第14話 後編 騒動の傷跡
後編投稿です。
文字数:約11000文字
そうして日が変わり翌日、ツェイトは参考人として出頭し、詳しい聴取を受ける事になった。
ツェイトとセイラムがヒグルマと一緒に来たミキリ達に連れられて来たのは、昔の日本で言う所の奉行所の様な所だった。
少しばかり物々しい風体の武家屋敷と言った趣のある建物へ連れられたツェイトは、ミキリが門で警備をしている兵へ話しかけると、兵がきびきびとした態度でそれに応じ、門を開けさせて皆を中へと誘った。
通されたのは庭先の白い砂が敷き詰められている、俗に言う所の〝おしらす”というものに似た場所だった。庭から見える奉行所はまるで時代劇などでよく見られる大きな襖が設けられており、その表面は虫の翅の様な葉脈にも似た模様があしらわれていた。家紋だろうか。
面積は極めて広大で、ツェイト達プレイヤーの知る学校の敷地並の面積があるかもしれない。外から盗み聞きするには距離がありすぎる為、そういった事への対策でもあるのかもしれない。
そんなおしらすには蓙が人数分敷かれており、ご丁重にツェイトの分も他の人間よりも大きめの物を用意されていた。
ツェイトはミキリに促されるままにセイラムやヒグルマ達と共に蓙へと正座する。
正座をするという文化は、この大陸内でも昔の日本文化に酷似したワムズだけのものらしい。幸い日本人であるツェイトやヒグルマは、元の世界で日本人なのでそれなりに順応出来ていた。
それから少しすると、襖が開かれて中から一人の老いた昆虫人が供を連れて現れた。
人間の年齢で言うなら60から70歳代位になるのかもしれない。
老いた顔は色あせた緑色で、昔の大名よろしく髷を結い、身なりは他の役人達とは一線を画した品の高そうな肩衣袴を着込んでいる。
老いによって刻まれた皺がそうさせているのか、眠たげな目をしている様でしっかりと此方を見ている。
「……本来ならしかる役人に聴取を任せるのが常なのだが、今回は状況が状況でな、この儂が直接お主達から話を聞こうと思う」
老人が口を開く。
品のある声だった。それだけでこの老人の育ちや品格の良さが伝わってくるような印象を与えるほどに耳ざわりが良かった。
ミキリが老いた大名と思しき人物へと深々と頭を下げた。
「……デンショウ大臣、此度はお越しいただき恐縮の極みにございます」
「よい、必要だからこそこうして赴いたまでの事」
この老人の名はデンショウ、このワムズを統治する王の次に権力を持つ3人の大臣の一人、デンショウ・タガツ大臣その人だ。
何故そのような大人物がこうして人前に姿を現すのかと言われると、ヒグルマとミキリ――特にミキリに理由がある。
元々ミキリはこのデンショウ大臣直属の部下で、さる経緯でヒグルマと知り合った事により、ヒグルマもデンショウ大臣との縁が出来たのだそうだ。時折クエスターの仕事以外にも、このデンショウ大臣から密かに依頼を受けて動いていた事もあったらしい。
そういう関係があるため、ヒグルマはデンショウ大臣へ力を貸し、デンショウ大臣はヒグルマへこっそりと後ろ盾をしてお互いに力を貸し合っていたと言う。
ミキリとデンショウ大臣とのやり取りに、ツェイトはこの老臣が只ならぬ地位にいる男である事が容易に察する事ができた。
明らかに身なりと言い、他の役人達と色々違いすぎるのだ。他にも背後に控えている供の数の多さもその人の地位の高さが窺い知れた。
だからツェイトはこの老臣と話をする場合は、粗相がない様に心がける事にした。
デンショウ大臣がミキリからの謝辞をやんわりと制すると、おもむろにツェイトの方へと顔を向ける。
「ほお、ミキリやヒグルマから聞いていたが、成程確かに勇壮な姿をしておる」
実際、ツェイトは現在正座の態勢だが、元々角を省いた身長だけでも3mをやや超える。
故に正座をしてもツェイトの目線の高さは人にもよるが、立ったままの人と同じか、またはそれよりも高い場合が多かった。
デンショウ大臣の入る場所は木造の三段構造の白洲梯子を上がった位置から正座をしているわけだが、体格差の為か、ツェイトの目線の高さと近い。
正座をしているだけでもその姿の為に強烈な威圧感を放つツェイトに周りの役人やデンショウ大臣の供の者も顔を緊張で強張らせているというのに、デンショウ大臣本人は気後れした様子がどこにも見受けられない。経験の差が違うという事だろうか。
「……恐縮です」
「よい、お主が大門前で行った大立ち回りの話は儂の耳にも届いておる」
そう言うや、デンショウ大臣は一拍置いて本題に入った。
「さて、こうしてこの場を設けたのはその大門前で起きた騒ぎについて少しでも情報を得るためじゃ。幸いにもその騒動の中心に立っていた当人達の一部が儂の知り合いだったのでな、儂が直接聞いた方が話しも早かろう。安心せい、この屋敷の周りは人払いをしておる」
デンショウ大臣が周りの供や役人達を一瞥すると、供をしていた者や役人達が頭を下げてその場から退出していった。奉行所を出たわけではない、この場から離れただけで、周囲で警戒しているのだろう。
周囲にいるのが5人になると、デンショウ大臣はツェイト達へと事の経緯を訊ねだした。
「聞かせてはくれぬか。この騒動、一体何があった?」
ツェイト達はあの時大門前で起こった戦いについて事のあらましを説明した。
流石にプレイヤー云々の話はしないし、ましてやセイラムを狙って追いかけてきた可能性が高い事などは、未だツェイトとセイラムの二人の胸の内に留められたままだった。
正直な話、セイラムが追われている事について言うべきかぎりぎりまでツェイトは悩んだのだが、国の意向が見えない為に迂闊にこの事を公言するわけにいかないと判断し、明かす事を良しとしなかった。
事の真相を隠す事にツェイトも葛藤はあった。もしこの情報がきっかけで国があの兵士達を上手く召し取る事が出来るなどすれば、今回の騒動で死んでいった被害者達が増える事もないのではないだろうかという考えが脳裏に浮かぶが、しかしそれでセイラムが悪い様にされてしまうのではという不安が勝ち、今に至る。
デンショウ大臣はツェイト達の説明を静かに聞いていた。
話しの中から重要な語句を聞き漏らさないようにしているのか、顔に感情の起伏は見られず、ただじっと耳を傾けている様子だった。
「……だからダンの奴めはあのような凶行に走ったと言う訳か」
デンショウ大臣は話を聞き終えると一人納得した様に呟いた。
着物の袖からおもむろに扇子を取り出し、無意識なのか膝を一定の間隔で軽く叩いている。デンショウ大臣なりの考え事の際の癖なのかもしれない。
そうして周りの者達が見守る中、デンショウ大臣が口を開いた。
「……200年以上前くらいか。儂がまだお主らよりも若かった頃、儂も政とは縁なき一角の武士として国に仕えていた頃かな……その頃にお主達が相対した者共と似た輩と戦った事がある」
皆が驚く中、最初に気を取り戻したヒグルマがデンショウに訊ねた。
「そんな前からあいつらはいたのですか?」
「うむ、ちょうど20年前にも其れらしき者共が出没したらしいという報告があったのを最後に、行方知れずだった。今まで全く音沙汰も気配も無かったので滅びはせずとも、潜伏しているとは思っておったが……」
忌々しい奴らよ、と毒づくデンショウ大臣へ困惑気味なミキリが疑問を投げかけた。
「お、お待ちください大臣。20数年前と仰いますと、其処まで昔と言う訳でもありますまい。あそこまで異様な集団であれば否でも記録に残っているはずです。なのにどうして今まで気付かなかったのですか? 私も過去の犯罪記録を拝見した事がありますが、あのような者達の事は一切記されてありませんでしたぞ」
昆虫人の寿命はおよそ300年と言われている。
そんな彼らからすれば先の歳月はそれほど長い時間と言う訳ではないらしい。
だからこそ疑問に思ったミキリへ、デンショウ大臣は同意した。
「お主の言う事は尤もじゃなミキリよ。だがあくまで“らしい”という報告しか来なかったのじゃ。調査はしたが、結局断定できる材料が見つからなかったので留意するという状態でその時は終わったのじゃ」
「……一体、奴らは何者なのですか?」
「……“霊長医学機関”、そう言えばお主も少しは耳にした事があるのではないか?」
デンショウ大臣の口にした語句にピンとこないプレイヤー二人とセイラム。
だが、ミキリだけはその言葉を知っているからか体を硬直させ、血の気が引いた顔は青ざめていた。
「き、記録では見た事があります。まさか、あれがそうなのですか?」
「十分あり得る話じゃ。お主達が遭遇した兵士達の末路と言い、そ奴らが繰り出したとされる怪物と言い、類似点が見受けられる。無関係、と言うには似通ったものが限定的過ぎるのじゃよ」
「……悍ましい。あの様な者達がまだこの世に現れるのですか」
ミキリとデンショウ大臣は深刻な様子で話しているが、ツェイト達NFOプレイヤーと山育ちの娘は話しに追い付けていない。言葉の節々から何となく予想は付いているのだが。
そんな困った様子をデンショウ大臣は察知した。
「……む? ミキリよ待て、儂らだけしか分かっておらんようだぞ」
「ああ、これは済まなぬな3人とも、お主達はこの事を知らなかったか。――デンショウ大臣、3人へは私の方から説明したいと思うのですが宜しいでしょうか?」
「任せた」
デンショウ大臣からの許可を受けたミキリは一度呼吸を整えると、沈鬱な表情で語る。
大戦争期後の荒廃した時代――通称“灰の時代”――を乗り越えてから間もない頃――今から千年以上前――、この大陸内に一つの組織が設立された事があった。現在では既に過去の存在となっているが、知る物からすればそれは悪夢の様な存在だったと言う。
霊長医学機関。
大戦争期によって失われた今よりも高度な医療技術の復元と発展・普及を目的とした国籍なき医療関連組織だ。
その組織の母体は不明で、規模こそ決して大きくは無かったが、参加したメンバーは国や種族を問わず、世間から埋もれていた有力な研究者をメンバーに迎えていた。
何処の国にも所属はせず、有志達だけで立ち上げたその組織を当初大陸中の国々は見向きもしなかった。荒廃した戦後からようやく立ち直り、何処の国も自国を発展させる事で精一杯だったのだ。
だが、設立してから数年ほど経つと、機関は現状の国々では類を見ない医薬品や医療技術を開発し、医薬品には極めて低価格で各国へと販売、医療技術は書物と言う形で医者関連の者達へと同様に売り出し始めた。
最初は懐疑的な反応こそ多かったが、使用してみればその効果は従来のものよりも明らかに効果が良く、それによって救われた者達も多かった。
それにより、大陸の人々は少しずつだが機関の存在を認知し、その評価を改めて行く事となった。
とはいえ、それを歓迎できない商売敵もいた。そんな彼らに機関は何度も妨害工作や、時には密かにどこそこの国家からの軍事的な襲撃を受けた事も少なくない。
しかし、機関はそれらを尽く跳ね除けた。財力だけでなく、時にはわが身に降りかかる火の粉を払い落す力も持ち得ていたのだ。
そうして、他国に思惑を他所に機関の名声は少しずつ高まり、機関を支持する者が増え始めて世界は遍くその医療技術の恩恵を授かり、多くの人命が救われていったかに見えた。
しかし、その活動の裏に不穏な空気が漂い始めた。
機関が設立されてから数年経った頃、世界各地では当時奴隷売買が横行して、それによる人攫いが問題となっていた。
用途は多々ある。不当な条件による強制労働力、権力者への玩具、etc……。
そう言った事件の犯人は、大体件の売買によって金儲けを目論む野盗や悪徳商人が主であるが、時には不正行為を平然と働く政府の役人までもがそれを平然と行っていた事もあり、大陸全土は決して良くない情勢が続いていた。
そんな中、新たに謎の失踪事件が発生する。
時代背景の関係上、その失踪事件も先度同様の奴隷売買関係の人攫いであると当初は思われていたが、実際は毛色が異なっていた。
その失踪事件の被害者と言うものが、野盗や悪事を働きつつも公にされなかった様な人物と言った、いわゆる犯罪者や容疑者だけだったのだ。
そう言った理由の為、世間からすれば社会を脅かす者達が居なくなる体の良いゴミ浚いと思われ、街道や町村の治安が多少は良くなったと喜ばれていた程度であった。
だが、街や都内の浮浪者達や身寄りのない路頭暮らしの子供達、果てには一般町村民から腕の立つクエスター等までもが姿を消していっていた為、事の深刻さを理解し始める事となる。
この事件の対策の陣頭指揮を執ったのはクエスター組合だった。
クエスター側でも少なくない人数が同じ事件に巻き込まれて行方不明になってしまった為、それを組合の本部が重く受け止めて事態解決に乗り出したのだ。
失踪事件の大元を見つけるべく捜索を続けた結果、そこで当時評判だった噂の医療組織の名が浮かび上がったのだ。
その結果は黒だった。構成員の中で自分達の行ってきた事に耐え切れずに自供したものが現れ、当時起こった不可解な失踪事件は全て霊長医学機関が裏で糸を引いていた事が発覚したのだ。
何故人攫い等と言う犯行を行っていたのかも露見する事となったのだが、実態は想像を絶するものであった。
確かにこの組織は当時最も発達した医療技術を保有していた。だが、それを其処に至るまでの過程で多くの人体実験が執り行われ、老若男女妊婦病人種族を問わず多数の人々がその餌食となり“廃棄”されていったのだ。
その人体実験の材料として使われていたのは、失踪事件で行方不明となっていた者達である。実験開始から廃棄されるまでの過程を事細かく記録したデータが発見され、其処に被験者達の名前も書かれていた為すぐに分かったのだが、その内容に誰もが目を背けたと言う。
実験はそれだけでは無かった。医療実験の他に見つかったそれこそ、霊長医学機関の本来の目的だった。
――――既存の人型種族を素体として、あらゆる技術によって強化・改造を行い“万物の種族を超えた生命”を生み出す事。
何故そのような事を目指したのかまでは分からない。だが、それによって命を落した者、又はその実験を生き延び、“本来の種とは全く別の存在に作り変えられてしまった者”の数は膨大なものだった。
前者に該当する者は、そこで亡くなった事が幸運だったのかもしれない。何せ後者に至っては、もはや知的生命体としての面影は失せ、命を歪められてモンスターよりも悍ましい姿へ成り果ててしまったのだから。
機関が医療技術の研究開発を行っていたのは、その計画に必要であったからであって、それによって人の命を救う事はついででしかなかった。
更に言えば、その際得られた信頼関係や情報網は、あらゆる意味での活動を円滑に行えるようにする為の“道具立て”に過ぎなかったのだ。
事の真実が判明すると、被害を被った大陸全土の国々はクエスター組合と共に霊長医学機関へ武力行使を実行。彼の組織の壊滅を試みた。
そこで機関は遂に今まで被っていた善人の仮面を脱ぎ捨て、その恐るべき本性を顕わにしてそれらに応戦。
その戦闘の最中、機関は研究で生み出された“歪められた生命”を戦闘用に調整して投入。恐るべき戦闘能力を発揮し各国は甚大な被害を被ったという。
だが、最後は物量差がものを言ったのか、強力な力を持っていようとも大陸内の各国がこぞって戦った事もあり、数年という歳月を要したが機関は表沙汰としては壊滅。首魁の死亡と共に生き残った構成員は幹部と共にバラバラになり、それ以降の行方は全く掴む事が出来なかった
しかし、機関の存在が完全に無くなったわけではなかった。
それからも現在に至るまで、何度か機関の残党と思しき者達が出没しては事件を起こす事態が勃発し、時代の流れに合わせるかのように、その姿を現してきた。
「――――私が記録で見た内容は大体この様な感じだ。……よもやデンショウ大臣があの輩どもと一戦交えた事がおありだったとは知りませんでしたが」
ミキリが語り終えると、3人は口を閉ざしたままその情報を様々な感情の基に何度も反芻していた。
一人は自分とその周りの人々の平和な暮らしを滅茶苦茶にした相手への怒り。
もう一人は自分の相棒を利用した輩が何者かを理解するために。
そして最後の一人、ツェイトはミキリから齎された情報で何故セイラムが狙われているのかについて考えていた。
もしもあの兵士達がミキリたちの言う組織と関係しているというのならば、目的はやはりセイラムの体に流れる父プロムナードのハイゼクターとしての血を欲しているように思える。
しかし、それなら何故そうまでしてプロムナードの血を狙おうとしているのだろうか。
まさかプロムナードの力を求めているのだろうか?
確かにプロムナードは強い。親友だからこその手前味噌とツェイトは思いはするも、ゲームの世界ではあったが長年コンビを組んでいたからこそ友人の強さはよく理解しているつもりだ。
基本的には互いの力の差は互角だが、プロムナードが持つ武装の凶悪さが加味されて、プロムナードの方が総合的には上なのかもしれない。
とは言え、他にも今の自分には分からない要素かも知れない為断定が出来ない。
(……ますます分からなくなってきたぞプロムナード。お前は、一体何を知って俺にこの娘を託したんだ)
やはり直接本人に会って確かめてみるしかないのかもしれない。
ツェイトはプロムナードの行方に思いを馳せていたが、はたとある事に思い至りミキリへと問いかけた。
「ミキリさん、どうして私達にこの様な事を教えてくれたのですか?」
貴重な情報を教えてもらったのは判断材料が増えるので有難いのだが、その親切さにツェイトは半信半疑の気持ちが沸いたのだ。相手が国の直属の者だからだろうか。
何かを要求されるのか? そんな可能性を念頭に入れながら答えを待っていると、デンショウ大臣が代わりに返事を返してくれた。
「早合点せんでほしいのだが、今の情報をお主達に話したからと言って、恩を着せるつもり等無い。……とは言え全く思惑が無いわけでもないがな」
さも平然と「私企んでます」と口にする老臣の顔にはいささかの表情も読み取れない。長年の経験が面の皮を厚くしたのだろうか。
ツェイトの他にも話を聞いていたセイラムが、不安げな様子でツェイトとデンショウ大臣を見比べていたのを当のデンショウ大臣が見て、口元を僅かに緩めた。
「そう心配せずともよい。まあ、昨今の商人達が言う所の“先行投資”みたいなものよ」
「……先行投資、ですか?」
「さよう。ツェイト、と言ったかな? お主はそこの娘と何やら目的あっての旅をしていると聞いておる。儂はそれを引き留めようだとか、邪魔をするつもりなど毛頭ない。儂に限らず“陛下”も同じ結論をくだすだろうよ。ただな、もし全てが終わってからで良いのじゃ、手が空いている様ならばこの国に力を貸して欲しいのじゃよ」
消極的と言うか、低姿勢な勧誘だった。
デンショウ大臣は別に頭を下げたりしているわけではない。本人の立場と言うものもあるのだから、迂闊に頭を下げる事が出来ないのはツェイトも理解しているつもりだ。
だが、そもそもの話、ツェイトはこの世界から元の世界へと帰り、人間に戻るつもりでいる。
デンショウ大臣には悪いが、ツェイトはこの誘いを拒む方向で考えていた。
「その時は、是非相談させていただきます」
だが、ストレートに拒絶の言葉を返すのはこの老臣の顔に泥を塗る事になるし、心象を悪くしてしまうのも不味い為、ツェイトは濁した言葉で返答を返した。
「……そうか、今はその言葉が聞ければ十分じゃよ」
デンショウ大臣は気分を害した様子も無く、ツェイトの返答に頷き、それを了承した。
それから何度かツェイトはデンショウ大臣から何度か簡単な質問へ答える形で言葉を交わし、程なくこの場での聴取は終了となった。
その最中、デンショウ大臣はダンの死については大いに口惜しがっている様に見えた。
ワムズが昆虫種族の国家であり、虫を象徴とするが為に、ダンの様に虫の遺伝子を強く持つ種族は好意的に迎えるつもりでいた。
だというのにこの一件でダンに人殺しの容疑がかかり、挙句の果てには獄中で謎の死を遂げさせてしまったのだ。
純粋な戦闘力としても期待されていたのだろうが、実に惜しい男を死なせてしまったと悔やみ。デンショウ大臣はヒグルマへ碌に協力も出来なかった事を詫びた。
その時、ヒグルマが複雑な表情を滲ませていたのをツェイトは見たが、怒りを堪えている様な感じでは無かったと思えたのは気のせいだろうか。
その真実をツェイト達が知るのは、もう少し先の事になる。
こうして、ディスティナで起きた謎の兵士達の起こした騒動は本当の意味で終わった。
多数の死者を生み出したダンは獄中で謎の死を遂げ、代わりに浮かび上がったのは過去の時代に猛威を振るった組織の残滓の気配。
ワムズの政府は今回起きた事態を軽く見ず、後日種族間連合全体へとこの事を警告する方針だ。
ツェイトが図らずも国は謎の兵士達へ警戒する事となり、更には他の国々にも警戒を呼び掛けてくれたのは嬉しい誤算だった。
願わくば、これがセイラムへと迫る追手の数を減らしてくれる事を願うばかりである。
それと、ツェイトとセイラムが目下行っていたクエスターの試験についてだが、結果としては二人とも無事合格となった。
事情聴取が終わった次の日から二人は試験を再開、ツェイトの身体能力を駆使してディスティナ近辺の山や森を駆け巡り、瞬く間に課題の獲物を仕留めて部位を入手し、その当日には二人は指示された物を全て手に入れて試験会場へと戻って来たのだ。
その後試験官との諸々の面談を行い、晴れて二人は駆け出しのクエスターとして世に出る事となる。
クエスターになった事によって移動できる範囲は大いに広がり、ツェイトはプロムナードを探すための足掛かりの第一歩を築く事に成功した。
未だに先の見えない旅路となるかもしれないが、決して其処には暗雲だけが立ち込めているわけでは無い筈だと、ツェイトは願わずにはいられなかった。
「申し訳ありませんトリアージェ博士。私が要らぬ欲をかいてしまったばかりに、サバタリーを死なせてしまいました」
薄暗がりの中に淡い光源が設置されたその場所で、竜の頭を模した鉄仮面を身に着けた軽装の指揮官、ミグミネットが目の前にいる人物へと謝罪の言葉を述べている。
幼い子供と同じ体格をしているミグミネットが申し訳なさそうに縮こまりながら頭を下げると、より小さく見える。仮面で表情が伺えないが、幼い子供とそん色のない声は強張っており、サバタリーが死んだ事を少なからず引きずっているのが分かる。
その様なミグミネットと対峙しているのは、修道服とナース服を掛け合わせたような白衣姿の仮面の女。
その女が両手で持つ怪しげな光を明減させた水晶の向こう側にいる人物こそがミグミネットの主と呼ぶべき者、トリアージェ博士と呼ばれる存在である。
「気に病む事ではありません。それに今回のあなたの性能実験はとても有意義でした。サバタリーが消滅した事を差し引いても、この実験は大成功と言えるでしょう」
トリアージェ博士はミグミネットを責めるどころか称賛の言葉を贈るも、当のミグミネットはそれを素直に受け止める事が出来ないでいた。
そんなミグミネットをトリアージェ博士は水晶越しにじっと観察し、暫くすると声を放った。
「確かにサバタリーは現存する指揮官級の中で最も稼働時間の長い個体。あれに蓄積されている戦闘経験の量は無視できません。そこで以前生命維持に障害をきたすほどの傷を負った際、修復と一緒にある措置を試みました」
「……措置、ですか?」
ミグミネットが疑問を返すと、水晶を両手で持っていた仮面の女が片手を翳す。
すると翳した手から光が灯り、前方の空間から不可思議な模様で形作られた手の平サイズの円が浮かび上がり、その中心から何かが姿を現した。
それは小さな板状の物体だった。
板の表面には金属質の線が無数に走り、幾学模様を描いている様だ。
小さな板がミグミネットへと見せつける様に宙を浮いている。
「元々廃棄予定の肉体を補強して運用していましたが、それも限界でしたので、新たな試みとして人格と記憶を司る複製用の“核”を仕込んでおきました。サバタリーの肉体が死を迎える直前に、私の元へと転移する仕組みになっています。これに新たな肉体を用意すれば、サバタリーが復活する予定です」
説明を受けたミグミネットはぽかんとした様子で目の前に浮いた小さな板――サバタリーの核を見た。
そしてその様子は驚きと感嘆へと変わっていく。
「……驚きました。流石は博士……しかし博士もお人が悪い、そうであれば事前に教えていただければ良いものを」
「これはまだ試作段階です。どこまでサバタリーの記憶が復元されるのかは分かりませんので、貴方達には敢えて黙っておきました。それに逃げ道を作ってしまいますと、何処かで一歩踏み止まってしまう何ていう心理が働かないとも限りませんからね」
そう感情の起伏が感じられない声色で答えたトリアージェ博士。
ミグミネットはサバタリーが復活する可能性が出た事に一応は安堵し、気を取り直した。
それでも未だに予断を許さぬ状態だ。博士の言葉が正しければ、サバタリーの人格が完全に復元できない可能性もあるのだから。
「今回はどうも分が悪かったようですので、むしろ貴方が帰還出来ただけで十分です。サバタリーが最悪あの場で“破壊される”事も想定していました」
そのトリアージェ博士の言葉に、ミグミネットはそう言う事かと内心納得する。
この己を創造した存在は、“そういった”事を平然と勘定に入れられる人種だ。自身の配下の死を予定に組み込む事など特に不思議な事ではないのだ。
今に始まった事ではない。
稼働時期が若いミグミネットは自分達の拠点で自分達が入手した様々な情報を閲覧した事があるのだが、その中であの博士が行ってきた諸行の数々は、およそ人が持ちうる倫理を鼻で笑う様な行いを、それこそ膨大な量でやってきている。
もっとも、ミグミネットはそれを承知の上でトリアージェ博士からの指示に従い人々の命を脅かしている。それが当然だと、例え世界から糾弾されようとも、己の行いが造物主の目的を達成する事ならば何の躊躇いも無くやれる。
「あなたも消耗が激しいようですから、早くこちらへ戻ってきなさい。あなたが手に入れた“収穫物”の調査と同時に、今回のデータを基に再調整を行います」
トリアージェ博士の美しい声が、労いと共に己の被造物へ贈られる。
「分かりました。ようやくこの中途半端な体からおさらば出来るのなら、すぐに向かいたいものですな」
「安心なさい、完成した暁には素敵な体を提供しましょう」
「ならば、それを楽しみにさせていただきます。では、失礼します」
トリアージェ博士との会話もそこそこに、ミグミネットの足元から光のサークルが浮かび上がり、ミグミネットを包み込んで転移していく。
ミグミネットがその場からいなくなった事を見届けると、水晶を持つ白衣の仮面の女も足元に光のサークルを浮かべ、その場から離れた。
常人の与り知らぬ闇の底で、何者かの策謀は未だ止まる事を知らず、蠢き続ける。
ちょっと端折ってしまったかなあと思う点が多々あります。
必要な箇所は描写して、省ける場所は出来れば端折って行きたい所ですが。