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紺碧の大甲虫  作者: そよ風ミキサー
第二章 【虫の国の砂塵と花火】
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第13話 前編 混戦

お久しぶりです皆様。

忘れ去られているのではないか、とおっかなびっくりの投稿です。


※文字数が2万文字程になっておりますので、読む際はお気を付けください。

 過去に、NFOで彼の戦いを初めて見たプレイヤーの一人が、それを“火葬みたいだ”と皮肉った。


 兵士達がにじり寄って来る中で、ヒグルマが動いた。

 「出来るだけ低く屈んでな」とセイラムに告げて、彼女が慌ててその場にしゃがみ込むのを確認すると、口に咥えていたキセルを胸一杯に吸い込んだ。

 兵士達がヒグルマが何か仕掛けてくる事を察したのだろう。包囲網を敷く兵士達とは別に、更に遠くで一纏めにいた数人の兵士達が弓を構えてヒグルマに狙いをつけはじめた。

 ヒグルマもそれを目敏く見つけて先手必勝にとキセルを口から抜き取り、体内に溜め込んだそれを兵士達に向けて一気に解放する。


 吐き出したものは、竜の吐く業火もかくやと言う程の巨大な炎だ。彼が首を動かせば、それに合わせて炎の軌道がまるで大蛇の様にうねり、砂がガラス状に変質する程の熱量が近くにいる兵士達を纏めて薙ぎ払う。

 炎をまともに受けた兵士達は体中の至る所が灰化、かすった者でも炎に包まれ砂地をごろごろと転がりはするものの、一向に消える気配がない。結果、その兵士はその場でのた打ち回る火だるま達の仲間入りとなった。


 彼の戦い方は火を頻繁に扱うのだ。場合によっては、過剰という言葉が似合う程に。


 過去のヒグルマは多種多様の火薬を用いる事で、様々な炎を操る戦いを得意としていた。洞窟や建物内等の閉所で戦おうものなら、蟻の巣穴に水を流し込むが如き勢いで丸焼きにされてしまう。そのくせ、自分に炎が浴びせられても平気と言う仕様だ。その有様を皮肉って、プレイヤー達は彼の事を“放火魔”“歩く焼却炉”等と呼んでいた。


 火だるまになった兵士達が炎の壁となり、兵士達とヒグルマ達を遮る障害物となった事で遠くにいる弓を構えた兵士達が上手く照準を取れずに放つ。だが、放たれた矢は標的に当たる事無く、それら全てをヒグルマが噴き出す火炎で以て全て焼き払う。

 対象への効果が無かったと見なして兵士達が第二射の態勢に入るが、そうはさせまいとヒグルマは炎を吐き終えると懐から導火線の付いたビー玉サイズの黒い球を取りだした。


 キセルの火種で導火線に火をつけ、それを親指で指弾の要領で弾き飛ばす。黒い玉は風を切りながら兵士達を大きく跳び越え、狙い澄ましたかのように弓を構える兵士達の内一人にコツッとぶつかる。丁度、引火線の炎が黒い玉に達していた所だ。

 その瞬間、その場一帯がごうっと燃え上がった。目標に当たった球は、其処を中心に数十メートル規模の大爆発を起こし、追い打ちをかける様にが炎が広がったのだ。瞬時にその場は灼熱の空間へと姿を変える。炎がかすっただけでも、恐るべき引火性を発揮して兵士の体に燃え移って行く。



「う……わ……!」


 セイラムがヒグルマの背後でうつ伏せになりながら見た世界は、灼熱地獄の様相を呈していた。吹きつける風が、肌にひり付く。

 まるで絡みつくように炎が砂地にこびり付き、爆心地近くで炎に触れた者は其処から恐るべき速度で連鎖的に引火し火ダルマとなって踊り狂う。

 悲鳴が聞こえない代わりに、其処彼処で兵士達が燃え転がる地獄絵図が続く。兵士達への悪感情を抜きにして、セイラムはその光景に慄いた。ここまで激しく燃え上がる炎は、産まれて初めて目にした。


 先の爆発で、弓を装備した兵士達は纏まっていた事が災いしたのか、爆心地近くで手足を武器もろとも吹き飛ばされて転がされていた。他の兵士達も炎に焼かれて少しずつ数を減らしてきていた。鎮圧も時間の問題の様に見える。


 火薬や引火物類の道具を取り扱う技能は、砲術士としてやって行く上では無くてはならない物であるが、その特性をとことん追及していたのがヒグルマである。特に自身への耐火、耐熱性を極限まで上げた事で口から巨大な火炎放射、炎の中でも平然と動けると言う荒技が出来るのだ。その気になれば溶岩等の高熱地帯での活動も難なくこなせる。


 ヒグルマは辺りに自分達に害を成す物の気配が離れている事を感じると、近くで未だ燃えながらその場に蹲っている兵士の胸倉を掴んで持ち上げた。持ち上げた際に、灰化した兵士の片足がボロリとその場で崩れ落ちてしまう。

 今回彼が放った炎は対象を殺さず、死の寸前まで生半可な方法では消えないと言う、呪いにも似た極めて凶悪な部類の物を操っている。


 この世界でその炎は絶大な効果を発揮した。相手の皮膚を焼き続け、熱は骨や臓腑にまで蝕むが“死ぬ事の無い”不可思議な炎熱が体を蹂躙していく。一度広がれば、専用の対処を行わない限り限りは決して逃れる事は出来ない。死なない程度という言葉は、言い換えれば“辛うじて生きているだけ”の状態であり、限りなく死に近い状態のまま焼かれ続けているだけに過ぎないのだ。

 そんな炎で全身を燃やされている兵士を素手で持ちあげているにもかかわらず、ヒグルマに燃え移るどころか本人も熱さを感じていない。ただ燃える兵士を静かに睨みつけている。耐熱仕様が施こされた装備と肉体は、如何なる炎の影響も受け付けない。


 この騒動を引き起こした連中の面を拝んでやろうと、ヒグルマが掴み上げた兵士の仮面に手をかけた。尤も仮面の中は焼けてまともに見えたものではないだろうがなと、死に体の兵士にの体に無理やり鞭打ち、その顔を隠した仮面を引き剥がそうとした。


 しかし、それは叶わない。顔と仮面の隙間に指を入れようとしたその時、突然兵士の体が溶けて崩れ始めた。ヒグルマはその場に放り投げると、地面にたたきつけられた衝撃で兵士の体はぐしゃりと千切れ、ぐずぐずになった肉片が煙を上げながら身につけている衣装諸共溶けて消えてしまったのだ。辺りに広がる鼻を突く刺激臭にヒグルマは眉を顰める。


 燃えて崩れるにしては不可解な現象だ、第一自分の出した炎は相手を殺さない様に〝調整”してある。火薬の調合を間違えた、と考えるにもそんなミスをした記憶もない。ならばこいつは相手側の意図的なものかとヒグルマは何となしに察した。

 よくよく見渡してみれば、火だるまになっていた他の兵士達も徐々にその身体を崩して行くのに気付いた。恐らくは、あちらの都合に悪い状況になると“ああなってしまう”様に仕組まれているのだろう。


(随分と徹底した隠蔽じゃねえか。こりゃ、生け捕りにしてミキリ達に突き出すのは難しいか?)


 試しに襲いかかって来た兵士を燃やし、悶え苦しむそれの仮面を無理やり引き剥がそうとしたら、先の兵士と同じ現象を引き起こしてその場に崩れ落ちてしまった。

 しかも、他の死にかけた兵士達も次々とその身体を崩している。これは人為的な現象で確定か。

 その不気味さと胸糞の悪さに眉を顰めていると、幼い子供の声が兵士達が溜まっている向こう側から聞こえて来た。



「そこまでにしてもらおうか」


 すると突然、兵士達のいた向こう側から黒い物体が無数の槍となって、砂地から直線状に凄まじい速度で飛び出して来た。進行方向はまさに自分と、そして背後に居るセイラムへ向けられている。


 焼き払えるか? いや軽率すぎる、こっちに来てまだ試した事がない。アレが何であるかは大凡理解していても、未だ此方では未知の領域を脱していない現象に対してヒグルマは慌ててセイラムの所へ飛び退き、彼女を脇に抱えると砂煙をまき散らしながら飛び出してくるそれを、再度跳んで避けた。黒い槍状の物体はセイラムがいた所まで正確に届き、その砂地を貫きながらその向こう、ワムズの主都ディスティナを守る城壁を突き破って止まった。一撃を受けた城壁はいともたやすく破壊され、空けられた大穴がその威力を物語っている。


 城壁とは本来外部の脅威から内部に存在する都市を守るために建てられた物であり、生半可な強度では無い筈だ。しかしそれがこうも簡単に破壊されていく。もし直撃すれば、間違いなく無事では済まないだろう。セイラムは突然の事に目を白黒させていたが、自分が危ない状態であったを知って生唾を飲み込んだ。


 セイラムを地面に降ろし、とんと軽やかに跳んで前へ出たヒグルマは、攻撃してきた相手をその眼で捉えた。


「……そこらの十把一絡げ(じっぱひとからげ)とはワケが違う様だな」


 まだ戦える兵士達が、声の主の為に道を開ける。

 兵士達の中から現れたのは一際背丈の小さな、それこそ子供程度のそれと変わらない体に、竜の頭部を模して造られた鉄仮面を被った人物だった。素肌を隠す様に全身を軍服らしきものを身につけ、黒いブーツが砂を小さく踏み鳴らしながらどこか気だるげに歩いて来る。

 兵士達の対応と見てくれからするに、この兵士達の指揮官に位置するのだろうとヒグルマは辺りをつけた。それに、此処から離れた所でツェイトとぶつかっている虎の鉄仮面を被った相手と雰囲気が似ているので、恐らくは同位の人物なのだろう。


「各員……あの昆虫人の男は私が相手をする。その間に娘を捕らえるんだ」


(娘……セイラムの嬢ちゃんの事か?)


 小さな指揮官の言葉に残りの兵士達が動いた。

 あの指揮官の言葉に疑問を抱くが、ヒグルマもそれを黙って見過ごす気は毛頭ない。

 キセルを吸い、膨大な火炎を放射して兵士達の進行を止めようとするが、兵士達と炎の間に黒い物体が壁の様にして立ちはだかり、炎を遮った。


 小さな指揮官の体から影が泥の様に沸き上がり、その周囲をまるで生き物のように蠢きながら漂っている。あれが先程から攻撃や防御を行って来たのだろう。ヒグルマは、あれがどういったものなのかよく知っていた。何せNFOでも嫌われがちな能力をその種族が持っている故に。


 間違いない、こいつがダンを操っている張本人だ。ヒグルマは小さな指揮官を睨みつけながら過去の経験でそう判断した。

 態々寄生者の方から来てくれるのならば好都合、ダンを元に戻す方法として“寄生者の大本である術者を倒す”という選択肢が新たに追加されるわけだ。


 憑依された者は道具や術以外にも術者を直接葬る事で元に戻す事が出来るのだが、大概の術者は隠れた場所で宿主を操作しているものだ。尤も、“ぶっ飛んだ輩”の中には宿主と一緒に前線に突っ込んで大暴れする様な奴もいるので全てが全てという訳でも無し。先の条件で言うのならば、今この場にノコノコと姿を現したこの小さな指揮官は余程腕に覚えがあるのか、それとも思い上がった間抜けなのか。後者であるのならば楽なのだが、前者であったら厄介な事この上無い。


 こいつは、一体どっちだ? ヒグルマは、今も尚自分の相方を操っているのであろうあの小さい仮面の兵士を怒りにまかせて焼き尽くしてやりたい衝動に駆られるが、ツェイトに娘の面倒を任された手前、迂闊な事はしない。セイラムを守りながらシャナオウのチャージが完了するまで時間を稼ぐのが堅実なのだが……。


(“来光”専用の砲弾がありゃあ……無いものねだりだなこりゃ)


 ヒグルマが肩に担いでいる“閃甲シャナオウ”は専用の弾薬がなくとも体内で弾薬や砲弾を一から精製してあらゆる砲撃を可能とする。一見万能な大砲に見えるが、欠点もある。それは、今チャージを進めている“来光”を含めた極めて高位の特殊な砲撃に対しては砲弾の精製にかなり時間が掛かる事だ。

 そもそも本来そう言った専用の弾薬は手に入れる材料からして希少な物が多い上に、それを作るのにも大変苦労する。それを無視して撃つ事が出来るのだから多少のチャージ時間の長さには目をつぶっても良いかと思うが、それが今は酷く歯痒い。この戦いには経験値やレアアイテムなどでは無く、仲間の命が掛かっている。ほんの僅かな時間でさえ、黄金にも勝る価値がこの瞬間にはある。


 今でもダンはツェイトの腕の中でジワジワとその体力を削り取られ、命の危険にまで晒されている。四肢を失い、体もズタズタの今の状況で超振動など使えばその反動が本人の命すら脅かすそれを、寄生者は承知の上で使い続けている。

 時間は、あまり残されていない。しかし真っ先に術者を倒そうとすれば、それだとセイラムへの守備が手薄になる。両方を一片にやらなければならないのが非常に厄介な所だ。


 小さな仮面の指揮官が、兵士達と共に仕掛けてくる。

 敵は、無力化させても相手側が勝手に自害して来る。であるのならば是非も無し、こちらも態々“威力を抑える”必要はもう、無い。


 懐から素早く粉末の入った小さな包紙を取りだし、それを口に含みながら目一杯空気を吸い込んで再び炎を吐き出した。

 炎が再び兵士達に襲いかかるが、またさっきと同じ様に小さな仮面の指揮官が全身から溢れる影で壁を作って兵士を守った。


 今度も弾かれるかと思いきや、炎が影の障壁を突き破り、兵士の全身を覆う。体を瞬時に灰へ焼き尽くされ、その場に黒い焼けた跡だけが残った。


 小さな仮面の指揮官は自分の障壁が破れた事に驚いたのか、仮面で表情こそ窺えないが動揺しているらしく、その光景を見て動きを止めた。


 戦っている最中に動きを止めて余所見何ざ随分と御身分が良いじゃねえか。ヒグルマはより大きく、毒々しい赤みを増した炎を吐き出して周囲一体を薙ぎ払った。まるで100m規模の巨大な大蛇がのた打ち回る様に炎の軌道を描けば、兵士達はその大きさと不規則な動きに対処しきれず、哀れ皆まとめて炎の餌食となって巻き込まれる。

 広範囲にわたって放射を続けたヒグルマは一度炎を止めて相手の様子を窺う。煙と灰が徐々に晴れていくと、兵士達の姿は先の炎で焼き尽くされて見えなくなったが、代わりに人が入れそうな黒いドーム状の物体がその場に一つ展開されていた。


 ドーム状に展開された影の障壁が、中心から両開きに解除されていく。障壁が開くたびに内側から一回り小さな同じ障壁が現れ、同じ様にして開く事5回。どれも大きく穴が空いていた。

 幾重にも黒い障壁を重ねがけして強度を上げていたのだろう。表面の何層かは突き破った様だが、あと1層という所で辛うじて防がれている。

 最後の一層が解除され、小さな仮面の指揮官が無傷の姿のままそこにいた事にヒグルマは顔を顰めた。


(これの火薬を防ぎやがる……こいつぁ、手持ちの分でいけるか?)

 

 今の所兵士達を圧倒しているヒグルマだが、彼には欠点がある。それは彼が所持しているの火薬の種類だ。

 ヒグルマは此方の世界に来た際、NFOで手に入れた強力な火薬類を含めた道具一式をウィンドウのアイテムボックス消滅と共に殆ど失ってしまっている。今ヒグルマが使っている火薬類は偶々懐に入れていた物と、現地調達して有り合わせて作った物だ。

 いくら火薬の扱いに長けた技能を持ち合わせていても、肝心の火薬類が無ければその技能も万全に発揮しない。これはヒグルマだけでなく、道具に左右されがちなプレイヤーがこの地に来た時に陥る問題点だ。


 現状ではこの地で調達出来る材料で調合したもので問題なく対処できていたのだが、相手は安く見積もっても中堅以上、最悪NFO最古参組を視野に入れた方が良いかもしれない。もし後者であるなら、今の手持ちの火薬では火力不足で攻めきれない恐れが出てくる。


 だからこそ、こんな場面では火薬を必要とせずに砲撃が撃てる閃甲シャナオウの性能が光る。火薬がなくとも大抵の砲撃が撃てると言う砲術系の職業にとってインチキじみたこの武装は、強敵と対峙した際のヒグルマの生命線だ。しかし、今はそれが封じられているため上手く立ち回らないといけない。


「妙な炎を使う。それに、あの炎に触れても影響を受けないその体……」


「だったらどうだって?」


 取り巻きの兵士達は先の一薙ぎでその大半を無力化した。残りは小さな仮面の指揮官の遥か後方で様子を窺っている者が数人程度、数に物を言わせる戦法はもう出来ないだろう。

 そうなれば、注意するべきは目の前の小さな仮面の指揮官だけに絞ればいい。負担の減った今のヒグルマは、相手に言葉を返すくらいの余裕は出来ていた。


「お前の体に興味が沸いて来たって事さ」


「口説いているつもりか?」


「趣味じゃないな……だが」


 小さな体から、今までとは比べ物にならない位の黒い泥状の物体が噴き出した。溢れ出た影は、小さな仮面の指揮官を中心に円状に砂地の上を覆って行く。


「そこの娘と一緒に、お前も連れていく。あそこでくたばり掛けているお前の“連れ”も含めてだ」


 脚元に広がっていた影が、小さな仮面の兵士自身を包み込んでその形を変えていく。

 子供サイズだったその身体は2m代の巨躯へと膨れ上がり、全身のシルエットが翼の無い人型の西洋竜の様な姿となった。ぬらりとした表面の人と竜の中間地点のその姿は、竜人とでも仮称すべきか。


「……ふざけやがって」


 漆黒の竜人となった相手の言葉に殺気だったヒグルマは、胸元から3つの小さな茶色い球を取り出して着火、投げ付けた。竜人はそれをまともに受ける気もなく、体から影を一部黒い触手の様に伸ばしてそれを受けとめる。

 刹那、竜人のいる位置まで巻き込む程の大爆発が3回起こり、炎と黒煙が辺り一帯に広がった。


 黒煙の中から、煙を突き破って竜人が飛びかかって来る。泥の一部が先の爆発で削れていたが、すぐに影が覆って破損個所を修復していく。あの竜人を形作っている影がプロテクター代わりとなっているのだろう。


 ヒグルマの爆撃をものともしない竜人が反撃に出た。影に覆われた体が形を変え、胴体からは無数の触手が飛び出し、四肢は鋭利な刃となってヒグルマに襲いかかる。全身がまるで武器の如き変則的な攻撃が、風を切って展開されていく。


 ヒグルマもそれを脚力を活かしてかわし続ける。時には手足を使っていなしながら直撃を免れていくものの、竜人の攻撃は少しずつヒグルマの体に掠って行く。顔面目がけて飛んで来る触手を避ける際、頬に一文字の裂傷を作って血が噴き出した。だがその程度でヒグルマは怯まない。伊達に3年間此処で暮らしていた訳ではない、流血沙汰には既に慣れている。



 竜人の動きが大振りになった所で、ヒグルマが避けながら仕込んでいた火薬で、すかさず竜人の体を容易く包み込む程の大きな火炎を放射する。本体へ届く事を怖れた竜人が、先程のドーム状の物とは比較にならない程の数で障壁を厚くして受け止めようとした。

 しかし、至近距離からの放射は先の遠距離からのそれとは威力が違う。炎は竜人の張った障壁を突き破りながら、まるで激流の如き勢いで竜人を遠くへと押し返した。

 全身から影を出し、吹き飛ばされながら障壁のかさ増しを行い徐々に突き破って来る炎に対して防御態勢に入る竜人。だがそれでも炎の勢いは止まらない。障壁が燃え尽きる前に横へ跳び、何とか炎の脅威から免れた時には竜人とヒグルマとの間に再び大きな距離が出来ていた。


 一進一退の攻防を繰り広げていたかに見えたが、ヒグルマの身に異変が起った。


「野郎。やりやがったな……っ」


 空いた片手で抑えた脇腹部分のはっぴは血で濡れており、ヒグルマの表情が痛みで引き攣っていた。

 火炎放射で押し返したあの瞬間、脚元の砂地から一本の影が槍のように伸びてヒグルマの脇腹を貫いたのだ。竜人は接近戦闘のどさくさにまぎれて、影を砂下に忍ばせていたのだ。

 ヒグルマの本来の戦闘スタイルは、火力という一点に特化した中距離から遠距離での殲滅戦だ。接近戦闘は基本的に牽制程度のおまけでしかない。専ら火力と機動力に重きを置くタイプだ。その為肉体と装備の防御面の方に関しては最古参組の中では低い部類だが、それでもこの世界の住人からすれば驚異的な強度を誇っていた。

 しかし、その認識は崩された。相手がこちらと同レベルであると仮定するならば、流石に勝手が違うわなとヒグルマは独りごちる。


 内臓を傷つけたのか、脇腹にじわりと熱がこもり、脂汗が一滴頬を伝って落ちていく。この程度の傷なら時間が経てば自然に治癒するだろうが、痛みまではどうにもならない。切り傷、青痰程度なら此処に来て何度も経験したし、時には刺された事だってある。しかし、それでもヒグルマもまた、ツェイト程ではないにせよこの痛みに悩まされていた。

 そして、もう一つ問題が発生した。


(こいつはいよいよ不味いぜ。強力な火薬が殆ど無え)


 あの火炎放射は無制限に使えるわけではない。手持ちの火薬あってこその芸当なわけだが、それが尽きかけている。この世界に辛うじて持って来れた分を念のために用意したが、ここらでそろそろ打ち止めか。

 まだ爆弾はある程度残っているが、もう牽制程度の威力の物しかない。ヒグルマはいよいよ手詰まりになりつつある現状に頭を悩ませた。


 ヒグルマが竜人と睨みあう中、森の方から轟音が鳴る。先程ツェイトに投げ飛ばされていた肉塊の異形が巨体を揺らしながら猛然と突っ込んで来たのだ。向かう先はツェイトの方角、ツェイトの方もダンが足枷になって上手く動けないのか、嫌な意味で長引いている。


「余所見とは余裕だな」

 

 目を逸らした隙をついて、竜人の突き出した腕から触手が槍の様に伸びる。ヒグルマはそれをシャナオウで受け止め、弾き返して怒鳴り返した。


「危ねえな畜生……あん?」



 今までチャージに専念して、沈黙を保っていたシャナオウに変化が起きた。背面にある鞘翅状の外骨格が十字の光を真っ赤にして光らせていたのだ。それはヒグルマが待ちに待った瞬間でもあった。

 鞘翅状の外骨格が十字の光で赤く輝く。それすなわち、シャナオウのチャージが完了した事を示しているのだ。


 相変わらず溜まるのが遅えんだよこの! そう毒づかずにはいられなかった。


 特殊な弾頭を精製する時ほど、その時間は大きい。それがこの閃甲シャナオウの欠点と言えば欠点である。


 だが、間に合った。

 ヒグルマはチャージが完了したシャナオウを確認してすぐに撃てる体制に移れる様に構え様としたその時。



 獣の雄叫び声が、大気を揺らした。

 いきなり何だと、竜人の動きを警戒しながら雄叫びの聞こえた方角を見て、ヒグルマの目が鋭さを増した。





「ソノ野郎ヲ寄越セ! バラバラニシテヤル!!」


 遠くへ投げ飛ばして少しの間伸びていた肉塊の異形が戦いの場へと復帰。全身に生えた手を槍の様に伸ばし、巨大な節足部分で殴り付け、その巨体をぶつけてツェイトに猛攻をかける。


 左脇に抱えたダンをその脅威から庇うように態勢を崩したツェイトは、肉塊の異形の攻撃を全てその身に受ける事となった。

 しかし、その全てはツェイトの体にダメージを与えるに至らない。

 骨を露出させて槍状にした貫手の一撃は火花を散らせるだけに終わり、節足は外骨格に食い込みすらしない。異形の突進はツェイトの肩で受け止められ、ほんの僅かばかり後ろへ引き摺る程度で終わっている。


「コノクソ野郎! ドウイウ体シテヤガル!?」


 異形とツェイトの体格差はおよそ2~3倍近く、人間とダンプカー程の差があるのだ。だが、ツェイトは力負けするどころか、その巨体をいとも容易く押し返す事までやってのけている。

 圧倒的な体格差がある筈なのにそれが通用しない。いくら攻撃しても相手は傷を負うどころか怯みもしない、一撃一撃を捌く様は、まるで埃でも払っているかの様にすら見えてしまう。肉塊の異形の怒り狂う怒号の中に、僅かばかりの戦慄の感情が見え隠れしていた。


 それでも、ダンへの被害が及ぶ事を懸念したツェイトが大きく飛び退いて距離を取るが……。


「ガ、カカカカ。喰ら゛え゛ぇ゛っ!!」


 まるで狙い澄ましたかのように脇に抱えられていたダンが超振動でツェイトの動きを妨害する。


「……――っ!」


 一体何度目になるのか。脇を中心に胴体と腕の一部が爆ぜ、激痛がツェイトの体を駆け抜けた。

 言葉にならぬ痛みの声が、口部の外骨格から小さく漏れる。だが、敵はツェイトに痛みが治まる暇すら与えてはくれない。

 ツェイトの体が跳び上がった先の空中でよろめき、肉塊の異形はそれを好機とみて無数の手を伸ばしてツェイトを絡め取り、砂地にそのまま叩き付けた。


 ツェイトと異形の攻防は、ダンの介入で膠着状態に陥っていた。

 肉塊の異形が攻撃を行い、ツェイトが回避や迎撃に出れば脇に抱えたダンが自滅覚悟の超振動を繰り出してはツェイトの動きを阻害する。そこを異形が隙をついて攻撃を仕掛けてくる。

 此処でツェイトにとって一番幸いだったのは、相手の攻撃でツェイトの体に傷一つ付かなかった事と、ダンの超振動を受けてもその場ですぐ再生して完治出来る事だ。もしこの内どちらかの要素が抜けていたら、ツェイトはダンを守れなかったかもしれない。

 しかも肉塊の異形は、何がそんなに憎いのかダンを執拗に狙って来ている。そしてダンをその攻撃から守れば、今度はそのダンから防御無視の攻撃を受ける。


 絡み付いた異形の手を引き千切り、拘束を無理やり振りほどいてツェイトはすぐさま全身に力を入れ、努めて気を強く持たせた。そうでもしなければ、襲いかかる痛みに心が屈してしまいそうになってしまう。

 どんなに肉体が堅牢で、再生力が高くとも、痛みに耐性が付いている事に直結するわけではない。

 体を引き裂かれる様な痛みに慣れる等、一朝一夕で出来るものではない。それこそ、よほど強靭な精神力の持ち主でもなければ。そう言った側面で言うのらば、ツェイトは間違いなく普通の人間だった。


 ツェイトは片膝をつき、肉塊の異形とダンの攻撃の連続に耐える中でほんの数瞬ではあるが、空へと視線を向けた。

 そうさせたのは、少しでも痛みを忘れようと無意識でやった事なのかもしれない。ツェイトの青白く光る眼には、空が嫌に青く見えた。



 ……そこで、ある選択肢が思い浮かんだ。

 思い付いたものは、元いた現実世界ならば「物理法則を考えろ」と笑い飛ばしてしまうのだが、今この“ツェイト”の体ならそれが可能な芸当だ。何せ、NFOでも一応は出来た事、この世界でも出来ない道理はない筈だ。


 緊張と痛みで思考が酷く狭くなってしまったが故に、この答へ辿りつけなかったのだろうか? まぁ、此処最近やる機会がめっきり減ってしまったのでトンと忘れてしまっていたのが原因でもあるか。

 

 だが、現状でとれる策としては少なくとも好手であると確信できる。最早考えている余裕さえいかんともしがたい状況なのだ。やらない手はない。

 同時に問題点もあるが、そこは“堪える”しかない。


 ツェイトは痛みの響く体を起こし、力を漲らせるように青白い眼を一層輝かせた。





(あいつ、何をするつもりだ)


 ツェイトの挙動に鉄仮面の男――サバタリーが怪訝そうに身構える。

 自分達でけしかけた肉塊の異形に戦いを任せ、様子見に徹しつつ隙あらば娘の強奪に向かおうかと考えていたその時、突然昆虫の巨人が今までにない動きを見せたのだ。


 最初は流石にあの巨人でも仲間のミグミネットが取り付いた蟻地獄の男の力は堪えた様で、防戦一方の様相を呈していた。


 しかし今ここで、巨人の様子が変わった。体を縮込ませて防御に徹していた時とは違い、それは反撃へと移る動作の様にサバタリ―は見た。


(奴め、痺れを切らせて仕掛けるつもりか? ならば仲間は諦めたという事か……)


 あの蟻地獄の男は巨人にとっての人質であり、あの戦闘力を封じる為の枷であった。

 ミグミネットが操っている最中に、巨人の性格と蟻地獄の男との関係を大凡理解したサバタリ―は、巨人が蟻地獄の男を見捨てないであろうと言う可能性を見出してこの状況を作り出させた。

 少しでも妙な動きをすれば脇に抱えられた状態で防御無視の攻撃を行い、その反動で自滅を仄めかす事で巨人の動きを制限させつつ隙を作らせて肉塊の異形に攻めさせていたのだが、決定打が全く決まらない。

 肉塊の異形の巨体から繰り出す攻撃をものともせず、蟻地獄の男による攻撃でダメージを受けても其処からすぐに再生を始めてしまうのだ。あの巨人について新たな情報が手に入ったが、想像以上の能力に仮面の奥で歯噛みしてしまう。


(……血気にはやればこちらのボロが出るとはいえ、こうも奴が厄介だとは)


 肉塊の異形の戦闘力は、存在自体が色々と特例だがその高さは過去の“実験体”と比べても優秀な方だ。

 悔やむべきはあの異形がまだ“完全”ではない事だ。まだ“完全”になっていない状況であの戦闘力、もし“完全”であったならばという可能性が頭をよぎった所でサバタリーは思考を現実へと向けた。


 再び巨人を視線に捉えた時、巨人は脇に抱えていた蟻地獄の男を掴み上げていた。

 それに気付いた蟻地獄のミグミネットが体を激しく震わせて抵抗する。大地を砂に変え、生物を粉微塵に分解するあの力だ。


 その力の影響を受けて、蟻地獄の男を掴む巨人の指が数本弾け飛ぶ。しかし、巨人は痛みに呻くだけで男を離さない。その間に“既に”再生を完了させている。攻撃が再生に追い付いていない。

 恐るべき再生能力だ。何らかの魔法を行使したのかと思ったが、そういった予兆が全く見られない事から、あの再生は虫の巨人の生命力に依るものだと認識して、ますます巨人の攻略法の難易度が跳ね上がった事に頭を抱えたくなった。いや、いっそ恐怖すら覚えている。


 そんな巨人が、蟻地獄の男の抵抗を無視して腰のひねりを加え、掴む腕を大きく振りかぶり始めた。まるで、“投擲をする様に”。

 

「――まさか!」


 サバタリ―は巨人が何をしようとしているのか、理解してしまった。

 怪訝そうに巨人の動向を窺っていた肉塊の異形に叫ぶようにして指示を飛ばしながら、自分も駈け出した。

 今のままではあの巨人の時間稼ぎですら録に出来ないだろう。ならば、やる事は一つ。


(博士に“拘束”の解除を頼んだのは正解だった。何処までやれるかは分からないが、やるしかあるまい)

 

 それに個人的にも、本来の体があの巨人に何処まで通じるのか確かめてみたいと言う気持ちもあった。それもまた、ゆくゆくは博士の目的の為に役に立つ情報となるやもしれない。


 しかし巨人は本当に“やるつもり”なのか? と相手の動きを予測して疑問に思うが、得も言えぬ不安が第6感に警告を促したのだ。


 体を捻り、投げの姿勢を構えた巨人の体勢が大きく傾いた。顔は空へ向けられ、振りかぶった腕は地に向けられる。

 サバタリーの声を聞いた肉塊の異形が幾数もの触手を飛ばすが、間に合わない。

 

 そして、サバタリーの不安が確信へと変わった時にはもう遅かった。

 力を十全に溜め込んだ巨人が、そのフォームから蟻地獄の男を“空へ向けてぶん投げた”。

 安定しない砂地であるにもかかわらず、その巨体はフォームを崩す事はない。それどころか、投げた時に込められた足の力の計り知れなさに、その力を受け止めた砂の大地はその圧力で地面が歪み、遥か地の底で何かが砕ける音が小さく響いた。


「ハァ! 何ダソリャ!?」


 肉塊の異形が突然その様に驚嘆した。


 巨人は、蟻地獄の男を“空へ投げ飛ばした”のだ。

 ぶれて見える程の速さで投げた瞬間、大気が破裂した様な炸裂音を響かせて蟻地獄の男が異常な速度で空へと飛んでいく。その飛行速度のあまりに、男の姿が長く引き伸ばされた様な残像すら見えていた。


「何という膂力をしているのだ……!」


 予想は出来ていた。出来ていたのだが。

 巨人は一時的にでも体の自由を手に入れる為に、ミグミネットの操っている蟻地獄の男を上空へ放り投げ、その隙に此方へ攻撃なりして来るのだろうと考えた。

 そんなのは作戦などとは全く違う。物を掴める程度の知能の低い動物が、石を投げて果物を落とそうとするような、極めて原始的な発想だ。

 どれくらい飛ばすのかは分からないが、そこまで非常識な高さまで飛びはしないだろう。其処から手に入れられる時間等たかが知れているとはいえ、攻撃できる機会を与えると言う事が厄介である。


 そう思っていたのだが、あの飛距離は全くの想定外だった。飛んで行った直後から、既に蟻地獄の男は空の彼方へと消えて行き、もう点すら見えなくなってしまった。人間サイズの物体が自分の視界から消えるほどの高さという事は、かなりの高度まで飛ばされた事になる。


 そこからあの男が落ちてくるのは一体何秒かかる?

 5秒か? 10秒か? その時間はすなわち、あの巨人が動ける時間に繋がるのだ。

 僅かな時間だ。だが、あの迅雷の如き踏み込みと剛力を備えた巨人にその僅かな時間を与える事は恐るべき脅威に繋がる。


 否、もう巨人は動きだしていた。

 蟻地獄の男を投げ飛ばし、手から離れたその直後に踏み込んだ地面を爆ぜながら巨人は青白い稲妻を纏いながら加速。その巨山の如き頑強な姿からは想像もできない程の俊足で肉塊の異形の懐へ飛び込んでいた。


「ハ、早ェンゲプョォォ……!?」


 一瞬の出来事だった。

 巨人の横薙ぎの手刀が、肉塊の異形に反応を許さず下半身と上半身を横一文字に切り飛ばし、其処から更に振り切った腕とは逆の腕を、手元すら見えない早さで縦に振り上げて真っ二つに両断。巨人の倍以上もある巨体を誇る肉塊の異形が、いとも容易く4つに分割されてしまった。縦の一撃に至っては、その余波が斬撃を伴う衝撃波となって肉塊の異形の背後数百メートル先まで砂地を割っていた。


 電光石火の連続攻撃によって無力化された肉塊の異形から、巨人は視線をこちらへと向けた。

 全身に稲妻を迸らせ、両の眼を青白く発光させて肩越しに見やるその巨体は、途轍もない威圧感を放っていた。


(――来た!)


 サバタリーの体に鋭く冷たいものが走る。生物としての警鐘が激しく打ち鳴らされる。


「ぬ、ぐううるるる……ッ」


 サバタリーは薙刀状の槍を放り捨てると腰を深く沈め、まるで何かに耐えるように身構えると、猛獣の如き低い唸り声を漏らした。


 一刻も早く“拘束”を解除しなければ。


 今の状態では、あの巨人との戦闘には数秒と耐えられない。


 巨人が再び大地を蹴って此方へ拳を振りかぶってきた。何だあの反射速度は。

 

 もう目の前まで来ている。奴の拳の距離に入っているぞ。


 間に合うか? 間に合わねば犬死だ。どうせそう長く保たないこの体、此処で使わなければ意味が無い。


 幾つもの思考がサバタリーの脳裏を激しく回り出す。

 張りつめたられた緊張が、刹那の時間に幾つもの思考を巡らせる程の集中力を生み出させた。


 そして、巨人の拳がサバタリーの胴体へと吸い込まれる様にして直撃した。





 鉄仮面の男の胴体に拳を叩き込んだツェイトは、妙な手応えに気付いて吹き飛んだ鉄仮面の男を見やり、気配を探る様に身構えた。

 その場から動かないのでどうにも怪しいと思っていたが、“そう言う事”だったらしい。


 吹き飛ばされたのは鉄仮面の男が身に付けていたフルプレートの黒い鎧の残骸だけだった。


 中にはやや濁った液体が詰まっていた。主を失い、グシャグシャに潰れた鎧は弾けた水風船のように液体をまき散らしながら砂地に転げ落ちていく。


 だが奴はこの近くに居る。ツェイトはその気配を捉えていた。

 ツェイトの背後から鋭く伸びる影、それを返しの手刀で袈裟掛けに切り上げて迎撃する。


 手ごたえは無い、手刀の余波を食らった様子も無い。


 ツェイトの攻撃をかわした影は太陽の中に隠れるようにして大きく跳び、ツェイトから離れた砂地にズシッと重い音を立てて着地した。


 それはおよそ2m後半の身長を持つ人型の獣だった。

 全身の肉体は分厚い筋肉の上から更に分厚い灰と黒の幾学模様の描かれた毛皮を身に纏い、腕は丸太よりも太い。

 その先から延びる5本の指は根元から太く鋭い硬質な爪で覆われており、指自体が爪そのものといった形状をしていた。しかしその爪には節くれだった関節があり、指としての機能も残されている。

 逆関節の足は上半身の巨体を支えるに足る程に太く、ネコ科特有の顔は、そこいら猛獣ですら可愛げがあると思える位に猛々しい造形をしていた。


 その姿は、NFOプレイヤーのツェイトだからこそ“まさか”と思わざるを得なかった。


 その姿の名は“ハリマオ”

 それは獣人系上位種に名を連ねる異形、その中でも屈指の肉迫戦闘能力を持つ虎型の異形だ。



 そして何よりそれは、ツェイトのハイゼクタ―と同じくプレイヤー側でしか存在しない筈の種族。

 故に、ツェイトは少なからずも動揺した。


 しかし、あれはツェイトの知っているハリマオとは違って姿形に差異があった。


 本来、ハリマオの体毛は白銀に黒い幾学模様が縞状に描かれた生え方をしているのだが、あれは白銀とは呼べない。草臥れ、燃え尽きた灰の様な色をしていた。

 肉体の方もゲームで見た時の様な躍動感あふれる力強い筋肉に変わりはないが、どこかボロボロの死に体の様に見えるのはツェイトの気の所為か。

 更に体の所々が毛皮の代わりに黒い金属製の部品が、まるで“欠損した部位を補っている”かのように取り付けられている。NFOでも見た事の無い仕様だ。

 顔も同様に、スリットのついているアイパッチの様な金属部品が右目を中心に顔半分を失った部位の代わりの様に取り付けられている。


 まるで死にかけの体に鞭打つようなその有様はあまりにも無残で痛々しい。戦い破れ、負った傷を無理やり直して戦っている様にも見える。


 それでも、肉体とは逆に原形を保っていた片方の眼だけは未だ衰えを知らず、敵を睨みつける様は手負いの獣という言葉がふさわしく、鬼気迫る程の覇気に満ちていた。


 有機物と無機物。

 相反する性質の物体が混在するハリマオの姿は、自然界の理から逸脱した歪な体をしている。その姿はまさに。


(……まるで改造人間だな)


 ハリマオが本来持つ持つ獰猛さと、その肉体に埋め込まれた金属部品の醸し出す無機質さが相まって、ツェイトには目の前の怪人が不気味に思えた。


「グゥルルガアアアーー!!」


 鉄仮面の男、否――ハリマオが雄叫びをあげた。

 ツェイトの肉体にもビリ付く音の振動が砂を巻き上げ、大地すら鳴動させていた。

 近くに居たヒグルマは過去に経験していた事なので身を竦めることこそなかったが、ハリマオの存在に呆気にとられていた。


 しかし、他の者達はそうはいかなかった。

 遠くで見ていた昆虫人の兵士達ですら、先の方向で竦み上がって及び腰になっている。


「う、あ、ああ………かぁっ」


 モンスター・プレイヤー関係無しに、上位種族に当たる者達の威嚇行為はそれだけで下位の者達に対して圧倒的な効果を発揮する。

 まるで捕食者に喰われる間際の獲物の心境、セイラムは先のハリマオの咆哮からくる威圧感に死を感じてしまったのだ。

 体が震え、上手く呼吸が出来ない。生まれて初めて感じた強大な精神負荷が彼女を襲っていた。


「セイラム」


 それに気付いたツェイトが、反射的にセイラムの方へと振り返ってしまう。

 それが、ハリマオにとっては最大の好機に見えたのだろう。ハリマオが小さく屈んだ瞬間、その姿が消えた。


 早い、ツェイトが驚愕に目を見開き、その動きに気付いた時には、既にハリマオは懐に飛び込んで来ていた。ハリマオの特性である巨体に似合わぬ俊敏さは知っていたが、このツェイトの動体視力を以てしても捉えられない速度というのは異常だ。

 時計の秒針が動くよりも素早い刹那の瞬間。あの鉄仮面を着込んでいた時よりも、この異形は明らかに動きが速くなっているのはツェイトから見ても明らかだった。


「カアァァァッ!!」


 更に踏み込んだハリマオが、鋭く巨大な爪を抉り込むように繰り出して来た。


 一瞬の交差。生物を容易く引き裂く爪を振るった虎の異形と、それを迎え撃つカブトムシの異形がすれ違う。


 そして、ハリマオが精彩を欠いた足取りで砂地に着地した途端、ツェイトの首に当たる部位から僅かに火花が散った。そして。


「う、ぐががが……ぎ、き!?」


 深手を負ったのは、ハリマオの方だった。

 形容しがたい位に顔を歪め切ったハリマオの口から零れたのは、夥しい量の血だった。

 片手で胸を抑え、その場に跪きそうになるのを堪えながら、ハリマオは自身の胸部を見た。


 分厚い毛皮と筋肉に包まれた逞しかった筈の胸は右胸部分が大きく抉れ、吐血の量にも劣らない血が流れ落ちていた。 



 ツェイトは、ハリマオの方に振り向いた。ハリマオの動きから先を読んで迎撃に出たが、上手く一撃を与える事が出来たようだ。

 ハリマオが狙ったのは、外骨格が比較的薄いと思われたツェイトの首筋部分、そこに的を絞った一点集中の一撃だった。


 ツェイトの首周りの外骨格は、首の動きを阻害しない様に構成されている為か外殻の厚さは薄い構造になっている。これは首に限らず、関節など動く部位は全て同様だ。

 その外殻の一番薄い個所を、ハリマオの爪は突き破ろうとしたのだろう。確かに、ツェイトの首の箇所は稼働箇所を確保するために薄い個所があり、攻撃が通るのならば一番有効な個所だ。あの瞬間の最中に狙う等というのは尋常ではない動体視力が必要だ。それを見事成し遂げて見せたハリマオの技量と胆力は感嘆すべきだろう。

 

 ただ、ハリマオにとって不幸だったのは、ツェイトの外骨格と、その内側にある筋肉の頑丈さを知らなかった事だろう。

 ツェイトの高い防御力は、何も外骨格だけによるものではない。その外骨格が包んでいる筋肉も外骨格程とはいかないが、驚くべき強度を誇るのだ。それはツェイトの格闘技の動きを十二分に可能としてくれる柔軟性、そして如何なる刃も通さぬ弾力さと硬さと言う、柔らかくも剛なる肉体だ。筋肉だけではない、ツェイトの眼部や口内など、あらゆる箇所も同様だ。急所を狙うだけでは、ツェイトは倒せない。かといって、これはハリマオだけに限らず、過去にNFOでツェイトを狙ったプレイヤーの多くがぶち当たり、そして超えられなかった大きな壁である。


 ツェイトにダメージを与えるのは大きく分けて二つあり、至ってシンプルな結論だ。

 一つは、ダンの様に防御を無視して攻撃する事。

 そして二つ目は、ツェイトの防御を上回る攻撃力で以てその身を貫くのだ。


 だが、それが恐ろしく困難だった。それを、ハリマオも身を以て知る。


 ハリマオがツェイトに攻撃を仕掛けたその代償は大きかった。

 ツェイトはハリマオが突っ込んできたその瞬間に腕を伸ばし、そのままその部位を骨肉ごと強引に毟り取ったのだ。


 引き千切られたハリマオの胸は分厚い筋肉が骨ごと引き千切られ、その肉の隙間から“鼓動を繰り返す臓器”が顔をのぞかせていた。


 ハリマオの心臓だ。ツェイトに骨肉を引き千切られたハリマオは、心臓が外気に晒される程の剥き出しになってしまったのだ。


「う、う、うがあ、ぁぁ……!!」

 

 臓器が剥き出しになる程骨肉を毟り取られたハリマオの痛みは尋常ではないのだろう。体は痛みに激しく痙攣をおこし、食い縛る牙の隙間から血と泡が溢れ出している。


 しかし、それでもハリマオは立っていた。震えてはいるが、逃げるそぶりはない。


 その姿を視界に収めたツェイトは、右手に掴んでいたハリマオの胸の一部を放り捨てた。

 ドシャリと水のつまった革袋を落とした様な音を立てて砂地に落ち、今日何度目になるのか分からない、赤い染みがこの砂地に再び出来あがった。


 血に濡れた手を一瞥した後、ツェイトは手負いのハリマオに更なる追撃を見舞うべく構えを取った。


 ツェイトはあの時ハリマオの胴体を引き千切るつもりで攻撃を、相手の命をつもりで奪う腕を振るった。

 だがハリマオは、ツェイトが繰り出す攻撃を直前で身を捻り、何とか命を繋ぎ留める状態にまで持ち込んでいたのだ。


 今ここであの指揮官を叩いておけば、今後自分達に来る兵士達の脚も多少は遠のく可能性は高い。

 ……このままいけば仕留められる。セイラムの事を案じれば、今ここでハリマオの命を奪う事にツェイトは躊躇うつもりはもう無かった。

 

 胸の傷は、ツェイトの様に瞬時に傷を治癒できる程の再生能力を持たないハリマオにとってはかなりの重症だ。で、あるにもかかわらずまだ立てるのは、再生力を抜きにした生物本来の持つ生命力が物を言っているのだろうか。


 しかし、手負いの獣程何をするのか分からない。それは人とて同じ事、自棄になった奴は時として思いもよらない行動に出るが故に予測がつかないのだ。


 自棄を起こす前に無力化しなければ。そう思って動き出そうとした時、ツェイトは上空の気配に気付いた。

 空の彼方から少しずつ大きくなって来る物影が一つ。最初は砂粒よりも小さな点でしかなかったが、ツェイトの視力はそれが人の形を成したアリジゴクの異形の姿をしっかりと捉えていた


 あの時全力で遥か上空へと投げ飛ばしたダンが、ようやく視界内に収まる高度にまで落ちて来たのだ。

 ツェイトの発達した眼に映ったダンの肉体は何故か至る所が燃えたような焦げ跡があり、煙を上げながらその身体を抵抗もなく空へと投げだしていた。


「ギ、ガ、ァ、ァ、ァ、ァーーッ!!」


 ツェイトの視線が逸れたのを見たハリマオが、突然声を絞り出して動き出した。震える足を踏みしめ、血を振りまきながら駈け出したその先は――。


「ぃ……ッ!」


 セイラムだった。

 彼女は恐怖に腰が抜けたのか、砂地にへたり込んだまま立ち上がる事が出来ずにいる。そんな彼女目がけて、ハリマオが一直線に吶喊を敢行したのだ。


 歯の隙間から空気が漏れた様な小さな悲鳴を上げたセイラムの顔には、恐怖の感情が見て取れた。

 2m台の人型の獣が、砂飛沫を飛ばしながら猛然と自分に突っ込んで来る光景は、以前セイラムが戦った5メートルの巨体を持つ虫の異形と比べれば小さく見えるかもしれない。

 だが、彼女の心に刻み込まれたソレの原因は体の大きさが問題ではない。あの虎の異形が放つ常人とは比べられない程の威圧感がセイラムを委縮させてしまったのだ。


 今の一撃で、ツェイトとまともに戦う事を不利と悟ったのか。このままハリマオの所業を許せば、セイラムが連れ去られてしまう。恐らく、以前見せた様な転送方法でその場から逃げだすに違いない。そうなったらもう絶望的だ。


 ハリマオの脚はツェイトからしてもかなり早い。獣の脚力を数倍にまで跳ね上げせたそのスピードは脅威に値する。


 だが、間に合わないとは言わない。


 ツェイトの巨大な片刃状の角が青白い稲妻を帯び始める。

 角に留まっていた稲妻は頭部を奔り、胴体から四肢へと行き渡り、ツェイトの全身を一際青白く輝かせた。


 輝きを伴ったその巨体が一歩、砂地を蹴り出そうとしたその瞬間、ツェイトは雷の矢となって放たれた。





 個体差にもよるが、本来ハリマオの平均的な素早さはNFOの動物系種族の中で上位に数えられている。

 密林内での戦闘に持ち込まれれば、強靭かつネコ科特有のしなやかな筋力を活かし、その巨体からは想像もつかない身のこなしで木々を目にもとまらぬ速さで飛び交い、草の生い茂る大地を走り、超人的な機動力で以て標的を追い詰めて敵を討つ。

 特に最古参組でその種族のプレイヤー達は更に凶悪な仕上がりとなっている者が多く、PVPで戦う機会があった多くのプレイヤー達はその牙にかけられ屍を晒し、その力を文字通り身を以て知らされていた。


 その様な種族的恩恵を受けているハリマオの男、サバタリーは胸に痛みを忘れたかの様に雄叫び声を上げながら疾走する最中、内心ではその猛る姿とは裏腹に極めて冷徹に、俯瞰的ふかんてきなものの見方で自己を顧みていた。

 邪魔をされ、手傷を受けた事に対して怒りが無いと言えば嘘になる。だが、己に課せられた任務がそれに狂う事を許さないのだ。


 ――今の私では、奴とはまともに戦えない。


 サバタリ―の中で明確に浮かび上がってきたものは確信だ。

 過去の負傷により、サバタリ―の肉体は生命維持が困難となり、全盛期の頃に比べて著しくその戦闘能力を落としている。しかし、それでも拘束具を装着した状態よりも遥かに上だ。仮にこれが他の敵だったら、相手はサバタリーをまともに捕捉出来ずに屠られていくのだ。危険性を伴うが、サバタリ―にとってまさしくこの姿は切り札たり得た。


 なのにあの交差した瞬間、サバタリーは自慢の機動力を駆使して一撃離脱の戦法に持ち込もうとしたのだが、あの巨人は此方の動きに難なく付いて来るだけに留まらず、此方の肉体をいとも容易く引き千切って来た。

 

 名工が極上の材料で打った剣であろうが、それを繰り出す戦士の攻撃だろうが、魔術でさえ、その事ごとくを己の肉体はものともせずに跳ね返しては相手を屠ってきた。

 一度戦端を開けば、眼に映る全ての敵は有象無象の雑草にも等しく感じられる程に圧倒出来た。


 そう、この体と、己の戦闘技術が合わさればどんな戦いだろうと有利な状況へ持ち込める。

 朽ちてきたとはいえ、自分自身への信頼は確かなものだった。


 それがどうだ、この現状は。

 その認識は既に過去の物に過ぎなかった。

 此方の肉体が紙屑扱いではないか!


 辛うじて即死は免れたが、それだけだ。此方の胸部は筋肉はもとより、肋骨まで諸共に毟り取るその膂力と反射速度は敵対者にとっては悪夢の一言に尽きる。

 

 それは、もはや恐怖か。

 あの巨人には、己が見立てたよりも更に上をいっていた。それでも、例え体を義鎧で補う事でしか戦えない惨めな体になりさらばえようとも、まだ戦える筈だと己に言い聞かせていたのに。


 そして今、サバタリーはツェイトとの戦いを放棄して、自分達の目的である昆虫人の娘を奪い去る事に決めた。そうでなければ、この作戦の成功は最早見込めない。ミグミネットもまだ健在だが、未完成の奴をこれ以上戦わせても良い事はあるまい。


 胸を抉り取られ、心臓が剥き出しになったにもかかわらず、サバタリーが砂地を駆ける足取りは猛獣の疾走よりも力強く、胸からこぼれ落ちた血が砂に付着する事すらスローモーションに見える程の神速を発揮していた。


 如何に強靭な肉体を誇った種族といえど今の重傷ではここまでの動きは出来ない。

 それが出来てしまうのがサバタリーであり、彼の種族たるハリマオである。だが、過去に受けた傷の影響で生命維持機能に異常をきたしたその体は、一定時間を超えるとその身を崩壊させていく。その時間内に勝負を決める事が、サバタリーが義鎧を脱ぐ際の絶対条件だった。

 しかし、このままでは崩壊が始まる前にやられてしまう。それよりも先に任務の達成をこそサバタリ―は優先したのだ。

 

 目標の昆虫人の娘が目の前まで近付いた。ハリマオの種族に加えて生物としての限界を無理やり無くしたサバタリーの脚力を以てすれば、多少離れていようが肉眼で目視できる範囲ならばそんなものは遠い内に入らない。サバタリーと昆虫人の娘との間にあった距離は、瞬きの内に詰められていった。


 ――何としても、何としてでもこの娘だけは手に入れねば。


 サバタリーの眼には、昆虫人の娘の表情がはっきりと見える。

 以前森で対峙した時の様な反骨心を携えた強気な顔は鳴りを潜め、生物の本能から想起される恐怖に歪んでいた。

 ガチガチと歯を鳴らしながらも懸命に震える腕で槍を掴んで立ち向かおうとするが、恐怖にやられて足腰が上手く立たなくなっている。

 

 まだ巨人の気配は近付いていない。この戦い、私の勝ちだ。


 勝機を目にしたサバタリーが腕を伸ばし、まさに目と鼻の先まで接近したその時だった。


 サバタリーの伸ばされた腕が、娘を捕まえる事は無かった。

 その伸ばした腕を、更に巨大な腕が伸びで掴み上げてきたのだ。


 同時に、その腕から迸る電流が肉体内部を掻きまわし、その痛みにサバタリ―は苦悶の声を上げた。

 こちらの筋力を以て振り払おうとしてもビクともしない。まるで岩山と力比べをしている様だ。

 サバタリ―はこの腕を知っている。今しがた、自分がその相手との戦いを捨てて娘の所へ全力で突撃したと言うのに、もう追い付いたのか。

 驚愕と怒りに顔を歪ませて振り向けば、其処には奴がいた。


 常人よりも上回るサバタリーの巨体を、更に大きく上回るそれの腕は青い外骨格で指先まで包まれている。

 周囲に青い稲妻を奔らせながら、それは此方を見降ろしている。

 全身を鎧の様な、しかし生物然とした青い外骨格を纏ったカブトムシ姿の巨人が、サバタリーを睨み付けるように青白い眼光を鋭く光らせていた。



 サバタリ―が巨人の拘束から逃れようともがき始めた瞬間、浮遊感と共にその視界がぐるりと回った。

 腕がちぎれんばかりに引っ張られ、サバタリーは昆虫人の娘から距離を話す様に中空へ放り投げられたのだ。

 反抗する暇すら与えない急加速から来るその動作で、サバタリ―の体は大気を巻き込みながら、まるで高速で回るコマの様にスピンをおこして宙を舞う。


「グ、オ、ガアアアア!?」


 凄まじい加速が掛かり、上手く姿勢を戻す事が出来ない。

 強力な乱気流の中心に攫われたかの如く空へと自由を奪われたサバタリーは、その動体視力を以て見た。


 拳を脇へ引き絞った昆虫の巨人が稲妻を伴い、一歩の踏み込みで弾け飛ぶ様にして此方へ飛び上がって来る。

  


 回避を、防御を――――身動きが、取れない!?


「き、貴様あああぁぁっ!?」


 体制を無理やり崩され、立て直す事すら許されなかったサバタリーは、怨嗟の声を吐き出す事しかできなかった。


 そんなサバタリーの視界に青白い光が広がり、その刹那、背中から胸にかけて凄まじい熱と痛みが奔る。


 その衝撃に口から更なる吐血を強いられたサバタリーが目にしたのは、巨人の手刀が己の背を貫き、胸を突き破った光景だった。 


「う、うがあああああああーー!!?」


 あまりの衝撃に、弓なりに体を仰け反ったサバタリーが断末魔の叫びを上げる中、貫かれた胸を中心に青白い稲妻がサバタリーの体を蹂躙する。


 だが、サバタリーを襲ったものはそれだけにとどまらなかった。サバタリーの全身を青白い稲妻が迸ったかと思ったその直後、今度は肉体の内側から青白い炎が噴き上がったのだ。サバタリーの肉体が、次々と炎にまかれて燃えていく。

 

(だ、駄……これでは……もう……)


 全身はもとより、目や口から青白い炎を上げるサバタリーは思考する力も徐々に焼かれ、ただただ炎にくべられた薪の様にその身の炎が燃え尽きるのを待つ事しかできなかった。

 

 己の最期を悟ったサバタリーは、炎に包まれた腕を弱弱しく空へと伸ばし――肘から先が炭化して崩れ落ちる。

 それでもサバタリーは手を伸ばし、焼き付いた声帯から絞り出すように何かを漏らした。


「―す―――ェ―……」


 断末魔の果てに口にしたそれは、間近にいた巨人にすら聞こえないほどのか細いものだった。


 そしてその残った思考が最後にサバタリーの頭に描いたのは、己を創った創造主。


 その人物の顔を思い浮かべようするサバタリーだが、もうその顔を思い出せない。

 

 その事を最期の未練に、サバタリーと呼ばれた男の意識は燃え尽きるように消えた。

後編の投稿は5月中に致します。

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