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紺碧の大甲虫  作者: そよ風ミキサー
第二章 【虫の国の砂塵と花火】
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第11話 狂った砂塵

夏に投稿出来て良かった……(昆虫的な意味で


今回は区切りが悪かったので前編後編に分けておりません。

ですのでかなり長めになっております、ご注意ください。

 大門前で騒動が起こる前、ヒグルマは決して小さくない焦燥感を胸に募らせ、目的地へ向けて広大な首都ディスティナの中を駆けていた。

 彼の目指す場所はこのディスティナの外縁部、中央の大通りへと繋がる大門だ。


 背中に自分の背丈ほどもある大きな六角柱状の大筒を背負っているにもかかわらず、その重さを感じさせない素早い身のこなしで人気の無い道を走り、そして時には住宅街の屋根をまるで飛蝗の如き脚力で飛び移っては移動していた。

 瓦屋根をヒグルマが着地しては蹴る度に、瓦独特の乾いた音が民家の屋根から鳴った。


 深く頭に巻いた手ぬぐいから覗く黒い瞳は、本人の心境を表すかのように鋭く細まり、口元は何時にも増して引き締まっていた。

 その後を、ヒグルマと同じように屋根の上を跳び、ヒグルマの後ろ姿を見失わんと追随する者が一人。深緑の侍衣装を身に付けた女侍、ミキリがいた。後ろに束ねたポニーテールの黒髪と額の2本の触角を大きく揺らし、袴衣装を風にたなびかせながら、彼女は息を荒くして民家の屋根を跳んだ。


 

 昆虫人は身体能力、とりわけ跳躍力においてはこの世界の全人型種族の中でも上位に食いこむ程の強靭さを誇る。江戸時代の民家程度の高さならば武術やその手の動きに覚えのある者なら造作も無く飛び移れる。


 だがこの場合、問題はその移動速度だ。ヒグルマの移動速度が、昆虫人から見てもかなり早いのだ。オリンピックの短距離走で金メダルを取った人間でも追い付けない程の速度で民家の屋根を跳び、町中を器用に駆け抜けて行ってもヒグルマは息切れの一つもしない。それに追い付かんと必死に付いて行った結果、ミキリは体力が消耗しややグロッキー気味になってしまっていた。


 ヒグルマは、苦しそうな息遣いが聞こえる己の後方をちらりと振り返った。


「おい、へばってぶっ倒れるなよ」


「な、何の…ゼェ…これ、しき……ごほっ」


 途中途中で息を詰まらせ、咳き込みつつも意地で返して来るミキリだが、本当に大丈夫かよとヒグルマは内心ぼやいた。

 どうせ行く場所は同じなのだし、急いでいるのだから正直このまま振り切って行ってしまっても良かった。しかし自分の事を必死に追いかけて来る姿を見てしまうと、無為に置いて行く気にもなれなかった。

 見かねたヒグルマが、速度を落としてミキリの横へと並走した。


「坊主の、シノンの傍にいなくて良いのか」


 ヒグルマは視線を前に向けたまま、横にいるミキリに尋ねると、息を整えた彼女が答えた。


「……大丈夫。若様も先日の一件以来勝手に出かけるのは懲りておられるし、他の者達が私の代わりに護衛に出てくれている」


「そうじゃねえ、お前は坊主の護衛だろうに。離れたら不味いだろうが」


 本来ミキリはシノンの御目付役だ。それが護衛の対象者であるとある武家の子供、シノンの傍を離れるのは如何なものかとヒグルマは思ったが故の問いだ。


「今回の一件、私も駆り出される事になったのだ。上からの御達しとならば断れん。それに若様の護衛する者は、私だけでは無いのはお前も知っている筈だ」


「ふぅん。成程……確かにそうだったな」


 シノンの護衛に就いているのはミキリ一人だけでは無い。シノンの身の上が特殊な為、複数の者達がシノンの身の回りを警護している。ミキリはその中で実力と人格的な適性が尤も高かったが故に、一番近い位置で彼の少年の警護をしていたのだ。今回、その中でも戦士としての実力を買われているミキリの腕前は確かにこの国でも上位に入る。

 しかし、シノンの護衛他の者に任せてまでミキリを事件の解決にあたらせようとするのは、この国のお偉いがたが今の事態を容易ならざるものとして捉えている言う事になる。



「……で、そこに俺の監視も含まれてるってか」


 面倒くさげにヒグルマがこぼした言葉に、ミキリは何も答えない。その代わりに、ハッと息を呑む音だけがヒグルマの耳に聞こえた。

 否定もせず、沈黙を保った事が返って分かりやすかった。単純な奴、とヒグルマは鼻を鳴らす。


「俺が疑う側なら、まず容疑者の身近な奴から疑う」


 そう言うと、ヒグルマは頭を面倒臭そうにガシガシと掻き毟った。



「ダン(容疑者)に一番近い奴ときたら、俺だろうからな」


 ヒグルマもつい先ほどミキリ経由で知った事なのだが、この間起きたシノンの誘拐騒動の実行犯の裏に、ダンがいるらしい。


夜中に治安の悪い区画の方でダンらしき男の姿を見たと言う証言が何件かあったのだ。

 現在その当人は首都の外へ出たとの報告が血相を変えてやって来たミキリを介して分かったので、ヒグルマは真相を確かめるべくダンと思しき人物が向かった方角へ向かおうとしていた。


 ダンの件を知った当時のヒグルマは怪訝半分、驚き半分と言った心境だった。

 NFOの時から長い付き合いの為、ダンの人柄と言うものはゲームの世界と言う限定的な空間内ではあるが、それなりに理解している。

 だからこそヒグルマは解せなかった。あのダンがそんな事をしでかすとは、と。

 普段からふざけているし、チンピラの様な振る舞いをする奴ではあるが、それ相応の良心と道徳は持ち合わせている。何より、越えてはならない境界線と言うものをしっかり分かっているのがあのアリジゴク男の根っこの部分なのだ。


「……すまん」


「謝るな。どうせ、上からの命令なんだろ? 見当は付いてる」


 沈痛な面持ちのミキリにヒグルマはぶっきらぼうに返した。


「だが……私にはどうしても分からんのだ。ダンは軽薄な所はあるが、犯罪に手を染める等……」


 そんな台詞をミキリの口から聞いたヒグルマは、密かに感心した。

 ミキリは実直な性格をしている。その為、出会った当初はダンのおちゃらけた感のある態度をミキリは嫌い、刺々しい態度しかとらなかった。それが今ではそのダンを弁護していると言うのだから人の心とはどう変わるのか分からないものである。


「これは直接、奴から訊き出すしかねえよな」


 そう言うやヒグルマは突如、隣にいたミキリの腰に手を回して荷物の様に脇に抱えた。


「あっ! コラ、何をする!?」


「お前が遅いからこのまま連れて行くんだよ」


「だからと言ってこの扱いはうぉぁ!?」


 ミキリがヒグルマに抱えられながらも抗議を唱えていたが、それを無視してヒグルマが一際大きく跳んだ。それは今までの跳躍よりも高く、6階建てのビル位ならば容易く跳び越えられる程の跳躍力だ。


 跳び上がり切った所でヒグルマは、空いた手で背中に背負っていた巨大な六角柱状の金属製の大筒を取り出した。

 横から突き出ている取っ手の様な部分を逆手に、肘をカバーするように――さながらトンファーを扱うように構え、穴の空いている部分を肘の方へと向けた。筒の穴は、ヒグルマの後方斜め下に向けられている。


「一気に飛ばすぞ、舌を噛むなよ」


「な、何!? おい待て……」

「“シャナオウ”、点火だ」


 何かを訴えようとしたミキリを気にせずヒグルマが呟くと、腕に構えていた大筒が呼応するかのように、巻かれている荒縄越しにギチギチと音を立てて蠢いた。

 同時に、肘の方へと向けていた大筒の穴から小規模の爆発と共に、大の人間の大人が覆われる程の巨大な火柱が噴き出してきた。

 その瞬間、爆発と火柱が生み出す反作用で空中にいたヒグルマ達は掴んだ大筒に掴まる形で空を真横に飛んでいく。飛んでいく先は、ヒグルマ達が向かおうとしていた場所だ。

 巨大な炎を吐き出しながら空を飛ぶ大筒は、さながらヒグルマ達がいた元いた世界で言う所のロケットの様に首都の空を突き抜けていく。

 そんな光景を真下で見ていた町人やクエスター達は自分達の仕事を一時中断してまで、何だ何だと驚きながら見上げていた。


「ぁぁぁあ、後で憶えておれよおぉぉ!?」


「憶えていられる余裕があったらな」


 大筒から放たれる轟音によって、ミキリの悲鳴交じりの叫びは虚しく都の空に掻き消えて行った。





「こ、これは……何と言う事を……」


 首都の入り口大門付近で繰り広げられている光景を目の当たりにして、ミキリは額から流れる冷や汗を拭う事すら忘れ、呆然と呟いた。

 ミキリの声を耳にしつつ、その隣でヒグルマは頭に巻かれた手ぬぐいから覗くその鋭い眼で、街道沿いに設けられた通行者達の待合場所である大広場の方を睨みつけていた。

 その視線の先には体の所々に紺色の襤褸を纏い、大勢の兵士に囲まれても怯む事無く、口元を歪めながら悠然と対峙する己の相棒が、アリジゴク型ハイゼクターのダンがいた。



 そこは普段見慣れた平和な風景と打って変わり、地獄絵図に塗り替えられていた。

 街道沿いに設けられた大広場の所々に横たわる肉塊の数々。それは、原形を留めぬほどに分解され、血だまりの海に沈む役人兵士達の亡骸だった。中には腰から下のみ、または体の一部だけを残してそれ以外の全てを大地を濡らした赤い染みの一部に変えられてしまった者までいる。

 その中心には、アリジゴクの姿をした一人の人型種族――ダンと、それを取り囲むようにして大勢のワムズの兵士達が相対し、戦いを繰り広げていた。


 そんな惨劇を目のあたりにして、平常でいられる者は多く無かった。現に、その場にいる戦えない者は勿論の事、中には戦える者であってすらパニックに陥る者が出てきている。

 更に追い打ちをかける様に、荷車を牽いていた動物も周りの悲鳴と怒号に驚いて暴れ出し、牽いていた荷車をひっくり返して周りにいた通行者達を押し潰してしまい、二次災害を引き起こす始末だ。


 クエスター達もその場にいるが、彼らは自分達の方へ、または護衛対象にとばっちりが来ない様に身構えているばかりで、戦いに加わる気配が見られない。


 否、実際は戦いに加わらないのではなく、戦えないのだ。


 クエスター達は目の前で繰り広げられている争いに戦慄していた。

 なぜならば、それは戦いと言う名の一人の男が引き起こす一方的な虐殺に他ならなかったから故に。

 

 ダンが両の手を激しく振動させながら兵士達の懐へ駆けだした。ダンの突っ込んだ先にいる一人の兵士は距離を取るべく後ろへ大きく飛び退くが、ダンの踏み込みの方が早く、深かった。

 

 懐に踏み込まれた兵士は恐怖に顔を歪めながらも槍の突きで応戦する。だが、ダンは甲高い音を鳴らしながら震える腕を薙ぐようにしてそれを砂状へと変え、さらに懐へもぐり込んでその魔手を兵士に向けた。

 触れられた兵士の上半身はその一撃に耐えきれずに身に付けている服ごとバラバラに千切れ飛び、原形を残す事無く腰から上の全てのものを赤い飛沫へと変え、周りの仲間とダンへ撒き散らして絶命する。

 後に残ったのは兵士の下半身だけ。よろよろと数歩後退した後、主を失った下半身は尻もちをつくように崩れ落ちた。


 しかしダンは倒れた兵士の亡骸たるその下半身を、サッカーボールの要領で他の兵士に向けて蹴り飛ばしたのだ。まるで、相手の死すらも嗤うように。


「この、外道めぇっ!」


「馬鹿、止せ! 下手に近付くな!」


 仲間の死すら弄んだこの異形に一人の兵士は激怒し、斬りかかろうとするが近くの兵士に止められた。

 彼だけでは無い、他の兵士達も皆同じ様に怒りを露わにしているが、一行に攻めてこようとはしない。

 彼らは臆した訳ではない、むしろ仲間の仇を討とうと手に持つ武器を眼の前に立つ異形に叩きつけたくて仕方が無かった。しかし、それが出来ないでいた。


 兵士達が迂闊に踏み込まないのは、ダンの能力――超振動が原因だ。

 ダンの繰り出す超振動によって、武器で攻撃しようとしても逆に武器が砂状に分解され、更にはダンの攻撃の間会いに入ってしまうため踏み込もうならば返り討ちに遭い、その身を容赦なくバラバラに分解されてしまう。


 それに気付いたからこそ、兵士達は迂闊にダンに近付く事が出来ないでいたのだ。だがそこに気づくまでに、多くの兵士達がダンの餌食となり、今彼らの足もとに広がる赤い大地を生んでしまう結果となってしまった。



 しかし、そんなダンの凶行をこれ以上許さぬ輩が此処に一人。



 次の獲物を探すべく視界に群がる兵士達を一瞥していたダンは、空気が悲鳴を上げた様な音を耳にする。

 認識したその瞬間、いきなり見えない何かによってその身を吹き飛ばされた。


「がえっ!?」


 防御をとらなかったダンは血染めの大地を大きく跳ね跳び、兵士達の集団から遠く離れた場所へその身を引きずる様にして転がって行く。


 その一撃の正体が何か即座に理解したのだろうか、起き上がったダンは先程自分を吹き飛ばした何かがが飛んできた方角へと視線を向けた。


 そこには、己の身の丈ほどもある長く大きな六角柱状の金属の大筒を肩に担ぎ、穴の空いた部分を自分に向けて構えている一人の昆虫人がいることに気付く。

 墨染のはっぴに黒いズボン状の履物、頭には黒い手ぬぐいで大きく撒かれた職人の様な出で立ちの男がいた。


「ひ、ヒグルマぁぁぁぁ……」


 アリジゴクの異形は己の相棒の名を口にし、奈落の様に暗いその眼を大きく見開かせた。

 それはまるで酷く困惑した様な、それでいて嬉しそうに笑っているかのような歪な笑みを携えて。



「……おいミキリ、周りの連中を皆下がらせてくれ」


 ヒグルマは、ダンの有様を見てこめかみから一筋の汗を垂らした。

 NFOで身に付けた職業故の技能と言うべきか、ヒグルマの視力は常人を遥かに超えている。


 ヒグルマが現在就いている職業は昆虫人だけがなれる花火師というものであり、それは砲術士という職業を基にした派生職だ。

 その砲術士とは、銃器類を用いて遠くの敵を狙撃する事が出来、その特性上それに関係する技能も身に付く。その技能の一つを今まで磨き上げて来た事で、ヒグルマの視力は千里眼の如き領域にまで高められているのだ。


 その眼で見たダンの、特に目を見た途端にヒグルマは薄気味の悪い感覚を覚えた。

 普段ならば光を宿している筈のダンのその眼に光が宿らず、まるで黒く塗りつぶされた様に真黒なのだ。

 

 何かがおかしい。遠くから一見しただけであるが、ヒグルマには今のダンが正気だとは思えなかった。


「理由は分からねえが、ダンの馬鹿がイッちまってやがる。このままじゃ冗談抜きで此処が血の海になっちまうぞ」


 両手で持っていた大筒を片手に構えなおし、歩み出そうとしたヒグルマの肩をミキリが掴んだ。


「待て、一人で行くつもりか?」


「他に、まともに戦える奴もいねえしな」


 お前だってあいつの力は知ってるだろうが。

 ヒグルマの言葉にミキリは歯を食い縛り、ヒグルマの肩を掴んでいた手を弱々しく離した。

 ダンがこの都に現れてから今に至るまで、ミキリはダンの力を何度も目にしてきた。

 硬い堅牢な鎧も、鉄よりも硬いモンスターの外殻も意に介さず、触れた物全てを細かく分解する恐るべき力。


 普段は凶悪なモンスターの討伐や賞金の掛かった犯罪者を鎮圧する際に活躍していた力だが、今はそれが無差別に振るわれようとしている。それは、もはや脅威以外の何ものでもない。それを思うだけで背筋が凍る様な思いがミキリの中を駆け巡る。


 しかし、隣にいるこの頭に手ぬぐいを巻いた昆虫人も、埒外の力を持っている事をミキリは知っている。事実、それに何度も助けられた事があるのだから。

 だが、それでも。


「国を守る筈の我らが戦わないなど……情けない」


「……こりゃ、例外だぜ」


 この世界で、自分達の力は異端の部類に入るのだろう。嘆いたミキリに悟られぬようヒグルマも独りごちた。

 この世界の住人達の力は、一般的に知られている上位と思しき実力者でNFOプレイヤーの中堅者の域を行くか行かないかと言った程度らしい。というのも、ヒグルマ自身が世界を見て回ったわけではなく、あくまで同じくこの世界に流れて来た、この場にはいないNFOプレイヤーからの情報だ。


 そしてこの世界に来ているプレイヤーは、確認出来ただけでも皆最古参組と言うNFOのベテラン達しか来ていない。

 今もNFOに残っている最古参組は、どれも揃いもそろって曲者ばかり。それ故かは分からないが、各アバターの性能も並のNFOプレイヤー達とは一線を画している。

 アバターの中身が只の一般人だとしても、その図抜けた力を内包したアバターの存在自体は無視できない。


 ヒグルマは自分とダンも最古参組として、NFO内ではそれ相応の力を有していると言う自覚がある。中堅者程度の実力ならば複数で来られても難なくあしらえる自信もあった。

 そんな実力差を知っているからこそヒグルマはミキリを責める事はしなかった。ヒグルマ自身に国から直々に依頼が下ったり、ミキリが今回送り出されたのも、ダンと言う常軌を逸した力を持つ者が相手だと国の上層部は分かっていたのだろう。


 ハッキリ言って自分達NFOプレイヤーは、身の振り方を誤ればこの世界の営みを大きく乱すイレギュラー要因でしかない。

 だからこそ下手な真似は控えていたのだが、此処に来て一番危惧していた事が、まさか自分の身内から出て来るとはヒグルマにとっては誤算だった。



「……勝算はあるのだろうな?」


「この場じゃ、奴の実力をだれよりも知っている心算なんだ。まぁ、大丈夫だろ」


「せめて言い切れ、そこは」


「良いからお前も早く行けってんだよ」


 痺れを切らしたヒグルマがミキリの背後へ下がり、背中をやや乱暴に押した。

 押されたミキリはつんのめり、その瞬間をを良い事にヒグルマはざっと大地を蹴って跳躍し、ダンの元へ跳んだ。



「あ、待て……ええいっ! そこのお前、警笛を鳴らせ! 援軍を呼んでこの一帯を閉鎖しろ! それと此処の指揮を執っている者は誰だ!?」


 やり場の無い怒りを胸にいだきながら、ミキリも自分の出来る事を始めるために、近くにいた兵士に声をかけた。



 ヒグルマは此処に来るまではダンの暴挙を信じきれないでいたが、しかし認めざるを得ない。今自分の前でそのダンが、兵士達を平然と殺している瞬間を眼にしてしまったから。


 ヒグルマは今、ダンと対峙している。二人の距離はおよ十メートル、兵士達は安全な距離まで下がっているのでこの場にはダンとヒグルマの二人しかいない。他の者達は、遠くから二人のやり取りを傍観していた。先の戦闘を見ていたのと、ミキリを介して軍が働きかけていた事もあったので、下手に近付こうとする者はいない。

 この距離ならばダンが攻撃を仕掛けてきても対応できるが、油断は出来ない。ヒグルマは何時でも大筒を撃てるように片手で担ぎ、引き金に指をかけていた。

 しかしまだ引けない、ダンが何故こんな事をしたのか理由を知るまでは。


「おい、何でこんな事しやがった」


「目の前の蟻を踏み潰す事に、クハハ、理由なんて必要ねえだろうが」


「……答えになってねえぞ」


 ヒグルマがダンを射抜く様に睨みつけるが、ダンは全く堪えていない。それどころか、この血と屍の点在する大地の上で、同じく体を兵士達の返り血で染めたまま、世間話でもするかのような気安さでヒグルマに含み笑いを混ぜて返して来る。


「シノンを攫わせようとしたのもお前か?」


「んん? そうとも! 良い所に気が付いた! ……が、ツェイトの奴に邪魔されちまったがな」


 ダンは親にほめられた子供の様にはしゃぎ出したかと思えば、しゅんと叱られた子供の様に身を竦める。その光景に、ヒグルマは最初にこの場で目にした時から感じていた違和感が、より一層高まった。


(どうなってやがる。こいつ本当にダンか?)


 饒舌に会話をしているが、やはりどこかおかしい。この変貌ぶりは異常だ。

 NFOの常識に則って考えて行けば、精神に何らかの異常をきたしている――ゲームで言う所の状態異常に陥っている可能性も考えられたが。


 しかし突然、ダンの態度が変わり、感情の抜けた表情を浮かべる。今度は何だとついヒグルマが身構えていると、ダンがボソリと、しかしヒグルマにはしっかり聞こえる声で呟いた。


「……だが、目的のものは見つかった」


「あん? 何の事だそりゃ……っ!?」


 ダンの不可解な発言に眉を顰めるも、ヒグルマはある物を眼にして目を微かに見開いた。


 それは太陽の日射角が見せた錯覚か?


 否、違う。ヒグルマは確かに見た。ダンの体を覆う外骨格の隙間から、黒い何かが動いたのを。

 黒い何かが動いた瞬間、ダンの眼の奥でも何かが怪しく蠢いた気がした。


「ダン、お前……」


 言いかけた所でダンが駆けだし、ヒグルマ目がけて飛び蹴りを仕掛けて来た。突然の事に目を白黒させたがヒグルマはそれを大筒を使って受け止め、そのまま力任せに大筒を大振りに振るった。大筒に足を駆けていたダンはその一振りの勢いを利用して数メートル先へと飛び、空中で姿勢を整える事で難なく着地する。

 ヒグルマに取っては幸いな事に、先の一撃にダンは超振動を使って来なかった。 


「おいっ!」


「……悪いな、こっちものんびりしてらんねえんだ」


 着地からゆっくりと立ち上がったダンは低く腰を落とし、両の腕を左右に広げた。さながら、アリジゴクが大顎を開いたかのような構えだ。


 それだけで、周囲の空気が一変した。

 それまで遠くでざわついていた兵士達やクエスター達ですらその雰囲気に充てられて口を閉ざし、辺り一帯には異様な静けさが生まれた。


 頬を撫でる風が、ヒグルマには嫌に生ぬるく感じる。

 しかしそれとは逆に、ヒグルマの感覚は緊張の度合いが跳ね上がったからか、冷たく鋭く研ぎ澄まされていく。


「来いよ、まずはてめえを潰して、それから……ク、キハハ」


「……寝ぼけてんならぶっ叩くぞ」


 ヒグルマは悪態をつく。まさかこの世界でPvPの真似事をするとは、と。

 だからこそ、こいつにこれ以上やらせるわけにはいかない。


 ヒグルマは仲間の凶行を止める為に、大筒の砲口を向けた。

 

 最初に動いたのはヒグルマだった。

 ダンが駆けだすよりも先に、先手を取るかのように素早く引き金を引き、大筒から轟音と煙を伴いながら人間の頭部程の大きな火球を撃ちだした。


 それを既に先刻承知と言わんばかりにダンは半身を捻る事でその火球を避けるが、それを見越していたヒグルマがその場で続けざまに火球をダンの足もとへ発射。風を切る程の早さで足元へ飛んだ火球は爆発を起こし、地面ごとダンを吹き飛ばす。


 その場に転がされていた死体や石ころに混ざって一緒に吹き飛ばされたダンは、その勢いを殺さずに側転を行って態勢を整え、今度は両の腕を超振動で震わせながらヒグルマに襲いかかる。

 

 ヒグルマはそれを許す筈も無く、再び火球を連続で撃ち出す。だが。


「クゥァァァァ!!」


 迫りくる大量の火球をダンは両腕の超振動を利用して防ぎ、薙ぎ払い、叩き落としながら前進を止めない。先程と同じく足元へ火球が撃ち込まれるが、それも脚部に超振動を発生させて蹴り払っていた。


 これ以上の攻撃は無意味と悟ったヒグルマは、ダンが近付くより先に大きく跳びあがり、高さ20メートル以上まで上がった所で即座に大筒の砲口を真下に構えた。

 その標準先は、自分の下方にいるダンだ。


「おおっとぉぉぉーっ!!」


 そうはさせまいと真下にいたダンは地面に両膝をつき、振動する両腕を天に掲げ、その両拳を大地へ乱暴に叩き付けた。


 ダンが大地を叩いた瞬間、半径数十メートルの範囲でその地面が大きな爆発が発生した。

 周囲一帯に激しい地震を引き起こし、空に跳び上がったヒグルマを軽く追い越す程の巨大な砂柱を空高く立ち昇らせ、同時に大量の砂煙が巻き上がる。叩きつけられた大地はダンの超振動で、爆発の及んだ範囲全てが砂地と化した。


 重力に引かれて地面へと降りはじめていたヒグルマの体は、下から吹きあがって来る衝撃と大量の砂にその身を叩きつけられ、更に上空へと打ち上げられた。


「うわっち!?」


 大筒を盾にする事でヒグルマは衝撃波から逃れられたものの、爆心地の真上にいた事で砂柱と爆風をまともに受けてしまい、空まで昇った砂柱がヒグルマの視界を遮った。

 

 ダンを見失った。それの意味する所がヒグルマの顔に焦りの色を浮かべさせた。


 普通の相手ならば、NFOの頃から引き継がれた気配を探知するレーダーで難なく見つけられる事が出来る。

 しかしダン相手に、今のこの状況下ではそれが意味を成さないのだ。


 ダンはその身体の特性上、大量の砂の中や砂塵の中という限定的な環境下ならば、その気配を完全に遮断する事が出来る。そして逆に、相手が同じ環境下にいる場合はその気配をかなりの広範囲で捉える事が出来る。


 それを昔から知っていたヒグルマはこの刹那の瞬間、理屈ではなく直感――NFOから今日まで己の経験してきた勘で、次に己が何をすべきなのかを悟った。


「“シャナオウ”、空砲だ!」


 何かに気付いたヒグルマは、大筒に向かって叫ぶと同時にそれを真横へ方向へ向け、引き金を引いた。

 すると大筒の砲口からは火球では無く、最初にダンを吹き飛ばした見えない力――大量の空気の塊が爆発音と共に飛び出してきた。


 吐き出された膨大な空気の奔流が、吐き出した大筒と共にそれを構えていたヒグルマごとその反動でその場から吹き飛ばした。


 空気の塊がヒグルマのいた空間の砂煙をかき消し、視界が空けて来た時にヒグルマは見た。 

 自分が先程までいた空間に向けて、ダンが更に上空から腕を伸ばしていた姿を。

 攻撃が外れた事に気付いたダンは、楽しげにヒグルマの方へ笑みを向けていた。


 ヒグルマはその光景を見てひやりと肝を冷やした。もしあそこで判断を誤っていたら、今頃無事では済まなかっただろう、と。


 からくりはこうだ。ダンは先程の大爆発の威力を利用して、自分自身もわざと上空へ吹き飛ばしたのだ。

 吹き飛んだダンは自信の技能で砂煙の中にいるダンを補足、音による逆探知をさせないために独特の音を発する超振動をいったん消し、気配を消した状態で相手に接近し捕まえる。捕まえた後は超振動を再び発生、相手は敢え無く超振動の餌食にされるというわけだ。


 ダンの超振動を受けてしまえば、ヒグルマも只では済まない。その時は、先程まで大地を赤く染めていた兵士達の仲間入りになる事を意味する。


 ヒグルマがこの戦法に対処できた理由は何て事はない。

 あれはNFO時代の頃に、跳躍の苦手なダンが空を飛ぶ相手に対抗する為に編み出した戦法だ。ヒグルマはそれを一番間近で見て、受け、そして一緒に考えたのだから。

 

(間違いない。ダンは、俺を殺しに掛かって来てやがる)


 確実に敵を仕留めるべくして考えた戦法を自分に仕掛けて来たと言う事は、そうなのだろう。


(……あの野郎、こっちが甘い顔してりゃ)


 下手に手を抜けばこっちがやられると分かれば、こっちもそれ相応に相手をしてやろうじゃないか。

 先に着地を済ませたヒグルマは、何を思ったのか大筒の砲口を先のダンの一撃で砂地と化した地面へ押しつけて構えた。


「“シャナオウ”、地爆ちばく


 引き金を引くと、ドゥンッ! と大地が一瞬大きく揺れ、ヒグルマの足もとの砂が大きく膨れ上がった。

 その盛り上がりは、ダンの着地点であろう場所へとモグラの通り道の様に地表を盛り上がらせながら地中を走る。


 先程よりも視界の開けた先には、丁度ダンが着地を決めていた瞬間だった。

 ヒグルマへと視線を向ける最中に、地面から自分の元へと凄まじい勢いで迫って来るものに気付いて驚愕に顔を歪めるが、避ける暇は与えない。


 ヒグルマの放った地中からの一撃がダンの足もとに当たったその瞬間、先のダンの一撃の時よりも激しく大地が揺れ動いた。

 それは、大量の爆薬を詰め込んだ地雷が起爆したかの如き爆煙を空高く吹き上げさせながら、次いで噴火を起こしたマグマの様な火柱が爆煙を突き破る様にして立ち昇っていった。爆発の衝撃が砂を吹き飛ばし、遠くに見ていた兵士やミキリ達の方へ衝撃波と言う形で襲いかかり、ヒグルマ達の近くにあった首都の城壁を一部へこませた。



――砲術、地爆。

 対地限定の強力な威力を誇る砲術士専用の射撃技だ。

 ヒグルマの技量が加わる事で、軟な防御力のNFOプレイヤーが直撃すれば一撃で木端微塵に吹き飛ばせる程の破壊力を生み出す。


 陸上、または地中にいる相手に対して絶大な効果を発揮するそれはダンに容赦なく襲いかかり、ダンを再び空の世界へと誘った。


 煙の中から放り投げられるようにして姿を現したダンの姿は、傍から見ても明らかに小さくない傷を負っていた。

 ダンの体は、その強烈な爆発の直撃を受けた事により体中の外骨格は罅割れ、頭部の2本角も片方がへし折れてとてもではないが平気とは言い難い。


「グ……げっ」


 煙の尾を微かに引かせながら空へ舞い、逆Uの字を描いて砂の大地へ落下しその身を叩きつけられたダンは体の各所から煙を昇らせ、声を呻かせたまま大の字に砂の大地へその身を横たわらせた。


 しかし、それでもヒグルマは何時でも撃てるように大筒をダンへ構えたまま動かない。

 正直な所を言えばヒグルマは今すぐにでも追い打ちをかけたい所なのだが、ある事が頭に浮かんでしまい、引き金を引く事を躊躇った。



――此処で攻撃の度合いを間違えれば、ダンが死ぬ。


 それがヒグルマに追撃の一手をさせないでいた。


 ヒグルマはダンが死なない程度という微妙な力加減の上で相手をしている。

 NFOの時ならば、容赦なくPvP(プレイヤーVSプレイヤー)でPKプレイヤーキルをしてしまっても良いのだが、この世界では違う。多少のデスペナルティーを負った後にログインしてくれれば良かったNFOとは違い此処は現実だ。


 死んでも人は、易々と戻って来やしないのだ。


「ク、クククク……」


 不意に、倒れていたダンの口元から笑いが漏れだしてきた。

 それは先程までの時よりも、より狂気めいた奇声の様な笑い声だった。


「キハハハハハッ!!」


 子供が駄々をこねる様に手足をバタつかせた後、ダンは身をよじらせた勢いで大きく跳躍して立ち上がった。

 立ち上がった姿を見てみれば、全身に罅が入っていた筈の外骨格は治りかけており、折れていた角も少しずつではあるが元に戻りつつある。


 もう治り始めやがったかと、ヒグルマは舌打ちをする。

 ハイゼクターの自己治癒力。その速度は、亜人種族の中でも優秀と言われた昆虫人の比では無い。


 こんなことなら、手足を吹き飛ばして動けなくしといた方が良かったかと、ヒグルマは先程まで抱いていた己の甘さを悔やんだ。ハイゼクターの、ダンの治癒力を以てすれば手足の欠損程度ならば時間をかければ元に戻るのだから。


「良いぜ! 楽しくなってきた! だが昔みたいにバカスカ撃って来ねえのはどういう事だ?」


 先程にもまして狂気の色を濃くしたダンは、面白い玩具を見つけた子供の様にはしゃぎまわり、ヒグルマの構えている大筒を指差した。


「まさかへばって弾切れになっちまった訳じゃねえだろう? お前の“シャナオウ”はそう簡単には弾切れなんて起こしゃしねえんだからな」


 NFOの世界に存在する銃器類は、現実のそれと同じく弾を込めなければ撃ち出す事が出来ない仕組みの物が普通の仕様だ。

 アイテムとして所持している弾を銃に詰め、そして引き金を引く。この一連のアクションを起こす事で銃は初めて武器として成り立つのだ。


 だが、中にはそうでないものも存在する。

 その一つが、ヒグルマの持つ大筒“シャナオウ”だ。

 彼の持つそれは、既製の弾を詰める必要はない。武器そのものが、あるものを媒介にして内部で弾を精製して撃ち出すのだ。

 通常の攻撃以外の技を使用する場合は一々声に出さなければ発動しないと言う問題があるが、それを補って余りある程の性能を誇る。


「にもかかわらず、さっきから手が緩いってえとなると……手加減してやがるな?」


 図星だ。しかし、ヒグルマにも解せない事がある。

 

「そう言うお前はどうなんだ」


「……あん?」


 ヒグルマが気付いたのは最初に飛び蹴りを仕掛けて来た時だ。あの時超振動を使って仕掛けていれば、ヒグルマ自身に手傷を負わせられなかったとしても、盾代わりにしていた大筒シャナオウにダメージを与える事は出来ただろう。そうなれば、機能不全を起こしてまともな戦いは出来なかったかもしれない。

 それだけでは無い、本気で此方を倒す気ならば最初に砂の中へと潜り、そこから奇襲を仕掛ける方法も取れた筈だ。

 なのにダンは真正面から突っ込んできた。己の特性によるアドバンテージを無視して。


「動きが雑過ぎるんだよ。何時ものお前なら、もうちょい上手くやってたはずだぜ?」


 目的がある様に見えて、しかし非効率的な動きが目立つその様は、矛盾が多すぎるのだ。


「そこん所、どうなんだ」


「……」


「お喋りなお前がだんまりか。ますます怪し……うぉっ!?」


 その時、ダンの突然の変化にヒグルマは一歩後ずさる。


 ダンの外骨格の隙間から、どろりと黒い影が顔を出す。

 外骨格だけでは無い、目、口、耳……あらゆる隙間からそれらは宿主から這い出て来た寄生虫の様にダンの体から湧きあがって来た。ヒグルマがあの時見たのは、見間違いでは無かった。


「お、おREREREの何がガガガガ」


「……そう言う事かよ」


 NFOの世界には数多くの状態異常が存在する。

 その内の一つに、憑依と言うものがある。NFOの状態異常の一つであるそれは、プレイヤー、またはモンスターが憑依した相手の操作を一時的に奪い、その身体の主導権を自分の者とする事が出来る。

 今のダンは、まさにそれだった。そして、この憑依エフェクトにもヒグルマは見憶えがあった。しかし。


(どういうこった? この憑依の仕方が出来る種族は……いや)


 ヒグルマはクエスターという仕事柄、そして今もこの世界を回っているNFOプレイヤー達からの話で、今ダンに憑依しているであろう種族がどのような状況なのかを知っていた。だからこそ、疑問を抱いた。


 しかし詮索は後回しだ。今ここではっきりとしたとヒグルマは確信する。今のダンは間違いなく正気では無いと。

 ダンが本心で暴れている訳ではない可能性が高まった事に僅かばかり安堵をするが、問題が解決したわけではない為ヒグルマは気を抜かない。


(だが、これで手は見えて来た)


 状態異常の類に掛かっているのならば、それの力がどれくらいだろうと関係なく無効化出来るとっておきがヒグルマの手元にある。

 だがそれを使う前に色々と時間と手順を要する為、如何にして条件を揃えられるかが問題だった。


「ひ、ヒヒヒヒヒグググググッ!?」

 

 もはやまともに言葉を発しなくなったダンがヒグルマへ飛びかかろうとするも、突如足を止めて視線を森の方へと向けた。


 つられてヒグルマも同じ場所へちらりと眼だけを動かし、僅かながらに動揺する。

 森の方から重い物が地面をたたく音と共に、巨大な人影が飛び出してきたのだ。





「うわ! 本当に砂だらけだ!」



 若い少女の声と共に現れたのは二人。

 一人は人の倍以上の背丈を持つ青いカブトムシ型ハイゼクタ―のツェイト。そしてもう一人はツェイトに背負われており、丈の短い巫女服の様な衣装と獣の毛皮で出来た蓑を羽織った昆虫人の少女、セイラムだった。

 ツェイトに背負われている形のセイラムが不自然なほど撒き散らされている大量の砂に驚き、ツェイトはヒグルマ達の姿を目にし、異様な状況に陥っている事に困惑している様だ。セイラムも、首都の大門近辺に広がる景色に呆気にとられていたがヒグルマと――特にダンの姿に戸惑いを見せた。


(あいつら、なんつう時に……)


 タイミングが良いと言うべきか悪いと言うべきか。ヒグルマはNFOの知人がこのタイミングで現れた事を幸運とすべきか、不運とすべきか決めかねて頭を抱えた。

 

 一つは、ツェイトが加勢すればダンを抑えるのが一気に楽になる事への幸運。

 もう一つは、身内のドンパチに巻き込んでしまう事への負い目から来る不運と言った所か。


「ギッ! モモモモ標、発…ケケケケケ」


 その場に生まれた僅かな沈黙の中、何ものかによって操られているであろうダンだけが、怪しげな言葉を口にしていた。





「サバタリ―、捕捉したぞ」


「何、本当か?」


「首都の外、中央入り口前にいる。丁度私の“傀儡”と出くわしている所だ。お前が御執心のあの青い巨人もいるぞ」


「ふん、そうか。それは好都合だ」


 人の足を踏み入れない様な深い森の奥。

 ワムズ国内のとある山林地帯の一画で、物音を立てずに風景に溶け込むようにひっそりと佇む人影が二つ。

 その片方、黒いフルプレートの鎧を身に付け虎の頭部を模した鉄仮面を被った男、セイラムとツェイトを追跡していたサバタリーは報告を受けて仮面の奥にある瞳をギラリと光らせた。

 

「どうする、仕掛けるのか?」


 そしてもう一人。サバタリーに話しかける人影は地面に片膝をつき、片方の掌を地面に置いたまま姿勢を崩すことなく静かに問いかける。特に敬語を用いずに親しげに話す人影は、サバタリーと対等な立場の者であるように振る舞っている。


 その人影は西洋の竜の頭部を模した鉄仮面を被り、サバタリ―とは対照的に鎧は付けずに黒い男性用の軍服に近い衣装を着込んでおり、両の手にも黒いグローブをはめている為素肌が一切見えない。薙刀の様な形状の槍を携帯しているサバタリ―とは違い、こちらは武器らしいものを一切身に付けていないなかった。

 2mほどの体格のサバタリーと比べるとその体は三回り以上小柄で、通常の人間の成人男性よりも小さい。サバタリ―と並べば、それは大人と子供ほどの身長差だ。

 先程から発する声のトーンも高く、およそ男の発する声では無い、小さな少女の発するそれであった。

 

 竜の仮面を被った兵士の問いにふむ、とサバタリ―は顎に手を添えて考える。


「……此処が好機と見た。娘の確保に向かう」


「分かった。ならば私も行こう」


「何?」


 小柄な軍服の人影が発した言葉に、サバタリ―は胡乱気な声色で声の主を見やった。


「……どういうつもりだミグミネット。貴様の本来の役目は、貴様自身の体の性能実験を行うだけのはず。……何が目的だ?」


 剣呑な雰囲気を醸し出したサバタリーの問いに、地面に片膝をついていた竜の仮面の兵士――ミグミネットはゆらりと立ち上がり、サバタリーをジッと見上げた。見上げねばならない程の体格差であるが、ミグミネットの胸を張った姿勢からは卑屈さや怯えは一切感じられない。むしろその己の小さな体を誇示するかのようであった。


「安心しろ、仮に戦う事になろうとも今の私の状態でも十分戦闘に耐えられる状態に仕上がっている。それに私がいれば何かと便利だろう?」


 それとだ、とミグミネットは己の片手をジッと見つめる。その手は先程から小刻みに震え続けており、動かす事に難儀しているのか、ミグミネットはむぅと声に似合わない小さな唸り声を上げた。


「今私が操っているアレを回収したい。今しがた私の操作を無理やり振りほどこうとしたので力ずくで抑え込んだのだが、何時また同じ事をされるかわからん。早い内に手は打っておきたいし、その“傀儡”と戦っている奴も我らと戦う可能性が高い。頭数が多いに越した事はあるまい」


「……成程、それが本音か。して、お前が直接出向く程のものなのか? その“傀儡”は」


「ああ。ここ数日で分かったが、あれ程上等な体はそう御目にかかれないぞ。持ち帰れば良い素材になる、博士の研究に役立つだろう。その所為かは知らんが、奴を従わせるのにも一苦労だ」



 然も平然とミグミネットは語っているかのように見えたが、サバタリーの目は誤魔化せなかった。微かにではあるが、ミグミネットの被った仮面の奥から息の乱れた呼吸音が聞こえた。力強い言葉とは裏腹に、その内心では今も操っている“傀儡”を制御するのに手一杯なのやもしれない。


 サバタリ―は決して口にはしないが、目の前の小さな仮面の兵士が自分よりも優れた力を備えている事は認めている。例えその身がまだ完全な状態では無いとしても、博士の調整した最新型だ。“自分達”の中では旧式に部類されている自分より、そのポテンシャルは高いものだろうと予想している。

 そんなミグミネットを此処まで消耗させていると言う事は、いまミグミネットが操っている者の潜在能力がミグミネット自身と拮抗している可能性が高い。ミグミネット自身が本調子ではないと言う事も考えられるが、其処まで危うい状態で博士が寄越すというのも考えにくいため、サバタリーはその可能性を否定した。


「その体たらくでは心もとないな。兵を数人つけてやる」


「む、作戦に支障が出るんじゃないのか?」


「全ては我らの……否、博士の悲願達成の為。お前が機能不全に陥られてはかなわん」


「……そうかい。なら、お言葉に甘えよう」


 ミグミネットが肩を竦めてそう答えると、サバタリーが片手をあげた。その動作に反応して、木々の影から素早く人影が数名現れ、ミグミネットの前まで素早く近寄り、その傍で静かに立ちながら待機していた。

 動く際、兵士達の身に付けている鎧の留め金や武具に付いた金具等が微かに音を立てていたが、どういう仕組みをしているのか、それらは風で擦れる木の葉の音や鳥の鳴き声に混ざってしまう程度に抑えられていた。


 その様子を見たミグミネットは、近くにいた兵士の軽鎧に覆われた腹部を手袋で覆われた手の甲で軽く小突く。

 兵士の背丈は170台半ば。対して、小さな子供程の背丈しかないミグミネットが兵士の胴を小突く姿は、まるで衣服を着せたマネキンをいじる子供の構図にも似ていた。

 そんな事をされている側の兵士はと言うと、それに対して全く反応せず、静かにその場に立つだけであった。


「前に聞いた話では性能の低さが問題に挙がっていたが、大丈夫なのか?」


「ある程度は改善されているが、過度の期待はしない事だな」


 そう言うと、サバタリーはミグミネット達から背を向けた。するとそれに合わせたかのようなタイミングでサバタリーの前に新たな仮面の兵士が多数現れる。

 その数はおよそ50名近く。現れた仮面の兵士達の手段は、まるで主から命令が来るのを待つ騎士の様に、その場に跪いた。


「各員、ポータルの準備をしろ。完了次第転移する」


 その言葉に、兵士達は言葉で返さない代わりに、ザッと一斉に乱れる事無く立ち上がる姿勢でその意を返した。


「それと調整班、今日擬虫石を投与した実験体の調子はどうだ?」


 調整班、とサバタリーが口にした時、兵士達の奥の茂みからまた新たに兵士が現れる。

 彼らは見てくれこそ他の兵士達と同じだが、身に付けているものが違っていた。武器を携帯しない代わりに鉤爪付きの鎖やおよそ戦闘には使う事の無さそうに無い怪しげな器具を腰に巻いたベルトに付けていた。中には金属製の注射器や、液体の入ったビーカー状の器具もベルトに設けられたポケットから覗かせていた。

 調整半と呼ばれた兵士は、サバタリーの問いに淡々と報告を述べていく。


「……複数の人格が混ざっている様で最初は錯乱していましたが、今は安定していますので運用するには問題ないかと」


「使えるのならば構わん、実験体にもポータルの準備をしておけ。それと、投入後も観察班と連携して記録は継続しておくように」


 サバタリーの指示を確認すると、調整半と呼ばれた兵士達ははっと短く返事をした後、再び元の場所へと戻って行った。


 あぁ言う所は良く出来ているのだがな、と今しがた持ち場へ戻った兵士の後ろ姿をサバタリーはチラリと見やっていると、ミグミネットが先程預けた兵士達を伴って尋ねて来た。

 

「拘束具(鎧)を外せるようにしたらしいな」


「それがどうした」


「どの位まで耐えられる?」


 ミグミネットの問いにサバタリ―は睨みつける様に見返した。しかし、ミグミネットはそれに臆す事はない。


「研究所の記録でお前の事はある程度知っている。だから聞かねばならない」


「……」


「生命維持機能に異常をきたしている体を、辛うじてその拘束具で繋ぎとめているお前が本来の姿に戻れば、どれだけの時間耐えられるんだ? 記録には当初10分が限界と載っていたが……」


「その質問は、この任務に関係があるのか?」


「大いにあるとも。お前がこの任務で拘束具を解除すると言うなら、それによって私達も少し身の振り方を考えなきゃならない。知らない間にお前の体が限界に来ていたなんて事になれば、目も当てられない」


 私はお前の尻拭いをする為に来たわけではないんだからな。と一言余計だったのだろう、一瞬サバタリーの視線に殺意じみたものをミグミネットは感じ、肩をすくませながら一応悪かったと謝罪を付け加えていた。

 ジッと睨みつけていたサバタリーだが、ミグミネットの言葉に一理あったと思ったのか、視線を前に戻して告げた。


「……20分だ。其処から先は博士も保証できないと言っていた」


「成程、了解した。まぁ、精々博士にいらぬ世話をかけさせないようにな」


 ミグミネットが皮肉気に口にした言葉にサバタリ―は苛立たしげに鼻を鳴していると、先程サバタリ―が指示を出していた兵士が戻ってきた。それは、兵士全ての準備が完了した旨を伝えるものだった。


「無駄話は此処までだ。行くぞ」


 それだけミグミネットに告げたサバタリーは兵士と共に、現在待機している兵士達の元へと向かい、ミグミネットも自分に寄越された兵士と一緒に彼らの後を追った。






「総員、行動開始だ。ポータル起動」


 サバタリーの声と共に、その場にいたミグミネットや大勢の兵士達の足元から光の円形模様が浮かび上がる。同時にその円形模様が兵士達を包み、彼らの望んだ遠くの場所へと瞬時に飛ばした。

 

(あのデカブツは何としてでも止めねば……)


 他の皆の転移を確認し、自分のポータルを起動させて光に包まれる中、サバタリーは捕獲対象である昆虫人の娘と共にいる青い甲虫の巨人の事を思う。

 娘を捕らえる上で、あの巨人が最大の障害になるであろう事は想像できる。娘の確保が最優先である為無理に戦う必要はないが、しかし時間稼ぎをする者がどうしても必要となる。だが、今の段階の兵士達ではあの巨人の破壊力の前では相手にならないだろう。そして、今の姿の自分でも。ミグミネットに関しては完成した状態ならいざ知らず、未完成のままである今の状態では恐らく無理だろう。

 今回投入する擬虫石の実験体ももしかしたらと思うが、実験体に過度の期待は望まない。


 後もう一人、いやもう一体と言うべきなのだろうか。あの巨人の足を止められる可能性を秘めた存在が己の“兄弟”にいるが、あれは今現在この大陸の遥か遠くの地で任務を遂行中だ。あれもまた、娘の確保と同じくらいの重要な任務を課せられている。呼ぶわけにはいかない。


 故にサバタリーは巨人に対抗出来得る可能性のある己の本来の姿を、リスクを伴う事を承知で晒し、彼の巨人と再度対峙しようとしている。


(博士には悪いが、修復措置だけでは済まないかもしれん)


 静かに、しかしその仮面の奥からぎらついた憎悪に燃える眼を光らせながら、サバタリーも戦場へと飛んだ。

およそ4カ月ぶりの投稿となりました。

何度か見返しはしましたが、もしかしたら誤字や脱字があるかもしれません。

よろしければまたご指摘お願いします。

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