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紺碧の大甲虫  作者: そよ風ミキサー
第二章 【虫の国の砂塵と花火】
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第10話 前編 採集作業にて

「あ!」


「わぁ!?……あぁーっ!?」


 首都ディスティナ近辺の山の中でも一際高い山の頂の一画。風が強く吹く荒地に転がる岩の上に腰掛けていたツェイトが、ふと何か思い出したように声を上げた。

 その隣で胡坐をかいて作業をしていたセイラムが、普段は大きな声をあまり出さないツェイトのそれに驚いてビクッと体を震わせ、その際手に持っていた植物を手から取りこぼしてしまった。強風で落とした植物がコロコロと転がり、それをセイラムが慌てて追いかけていき、少々息を荒くして戻って来た。どうやら結構遠くまで飛ばされて行ったらしい。


「い、いきなり叫ぶなよ。崖から落っことす所だったじゃないか!」


「おぉ、ごめん。いや、セイラムの風呂敷を見てて思い出したんだが」


 風で飛ばされない様にせっせと風呂敷にしまいこみながら、少し恨みがましげに睨みつけてくるセイラムに対してツェイトは頬を指で掻き、むぅっと困った様に唸りだした。


「俺の獲物を入れる袋を用意してなかった……」


 指定された物を持ってくる事。それが試験の内容なのだが、入れる為の道具が必要になってくるという考えに至るのは当然の帰結だろう。

 それをツェイトは恥ずかしながら此処に来て思い出し、自分の獲物を入れる道具の用意を失念していた。

 一々手で持って移動するのも手間だろう。どこかで落としてしまうかも分からないし、かさばってしまう。最悪、何かの拍子で握りつぶしてしまうかもしれない。

 セイラムは、ツェイトの言葉に溜息をついた。


「何だよ……だったら私の風呂敷にでも積んでおけばいいじゃないか」


「それは、そうかもしれないが」


 ツェイトはセイラムの提案を躊躇った。

 セイラムが持っている入れ物は、普段からたすき掛けにしている風呂敷のみ。その風呂敷は結構な面積があるのだが、ツェイトの課題は獣の部位だ。そんな物を入れてしまえば風呂敷が獲物の血で汚れてしまうのではと危惧した。これからも色々と利用する事のある風呂敷を、此処で獣の臭いと血でまみれさせてしまうのは勿体ないと思ってしまったのだ。


 初歩的な所でうっかりしていた。セイラムの事に気を回していたせいか、ツェイトは自分の事に関しておざなりになっていた。

 今から町へ戻るとなると少々手間である。全速力で行けば文字通りひとっ飛びで街まで戻れるが、そこに至るまでのタイムロスと全力で移動した際の周りの眼が怖い。

 尤も、町に戻った所で入れ物を借りる伝手は現在ヒグルマとダンしかおらず、そもそも彼らが現在家にいるとも限らない。いなければ戻ってもほぼ無意味に終わる恐れがある。


 クエスター組合の試験官の所まで行って問い合わせれば、もしかしたら貰える可能性もあるやもしれないが、課題の記された紙だけ渡して入れ物を渡してこなかったという事は、自分の手で何とかしろと言う事なのだろうか。


 しかし、セイラムの風呂敷を頼りにしないと言ったツェイトだが、それでは獲物を手に入れた時どうするのかと悩む。そこでセイラムが別案を出した。


「それなら……森に生えてる蔓を編んで、網袋にして使ったらどうかな」


 私は狩りで使ってた事があると経験談を語るセイラム。少し時間はかかるけど、これなら確実に入れ物は手に入る。

 山育ちの知恵に救われたか。ツェイトは彼女の背に後光が見えた様な気が、ちょっとだけした。


「作り方、後で教えるからさ」


「たのむよ、街に戻るまで手で持ってくのは面倒だからな」


「いいさ、それにツェイトだって手伝ってくれたじゃないか」


 そう言って、セイラムは安堵のため息をつくツェイトに笑いかけた。


 現在二人は山の中を練り歩き、課題に出されていた植物採集が思いの外早く終わったので、最期の目的物があった山頂で獲って来た物を整理をしていた。

 森の中で遭遇した壮年の男の証言通り、この山に課題に出ていた植物は全て揃っている。

 危険な場所へもツェイトが獲りに行けば谷底だろうがなんだろうが問題は無い。とはいえ、途中崖にあった植物を取ろうとした時、ツェイトの体重に耐えきれず崖が丸ごと崩れ落ちてしまった時は流石に二人とも肝を冷やしていた。

 もっとも、崖から落ちた程度でどうにかなるツェイトの体では無かったのだが、流石に其処までは当の本人も思い至らなかったようだ。

 自分が飛べる事を忘れ、岸壁から慌てて這い上がって来たツェイトは崖の上で待っていたセイラムに「寿命が縮んだ気がした」と溜息交じりにこぼしていた。

 ちょっとしたアクシデントこそあったが、これにてセイラムの課題は呆気なく終了と相成ったのである。


 受験生達は大抵この方面へ来るらしいので、もしかしたら一人か二人くらいは来ているのでは? と思っていたのだが、ツェイトとセイラムが一番最初にこの山に着いたらしい。まだ誰も来ていないらしいので取り放題だ。と言っても無暗に取ってもかさばるだけだし、無意味な乱獲はツェイト達の望む所でも無かった。


「話には聞いていたけど、本当に回るんだなぁ。これどうなってるんだろ?」


 セイラムは先程から風呂敷の上で整理していた植物の内の一つを取り出し、風に吹かれてカラカラと回るそれを物珍しそうに見ていた。


 風車の根、その本来の名は風車草と言う。セイラムが課題で獲って来る物の一つだ。


 これまた珍妙な植物で、根が風車かざぐるまの様な形状をしているのだ。しかも見た目だけでなく、その植物の根は風が吹くとどういう仕組みをしているのか風車状の根がカラカラと回り出すのだ。

 風車草は種から発芽してその根を土の中では無く、外へと伸ばして風車状に形成される。そしてそれは肥沃な土や水、光を必要としない。その代わりに、風を受けて育つのだ。

 風の吹く場所でのみ育ち、吹かない場所では育たないという不思議な植物。それが風車草であり、風車の根だ。その使用用途は主に魔導に関係する道具や薬の作成の際に用いられる。


 風に吹かれて効果を発する植物ならば蟋蟀草を既に手に入れていたのだが、あれは夜と言う限定的な時間帯でしか音を鳴らさない為、セイラムは残念そうにそれを風呂敷にしまい込んでいた。


「こうもあっさり終わると、何だか拍子抜けだな」


「早く終わって良かったじゃないか」


 試験官から渡された紙に載っている課題の内容と、山で採取した物を見比べ、誤差が無い事を確認したセイラムは気が抜けた様に溜息をつき、紙を懐へ仕舞い込んだ。

 

 ツェイトもそれに同意だったが、まぁ概ねそんなものなんじゃないのかと内心ではこの試験の流れを妥当なものとみていた。

 セイラムの課題が手早く済んだのには、ツェイトという存在がいたおかげなのかもしれないが、しかしこれはあくまで受験者を試すもの。

 実践向けの試験が出される事こそあれ、どうしようもない程に難易度の高い内容は出さないだろう。

 それにこの試験は、ずば抜けたエリートを選抜する為の物という訳でもない。試験制度発足の経緯を考えれば、優れた者を選ぶというよりは、逆に不適格な者を落とす為にある試験なのではとツェイトは予想していた。

 でなければ、出稼ぎの為にクエスターになろうなどと考える村落出の者や浮浪者までもが今現在も受験してこないだろう。事実、今回の受験参加者に後者はいなかったが、セイラムを含めて数人、前者の田舎から上京してきたと思しき参加者がいたのだ。


 荷物で膨らんだ風呂敷を、たすき掛けにして体に巻き付けたセイラムが、傍らに置いていた槍を手に取り立ち上がった。


「まぁ、それもそうか。んじゃ、次はツェイトの番だな」


 その言葉に、ツェイトはぎくりと身を強張らせた。


 別に、ツェイトは自分の課題――モンスターを狩り、指定された部位を採集する事を心底嫌がっている訳ではない。

 意気込んだのは良いが、いざやるとなると少しだけ憂鬱な気分に――例えるのならば、子供が予防注射を受ける当日に抱く心境に近いものが今のツェイトの心の中に渦巻いていた。


 ……まぁつまり大した事ではないのだ。やって行く内に慣れていくだろう。いずれこんな悩みも、一日の食料と稼ぎの為と言う現実的な思考へとすり替わってしまうに違いない。

 

 いい加減この葛藤ともおさらばだ。

 そう胸の内で呟き、改めてツェイトはセイラム預けていた自分の課題内容の記された用紙に目を通した。

 袋や入れ物の類を持ち合わせていなかった丸腰のツェイトは、試験で渡された紙をセイラムに預けていた。でなければ、ただ持っているだけのツェイトだったら今頃知らないうちに紙を何処ぞに落としていたか、持つ手に力を入れ過ぎてクシャクシャに潰してしまっていただろう。


「載っているモンスターからすると、全部この山の麓の近くにいるな」

 

 この山へ来る途中にもそのモンスター達を何度か見かけたから間違い無いだろう。となると、この山を降りる必要があるとセイラムに告げるツェイト。

 此処に来るまでの道中、険しい崖が何箇所かあったがそんなものはものの数では無い。

 流石に飛ぶのは煩いし目立つので控えるが、代わりに岩壁を三角跳びの要領で蹴って飛び、崖があれば一息で跳び越えてあっと言う間に山道は進める。


 ツェイトは巨体を立ち上がらせ、再びセイラムに紙を預けた。


「それじゃ、早速行こうか。期日まではまだ余裕があるけど、そう長居も出来ないからな」


 荷物は持ったか? とセイラムに訊ねると懐の風呂敷の膨らみをポンポンと軽く叩き、逆にお前はどうなんだとツェイトに問い返した。

 着る物も持つ物も持たぬ文字通り手ぶらのツェイトは、両の手を上げて肩をすくめた。


「俺は元々ほら、この通りだ。あとはセイラムを担ぐだけだからな」 


「おい、人の事を荷物みたいに言うなよ。私だって女なんだぞ」


「……」


 セイラムの言葉に、ツェイトはキョトンと眼光を丸くした。セイラムがそんなツェイトの態度に奇妙なものを感じて、たじろぐ。


「な、何だよその眼は」


「……セイラムも、自分が女だって事自覚してたんだなって思ってホッとした」


「それはど、どういう意味だ!?」


 今更ではあるが、セイラムはれっきとした女だ。

 ボーイッシュな髪型と言動の所為でちょっと髪の長めな少年に見える。凛とした顔立ちには意思の強さを感じるが、そこから覗かせる女性特有の丸みを帯びた輪郭や、毛皮の蓑の下に隠された袴の丈が短い巫女服の様な衣装の上を描く体のラインは、紛う事無く年若い娘であることを主張していた。


 そしてその顔には彼女の父親であり、ツェイトの相棒であったプロムナードの、彼の昆虫人であった頃のそれに何処となく面影があった。

 性別が違うのでもしかしたら気の所為かも知れないが、ツェイトにはそう見えてしまった。


 ツェイトがうっかり口にしてしまったのは、何分セイラムは男勝りな口調であるし、自分に対して遠慮なくくっつき過ぎな所があったので、服装はともかくとして、自身が女であるという自覚があるのか些かツェイトは心配に思っていたのだ。

 しかし、今のセイラムの反応を見るとどうやら杞憂だったようなので、この事は口しない方が賢明だなと、怒りで顔を赤くして怒るセイラムを宥めすかしながら、ツェイトはそんな事を考えていた。




 山のふもとまで降りたツェイト達。二人は現在、息を殺して草木にその身を潜めていた。

 今その場に聞こえるは、ツェイトとセイラムの微かな呼吸の音。そして、風が吹く度に草木が擦れ合う音だけがその場を支配していた。


 何故こうまでして静かにしていなければならないのかと言えば、二人の視線の先にあるものが原因だ。

 見つめる対象までの距離はおよそ数百メートル先。大型犬並の大きさで、ギザギザの牙を生やした凶悪な面構えの兎。額にその特徴である白く鋭い角を生やしたスティックラビというモンスターだ。NFOでは初めてプレイする時に手こずる初心者向けの攻撃性の高い――アクティブモンスターだ。課題の獲物としてこのモンスターの部位が出ると言う事は、この世界でも扱いは同じらしい。

 前足を器用に使って何かを押さえて食べている様だが、よく見ればリスの様な小動物をその鋭い牙でバリバリと食べているではないか。標的はツェイト達の事に気づいていない様で、捕まえた小動物を食べる事に夢中であった。


――今の俺が相手だったら、絶対に逃げるな。


 極力草木に隠れられるように身を低くしながら、ツェイトはどうするかとスティックラビを見た。

 スティックラビと言うモンスターは、実力差の無い相手対しては遭遇次第すぐに襲いかかって来るのだが、逆に相手が自分よりも力量が高すぎると感じた場合は兎の外見通り、脱兎のごとく逃げ出すのだ。見た途端逃げはしないだろうが、近付く内にサッと逃げてしまう事は想像に難くない。


 力押しで仕留めるのはたやすいが、それはこの場ではナンセンスだ。此処は出来るだけスマートに仕留めたい。


 殴る? 距離を詰めていく内に気付かれ、逃げるスティックラビを追い掛ける為に木々を破壊しかねないのでそれは避けたい。

 電撃? 距離が離れ過ぎている。それに草木に引火して森が火事にでもなったらいけない。

 

――となると、またこれの厄介になるな。


 其処で再びツェイトが選択したのは、そこら辺に転がる石ころ。つまりは先のゴロツキ達にしたように、投石で仕留めようと言う心算だ。

 ゴロツキ達の時は、相手がすぐ目の前にいたから本当に軽く投げるだけで良かった。だが標的のスティックラビまでの距離は結構離れている。力を弱めれば石は標的に届く前に失速して地面に落ちるだろう。逆に力を入れ過ぎたら、この世界ではどうなるか分からない。


 命中率に関しては、多分大丈夫だろうと言う確信が一応あった。

 ツェイトのこの体は筋力や身体能力だけでなく、動体視力や反射神経なども抜きんでて高く、相手が避けない限りは当てられる自信があったのだ。


 ツェイトはセイラムが静かに見守る中、事前に拾っていた石を努めて音を立てない様に、静かに振りかぶった。

 スティックラビの角を手に入れる事が試験の内容の一つだ、頭部を狙って角を破壊しては意味が無い。だからと言って足を狙えば其処は体の末端部分、避けられる可能性が高い。

 だから、ツェイトは狙うべき場所は……


――腹か。


 ゴウっと音を立てながら、ツェイトは腕を振り、石を投げた。

 石が風を切り、森の草や枝を震わせながら標的であるスティックラビ目掛けて飛んでいく。もはやそれは、ライフルから放たれた弾丸と遜色の無い速度だ。

 そして、ツェイトが石を投げてから目標へ到達し、どのような結果を招いたのかまで要する時間は2秒とも掛からなかった。

 ツェイトの腕を振り下ろした時、スティックラビは何かに気付いた様に耳を立てたが、もう遅い。


 パァンッ! と何かが弾ける音と共に、スティックラビは真っ赤な花を咲かせながら胴体を上下に裂いて吹っ飛んでしまったのだ。


 飛来した石はスティックラビの胴体を破壊しただけに留まらず、そのまま向かい奥ある木を数本貫通して、ようやく止まってくれたようだ。しかしその頃には、石は原形をとどめずボロボロに砕け散り、抉られた木の中で微かに煙を上げているだけだった。


「ま、まさか真っ二つとは」


「石を投げただけでスティックラビってああなるのか……」


 遠目から事の成り行きを見ていた二人はそれぞれ違う感想を口にしていた。

 ツェイトは血をまき散らして絶命したスティックラビの死骸を見て絶句し、セイラムは投石で此処までの状況を生み出せる事に唖然としていた。


 二人が仕留めた獲物のもとへ駆け寄ってみると、スティックラビの方は何が起こったのか分からずに絶命してしまったらしい。口に食べかけの小動物の肉を残したまま、ポカンと口を開けたままの顔で息絶えていたのだ。幸いな事に頭部に損傷は見当たらない。


――この体でキャッチボールなんぞしたら、大抵の相手がミンチになるな。


 武器要らずの全身凶器とはこういう事を言うのだろうか。ツェイトはふと、野球のマウンドの上でボールを投げ、バッター、キャッチャー、審判の三人を血達磨にして担架送りにしているピッチャー姿の自分を想像してしまった。


 下らない事を考えつつ、ツェイトは地べたに転がる千切れたスティックラビの上半身をつまみ上げた。

 未だ千切れ飛んだ部分からは血が垂れ落ち、恐る恐るそこを覗いてみれば臓器や骨が剥き出しになっており、今にもずれ落ちそうであった。


 なにはともあれ最初の獲物は無事? 仕留める事が出来た。あとはこの角を頭から抜き取るだけだ。


「せいらむ、これどうすればいい」


 冷静に話したつもりだが、やはり動揺しているのか。妙なイントネーションでツェイトはセイラムにこれの処理の仕方を訊ねる。

 ツェイトの変な態度に戸惑いを覚えつつも、セイラムは答えてくれた。


「えー……っと、角の根元辺りに刃物で切れ目を付けて、勢いよく折れば結構簡単に取れるぞ」


 ツェイトなら簡単に折れると思うけどと付け加え、それを聞いたツェイトはスティックラビの顔を左手でつかみ、額に生えた二本の内の一本の角の根元に右手の親指と人差し指を添え、軽く力を入れた。

 すると、角は爪楊枝を折る様な感覚でパキッと簡単に折れてしまった。

 同じ要領で残りの角も折れば、無事採集は完了だ。

 作業を終えたツェイトは、手に持ったスティックラビの上半身をぼんやりと見つめながら、何とも言えない感覚に見舞われていた。


――意外と呆気ない。


 やる前までは嫌だ嫌だと精神的に避けていたのに、実際に手を下して見れば震えもせず、吐きもせず、ただじっと仕留めたモンスターの死骸を見ている自分がいる。兵士達をミンチに変えたと言う過去があるので、それが原因なのかもしれない。

 今まで守って来た矜恃きょうじのようなものが失われた喪失感と、それとは逆に未知の領域に手を触れた様な高揚感とも解放感ともとも言えぬ感情が渦巻いた。


 こうして慣れていくものなのだろうか?


 素晴らしきは人の順応性という事なのか。

 

 何とも判断の出来ないこの感情にもやもやとした物を感じていたツェイトは、セイラムが傍にいない事に気付いた。

 辺りを見回してみたら、すぐに見つかった。

 蓑を脱ぎ、槍と風呂敷を置き、傍に転がっていたスティックラビの下半身の千切れた部分に手を突っ込んでいた。


「何やってるんだ?」


「ん、せっかくだから昼ご飯にしようかなって思って、さっ!」


 そう言うと、セイラムはスティックラビの体内から内臓をズルリと引っ張りだした。ピンクやら黄色やら、色鮮やかなそれらの色は仕留めて間もないからこそ見れる色なのだろうか。

 どうやら、解体して今ここで食べてしまう心算らしい。血にまみれたセイラムの外骨格の手で引き摺り出された内臓にうっと引き気味のツェイトだが、頭の中で肉屋の解体だと念じて慣れる様努める事にした。


「血抜きとか、しないのか?」


「出来ればやりたかったけど、あんまし悠長に待ってると他のモンスター達が血の匂いを嗅ぎ付けて来るからさ。ちょっと汚れるけど、まぁいいや」


 短刀持ってくりゃ良かったな。そんな事を愚痴りながら地面に置いた槍の柄を短く持ち、ナイフの様に扱って先程引き摺り出した腸を切り落していく。ツェイトはそんな光景に眼光をぱちくりと点滅させながらセイラムのもとへ行き、解体しているそれを指差した。


「美味いのか? これ」


「結構うまいぞ。食べた事無いのか?」


「いや、無いなぁ」


 悪そうな面構えとは違い、その肉の味は家庭の食卓を美味しく彩ってくれるらしい。

 別段珍しいモンスターでもないし、山を歩けば比較的簡単に見つけられるのでセイラム等は狩りをするついでに捕まえてその場で食べたり、村の土産に持って帰っていた事もあったとはセイラム本人の弁だ。


 会話をしながらも解体作業を行うセイラムは、スティックラビの足を切り落として皮を剥ぐと、手頃なサイズに切り取ったスティックラビの肉を槍で軽く刺し、何と口に運んで食べた。それを見たツェイトは、不覚にもあ゛っと声をあげてしまった。


「おい、生で食べるのか?」


 平然と口に運んだ生肉を咀嚼しているセイラムに、ツェイトは少しばかり驚いてしまった。

 そんなツェイトに、口周りをスティックラビの血で汚したセイラムがキョトンとしていた。まるで猟奇シーンの一コマを切り抜いた様な光景だが、本人はいたって無邪気なものだ。


「もしかして、生肉は食べれないとか?」


「いや、食べれるけど……焼かなくて良いのか?」


 ツェイトは現実世界の日本でも馬刺しやレバ刺し、他にも生肉に通ずる食べ物は食べていた記憶があるが、こんな形で食べるのは初めてだ。

 ツェイトが懸念していたのは食中毒とか寄生虫とか、そう言ったものは大丈夫なのだろうかという点だったのだが、然も平然と食べている所を見ると何時もの事の様なので、口から出かけたその言葉を飲み込む事にした。

 昆虫人が平気ならば、ハイゼクターも腹は壊すまい。


「焼くと煙が出るじゃないか。それって色々と不味いんじゃないかな、今の私達だと」


 確かにそうかもしれない。火を起こせば煙が出る、空へと昇った煙が目印になって件の兵士達が来ないとも限らない。

 慎重過ぎるかもしれないが、煙の元を探る為に兵士達が近付いて来る可能性は十分にある。何がきっかけで見つかるとも分からないのだ。

 セイラムもセイラムなりに、自分達の身の振り方と言うものを考えていたと言う事か。

 

 流石は山育ち……なの、だろうか? えらいアグレッシヴというか、ワイルドと言うか。地面に胡坐をかきながらムシャムシャと肉を食べるセイラムの姿は、野生児の様だ。

 一応、朝は軽くヒグルマ達から朝食を分けてもらってはいるが、腹は減るもの。空に昇った太陽は、真昼時を過ぎて、午後になり掛けていた。昼食をとるには少し遅い位だ。

 

「ほら、切ったばかりだからうまいぞ」


 そう言って即時を中断したセイラムが両手で持ち、差し出してきたのは綺麗に生皮を剥がしたスティックラビの腿。血抜きをしていないからか、そのむき出しの腿肉は少し血が滴り落ちていた。

 獲物のサイズが大型犬並のため、その腿となれば人間サイズの人種からすればかなりの大きさだが、ツェイトからすると丁度いい、もしくは少し物足りないフライドチキンの様な大きさだった。

 ツェイトはそれを受け取って地面に座り、血が多いから気を付けろよっとセイラムに勧められるがままに口の外骨格を開き、鋭く生え揃った牙で齧りついた。

 鋭い牙で咬みちぎり、ムシャムシャと咀嚼して飲み込んだ後に考える事三秒。ツェイトは口を開く。


「……確かに美味いな」


「だろ?」


 しかし塩っ気が足りない。確かに思いの外肉は柔らかく、臭みもない。味は例えるのならば鶏肉に近いのだろうか、あくまで近いと言うだけで鶏肉の味とはまた違うのだが。

 これで焼き肉のタレに漬け込んで焼いたり、煮物にしてみるのも良いのかもしれない。炊き立てのご飯とレタスなんかがあると、なお良しだ。

 だがこれも悪くない。思いの外この環境に順応し始めて来たのか、ツェイトは腿肉にがっついてその味を堪能していた。


「そんなに急がなくても、肉は逃げないぞ」

 セイラムはツェイトのそんな反応を見て面白そうに笑う。

 対するツェイトはがつがつ食べていた姿を笑われた気がして、何だか少しだけ気恥ずかしさを感じた。


 些か血なまぐさいながらも、長閑のどかな時間が二人に訪れた。

執筆が思いのほか難航してしまったので、前編だけ先に投稿します。

後編は完成次第載せますのでお待ちください。

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