第16話 賞金首眼潰れの討伐
文字数:約16600文字
老婆に連れられてやって来た老夫は、初めて会った時の様に床に伏せるほどの弱々しさは無く、確かに自身の脚で立って危なげなく歩いて来ていた。
そうなると今回の依頼の前提そのものがおかしくなる。
元々老夫が腰を痛めたからその代理で農作業をするという事でまかり越してきたわけなのに、当の本人が元気では自分達が此処にいる意味がなくなる。
(……それとも、クエスターを呼び出す事に何かあるのか?)
そんな事を頭の隅で考えながら、ツェイトはやって来た老夫が何を話し出すのか隣のセイラムと一緒に耳を傾ける事にした。
現れた老夫は、何かを決意したようなこわばった顔つきでツェイトとセイラムの二人を見ると、重々しく口を開いた。
「……妻から話はもう聞いておりますか?」
「ええ、何故腰痛だなんて偽ったのですか?」
ツェイトが問い返すと、老夫が後ろで黙っている老婆へほんの僅かだけ振り向き、深呼吸をするとその胸の内を明かした。
「実は……クエスターのお二人へ折り入ってお頼みしたい事があるのです」
「その様子から察するに、荒事の様にお見受けしますが?」
ツェイトがそう訊ねたのはクエスターの特性が理由だった。
クエスターは何でも屋に近いが、その大半の者達の仕事の稼ぎはモンスター狩りが占めている。
それに従ってクエスターたちは皆大なり小なり戦う術を持ち得ているのものである。
この目の前の老夫も、其処に期待しているのかもしれない。老夫はツェイトの言葉にハッとした顔を見せ、額から汗がを滲ませながら答えた。
「その通りです。ひと月ほど前からこの村の近くの山に恐ろしいモンスターがうろついておりまして、もう何人も村の者達が襲われて食い殺されているのです。そちらの蒼い御方は腕に覚えがありそうに見えましたので、出来る事ならばそのモンスターの退治をお願いしたいのです」
最初はぽつぽつと、しかし徐々に言葉に熱が入り、錆びた歯車に油でもさしたかのように舌が回りだす。
老夫の顔は必至だった。ツェイトを必死に説き伏せようと今までの人生で培ってきた言葉を総動員し、この地に引き留めようとする想いがひしひしと感じられたのだ。
(……まるで崖っぷちの営業マンだな。俺にも覚えが無くはないが)
ツェイトはそんな老人の必死の嘆願を、どこか冷たさの感じられる思考で以て、聞こえてくる言葉の中から必要な情報のみを抜き取って思案する。
要は、此方の腕を見込んでモンスター退治を極秘裏に頼みたいという事なのだろう。
だが、その頼みをはいそうですかと安請け合い出来ないワケが色々とあった。
「お爺さん、仰っている事は分かりました。しかしお爺さんの頼もうとしている事は、本来私達クエスターへ依頼したものとは別の内容になります。そこまではお分かりですか?」
「そ、それは……勿論です」
ツェイトの放つ言葉に老夫の肩が揺れる。顔色も心なしか悪くなっているように見えた。後ろの老婆に至っては、隠す事もせず老夫を心配そうに見つめていた。そこら辺が、この老夫婦に駆け引きの経験の無さを示している。
これは確信犯かな。そうツェイトは思いはしたが、それでもこの老夫に確認しなければならない事があった。
「本当ですか? あまりこういう事を言いたくはないのですが、もしあの依頼が偽りで、今頼もうとされている事が本来の依頼だった場合、私達を騙して安い依頼料で済ませようとしたと見なして、私達はその事を組合へ報告する事も考えなければなりません」
ツェイトは敢えて疑う素振りを露骨に見せた。屈むことなくその場で老夫を見下ろしている為、影掛かった顔に青白い眼光が灯り、淡々と問い質している事も相まって、並の胆力を押し潰す迫力となっていた。
偽り、騙し、組合へ報告。それらの言葉が老夫へ告げられ、ツェイトの態度と合わさる事で、老夫の表情はまるで死刑を言い渡された罪人の様な恐怖と絶望に引き攣った顔になっていく。
体が震え出し、何かに耐えるような仕草が見え始めた時、頃合いを見計らってツェイトが更に言葉をかけた。
「……お爺さん、もし何か隠していらっしゃるのなら今のうちに仰ってください。今なら私はお話を聞いただけという事にして、今後それについてどうこう問い質す事はしません」
老夫からすれば、それは救いの言葉に聞こえたのかもしれない。
よろよろと焦燥感で塗り潰された顔を上げ、昆虫人特有の黒一色の目を見開かせていた。
かすれた声が老夫の口から漏れる。
「ほ、本当ですか?」
「お約束しましょう」
そこまで言われて、とうとう老夫はあぁと呻きながらその場に跪いてしまった。それ程までに、老夫にかかったプレッシャーが大きかったのだろう。
ついに老夫は暴露した。
老夫婦の本来の目的は、今村を脅かしているモンスターを討伐してくれるクエスターを探す事だった。
そこいらのモンスターであれば通常ならば村人でも狩りの一環で仕留めてしまえるし、多少危ない程度ならば並のクエスターに頼む程度の報酬金を用意することは出来たと言う。
しかし、当のモンスターが問題だったと老夫は困った様子で述べた。
「そのモンスターとはどの様なものですか?」
「ワイルドマックなのです」
「ワイルドマック……ですか?」
そのモンスターの名前を聞いたツェイトは、内心首を傾げた。
ツェイトからすれば、ワイルドマック程度は片手間、場合によれば指一本でどうにでも出来る相手だ。この世界に初めてツェイトが来た際にすぐ遭遇してその際頭を拳でカチ割り、肉塊にした事でツェイトに色々と衝撃を与えたモンスターである。
だが同時に、ワイルドマック一頭でそこまで大問題になるのだろうかとツェイトは疑問を抱いた。
先日のクエスター試験の際筆記テストに備えて勉強をした時に知った事だが、ワイルドマックは確かにこの世界では恐ろしいモンスターに数えられているが、“三本線”あたりのクエスターが複数のチームを組んで挑めば比較的容易に狩れる程度の存在だ。必ずしも手におえない存在ではない。
恐らくだが、そのワイルドマックに何かあるのだろう。
その証拠に、老夫が疑念を抱くツェイト達へ補足を付け加えた。
「はい、ですがただのワイルドマックではないのです。普通のワイルドマックであれば、最悪ワシ達の村に住む狩りの手練れだけでも何とか出来たと思います……ですが、あれはどうにもなりませんでした。村の者は次々と食い殺され、後で村の者に首都のクエスターの組合へ行ってもらったついでに調べてもらったのですが、手練れのクエスターですら何人も返り討ちに遭ったそうです」
「そんな奴がいたのですか……それで、そのワイルドマックはどのような奴なのですか?」
「……両眼が無いのです」
老夫の口にするワイルドマックの特徴に、セイラムがピクリと反応し、老夫をまじまじと見つめだした。
何か知っているのだろうか?
とりあえずツェイトは老夫の話を聞く事に注力した。
「正確には、両眼が潰れているのです。ワシも何とか逃げおおせた者から聞いただけなのですが、片方は切り傷らしい痕で眼が潰されておりまして、残った片目には武器らしい長いものが目を貫き、頭の後ろを突き抜けているそうなのです」
つまりは両眼が見えていない状態で、それも強い相手を襲えるほどの余力があるという事だ。
明らかに並のワイルドマックよりも強力で異常な個体だ。あまり信じられない事だが、眼が見えなくなった代わりに、嗅覚か聴覚でそれを補っているのかもしれない。
ツェイトが老夫の証言からワイルドマックの危険度を推し量っていると、セイラムがぽつりとつぶやいた。
「“眼潰れ”だ……」
「セイラムは知っているのか?」
意外な所から出た情報源へ、ツェイトが驚いていると、そのセイラムが説明を続けてくれた。
「……前に、ウィーヴィルから聞いた事がある。色んな国の山々を彷徨い歩いているとんでもないワイルドマックがいるって」
セイラムの育ての親である老人は、そのモンスターの事を知っていた様だ。
セイラムの話すその異常な個体のワイルドマックの名は“眼潰れ”。これは両目を潰されている外見的特徴からそう呼ばれているらしい。
本来ならば巣穴と縄張りを持つ習性があるワイルドマックの中では珍しい巣穴と縄張りを持たず、他に類を見ない事だが、この種族間連合内の山々を徘徊しているという。
性格はワイルドマックよりも凶暴らしいが、知恵も回るそうだ。
そしてその戦闘力は、視力が無いにもかかわらず手練れたクエスター達すら尽く食い殺すと言われている。
眼潰れが発見されたのは数十年以上前ともされており、眼潰れによって起きた食害に遭った村やクエスター達も少なくはなく、多くの猟師や腕自慢の武芸者、クエスターが挑んだにも関わらず、仕留める事が出来ずにいた為今もクエスター組合の方で懸賞金付きのモンスターとしてブラックリスト入りされていた。
「ウィーヴィルからは、もし見つけたら何でもいいから死ぬ気で逃げろって言われていた」
眼潰れの脅威を説明しているセイラムは、まさかそのモンスターの件に絡みそうになるとは思わなかったと顔を強張らせていた。
そして、その場で一緒に聞いていた老夫婦達はそわそわと焦っていた。
退治してもらおうとしたモンスターの恐ろしさがより鮮明になった為、ツェイト達が拒否するのではないのかとでも懸念しているのだろう。
渦中のツェイトは、セイラムの話を聞き終わると老夫へ再度訊ねた。
「お爺さん、そのモンスターを討伐するために依頼する金額はこの村で用意できたのですか?」
「……出来ません……ワシ達の村中を逆さに振っても到底用意など出来ないのです」
弱々しい老夫の返答こそが、今回の依頼の最大の要因なのだろうとツェイトはあたりを付けた。
依頼金を用意できないが故に安い依頼でクエスターを誘い、そしてあの眼潰れと言われたモンスターの討伐もやってもらおうとしたのだろう。
言葉だけを並べると明らかに依頼詐欺である。
しかし完璧に此方を嵌め落そうとしていない雰囲気があった。
これがもし狡猾な奴なら、素知らぬ顔でモンスターに襲われるような状況まで用意して事後承諾で巻き込ませてしまう事も出来ただろう。
それがこうして胸の内を吐き出している所を見るに、この老夫婦の良心が冷徹になり切れなかったのか、それとも組合にばれる事を恐れたからなのか。
とは言え、これはツェイトにとってマイナス要因になるものでは無い。
立ち回り方次第では、プラスに傾く可能性が秘められているのだ。
「仲間と話し合いますので、少しだけ時間をください。すぐに戻ります」
「は、はい」
ツェイトは老夫へとそう言うと、セイラムを連れて老夫婦の家から少し離れた畑道まで歩いた。
周りを見回し、耳を澄ませても気配を辿っても周りには自分達しかいない事を確認すると、ツェイトはセイラムへと告げる。
「俺はこの話、受けようと思う」
「……確かにツェイトならあのモンスターと正面からぶつかっても大丈夫そうだもんな」
セイラムが苦笑しながらツェイトを見る。反対意見を出さないあたり、セイラムもツェイトと言う存在がいるから乗り気なのかもしれない。
「そこでなんだけど、どうする? 今回のモンスターは尋常じゃないらしい。セイラムは村で待っているか?」
待っていろと不躾に言うつもりは無かったが、積極的に来て欲しいとも言い難かった。
セイラムの持っているであろうワイルドマックの生態や習性への知識より、彼女の安全がツェイトの中で僅かに勝ったのだ。
その様な提案を受けたセイラムが、ツェイトの顔を見上げた。
眉間に小さな皺を作って見据えてくる黒一色の目が、見上げた先にある青白い眼光と視線を重なる。
「……この間の大門前で起きたやつの時から私なりに考えていた事がある」
少し顔を俯かせたセイラムの表情は苦々しげだ。
ツェイトはセイラムの何か言おうとしている様子に、話を聞く姿勢を取った。
「私はツェイトと比べたらとても弱い。これはツェイトと一緒になってから身に染みるほど分かった」
それについては、これまで戦った相手にも問題がある。
セイラムを追いかけているあの兵士達なぞ、通常お目にかかれるような連中ではない。強さもある程度戦いに心得があるとはいえ、一介の村娘に等しいセイラムではどうにもならない。
「でも何もしない役立たずにもなりたくはないし、申し訳がないんだ。だから……」
思えばちょうど大門前で異形や謎の兵士達と戦った後だろうか、確かにセイラムの様子に違和感があったのは。
最初に会った時の様な快活さが無くなり、時折自信なさげな顔をしたり、何か考え事をしているかのように難しい顔をしている光景が見られたのだ。
ダンの獄死が後を引いているのかと思っていたが、それだけではなかった様だ。
足を引っ張っているのではと思い自責の念に苛まれているセイラムの有様を見兼ねたツェイトが、セイラムが何かをしゃべるよりに先に口を開いた。
「……人っていうのは、一人ではどうしても出来る事に限界がある」
突然しゃべりだされて呆けた顔をするセイラムをそのままに、ツェイトは体を屈めて視線をなるべく合わせながら言葉を紡いだ。
「俺だってそうだよ。俺はセイラムよりも早く動けたり腕っぷしはあるかもしれないが、セイラムは俺に出来ない事が出来るし、俺よりも知っている事だってあるだろうに」
ツェイトは屈んだ態勢から見るセイラムの黒い瞳が、僅かに揺れたのを感じた。
曇りのない、綺麗な目だと思った。
「出来ない点を助け合って出来るようにするのが仲間だったり相棒だったりするんだ。俺だって昔は散々親友と互いに足を引っ張ったりしたけど、まぁ何とかこうしてやっていけてる」
思い浮かぶのは、セイラムの父にして自身の相棒だったプロムナードと共にNFOで冒険をした日々の記憶。今でこそそちらの界隈では有名になる程のコンビになったが、組んだ当初は阿吽の呼吸とは程遠い拙いものだったのをツェイトは今でも覚えていた。
そもそもツェイトはセイラムの事をお荷物などとは思ってはいない。だが、結果としてセイラムにその様な認識を与えさせてしまったのだから自身の認識不足も原因だとツェイトは自戒した。
しかしこの言葉で通じるだろうか、とツェイトは不安になりながら頬の外骨格をかいた。
「その、なんだ。今回の依頼はセイラムには危ないんじゃないかと思ってはいるんだが、セイラムの知恵を借りたいとも思っている」
何せ相手は数十年もクエスターや狩人達からの追跡をかわして今も連合の領域を脅かしている特殊個体のモンスターだ。そんな相手が知恵の回らない奴なワケが無い。
何も考えずに力押しでやってしまえばどうとでもなるかもしれないが、それに伴う近隣の山々の被害が馬鹿にならない気がするのだ。
そうなるとセイラム狩りの知識を使って追いかけて行った方が効率が遥かにいいと思えるのだ。
実際、クエスターの試験でもモンスターの部位を集める課題ではセイラムの持っていた知識が役に立った。十分役割分担は出来ていた。
「眼潰れと戦うのは勿論俺が引き受ける。セイラムには近づかせない。もし危なくなったらセイラムを担いですっ飛んで逃げる。……単刀直入に言う、俺に協力してくれないか?」
……何だか妙な口説き文句だなと苦い気持になるツェイト。
対するセイラムは、呆けた様な、困ったような顔をツェイトへ向けたまま黙り込んでしまった。
ツェイトの青白い眼光から逃れる様に顔を逸らし、何か考える様に目を細めて俯きだす。
これは無理そうかな。流石に凶悪そうなお尋ね者のモンスターの狩りに同行させるのは、セイラムにはまだ酷だったか。
そうツェイトは思いかけた、その途端だった。
「あぁッ……くそーっ!!」
突然セイラムが顔を上げ、黒い外骨格で覆われた片手で頭を掻き毟るや否や、見上げた空に向かって罵声を飛ばした。
いきなりの叫びに、一体なんだとツェイトはつい眼光を丸くしてしまった。
ツェイトだけではなく、畑仕事が終わって帰路についている昆虫人の農夫までもがギョッとした顔で此方を見ていいた。多分、老夫婦の所まで聞こえているはずだ。
「……どうした?」
ないとは思うが、まさか気をやってしまったのかという可能性が頭を過り、屈んだ状態のツェイトはおずおずとセイラムを顔を窺う。
そんな心配をよそに、セイラムは肺の中の毒素でも吐き出すかのように叫び終えると、大きな深呼吸をして顔を戻した。
やけにすっきりした顔をしていた。澄んだ顔と言っても良い。
そんな顔でツェイトを見上げていた。
「色々と悩んでいたけど、もう止めにする」
「……そうか?」
「さっきの話だけど、やってやろうじゃないか。私が奴の足跡を追いかけて、ツェイトが引きずり出した奴を殴り倒してしまえばいいんだ」
「お、おお」
急にはつらつとしてきたセイラムへ困惑しがちにツェイトはあやふやな相槌をうってしまった。
いちおうセイラムが調子を戻したようなので、ツェイトはこれを良しとしておくことにした。
無茶をするようならば此方でフォローするように気を付けておこう。此方の方が年上なのだから、それくらいはしなくちゃ情けないだろう。
セイラムの参加の意思を受けたツェイトは、セイラムと共に畑道を歩いて老夫婦の元へと返事を返しに向かった。
ツェイトの巨体が水気を少し含んだ土を踏み鳴らす音が二人の耳に響いた。
「……ツェイト」
「うん?」
「私、まだツェイトの脚を引っ張っるかもしれないけれどさ」
「……」
「でも、頑張るよ」
ツェイトは顔を向ける事なく何も言わず、その大きな手で少女の肩をなるべく優しく叩いた。
そうして、ツェイト達は老夫婦へワイルドマック特殊個体“眼潰れ”討伐を、個人的な依頼として引き受ける事にした。
「ところでセイラム、その眼潰れって奴はどれくらい強いのかウィーヴィルさんは何か言っていなかったか?」
老夫婦へ返事を返したツェイト達は、現在月明かりに照らされた夜の山を歩いていた。其処は、眼潰れが出没して村人を食い殺した一番最近の場所であった。
鬱蒼と生え広がる草を踏みならし、木々をかき分けながらツェイトの巨体は山の中を悠然と進んでいく。もうかれこれ1時間くらいは山の中を歩いているのではないだろうか。
全身を深い青色の外骨格で覆われた人型カブトムシの巨人と言った容姿のツェイトは、木々の隙間から差し込んでくる月明かりに照らされてその巨体が時折鈍い光を放っている。
そして両の眼部に灯った青白い眼光がさながら鬼火の様に光り、片刃上の分厚く巨大な角と巨体が相まって、さながら獲物を求めて夜の山道を彷徨う恐ろしい鬼の様であった。
「ウィーヴィルも昔出くわした事があるとか言ってたな。でも、流石に危なかったらしくて途中で撒いて逃げたって聞いている。眼潰れがいるだけで村一つの人や作物、家畜を全部平らげるらしい」
セイラムは普段身に着けている丈の短い巫女服の様な衣装の上から獣の毛皮で出来た蓑を羽織り、片手に槍を持ってツェイトの背後をぴったり離れずにくっついて歩いている。
時折木の根が地面から露出してたり、段差の激しい悪路を手慣れた様子で進んでいく様子は、山で過ごした経験の豊かさが垣間見えた。
「・・・・・・あの人もよくやるな。ちなみにウィーヴィルさんって普通のワイルドマックは狩った事があるのか?」
「ああ、頭を鉈でカチ割って仕留めていたぞ」
「・・・・・・うん? その言いぶりだとセイラムも近くで見ていたって事なのか?」
「私も一緒にワイルドマックの狩りに参加した事があるんだ」
いつぞや見た巨大な鉈を振り回して、ワイルドマックの顔面を叩き割っているセイラムの育て親の姿がツェイトの目に浮かぶ。やはり、あの老人はこの世界でも別格なのだろうか。あのプロムナードが赤ん坊のセイラムを託した相手なのだから、色々と信頼のできる人格者である事は確かである。
だが、そのウィーヴィルがこの世界の村人の基準ではあるまい。あの人、下手な軍人より強いんではないのだろうか?
「……ワイルドマックって、普通の村の人達はどうやって狩っているんだ?」
「何人も狩りに慣れた人を集めて、前もって罠や道具の準備をして挑むんだ。ただ、死人が出てもおかしくないから村の近くにいなければやり過ごす事の方が多いかな。あと狩りに行く場合は、大体ウィーヴィルも参加していた」
ワイルドマックは頭の先から足のつま先まで、それこそ体内のあらゆる臓物や血肉と骨が何らかの材料として重宝されており、一頭いるだけで結構な財産を稼ぐ事が出来ると言われている。
モンスターの脅威を取り除くという意味合いもあるが、打ち倒せば一攫千金を手に入れるのと同じだ。村の衆が一致団結して仕留めようとするのも無理からぬことである。そこへウィーヴィルが加われば成功率がぐっと上がるのだから大層重宝されたのだろうなと彼の老人の事をツェイトは思い浮かべていた。今は件の謎の兵士達の襲撃で荒らされた村の復興に従事しているのだが、今は肩身の狭い思いをしているのかもしれない。願わくばあの老人にも幸があってほしいとツェイトは密かに祈る。
セイラムの話を聞くに、セイラム自身もワイルドマックの狩りへ参加した経験があるという。
大人や男達に混じって狩りに出る事などそれならワイルドマックの習性等も分かっているだろう。NFOの設定を参考にしても良かったのかもしれないが、こういうのは現地の人の経験を取り入れる必要がありそうだ。
「眼潰れと普通のワイルドマックの習性に違いはあるのだろうか?」
「ああ、何でも連合内の人型種族を執拗に狙って襲う習性があるらしい。もしかしたら“人”ならば何でも良いのかもしれないけれどな。それと、結構慎重な奴だと聞いた事がある。大勢で狩り立てられようとした時は姿を隠しながら返り討ちにしていったらしいぞ」
「伊達に数十年も前から生き延びているわけじゃないって事か」
まさしく悪評高き賞金付きモンスターである。
出没した年数と被害数も考えると、かなり頭の切れるモンスターだとツェイトはにらんだ。
その証拠に、ツェイトは先ほどから周囲の気配を探っているのだが、何処にも眼潰れらしき気配が全く感知できないのだ。
眼潰れの存在を恐れてであろう、他のモンスターや動物たちの気配すら感じられないので、少なくとも眼潰れに近づいている筈だと考えられるのだが。
先ほどからツェイト達は木の枝をワザと折ったりしながら山の中を進んでいた。
自分の縄張りに近づいてきた相手に攻撃を仕掛けてくるワイルドマックの習性を逆手に取ってみようとしたのだが、一向に眼潰れが現れる気配がない。
「まさか山を移動したのか?」
「それは無いと思う、襲う獲物がいるのにそれを放ってはいかな……」
あまりの反応の無さに、ツェイトがぽつりとつぶやいていると、突然後ろをついてきていたセイラムの脚が止まった。
それを怪しんで振り返ったツェイトが見たのは、ある方向を見たまま顔を強張らせているセイラムの顔だった。
「……ツェイト、ちょっとあそこまで見に行こう」
セイラムの外骨格に包まれた指が差した先は雑草が比較的短い場所だ。だが、そこの一か所だけ土が不自然に盛り返された箇所があった。
ツェイトはセイラムの指示に従ってセイラムと共に其処へ向かった。
よく見て見ると、明らかにそこだけが元々あった雑草地帯を掘り返したかのように土が露出しているのが夜の森の中でも見て分かった。
雑草ごと乱暴に土ごとひっくり返したのだろう。丸々根が付いている雑草が逆さになって埋まっていたりしている。
しげしげとその箇所を眺めているツェイトを他所に、セイラムが背負っていた槍を取り出してその露出した土を掘り返し始めた。
恐らくセイラムは此処に眼潰れ関係の何かを見つけたのだろう。ツェイトは穴掘りなら手伝おうとしたのだが、「ツェイトは触らない方が良いかもしれない」と断られてしまった。
そのままセイラムの作業を見守っていると、セイラムの手元が何かにぶつかったように止まる。掘り返していたセイラムの槍が何かを捉えたのだ。
その手応えにセイラムは眉間に皺を寄せて顔を顰めると、勢いよく槍を掘り返した。
そしてあらわになったそれを見て、ツェイトの眼光が嫌悪感で細まる。
「……眼潰れもワイルドマックだからもしかしたらと思っていたけれど……」
掘り起こしたセイラムも苦々しげだ。言葉の節々に気持ち悪さを堪えている調子が伺えた。
土の中から現れたのは、昆虫人のものと思しき“残骸”だった。
殆ど骨しか残っておらず、肉や内臓と言った箇所は全て失われいるものが、ばらばらとなって土の中からその哀れななれの果てが姿を表したのだ。
セイラムの言い方からするに、これは眼潰れの被害者なのだろう。
「ワイルドマックは食べ残した獲物を土に埋めて後で食べる時があるんだけれど……こいつは変だ。綺麗すぎる。食べ終わった……ゴミを埋めているみたいだ」
骨しかほとんど残されていない亡骸をゴミという事に抵抗を覚えながらも、セイラムが掘り起こした骸から目をそらさずに推察した。
ツェイトは一瞬だけ骸からセイラムへと視線を移して彼女の様子を見る。
セイラムは顰めた顔をしているが、吐き気を催すような感じでは無かった。
過去にも同じものを見た事があるのだろうか?
あり得る話だ。過去に何らかの形で人の死と言うものを見てきたのかもしれない。この様な世界だ、人が血の流れる光景など、ツェイトのいた世界よりもとても身近だったに違いない。
「……村の人だろうか?」
「掘り返された土の乾き具合からすると其処まで経っていないみたいだから、多分……それに」
そう言ってセイラムが槍を使って更に掘り返すと、ズタズタに千切れた大きな布も出てきた。よく見て見れば、何らかの衣服の残骸だ。布の質素な感じから、村の人なのではという可能性が浮かんできた。
老夫婦が言っていた眼潰れに食い殺された村の被害者だろう。もしかしたら、この山のどこかに別の被害者の食い散らかされた骸が、この様に埋められているのだろうか。
ツェイトはこの生々しい現実に遣る瀬無さを感じながらこの骸を痛々しい気持で見ていたのだが、そこでツェイトの気配探知に何かが引っ掛かったのを感じた。
「ツェイト?」
セイラムの呼びかけに答えずに、ツェイトは辺りを見回しながら先ほど感じた気配の元を探り始めた。
周りを警戒するその様子に、セイラムも察した。
セイラムは即座に立ち上がり、ツェイトの側へ寄ると辺りを見回しながら強張った声でツェイトへ問う。
「……いたのか?」
「分からない。だが、俺達を見ている奴がいる。……セイラム、少し屈んでてくれ」
ツェイトがNFOの頃から引き継がれた索敵能力は、確かに視線を向ける何者かの気配を捉えていた。
しかし、距離が遠い。ツェイトが集中して何となく分かる程度の位置にそれはいた。
距離はざっくりと500m前後位といった所だろうか。
判然としないのは、ツェイトがこの世界での気配の感じ方と距離感に対して今一つまだ慣れていないからであった。
どうにも今までNFOの頃は視界の隅にソナーが映っていたのだが、今は違う。その差異に馴染むのはもう少し先になりそうだ。
まるで此方の様子を伺っているかのようにぴたりと動かない所から、明らかに此方の存在を察知している可能性が高かった。
通常のワイルドマックならば、一目散に突っ込んできて襲い掛かって来る物なのだが、やはり毛色が違うようだ。
ツェイトはカブトムシ型のハイゼクターだからか、夜には滅法強い。
例え常人の視界を奪うほどの暗闇が広がっていようとも、ツェイトの目は暗視スコープよりも鮮明にものを見る事が出来る。
(位置と距離は分かった。奴は今、俺達よりも上の位置にいる)
ツェイトはセイラムが言う通りその場にしゃがんでいることを確認すると、近くに生えていた直径1mほどの木に手をかけた。
(逃げる様子はない。あくまで俺達を獲物としか見ていないからか? それなら好都合だ)
幹に指がめり込む程強く掴み、勢いよく地面から引き抜く。
ツェイトの膂力の前では雑草を抜く事に等しいそれは、あっけなく根を引き千切らせながら片手で持ち上げられた。
そして根が生えている側に向けて、残った片手を手刀にして斜めに一閃。まるで刃物で切り落とされたかのように木の端部が切り落とされ、槍状に鋭い切り口が出来上がった。
(あとは上手く当たれば良いんだが―――ッ)
木を持ち上げた瞬間、視線を送る気配の主が身じろぎしたが、手遅れである。
その槍状に尖った木をツェイトは投槍の様に振りかぶり、真後ろへ振り向きざまに気配の主目がけて投擲した。
腰をねじり、肩から腕をしならせながらツェイトのパワーを投擲に傾けて放たれたそれは、ギュボォッと大気に悲鳴を上げさせながら、空気の壁を突き破って夜の森の彼方を突き抜けて行った。
衝撃波で周囲の木々を吹き飛ばしながら轟音と共に飛んでいった木の槍は――――
「ゴガアアアァァァァァ!?!?」
――――何かの肉を潰した生々しい音と共に、巨大な物体がぶつかる轟音を響かせ、最後に獣の悲鳴を上げさせた。
ツェイトの投げ放った衝撃で木々が吹き飛んだことによって視界が開け、投擲の命中した相手の姿が月の光に照らされて良く見える。
それはツェイトの投げた木が上手い事直撃したらしく仰向けに倒れていたが、その場で陸に挙げられた魚の様に激しく暴れ出した。
ツェイトの投擲によって周囲が開けた事により、月明かりがそれを照らしてその姿をより明確にしてくれた。
ツェイトは起き上がったそれの姿を油断なく見据える。
「確かに眼が潰れているな。しかし……」
それは確かに赤茶色の毛皮を持つ大熊のモンスター、ワイルドマックの形状をしている。
だが、ただのワイルドマックではない。
片方の目は何らかの刃物で切られたらしく、眼球にまで達していると思われる大きく深い切り傷が付いており、残りの片目も何か黒い形状の槍の様なものが突き刺さっていた。
ほぼ間違いなく、あのワイルドマックは例の眼潰れであると推定で来た。
「えらくでかいな……何だあいつは」
そして驚くべきはその体格である。
通常のワイルドマックの大きさは5m位であるが、眼潰れに関してはその倍、10m近くもあった。先日大門前で出くわした肉塊の異形と同じくらいか。
ツェイトが離れているにも拘わらず眼潰れの高さを知る事が出来たのは、この山に繁茂している杉の木に似た木々のおかげだ。
近辺に生えているものの高さが大体20m位の高さまで伸びているのをツェイトが自身の全長から何となしに目測し、眼潰れの近くにある風景と比較したのだ。
「ググゴ……ゴボォッ!?」
その眼潰れであるが、暴れまわっていたかと思いきや、幽鬼の如くゆらりと立ち上がると同時に口から夥しい血を吐き出し始めてしまった。
原因は、眼潰れの左胸にあった。
赤茶色の毛皮で覆われているはずであろう左胸に、先程ツェイトが槍投げの様に投げ飛ばした木が深く突き刺さり、背中を突き破って眼潰れを串刺しにしていたのだ。先の吐血は、肺でも潰した可能性がある。
どうやら上手く深手を負わせる事が出来た様だ。
あの状態なら逃げようが襲い掛かってこようが、素早く動き回ることは出来まい。全長20mサイズの木に串刺しにされては動きずらくてしょうがないだろう。現に、眼潰れはその場で立ち上がったにはいいが、自身を貫いた木の重さと受けた傷の深さでその場に膝から崩れ落ちかけていた。
「どうやら何とかなりそうだなセイラ……うん?」
声をかけようとした娘が近くにいない事に気付いた。
しかしすぐに見つかった。ツェイトの今いる位置から少し離れた木の根元に上下逆さの状態で転がっているのを見つけたのだ。
上下丈の短い巫女服の様な衣装であるが、幸いと言うか、袴部分の方はズボンのような構造になっている為なんとか袴の中のものが露出する様な事には至っていなかった
ツェイトが眼潰れの動きに注意しながらセイラムの元へ近付くと、起き上がったセイラムが体についた土や木の葉を叩き落としながら恨みがましげにツェイトを睨んで来た。
「……あ、あのなぁ、最初から言えよこんな事になるなら!」
「いや、すまなかった。怪我は無いか?」
原因に見当はついている。先ほど木を投擲した際の衝撃波にセイラムは巻き込まれたのだろう。
「口の中に土が入った。いや、そうじゃなくて、さっきのは何だったんだ? やっぱり眼潰れだったのか?」
「それなんだが、ほら、あそこ」
ツェイトが指差す先を、口に入った土を吐き出しながら見たセイラムは目を見開いた。
驚いているであろうセイラムに、ツェイトが説明した。
「あれが眼潰れらしいな。さっきの奴が急所に命中したから大丈夫だとは思うんだが」
もがき暴れるたびに大量の血が眼潰れの体から流れ落ちて体力がすり減って行ったのだろう。ツェイト達が再び見る頃には眼潰れは動きが鈍り、確実に命の灯が消えつつある事が傍から見ても理解できた。
自分達よりも上の斜面にいる眼潰れの様子と、その周囲に広がるツェイトがやったのであろう破壊の風景に、驚きとも呆れとも取れる顔で口をぱくぱくと開閉させていたセイラムだが、大きく溜息をついて肩を落とした。
「……まだ奴は生きているんだ、早く仕留めた方が良いぞ。手負いの獣やモンスターは何をするか分からないからな」
「そうだな。行こうか」
ツェイトが眼潰れに止めをさすべく歩き出した。ひとっ跳びで近づいても良かったのだが、相手の動きを警戒しての選択だ。
その巨体に似合った重量で歩を進めるたびに、地中の石や木の根の残骸を踏み砕いて重い足音を鳴らしていく。
セイラムもその後を追う。その場に待っていてもらう事も考えたのだが、近くにいてもらった方が不測の事態が来た時対処しやすい為付いて来てもらった。
ツェイト達が近付いて行くにつれて眼潰れとの体格差が明確となっていく。ツェイトの投擲による衝撃で木々が周りの木々がへし折れ、吹き飛んでいるので月明かりも相まってよく見える。
4mにも達するツェイトの全長よりも倍も巨大な眼潰れは、通常ならばその体格差から多くの者へ恐怖と絶望を与えていただろう。
しかし、この場に限って言えばそれは逆転している。ツェイトが狩る者で、眼潰れは狩られるものとなっていた。
ツェイトはセイラムを数メートル後ろに離れさせて眼潰れの間近へ迫る。
その間に眼潰れは何もしてこなかった。否、何も出来なかった。胸に突き刺さった一撃が致命傷だったらしく、足元に赤い血だまりを作り、ツェイトが近づく頃にはその場で横倒れになっていた。
顔だけがツェイトへと向けられている。敵意を抱く余裕すら無くなっているらしい、舌を垂らした口から血と一緒に弱く短い呼吸を吐き出していた。
青白く光る眼光が倒れ伏した眼潰れをじっと見下ろす。
大量に流れ落ちた血の匂いが嗅覚につんと来るが、吐き気を催す事が無かったのは幸いだった。
この異常に巨大なワイルドマックの個体は、過去に多くの人々を食い殺してはその腹に収めて行ったと聞く。
その事について被害者への憐れみや、このモンスターに対して義憤めいたものを抱かなかったといえば嘘になる。
しかし、ツェイトはそんな事はどうでもいいとばかりに首を振って先の思考を振り払い、眼潰れの顔に手を伸ばした。
巨大な頭部だ。ツェイトの倍もあるため、ツェイトでも両手で抱える必要がある程に大きなそれを、蒼い外骨格で覆われた巨大な両の手で掴み上げる。地面に投げ出されるように倒れていた眼潰れの上半身が、ツェイトの力で持ち上げられていく。
眼潰れのか細い呼吸が聞こえる。噛み付こうとしているのだろうか、口を開けようとしているがそれも弱々しく、とてもではないがその口内に備わった牙を突き立てられるほどの顎の筋力ももはや無かった。
それをツェイトは無言のままに、有り余る膂力で以て180度以上回し、その首を捩じ折った。
悲鳴は無かった。代わりに、バキリと眼潰れの首から割れるような音が夜の山の中へ溶けていった。
その日の朝、昆虫国家ワムズの首都ディスティナの大門前は騒然となった。
すわ、ついこの間起きた大門前での事件の再発か? それとも行きかう人々たちの間で何らかの諍いでも起きたのか?
いや、何らかの災害や争い事が起きたわけではない。
最初にそれに気が付いたのは大門の番を務めていたワムズの兵士達だった。
ふと、山の向こうの空から何かが飛んでくるのが視界に入ったのだ。
鳥……ではない。それが近づくにつれ、大気が震えるような轟音が鳴り響き、なによりその飛行物体が何かを吊り下げているのだ。
それだけ音が響くため、兵士だけでなく大門周辺の人々も音に気付いて空を見上げ、此方へ近づく存在を目にした。
それらの輪郭が徐々に形を明確にし、姿かたちがはっきりと見えた時、皆は絶句した。
分厚く深い蒼色の外殻で身を固めたカブトムシを思わせる姿の異形の人型種族が、背から巨大な翅をはばたかせ、胸に昆虫人の娘を脇から延びる腕で以て抱きながら飛んできていたのだ。
それだけではない。そのカブトムシの異形が大量の鎖や縄で巻きつけたワイルドマックを、その縄や鎖を片手で持って吊り下げていたのだ。
そのワイルドマックの体格もまた異常であった。
胸に抱かれた昆虫人の娘とカブトムシの様な異形の人型種族の体格差が倍ほどもあるのだが、そこから更にカブトムシの異形と吊り下げられたワイルドマックの身長差が、傍から見ても明らかに倍はあったのだ。そんな巨大なワイルドマックを、カブトムシの異形は特に苦も無く片手で吊って飛んでいる姿は、見る者を圧倒させた。
ワイルドマックは動かない。おそらくは、カブトムシの異形によって仕留められたのであろうという事が見た誰もが予想する。
そんな巨大なワイルドマックを更に威容たらしめていたのは、胸を貫く巨大な一本の木と、異常な形で捻じ曲げられた頭部である。
カブトムシの異形が飛翔速度を徐々に落とし、大門から延びる街道を少し外れた草原地帯の上で止まり、降下し始めた。
兵士達は顔を見合わせ、手の空いている兵士達をその異形の元へと向かわせるように声をかける。
街道を行き交う人々も、好奇心に駆られて徐々に集まりだした。
吊っている巨大なワイルドマックを地面に降ろし、着陸して翅を背中に収納しているカブトムシの異形は胸から昆虫人の娘をおろしていると、近づく兵士達に気付いて兵士達へ振り向いた。
近付いた兵士達はカブトムシの異形の青白く光る眼光と目が合いうっと身を竦ませてしまったが、その異形の姿に見覚えがあった。
ついこの間、このディスティナの大門前でおきた騒動の只中にいた者の一人だった。
こうして周りに野次馬が集まりだすと、カブトムシの異形の巨体差が否が応でも分かってくる。
明らかに並の人型種族の倍はあるのだ。発達した筋肉の上から貼り付けられたかのような分厚い外骨格に覆われた全身は、闘う為に生まれたと言っても誰も疑う余地は無いだろう。
そのがたいで背筋を伸ばし、日の光を浴びながら悠然と立っているだけで得も言えぬ迫力に圧倒される。
その場に集まった者達は一瞬、カブトムシの異形の姿に不思議と沈黙していたが、その隣に置かれた巨大なワイルドマックの姿に気が付いた。
「こ、こいつぁ……間違いねぇ。“眼潰れ”だ! 数十年以上前から賞金首のかかっていやがった“眼潰れ”だっ!」
群衆の中で誰かが指をさしながら声高に叫ぶ。
すると、周りの者達もその言葉に反応し、ワイルドマックこと眼潰れを見て驚愕の声を口々に上げていった。
「……本当だ、あの潰れた両の眼とでかい体は、間違いなく眼潰れだ!」
「本当かよ、あの怪物がついにおっ死んだのか!?」
その場で眼潰れを知る者達は、皆長年賞金のかかったモンスターの死に驚きを隠しきれなかったが、同時にそれを仕留めたであろうカブトムシの異形にも同じ感情で以て見ていた。
兵士達は騒がしい群衆をかき分け、カブトムシの異形の元へと辿り着くと、どう相手をしたものか困ったが、当のカブトムシの異形が先に声をかけてきた。その脇から生えた腕に嵌めた腕輪を兵士達に見せながら。
両肩から生えた巨大な腕より昆虫人のサイズに近い腕にはめられた腕輪の色は黒く、白い線が一本刻まれている。それは兵士達も良く知るものであった。
「クエスターに登録しているツェイトと言います。仕留めたモンスターを運んできたのですが、都の中へ持っていけそうにないので組合へ取り合っていただく事は出来ませんでしょうか?」
これが、ツェイトと呼ばれたカブトムシの異形がクエスターとして最初に立ち上げた功績だった。
そして、後にこの種族間連合内で甲虫の巨人型種族と昆虫人の娘のクエスターの二人組として知れ渡る事になる第一歩でもあった。