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紺碧の大甲虫  作者: そよ風ミキサー
第三章 【エルフの国と厄災の兵士】
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第32話 その勝利が彼らの日常を守った

 東の方角が白みだす空の中、ツェイトがミステルの街を視界に納めると、その内外へ通じる入り口の門の付近にはエルフの兵士達が大勢集まっているのが見えた。

 各々が武装して、緊張の面持ちで外周を睨みつけるように警戒している。恐らく街に異形が現れた件なのだろう、ツェイトが当事者だからこそすぐに思い至る。

 

 ツェイトが空から近付いて行くと、空気を震わせる羽音が聞こえたのか、それともツェイトの輪郭が薄らと見えたからか、何人かの兵士がその姿を視認すると慌てて仲間達に声をかけ始めた。兵士達の表情が強張ったのがツェイトの眼ではっきりと分かる。


 門から少し離れた場所へ降り立って向かい出すと、兵士達が恐る恐る近づいて来た。その集団の中から一人男のエルフが抜けて近付いて来る。

 20代前半の若い青年に見えるが、エルフである事と身なりや立ち振る舞いからして恐らくこの集団の代表なのだろう。引き締まった表情と規則正しい歩き方は、職務に誠実そうな人柄が感じられる。

 

 ツェイトは先に身分を名乗ろうとして脇腹の副腕を展開し、証明証の腕輪が手首に無い事に気が付いた。

 山々を吹き飛ばし、ツェイトの肉体を所々消し炭にするような威力を受けたのだ。その際に証明証が耐え切れず消し飛んだのは想像に難くない。

 やむを得ず、ツェイトは口頭のみで自分の素性を明かす。


「証明証が無くてすみませんが、クエスターのツェイトと申します」


 脇腹が腕に変わった事に代表の男はギョッとしたが、気を取り直して自分よりも倍位い背丈のあるツェイトの顔を見上げた。


「ミステルの街を担当する憲兵隊隊長だ。街の中で貴方がモンスターらしき生物と争って外へ出たと言う報告を受けているのだが……」


 隊長は言いよどみながら、ちらりとツェイトが“片手に掴んでいる物”に目を向ける。ツェイトもその意図を察してそれを隊長に見せるように掲げた。 


「ご覧の通りです。念のために残った体の一部を持ってきたのですが」


 ツェイトが隊長に見せたのは異形の“頭部”だ。ツェイトに握りつぶされて頭部を覆う外骨格が拉げ、内部の体組織が露出した顔部や至る所から青黒い体液が流れ落ちた痕が生々しく残っていた。


 その無残な首の有様を見て、ツェイトが何をしたのか想像した隊長が眉間に皺を寄せてそれを見つめる。


「……つまり、あの生物は死んだという認識で構わないのか?」


「はい。多分、跡形もないかと。もしご確認なさるのでしたら場所をお伝えします」


 そうツェイトが返せば、隊長は更に眉間に皺を寄せながら何事か思案するようにツェイトから視線を逸らしたが、考えがまとまったようで再びツェイトへ向き直る。


「……とりあえず駐在所で話を聞きたい。同行してもらえるだろうか?」


 聞く所によると、あの異形が肩から放った一撃の余波はこの街にも少なからず及んでいた様で、衝撃波や地震、爆発で飛ばされた瓦礫などが飛んできて街内の建築物が幾つも損壊したらしい。負傷者は出たが、死者は確認されなかったと言う。街からは距離を取って戦ったつもりだったのだが、異形のあれはツェイトの想像以上の範囲だった。こうなると、もしかしたら自分が戦闘態になった時の余波も街へ行ってしまったのだろうか、という嫌な可能性が頭を過ってしまう。

 そうであれば異形と戦っていたであろうツェイトが公的機関から事情聴取を求められるのは当然であるし、想定もしていた。以前ワムズで起こった騒動と同じ流れである。

 断る理由も特にないツェイトは、素直に憲兵達の求めに応じる事にしてミステルの街へ一緒に向かった。







 それからツェイトが解放されたのはそれから数時間経った後だった。

 生憎連れてこられた駐在所に巨体のツェイトは入れなかったので、駐在所から机や椅子を外に持ち出して、憲兵達がバリケードを作りながら見えない場所でひっそりと聴取は行われた。もっとも家具は憲兵側が使うものであり、その時ツェイトは地べたに胡坐をかいての聴取である。さもありなん、ツェイトの体格に合った家具なぞエルフの国で作られているはずも無いのだから。

 異形が現れた経緯、戦闘までの流れ、どの様な戦闘があったか、そしてあの異形はどのように死んだのか、その事に付いて特に問い質された。

 可能な限り、そして事細かく説明を求められたツェイトは敢えて自分が倒した事を打ち明ける事にした。

 色々と嘘や誤魔化しを考えてみたのだが状況的に無理があり、変に中途半端な嘘をついて悪感情を持たれて無用な疑いをかけられれば今後の活動に支障が出る恐れがあった。なるべく公権力に睨まれる様な事は避けたい。

 自分が倒したと告げると、聴取をしていた憲兵達は驚いて事の詳細を求めてきた。

 やった事は異形へ肉弾戦を叩き込んだだけなので説明するのはそれほど苦ではなかったが、戦闘態の事は伏せる事にした。些か心苦しいが異形の放つあの光の威力が街へ届いたとなると、もしかしたら自分が戦闘態になって異形を大地ごと吹き飛ばしたあれも街に届いていそうな予感がしたので、全ての原因は異形にあるという形で押し付ける事にしたのだ。死人に口なし、なるほどこういう時に使うのか、とツェイトは複雑な気持ちでそう思った。

 異形を倒した事を暴露してしまったツェイトだが、それ以外に危うい場面は特になく聴取は進み、朝の内に解放されて帰路につく事が出来た。


 また来てもらうかもしれないのでこの街での滞在先を教えてほしいと言われたので、リュヒトの店を教えておいた。まさか破損した建造物の罰金を取るために呼び出しを食らうなんて事は無い筈だろう。今度は憲兵達の上役へ説明を求められるのかもしれないが。


 聴取後、異形の首は証拠物品として憲兵側が引き取る事になった。どうやら国の上層部に提出するらしい。

 恐らく証拠となるものを提示されると予想したツェイトは、街に戻る前に異形の死骸から首と胴体を事前に分けておいたのだ。胴体は別の場所へ隠している。後でシチブに回収してもらうつもりだ。


 太陽が空の上で自己主張をし始めた朝の街路を、道行く人達から道を開けられながらのしのし進み、リュヒトの店が見えて来ると、店の前では憲兵が集まって早朝時に起きた異形が残した破壊跡を調べていた。周りを近所の住人や今朝この街に来たばかりの様な通行人などが野次馬となって興味本位で覗いてくるが、それらを担当班らしき憲兵達が遮り追い散らしているのが見えた。世界が変わっても、治安組織のやる事は似たり寄ったりの様だ。

 ツェイトが店へ近づくにつれて見物人達はその大きな気配に気が付き、視線がツェイトへと向けられるが、怯えるように視線を反らしてその場を退いていく。

 そんな封鎖された店の裏口へと続く小さな横道から、ツェイトは見慣れた娘がきょろきょろとあたりを見廻しているのを見つけた。 

 その娘はツェイトを見つけると慌てて駆け寄って来る。ツェイトは近付いてくるその娘を見下ろしながら、眼光をぱちぱちと点滅させて瞬かせる。


「もしかして俺を待っていたのか?」


「当たり前だろ! 地面は揺れるし、物凄い音が聞こえて来るし……心配になるじゃないか。余計なお世話かも、しれないけど」


 走って来た娘――セイラムはツェイトの体を見回して、無事である事が分かると安堵したように声を(すぼ)めていく。

 ツェイトはそんなセイラムに一瞬だけ眼光を柔らかく細め、すぐにいつも通りの眼差しに戻しながら軽く自分の右腕をさすった。あの時、自ら切り落とした箇所だ。


「そんな事は無い、実際結構危なかったからな。ありがとう」


 最後辺りは相手に何もさせずに倒した形で終わったが、選択を間違えれば命を落す様な危険が隣り合わせだった事は確かなので、ツェイトは彼女が心配してくれた事が素直に嬉しかった。

 危なかった、というツェイトの言葉にセイラムが反応して何か言おうとした時、呑気な声が二人の会話に割り込んだ。



「おー、予想通りしぶとく生きてるな。元気そうで何より」


 リュヒトの店の扉からのんびりとした足取りで現れたのはシチブだった。緩い笑みを携えながら何時もの服装で歩み寄ってくる。

 ツェイトからしたらさっきまで無かった気配が急に現れた感じだったので、タイミングを見計らっていたのかもしれない。


「女の子に待って貰える様になったんだからお前も大した男になったもんだな? ええ? ……それはともかく、早よ裏に回んな。リュヒト達もお前の話を聞きたがっている」


 皮肉めいた口調で挨拶代りと言わんばかりに茶化してくるが、すぐに真面目な顔へと表情を変えて店の裏口方面を指差した。そもそも此処に長居しても人目の多い所では悪目立ちをするばかりだろう。


「……あぁ、皆にもこの事は知ってもらいたいからな」


 ツェイトはセイラムと共にシチブに連れられて裏口へと向かった。






 裏口の倉庫から戻って来たツェイトの無事な様子に、リュヒトとグリースの二人は安堵しながら迎えてくれた。ツェイトの強さを元いた世界で見知っていたとはいえ、この異世界と言う不確定要素の多い地で、遠方からこの街にまで届く余波の強さから察せられる戦いの激しさに彼ら夫婦も流石に心配になったのだ。

 無傷で帰ってきたとはいえ、ツェイトの頑強さと桁外れの再生力を二人は知っている。なので外で起こった異常な大爆発と閃光と帰って来た無傷のツェイトの姿、このかみ合わないある種の不自然さに、外で行われたツェイトと異形の戦闘の苛烈さを推察する事も出来たのだ。


 この件を話すにあたって、遅めの朝食を皆で取りながら行われる事になった。

 ツェイトが異形と街の外へ出た後、リュヒト達は異形が街に現れた時に自分の店に侵入した関係で憲兵達から状況の説明を求められ、シチブやセイラムも加わり それに時間を取られて朝食を食べ損ねていたのだ。

 本来ならば食べ盛り故に、その事について元気よく文句を言い出していたであろう双子達も、事情は分からなくとも此処に至るまでの周りの大人達の態度や家の近辺で起こった一連の出来事で、良くない雰囲気が漂っている事を肌で感じたのだろう。今回ばかりは流石に大人しかった。


 そうして行われた朝食兼報告会。食事中という事もあり、表現は大分マイルドなものに言い換えられている。

 やはりその中で一番の話題になったのは異形の肩部から放たれた光の破壊力だった。街の中からでもわかる程に早朝の暗い空は真昼時の様に明るくなり、大気の震えと爆発音、そして衝撃波や飛来する瓦礫などから余程の威力だったとは皆推察していたらしいが、爆心地でそれを体験したツェイトの話を聞くとその破壊力に皆が驚愕した。食事中なので詳細は言わなかったが、それによってツェイト自身が死にかけた事もまた威力を物語らせる要因になっていた。

 セイラムや夫婦二人が青ざめながら愕然となり、それまで呑気な態度を崩さなかったシチブもその時だけは食事の手を止めて真顔で聞いていた位だ。プレイヤーである三人は、自分が相手をした場合の事態を脳内でトレースしているのかもしれない。いずれにしても、もしツェイトが異形を街から遠くへ引き剥がさずに近くで戦うような場合になっていたら、取り返しのつかない事態を引き起こしていただろう。その異形を倒した事を伝えると安堵の空気に包まれたが、ツェイトが“本気で戦った”事を言外に仄めかせると、尚更ほっとしていた。

 街に戻る前に隠した異形の亡骸については、シチブへ食事の前に内容と指定の場所を伝えて既に回収の手を向かわせてもらっている。本人が街の中にいながら別の場所へ作業を行わせる事が出来る、そういう手段を取る事が可能なのもシチブと言うプレイヤーの強みであった。


 驚異的な異形の戦闘力とその最期についてツェイトが語り終えれば、今度はリュヒト達の方で何があったのか話してくれた。とは言っても、実際に話をしたのはシチブとセイラムの二人で、夫婦二人には表に出ずに子供達を守る事に徹してもらっていたので殆ど分かっていないのだ。その為憲兵が来た時の状況説明は主にシチブが引き受け、自分達はツェイトと異形の戦いに訳も分からず巻き添えを喰らっただけという形で憲兵側へは納得をさせていた。

 逆にそのしわ寄せが全てツェイトに向けられた様で、その結果憲兵は一番状況を知っているであろうツェイトにあれこれ聴取を行い、本来よりも長く拘束される羽目になった事が判明する。とはいえ、変にセイラムも巻き込んで彼女に注目が集まるより、自分一人で応対した方が都合が良いのも確かだったので結果的にそれで正解だったのだろう。


 短い時間での遭遇だったが、その中で際立っていたのは異形がセイラムへ行った挙動だった。

 突然部屋に穴をあけて入って来たかと思えば、顔面を開いてそこから光を彼女に浴びせ、次にはそのセイラムを捕まえようとしていたのだから不可解極まりない。

 何か思い当たる節はあるかとセイラムはリュヒト達に訊かれても、身に覚えのない彼女はそれに対して首を横に振る事しか出来ず、一緒にいるツェイトにもその質問が飛んできたがセイラムと同じ答えしか返せなかった。

 

 ……セイラムを狙う者達がいるので無いとは言い切れないのだが、異形の存在に関しては本当にその組織と関係があるのか分からないのも事実だったので、ツェイトはその感覚を押し通して知らぬ存ぜぬで押し通していたのだ。幸い、セイラム本人はその事についてまで頭が回っていなかったようで、単純に異形と自分の関係性のみで答えていたので怪しまれるような事は無かった。

 セイラムのためとはいえ、こうやって知人達を騙す事でいずれ取り返しのつかない事にならなければ良いのだがと、ツェイトは今自分がとっている選択の危うさと身の振り方について考えさせられた。

 意図の掴めない異形の行動に首を傾げるリュヒトとグリースを他所に、意味深な視線をセイラムに向けるシチブの存在を知りながら。






 全てを伝え終えたツェイトは、今朝事件が起きたばかりという事で外出するのが憚られ、その日セイラムと共にリュヒトの家で大人しく過ごす事になった。

 店の方も同様で、異形によって壊された部屋の確認や家財の整理、補修を優先するため、今日明日休みを取る事にしたそうだ。

 後に分かった事だが、これはリュヒトの店だけに限らずミステルの街中でも異形の攻撃の余波で損壊した建物や、そうでなくとも屋内の備品などが破損したりと大なり小なり街の住人達の多くが被害を受け、リュヒトの様に店の営業を急遽休みを取ったりと街は全体的に一旦機能が停止したような状態になっていた。


 最初は外の残骸撤去や穴の開いた部屋の壁面へ外から布を被せたりと力仕事を手伝っていたツェイトだったが、すぐに終わらせると室内の作業などは出来る筈も無いので、一人邪魔にならないように倉庫の一角で寝転がったまま時間を持て余していた。

 リュヒト達一家は店の中で未だ掃除や荷物の整理を行い、それにセイラムが可能な範囲での手伝いを申し出て今もその作業中だ。シチブは今回の出来事を雇い主に連絡、今後の活動に何か支障が無いのかの確認とツェイトが渡した件の異形の死骸の渡し先などで案外忙しくしている。

 そうなってくると一人ぽつねんと倉庫にいるツェイトは、戦いと力仕事以外は役立たずと言われている様な気がして、ほんのちょっとだけ疎外感を覚えた。



 その巨体を横たわらせながら、朝食時の話を思い返していた。

 あの異形はツェイトが初めて会った時に声をかけたら此方との対話が成立しないままに攻撃を仕掛けてきたが、どう言う訳かセイラムにだけは何も危害を加えずに捕獲するような動きだけを見せていたと言う。

 聞けばシチブも攻撃されたらしいのだが、その時頭部から放たれた光線は身に着けているコートだけでその光線を受け止める事が出来たらしい。


 そこでツェイトは首を傾げた。あの異形は全身に光学兵器を満載している様だが、その気になれば森林の一角を容易く焼き払える火力を有していた。なのに何故あの時シチブへ撃った光線は其処まで“弱かった”のだろうか?

 シチブが装備しているコートは防御力に秀でて、色々と耐性と機能を付けた特製品だと本人から聞いた事がある。しかし今回のシチブの話を聞く限りでは、異形の放った光線の規模がどうにも弱く感じたのだ。

 シチブが光線を受けたその時の状況を、話で聞いた情報を基に頭の中で組み立てていき、ツェイトはある可能性に思い至る。


(……セイラムが側にいたからか?)


 まさか、近くにいるセイラムに被害が及ばないように、威力を抑えたのか?

 しかし、異形がセイラムに近づいて来た時の行動等を考えると、的外れな考えとも言い切れなかった。


 とはいえ、何かと情報が足りなすぎる。何より異形の正体が全く分かっていないので、これ以上その件について考えを巡っても返って混乱するような気がして、ツェイトはそれ以上の推察を切り上げる事にした。


 考えるのを止めて、そのまま昼寝でもして時間を潰そうかと考えていた時、倉庫へ入って来る者がいた。この倉庫の本来の主、リュヒトだ。今日は店を休む事にしているからか、衣服はカジュアルなもので纏まっている。

 中に入ってツェイトを見つけると、周りをちらりと見回しながら近づいてくる。その片手には、“密会者のランタン”が吊り下げられていた。


「あーツェイト、君ひとりかい?」


「ご覧のとおり、今ここは俺の貸切状態だ。意外と悪くない」


 横になった姿勢のままの自分を見せつけるようにツェイトが片手を上げると、リュヒトの苦笑が返ってくる。

 実際、多少の埃っぽさはあるが倉庫内の手入れはしている様で汚らしさは感じなかったので、一人で考えに耽るにはちょうどいい場所であった。

 ツェイトは寝転がせていた上体をのっそりとおこして胡坐をかいた。


「もう中は大丈夫なのか?」 


「ああ、セイラムちゃんも手伝ってくれたおかげで予定より早く終わったよ。今はグリースや子供達とお茶を飲んで寛いでもらっている」


 ツェイトはふうんと相槌をうちながら、セイラムがこの家に馴染んでいる事を改めて認識しつつ、リュヒトが手に下げているものを指差して本題に入った。


「何か話でもあるのか?」


 密会者のランタン(そんなもの)を持ち込んでくるのだから、周りには聞かせ辛い話しなのだろう事は何となく察せられた。

 そこは同じNFOプレイヤーだからこそ分かるやり取りだった。


 周囲に不審な気配はなく、外部と繋がる扉類は全て締め切られている。今なら問題は無いだろう。

 リュヒトは、ツェイトの問いに答える事なく向かい合う形でその場に座り込むと、二人の間に密会者のランタンを置いて明かりを灯した。

 ランタンが展開し、淡く青白い光が灯るのを見届けてから、リュヒトは改まった態度で話しかけて来る。


「……ツェイト、君には改めて礼を言わなくちゃいけないと思ってね」


「突然どうしたんだ改まって」


 神妙な様子で礼を告げるリュヒトにいささか面食らい、ツェイトの眼光が丸みを帯びる。

 確かに今回現れた異形との戦いはツェイトが矢面に立って打ち倒すに至った。その時のリュヒト達は双子達を守る事を優先して戦闘には参加しなかったが、これはシチブが二人にそうするように言ったからであり、ツェイトもその判断で正解だと思っている。

 リュヒトとグリースの二人も強いアバターだ。戦いから離れ、一市民として市井の中で暮らし続けていたのでもしかしたら勘の鈍りはあったかもしれないが、NFOの頃の性能をそのまま引き継いでいるのならば十分強力だ。

 だが、今の二人は武具店を営むダークエルフの亭主とエルフの妻に過ぎない。彼らは戦いの中で生きるよりも、その能力を生かして街中で暮らす事を選んだのだ。そんな二人がもし本来の力を振るおうものならば、今の生活は遅かれ早かれ破綻していたかもしれない。


 恐らくその件について礼を言いに来たのだろうとツェイトは考えていたが、少し違うようだ。


 ツェイトから視線を外し、リュヒトは倉庫内を、まるで思いを馳せるように見回している。恐らくその視線の先は、もっと別のものなのだろう。


 どこか話すのを躊躇うような素振りにも見えたが、わざわざ自分の元まで足を運んできたリュヒトの気持ちを察し、彼が口を開くのを待っていると、訥々(とつとつ)と話しかけてきた。


「リアルで……元の世界で僕達が実際に結婚しているのは知っているよね?」


「ああ、NFO内だけだったがその結婚式には参加させてもらったからな」


 ゲームの世界で結婚式に参加したのはツェイトもあれが初めてであったからよく覚えていた。

 表情も現実世界の様に精巧に作られていた世界だから分かる。あの時の二人は確かに幸せそうだったと。

 だからNFOで最後に見かけたあの二人の、どこか思いつめたような暗い表情もまた頭に強く残っていたので気がかりだった。


 そのまま続きを促すと、リュヒトが一瞬だけ、あの時見た様な暗い表情になっていたのに気が付いた。ツェイトには、それがまるで過去の辛い記憶を掘り起こしているかのように見えた。








「元の世界の僕達はね、子供が出来なかったんだよ」


 リュヒトは淡々と、自分達の過去を打ち明けた。

 

 元々幼い頃からの幼馴染同士で仲の良い友人関係が始まりだったが、多感な思春期を迎えると互いに男女の認識が芽生え、困惑しつつも恋仲となり、成人を迎え大学を卒業した頃には遂に結婚へと至った。

 元いた世界の日本で晴れて結婚した二人の暮らしは概ね順風満帆だった。新しい住まいではお互い共働きだった事もあって稼ぎが致命的に困る場面に遭遇する事も無く、幸せな結婚生活を過ごす事が出来た。


 しかし、そんな二人の生活に陰りが見えはじめた。

 そろそろ新しい家族を、子供を儲けようとしたが、一向に子供を授からなかったのだ。

 流石におかしいと思い病院で二人とも検査を受けた所、グリースが重度の不妊症である事が発覚する。

 決して不治の症状ではないと病院の方からも言われ、幾度も不妊治療を試みるも、好転の兆しは一向に訪れなかった。

 

 続けていけば治ると信じていた。通院していた病院の医師に相談をして、より不妊症に強い医師を紹介してもらい、病院を変えた事もあった。だが、それでも子供が出来ないと言う結果が彼らの努力を嘲笑う。


 そんな日々を送る中で一番辛かったのは間違いなくグリースだ。通院する時間を割き、処方される薬剤の副作用に悩まされ、それでも今の仕事を続け、何より自分が原因だというのが確実に彼女の精神を蝕んでいった。

 前向きだったグリースの表情も目に見えて暗くなり、リュヒトも励ましていったがそれらが時として彼女に重圧を与える事にもなってしまい、かける言葉も少なくなって、それが原因で微妙な空気を作る事になってしまう。


 更に、夫婦に追い打ちをかける致命的な出来事が起こる。


 里帰りでリュヒトの実家へ二人で向かった時、リュヒトの父がグリースに向かって不妊症の件で、心無い言葉を投げつけてきたのだ。

 まさか自分の親がその様な言葉を言うとは思わなかったリュヒトは未だかつてない程に激怒して実父と大喧嘩になり、その果てに顔面を何度も殴り倒す行為に及び、それをきっかけにリュヒトは実家とはほぼ絶縁状態となった。


 リュヒトはグリースに何度も謝った。その時のグリースは気にしていないと言っていたが、浴びせ掛けられた言葉は間違いなくとどめとなってしまった。

 度重なるストレスに彼女の心がとうとう限界を超え、グリースが精神障害を患ってしまったのだ。

 仕事にも支障をきたした事で療養の為に休職し、不妊治療も今のグリースには逆効果にしかならないので一旦中止にせざるを得ない。自宅療養を始めた当初、グリースは私生活も思う様にこなせなくなってしまい、リュヒトが肩代わりしなければならない位に荒みきっていた。

 それでも、リュヒトが懸命に支えた甲斐あって少しずつ快方に向かっていったグリースだが、子供関連だけはどうしてもトラウマになってしまい、二人の会話からも自ずと話題は避けられていくようになる。


 そんなグリースへある日、リュヒトは久しくやっていなかったゲームを再びやらないかと提案する。

 社会人になり、結婚してからは全く遊ぶ機会が無くなっていた電脳ゲーム――NFOへログインして、昔の楽しかった頃を思い出してグリースの気分転換になれればと思っての発案だ。

 NFO現役時代では二人揃って結構やり込んでいたので貴重なアイテムや能力値の詰まったアバターである為、消すのを惜しんでまたあの世界に行く機会があればとアカウントを残しておいたのだ。あの世界ならば現実を一刻でも忘れられる、それがグリースの心を少しでも癒してくれるのならばそれ以上に求めるものは無い。


 提案の結果、グリースはそれを承諾した。彼女にとってもあの電脳空間を駆け抜けた思い出は十分宝物に値する。その頃の気持ちをもう一度思い出したかったのかもしれない。

 部屋の片隅で埃をかぶっていた専用のゲーム機――ニューロバイザーを持ち出して起動、長いアップデートの末に二人は久しぶりにNFOの世界へと戻って来た。


 二人は童心に返ったように、学生の頃に見た風景を思い出すようにその世界を楽しんだ。

 始めは操作の感覚をすっかり忘れてしまっていたので、昔の勘を取り戻すために最初のフィールドで体を動かす程度だったが、そんな他愛のないものでも二人にとっては楽しかった。

 古い知人達とも再会が叶い、昔の思い出語りと共に彼らの現状も知る事が出来た。やはり社会人になってから現実の生活に時間を取られてしまい、やむなく引退した者もいた事には寂しさを覚えたが、現役の知人プレイヤー達の元気な姿が見れたので気分は晴れた。


 知り合い達と別れ、ひとしきり楽しむ事が出来た二人は久々のログインで長時間のプレイは体に悪かろうと思い、一旦休憩を取ろうとログアウトする。

 そこで二人の運命は大きく変わった。



 ログアウトしたはずの二人が次に見たのは、見覚えのない広い草原地帯だった。

 すわ何かの操作ミスか、それともNFOのバグか、様子がおかしいこの状況に二人は再度ログアウトをしようとして、ログアウトするためのウィンドウが現れない事に気が付いた。

 ログアウトだけに限らず、NFOで操作できるはずのウィンドウが全て現れなかった。運営に連絡するためのメール機能も、現在地を教えてくれるマップも、アイテムストレージも何もかもが。

 しばし混乱する二人、特にグリースは完全に精神的に持ち直していないので狼狽ぶりが酷く、リュヒトが落ち着かせるのにかなりの時間を要した。


 そうして全く進展しない現状に、二人はやむを得ず何も分からないまま手探り状態でこの未知の世界を流離う事になる。そして思い知らされる、此処がゲームの空間では無くまさしく現実と同じ世界なのだと。

 困惑しながら旅する二人にとって最も幸運だったのは、その時リュヒトのアバターが装備していた装備の存在だっただろう。

 生産職特有のアイテム収納用それを、リュヒトは容量を最大限にまで強化してあらゆるアイテムや装備類を詰め込んでいたおかげで食事や野宿でも不便する事はなく、危険な場面に遭遇してもそれを駆使して難を逃れる事が出来た。


 姿を変え、名前と身分を偽り、その場しのぎの路銀稼ぎとして一時期クエスターとしても活動して少しずつこの世界に順応し始めた頃、二人はシチブの雇い主と接触する。自分達以外にもプレイヤーがこの現象に巻き込まれていた事はある意味救いだった。自分達以外にも同じ境遇の者達が精神的負担を和らげた。

 そこで情報交換を行い、この世界の事を多少知る事の出来た二人は元の世界へ帰る事を止めて、この世界で生きていく事を決意した。

 決して未練が無いわけではなかったが、元いた世界でのここ数年続いた辛く暗い記憶を全て忘れて、この地で新しくやり直してみたいという思いがこの世界で過ごしていく内に強くなっていたのだ。


 それから二人はクエスターの活動を引退し、リュヒトの能力を生かして武具店を営みながらプレイヤーと連絡を取り合って今の暮らしを維持してきた。

 生活基盤は元の世界に比べれば格段に落ちるが、アバターの身体能力なら苦労する事は無かったので慣れていけばそれはそれで悪くは無かった。


 新たな世界で夫婦生活を再出発してからそれなりに年月が経った。

 そんな時だ、グリースの体に新たな命達が宿っていたのは。




 考えてみれば不思議な事ではないだろう。どういうからくりかは知らないが、肉体が人間だったものから圧倒的な生命力を秘めた生命体に替わったのに、人間だった頃の体質が引き継がれるわけではあるまい。つまりは、そう言う事だった。






「……産まれたあの子達を抱き上げた時、グリースが初めて声を出して泣いたんだ。気が滅入っていても涙を流さなかった彼女がさ。……自分も母親になれるって」


 その時の様子を思い出したのだろう。顔を俯かせながら目を閉じて語るリュヒトの言葉には、何処か湿り気が感じられた。

 彼女がため込んでいた感情を吐き出させる事が出来なかった己の不甲斐なさを悔やんでいるのか、それとも、愛する妻がようやく本当に救われた事を喜んでいるのか。それは本人しか分からない。


 この世界へ来る前の、そしてこの世界へとやって来た経緯を聞いたツェイトは、ようやくNFOで最後に見た二人のおかしかった様子の真相を知る事が出来たが、想像以上の境遇に驚愕して言葉をかける事が出来なかった。迂闊にかけてやる言葉のどれもが、軽くて無責任なものに感じてしまったから。


「勿論あの子達の事は本当に愛している。グリースとの間に生まれた子達なんだ、可愛くない訳が無いよ」


 そうであろう。人間だった頃に望んでも授かれなかった子供がようやく、しかも二人も恵まれたのだ。リュヒト達にとってこの世界で最も掛け替えのない宝物は、あの子達なのだろう。

 しかし、出生率が低いと言われているエルフ系統の種族の間で双子が生まれるとは、決別した元の世界への当てつけか、何と言う皮肉なのだろうか。


 リュヒトは顔を上げると、ツェイトをしっかり見据えた。

 人間からダークエルフ――その実態は高位の妖精種となった男の眼差しは、何処までも真剣だった。


「だから親として、夫として、君には感謝しないといけないと思った。ツェイトが本気で戦わないと死にかけるような奴ともし僕達が戦う事になっていたら、正直無事に帰ってこれたのか分からないし、グリースやあの子達が危険に晒されていたかもしれない。僕は、今はそれが何よりも怖い」


 今のリュヒトに、いやグリースもそうなのだろう。夫婦が最も恐れているのは、家族が不幸に脅かされる事なのだ。願っても手に入る事の出来なかったものを失うかもしれない恐怖を背負う今のリュヒトは、間違いなく家庭を持ち、家庭を守ろうとする男の姿だった。


「でも君が戦って、勝ってくれたおかげでこの街を、僕達家族が暮らしている場所を守ってくれたんだ。本当に、ありがとう」


 深々と頭を下げるリュヒトに、今まで静かに聞き役に徹していたツェイトが口を開いた。


「俺は平気だから気にするな。……家族を大切にな」


 


 ツェイトはこの世界に来て家族を持ったプレイヤーの姿を見て、親友のプロムナードがどんな気持ちで娘のセイラムをあの老人に、育ての親を引き受けてくれたウィーヴィルに預けたのだろうか、無性に知りたくなった。

 このリュヒトの様に、強く案じてくれたのだろうか。





 翌日、リュヒトの店に身なりの整ったエルフ達が訪れる。

 客ではない、来訪者達はツェイトを尋ねてやって来たのだ。

 その正体は、この国の王政府からの使者だった。

所感などは活動報告にて後ほど記載いたします。


当作品をご覧になってお楽しみいただけましたら、評価、感想いただけると嬉しいです。

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