き、グリーンティーを口にして流し込む。
「ん、セイラム、これ美味いぞ」
「あ、あぁ」
味自体に問題は無く、普通に美味しいお菓子のでツェイトはセイラムにも勧めると手を付け始めた。
初めて見る菓子なのか、ひとつまみした彼の砂糖菓子を見つめ、齧りはじめる。
少し、顔の強張りが少し柔らかくなった。どうやらセイラムの好みに合ったらしい。
空気がほぐれてきた所で、マグ・ショットが話しかけて来た。
「色々と活躍しているのはこちらでも耳にしている。活動を始めてからひと月も経たずにクエスターの三本線に昇格した事、まずは祝わせてもらおうか」
椅子に体を預け、両手を胸の高さで軽く組むマグ・ショットは感情の見えない血の色をした鋭い眼光をツェイトとセイラム二人に向けている。白が基調となっているこの部屋の中において、ある意味真逆をいくマグ・ショットの姿が非常に違和感を放っていた。隣で座るイッキの方が遥かに馴染んでいるように見える。
そのイッキは持っていた情報端末機をテーブルに置き、礼儀良く座っている。会話はマグ・ショットに任せて聞き手に徹するつもりらしい。
マグ・ショットはシチブ経由で報告を受けていたようだ。
この人物がこの世界に来てプレイヤー同士の集団を作っている事を知ってからは、おそらく自分の事もある程度把握しているんだろうなとツェイトは殆ど確信していた。
……それと、この頭の回る男が何処までこちらの事を知り得ているのか、そして何を考えているのかが不安材料ではあるが、今更どうにもならない事なので、今は話す手間が省けたという認識に留めておく。
「巡り合わせが良かったんだ。それと運にも恵まれた」
「奇遇だな、今の私も幸運に恵まれているらしい。お前と会えた巡り合わせとやらに感謝したいくらいだな」
顔では分からないが、声からするに機嫌は良さそうだ。
元々何を考えているのか分からない所のある男だったが、ツェイトは彼の雰囲気がNFOで最後に会った時から変わったような気がした。
何と言うべきか、年季や貫録と言った、年月の積み重ねによる経験と精神の成熟からなる重厚感のある気配がマグ・ショットから感じたのだ。
この男、この世界に来て一体何年過ごしてきたのだろう。そんな疑念がツェイトの脳裏を過ぎる。
このプレイヤーとNFOでの仲は悪くは無く、むしろ良い方だった。それでもこの男の一挙手一投足を密かに怪しんでしまうのは、此処がゲームではない事と、隣にセイラムがいるからか。
「俺に会いたいっていうのは、旧交を温める為だけに呼び出したわけじゃないんだろ?」
回りくどい事は抜きにして、ツェイトは本題を話してもらうよう催促した。隣にセイラムがいるので、変に踏み込んだ話題になるとプレイヤー関係のキーワードが漏れてボロが出てしまいそうだったのもある。
ムカデの異形が椅子の後ろへ通した尻尾をゆらりと動かしながらその問いに答える。
「ツェイトの力を借りたい」
「具体的にはどういう内容になる?」
「指定した遺跡や地域への調査、モンスターの討伐、対象人物の護衛、中には毛色の変わった内容を依頼する事にもなるかもしれない」
(多分、全部プレイヤーに関わる事なんだろうな)
マグ・ショットの言葉の中に含まれた内容は、プレイヤーに関係する事なのだろうとツェイトは察した。
それが明言されないのは、やはりこの場にプレイヤーではないセイラムがいるからだろう。
「形式的には私の知人の商会からの指名依頼という事になる」
知人、と言うのは嘘なのだろうとは察せられた。
以前アルヴウィズでリュヒトからこの男が会社を起ち上げていると言う話は聞かされていのだ。あくまでプレイヤーとは関係のない、この世界の現地人同士としての体での会話で通すらしい。しかし、それに対して自営かそうでないかがどう関係するのかまでは分からない。
「指名依頼をしてくれるのは良いとして、もしこちらの都合が会わないような場合はどうなるんだ?」
「そこは要相談だ。別の奴に任せるという手も取れる」
「そっちに“お抱え”のクエスターでもいるのか?」
「数は少ないがな。ヒグルマを引き込めればよかったんだが」
ヒグルマについては転移してすぐに政府の関係者と接触せざるを得ない状況にあったので仕方がない所が多く、これは運が悪かったと思うしかない。
しかしそんなマグ・ショットの言葉だが、恐らく数は少なくとも転移してきているプレイヤーが皆“最古参組”であるならば、その質は計り知れないだろう。
戦闘力やその他の技能や異能、この世界で使えば如何なる形にせよ非常識な結果を齎せる事はツェイト自身も自分の力で確認済みである。
ツェイトの目の前に座る二人も該当する。特にマグ・ショットだ。この男が悪意を以て本気で力を発揮したら、世界は地獄に塗り替えられるだろう。それだけの力が、この男にはあるのだ。
「此方からの依頼の報酬は弾もう。なにぶん“他の連中”では出来ない仕事だからな。――例えばお前の場合、プロムナードの行方とかかな?」
ピクリと、ツェイトは自分の額にある昆虫人特有の触覚が動いたのに気付いた。
「……知っているのか?」
「あの男とは以前会っている」
無意識に、息を止めて目を見開くツェイト。
この男はプロムナードに会っている。親友の手掛かりが見えて来て、気持ちが明るくなるツェイトだが、マグ・ショットの続ける言葉で冷静になる。
「と言っても、今は私の方でも奴の足取りが掴めていない」
ぬか喜びをしたような気分になってしまい、ツェイトは少し気落ちする。
しかし、プロムナードの情報を持っていたマグ・ショットと接触出来たのは僥倖の筈だと前向きに考えた。
「だが、少なくとも死んではいないだろう。あの男の事だ、そう簡単にくたばるほど可愛げのあるタマじゃないのは、お前の方が良く知っているだろう」
「まぁ、確かに」
マグ・ショットが言っているのはアバターの性能云々ではなく、中の人としてのしぶとさだ。ツェイトもそれには同意する。
プロムナードというプレイヤーの強さは、アバターの性能も強力だが、その最たる点は精神面だったり粘り強さにあるとツェイトは思う。とにかくしぶといのだ。
仕様もない所でギャグかコントみたいな間抜けな姿を晒す事もあるプロムナードだが、いざと言う時に見せる集中力と、ぎりぎりまで追い詰められても折れずに鋭さを増すメンタルの強さにツェイトは舌を巻いた事がある。
なのでプロムナードがこの世界に放り出されても、あいつなら何とかやり過ごしているんじゃないかと言う信頼と安心が多少はあったのだ。それでもなるべく早い内に合流したい事には変わりはないのだが。
その為にもまずはマグ・ショットから話を聞けるようにしなければならないのだが、そのマグ・ショットが意味深な事を口にした。
「それに、今あの男は意地でも死ねない身の筈だ」
それはどういう意味かとツェイトが問おうとした時、マグ・ショットの視線が横へ少しずれていた。隣にいるセイラムを見ているのだとツェイトは気付く。
視線につられてツェイトもセイラムを見た。
会話に参加できないので、さっきまでちびちびとお茶と菓子をつまんでいたのだが、いつの間にか酷く眠そうに目を細めながらうつらうつらと体が不安定に揺らしているのだ。
セイラムの様子を見たマグ・ショットが隣の席のイッキへ訊ねる。
「イッキ、今何時だ?」
「21時を過ぎています」
テーブルの上に置いてあった情報端末の表面に指を滑らせて操作しながらイッキが答える。ツェイトは時間表記だとか、そう言ったものについてはもう驚かない事にした。
それを聞いたマグ・ショットがツェイトに提案してきた。
「居住用の個室がいくつか空いている。今日はもう遅い、泊まっていくか?」
考えてみれば、夜中なぞいつも寝ている時間だ。此処へ来るまでに仮眠を取ったわけでもないから、セイラムの眠気がおかしくはないとツェイトは思うが……ほんの少しだけ違和感を覚える。マグ・ショット達と会った時はその容姿のせいで緊張状態が続いたのだが、睡魔に見舞われるのがちょっと急すぎやしないだろうか。思いの外セイラムの神経が図太いのか、それとも茶菓子を食べている内に落ち着いて気が緩んだのだろうか。
とりあえず宿を取っているわけでもなく、マグ・ショットともっと話をする必要があるためツェイトはその提案を受けても良いと思っている。
「セイラム、どうする?」
だがその前に、セイラムの意思も確認しておかなければならない。睡魔と意識が戦っている最中のセイラムへツェイトが訊くと、首を上下に大きく揺らす動作が返って来た。
要領を得ない返答だったが、気力を振り絞った了承の合図とみて間違いはなさそうだ。もう眠気が限界に来ているらしく言葉すら出ない。
「じゃあ世話になる。まずはセイラムを寝かせてやってくれないか」
「あぁ。イッキ、彼女を連れていってくれ」
「分かりました」
イッキが席を立ち、今にも倒れ込みそうなセイラムを支えながら部屋から出て行った。
その後姿を見送り、通路を歩いて行くセイラム達の気配が遠ざかっていくのをツェイトは気配で感じ取る。エレベーターとは逆方面に向かっているので、このフロア内にある個室へ案内するのだろうか。
そこではたと、ツェイトはある事に思い至る。セイラムを襲う睡魔について、ある可能性に気が付いたのだ。
「マグ・ショット、お前」
ツェイトが振り向いてマグ・ショットを見る。当人は椅子に腰かけたまま二股の尻尾をゆらゆらと揺らしながら答えた。
「明日は気持ちよく起きれるだろう。心身ともに全快する事は約束する。どうやら怯えさせてしまったようだからな、ちょっとした挨拶代りだ」
眠気の原因はこのムカデの異形だった。
此方に事前の承諾も無しにやられた事に少しだけ批難したくなる気持ちが沸くが、恐らくマグ・ショットが言っている事は建前みたいなものなのだろう。椅子に座りなおしたツェイトは今のこの状況こそが狙いだったのではと考えて言葉を返す。
「……プレイヤーとしての話もしたい、からか?」
ツェイトの答えは満足のいくものだったようだ。マグ・ショットが四つの鋭い眼光を緩く細めた。
「理解が早くて何よりだ。あの娘には悪いが、この場に居続けられても話し辛いからな」
「イッキは良いのか?」
「多分あの娘の側にいるだろう。話は私とお前でやり取りできれば十分だ」
「……わざわざ付かせているのか?」
何故イッキをわざわざセイラムのもとに待機させたのか。ツェイトはその対応を不思議に思った。
これを純粋な好意とはたして捉えいいものだろうか。それとも調査した遺物とセイラムとの関係で何か気付いたのか。もしくは……。
普段から眉間に少し皺の寄っている無愛想な顔に険しさが生じる。一瞬、最悪の事態を想定してしまったのだ。
そんな様子を静かに見ていたマグ・ショットがツェイトの考えを言い当てた。
「私達があの娘を人質に取っていると思ったか? 安心しろ、あの娘へ害意は無い」
「じゃあなんでイッキを付かせる必要があるんだ。寝かせるだけなのに」
「単純に心配しているというのはある」
だが、帰って来た言葉が予想していたものと違っていた事でツェイトの片眉が上がった。
「……此方の事情を知らないのに心配してくれているのか? 初対面の筈だが」
「いや、私達とあの娘は初見じゃない。向こうはこっちの顔を覚えている筈は無いだろうがな」
ツェイトは訝しんでマグ・ショットの顔を見た。
表情や態度が一向に変わる様子が無い。本人の気質もあるのだろうが、全く内面を読み取れる要素が見当たらないのでその真偽を見極める事が非常に難しい。
元々NFOでも腹の底が見えない所のある人物だったが、此方の世界で再会してからはそれが顕著になった気がする。
セイラムは赤ん坊の頃に父親のプロムナードの手によってウィーヴィルに託され、彼の手で山村の娘として育てられている。ならば一体マグ・ショットとセイラムに何の接点があると言うだろうか。
……いや、思いつく時期がツェイトには一つあった。この男はプロムナードと接触した事があると言っていた。
しかしそうなると、この男、つまり、と自分なりに推察して組み上げた仮説を浮かべて、ツェイトは顔に若干の困惑の相が浮かんでいく。
そしてマグ・ショットが追い打ちをかけるように語るその言葉で、ツェイトの予想は確実なものとなった。
「私とイッキはあの娘、セイラムが生まれた時、その場所にいた」
その時浮かべたツェイトの表情は名状しがたいものとなっていたが、それを目にするマグ・ショットは相変わらず二股の尻尾をゆっくりと揺らすだけである。
ツェイトは、思わぬ所でセイラムの出生に辿り着いてしまった。
※超要約
ムカデの人「やあいらっしゃーい! 大きくなったねぇぇぇー! お菓子食べる? お茶もあるよ? ……おいしい? そう! それは結構! 疲れているの? OK! だったらこれはサービス!(ドーン)……ぐっすりしてってね!」
※某ラクダ科のお友達みたいなテンションですが、物語との関連性はございません。
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