第12話 後編 追跡者達の襲撃
お待たせしました、後篇です。
ダンの体はツェイトが近付いていく間にみるみる治りだし、乱れた息はもう整いかけていた。砕けた腹部の外骨格もすでに再生が終わっている。無事な事に安堵するべきなのだろうが、状況が状況だ。出来ればあのまま倒れてくれれば良かった。
彼に違和感を覚えたのはヒグルマだけではなく、ツェイトも同じく彼の様子におかしなものを感じていた。獣の様に襲いかかって来たかと思えば、今度は急におとなしくなったのだ。てっきり体が再生し次第襲いかかって来るものとばかり思っていたツェイトは、自分の体を何故か見回しているダンに声をかけた。
「おい、大丈夫……なのか?」
「ん? ……フフ、むしろ好調だな」
ツェイトはピタリと足を止め、ダンから距離をとった。
ダンの声で返事をしているが、口調が何時もの彼では無い。体中から垂れ流す影はそのままだが、振る舞いや態度が明らかに変化した。ダンの声を借りた“何か”はニヤリと口を釣り上げた。
「ダンに憑り付いている奴か」
「故あって、この体は利用させてもらっている。お前のおかげで本体が気絶したみたいでな。コレを完全に制御下に置く事が出来た」
ダンの体を操る“何か”は片腕に超振動を発し、それを眺めながら嘲笑う。
今まではダンの意識と寄生者の強制力は拮抗状態を保っていたらしい。しかしそれが先のツェイトのパンチでダンが気絶した事で破られ、その隙に寄生者が一気に畳みかけてダンの体の掌握に成功したのだ。
自分が良かれと思ってした事が逆効果を招いた。ツェイトは迂闊だったかと己の過ちを悔んだ。
「その体を持ち主に返す気は?」
「言われて素直に従うなら、とうに返している」
鼻で嗤って切り捨てた寄生者の言葉に、ツェイトは戦う姿勢を見せた。これ以上言葉を交えても意味は無い、むしろ相手に余裕を与えてしまう。ならば、速攻だ。
角から稲光が走る。モンスターやゴロツキ達相手には見せなかった、ツェイトが“戦う意思を示した”証拠だ。
ダンはチラリと森の方を見て何故か顰めっ面を作り、舌打ちした後に構えだした。
「……まぁいい。おい、少し付き合ってもらうぞ」
その言葉を皮きりに、ツェイトの足元が爆ぜた。同時にツェイトの体が掻き消え、その次の瞬間にはダンの眼と鼻の先まで肉迫、胴体目掛けて拳底を繰り出す。
ダンは迫るツェイトの姿を捉えていた。まるで“事前に知らされていた”かのように。ツェイトの拳が届くよりも先に、後ろへ倒れる様にのけ反ると体が砂地へ急速で沈み、そのまま砂の中へと潜って行った。突き出したツェイトの腕が空を切り、衝撃が砂を爆ぜただけで大きく空ぶる。
拳を振るうために腕を伸ばしきったその瞬間、先程砂の中へ潜ったばかりのダンがいつの間にかツェイトの背後の砂地から飛び出して超振動の腕を突き出していた。
ツェイトはそれに反応して見せる。殴った態勢をそのままに、背後から迫るダンへ後ろ蹴りを放って迎撃。ダンの超振動を纏った腕と激突した。ツェイト達の周囲に漂う大気が荒れ狂い、衝撃が辺り一帯にうねるように迸る。
僅かな拮抗の後、ツェイトの繰り出した脚の外骨格に亀裂が走り、その隙間から血が噴き出した。
如何に強固な防御を誇ろうとも、超振動の特性の前では意味をなさない。ダンはニヤリと口を歪ませて己の勝利を確信する。
だが、次には驚愕の表情で染められた。
超振動で砕け始めたものとばかり思っていたツェイトの脚が、それを上回る速度で再生を始めたのだ。
肉体を構成している分子結合の分解よりも、目の前の巨人の再生力の方が上回っている。
お、押し返される!?――驚愕と戦慄がない交ぜになった表情で顔を歪ませたダンを、ツェイトの脚はそのまま蹴り飛ばした。
「な、がぉっ!?」
ボンっと肉が弾けて血しぶきが飛び、ダンプカーに激突された人形のようにダンが宙を舞った。
血しぶきの出所はダンの腕。ツェイトの脚と激突したものが、先の蹴りの一撃で肘から先がグシャグシャに潰されてしまっていた。
これがツェイトのダン対策――といっても大した事では無い、やる事は実に単純明快。自身の図抜けた身体能力にまかせた力押しである。
相手の破壊力のさらに上を行く生命力で、例え防御を無視した攻撃だろうともそれを封殺し、超振動で身を守ろうならばその上から殴りつけて諸共に粉砕する。他にも手はあるのだが、如何せんちまちまと時間をけていられる状況では無いので強硬策に出たのだ。
低空へ放り出されたダンはすぐさま砂地に残りの片腕を突っ込み、勢いを殺して着地する。腰を低く屈んだ姿勢を維持しながら、ダンの腕も再生を始める。ミンチの様に潰されたものが徐々に元の形へと戻り、千切れ飛んだヶ所が徐々に構築されていく。しかし、先のツェイトの再生速度には大きく及ばなかった。
「な、何て事だ、こんな筈では……うおぉわ!?」
ダンへツェイトが追撃をかけて来る。砂地が弾け飛ぶほどの踏み込みで、ダンの目の前まで肉迫して回し蹴りを放って来たのだ。さっきの打ち合いで超振動で防ぐ選択肢も潰され、これには堪らず声を上げてダンが全力で回避に移った。憑り付いている肉体の反射神経を総動員させて全力で砂の中へ潜っていく。
またしても空振りに終わったツェイトだが、彼も同じ繰り返しをするつもりは無かった。
着地と同時に短く息を吐き、その巨大な足裏を砂の大地へと強かに叩きつけた。
ズドンッ! と地の底まで届きそうな轟音を立てて、ツェイトの周囲の砂地が爆発したかの如き勢いで吹き飛んだ。
震脚、現実の中国武術に実在するこれは、NFOの技術では無くツェイトが見よう見まねで身につけた技術だ。力を込めた蹴りにも似た踏み込みで地面を蹴り、その衝撃で周囲一帯の砂を飛ばしたのだ。
吹き上がる砂の中、ツェイトが急いで辺りを見回した。砂に塗れた環境下ではダン相手に気配探知は役に立たないので、眼だけが頼りとなる。
地面からは何も聞こえない、ならば……見つけた。砂が視界を遮りがちだが、遥か上空へ打ち上げられているダンの影をツェイトは捉えた。
この機を逃すまいとツェイトが体を低く屈め、大きく跳躍。跳び上がった時に生じた風圧が砂煙をかき消して行く。
急上昇して来るツェイトの姿に、ダンが慌てて四肢に超振動を起こして防御に入る。だが、あらゆる物質を砂に返す威力すら粉砕する剛拳の前には、既にそれは意味を成さなかった。
繰り出される拳は5発。嵐の様な激しさを伴って放たれる巨大な拳が、ダンの体に叩き込まれた。
両肩、両腿、そしてとどめの一撃に腹部へ目がけてアッパーを見舞い、更に上空へと叩き上げた。
「う、ぐあああぁーッ!?」
ダンの四肢と腹部が絶叫と共に弾け飛ぶ。胴体を中心に四方へ飛び散る血しぶきが、あたかも空に赤い花を咲かせたかの様に舞い広がっていった。
四肢を失いどてっぱらの吹き飛んだダンの体が何の抵抗も見せずに空から地へと落ち始めるが、それをツェイトは背中の外骨格を展開した翅を広げて急降下。追い付き空中でダンを掴み取り、砂埃を巻き上げながら大地へと降り立った。
「こ……がは!……同族を、げぼっ!……殺す気か……!」
血反吐と共に怨磋の声を漏らすダンの腹部は、外皮と骨が吹き飛んで内臓が顔を出していた。人であったならばそれはもう致死の域に達していたが、負傷した体はすでに再生を始めている。肩や股の付け根からごっそりと砕いた傷口から徐々に骨が伸び、神経や筋肉が作られ始めている。この生命力があるからこそ、ツェイトはダンを半殺し状態に追い込んだのだ。見方を変えれば、中途半端に長引かせればこっちが危なかったとも言える。あの超振動が頭部や心臓近くに直撃していたら、例え再生力が上回っていたとしてもどうなっていたか予測がつかない。
ツェイトは己の腕を見る。傷は何処にも見当たらないが、その外骨格からは血が僅かに滴っては砂地へと落ちてしみ込んで行く。先の拳の連打でダンの手足を砕いた時、超振動を纏ったそれを纏めて殴り抜いた際にツェイトの腕も傷を負っていたのだ。脚だってそうだ。あの時ダンの腕とかち合った時は、治癒力に物を言わせてそのまま再生し続けながら蹴り飛ばした訳だが、砕けた瞬間の痛みは筆舌に尽くしがたい激痛を伴っていた。今も砕けた脚にはその時噴き出た自分の血がべったりと張り付いている。
脚が砕けた時、あまりの痛みにツェイトは危うく意識が飛びかけていた。しかし、その意識を引き戻したのも皮肉な事に痛みであった。未だかつて経験した事の無い激痛に脳が処理しきれずぶれる視界を無理やり正し、口部外骨格の裏で歯を食い縛りながら追撃に出た。そして空中戦でも超振動の上から殴りつけた際に拳が裂けた時は口元が引き攣った。
この痛覚こそが、NFOとこの世界での戦いで最大の違いか。ツェイトは文字通り痛感する事となった。
その代わり相手の手足を吹っ飛ばしたのだから、五体満足で済んでいる身はまだましな方だと考えるしかない。
外面では平静を保って見せているが、こんな場でなければ地面で無様にのた打ち回っていた所だ。だが、そんな無様をツェイトはこの体で晒したくなかったという意地が彼を立たせた。
取りあえずダンの無力化に成功した。後はヒグルマの準備が整えば良いわけなのだが、ちらりと様子を見てみるとまだ完了していないらしく、未だ生体兵甲の大筒のチャージが続いていた。
“あれ”の効果は抜群なのだが、どうにも溜めの時間が掛かり過ぎるので短期決戦には向かない技だ。少しばかりはやる気持ちが大きくなるが、どうしようもない。
ダンを掴んだまま待機しているツェイトは、突然妙な感覚に囚われて反射的に森の方へ振り向いた。
NFOプレイヤー達の体に備えられていると言う、NFO譲りの気配探知用のレーダーで森の方角に何かの存在を捉えた。
捉えた気配の数は複数、しかもその大半が途中から進行方向を変え始めた。どういう訳か、別れた内のもう片方で先行している一人と思しき気配が他とは何かが違う。徐々に膨れ上がる得体の知れない気配に、ツェイトの視線がそこへと固定される。気づけば、ヒグルマも森の方に視線を向けて警戒しているのでそれにつられてセイラムも同じ方向に眼を凝らしていた。
ズズシン、と巨大で不規則な地鳴り音が響く。以前のワイルドマックや、それが変異した虫の異形の物よりも大きな音が響いて来る。
森から姿を現してこないが、木をへし折り、岩を踏み砕く音を鳴らしながらこちらへ確実に近づいて来ている。
皆が見守る中、茂みから物音を立てて何かが飛び出して来た。
それは、1匹のスティックラビだった。
死に物狂いという表現が当てはまる程の勢いで現れたのだ。本来森の中で暮らしている筈のスティックラビが、人の住む場所の間近までやって来るなど本来あり得ない。
一瞬、その場にいた皆の眼が点になるが、あれが物音の正体ではない。
スティックラビの後から、大人の腕程の太さもある黒ずんだピンク色の触手が数本森の方角から木を吹き飛ばしながら飛び出し、スティックラビの体に絡みついた。捕まったスティックラビは、悲鳴を上げて逃げようともがくが暴れる程に触手が強く絡みつき、触手の主の元へ連れて行かれた。
おそらくあのスティックラビは、あの触手から逃げる為に、形振り構わず走り続けてこの首都近辺までやって来てしまったのだろう。
森の中へ引き込まれたスティックラビから一際大きな悲鳴が聞こえた次の瞬間、巨大な物体が森の中から現れる。
それを見た者たちは皆絶句する。そんな中、ヒグルマが深めに被っていた手ぬぐいを上げてその物体を凝視していた。
全長4m弱のツェイトを上回る10m近い巨体。外皮を持たず、血管がむき出し状態の全身は先の触手と同じ生々しい黒ずんだピンクや赤で彩られている。
その姿は動く肉塊という表現が相応しい。複数の骨と筋肉、そして臓物達が混ざり合い、禍々しいその外見は、生物を冒涜しているかの如き醜悪さだ。見た者に恐怖と嫌悪の感情を沸き上がらせる。
腰に当たる部分から大小様々な硬質の節足が大地に喰い込み、全身には20本以上の腕が全身から伸びて何かを探している様に忙しなく動いている。
頭部には歯の無い口しかなく、それ以外の器官が全て無い。代わりに脈動を繰り返す筋肉組織が絶えまなく隆起していた。
「エ゛、エ゛エ゛…………エ゛、エ゛……」
ノイズの混じりの絞り出した様な声を漏らしながら森を抜け、自分に向けられる視線を気にせず砂地へ踏み込んだ肉塊の異形。
周りにいるツェイト達、ひいては更に遠くで事の成り行きを見守っているミキリや兵士達もが突然の乱入者の出現に混乱し、目が離せない。
肉塊の異形は進行方向からして首都の方へと向かうのかと思われていたが、砂地を進んでいる途中でピタリと動きを止めた。
口しかない頭部がヒグルマとセイラム達の方に顔を向けようとしたが、突然グリッと勢いよく首を捻って別の場所を見やる。
そこいたのは、何時でも応戦できるように構えたツェイトと彼に掴み上げられたままのダンがいた。
「ア、ア゛ァ゛…………オ、オォォォォッ」
大勢の人間達が同じ言葉を一斉に喋り出した様な多重音声が、肉塊の異形からハッキリとした声が聞こえてくる。
肉塊の異形は上半身を震わせながらツェイトに近づいて来た。
「ウァアアァァ覚エテイル……覚エテイルゾ、コイツハァァ」
「何を……?」
「ジギギ……オ前ノ所為デ俺ハコンナ…………ウアッ?」
少なくとも、ツェイトはこの様な怪物に会った事は一度もない。問い掛けたツェイトに肉塊の異形は話の噛み合わない言葉を漏らしたが、今度は呆けた声を出して頭を抱え込んだ。
「オ、俺ヲ? 俺ガ? 俺ノ? 俺……達? ……………ウビイィィィィ」
ついには意味のわからない言葉を繰り返し、自身の頭を複数の腕で掻きむしり、殴り始めてしまった。
突然自傷行為に走り始めた肉塊の異形に、ツェイトは訳が分からずこの異形を攻撃するべきなのか判断に迷ってしまった。
皆が困惑している間にも、肉塊の怪物は自身の頭を肉が削げ落ちるのを無視して引っ掻き、出血してもまだ拳で叩き続けた。そして、とうとう発狂した様に叫んだ。
「ア゛ア゛ァ゛ァ゛! 煩エェッ! オ前ラ大人シクシヤガレェ!!」
全身から生えていた腕の指先が内側から千切れ、白い骨で構成された鋭い突起物がせり上がってきた。
来るか、とツェイトが迎撃態勢に入ったが、肉塊の異形は予想外の行動に出た。
その鋭い指先を自分の頭部へと標準をつけ、触手の様に伸ばして突き刺したのだ。
ツェイトは常軌を逸脱したその行動が理解出来ず、瞠目する。
伸ばした指は全て外す事無く肉塊の異形の頭部を貫いた。大量の指が頭部へ殺到したため脳への直撃は免れない。抜いた後には蜂の巣の様に穴だらけになり、夥しい量の血が噴き出した。
自害した。周りからすればそう見える程の奇行だったが、肉塊の異形はまだ生きていた。
「ギギ…………ア゛ァ゛……嗚呼ァーー……」
流血はたちどころに止まり、穴だらけだった頭部は10秒も待たずして元の状態へと再生してしまったのだ。
それだけでは無い。徐々にノイズがかった声がクリアになり、理性的な声へと変わっていく。肉塊の異形は頭を撫で回しながら溜息をついた。
「ァァァ……クソ、ヨウヤクハッキリシテ来タカ」
同時に異形の体にも変化が現れた。 何もなかった口部には人間と同じような形の歯が剥き出し状態で生えだし。頭部には20近くもの目玉が浮かび上がって来る。
内側から盛り上がる様にして現れた目玉は当初視線が定まらずぶるぶると瞳孔を震わせていたが、次第に安定を見せ、ぎょろりと一斉にツェイト達の方へと血走った眼球が向けられた。
「会イタカッタゼェ、カブト野郎。ソレニ……」
さっきまで複数の声だったものが、一人のものに変わっている。それは初老に差し掛かった男のドスの利いた震えた声、発音がカタコトだったがツェイトはその声に聞き覚えがあった。つい数時間前に、森の中で複数の手下をひきつれて自分達の前に現れた、ゴロツキのリーダー格の男のものだ。
今ならツェイトにも分かる。あの肉塊の異形は、自分達に限りない憎悪を募らせている事を。
「ッッッソオォコノアリジゴク野郎ガァァァーー!!」
肉塊の異形が歯を剥き出しにして叫び、ダンが苦い顔をした。
今度は指だけでは無く、今度は手全体が骨状の硬質物へと形を変え、それら全てが貫手の構えを取って槍の様に伸ばして来たのだ。
風を引き裂く程の加速力が込められ、その全てがツェイトとその手に掴まれたダンに殺到する。しかし、ツェイトの眼はしっかりとそれら全てを捉えていた。
自身の体の頑丈さには自信があるが、それに頼りっぱなしでいる程ツェイトは余裕を持っていない。ツェイトはダンを庇うように左脇に抱えると、自分達に迫りくる無数の手を巨腕からは想像がつかない程の速さでさばき返す。
指、掌、手の甲、肘。片腕のあらゆる部位で以て肉塊の異形の攻撃をいなしていくその動きは、最早一般の人の眼では捉える事が出来ない。
一度返されただけで諦めなかった肉塊の異形は伸びきった腕を随時戻しては再度射出を試みる。それを無数の腕で立て続けに素早く行う事で、マシンガンのような連射性を加えて繰り出してくる。軌道を逸らされた異形の腕の一部はツェイトの回りに突き刺さると、バズーカ砲が撃ち込まれた様に辺り一帯の砂地が弾け飛んでいく。ツェイト達の回りは砂煙で徐々に覆われていった。
「テ、テメエラノ所為デ俺達ハコノザマヨォー! 何テ事シテクレンダ糞ッタレドモガアァァ!!」
「お前、ダンの体で何をしたんだっ」
脇に抱えたダンからは何も返って来ない。揺れが傷口に響くのか、くぐもった声が口から洩れて来るだけだった。
肉塊の異形から繰り出されるそれは、貫手という名の一発一発が大砲に同等する一斉攻撃。生半可な者が直撃を受ければ、原形をとどめる事すら許されない威力が込められている。肉塊の異形は怨さの声と共に容赦のない猛撃を、ツェイトとダンに浴びせ続けた。
遠くで、ツェイトを案じたセイラムが前へ出ようとするのを、ヒグルマが制している。折角ツェイトが相手を務めてくれているのに、そこへ下手に近づけば標的が自分達に変わるやもしれない。
肉塊の異形は攻撃の手を緩めず徐々に距離を詰め、そこで非常識な行動に出た。
およそ10m近い巨体が、腰から下が節足で構成されたあの体が、一瞬体を低くしたたかともえば次には100m以上の高さまで跳び上がったのだ。
あまりにも予想外な動きにセイラムは、そして近く封鎖活動を行いながら様子を窺っていたミキリやワムズの兵士達がその異常な光景に目を絶句した。
「ブッ潰レロォォー!!」
砂地を飛ばす程の重量と脚力によって跳び上がった肉塊の巨体は、砂煙を上げ続けたままのツェイトを上から圧殺せんと飛来し、落下する。肉塊の異形が着地した地点を中心に砂地が陥没を起こし、周囲一帯が土砂問わず盛り上がらせてその威力を見せ付けていた。
あれ程の巨体と質量を持つ肉塊の異形に飛びかかられれば、圧力で圧し掛かられた相手は無残な圧殺死体となって砂地にその身を晒していただろう。だが、仕掛ける相手を間違えた。
「デギャァッ!?」
絶叫を上げたのは踏み潰しにかかった肉塊の異形の方だった。突然下半身から激痛が走り、何事かと足元を覗きこもうとその禍々しい肉体を折り曲げて、それに気付いた。肉塊の異形の体勢が上へと上がり始め、大きく傾いたのだ。
次いで肉塊の異形の足もとから、砂煙に巻かれながらも其処には二つの青白い光が灯る。
徐々に煙が晴れたそこには、肉塊の異形の巨体を難なく片手で持ち上げているツェイトが中腰で立っていた。その頭部から伸びた刀状の巨大な角を、深々と肉塊の異形の下半身に突き刺しながら。
「ナ、何ィ!?」
持ち上げられた肉塊の異形は痛みに身を捩らせながらも、再び怒りのままに腰下の節足を使ってツェイトの頭部を突き刺しに来る。鈍い刺突音が鳴るものの、微かに火花を散らせるだけでツェイトの外骨格に些かの損傷も見当たらない。
この怪物が何なのか、ツェイトは気にならない訳ではない。
思い当たるとすれば、カジミルの村で遭遇したワイルドマックのなれの果て、虫の異形のそれと状況が似ているのだから。そう考えれば、自ずとこの事件の背後にある人物たちの姿が見えて来た。
それはセイラムを狙っている兵士達。であれば、今も何処かでこの様子を監視しているのか。
ツェイトは掴み上げていた片腕に力を入れて身を大きくのけ反り、肉塊の異形が角に突き刺さったままの頭を首の筋力を使って、振り下ろした。
振り下ろした勢いで角が抜けると、肉塊の異形は悲鳴と共にその巨体が大きく投げ飛ばされた。
しかし、肉塊の異形が森の方へと叩きつけられる直前、森から人影が大きく跳び上がって来た。ツェイトが捉えた人影達の内の一人だ。
「ガァァァ! コノ野郎今頃来ヤガンベェッ!?」
それは吹き飛ぶ肉塊の異形の高さまで楽々と跳び、何か言いかけた異形の顔面を踏み台にして加速。瞬きを許さぬ速度で異形と入れ替わる様にして、ツェイト目がけて突っ込んできた。
哀れ足蹴にされた肉塊の異形はプロ野球選手が投げた球の様な勢いで森の方へ、100メートル以上の飛距離を伸ばしてすっ飛んで行った。大質量の物体が多くの木々をなぎ倒しながら地面に激突して轟音と土煙が巻き上がり、「ンゴォッ!?」と肉塊の異形の悲鳴のような声が短く響いて止まる。
自分に向かって来るその姿にツェイトは見覚えがあった。僅かな間の邂逅だったが今でもあの男の事は忘れない。
虎の頭部を模した鉄仮面を被った、全身フルプレートの黒い鎧を着込んだ兵士。恐らく、この兵士達の指揮官に位置するのではないかと思われる男だ。あの時は激昂して片腕を切り落してたのだが、今目の前の男にその傷跡は無い。何らかの手段で回復したのだろうか。何処にも不調を感じさせない手にした槍を構えたまま、黒い弾丸となってツェイトに襲いかかる。
飛来する鉄仮面の男に対して、ツェイトは手刀による切り払いで以て迎撃しようとした。
しかし、ここで予想外の事態が起きた。ツェイトの脇腹に抱えていたダンが、再生途中の全身を使って超振動を発動。ツェイトの妨害に出たのだ。脇に抱えていた事が災いして、片腕と脇腹が超振動で破壊された。ダンも無事では済まない。超振動の際に激しく振動を起こす事が災いして、再生途中の手足と腹部が再び千切れ始めたのだ。
「ぐ……ゴボ……今だ、や゛れ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ッ!」
血を吐きながらダンが叫び、突然の激痛にツェイトの体がぐらりとよろける。繰り出された手刀は目標を大きく逸れて空振り、それが一撃を免れた鉄仮面の男に好機を与えた。槍に加速した勢いを乗せて、よろめいたツェイトの眼部に突き込まれる。だが、鉄仮面の男が突き出した槍の刃は、まるで硬く柔軟なゴムの様な手応えと共に眼部から弾かれてしまった。舌打ちする男をツェイトが捉えようと角に電気を走らせるが、鉄仮面の男はそれにピクリと反応。先に伸ばした槍を回してツェイトの肩を石突き部分で叩き、その勢いを使って跳び退き毒づいた。
「おのれ、目でこれか!」
1~2秒程度の滞空状態からの状況の切り替えは目にも止まらぬ早業だ。まさかあの刹那の瞬間に空中で槍を用いて瞬時に軌道を変えてその場から離れるなど、超振動を受けた傷で思考がうまく働かない今のツェイトではうまく捕らえきれない。
(この身のこなし、こいつ)
初めて会った時は見る事の出来なかった鉄仮面の男の実力。少なくとも身のこなしは明らかに並の種族のそれでは無い。NFOプレイヤーでもそうはお目にかかれない機転の速さだ。
それに、かなり戦い慣れている。あの男は、ツェイトの電撃が発動する瞬間に反応して動いて見せた。
ツェイトの電撃は、頭部の角から稲光が走るという工程を経て発動する。それを、鉄仮面の男は見切ったのだ。極めて短時間、しかもたった二度の戦いでこの特性に気付いたというのならば、戦いのセンスないし経験の度合いは、決して侮って良いものではない。油断すれば、脚を掬われる。
脇に抱えたダンは超振動の負担に傷付いた体が耐えきれず、再び動きを止めて虫の息だ。また超振動を起こされても困るが、ここで手放せば砂地に潜られかねない。そうなってしまえば、最悪ダンはもう助けられない。
「総員、突撃せよ!」
砂地に着地した鉄仮面の男が叫ぶと、それを見計らった様に深緑の衣装に軽鎧とフルフェイスのマスクを装備した特殊部隊もどきの兵士達が大勢で大挙して来た。その数はおよそ50人、現れた方角はセイラム達がいる近くの森からだ。目的は恐らくセイラムの捕獲だ。
「セイラム!」
「行かせん。ミグミネット!」
「ぐ……ぅ……ひ、人使いが、ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
ツェイトがセイラム達の元へ駆けだそうとした所で、再びダンが絶叫を上げて超振動を発動させて妨害に出た。突っ込もうとしたツェイトは、超振動のダメージで足元がふらついて砂地に大きくつんのめる。そのまま痛みに耐える様に体を固くしてしまった。
鉄仮面の男はツェイトが上手く動けないのだろうと察しつつも、槍を片手に構えながらその動向を窺っていた。
「そうだ、そのまま巨人の動きを止めておけ。その傀儡は死体になっても構うまい」
ダンの肉体は超振動を使い続けて来たツケが回って来ていた。傷は手足の付け根から胴体に回り、超振動の負荷に耐えきれずに至る所から血を噴き出しながら弾け始めていた。
これ以上は限界だ。如何にハイゼクターの生命力を以てしても免れない死が見えて来た事で、ツェイトは痛みに悶えながらダンに制止を呼び掛けた。
「ぐ、よ、止せ! それ以上は!」
「いいやまだだ。貴様は、仲間が腕の中で自滅するのを見ていろ。我々は娘を……ぬ!?」
突如、セイラム達がいる方向から爆発音が鳴り響く。
鉄仮面の男が何事かと視線を向けると、仮面の中からくぐもった声が漏れた。
今鉄仮面の男が見ている先には、彼が引き連れて来た50近くの兵士達がセイラム目がけて殺到している筈だった。ワムズの兵士達は此処一帯の閉鎖を維持している為駆けつけるにしても多少時間はかかる。そして一番厄介な甲虫の巨人はこちらで足止めを食らわせている。後は短期決戦で数の暴力を以て圧し潰せば、例え自分が居なくても娘の奪取はいけると踏んだのだ。
しかしここで、自分の予測外の人物がいる事を鉄仮面の男は知る事となる。今この場で脅威なのは、なにもあの巨人だけでは無かった。
先頭にいた7~8人程の兵士達が、火ダルマとなってその場でのた打ち回っている。残りの兵士達は警戒するように、セイラム達を囲うようにじりじりと回り込みつつ距離を取っていた。
「……察するに、こいつらとダンを操ってる野郎はグルってわけかい」
相手は多数。しかしそれに臆することなく、立ち向かう男が此処にもう一人。
セイラムを庇うように兵士達の前に立ち、奇怪な形の大筒を片手に油断なく兵士達の眼前に立つヒグルマが、キセルを咥えながら器用に煙を吐いていた。
静かに言葉を紡ぐ彼の顔は、普段の仏頂面に怒りと殺意が乗せられていた。まさに怒髪天を衝くという言葉がふさわしい、そこには兵士達を全て殲滅してやるくらいの気概と気炎が感じられる。
後ろにいるセイラムは、何時でも戦えるように槍を片手に構えてはいたが、ヒグルマの様子を見て兵士へと飛び掛かる様な真似はせず、ただ息を呑んでいた。それほどまでに、ヒグルマから放たれた怒気が凄まじかったのだ。
「焼かれてぇ奴から来な。まともに飯の食えねえ体にしてやる」
静かに言葉を紡ぐヒグルマの気概を顕わす様に、咥えていたキセルの火皿からボォッと荒々しく小さな火柱が昇った。