第38話 エルフの国を後にして
目的の品を受け取り、本来ツェイトに護衛の依頼をしていたシチブも既に此処での用を済ませたとなれば、長居をする理由も無くなった。
ミステルの街を、アルヴウィズを発つ時が来たのだ。
ただでさえ滞在費まで好意で免除してくれたのに、これ以上厄介になるのは厚顔すぎると言うものだ。出発当日の朝は朝食を頂いてしまったが。
リュヒトとグリース夫妻はまたセイラムと遊びに来ると良いと言い、双子達が酷く残念がり駄々をこねてきた。しかし、シチブが「また菓子買って来てやるから良い子にしてろ」と言った途端すぐに大人しくなったあたり現金なのか、それともお土産持参の言質を取るために駄々をこねたのではあるまいなと、ツェイトは子供達の無邪気さの裏に隠れ潜む大人の様な賢しさの一端を垣間見た、と言うのは些か大げさか。
朝食を済ませ、仕事の邪魔にならない開店前の時間帯に出立しようとしたらリュヒト達の家族が店の外までわざわざ見送りに来てくれた。
「構わず店の準備をしていればいいのに」
「シチブとは定期的に会えるけど、君とはいつ会えるか分からないからね」
「そうか……次に会う時はプロムナードの奴も連れて行きたい所だな」
「それは良いね。うちの子達と気が合いそうだ」
思えばリュヒトとのNFO内での付き合いはそれなりに長い。
彼と初めて出会ったのは、プロムナードも含めて互いにNFOのサービスが開始して一年経ったあたりだろうか。
ツェイトがプロムナードと別行動を取ってアバター強化の為にモンスター狩りに勤しんだりしていく内に入手して積み上がった不要なモンスターの部材や落としたアイテムの一部下取り先として、とある村の一角で買取りを行っていたリュヒトに声をかけたのが最初の出会いだった。NFOではよくある特定のアイテムの買取り行為の一環で、そのフィールド近辺に生息するモンスターから低確率で手に入る珍しいアイテムを入手したプレイヤーを対象にして主に生産系プレイヤーが行っているのだが、リュヒトもそんな一人だった。
最初は別段これと言った会話は無く、他の場所でも見られる買い手と売り手のその場限りのやり取りをするだけの間柄だった。その時はツェイトもこういった取引機能を始めて使用するので試しでやっただけに過ぎなかった。
関係に変化が訪れたのは、大量に手に入れた珍しいアイテムをリュヒトに下取りしてもらおうとした時だった。
ツェイトはモンスターを狩るだけの単調作業などは苦に思わないタチだったので、黙々と続けていく内に結構な量に膨れ上がっている事が稀にあり、特に使う事もないし収集癖もなかったので早々に資金の足しにしようと思い、以前売買をした生産職プレイヤー――リュヒトの事を思い出したのだ。
対象のアイテムを膨大な量で買取りを持ち掛けられた時のリュヒトの顔はツェイトの印象に残っている。その時は想定していた以上の数で買い取る為の金額も持ち合わせていなかったので、後々分割して売買をすると言う形で話は決まった。
その時のインパクトの強さから会話が始まり、後にプロムナードにリュヒトを紹介して買取りだけではなく、武具の製作も依頼する間柄となって今の関係が出来上がったのだ。
「グリースも元気で」
「貴方もね。セイラムちゃんの事、ちゃんと守ってあげなさいよ。良い娘なんだから」
言われてセイラムが照れくさそうに頬をかいている。
ツェイト達がリュヒト達の家に滞在中、セイラムが家事手伝いを積極的に買って出ていた事もあってよくグリースと話す機会が多かった様で、いつの間にか仲良くなっていたらしい。
グリースとの出会いもリュヒトとの出会いから少し経った時期だっただろうか。ツェイトは二児の母親となった彼女の過去を思い返す。
プロムナードと共にリュヒトが構え出した店に何度も世話になって頃、またいつもの如く不要なアイテムの買取りや武具の新調についての相談などで向かった店先で、仲良く話しているリュヒトと彼女がいたのが最初の出会いだった。
何か天啓が舞い降りた様な顔をしたプロムナードがツェイトの肩を組んで生温い笑みを浮かべながら退散しようとして、リュヒト達から慌てて引き留められたのを覚えている。思えばまだあの頃は皆高校生だったし、まだ色々と初心だったのだろう。
リュヒトが生産職なのに対し、グリースは戦闘職に就いている戦闘型だ。魔法と剣術を駆使する魔法剣士の系統を目指している最中で、学校のクラスメイト達と一緒にプレイしつつも幼馴染のよしみでリュヒトの強化やアイテム入手の為にダンジョン探索に同行して行く事もままあったそうだ。
意外だったのは、グリースはクラスメイト達と一緒にNFOを始めたのであって、リュヒトは先に一人でプレイしていた事だった。それが時の流れと共に気が付けば、見ての通りと言うべきか。其処に至るまでのきっかけにツェイトもプロムナードと一枚噛んではいるが。
再会を約束してツェイトはリュヒト達に別れを告げて発ち、ツェイトは離れていくリュヒトの店を肩越しにちらりと振り返った。
まだ視界にツェイト達が映っているからか、軽く手を振っている夫婦二人と、元気に手を振る夫婦達の双子が見える。
元いた世界と袂を分かち、この世界で新たに生きる決意をしたプレイヤーの姿をツェイトは見た。
彼らにはこの地で生き抜くに至る事情や経緯がある。それについてツェイトはただ、その選択が彼らにとって幸福であるのならばそれも一つの方法なのだろうと思っている。
事実、リュヒトもグリースも幸せそうだった。元の世界では叶わなかったものが手に入ったのだ。その喜びと、それまでの苦悩を理解できるのは本人達しかいないだろう。
ツェイトはこの世界に腰を落ち着けようとは思っておらず、元の世界への帰還は未だ諦めていない。
元いた世界への帰還方法の模索とプロムナードの捜索、いずれもまだ始まったばかりなのだ。例え、そこに問題が幾つも積み上げられていようとも。
ツェイトは見送ってくれている一家へと軽く手を挙げて応え、再び前を向いてミステルの街を出るべく歩き出した。
「今回は色々と想定外の事態に見舞われたようですね」
淡い照明がほのかに灯る薄暗がりの空間に、美しい声が静かに響く。
周囲の壁面は未知の計器や入力機器が備わった装置台や隣の部屋の様子が観察出来るガラス状の壁、または映像の映る水晶がはめ込まれて並び、それ以外の壁の材質も石や木材ともつかぬ物質で構成され、照明に照らされてるのに照り返しが起きていない。
その場の機器を操作するのは、修道服と看護服を掛け合わせたような全身の肌の露出の見られない白い装束と同色の布地に青い十字が描かれた面で包まれた者達。
身なりもさることながら、それらの異彩ぶりを際立たせているのは、“皆同じ姿をしている”事であろうか。
体の起伏から読み取れる性別は女性。背中まで伸ばした透き通るような白髪、そして身長から体格まで全てが皆同じで各々が自分に任された作業を行っているのは異様の一言に尽きる。
そんな白装束の女性達が作業をする間の中央では、他の者達と姿形が全く同じ女性が静かに立っている。
周りと違うのは、彼女は両手で収まる程度の大きさの水晶を丁重に持っている事だろうか。
そして水晶を持つ女性の前には、光の照り返しが無い黒いフード付きのローブと怪鳥の様なマスクで身を包んだ影法師の様な男、ジェネマが静かに立っていた。
女性の持つ水晶が怪しく点滅しながら発する美声に、しわがれた不快な声で以て返す。
「ですが、思わぬ収穫もございました。本来の任務から逸脱した行動を取った甲斐はあったかと思います」
ジェネマ達が話しているのは、先の“兵士”の件。
“兵士”が甲虫の巨人に討ち取られ、巨人がその場を去るとジェネマは早々にその戦場跡の調査に乗り出した。
一通りの調査を済ませ、他の者達がやって来る前にアルヴウィズ国土内に設営させていた仮初の拠点の撤収作業も済ませて、こうして帰還を果たしていた。
「今回の任務で入手した情報や資料は有益でした。稼働していた“兵士”の残骸とはいえ、それが回収出来たのは僥倖と言えましょう」
「正直、私も博士から伺っていただけで実物を直接目にする機会に恵まれるとは思いもしませんでした」
あの時は“兵士”の戦闘力を眼のあたりにしてどのようにあれを確保するべきかと頭を悩ませたが、そこは甲虫の巨人のおかげでジェネマ達が傍観に徹する事を可能にさせた。
そして舞い込んで来た幸運は兵士の残骸の発見。片腕と下半身の一部だけであるが、極めて貴重な研究資料であった。
現在ジェネマ達の複数ある拠点の中でも研究に特化した拠点で調査と同時にその残骸から採取した細胞の培養を試みている最中だった。
「流石に元々生命力が高かったようなので培養は順調に進んでおりますが、肝心の内蔵兵器や他の機能を司る器官までは復元が出来ておりませぬ。もうしばしお時間が必要かと」
「着実に再生させる事を優先するように。幸い“今”は“前”より培養技術も向上していますので、少しでも復元出来ればそこから先は私の方で研究する事にしましょう」
「やはり必要ですかな? 特にあの反物質兵器は」
恐るべき威力だったとジェネマは実験体を中継して観察した兵士の兵装――反物質の威力を思い返す。地形を作り変えてしまうほどの広範囲にまで至るあらゆるものが消滅させる恐るべき威力だ。もっとも、例外が存在していたのはまた別の意味で脅威を覚えてしまったが。
もしもあれが自分達の技術で再現出来れば色々と優位に立てるだろう。勿論、慎重に取り扱わなければならないだろうけども。
「あれば今後我々の前に立ちはだかる者達への効果的な手段になるでしょう」
遠地から水晶越しに返事をするトリアージェの声はどこまでも平坦だ。そこに感情らしいものは感じられない。
「あの巨人の事でしょうか?」
ジェネマの脳裏を過ぎったのは、青い外殻で身を包んだ甲虫の巨人。
あれは間違いなく自分達の脅威となる。至近距離から兵士の反物質兵器の直撃を受けながらも生還し、更にはその兵士を完膚なきまで叩き潰したのだ。
既にその情報と記録をジェネマは主であるトリアージェへ送っている。
「用途につきましては現状概ねその通りです。所で、巨人と言えば別で回収した“あれ”の状況はどうでしょうか?」
「“あれ”はまことに偶然でした。場所が場所なだけに欠片も残ってはいないものと思っておりましたが、辛うじて残っているのですからな」
ジェネマはあの戦場跡で、兵士以外の残骸も回収していた。
最初はそれも兵士の残骸の一種かと思われたが、しかし辛うじて残っていたその形状や発見した位置等を考慮した結果、ジェネマはある可能性に思い至り急いでそれを回収、兵士の残骸と共に保存措置を行い此処へと戻って来たのだ。
「ほぼ壊死しておりましたが、何とか保たせている状態にまでこぎつけました。もっとも、未だ予断を許さぬ状況ではありますが」
「こちらも慎重に作業を進めましょう。出来る事ならば戦力に利用したい所ですね」
「サバタリーの肉体にでも組み込むおつもりですか?」
未だに覚醒の兆候が見られない指揮官級のサバタリー。
巨人との戦闘で以前の肉体を失ってからその肉体は全身全て、それこそ脳髄に至るまでが一新された。本来ならば生命体にとって脳は神経中枢であり重要な器官であるが、サバタリーにとっては脳内部に組み込まれた記憶回路こそがサバタリーの全てであり、それ以外は外部部品に過ぎない。
サバタリーを巨人の対策として宛がう事は、あのワムズで敗北した時点で確定していた。
故にトリアージェ博士が直々に調整を加えて作り上げた特殊な躯体を用意したのだ。素材元からしてその潜在能力は確かなものであり、確実に巨人に対抗出来るだろうと目されている。
「今の状態が巨人に通用しないのであれば。あの巨人の性能、私も知る限りでは“あれら”の中では相当高いものではと睨んでいます。上手く活用できれば強力な戦力になるでしょう」
己の主が淡々と返すその方針にジェネマは理解している。
あの巨人は本来自分達が目標としている昆虫人の娘の側にいる。これまで観察した所、生半可な戦力で娘の奪取に乗り出せば返り討ちにあいかねない事が分かっている。故にトリアージェ博士はまず先に甲虫の巨人を抑える為の戦力を用意しようと動いているのだ。だから以前“ワムズで入手した素材”を急遽サバタリーに組み込んでもいた。
それだけの価値が標的の娘にはあるのだ。あの娘が手に入れば確実に、そして飛躍的に博士の目的達成に近づく。
その為には確実に必要なのだ。あの娘が、あの娘の体に流れていると推測されている――
「例の娘と言えば“兵士”があれに反応を示した件、やはり博士が仰っていたものが関係しておりますか?」
ジェネマが水晶越しにいる己の造物主への問い掛けには確信があった。
工作員から得た情報によれば、あの時“兵士”は間違いなく娘を害するのではなく、捕獲を行おうとする動きをとった。それの意味する所を最も知るのは、やはり“兵士”を一番よく知るトリアージェ博士しかいない。
帰還後、“兵士”ともう一つの回収した細胞片の培養作業にかかりきりになった為に今まで訊ねる事が出来なかったので改めて訊いてみれば、トリアージェ博士は水晶経由で淀むことなく答えた。
「誤認したのか、認識したのかまではまだ分かりませんが、恐らく連れ帰ろうとしたのでしょう」
「あの娘が鍵である事は間違いございませぬか」
「この世界で唯一“兵士”が殲滅以外の行動をとったのです。“鍵”になれるのはあれしかいないでしょう」
ようやく見出した光明はあの娘只一人。
あれは、意図せずに生まれた奇蹟の様な存在だ。
幾星霜の年月をかけて“それ”に指をかける所まで辿り着き、偶然の要素も入りつつも結果が確と形になっている事実は何よりも大きい。
「その為にもまずは娘の傍にいる巨人を止められるだけの力を手に入れるのです。あの力はいずれ必要になるでしょう」
全ては、トリアージェ博士が胸に抱く目的を遂げる為に。
エピローグ的なお話でした。主人公達の裏で悪役達が何かやってますよ的な感じです。
次回から次章に入ります。やったぜベイビー!(寝袋で脱皮ごっこしながら
毎度の事ですが、所感的なものを後ほど活動報告に書きますので宜しければそちらもご覧ください。
当作品をご覧になって評価、ご感想いただけますと嬉しいです。