第8話 後編 筆記試験
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今後ともよろしければこの拙作に是非お付き合いくださいませ。
それから2日後、ツェイト達は再びクエスター組合が指示した場所に立っていた。支店入り口から横にずれた場所に立て看板が立てられており、『クエスター試験受験者待機場所』と書いてある。二人は入り口の外で受付をしている係員から受験票である数字の書かれた木札を貰った後、静かに其処で佇んでいた。
二人並んで立つ姿に、特にツェイトの姿をざわめきながら見つめる大衆がいるが、そんな事今のツェイト達は気にしない。それに、支店の前に立っているのはツェイト達だけでは無い。他にもクエスター志望で試験を受ける者達はいるのだ。
ツェイトとセイラムを含めて受験者数はおよそ20人。ツェイト以外は全員昆虫人で、男性以外にも女性の受験者もいた。
それも当然の事かもしれない。クエスターの試験を受けられるのは此処だけでは無い、国として成り立っている種族国家ならば何処でも受験は可能なのだ。
クエスターの支店はどんなに規模の小さな国でも一つは必ず存在しているのだから、態々別の種族の国まで足を運んで受けるのは、何か事情があって他国で受けざるを得ない状況になった者位だ。大抵の受験者は自分達の国で受けるのが普通なのだ。
受験参加者達は皆総じて歳はセイラムと同じくらいか、それより少し上と言った具合で、その大半がさっきからチラチラとツェイトの事を覗き見している。
一人だけ、他の者より倍以上の背丈のゴツいカブトムシの巨人が立っているのだ。見るなと言う方が難しい。
そんな視線を屁とも思わないツェイト達二人が身に纏うのは、メラメラと静かに燃える様な気迫。その内の片方は、若干目の下に隈が出来ており今にも撃沈寸前の有様であるが、それでも倒れないのはこの一瞬に全てを叩き込まんと意気込む闘志がそれを許さないからか。
二人の背中は、勝利を手にせんと戦場へ赴く戦士のそれか、はたまた現代の日本で例えるのならば、受験戦争に挑む学生のそれであった。
「お前ら、やる気あり過ぎだろ……」
ツェイト達に随伴するのはダン。岩の様にゴツゴツとした体を持ち、人型のアリジゴクの様な姿をした彼は、二人の姿を呆れた顔で見ていた。
ダンは、今だ道の分からない二人をクエスター支店まで案内してきたのだ。ちなみにヒグルマはと言うと、本日依頼の予定がある為現在留守にしている。故に予定の空いているダンが二人の案内を受け持つ事になったのだ。
「あまりノンビリしていられないから、気合いを入れてみたんだが……」
「これが終われば……これが終われば寝れる。寝る…………れろ」
「いや、だからってよぉ、これはちっと」
やり過ぎなんじゃないのか? 先程から念仏の様に何かをつぶやき、幽鬼の如く揺れ始めるセイラムの姿を見て、ダンは引きながらもツェイトに言う。
ツェイトも内心、セイラムの惨状(?)を見てやり過ぎたと反省していた。
一昨日の夕方まではのんびりとしていたのだが、それから二人は昨日今日とかけて徹夜を敢行したのだ。
勉強を始めたあの日、あまりにもセイラムが集中力が無いものだった為、ツェイトは兵士が来るかもしれない可能性をついぼやいてしまったのだ。すると、セイラムの態度が変わってしまったのだ。
鬼気迫る様な顔で本を睨むその姿に、これではまるで脅迫だと自分の言った事に罪悪感を覚えてしまったが、これで試験が受かるのならば止む無し。そう自分に言い聞かせて、今日まで来たらこの有様である。
登録して金が貯まったら、せめて何か御馳走くらいはしてやらなければ申し訳が無い。そんな事を考えているうちに、入口から誰か出て来た。
年若い、恐らくツェイトよりも若いであろう昆虫人の青年だ。この支店の職員なのだろう、胸にバッジらしき物を付けている。待機場所に集まった受験生達に対して声を張り上げた。
「えー、皆さん! この場で数字の書かれた木札をお持ちの方は、クエスター試験を受験する方々とお見受けいたしますが宜しいでしょうか?…………宜しいですね? では、試験会場へ案内しますので着いて来てください」
職員の言葉に従い、受験生達がゾロゾロと彼の後を付いて行く。そこでダンはツェイトの腕を軽く小突いた。
「じゃ、後は職員の言う通りにしてれば大丈夫だろ? 俺は時間潰して来るわ」
「ああ、悪かったな。色々世話かけさせて」
「何の、これ位なら大したもんじゃねえさ。あと、セイラムちゃんの面倒ちゃんと見てやれよ」
じゃあなと片手を振り、ダンが人ごみの中へと消えていった。此処から先はツェイト達が頑張る番だ。
ツェイトは、正気かどうか分からない状態のセイラムと共に職員が先導する列の後を追って行った。
連れられて来たのは、支店から少し離れた組合の別館だった。
入り口には下駄箱があり、段差がある。どうやら靴を脱いで入るタイプの建物の様だ。御丁重な事に、下駄箱の所には裸足で来た者の為に手ぬぐいまで完備されてある。ツェイトやセイラムの様に、履物を必要としない者達の為の配慮なのだろう。
多目的ホールとして建てられているのか、中は和風テイストの大ホールの様な作りをしており、その奥から見える試験会場には、簡素な文机に座布団と和風の家具が用意されている。
中々設備が整っているが、それをうまく使えそうにない図体のデカイ受験者が一人いた。そう、ツェイトだ。
それは係員の眼から見ても一目瞭然であった事は言うまでも無かったらしく、入り口で困った様に立ちつくしていたツェイトに声をかけて来た。
「えー……貴方には特別に席を設けますので、そちらを使ってください」
青年の係員が少々困った様にそう言うと、別の係員やって来てこちらですとツェイトを誘導する。はて、どんな席なのだろうかと不思議そうに係員の後をツェイトはついて行き、其処でツェイトが目にしたものは……。
(青空教室ならぬ、青空受験……)
ツェイトが連れて来られたのは空き地だった。やや開けた場所に、係員の方々がせっせと机や筆記用具やらを用意してツェイトの席を用意してくれている。
有難いのだが、実にシュールな光景だった。空き地の真ん中にぽつねんと置かれた木製机と、その上に用意されたテスト用紙と墨、筆一式。椅子はツェイトの座高の問題上、不要と見なされたので用意されていない。一体何の冗談かと思ってしまうが、これが現実だ。ツェイトの体格が生み出す弊害が、この光景を作りだしたのだ。
係員の指示に大人しく従い、地面に座り込んで机の上に裏返しで置かれたテスト用紙を見る。ツェイトからすれば、とても小さな紙だ。机なんかは良く出来たミニチュアの様である。
小さな紙。だかが紙、されど紙。しかしその紙1枚で人生が変わる時もある。今もまさにその岐路に立たされているのだ。そう、ツェイトが昔、大学受験をした時の様に。
(……?)
そう言えば、自分は何処の高校にいて、何処の大学を受験したのだっただろうか。目の前のテスト用紙に懐かしさを感じつつも、肝心の内容が出てこない。
思い出そうとするが、そんな余裕は今は無い様だ。係員が試験の説明を始めた。ツェイトは説明を聴いている内に、思考をテストの方へと切り替えた。
まぁ、今この場でそんな事は些細な事だ。今必要な事は、この試験に合格する事なのだから。
「それでは、始めてください」
ツェイトは、裏返しにされていたテストをめくり、筆をとった。
(上手くいったとは思うんだが、果たして何点取れてるのか)
およそ一時間後、試験は取りあえず問題も無く終わった。出題された問題の数は50問、中にはしっかり読まないと答えられない様なひっかけ問題も混ざっており、ツェイトも度々引っかかりそうになった。どれくらい点数が取れたのかは結果が発表されるまでのお楽しみだ。
ツェイトは今、セイラムを迎えに行く為別館の入り口前まで来ていた。此方も試験は終わったらしく、入口からゾロゾロと受験生達が出て来た。だが、セイラムが一向に出てこない。
まさか、何か起きたのかとツェイトは不安に駆られたが、取り越し苦労であった。
少し間をおいて、昆虫人女性の係員がセイラムの肩を抱きながら出て来た。何故か、セイラムは頭から腰にかけて大量の墨が付いている。
ツェイトが寄って来ると、女性職員がビクリと身構えてしまうが、ツェイトがセイラムに何があったのか心配そうに尋ねて来る姿を見て態度を軟化させた。
女性職員に訊いた所、セイラムは試験中までは凄まじい形相でテストの回答を行っていたのだが、時間になった途端、まるで糸の切れた人形の様に崩れ落ちてしまったらしい。体に付いた墨は、その際ひっくり返した自分の墨入れを頭から被ってしまったからだった。セイラムが着ていた巫女服の様な着物は、元からそれなりに汚れてはいたのだが、墨を被った事で余計汚れてしまった。それなのにセイラムは、実に気持ちよさそうにすうすうと寝息を立てて寝ている。テストが終わった事で緊張の糸が切れ、爆睡してしまったのだろう。
ツェイトは女性職員から寝ているセイラムを引き取って抱き上げると、女性職員が苦笑しながら話しかけて来た。
「もう既に聞いていると思いますが、本日の試験の結果は今日の夕方頃に入り口近くに貼り出されます。多分、この娘はこんな状況ですので聞いていなかったと思います。ですので、起きたら伝えてあげてくれませんか?」
「分かりました、ありがとうございます」
ツェイトの言葉に満足した女性職員はツェイトに礼をし、その場を後にした。
支店の入り口へ戻ってみると、其処にはダンがツェイト達を待ってくれていた。早めに来ていたのか、暇を潰す様に片足でトントンとリズミカルに地面を叩いてる。そんなダンの事を、周囲のクエスター達がチラチラと見ていた。
周りの視線を気にする事無く待っていたダンだが、ツェイト達に気付くと軽く手を振り、ツェイトの腕の中にいるセイラムを見て驚いて駆け寄って来た。
「おぉ!? おい、セイラムちゃんどうしたんだよ?」
燃え尽きた様に眠るセイラムの姿にダンは慌てるが、ツェイトが訳を話すと納得半分、呆れ半分と言った面持ちでセイラムを見た。
「……そりゃそうだ、2徹近くもやってりゃぶっ倒れちまうよ。そんで、肝心の試験の方はどうよ?」
「一応合格ラインには入っている筈だ。たしか、6割取れれば合格だったよな?」
どの試験にもある事だが、今回のこの筆記試験にも合格基準点が設けられてある。それが6割、100点中60点以上取っていれば合格だ。
「おうよ。だが、これが終わっても後の試験が続いてるから気を抜くなよ」
「やっぱりあるのか」
はぁっとツェイトは溜息をついた。そう、このクエスター試験は筆記試験だけではない。試験に受かる度に次の試験へと繰り上げられて行くのがこの試験の仕組みなのだ。
ツェイトも試験が終わった後、係員の説明でその話を聞いてしばし目が点になったものだ。
その事について教えてくれなかったヒグルマは、ツェイト達が受かると思って黙っていたのか、それともただ単に忘れていただけなのか。ダンに関してはどうやら前者の気があるが、面白半分と言うのも含まれているのかもしれない。ダンと言う男は、そういう奴なのだとツェイトは今更ながらにこのアリジゴク型ハイゼクターの性格を思い出した。
試験全体の流れは最初に筆記、次に実技と2種類の試験を受け、それらを全てクリアすれば晴れてクエスターとしての登録手続きをする事が出来る。昔は手続きだけで済んだのに、この様に面倒な試験形式を取り入れたとなると、当時はさぞかし多くのクエスター志望の者達からは反感を持たれたのではないのだろうかとツェイトは思った。
だが、クエスター達自身の質が問題視されて来た事によって定められた制度ならば、当然の措置かも知れないと何処か冷めた思考でこの制度に納得してしまってもいた。
「いったん戻ろう。取りあえず、セイラムのこれを何とかしないと」
「だな。あーあーこんなに汚れちまってまぁ……」
ツェイトとダンは今だツェイトの腕の中で寝こけているセイラムに目を向ける。流石にこの娘を墨で汚れたままにしてはおけないと思い、一端長屋の方へ戻る事にした。
「じゃあ近所の皆にちょいと頼んでみるか」
「何だか世話になりっぱなしだな、本当にすまない」
「なぁに、後で纏まった金が出来たら一杯奢ってくれりゃあいいさね」
にししと子供の様に笑うダンが、ツェイトの腰をバンバンと叩いた。互いの外骨格の性質上、鉄と岩がぶつかり合う様な音が辺りに響き、町の喧騒の中に紛れていった。
「所でツェイトよ、お前気付いているか?」
町の往来を人ごみの流れに合わせてのんびりと歩く最中、ダンがボソリと小さくツェイトに告げる。
「100m以上距離を保ってつけて来る奴がいる。数は……1人、なのか?」
首や視線を動かす事無く、ツェイトも小さく返事をした。
ツェイトも薄々ではあるが、この気配は察知していた。これは、ハイゼクター、ひいては高い実力を持つNFOプレイヤーだからこそ出来る芸当である。
NFOのプレイヤーには、モンスターとプレイヤーを区別するレーダーの様な機能が備わっている。その索敵範囲は各プレイヤーのステータスや種族等に左右されるのだが、ハイゼクターはタイプによって違いはあるものの、どれも比較的高い部類の索敵能力を備えている。
ゲームの時と現在の違う点を挙げるのならば、NFOでは視界にソナーの様なウィンドウが現れるのだが、この世界ではただ漠然と「何かがいる」程度にしか認識できない。故にまだこの世界に来て日の浅いツェイトは、少々この違いに戸惑っていた。
「心当たりは?」
「いや、そんなものは…………あった」
思い出すのは先日の出来事。武家の子供であるシノンを攫おうとしていたゴロツキ達だ。ツェイトの目立ちやすい体で追跡者たちの方へと視線を向ければばれるかもしれないので姿を確認する事が出来ないが、恐らくはあの連中の関係者だろう。あるとするならば、あの時の連中がツェイト達に報復しようと企んでいるのやもしれない。
思い当たる節を伝えると、先程のひょうきんな笑いはなりを顰め、禍々しくにダンは嗤った。その笑みは、追跡者であるゴロツキと思しき者への嘲りか。
「馬鹿な野郎どもだな。連中、誰を相手にしているのか分からねえと見える」
「物騒な言い方をするもんじゃないぞ。それに此処はNFOじゃない、勝手が違いすぎる」
「……相変わらず慎重な事で」
しかも今の自分にはセイラムがいる、プロムナードと一緒にいた時程の無茶は出来まい。口には出さなかったが、ツェイトはチラリとセイラムを見てそう心の中で呟いた。
「しかし何だ。何時までもケツに付かれているのは気に入らねえな。……ツェイト、次の曲がり角を曲がったら一端待ってろ、野郎の面を拝んで来る」
大通りを外れ、住宅区域にさしかかった所でダンがツェイトにそう言った。
「無理するなよ」
「此処じゃアンタより2年先輩なんだぜ? こっちの勝手は分かってるつもりだ」
ツェイト達はダンの先刻通り、住宅区域に入り、最初の曲がり角を曲がった所で足を止めた。その瞬間、ダンが地面の中へ、まるで水の中へもぐる様な勢いで沈んで行った。
ダンがいた場所には、先程までは無かった筈の大量の砂だけが残ってる。ツェイトの巨体が都合よくダンの身を隠していた為、今この場でダンが何をしていたのかを知る者は、ツェイト以外にはいなかった。
(む、動きを止めやがった)
一般市民に紛れながら、ツェイト達の動向を探っていた昆虫人の男は、ツェイトの巨体が動きを止めたので慌てて近場の建物の影に身を隠した。
男の身なりは町の往来に出ても特に目を引く様なものでもない、ごく一般的な町民の身なりをしていた。しかし、その顔だけはどこか野卑じみており、堅気の顔では無かった。
(まさか、つけていたのがばれたのか?)
額から一筋の冷や汗を垂らしながら、男はしくじったのではと焦り出す。
この男は、先日シノンを誘拐しようとしたゴロツキ達のリーダー格である壮年の男の命令を受けて、ツェイト達の動向を探っていた。つまり誘拐犯達の仲間なのだ。
こっそりと、物影から顔を出してツェイト達を見る。正確には、建物が邪魔をしているのでツェイトの角を見ていた。例え曲がり角を曲がろうともツェイトの青い巨体が、特にその長大な角が目印になるので、男にとって彼の後を追う事は容易いものと思っていた。
(こっちを振り向いている様子は無い。大丈夫、あのデカブツ達は俺の事に気付いちゃいねえ)
男はツェイトが此方に気付いていないと思い込み、安堵のため息をついた。
身なりと呼吸を整え、ツェイトの追跡を再会しようと男は物影から何事も無かったように出ようとした。
しかし、それは叶わなかった。突如その男の背後から二本の腕が伸びて来たのだ。
何が起こったのか分からない男は驚愕するが、それに声を上げる事も抵抗する事すら出来なかった。両の腕の一本が、男の口を塞いでいたのだ。
そして、再び物影の中へと何者かの両腕に捕らえられ、男は引きずり込まれていった。
引きずり込まれ、強引に地面に押し倒された男は自分を捕まえた者が何者なのかを認識した途端、顔面から血の気が引いた。
全身を岩の様な外骨格で包まれ、頭からは二本のハサミ状の角を伸ばした昆虫種族の男。昨今売り出し中のクエスターの二人組の片割れだ。
左手で口を塞ぎ、馬乗りの姿勢で男を上から見下ろしている。その眼は自分達昆虫人と同じ黒い瞳なのに、影が掛かっているからか、まるで深くて暗い穴を覗いている様なおぞましさを男は感じてしまった。
堅気の人間の筈なのに、何でこんな空気を垂れ流すのか。本当にこいつは世間で持て囃されているクエスターなのか? そんな疑問が男の脳裏に浮かぶが、のんびりと思考に浸っている余裕は無かった。
幸い両の腕は自由。男はアリジゴクの異形を押しのけようとするが、腕力に差があり過ぎるのかまるで歯が立たない。
止むを得ず、懐に忍ばせていた短刀を抜いて脇腹に突き刺そうともした。しかし相手は怯みもせず、代わりに短刀が折れてしまった。これはこれで刃が立たない、男はされるがままにならざるを得なかった。
「ようアンタ。さっきから俺達をつけてたみてぇだが、何か用かい?」
まるで嬲る様な声色で、アリジゴクの異形は男に問いかけた。
くそ、ばれてやがる! 男は十数秒前までの大丈夫と判断した己に対して罵倒と呪詛の念を繰り返し頭の中で叫ぶが、そんな最中にも自分を捕らえたアリジゴクの異形は再度問い掛けてくる。
「目的は何だ? 話すならこの手を退けてやっても良い」
だが、とアリジゴクの人型種族は今まで空いていた右腕を男の顔の真横、触れるか触れないかギリギリの場所の地面に手を置いた。
その途端、アリジゴクの男の右腕が甲高い音を低く鳴らしながら細かく震えだし、手を置いていた地面が砂に変わってしまった。地面だけでは無い、そこにあった石までもが砂と化したのだ。
「口から離した途端叫ばんでくれよ? もし兄さんが叫んじまったら、俺は吃驚して兄さんの顔面を細かくバラしちまうかもしれねぇ」
そんな事になっちまったら、お互い気分は悪いだろう? 俺は互いが得になる様な話がしてえんだよ。
優しく耳元で紡がれる言葉は悪魔のささやきか。そう言われて男は、今まで溜めこんでいたのかと言わんばかりに顔面からぶわっと汗を噴き出し、体が震えだす。
仮に此処で叫んでしまっても、きっとその後は碌な目に遭わせてはくれないだろう。この男が相手だと、そんな感じがする。あの目を見てしまってからは余計に、だ。
後に迎える己の末路が、鮮烈なまでに男の頭の中で明確なヴィジョンとして浮かび上がって行く。
あぁくそ、やっぱり引き時を間違えちまったかと、今更ながらに男は後悔の念で思考が埋めつくされた。
「もどったぜぇー」
ダンを待っていたツェイトの横の地面から、気だるい声を上げながらダンが砂と共に出て来た。場所は丁度最初にツェイトと別れた時と同じ地点だった。
お疲れ、と労いの言葉をかけた後、ツェイトは何か収穫はあったのかと訊ねた。
「おう、手前の命が掛かった途端ぺらぺらと話してくれたぜ」
腕を軽く回しながらダンは気がるに口にするが、その内容は物騒であった。自然とツェイトも神妙は口調になってしまった。
「まさか、拷問にでもかけたのか?」
「俺を見損なわないで欲しいな、ちゃんと平和的に解決したぞ?」
その割には危ない発言が聞こえたんだが、とまでは流石にツェイトは聞かなかった。これ以上話を伸ばすのも野暮ったいと感じたからだ。
ダンの証言が正しければ、その後追跡者は役人の所に『武家の息子を誘拐しようとした犯罪者』と言う理由で放り込んでおいたらしい。しかし、証拠が無ければ意味が無いだろうとツェイトは不審に思ったのだが、意外な所に証拠があった。
男の懐には、分不相応な立派な財布が入っていたらしいのだ。しかもサイズは子供が持つような大きさだ。おまけにしっかりと武家の家紋入り。そこから導き出される結論は、それが先日シノンが無くしたと思われた財布だったのだ。
一端の町民が持てる訳の無い物を持っている事から役人達もその男を怪しみ、敢え無く御用となったと言う訳だ。大方、仲間の誘拐犯達から何らかの経由で男の手元に渡って来たのだろう。
誘拐犯の一味としての疑いが無くとも、武家の持ちモノを持っていた事から何らかの罪状を付けられて罰せられる筈だ。
妙な所で繋がっているんだな、とツェイトはこの奇縁に驚いた
全く、人を何だと思ってやがるんだかねと愚痴るダンだが、気を取り直して先程の追跡者から聞きだした情報をツェイトに伝える。
「お前の言った通り、シノンの坊主を誘拐しようとした連中の関係者だった。どうやらお前さん達二人を調べて仕返ししようって腹積もりらしいぜ」
最悪、試験中に妨害が来る事も考えられるか、とツェイトはその眼光を険しく細めた。この試験に受かれば次は実技試験が控えているのだ、邪魔はされたくない。只でさえ、何時来るとも分からない兵士達の件もあるのにこれ以上手間が増えては面倒だ。
しかし、だからと言ってシノンを助けなければ良かったのかと言えばそれは無い。少なくとも、己の納得のいく選択をした上での結果ならば、そこに後悔は無かった。
数時間後、夕方になってツェイト達は自分達の試験の結果を知る。二人とも合格だった。
テストの結果はツェイトが76点、セイラムが78点と、僅差でセイラムの方が上だった事はツェイトにとって驚きだ。
……否、考えてみれば当然の結果だったのかもしれない。
ツェイトの発言の後、まるで憑り付かれた様に勉強に熱を入れ、寝る間も惜しんでいたのだ。その時のセイラムはどんな心境でやっていたのかは分からないが、これは執念の勝利と言っても良いのではないだろうか。
支店の入り口に張り出された合否の張り紙の前で、ある者は肩を落とし、ある者はガッツポーズをとっている。
そんな中、目の下に隈を残したセイラムも合格をした事を知るや否や、飛び跳ねてその喜びを表現していた。
(年上なのに、年下に負けた……)
この世界ではセイラムの方が大先輩なのだから歳の上下なぞ問題では無いのだが、大人の矜持と言うものがそれを許容しきれていない。
しかし、ツェイトは目の前で大喜びをするセイラムにほんのちょっぴりの悔しさを覚えつつも、素直に最初の試験に合格した事を喜ぶ事にした。
その夜、昼間にツェイト達をつけていた男が、留置所から脱走した事が判明する。
それが意味するものは何か。ツェイト達がそれを知るのは、次の日の事だった。