第37話 セイラムの槍と昆虫人ツェイト
王城での謁見からその日の内にミステルの街へと戻ったツェイトの日々は取り立てて目立った事も無く、セイラムが主体となった日銭稼ぎのモンスター狩りを手伝いながらリュヒトに依頼していた品が完成するのを待った。
そしてとうとう完成したようで、クエスター組合からの帰りにリュヒトから連絡があり、作業場兼倉庫へとやって来ると、リュヒトが二つの布包みを作業台に乗せて待っていた。
「お待たせ。これが頼まれていた奴だよ、確認してくれ」
作業台に置かれた包みは形状からして一つはセイラムの槍、もう一つはツェイトの腕輪なのは見て分かった。
ツェイトがリュヒトと持ち主になるセイラムから了解を得て包みを解いてみる。
包みの中から姿を露わにしたのは、一本の直槍だった。
直槍という点では今までリュヒトから借りていたものと同じだが、こちらは刃の部分が厚く、黒い木製柄の柄には鈍色の金属の縁取りが植物の蔓が伸びるような意匠で施されている。
しかし新品であるにもかかわらず全体的に劣化したような様子が見受けられ、精々手入れの行き渡った骨董品の様にしか見えず、およそこれを新品と思う者はいないだろう。
だが、その古びた状態も含めてこの槍全ての造形なのだ。
新品同様だと何処かで作られたものではないかと勘付く者が現れ、槍の出所が露見してしまうだろう。そういった目を欺くためにこうした偽装処理が施されている。そうするだけの性能がこの槍には備わっているのだ。
そういった懸念もあり、念には念をという事で使い心地を試すのは倉庫の中で行われる事になった。広く間取りの作られた倉庫だから出来る、というより“そういう”目的も兼ねているらしい。
手に取り、セイラムは二人や周りの物と干渉しないように間合いを取ると、槍の使い心地を試しながら振り回してみる。
握り具合を確認し、器用に片手や両手で槍を風車の様に回したり、そこから突きや薙ぎを繰り出して、さながら演武の様な動きを見せていく。
幾つかの動作を何度か反復するとセイラムは構えを解いた。その表情は何処か驚いたような様子だ。
眼を瞬かせているセイラムへリュヒトが面白そうな笑みを浮かべながら訊ねた。
「使い心地はどうだい?」
「……何だか不思議な感じです。何と言うか、体を動かすと楽に槍が振れます」
「正真正銘、君の為に調整した槍だからね。事前に君の使っていた槍や癖とか色々と調べさせてもらって、それを参考に作ったんだよ」
そういう芸当も出来るのか、とツェイトは横でリュヒトの言葉に感心した。
NFOでリュヒトや他の武具作成を生業としたプレイヤー達は、相手のステータスに合わせた武具の作成を行うわけなのだが、これはそういった技能が此方の世界に反映された形なのだろうか?
「でも驚いてくれるのはまだ早いよ? それは手に馴染むだけじゃあないんだ」
そう言うとリュヒトは倉庫の壁に立てかけていた大きなものを持ってきた。
タワーシールドという部類に属する巨大な盾だ。エルフや昆虫人などの体格の人種の全身を軽く覆うほどの巨大さの為、一見すると鉄扉の一部の様にも見えてしまうがもしかしたらオーガ用の盾なのかもしれない。
目立った意匠の無い極めて無骨な造詣をしたそれは全体全てが金属製の様で、倉庫内の照明や窓からのぞく日の光に照らされて重々しく鈍い光を放ち、横から覗いた時の厚みは並の盾の倍以上は確実にあり、実際監獄等に用いられる鉄扉という印象をぬぐえなかった。
それをまるで木の板でも持つ様な容易さでリュヒトが持ち上げてくるものだから一瞬この盾の構成材質を疑いたくなるが、置いた時に倉庫内に響く重々しい硬質な音が、この盾が間違いなく重厚な金属製の代物である事を教えてくれた。それを今片手で事もなげに支えているリュヒトの腕力こそがこの場では異質である事も。
ずんと置かれたそのタワーシールドに圧倒されているセイラムに、リュヒトが笑いかけて言った。
「じゃ、これに思いっきり突いてみなよ」
え、とその提案に唖然としたのはセイラムだ。
今セイラムの目の前に明らかに槍で突いて良い様な代物ではないと目で見て分かるからこその反応だった。
金属製の壁に槍を突き入れようと思う槍使いは余程の事でない限りはいないだろう。穂先の刃が割れてしまいかねないからだ。
「……これ、鉄とかで出来てますよね?」
「まぁまぁ、騙されたと思ってやってみなって」
「……大丈夫、なんですか?」
「気持ちはわかるけど、まぁ、試しにさ?」
セイラムがツェイトにちらりと目線を送って来た。明らかにどうしよう? という困惑の訴えが見て取れるので、ツェイトもフォローした。
「こいつはわざわざ武器を駄目にするような事なんかさせないよ」
「じゃあ、そう言うなら……」
リュヒト一人が支えていても大丈夫だとは思うが、一応ツェイトも逆の方から盾を抑える。
ツェイトに言われてようやくやる気になったセイラムは、軽く息を吐いた後真剣な表情に変えて両手で構えを取った。
膝を曲げ、腰を深く屈めて、今にも飛び出しそうな態勢を取ってからほんの少しの間を置くと、セイラムが動いた。
素早い踏み込みと共に全身のしなりまで利かせて突き放たれた槍の穂先が直撃する。
「いぃっ!?」
その光景に槍を繰り出したセイラムが思わずと言った声を上げた。
金属同士の衝突音も寸秒に、穂先の刃はもとより勢い余ってか槍の持ち柄までその分厚い盾を貫通していたのだ。
槍を突き放った態勢のまま呆気にとられているセイラムを他所に、リュヒトとツェイトが盾を貫通して向こう側に飛び出した穂先を見た。
刃に綻びは見られず、それを支える柄にも負担がかかった様子は無い。
「問題なさそうだな」
「そりゃあ、注文通り出来るだけ頑丈に仕上げたからね。鋼鉄性のタワーシールドなんて襖壁みたいなものさ。あ、セイラムちゃん槍抜ける?」
言われてセイラムは力を込めて槍を盾から引くと、思いの外すんなりと抜けた。
抜いた後に残るのは、向こう側の風景が見えるほどにぽっかりと空いた穴の空いた分厚い盾だけだ。
セイラムは盾に空いた穴を凝視、そして恐る恐る盾を貫通して見せた自分の槍の先を見て何の損傷も無い事を確認して、あり得ない物を見るような目をしていた。
その様子を面白そうに見ながらリュヒトは巨大な盾をひとりで持ち上げて近くの壁に立てかけると、次の説明に移った。
「じゃ、次行ってみようか。今度はそれを折ってみよう」
事もなげに言ってのけたその内容は、本来職人が自分の製作物に言うべきものではなかった。
「え!? せっかく作ったのに!?」
「これも折れば分かるよ。ツェイト、ちょっと手を貸してくれないか」
頼まれて、ツェイトがセイラムに槍を渡してもらうよう手を伸ばすと、訳が分からないと困惑しつつも渋々セイラムは手渡してくれた。せっかく自分の為に作ったものを今から目の前で折ろうと言うのだから良い気分ではない筈だ。
(……リュヒトの奴、頑丈に作ったな)
ツェイトが手に持った槍を両手で折ろうと少し力を込めて曲げてみると、槍は柄が少ししなるだけで折れる事はなかった。
感覚的には、そこら辺の金属製品でも軽く砕ける勢いでやったつもりだったのだが、それに問題なく耐えれる当たり、確かに頑丈な様だ。
なのでこの状態の可能な範囲で、“本気”で力を入れた。
するとしなりを作っていた柄がとうとう耐え切れずにバキリと砕ける音を鳴らしてくの字に折れてしまった。
木材質の柄は其処を奔る金属の意匠と共に痛々しく割れ、新品の槍が廃棄物に成り果ててセイラムがあぁと小さく嘆くが、リュヒトに動じた様子は無い。
ツェイトがそれを地面に降ろして様子を見ると、槍に異変が生じた。
倉庫の床に物悲しげに置かれた槍が少しずつ、独りでに動き出したのだ。
くの字に折れ曲がっていた柄が戻り、割れた柄の表面箇所が塞がれていく。
その場の面々の視線に晒されながら、槍はあれよあれよと言う間に折れる前の状態に戻ってしまったのだ。
元通りになった槍をリュヒトが拾い上げ、折れた個所を中心に色々と細かく見回して問題がないと見做すと、はいと気軽にセイラムへ渡して見せた。
「ほら、元に戻ったよ」
「い、いや、戻るって、えぇ……? どうなってるんですか、これ?」
渡されたセイラムの槍を持つ手が、まるで貴重品を取り扱うようなおっかなびっくりとした取扱い方に変わっていた。それが面白かったのか、リュヒトが軽く笑う。
「ははは、それは君の物だからいつも通りに扱って良いんだよ。さっき見た通りそれは壊れても元に戻るようになっているんだ。刃を研ぐ必要もないよ」
便利でしょ? と言われてもセイラムは上手く答えられず、手に持った槍をまじまじと見つめているばかりだった。
まぁ、普通は鋼鉄製の盾を貫いたり壊れたら直る様な槍などお目にかかる事など無いだろうから、セイラムの中の常識が大きく掻き回されて混乱しているのだろうと彼女の横でその様子を見ていたツェイトはその心情を察した。もしツェイトが自分の世界でオーバーテクノロジーの産物を渡されたら確実に困惑するので、その様な感覚なのだろう。
だが、リュヒトの説明はまだ終わっていない。
「最後の説明といこうか。今度はそこの台の上に置いてみて」
「こう、ですか?」
「そうそう、それでちょっと離れてから自分の所に来いって感じて念じてみてくれないかな?」
セイラムは素直に作業台の上に槍を置いてから言われた事に少し怪訝な顔を浮かべたが、口を挟む事も無く言われた通りにした。それまでのやり取りで疑問を口にするよりも、実際に目にした方が良さそうだという一種の諦めを覚えたのかもしれない。
数メートル距離を取ってからセイラムが眉間に皺を寄せて――念じてみると、作業台の上に置かれた槍がその場から掻き消えてしまった。
それと同時に、その槍がセイラムの手元に何もない場所から現れる。
「う、うおぉぉ!?」
突然目の前に現れた槍にセイラムは狼狽して取り落としそうになるが、かろうじて掴む事が出来た。
その様子を見たリュヒトは腰に手を当てながら頷いている。
「ちゃんと戻ってきている、か。全部大丈夫そうだね」
「あの、これどうなっているんですか?」
今回三度目の驚きで慣れてきたとはいえ、自分の常識外の現象に目を丸くするセイラムにリュヒトが説明する。
「作る前に君がくれた血を材料に組み込んでいるから、それを基に君の位置を探し当てて跳ぶようになっているんだよ」
「……あの血ってそう言う意味だったんだ」
セイラムは思い出したように外骨格の無い若葉色の肌が露出した二の腕を軽く摩った。
本来なら指先などから血を採取するのが理想的なのだが、生憎セイラムは他の昆虫人より外骨格の面積が広く、手足が具足の様な状態になっているのでやむを得ず二の腕から血を取り出す事になったのだ。
最初は一体何のまねだろうかと体を強張らせながら渋々とそれを受けたものだ。誰だって好き好んで血を流したがるものはいまい。血を採られたセイラムはその意味を知って納得した。
理解を得たと見たリュヒトが指を三本立てた。
「おさらいをしよう。僕がこの槍に施した力は三つ。“頑丈さと硬さ”、“破損しても元に戻る”、“持ち主の手元に返ってくる”。それらは君の為だけに作った世界で一つだけの槍だ、どうか上手く使って欲しい」
あと、僕が作ったって言うのはくれぐれも内緒にね。これ知られると色々と危ないからと付け加えられると、セイラムは槍を大事そうに両手で胸に抱きながら神妙に頷いて返した。
素直な態度をとるセイラムににっこりと笑みを返したリュヒトが今度はツェイトを見た。
「さーて、お次はツェイトの方だね。こっちはサクサク行くよ」
「……扱いが雑じゃないか?」
「そりゃあ、何も知らないセイラムちゃんと大体察しのついている君とじゃ扱いも変わるさ。それとも懇切丁寧に親切なご説明が必要ですかねお客様?」
「いい、手早く進めてくれ」
ツェイトが大きな手を軽く振りながら先を促す。
頭部全体が重厚な鉄仮面の様に外骨格で固められている造詣故に表情は出ないが、青白く光る眼光が困ったように細まっていた。
リュヒトから手渡されたのは飾り気のない無骨な作りをした腕輪だ。
ツェイトの副腕にはめる事を前提にしたその大きさは、クエスターの証明証と同じくらいだろうか。
色褪せた鉄の様な古ぼけた色合いをした表面には複雑な模様が溝として彫り込まれており、中央には球体状の小さな赤い水晶体が二つ横並びに埋め込まれている。
早速脇腹の副腕を展開してその手首にはめ込み、着け心地を確認してみる。
手首を前後に動かし、ぐるりとひねり、身に着けたまま副腕を脇腹にしまってみたりと動かすのに支障がないかと試してみるが、問題は無い様だ。
しかし使い方が今一つ分からない。NFOの様にコンソールなどを出して使用すると言うわけにはいかないので、ツェイトはリュヒトを見た。
「腕輪を意識しながら念じてみなよ。そうすれば出来る」
セイラムの槍の時と同じらしい。
ツェイトは言われた通りに腕輪を意識しながら念じてみる。
初めに起こったのは体全体の淡い発光だ。
目に負担のかからない程度の弱い光に包まれながら、まるで溶けるようにツェイトの体積が小さくなっていき、体色がまるでマーブル模様の様に一定せず渦を巻くような不可思議な色合いへと混ざっていった。
全長が4m弱もあった巨体はどんどん小さくなっていき、見上げていた二人の視線がどんどん下がっていった。
輪郭と肉体の色が徐々に定まっていき、ツェイトの変化が完了する。
変化にかかったのは実際の所5秒にも満たない。
だが、そこで起こったツェイトの様子にセイラムが呆けた顔をする。
背丈はおよそ170cm台中間。耳や眉にかかる程度に伸ばされた硬い黒髪は乱雑に伸ばされたままになっており、その顔立ちは少しばかり無骨気味で不愛嬌な表情を浮かべている。強めの眼差しで眉間に少し皺が寄り、口元をきつく結んでいれば友好的な印象を抱く者はいないだろう。
額から伸びる二本の飛蝗の様な触覚、黒一色の瞳、緑色の肌、体の各所に見受けられる黒い外骨格。それらの外見的特徴がこの男を昆虫人だと証明する。
何時の間に身に着けていたのか、その肉体を包むのは黒で統一された和風――この世界的に言えばワムズの装束。
上着は二の腕までの半袖仕様の着物で、腰帯で止められた腰下は先細っている裁着袴に足元は土足用の足袋で覆われている。
それら一式の容姿を近似する衣装に当てはめるのならば、忍者装束に近いだろうか。
そしてある意味最も目を引くのが、その男の体つきそのもの、筋肉の付き方である。
首筋や胸元、前腕などの素肌が見えるヶ所だけでもその筋肉の発達具合が尋常ではなかった。
無駄に大きく肥大化しているわけではない。前腕筋群といった細かい各部位に至るまでの筋繊維が硬く盛り上がりつつも、まるで恐るべき密度でその背丈の均衡を崩さない範囲に凝縮されたような異常な隆起を見せているのだ。
その筋骨の質感はもはや叩いて形成した鋼の様であり、生物の持ち得る肉の鎧そのものである。その表面を薄らと脂肪が覆っている事で辛うじて柔らかさが感じらた。
一体如何程の鍛錬の末にこの様な筋肉の付き方が実現するのかと言うほどに隔絶した肉体が、上背が決して高いわけではないにもかかわらず、その男に空へ届かんばかりの巨大な巌の如き圧力を持たせていた。
「久しぶりに昆虫人になった気分はどうだい?」
「……半分近くまで縮んだから妙な感じだな」
自分の体を見回している男にリュヒトが感想を訊ねると、男――ツェイトは昆虫人になった自身の体を見回し、軽く体を触って感触を確かめながら少しだけ眉間に皺を寄せた。
目に映るもの全てが大きくなったような錯覚を感じる。巨体を誇っていたが故のここしばらく忘れていた大きさの感覚にツェイトの頭が若干麻痺していた。
この姿こそツェイトがハイゼクターになる前の、昆虫人の姿だった。
リュヒトに頼んで作ってもらった擬態用の腕輪の効果により、一時的に変異前の状態に戻っているのである。
「ツェイト……なのか?」
そんなツェイトにセイラムが新調したばかりの槍を抱えながらおずおずと近付いて来た。
目の前で変化したとはいえ、原形を留めない程に変わってしまえば流石に疑ってかかりたくなるのも無理はないだろう。半信半疑の様相で訊ねてくるセイラムにツェイトが顔を向けると、ビクリと体が強張ったのを目敏く気付いてあぁ、と自分の頬に手を添える。
「俺だよ。それとこの表情が素なんだ。別に怒っているとかじゃないから気にしないでくれ」
頬に手をやり筋肉をほぐすように動かしながら自分がツェイトである事を話した。
表情についてはセイラムにも伝えた通り、この強面の顔が素の状態なのである。元の世界でもこの顔で第一印象が近寄りがたいとよく言われていたのでセイラムの反応に思い当たる節があった。実際に会話をしてみれば大した事は無いのだが、そんなツェイトの人柄を初対面の人物が知る由もあるまい。
目の前の昆虫人の男がツェイトだと確認できたセイラムは脱力すると、今度は興味が湧いてきたようでツェイトの体を上から下まで何度も見回しては眉間に皺を寄せて首を傾げている。
「何か変な所でもあったのか?」
「変な所って言うと、全部変なんだけど」
「ふぶっ」
はっきりと言ってのけたセイラムの言葉に反応したのはリュヒトで、思わず吹き出していた。
口元を抑えながら軽く咽ているダークエルフの男を一瞥して眼力で黙らせた後、ツェイトは頭を掻いた。
「……この顔、不細工だったか?」
「え? ……いや、それは別に。私が変だって思ったのは、ツェイトの姿が変わり過ぎたからだよ。正直今でもちょっとツェイトなのか疑っているくらいだ」
「あぁ、そう」
自分の顔が不評じゃないと分かって内心ちょっと安心しているツェイトの心情を察したのか、リュヒトが愉快気に肩を軽く叩いた。今では180cm台のリュヒトの方が背が高く、ツェイトを見下ろしている。
「良かったじゃないか。顔が好みじゃないとかで今後微妙な空気のままってのも、ねえ? あとこれ手鏡、ちゃんと確認よろしくね」
そんな事言ったらハイゼクターの頃の顔の方がよっぽどだとツェイトは思うのだが、これ以上その事について掘り下げはしなかった。
ツェイトは手渡された手鏡で自分の顔を改めて見直してみる。
昆虫人の肉体なので種族的な特徴こそあるが、眼、鼻筋、口元、顔の輪郭等はツェイトの記憶にある人間の頃の造形そのものであった。
顔の起伏に沿って、そっと指を顔に這わせる。この世界に来てひと月前後が経ったが、それが酷く長く感じられ、こうして人間の頃の面影を強く残した自分の姿を再び見る事が叶い、そこに過去に思いを馳せていた。
顔のつくりは母親の家系に、そして性格は父親に似ていると両親に言われた事がある。 若干それによって人間関係で苦労した事もあるが、全体的に見れば些細な事である。ツェイトは自分の顔が嫌いではなかった。
NFOで昆虫人のアバターを元の顔のままにしたのは、手を加えた顔の造形に不自然さを覚えたのもあるし、両親から貰った顔に対する妙な感傷が働いた。昆虫人の特徴的にも素顔を基にしても、現実世界での素性がばれる事も無さそうだと考えられたのも判断材料だったのは確かである。
少し懐かしさすら感じられる自分の顔だが、一点だけ敢えて手を加えた個所がある。
それは外見年齢だ。顔だけにとどまらず、肉体も含めて全体的に本来の年齢よりも若く調整されているのだ。本来の年齢が26に対し、この肉体の今の外見年齢は20に達しているか否かといった所だろうか。
若く調整したのには訳があった。それは昆虫人の寿命と、自分の実年齢が関係している。
昆虫人は約300年程と、単純計算で人間の三倍の寿命を持つのだが、そこで問題となったのが前にツェイトがセイラムに告げた自分の年齢だ。
ツェイトの今現在の年齢は26歳。しかしそれは肉体も、そして精神の成熟具合も人間としてのものであり、昆虫人のそれとは違いがある。
セイラムには人間の年齢である26歳と告げたが、よくよく考えてみれば昆虫人換算した場合ツェイトの年齢は78歳という事になる。52歳のサバ読みとか、とんだ年齢詐称である。もし昆虫人になった際はいくらなんでも老け顔程度では誤魔化しきれないだろう。セイラムはツェイトの事を10歳差程度のちょっとした年上程度の感覚で見ているのに、その実成人済みの男性となる事が分かると色々とややこしい事になるかもしれない。下手をするとそこからぼろが出て色々と説明しなければならなくなり、そこから気まずい雰囲気になりかねないのだ。それに26歳のツェイトではとてもではないが、今の自分よりも52年分の人生経験の重みを言動で表現出来る自信が無かった。
このアルヴウィズに到着し、リュヒトに擬態の腕輪を用意してもらう時にその事に気が付いてツェイトは頭を抱え、急遽外見年齢にもマイナス補正をかけてもらい今の姿となったわけである。
ただし、余り若くし過ぎると今度は若造と侮られかねないので、考えた結果人間の成人前後位の外見にしたのだ。元々老け顔だったので年齢と外見に差異があると言われた場合にある程度は誤魔化しが利く、というのは不幸中の幸いというか、何と言うか。
「腕輪の強度はどれくらいなんだ?」
「流石に君の体程とまではいかないけど、出来るだけ頑丈にしてあるよ。それと普段は見ての通り非物質化しているから物理的な衝撃は問題ない筈さ」
言われて腕を見て見れば、ツェイトの腕にある筈の腕輪はそこに見当たらなくなっていた。昆虫人へ擬態した際に非物質化したようだ。
意識をしてみると、腕輪が空間から滲み出るように姿を現した。表示・非表示の切り替え機能に問題は無い。
「この服はどういう仕組みで?」
「擬態する際君の生命力――体力と解釈してもいいね。それを拝借して精製する様になっている。強度もそれなりに頑丈に調整しているよ」
リュヒト曰く、腕輪に埋め込まれた二つの水晶の内一つが擬態用に、もう一つが装着者の生命力――NFO的に言えばHPを消費・変換させて決められた衣服を作り出す装置として備えられてあるとの事。スタミナの化身のようなツェイトだから気軽に選択出来た機能だ。
全体的な雰囲気こそ違うが、追加で頼んだもの敢えてリュヒト達の身に着けている物と造詣を変えたのは、少しでも誤魔化すための措置である。
そしてこれもセイラムと同様にツェイトの血を材料に使用している。細胞組織を組み込む事で身に着けた本人を認識させて肉体に変化を与えると言う仕組みらしい。
これもまたセイラムの時と同じく血の採取にはひと悶着あった。全身外骨格、しかも生半可な武器でも食い込む事すら出来ず、逆に武器を粉砕する頑丈さを誇るツェイトの肉体から血を取り出す方法について男2人で顔を突き合わせてながら頭を悩ませた結果、ツェイトの肉体そのものを利用する事になった。
そこで使う事になったのがツェイトの頭部から伸びる角である。反りのある分厚い片刃の形状は伊達では無く、その切れ味も外骨格の強度も相まって並のプレイヤーの武装より強力だったりする。
その切れ味で試しに採取を行ったのだが、思いの外切れ味が“良すぎた”。自分の指で外骨格の無い関節部分目がけて角の刃を這わせた結果、勢い余って指を切り落としかけてちょっとしたパニックになりかけたのだ。ついこの間遺物と戦って指が落ちかけるよりも酷い怪我を負ったのに慌ててしまうのは、常時と非常時の際の心の持ち様なのだろうか。
軽く相槌をうちながら、ツェイトは軽く柔軟を試みた。
体を捻り、上下から背中へ回した両手を握手させる。
その場から徐々に足を開いて最終的には180度まで開脚。そこから更に後転しながら開脚を維持したまま倒立、腕を屈めて戻した勢いでバク中に移ると、空中で体を丸めて玉の様に回りながら危なげなく地面に着地。その際体操選手のように両手を広げてYの字の態勢を作った。
「意外と柔らかいんだね君」
「あっちの姿が硬いんだよ」
この程度なら他の体を動かすのに慣れたプレイヤーでも出来る芸当だが、体の可動範囲に問題はなさそうだ。むしろハイゼクターの頃より外骨格が殆ど無い分柔軟性は此方の方が上だろう。
「あの盾、使ってもいいか?」
最後の確認の為、ツェイトはセイラムの槍の試し台に使われていた分厚いタワーシールドを指差すと、どうぞとリュヒトが手で促した。
許可を貰ったツェイトが立てかけてあった盾を片手で軽々と掴み上げて、倉庫内の開けた場所へと移動すると手の空いたもう片方の手でも掴みはじめ、ちょうど紙を千切る様な手つきになった。
セイラムがこれから行おうとしている事を固唾を飲んで見守っている。その仕草からして既に何をしようか想像はついているのだが、「え、嘘だろ?」と信じられないものをこれから見てしまうような目をしていた。
掴み上げていた手に力が入ると、指が鋼鉄製の盾に食い込み、微かに盾から悲鳴の様なめり込む音が出始める。そして。
メギャリと無残な音と共に鋼鉄製の分厚い盾が引き裂かれてしまった。
文字通り紙を千切る様な、全く抵抗らしい抵抗を感じさせないままツェイトは腕力に任せてあっさりと盾を二つに千切って見せたのだ。
握力と腕力によって拉げ、裂けてしまった盾の残骸を両手に持ちながらそれらを見ていたツェイトの横にリュヒトが近付き、機能を失った盾の成れの果ての様子を観察して顎に手をやった。
「具合の方は?」
「大丈夫みたいだ。むしろハイゼクターの時より力の加減が楽になっているくらいだな。後は道中で体を慣らしていくよ」
粗方知りたい事は知ったと言わんばかりに、ツェイトは首を左右に傾けてゴキゴキと音を鳴らして今の体の確認を終えた。
側ではちぎられた盾の残骸をセイラムが槍の石突で軽く叩いて硬さを確認し、屈んでツェイトの真似をしてみるがビクともせず、呆れた眼差しでツェイトの筋肉で固められた腕を見た。
「あの姿だから力持ちって訳じゃないんだな」
「そりゃあ、伊達に鍛えちゃいないからな」
ハイゼクターになったのもNFOを始めてから多少年数が経ってからであり、それまでは必然的に昆虫人の体で活動していたのだが、元々ツェイトは“昆虫人として完成させる”事を前提に調整していたアバターである。その頃から身体能力の強化に余念の無かったツェイトの肉体は、素手で当時の上位ボスモンスターに挑んで叩き殺す事を可能にしていた。
そんな肉体が現実的に反映されようものならば、もはや鋼鉄程度の強度で出来たタワーシールドなぞ藁半紙に等しい。
セイラムが好奇心を刺激された眼をしていたのでほらと腕を差し出して触らせると、手で突いたり掴んだりしてその感触に驚いていた。
「か、硬っ! 何だこの腕、鉄でも入ってるのか!?」
「多分、鉄より硬いかもしれない」
何せ、今しがた鋼鉄製の盾を素手で破壊してみせたので。
力んで筋肉を硬くしてみせれば、更に硬くなったそれに驚いて握り拳を作ると小突きじめたり叩いたりしては、およそ人体から感じられるものとは思えない手応えに、セイラムは自分の外骨格で覆われた手とツェイトの腕を見比べた。
「……ウィーヴィルより絶対硬いな」
どうやらセイラムの中で逞しい筋肉の基準は、育て親のあの老人の様だ。
並の昆虫人よりも頭一つ以上は上背があり、老いてなお衰えが見られない筋肉のついた立派な体格を、赤ん坊の頃から側で見ていればそうもなるか。
「良い仕事をしてくれて助かったが、代金の方は本当に大丈夫なのか?」
事前に機能についてはリュヒトとツェイトが二人で打ち合わせをしたとはいえ、今回作ってもらった槍と腕輪の機能については支払った代金を上回っている様に感じられた。
腕輪はともかく、槍の機能については当初ツェイトが想定していたものより多機能になっている。ツェイトのNFO内での相場感覚的にはもっと支払っても良い位だ。
「大丈夫、むしろ恩があるのはこっちの方だからお礼の一環だと思ってよ」
リュヒトの返事は、製作途中に返って来た答えと変わらなかった。
滞在費も払おうと思ったが、先と似たような返事で断られてしまっている。
遺物騒動の件で妻や子供達の安全が確約された事が大きかったようだ。
意図したものではないが、大きな恩を与えた事による相手からの無償の施しにツェイトはむず痒さを感じ、思わず胸元を掻いてしまう。
これ以上この件を掘り返しても押し問答になりそうなので、リュヒトがそれで納得しているのならまぁいいか、と大人しくその好意を受け取る事にした。
その日の夕食、早速擬態して味わってみるのも良さそうだなと思ったツェイトだったが、双子達がいるためそこから腕輪の事が漏えいする可能性がちょっと不安だったので、今回は使うのを見送らざるを得なかった。
たまにはグラスに口を付けて飲んでみたいが、これから機会は沢山あるだろうからとハイゼクターの姿のまま料理の味を楽しむ事にした。
『そっちに贈った“プレゼント”の方はどうだ? 何か分かったか?』
『――――』
『……脳みそのとっつぁんあたりが見破るのを期待してたんだが、流石に胴体だけじゃ無理があったか? あれヤバい奴だからさっさと調べ上げといた方が良いぞ。あのツェイトの奴が死にかけたってのは看過できないだろ?』
『――――』
『何? それはこっちに任せてあいつらを連れて来いって? お前さん所のボスは戻って来てんのかよ?』
『――――』
『“溝向こう”に出張中だあ? お忙しいこって。それでお前さんがあいつに代わって留守番かい』
時刻は街の灯りの大凡が消えて寝静まった真夜中。
リュヒトの店の居住スペースの2階にある客間の内の一室。明かりもつけない暗がりの部屋に設置されたベッドの上に寝転がりながら、植物種族の女プレイヤーシチブが何者かと会話をしていた。
背嚢は脱いだブーツと手袋とまとめてベッドの横に置かれ、普段身に着けている外套と帽子は壁にかけられている。外套を脱いだ中の上着は複数の小さなベルトで締め付けが調整できるチューブトップブラ一着のみしか着ておらず、下はジーンズ状のズボンを腰の恥骨付近で穿いている事もあり、すらりとした細身でありながら女性らしい丸みと膨らみを持った深緑の体躯が扇情的にさらけ出されている。
サングラスも枕元のベッド横に添え付けられたサイドテーブルに置かれているが、顔は花びらが連なった形状の赤い長髪が目元を隠してしまい、鼻筋や顎の輪郭が一部見えるだけでその素顔の全貌を伺う事は出来ない。本人も顔に垂れた長髪を気にしている様子はないらいしい。
シチブと会話をしている相手はこの場におらず、それどころか彼女の口は一切動いていない、声を発してすらいなかった。
それでも会話が成り立っているのは、シチブが遠く離れた場所の人物と思念による会話を行っているからである。
小さなペンダント、これが会話をする為の道具らしい。それを手元で転がしながら暗い部屋の天井をぼんやりと見つめながらシチブは相手と会話を続けていく。
『しかしまぁ、何だ。もしやと思っちゃいたがやっぱりあいつ、プロムナードの子だったか』
『――――?』
『話しちゃいない、まだな。ツェイトはもしかしたら勘づいてるかもしれないが』
『――――』
『どうせそこら辺はそっちの大将が何とかするだろ? ……おいおい私を信じておくれよ、同じ産湯に浸かった私とお前さんの仲じゃ……あ、おいちょっと待て切るなってお――』
「……あんにゃろうガチャ切りしやがった」
舌打ちを一つ、シチブは今日はもう使う事の無い通信用のペンダントをサイドテーブルへ適当に指で弾き飛ばすと、両手を頭の後ろに、そして脚を組んで溜息をついた。
連絡先の相手とは決して仲が悪いわけではないが、良いかと聞かれれば肯定しづらい。性格的な相性もあるのだろうが、過去に少しあったので中々拭い去る事が出来ないのだろう。
他にも連絡しておこうと思った事があったのだが、今日はもう何を連絡しても着信拒否をされそうなので、明日にでもなれば頭も冷えるだろうからもう一度かけ直しておく事にした。向こうも大事な話なら私情を引き摺るような事はしないのは分かっているのだ。あまりおちょくらなければ。
しかし面倒な事になった。否、ある意味“あいつ”の目論みが一歩進んだのかな? シチブはアルヴウィズで起こった出来事をぼんやりと思い返す。
自分の雇い主はツェイトと、そして連れの昆虫人の娘セイラムに強い関心を持っている。
どうもセイラムとは無関係ではないらしいので、そこら辺が起因しているのだろう。
(……悪い娘じゃあなかったな)
“あの”プロムナードの子供と言う割には随分真面目くさった娘だった。
いや、あれは育った環境でそうなったのだろう。どうも聞いてみると自分の事や肉親の事を全く知らない様子だった。
だがあの娘、ただプレイヤーの娘と言うだけにしては何かが妙だ。
先日の遺物がミステルの街へ突っ込んで来た時、このリュヒトに店へまっしぐらに、いや、セイラムを目指して飛んできていた節がある。
あの時、セイラムの部屋に侵入してきた遺物の様子を見るに害するのではなく、捕まえようとしていた風にも見えた。
何かがあの娘にはあるのかもしれない。
だが、一体何がある? 恐らくそれを知るのは――
(……あいつ、プロムナードから何を知りやがった?)
過去に雇い主はプロムナードと接触した事があると聞いている。セイラムがまだ生まれる前の話らしいが。
ツェイトにその事は話していない、雇い主からの指示だ。元々プレイヤーの情報についての取り扱いについては慎重に取り扱えと釘を刺されているが、プロムナードについては余程情報規制をかけたいのだろうか。
何かを知り、そして秘匿している。そこに悪意が介在しているようには本人からは感じられないと思うのだが。まぁ、あの見てくれは知らない人からすれば悪意が滲み出ているようにしか見えないだろう。
(ま、いいか)
思考の放棄とまではいかないが、雇い主本人が自分の口から話してくれるのを待つ事にした。どうせ無理やり聞き出した所で此方に得があるとも思えないし、大事な事は告知する人物なので急かすだけ無駄だろうと何となく雇い主の人柄的に感じた。
信頼云々と言うよりは、こういう人物だからこう動けば損はしないだろうという損得勘定からくるドライな判断に過ぎない。あとは気にかけている人物がそいつの側にいるからと言うのも多少はある。
そして雇い主の活動目的の内の一つがシチブの目的と合致しているから、こうして雇い主の所に身を寄せているのだ。
少なくとも、契約を違えていない。このまま様子見だな。
そこまで考えを及ばせていたシチブは、思考を切り上げて早々に眠る準備に入った。
長髪に隠れた眼を閉じて数秒経つと、シチブの口からいびきが鳴りはじめる。そこらの酔っぱらいの出すものより豪快な音だった。
出ましたツェイトの人化……というのとはまた違うのかもしれませんが、昆虫人形態です。
基本的にはハイゼクターの姿で活動する事になりますが、要所要所で必要な時にこの姿を取る事になるかと思います。メインはカブトムシですのよ。
ちなみに昆虫人状態のツェイトの身長体重は下記の様な感じです。
身長:175cm
体重:??(筋肉の密度の関係上、見た目以上に大分重いです)
本文でも描写しましたが、ハイゼクターの時とは2倍くらい体格差があります。
ファンタジーな筋肉密度とそれに平気で耐えられる強度の骨格を持った近づいてド突き倒す野郎です。
評価、ご感想をいただけますとこのそよ風ミキサーとっても嬉しくなって頑張ります。