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紺碧の大甲虫  作者: そよ風ミキサー
第二章 【虫の国の砂塵と花火】
22/65

第14話 前編 その男の死の意味は

大変お待たせいたしました。

残りの後編は、遅くても明日の同時刻ごろに投稿します。


文字数:約11000文字

 ダンの死。その凶報は大門での騒動が終わった翌日の早朝、青ざめた表情のミキリから齎された。


 伝えられたツェイトとヒグルマ達は、ダンが収容されている場所まで急ぐ。

 辿り着いた場所で、ツェイトは身長差の関係で中に入れない為、ヒグルマが代表として収容所の関係者に連れられて現場へと向かう。

 そこで案内が収容所の看守へと変わり、牢屋の奥を進み、地下に設けられた収容所の中でも特に頑丈に作られた金属製の牢屋が設けられた部屋へ辿り着いた。


 そこにたどり着くまで、全く懲りない態度の者や、頭を抱えて隅に蹲っている者など、格子の様々な囚人達が中に放り込まれているのがヒグルマの目に映った。

 ヒグルマと看守が近づくと、収容者達が興味深そうに格子の隙間から顔を覗かせて来るが、それを看守が持っている槍の柄で格子を叩きまわして追い払う。

 

 奥へ近づくにつれ、生臭い臭いが強くなってくる。

 血の臭いだ。それも尋常ではない程の量が流れでもしないと臭わない程のものだ。

 そんな収容所の地下に、特殊な犯罪者用として設けられた一際分厚そうな金属製の戸の前には、悪臭対策で口元を手拭で巻いた看守が二人待ち構えていた。どうやら現場の見守りをしていた様だ。

 二人の看守へ挨拶し、鍵を開ける前に案内の看守がヒグルマへ伝える。


「中はかなりひどい事になってます。どうか、心を強くお持ちください」


「ああ」


 ヒグルマの短い返事を確認した看守が二人に開錠を頼み、そして重々しい音と共にドアが開かれる。

 

 部屋の中は照明の類が設けられていない為か真っ暗だった。しかし、開けた途端に通路から臭ったものより更に強烈で生臭い嫌な臭いが立ち込め、尋常ではない状況である事を告げてくる。

 

 看守が扉の横にある手蝋に火を灯して進み、ヒグルマを中へと誘う。

 立ち止まっていたヒグルマは、覚悟を決めて中に入る。そして、その光景に顔を歪めた。


 

 最初に目に映ったのは、床・壁・天井全てが金属製の部屋の中に、夥しい量の血が飛び散った跡だった。

 血液以外にも、何か小さな肉片の様な物までこびり付いている。色々と〝ばら撒かれたらしい物”は、既に片づけられたらしい。換気の利かないこの部屋は、今でも吐き気を催すような臭いが強いのだ。もしそのままにしていたら、今どころじゃなかっただろう。


 その部屋の中央に、ござが敷かれており、その上からも蓙が被せられている。その場所には、確かに何かが置かれていると思われる膨らみがある。


 看守と蓙のある場所まで近づき、それを見下ろす。

 看守が開けましょうか? と訊ねて来るが、それをヒグルマは拒否して自分で蓙をめくる。そして、すぐに顔を俯かせた。



 それは、確かにアリジゴク型ハイゼクターのダンだった。ついこの間、脱皮してカゲロウ型へ変異したが、その後すぐに表皮を再構築させてアリジゴク型へと戻っている。

 〝脚の爪先から腹部まで、見える箇所”はダンが良く見慣れているハイゼクターの体だ。


 しかし、腹部から上が何も無い。原形の欠片すら残さず吹き飛んでしまっていた。

 吹き飛んだ上半身の傷口からは、飛び散り損ねた臓器と脊髄が顔を出しているだけだった。そこから先には、もうダンの顔は無い。 


 静かにその場でダンの遺体を見下ろすヒグルマに、看守が言い辛そうに声をかけた。


「……こちらの遺体は、貴方の知っている容……ダンで間違いはありませんか?」


 容疑者と言いかけた看守だが、思う所があったのか、ダンと言い直した。



「ああ、こいつはダンだ。……間違いねえ」


 思いの外に冷静にヒグルマは返した。むしろ、平坦と言っても良いほどに。

 


 看守は思わず視線をヒグルマの顔から逸らしてしまう。

 恐ろしいほどに表情が無かったのだ。これは決して、冷静と言う訳ではない。看守はその表情に何かを感じ取り、直視する事が出来なかったのだ。

 ヒグルマは遺体の確認を済ませると、遺体の今後の扱いなどを看守に訊ね、礼を告げてその場を後にした。




 最奥の牢屋から出たヒグルマの足取りは重く、収容所の外までの道が酷く長く感じた。

 牢の見張りをしていた看守から何か声を掛けられたような気がすれば、格子の中の収容者達から何か野次を飛ばされた様も気がする。しかし、そんな事を一々まともに聞く気にはなれない。


 この世界でだって人が死ぬのだから、プレイヤーだった自分達が死ぬのは当たり前だ。

 此処で生きて行くうえでそんな事はとうに認識していたというのに、アバターの能力で何処か楽観視していたのか。それが、ダンを死なせてしまったのだろうか。

  

 ヒグルマはこの世界に来てから人死にを何度も見てきたし、それに関わった事だって普通にある。

 最初は耐え切れずに吐き気が込み上げ、人知れず嘔吐した事があるし、その所為で食事に喉が通らなかった時もある。しかし、いつの間にかそれをこの世界で生きる上で当たり前だと覚え、死が身近になってしまったと認識していた筈だった。

 それでも同じプレイヤーの、NFOの頃から何度も共にしていた相方が死んでしまった事が、心の底ではどうしても否定したかった。


 もしかしたら、NFOから此方へ流れ込んで来たアイテムやプレイヤーの蘇生魔法や技能を駆使すれば、未だ間に合うのでは無いかと言う希望が頭にチラつく。

 だが、それはもう叶わないと分かっている。

 以前蘇生技能を持つNFOプレイヤーと話をする機会があった時に蘇生について尋ねてみたが、あれはNFOの様なゲーム程に気安く使える物では無くなりなり、様々な条件を必要する仕様になっている。

 その条件とダンの今の状態を照らし合わせると、ダンの遺体はもう条件から外れてしまっている。


 もはやどうにもならない。ヒグルマはダンの死を受け入れる事しか出来なかった。


 ダンが突然死んだ理由について、何度も思考を回して可能性を浮かばせる。

 死因は恐らく、ダン自身の超振動の可能性が高い。あそこまで粉微塵に吹き飛ばされていると、そう思わざるを得ない。

 罪の意識に苛まれた末の自殺なのか、それとも、まさか憑依していたあの影を使う兵士の残滓でも残ってダンを始末させたのか。それとも……。


 考えている内に、ヒグルマは収容所の入り口を出ていた。

 日が昇ってそう時間のたたない内に来ていたため、太陽の光が忌々しいほどに眩しく感じる。


 収容所の入り口の近くには、すぐに見分けがつくほどに大きな人型の蒼いカブトムシの異形が昆虫人の少女と待っていた。

 そして、この凶報を告げた袴姿のミキリまで来ている。悲しげな顔で此方を見ているのが分かった。


 ヒグルマが門の近くまで重い足取りで向かうと、ツェイト達が近づいて来た。最初に口を開いたのはミキリだった。


「花火屋、ダンは……」


 その問いかけに、ヒグルマは口を閉ざしたまま首を横に振る事で答えると、ミキリはきつく目を閉じ、無念そうに俯いた。


「馬鹿な……あいつが、本当に死んだというのか……」


「ああ……腹から頭まで跡形も無く吹っ飛んでやがったが、間違いなくダンだった」


 ヒグルマから告げられた遺体の惨状に、皆が驚愕する。


 その中で、一番衝撃を受けていたのはツェイトだったのかもしれない。


 最初に気付いたのは、側にいたセイラムだった。

 隣のツェイトからメキリと軋みの様な音が聞こえたので、何事かとツェイトの顔を見て、言葉なく目を見開く。

 当の本人は自覚していないのか、何も語らずに俯いたツェイトは顔を片手で覆っていたのだが、尋常ではない握力で覆った顔の外骨格が僅かに軋んでいたのだ。

 鋼鉄すら紙屑の様に握りつぶせるツェイトの握力だ。しかしこうして音を立てるだけで済んでいるのは、本人の外骨格がそれを上回る程の強度を誇るからこそであったし、それほどまでの感情が、其処に込められていた。


 ヒグルマはそんな様子のツェイトの心情を察した。

 ツェイトは初めてプレイヤーの死を感じたのだろう。それも比較的身近な知り合いのを、だ。


 だが、今のヒグルマにはツェイトに気の利いた言葉を投げかけられるほどの余裕がなかった。

 ヒグルマは両の手をポケットに突っ込み、背を丸めてその場から無言で歩き去っていく。


「花火屋、何処へ行く」


「……一人にさせてくれ」


 ミキリが呼び止めようとするが、その言葉へ被せる様にヒグルマが言い返して、無理やり追及を黙らせた。それだけ先の短い言葉には強い意志が感じられていたのだ。

 ツェイトもその背を見送るだけで、何も言おうとはしない。かける言葉が思いつかなかったのもある。


 そうしてヒグルマの背中は街の人混みの中へと消えていった。





 都の大通りをふらふらと歩いていたヒグルマは、道行く人々の視線に晒されていた。 

 理由はすぐに分かる。ついこの間起きた大門前の騒動が、何らかの形で人々の口を伝って広まったのだろう。


 己の優れた五感のおかげで、住人たちがヒグルマの事を見ては口にする内容が否でも聞こえる。

 事件解決の為に一役買った事を褒め称える者もいれば、ダンの事を罵る者もいた。

 そんな町人達の言葉が、今のヒグルマには堪らなく辛かった。

 


 畜生、何も知らない奴らが何を得意げに話しているんだ。てめえらに何が、何を――。



 耳に入るたびにヒグルマの心は大きく乱れ、激情が込み上げて来そうになって、それから逃げる様に街のはずれを目指して走り出した。


 常人よりも遥かに高い身体能力を持つヒグルマがひとたび駆け出せば、それを追いかけられる者はプレイヤー以外誰一人として居なかった。

 驚く町人達を風の様に通り過ぎ、街角を曲がり、人の気配が無い場所へと辿り着いたところでヒグルマの足は止まった。 


 人の気配が極めて少ない街外れだ。

 建物は少なく、首都を囲う巨大な城壁と雑草地帯、そして雑木林が視界の大半を占める。


 のろのろと近くの雑木林へ歩み寄り、一本の木へ寄りかかる様に手をかけた。

 そして、深く溜息をついた。体の中に渦巻く嫌な熱を吐き出すように。


 それを何度か繰り返し、心に多少なりとも落ち着きを取り戻したヒグルマは、姿勢をそのままに口を開いた。




「…………何の用だ、〝シチブ”」


 その誰かに投げかけたであろう言葉に、ヒグルマ以外がいないと思われていた筈のその場で返事が返って来た。


「見当は付いているんじゃないのか?」


 やや威圧感のある女の声だ。大体20代くらいだろうか。

 しかし、声は聞こえども姿は見えず。その場には確かにヒグルマしかいない筈なのに、女の声だけしか聞こえてこない。


 だが、女の声が聞こえたかと思うと、ヒグルマが寄りかかっている木を間に挟んだ対面の位置に、まるで風景から滲み出て来たかのようにして突如声の主が姿を現した。

 

 それは、2mを行くスラリとした背丈の高い女の人型種族だった。

 服装は肌の露出があまりなく、迷彩模様にも似た深緑のコートで首から膝まで隠し、膝下はジーンズの様な材質のズボンの上から厚めの頑丈そうなブーツを履いている。

 更に顔には木製の縁で出来たサングラスをかけ、頭にはリボンの代わりにベルトの巻かれたコートと同じ色のテンガロンハットをかぶっている為、あまり露出が少なく、傍から見れば異色なガンマンの様な出で立ちだ。

 なのだが、更に背中には大き目の古めかしいバックパックが背負われており、ガンマン姿のバックパッカーと称した方が一番近いのかもしれない。


 そしてその服に身を包む当の本人は、この昆虫国家ワムズの大多数を占める昆虫人ではない。


 明るめ緑色の皮膚、帽子をかぶった後頭部から背中へと流れる頭髪は鮮烈なまでに赤く、髪の一本一本が花びらの様な形状をしている。 

 その様相は、まるで植物。植物の様な特徴がその人型種族の顔から見て取れるのだ。



 ヒグルマは、この女を知っている。

 何故ならば、この女もまた、この世界に流れ着いたNFOプレイヤーなのだ。


 女の名はシチブ。ヒグルマや、ツェイト達がNFOの頃から付き合いのある女プレイヤーだ。


 シチブがヒグルマの顔へ自身の顔を近づけ、ぼそりと呟いた。


「ダンは私の方で回収しておいた」


 そんな、今のヒグルマからすれば途轍もなく意味のあるであろう言葉をかけられた当のヒグルマは、深く静かな溜息をついた。


「……そうかい」


「なんだ、いやに反応が鈍いな?」


 意外そうに言うシチブに対し、ヒグルマは何も言わずにその場に屈み込んで再び大きなため息をついてしまう。その顔に怒りや後悔の表情はなりを潜め、安堵と言うには何かが違う、複雑な表情をしていた。


 

 ヒグルマは街の往来から怒りに任せて飛び出した際、シチブが此方をこっそりと追いかけている気配に気が付いていた。

 シチブ本人も特にそこまで気配を隠す気も無く、まるで此方に追いかけているのを気付かせるような動きをしていたため、徐々に頭を冷やしたヒグルマは、この町はずれまで誘導したのだ。

 その際、ヒグルマはシチブのNFOプレイヤーとしての能力を思い返し、ダンの生存の可能性を見出したのだ。


 そして内心でその可能性を密かに祈っていた結果、先のシチブの発言で脱力してしまったのだ。


「なら収容所の奴は偽物か?」


「ああ、DNA鑑定でもされたら分からないが、この世界にはそういった技術は無いらしいからな。お上もあの死体をダンと判断するしかないだろうよ」


 シチブの持つ技能なら、確かに〝見た目だけ全く同じ生物”を創りだす事が出来る。ヒグルマも過去に何度か見た事があるので覚えがあった。

 とは言え、この世界では上半身が吹き飛んでいたとはいえ、あそこまで出血や内臓、臭い等がリアルに再現されると、付き合いの長いヒグルマもつい本物と勘違いしてまう。

 

「ダンは何処にいる?」


 ダンの死が擬態だった事を知ったヒグルマは、本人の居所を訪ねると、シチブは背中に背負ったバックパックを親指で指した。


「此処じゃハイゼクターは目立つからな。へまをやらかした罰も兼ねて〝荷物”になってもらっている」


 本来のダンの体格ならばどうしたってシチブのバックパックに入り切る事は物理的に不可能なのだが、それを可能にするのがNFOのアイテムや技能である。

 どうやらダンは、何らかの方法によってコンパクトサイズに収納されている様だ。


 このNFOに似た世界に飛ばされたNFOプレイヤーの中で、商人職を持つプレイヤーはある程度アイテム損失の被害を免れているのだ。

 その理由は、商人職のみが持つ事を許されている収納用のアイテムだろう。

 各デザインは持ち手が自由に変える事が出来るが、商人職に就いたプレイヤーはその技量に合わせて積載量の変わる収納用アイテムを授かる。

 通常のアイテムウィンドウでは持てる量に限りがある。しかし、そういった商人職の持つ収納用アイテムは、それらを上回り、外見に似つかわしくない大容量のアイテムを中にしまう事が出来るのだ。

 この世界に飛ばされる際、ウィンドウではなく表に出しているアイテムに限ってはそのまま使える為、商人職はそんな仕様の恩恵によって現在もNFOの頃のアイテムを使用できるのだ。

 尤も、それでも収納量には限界があり、中にはNFO内に存在する貸倉庫に預けているプレイヤーもいるため、全てを持ちこめているわけでは無い様だが。


 そんな商人職がいる事を思い出したヒグルマへ、シチブが事もなげに告げた。


「こいつには、公では死んでもらう事にする。私達がこの世界のどこぞに拘束されているのは不味いからな、色々とよ」


「そう、なっちまうのか」


 屈んだ体制のまま、ヒグルマは膝に頬杖をついて憂鬱そうに溜息をついた。

 この世界でプレイヤーの力は一種の兵器の様なものだ。そんな存在が何らかの形でこの世界にネガティブな足枷を付けられるような事があれば、それを利用する輩が現れる事があるだろう。

 それに自分の意思ではないとはいえ、人殺しをした者が牢を脱出して生きているというのは大いに問題でもある。

 ダンには辛い事になるだろうが、〝シチブにこの様な事を仕向けさせているであろう相手”の思惑は渡りに船ではある。


「あいつ、かなり参っていたぞ。聞いた話じゃ、大分殺したらしいじゃないか」


「それはあいつの意思じゃねえ」

 

 答えたヒグルマは目深に被った手拭から眼光鋭くシチブを睨みつけ、その声は彼女の言葉を否定する様に強く響く。

 だが、それを察していたかのようにシチブが肩を竦めた。


「そんな事は分かっている。まぁ、今回の私の役目はダンの回収役だ。こいつを“雇い主”の所へ連れて行くのが今日のお仕事でね」


「……〝あの野郎”には礼を言わなきゃならねえな」


 そうヒグルマが口にする存在は、この世界にいる同じNFOプレイヤー。シチブを仕向けさせた者でもある。


 シチブは、そのプレイヤーからの依頼とシチブ本人の趣味も兼ねて、行商人を装ってこの世界を回りながら情報収集を行っている。

 特にプレイヤーの暮らしている場所へは定期的に巡回ルートを設けて通っており、情報交換をしながら各所へ伝達を行う連絡係の一人であるのだ。

 どうやら今回は、その巡回ルートを回っている最中にこの騒動に出くわした様で、すかさずダンをこっそり身代わりを用意して掻っ攫う事にしたらしい。


「ま、そう言う事だ。お役所の方面の事は、お前達が上手くやりな。あと、此処に来ているツェイトにも今は内緒だぞ。……もしかしたら、あいつ勘付くかもしれないがね」


 お前が私がいる事を教えたみたいだからな

 そういうやシチブの体が徐々に透けだした。もうこの場を離れるらしい。

 元々こうやって公では犯罪者扱いされているダンの脱獄の手引きについて会話をするだけでも大問題なのだ。

 人の気配が完全にない事を察知しているからだとしても、こうしてわざわざ告げに来たのは、昔のよしみだからだろうか。


 話はこれで終わりだと言うかのように、もう殆ど透明化し始めたシチブが踵を返そうとした時、背中に感じたヒグルマの様子に気付いたシチブは振り返り……眉を顰めた。


 肩越しに見ているシチブの前で、地面に跪き、地に深々と頭を下げているヒグルマが口を開く。


「頼む」


 たった一言、そう告げたヒグルマに面喰いながらも何を言う事も無く、シチブは被っていたテンガロンハットのつばをつまんで目深におろし、完全に姿を消してその場を去った。




「お前、仲間に恵まれたな。普通、あそこまで頭下げて頼む奴なんていないぞ」


 ヒグルマと別れ、大門を出て首都ディスティナから離れたシチブは人気のいなくなった街道まで歩いている最中、突然誰もいないその場で〝誰か”へ向けてしゃべりだす。


 シチブの言葉に答える声は無い。当然だろう。その場には誰もいないのだから。

 しかし、声が返ってくる代わりに、シチブのコートのポケットの中で、何かが震えた。


 シチブはそのポケットの中の震えに気付いている。そして、まるでそれに会話をしているかのように言葉を紡ぐ。


「……そんなに悔しけりゃあ、これから挽回すりゃあ良いだろうが。こうして拾った命なんだ、殺しちまった奴の分まで上手く使えよ」


 シチブは、〝誰か”に向けて言葉を送りながら街道を行く。

 そして気が付けば、風の騒めきと共にその姿はいずこかえと消えて行った。






 ヒグルマが街へと消えて行くのを見ている事しか出来なかったツェイトは、暫く呆然とその場を立ち尽くしていたが、ミキリの薦めもあって一旦この場を締める事にした。事件の事情聴取はまだ準備が出来ていないという事で、別に機会を設けるらしい。

 街へと行ってしまったヒグルマについては、ミキリの方で頃合いを見て探しておく事になった。どうやらこの世界の現地人の中では彼女が一番ヒグルマと親しい様なので、ツェイトも後の事は彼女に任せる事にして、セイラムと一緒に寝床にしている場所へと戻っていった。

 クエスターの試験がまだ残っているのだが、ツェイト達のペースならば問題ないと思えるし、なにより騒動が起こった次の日に活動を続けても危険な様に思えるため、一日だけ休みと言う名目で間を設ける事にした。

 それに、正直そこまでのモチベーションが湧いてこなかったというのもある。 


 帰路につく際、ツェイトは自分の脚がやけに重く感じた。何時もと歩く速度は同じ筈なのに、まるで足枷でも引きずっている様に錯覚してしまう。この感覚は、初めてこの世界に来た時にワイルドマックを殺した時のものに似ているが、あれよりも尚えも言われぬ倦怠感のようなものが蝕んでくる。

 その間、セイラムとの間に会話が全く交わされる事が無かった。時折セイラムがちらりとツェイトの顔を伺う仕草をしてるのをツェイトが気づき、何度かセイラムを見るが、そのたびにセイラムが申し訳なさそうに顔を俯かせてしまう。

 普段ならば、セイラムに気を遣う事が出来たのだろうが、それを忘れてしまうほどに、ツェイトにとって顔見知ったプレイヤーの死は堪えた。

 自分でこれなのだ。一番付き合いの長いヒグルマが受けた衝撃は計り知れないであろう。


 蘇生アイテムというものがNFOの頃はあった。

 文字通り、死んだプレイヤーをその場で生き返らせる代物であるが、ヒグルマがそれを知らない筈がないだろう。

 あの反応を見る限りでは、この世界では最悪蘇生が出来ないのか、何らかの理由で蘇生を行う事が出来ないのだろうか。

 ヒグルマから伝えられたダンの死体の状況とヒグルマの様子からして、蘇生と言う手段は期待の出来ないものであろうという事はツェイトも察する事が出来た。


 知らず知らずのうちにツェイトが自分達がこの都で滞在する際の寝床としていた場所へと着き、木を背に座り込んだ所ではたと気が付く。



――――ダンの死因は何だったのか?

 


 ヒグルマから聞かされた様子からすると、超振動を自身に使って上半身を丸ごと吹き飛ばしたのだろう。その為に原形も留まらない程の血肉の飛沫と化したというのは予想できる。

 そして、其処に至るまでに罪悪感に苛まれた果ての自殺行為だと言えばある程度の想像もつく。


 しかし、何だろうか。ツェイトは、その事実に対して何か忘れている様な、見落としをしている様なもやもやとした感覚を覚えた。


 ダンが死んだという事を受け止められないが故の現実逃避的な思考から来るものだろうか。

 それでも頭の底に残る“未消化部分”を何とかするべく顎に片手を添え、青白い眼光を携えた鉄仮面の如き顔を俯かせながら現状の確認と記憶を手繰り寄せた。

 

「あの、ツェイト?」


 沈痛な様子から何か考え事をする仕草を取り始めたツェイトに、隣で同じく地面に座っていたセイラムが遠慮がちに声をかけてきた。


 不意に呼ばれたツェイトが顔を上げてセイラムを見た。

 体育座りをした脚に手を回し、此方を不安げな顔をしている。


 そんなセイラムの様子に、不安にさせてしまったなとツェイトは頬を指でかいた。


「……ごめん、無視をしていたわけじゃないんだ」


「い、いや、良いんだ。あんな事があったんだし……その、なんて言ったら良いのか……分からなくて」


 セイラムがツェイトの謝罪に慌てて手を振ると、悲しげな表情を浮かべた顔をしゅんと俯かせてぽつぽつと言葉をこぼした。

 

 セイラムなりに、ツェイトを気遣おうと苦心していたのだろう。拙い言葉だが、それでもツェイトには十分伝わっていた。


 それに、セイラムはダンの死を悲しんでくれている様だった。未だ出会って数日しか経っておらず、ただツェイトの知り合いと言うだけの繋がりでしかないダンをだ。

 不謹慎だが、ツェイトはそれがほんの少し気休めになった。


 あの騒動の後からダンの死が告げられた時の僅かな時の中でも、都の中では先の騒動が口々に話題で人々の口から飛び交っていた。何分人の流れの激しい大門の前であった事だ。人の口に戸を立てる事など無理からぬことだろう。

 其処で耳にするの中にはダンへの悪口も含まれていた。友人が悪く言われるというのは、いつになっても慣れないものだった。


 しかし、そんな友人の死を悲しむ人がいるのだ。

 それが、ダンにとってはささやかでも良いから救いであって欲しいと思うのは、ツェイトの気のせいだろうか。



 そんな感傷に浸りつつ、頭の奥に残ったこのしこりの様な違和感の原因を探りながら、ツェイトは気に病んでいるセイラムを慰めた。


「セイラムが言いたい事は分かる。でもセイラムが気に病む事では――――」


 そこでふとセイラムの昆虫人特有の、若者に見られる健康的な青々とした緑色の肌がツェイトの目に留まった。


 はて、緑? 先ほどから感じる違和感がこの色に更なる引っ掛かりを与えた。

 緑緑と頭の中で念仏の様に繰り返しながらセイラムをジッと見ていたツェイトに、当のセイラムが訳が分からず困惑し始めた所で、ある人物の姿がぽっと思い浮かんだ。


 緑……そう、緑色の肌だ。それでかつ長身のガンマン姿で、テンガロンハットとサングラスをかけた顔は口元を半月だかスイカの切り身だかの様にして白い歯を見せながら笑う“誰かさん”……。


(あ……っ)


 ツェイトは思わず声を上げてしまいそうになった口を無理やり閉じ、慌てて口元を片手で塞いだ。

 それにセイラムが体をびくりと跳ね上げる。


「な、何? どうしたんだツェイト?」


 その問いかけにツェイトは答えない。否、答えられない。

 ツェイトは全神経を鋭く研ぎ澄ませて周囲に誰がいるのか確認する。

 元々この場所は人の往来が少なく、僅かに行き来する人も特に怪しい動きをしている様には感じられなかった。


 ツェイトは深く溜息をつくと、セイラムへは嫌な事を思い出しただけだから気にしなくていいと言って追及を躱した。



(忘れていた……そういえばあいつも此処へ来ているんだった。あいつなら死人の偽装くらい出来る筈だ……)


 実際、過去にNFOでツェイトと今はこの場にいない相棒のプロムナードと一緒に、とあるアイテムを入手する際に争い合う関係になった折、自身のダミーを(こしら)えてツェイト達を騙し、目的のアイテムを掻っ攫ってみせたのだ。

 当時はしてやられた事が悔しく、後にまた対立した時に借りを倍にして返したので既に溜飲は下がっているが、あの手並みにはプロムナードと共に舌を巻いたものだ。


 そんな人物は、ヒグルマの話では定期的にこの都に来ているという。辻褄としては合わないわけでは無い筈だ。

 しかし確証がない。所詮は推論の域でしかない為、ツェイトはこの件については保留にし、後日ヒグルマに相談しようかと思った……が、傷心気味のヒグルマにその件を話して傷口を開く様な真似をしたくない為、例の行商をしているプレイヤーと会う事があれば訊ねてみる事にした。

 

 

 そうなると今日はやる事が一気になくなってしまうツェイトとセイラムの二人。

 現在の時間帯は昼と夕方の間頃だ。

 首都の外へ行くのは論外だし、住宅街から商業施設の区画へ繰り出すという気にもならないので、通夜、と言う訳ではないのだが、残りの時間は夜になるまで粛々と過ごした方が無難と判断した。

 


 その日、普段から口数の少なかったツェイトは輪をかけて口が重くなり、その様子と心情を察してか、セイラムもツェイトへ言葉をかけるのを最小限に留めて二人は一日を過ごした。

 尚、街の中へと飛び出していったヒグルマはミキリが無事連れ戻してきた。

 あの後何処かで感情にけじめをつけたのか、それほど動揺した様子も無くミキリに連れられてツェイトの元へやって来たヒグルマは迷惑をかけたと謝罪に来た。

 ツェイトからすれば、身近な友人が死んでしまったのだから無理からぬ事だと納得しているので気にしてはいない。

 其れよりもツェイトが予想したダンの死の偽装について話してみるべきか悩んでしまったが、無神経に思えたため、結局聞く事が出来ず仕舞いに終わってしまった。

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