第9話 後編 試験の裏で動く者
報告が遅れてしまいましたが、アルファポリスに登録してみました。
(始めてNFOをやった時も、こんなクエストがあったな)
重い足音とは裏腹に、素早く森の中を駆け抜けながら思い出すのは、NFOで始めてプレイをして間もない頃。NFOで始めてプレイする者達は、選択した種族によって細かい所に違いはあるが、総じてチュートリアルを受けてからNFOの大地に立つ。そこで初めて課される試練の内容に、似た様なものがあるのだ。あの時は、見るもの聞くもの触れるもの全てが新鮮で、そのリアル過ぎるほどにリアルだったあの電脳世界に圧倒されてしまい、ただただ困惑しながらの出発だった。しかし、今は違う。
今とあの時とでは大いに違う点がいくつかある。
それは課題に出された物の性質を知っている事。そして、ハイゼクターとなった自分の体がある事だ。何も分からずに辺りをフラフラと彷徨い、おっかなびっくりと課題をこなしていた時とは違い、明確な答えをある程度は把握できている。それは、ベテランの域にまで達した状態で再びニューゲームを始める様な気分だ。
更にはこの身体能力を活かす事で、通常よりも何倍も効率よく課題をこなせる筈。ただし、ここがゲームでは無く現実であり、NFOとは仕様が違っていたりという点が大きな不確定要素である為、何が起こるか分からない。注意を払っておくに越した事は無いだろう。
それに、ツェイトは昨日の男が気になっていた。
昨日、ツェイトの事をつけていた男。すぐにダンの手で捕らえられたと本人から言われていたのだが、昨夜黒ずきんと黒装束の身なりをした集団が留置所に襲撃をかけ、捕らえていた男の脱走の手引きをしたらしいのだ。
現在も目下脱走犯と襲撃者達を追跡中で、それにヒグルマとダンも駆り出される羽目になったらしく、当時その事をツェイトに話したダンがぶつくさと文句を垂れていた。
が、其処で思考を中断せざるを得なくなった。
「ツェイト! 前ッ!」
それはツェイトの進む先、右前方の方角から何かが飛んできた。
セイラムの声でようやく気付いたのは、移動しながら考えていたからか。ツェイトはその存在に気付く事が出来なかった。
ツェイトの動体視力で捉えたそれの正体は手斧。
くるくると回転しながら此方へ迫って来る斧との距離は4mにまで詰められていたが、顔面に直撃する寸前の所でツェイトは反射的に首を捻り、頭部の角で切り払った。僅かに火花が飛び、金属同士がぶつかる甲高い音と共にそれはツェイトの鋭利な角によって真っ二つに両断され、地面に落ちる。
突然上体を激しく動かしてしまった事で、背負っていたセイラムが驚いてツェイトの背中に強く抱き付いて来た。
咄嗟に足を止め、飛んできた方角をツェイトは見て顔を顰めると、ツェイトの背から降りたセイラムも、ツェイトの横から顔を出してあっと声を上げた。
どうも嫌な予感と言うものに関しては中々に的中率が高いらしく、ツェイトは視線の先にあるものを見て「何もこんなときに来なくても良いだろうに」とついぼやいてしまった。出来ればこの的中率、宝くじとかそう言った景気のよさそうな場面で発揮してもらいたい。この場ではちっとも役に立たない妄想に一瞬浸っていると、近付いて来る襲撃者の姿が明らかとなった。
「ほぉ、器用なマネをするじゃねえか」
相手との距離は10メートルはあるのだろうか。腰高まで伸びた雑草と木々の合間から姿を現したのは、昆虫人の壮年の男。見るからに立派な筋肉を持ったその体は、作務衣の上から手甲と脚甲を身に付けているという少々風変わりな姿をしている。
昨日脱走したゴロツキが、自分達の事を告げて先回りして来たのだろうか。
虫なのに、何処か野獣じみた荒々しい顔つきに野卑た笑顔を張り付け、ツェイト達の事をじろりと一睨みした。
「ふん。成程、確かにでけえカブトムシだな。オーガよりでけえとは驚きだぜ」
「俺達に、何の用だ」
そう尋ねるツェイトだが、事前にツェイトの事を知っている壮年の男の口ぶりから目的は予想出来る。
「なぁに、簡単な話さ。仕事の邪魔をしたお前さん達にお礼がしたいってだけよ」
言葉とは裏腹に、忌々しげに壮年の男はそう語る。
仕事の邪魔、その言葉の意味する所は、昨日シノンを誘拐しようとした事か。態度と発言から推測すると、この男が主犯格なのだろう。
壮年の男の言葉を合図に、その背後からゾロゾロと複数の男達が現れた。
数はリーダー格の男を含めて十数名。その大半は昆虫人で構成されているが、その中でひと際目立つ者達が3人いた。額から角を生やした大きな種族、オーガだ。ツェイト程ではないが、2m後半は確実にあり、全身が鋼の様な褐色の筋肉で構成された巨体だ。しかも少しくたびれた感はあるが、しっかりと軽鎧を装備し、手にはそれなりに形の整った斧や大剣を装備している。
斧を持つオーガの両腰には、斧を収納するベルトが付いており、片方ない事からこいつが先程ツェイトに斧を投げ付けて来たのだろう。
「オーガどもはデカブツをやれ、他は小娘だ。娘の方は使い道はいくらでもあるから、適当に痛めつけた後捕まえておけ」
(……こいつら)
つまりこいつらはセイラムを……。いや、深くは言うまい。其処から先は、下種だ。
男達が一瞬下品な目でセイラムへ視線をやる。ツェイトはそれの意味する事を理解して、自然とセイラムの前に立った。セイラムも意味を理解したのか、言葉には表さずとも憤慨の表情と槍の構えで以て己の意思を示した。
「はん、勇ましい事だ。だがな……やれ!」
男の号令と共にゴロツキ達が懐から短刀を抜き、オーガ達が各々の武器を構える。そして、左右に分かれてツェイトとセイラムを取り囲もうとしていた。
囲む事により四方八方からの攻撃を可能とし、相手はそれに対応せねばならなくなるという緊張も生まれる為、精神の消耗も期待できる。人海戦術の戦法においては割とありふれたものだ。しかしシンプルではあるが、効果は確かなもの。肉体と精神を二重の意味で確実に削ろうとでも言うのか。
ゴロツキ達を返り討ちにするべく応戦しようとしたセイラムを手で制し、ツェイトは足元に転がる手頃な石ころを数個素早くつまみ上げた。数は5つ、その大きさはの人間の赤ん坊の握りこぶし程度のサイズだ。
セイラムやゴロツキ達一同はツェイトのしている事に疑念を抱くものの、ゴロツキの方は構わず行動に移ろうとした。
そして、石を拾い終えたツェイトは、それを小さなモーションで以て矢継ぎ早に左右へ分かれたゴロツキ達へ投げ付けた。
投げるツェイトの姿は大したものではない。軽く腕を振るい、キャッチボールをする様なフォームだ。
ただしその腕が振るわれた瞬間、ギュオンッと大気が異様な唸りを上げて、石の動きが普通の昆虫人の眼では捉えられない程の速度でツェイトの手から放り投げられていた。
普通の人間が投げるのならば、それは牽制や威嚇程度の物で終わるのかもしれないが、しかし此処で違う点が一つ。それはツェイトが投げたという事。それによって引き起こされる現象は、その場にいた者達に驚きと戦慄を与えた。
ツェイトの筋力から生み出されるパワーが加算された事で、投げ付けられた石ころはさながらライフル弾の様な威力でゴロツキ達へと襲いかかったのだ。
埒外の投擲力で投げ付けられた石は、オーガ達よりも先行して左右に展開しようとしていた数名のゴロツキ達に全て命中。軽く後方へ吹き飛ばされたあと、石つぶてをくらったゴロツキ達は痛々しい悲鳴と共に足や腕を抑えながらその場に蹲ってしまった。
ツェイトの手から放たれた石は標的であるゴロツキ達に命中した際、その肉を削げ飛ばし、骨を砕いたのだ。
運の悪い者の中には、石の当たり所が悪くて肩や股の関節が粉砕、または千切れかけて骨が露出してしまっているという悲惨な状態に陥っていた。
ほんの数秒で既に5名が沈黙。
何が起こったのか分からず、まだ何もされていないゴロツキ達は、石を投げたツェイトと直撃を受けた仲間の姿を交互に見て、目の前のデカブツが何をしでかしたのかをようやく認識し、徐々に恐れの感情が顔に浮かび上がっていった。
壮年の男もこの光景は想定外だったようで、「……あぁ?」と呆気にとられていた。
ただの石つぶて。専用の投擲用の武器では無い、そこいらにありふれた路傍の石ころを投げ付けただけ。それが必殺の威力を伴って自分達に襲いかかったのだ。
しかも投げた本人は疲れた様子も無い。体の大きさも相まって、本当に小石を投げただけの様であった。
この状況を作り出した本人のツェイトは、成功した事に安堵すると同時に地べたを転がりながら痛みに悶えるゴロツキ達の姿を見て、ほんの僅かに罪悪感を覚えたのか苦々しく目を細めた。
いや、正確にはそれは罪悪感では無く、グロテスクな光景を見た事による嫌悪感の様なものであったのかもしれない。事実、ツェイトは彼らに対して申し訳ないなどという気持ちはその時ちっとも持ち合わせてはいなかったのだから。
ゴロツキ達がセイラムを見た際の卑しい目つきと彼らがやろうとしていた事、そして今までやって来た事を言動から想像すれば、彼らがどんな輩なのかはそれなりに分かる。ならば容赦する必要は無い。
しかし、殺す気はない。其処までしてやりたい程激情に駆られている訳でもないというのもあるが、むやみやたらに殺生を行うのは良いとは思えないと言う葛藤もあったが為か。
以前村を焼いた兵士達の様な非道を行うのならばこの限りではないのかもしれないが、少なくとも連中には痛い目に遭ってもらう心算ではいた。結果、彼らは痛すぎる程に痛い目に遭う事となったわけである。
それにしても、これは酷い。相手に対する感情は別にして、ツェイトは己のした事をまざまざと見せつけられる事となったが、吹っ切れたのか、それとも感覚が麻痺してしまったのか。初めてワイルドマックを手にかけた時の様にうろたえる様な事は無かった。
ツェイトが投石で応戦したのにはいくつか理由がある。
それは相手が複数いて、それでいてその場で思い付いた限りではこれが一番地味で目立たないやり方だったからだ。ツェイトは、NFOでも石や木、時にはプレイヤーすら投げつけてモンスターに攻撃した事があったのだ。NFOという自由度が高い世界でプレイしてきたが故に、現実でもこう言った応用が利けるのは実にありがたい事である。
それに、セイラムに近付かれる前に複数をまとめて倒すとなると、ツェイトの場合その攻撃がどれも派手で目立ちかねないのだ。しかも下手すれば地形が広範囲に変形してしまうという効果付き。目立たずに動こうとしている矢先に、森が一部変形してしまえば、人の眼が集まる事は確実だ。
「……なにつっ立ってやがるてめえら! オーガ組以外は転がってる馬鹿どもを拾って来い。後の奴らは俺に続け!」
どうやら標的がツェイトに絞られた様だ。
いち早く硬直が解けた壮年の男が、怒号と共にオーガ達を引き連れてツェイトへ仕掛けて来た。残りのゴロツキ達も、金縛りが解けた様に慌てて仲間の元へと駆け出している。
ただのゴロツキ程度ではツェイトには歯が立たないと見たのか、負傷した仲間の回収に人員を回す判断を下した男の判断にツェイトは意外なものを見た様に感心する。てっきりこう言った手合いは仲間を見捨てていくのかと思っていたのだ。
壮年の男が、オーガ達に先駆けて風を切る様な素早さでツェイトの元へ向かって来た。筋肉ダルマと呼ばれてもおかしくない体の割には、ゴロツキ達の誰よりも軽やかな足取りでツェイトとの距離を詰めて来た。それはツェイトが下手に石を拾って再度投擲する隙を許さない程に。
(思ったよりも早い。この男、やっぱり拳法家なのか)
身に付けている武具、そして森の中で草木に足を取られずに走り抜ける軽快な身のこなし。ツェイトは相手が自分と同じ格闘職、拳法家ではないのかと判断した。
拳法家とは、他の職業の様に武器を用いず、己の鍛え抜かれた肉体を武器に敵と戦う肉弾戦のプロフェッショナルだ。
欠点を先に挙げると、基本的には武器を持つ職業程の攻撃のリーチは無く、重武装が出来る職業の様に強力で重い一撃や高い防御力が彼らには無い。
しかし、それらを補えるほどの手数の多さと身のこなしの早さ、そして一点集中で敵の急所を攻撃――いわゆるクリティカル率の高さにより、独自の有用性を獲得している。
それにより、NFOではパーティーの戦陣に立って壁として仲間を守りながら戦う事も出来るし、使い手次第では、その機動力を活かして素早く攻めと守りに切り替える事も出来る為、戦場を器用に立ち回ることだって可能なのだ。壮年の男も先の判断と動きから、器用なタイプなのだろう。
ツェイトの身軽さも、ある意味ではこういった職業で過ごしてきたという下地があるからこそ出来あがったものだと言っても良い。昆虫人だった頃にフィールドを駆け巡った経験が、ハイゼクターとなった今でも活かされているのだ。
「そりゃあ!」
壮年の男が低い姿勢でツェイトの懐へ飛び込み、ツェイトの膝目掛けて拳を叩き込もうとしていた。相手が巨体故に、脚を潰せば容易いものとでも思ったのだろうか。
それをツェイトは避ける事無く、自身も己の拳で以てそれを打ち落とさんと迎え撃つ。しかし、先に仕掛けた壮年の男の方が初動が早かった為、傍から見ればツェイトのそれは一手遅いのではないかと思われた。先に攻撃を受けるのはツェイトか。
「う? おぉ!?」
だが、そこで壮年の男は何かに気付き、慌ててその場から飛び退いた。すると男が先程いた場所に猛烈な風が叩き付けられ、雑草が生え広がっていた地面がその衝撃で大きく凹みを作り、一部で土石が露出した。
「……おいおい」
壮年の男が眉を顰めて眼差しを向けているのは大きく抉られた地面では無く、拳を既に振り下ろしていたツェイトの方だった。
男が驚いていたのは、大地を抉ったツェイトの破壊力だけでは無い。ツェイトの拳速……ツェイトが構えた拳が何時振り下ろされていたのか、それが男には見えなかったのだ。
後から動いて、先に仕掛けて来た? あの巨体で? しかもあの威力が?
少なくとも男は、最初に相手に攻撃を当てるのは自分だと確信していた。しかし結果はどうだ。相手は自分の眼でも捉えられない程の凄まじい動体速度で応戦し、直撃していないにもかかわらず大地を抉り飛ばす程の拳圧を放って来た。
普通の昆虫人の常識からすれば、それは常識から外れかけているものであったらしい。
「ちくしょうが!」
それは何に対しての叫びだったのか。目の前の青い巨人に対してか、それとも報復を思い付いた過去の自分にか。
吐き捨てながら、半ばやけっぱちの勢いで壮年の男は再度ツェイトへ飛びかかった。
しかし今度は一人では無い、男の背後から後に続く様に3人の武装したオーガ達が追い付いているのだ。
合計4人による一斉攻撃。正面からは壮年の男と斧を構えたオーガ、左右からは大剣を構えたオーガ二人。
先の男の叫びも相まってか、続くオーガ達も雄叫びを上げながら迫り、ツェイトの背後で見守るセイラムがその気迫に思わずうっと一歩引きさがってしまう。
だが迫りくる4つの暴力を、ツェイトは四肢で以て叩き返した。
手始めに左右からの挟撃を両の腕……それぞれ手刀と平手打ちで武器を破壊、そのまま胴体に拳を軽く叩き込んで相手を叩き飛ばして沈める。
続いて正面からの突撃へは、空いた片足による連続蹴りで応戦。一秒間に数百発……とまでは行かずとも、明らかにその巨体から繰り出すものとしては考えられない様な数の蹴りを繰り出し、眼前の相手にお見舞いした。
流石にこれは回避できなかったのか、それとも予想できなかったのか。哀れ壮年の男は背後にいたオーガ諸共、ツェイトの連続で繰り出される蹴りを全てその身に受け、武具は砕かれ全身をベコベコにへこまされた揚句後方へ大きく吹き飛び、数本木をへし折って敢え無くダウンとなった。
その音に気付き、この森の何処かで鳥が鳴き声を上げながら飛び去って行く音が聞こえ、その時ツェイトは「あれ、もしかしてこれも結構派手だったか?」とちょっとだけ後悔していた。
「ふうぅぅ……」
ほんの一瞬、下手をすれば先の投石の時よりも時間を要さずして、壮年の男達は倒された。
静まり返ったその場に、構えを解きながら静かに深呼吸をするツェイトの吐息の音だけが聞こえる。
ゴロツキ達側は、誰ひとりとして動ける者がいなかった。
実際には仲間の介抱に向かった残りのゴロツキ達がいるのだが、彼らは今しがた起きた光景を目にした事で戦意というものが抜け落ちてしまったらしく、身を震わせながらツェイトを只見ているだけだった。
静寂に包まれた空気の中、ツェイトの背後で事の成り行きを見守っていたセイラムがおずおずとツェイトへ声をかけた。
「なぁ、ずっと思ってたんだけど、ツェイトってもの凄く強いんだな……」
「ん、んー……そうかな」
10年間もプレイし続けて来たから此処まで強くなりましたなどとは、口が裂けても言えない。しかもこの光景を前にして下手な謙遜も出来ない。
へし折れた木々。鎧の腹部がへこんで白目をむき、泡を吹いてその場に倒れているオーガ達。手足を破壊され、その場でもがき苦しむゴロツキ達と、それを助けながら此方を怯えた目で見るゴロツキの仲間達。
……考えてみればこんな状況で謙遜などとお気楽な事を口にするのは如何なものか。ツェイトは適当に口を濁しながらその場をやり過ごす事にした。
突然、ツェイトが歩き出した。目標は、ツェイトの前方やや遠くの方でオーガと一緒に倒れている壮年の男だ。
セイラムが慌ててツェイトの後を、周りを警戒しながら付いて行くが、ゴロツキ達はツェイトが大地を踏みしめながら近づくたびに、悲鳴を上げながら後ずさり始めるので最早気にする事も無い様だ。
(生きてる、よな)
迂闊に力を入れると挽肉になりそうな予感がしたので、極力手心は加えておいたものの不安に駆られる。
見た限りでは……一応無事の様である。傍にいたオーガの方は、完全に伸びでおり暫くは起きる様子も無かったので構わず、壮年の男の元へ近寄ったツェイトは男の顔を不安げに覗き込んでいた。
その有様はそうさせてしまったツェイトをして酷いの一言に尽きる。例えるのならば、大分昔に流行っていた格闘漫画に出て来た悪党の様に、顔面や体のあちこちが歪に変形していた。この後にあの独特な断末魔の声をあげて弾け飛べばまさにその漫画にそっくりである。
昆虫人とオーガなので、時間が経てば恐らくは傷も元に戻るのだろうが、全身が骨格規模で見事に変形している為、果たしてどれくらいの日にちが必要となるのだろうか。
「ぐ、が、あぁ……」
意識はあるようだが、とても辛そうだ。それも当り前だ。全身の肉や骨格が歪み、凹まされているのだ。痛くない訳が無い。
痛みに悶えていた壮年の男は、はっとツェイトの存在に気付くと、驚愕と、僅かな恐怖を混ぜ合わせた表情で目を見開いた。最初のニヤケ面から一転、文字通り鼻っ柱をへし折られた男の顔には自信の文字は無かった。
「……何、の゛用だ」
それはこっちのセリフだ! とセイラムがツェイト横で怒鳴るのを気にせずに、ツェイトは兼ねてより気になっていた事を男に問い掛けた。
「なぜ俺達がこっちに来る事が分かった?」
事前にクエスター試験を受けている事を知っているとはいえ、それでも何処へ向かうかまでは分からない筈だ。それなのに、彼らは自分達のいた場所へまるで予見していたかのように待ち伏せしていたのだ。
「……ふん」
しかし、壮年の男は何も語らない。最後の抵抗か、忌々しそうにそっぽを向き、聞く耳もたんといった姿勢だ。
だが、これも大凡ツェイトの予想の範囲内だ。其処でツェイトは、近くに落ちていた適当な枝を拾い上げ、枝を持つ腕に電力を集中させた。
すると独特の発電音と共にツェイトの腕に青白い雷が走り、手にしていた枝を一瞬のうちに灰へと変えてしまった。
話さなければ、灰にする。
ただの脅しなのだが、そう暗に伝えた事が決め手となった。壮年の男は灰になった枝に顔をひきつらせた後、弱々しく溜息をつき、力なく俯いて降参する事となった。
壮年の男から訊きだしてみるに、種明かしはこうだ。どうやらクエスターの試験で実技に入ると、毎年課題の内容はツェイト達が目指していた山近辺に多く存在しているので、自ずと受験者達は其処へ向かう傾向にあるらしい。
ある程度場所を絞って網を張っていれば、案の定そこにツェイト達がやって来たというのが今回の一連の真相だ。
しかも、今回の襲撃は壮年の男達から始まった事では無い。
過去に何度かこうして実技試験に入り、課題で山林へと赴く新人の受験者達を襲ってはその所持品の強奪、暴行、果てには殺人や人攫いまで行う輩が現れていたとの事だ。
受験者狩り、それがこのクエスター試験でクエスター受験者達に襲いかかる通常の試験とは別の、語られざるもう一つの試練。
力のある、または機転の利く受験者達はこれらを上手くやり過ごしているが、そうでないものの場合の末路は言うに及ばずだ。
事前に契約書に載っていた通り、クエスター組合は受験生が死のうが行方不明になろうが、そこまでは関知しない。そういったルールの裏を利用して一部の犯罪者達は受験者達を狙っていた。
勿論この事態に異を唱えた者達はいたのだが、クエスター組合はその件で試験の方針を変える事はしなかったそうだ。
被害者達の親や関係者達はこれに当然怒り、訴えたが、契約書の約定に受験者達は皆承諾して署名を書いたため、その訴えにはあまり効果は無く、更には組合側は冷酷とも言える返答を返して来たのだ。
『クエスターとは、何時いかなる事態に陥ってもその場を切り抜けられる己の力と知恵が問われる。気軽な気持ちでこの試験を受けて、被害に遭ったのならばそれは受験者側に覚悟が足りなかっただけの事。試験の時点でその様な結果を出すのならば、彼らにはクエスターたる資格を持ち合わせてはいなかったという事に過ぎない』
遊び半分や道楽で受けるのは迷惑だ、むしろ馬鹿な役立たずを量産せずにここで間引きが出来て好都合。
やる気と覚悟のある奴は受けろ、そうでないものは最初から受けようとするな。
つまりは、そう言う事なのだ。
今回のゴロツキ達も、受験者を襲った事のある犯罪者との伝手を利用して今回の計画を思い至ったらしい。
その話を聞いた途端、セイラムが激怒して壮年の男を殴り、滅多打ちにしていた。怪我人に追い打ちをかける様な行いだが、それでもセイラムは彼らのしようとした事が許せなかったのだ。その怒りの中には、目の前にいる彼らだけでなく、過去にその様な非道を行った者達に対する感情も含まれていた為、八つ当たりに近いものであった事も確かだ。
しかしツェイトはセイラムの行いを咎めなかった。ツェイトもまた、その事実に怒りを覚えていた故に。そしてその一連の問題は、全てはこの男達の様な者達がした事が原因なのだから、彼らが今こうしてボロボロになっているのも因果応報に他ならないのだ。
想像以上に過酷な試験。犯罪すらも試練の一部と見なして黙認する。国はそれに対して国内での対処がおざなりにならない限りは組合側の方針に口を出していない。良質なクエスターが生まれ、それが国に利益を与えるのならば、受験者側に被害が出るのもまたやむなしと見なしている所があるらしい。
(確かにクエスターは警察の類じゃ無い。傭兵に近い位置にいる。だが……)
この試験の在り方は理屈としては一応分かった。しかし、感情ではそれを受け入れる事が出来ない。
ツェイトもまた、セイラムと同じような心境でこういった事情に悩むあたり、案外二人は根っこの部分は似た者同士なのかもしれない。
少なくとも、それを当のツェイト本人は気付いていなかった。
再び山へと向かおうとしたツェイト達だが、ゴロツキ達をこのままにする事も出来なかった為、一時的措置として彼らをそこら辺にあった植物の蔓で雁字搦めに縛り上げた後、適当な深さまで掘った穴に纏めて放り込んでおく事にした。
町へ戻る際に役人か、出来ればヒグルマ達辺りにでも今回起きた事を話して、彼らの処遇を決めてもらおうという考えだ。
幸いにも此処は植物の豊かな大陸南西地方のワムズ。植物の蔓はあちこちで見かける為、ゴロツキ達を十数人を縛り上げるのにはそれほど手間はかからなかった。
尚、穴を掘ったのはツェイトなのだが、まるで豆腐をスプーンで掬う様な要領で土を掘り進み、瞬く間にして先の深さの穴を作り上げる事が出来た。これもまた、カブトムシとしての特性が反映された体故の芸当である。
「あ゛、あ゛のガキ、や゛だらめっだら殴りやがッイデデ」
ツェイト達が立ち去った後の穴の中。まるでジャガイモを籠に詰め込む様な要領で物の見事に押し込められたゴロツキ一党。
その中で、壮年の男は顔面の負傷でロクに舌の回らない口で以てひとりごちていた。壮年の男は口を動かすだけでも痛みが走り、それによって身をよじろうものならば、それがきっかけで連鎖反応の如く全身に痛みが走る。そんな悪循環な状況に陥っていた。
手下のゴロツキやオーガ達も無事では無い。皆小さくは無い負傷を負い、痛みに呻き声をあげていた。先の一戦でツェイトの攻撃を受けずに無事だった者達もいたのだが、セイラムの怒りでボコボコに叩きのめされ、必要以上に体を蔓で巻かれている。おかげで穴の中はむさい男達による阿鼻叫喚地獄と化していたのだ。
「本当、イデッ……ヅいでなかったぜちぐじょう……」
ボロ雑巾状態となった体で壮年の男は嘆いた。
調べた限りでは、あの大男(?)と娘はクエスターになるつもりらしい。
となれば非常にまずい。壮年の男は自分達が世間では犯罪者と言われている事を自覚している。故にそれを捕まえる仕事もこなしているクエスター達とは自ずと商売敵であり天敵と言う間柄になる。つまり、あの大男たちと再び何処かで敵対関係として出会う可能性が高いのだ。また出くわして、今と同じ目に遭うのは一切御免である。
いや、それよりもこの状況を何とかする方が先だ。現在壮年の男とその手下であるゴロツキやオーガ達は、皆負傷した体を縛りあげられ、地面に掘られた穴に詰め込まれている状態だ。こんな所を攻撃的なモンスターにでも見つけられたら厄介だし、クエスター達に見つけられた日には目も当てられない。何ぶん壮年の男自身はクエスターの中でも知る人ぞ知る犯罪者として目を付けられているのだ。こんな無防備な状況を見られたら、クエスター達が自分にかけられた懸賞金欲しさに嬉々と捕まえに来るだろう。そんな事を考えると溜息が出そうだし、頭も痛くなってきそうだ。
無事にこの場を生き延びれたら、本格的に仕事を変えた方が良いのかね、そう男が考えていたその時だった
「やっぱりな。こんなこったろうと思ったぜ」
穴の縁から何者かが顔を出して来た。
全身を紺色の装束で頭からつま先まで身を包み、素顔の見えない人物だ。
この男は風変わり、というより異様な点がある。上から下まで肌を見せない様に紺装束で身を包んでいるのだが、その体型がおかしい。
まるで鎧か何か硬い物の上から服を着ている様な、そんな不自然な角張った体型をしているのだ。
声からすると成人男性のものであるが、壮年の男は彼が何者か知っていた。故に驚かずにはいられなかった。
「な、何でアンダがごごにいる。依頼金ば全額返じだ筈だぜ」
紺装束の男は、壮年の男の依頼主だった。つまりは、シノンを攫わせようとした真犯人でもある。
先日、壮年の男は町にいるこの依頼主の元へ行き、依頼が失敗した事でまだ手つかずの依頼金を全額返上したのだ。
なのに何故こんな森の中までわざわざ出張って来たのだ? 当日は特に何も言われなかったが、まさか何か難癖でも付けに来たのか? そんな不安が壮年の男の頭をよぎったが、それは男の思い違いだった様だ。
「いや? 金に関しちゃ別に気にしちゃいねえよ。しかし何だな、それなりに腕の立つ拳法家だったと聞いていたから雇ってみたが……まぁ相手が悪かったか」
「で、めえ、見でやがっ……ん゛ん゛っ?」
壮年の男は違和感を感じた。先の紺装束の男の言いぶりからすると、まるであのカブトムシの巨人の事を知っているかのような素振りではないか。
「……奴の事を知っでやがっだのが」
「そりゃあ、付き合いはそれなりにあるからな」
紺装束の男はそう言うと顔を覆っていた布を剥ぎ、その素顔を壮年の男達に一瞬だけ晒した。
それを見た壮年の男は、体の痛みを忘れて叫んだ。
「なっ!? で、でめ゛ぇ、どうじで!?」
「其処から先は知る必要はねえだろう。どうせ、もう終わりだ」
狼狽する男をよそに、紺装束の男は再び顔を布で覆うと、男の両腕が甲高い音と共に激しく振動を始めた。
腕の震えに合わせて、大気と、そして大地までが微かにではあるが震えだした。
「御丁重に墓穴までこしらえてあるときた。良かったな、墓を作る必要が無くてよ」
あばよ。布の隙間から見える黒い瞳を愉快気に歪め、紺装束の男は壮年の男達のいる穴の中へ飛び込んだ。
それから数分後、紺装束の男は穴からのっそりと這い上がって来た。
這い上がって来た男の体は、頭からつま先まで赤く染め上げられ、元の色は何処にも見当たらない。体を動かすたびに赤い水滴が体から垂れ落ち、地面に赤い染みを作って行く。
そして紺装束の男が先程までいた穴の中にあるのは、只ひたすら赤い液体が、いや正確には“ゴロツキ達と、そして壮年の男の成れの果て”である、残骸。命の色とも言える赤いそれだけが、まるで溜池の様に詰まっており、そこからむせ返る様な臭いが立ち込めていた。
人として、あまりにも無残な最期を遂げた彼らに紺装束の男は全く興味を示さず、これから起こる事に只ひたすら思いを馳せていた。
「あの野郎が来たのは想定外だが、いや好都合か? まぁどちらにせよ…………キヒッ」
体中からゴロツキ達の残骸を滴らせながら、男は突如金切声の様なけたたましさで笑いだした。
「キハハハハ! 中々楽しくなってきたじゃねえか! えぇ!?」
男は狂ったように笑う。天高く、そして地の底にまで狂気を孕ませた声を響き渡らせる様に。
「だが、本当に面白おかしくなるのはこれからだ。見てろ、何もかも真っ平らにしてやる」
男の笑いは止まらない。赤く染まった脚で、男は意気揚々と雑草の生い茂る大地を踏みしめながら森の中を行く。
彼の歩むその先にあるのは、ワムズの主都ディスティナだった。