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紺碧の大甲虫  作者: そよ風ミキサー
第二章 【虫の国の砂塵と花火】
10/65

第7話 貴人の子供

お待たせいたしました。

今回は文字数が少なめです。理由は後書きにて説明いたします。

では、どうぞ。

 ゴロツキ達から子供を助けたツェイト達は、ヒグルマ達の長屋を目指して住宅区内を練り歩いていた。

 時間は昼を過ぎた頃、区内では幼い子供達が何をして遊ぼうかと話し合い、主婦達も再び自分達の仕事に取り掛かる姿があった。

 助けた子供を腕に抱きかかえたツェイトは、辺りをキョロキョロと見回しながら歩いているセイラムの後ろをのっしのっしと地面を踏み鳴らして付いて行く。ツェイトの前を歩くセイラムがちょこちょこと動くたびに、頭部の触覚もそれにつられてユラユラと揺れていた。


 ツェイトが道をほとんど憶えていない為、ならば今度は私が、とセイラムが山で鍛えた勘を頼りに先導を買って出てきたのだ。しかし数十分後、最初は胸を張って自信ありげに「こっちだ」「あっちだ」と指示していたのだが、目的地にたどり着く気配が無く、徐々にその気勢が下がって行き、終いには「こっちだったよ……な?」という何とも頼りないお言葉をツェイトに反して来る始末。詰まる所、セイラムも迷ってしまったのだ。


 地元民達にとっては大した事が無いのだろうこの道は、初めて来た者にとっては迷路以外の何ものでもない。が、この場合はツェイトの体格が災いしたとしか言えない。

 振り返り、先程通って来た道を見直した後、セイラムは黄昏る様に空を見上げて、とうとう白旗を上げた。


「ごめん。道、間違えたかもしれない」


「かもじゃなくて、間違えたんじゃないのか?」


「……うん」


 セイラムは、ガックリと力なくうなだれた。山で鍛えた勘とやらも、都会の中では意味を成さなかったようだ。

 哀愁漂わせるセイラムの背中を見たツェイトは、ちょっとかわいそうになり、一応フォローをする事にした。


「あー……まぁ、元々お互い憶えてなかったんだ、しょうがない。気にせず行こう」


「う゛あ゛ー……さっき、自分で言った事が恥ずかしい……」


 先程、セイラムは頭を抱えていたツェイトに向かって私に任せろ! と胸を叩いて豪語したのだ。結果は、御覧の通りである。


「そこまで恥ずかしい事かなぁ」


「他人事だと思って簡単に…………あ」


 ふとセイラムは、ツェイトの方へ振り返った。


「“あんな事”をしたから、ツェイトは恥ずかしいものなんて無いのか?」


 ヒグルマ達と別れる前に、ダンがセイラムに話していたツェイトのあられもない逸話の事だろう。余程話の内容が受けたのか、セイラムは少しだけ笑みで口元を引き攣らせていた。


「……そこでその話を蒸し返すんじゃない」


 ツェイトは過去の恥部を掘り返されて恥ずかしさが蘇り、外骨格の内側の顔面に、再び熱が籠って来るのが分かった。手で覆いたくなるも、それが出来ないのは両の腕で子供を抱き上げているからか。




「ん、んぅ……」


 二人のやり取りが耳に入ったのか、ツェイトの腕の中で眠っていた少年の口からむずがる様な声が漏れた。


 セイラムにも子供の声が聞こえたのだろう。ツェイトに近付き、つま先を伸ばして少年のいるツェイトの腕の高さまで視線を上げようとするが、高さが足りなかった。

 それを見かねたツェイトがぐっと屈むと、セイラムがツェイトの腕に手をかけて子供の顔を覗き込んだ。


「気が付いたのか?」


「みたいだな……あっ」


 子供が目を覚ました。目を擦り、辺りを手で探り、妙な硬さに気が付いてあれっ? と首を傾げた後、上を見上げ


ると、ツェイトと視線が合った。


「う、うわぁぁぁー!?」


 腕の中にいた子供が、ツェイトの顔を見た途端悲鳴を上げて飛びあがった。何だかこの反応にデジャヴを感じつつも、パニックを起こして腕の中から逃げようとする少年をツェイトは落ちないように優しくつかみ上げる。


「うわぁー! い、嫌だ、離せ!」


「おい、そんなに暴れたら落ちるぞ」


 子供の悲鳴に気付いた近隣に住まう住人達が、戸から顔を出して何だ何だと此方を覗きこんで来た。

 傍から見れば、ツェイトが嫌がる子供を掴み上げて、何か悪さをしようとしている様にも見える。


 そう見えたのだろう一人の中年の女性が、肩を怒らせてツェイトの前へずかずかと歩いて来た。恰幅の良い、いわゆる肝っ玉母ちゃんの様な外見をした女性が、ツェイトを怒鳴りつけてくる。


「ちょっとあんた! 小さな子供をひっ捕まえて何してんだい!」


「えっ?」


 その言葉にセイラムは含まれておらず、あくまでツェイト個人に対しての非難だった。傍にいたセイラムも、何の事だと困惑して女性を見ていた。


「そんな有難い見てくれしてるくせに、やってる事が真昼間から子供を虐める事だなんて、恥ずかしくないのかい!?」


「ま、待ってください。私達はこの子を……」


 有難い見てくれ? 何の事だと思いつつも、ツェイトは目の前の中年女性の誤解を如何にして解こうかと頭を働かせる事に手一杯だったため、先の言葉はすぐに忘れてしまっていた。


 町や村に入ってからはどうにも貧乏くじを引いている気がする。ツェイトは、森の中で自由気ままに過ごしていたNFOの頃が懐かしくなった。






「すみません……助けてもらったのに、悪人と思ってしまって……」 


 場所は先程の所から離れた住宅区内。そこで、子供が心底申し訳なさそうに頭を下げている。その相手はツェイトだ。

 あれからツェイトは中年女性に在らぬ疑惑をかけられて説教を受けていたが、思わぬ所から救いの手が差し伸べられた。それがこの子供からだった。


 あの後、セイラムも加わってツェイトの無罪を主張をするも、それでもツェイト達の事を認めず、果てにはセイラムまで対象にしようとしていた。そんなやり取りを見ていて様子がおかしいと思った子供が、ツェイトの腕の中から彼を弁護して来たのだ。

 セイラムに加え、子供までツェイトの無罪を主張するので、強気で責めていた女性も自分の勘違いだった事に気付き、ようやくツェイトに謝る事となった。


 聞く所によると、その女性は正義感が強いらしいのだが、どうも勘違いをする事が多い為、空回りしてしまう事が多いのだそうだ。それでも、彼女を慕う者は多く、彼女を悪く思わないでくれ、と去り際にツェイトに言ってくる者が何人もいる為、ツェイトも何も言わないでおく事にしたのだ。


「まぁ、いいさ。ところで、どこか痛い所とかはないか?」


 ゴロツキ達に縛られて運ばれていたのだ、怖い目に会ったのかもしれない。幼い歳でそんな事をされれば警戒もするだろう。先程の子供の境遇を思い返してみれば、パニックを起こしても仕方が無い。むしろ、この歳でこんな態度が出来るのだから大したものだ、とツェイトは子供を咎める事はしなかった。自分の顔に問題があったのだろう。


「えっと、大丈夫です。少し頭が痛いくらいですが、大した事はありません」


「そうか、無事ならそれで良い」


「気を付けろよな。お前、攫われそうになってたんだぞ」


 セイラムが腰に手を当てて子供を軽く叱り付けると、子供もそれは承知しているらしく、しゅんっと顔を俯かせた。


 小さな子供で、綺麗なで立派な着物を身に付けているのだ。一部の連中からすれば、カモがネギをしょっている様なものである。身ぐるみを剥いで、身に付けていた物を売り飛ばせば金になるし、子供も奴隷にするなり、売り飛ばすなり、身分が高いのならばそれを利用して身代金を要求する事だって考えようによっては選択できる。残酷な事であるが、力の無い子供など、場所によっては良い金づるとして扱われかねない。


 このネオフロンティアでも、人身売買を行う所はある。中には、口にするのもおぞましい所業を行う者達もいるらしい。

 ツェイトはウィーヴィルからその事に関してはあまり聞かされてはいなかったが、元の世界で人身売買の恐ろしさと言うものを少なからず知っていた為、子供の無事に一応は安堵した。


「すみません。本当はご……一緒に付いて来てくれる人がいたのですけど、何時も通っている場所だから一人でも大丈夫だと思って……」


「そう言う油断が、さっきみたいな事になるんだぞ」


「うぅ、返す言葉もございません……」


「そうだぞ、次からはその人と一緒に……あ」


 セイラムの言葉に同意したツェイトは、ある事を思い出して子供に訊ねた。


「なぁ、君と一緒に付いて来てくれる人って、もしかして深緑の着物を着た女の侍かな?」


 その問いに、子供はキョトンとした顔をする。


「え、そうですけど、知ってるのですか?」


「少し前に、君の事を探している様な事を言いながら、慌てて出かけて行ったぞ」


「えぇー!?」


 子供が驚いて数歩下がる。まるで、赤点のテスト用紙が親に見つかった様に見えたのは、ツェイトの気のせいだろうか。

 そして納得する。成程、この子が彼女の言う若様か、と。


「あぁ、叱られる……きっと凄く怒っているんだろうなぁ……」


「……事情は知らないけど、大人しく怒られておいた方が良いと思う。それだけ、君の事が心配だったんだろうから」


 体を縮め、頭を抱えている子供には申し訳ないが、ツェイトは現在セイラムの面倒を見ている身だ。故に保護者としての感覚を持つツェイトとしては、心配している方の事も少しは分かって欲しいと思っていた。だからツェイトは子供のした事に賛同はしなかった。

 

「……そうします。これは、私の落ち度ですし、最悪、家族に迷惑をかけてしまう所でした」


 中々に聞き分けが良い、それに賢い。これが幼い子供の話す事なのだろうか、とツェイトとセイラムはこの子供の返事にしばし驚いた。


「そうした方が良い……それにしても、随分と賢いな。君の歳は幾つなんだ?」


「えっと、今年で10になります」


「10歳……俺がその頃は、こんなに利口じゃなかったなぁ……」


 これも英才教育の賜物なのだろうか、と感嘆と共に漏らしたツェイトの言葉に、セイラムが食いついた。

 前々から何となく気が付いていたが、どうやらセイラムはツェイトの事が気になって仕方が無い所がある。それが如実となったのは、先のダンとのやり取りか。


「へぇ、ツェイトにもやっぱり子供の頃ってあるんだ」


「俺が生まれた時からこの姿のままな訳ないだろ」


 産む親が大変だろうに、とツェイトがおどけて返すと、セイラムはクスリと笑みをこぼした。


「まぁそうだけど。じゃあ、子供の頃はどんな事をしていたんだ?」


「どんなって、そりゃぁ……」



 思い出そうとして、ツェイトはしばしポカンと呆ける。10年前の自分は、何をしていたのだろうか。思い出せそうで、ちっとも思い出せない。


 まぁ、16年も前の事だ。仕事に追われているうちに、昔の事を忘れるのなんて良くある事だ。若年性の健忘症では無い筈だ。きっと。

 様子がおかしいツェイトに、セイラムが心配そうに訊ねて来た。


「おい、ツェイト?」


「……いやな、昔の事だったんであんまり憶えてないんだ」


「昔って……ツェイトは今26歳だろ? 今から年寄りみたいな事言ってどうするんだよ」


「え! 26!?」


 ここでツェイトの歳に食いつく者がまた一人。子供は素っ頓狂な声を上げた。


「もっと年上の方だと思ってました。てっきり、二百歳くらいなのかと……」


「に、にひゃく」


「私の時よりも高いなぁ……」


 子供に悪気は無いのだろう。しかし無垢な子供の、悪意なき言葉の中に潜んだ残酷な言霊が、ツェイトの心を抉った。

 凍りついた様に動く気配の無いツェイトを、身長差の問題上肩に手が届かないセイラムが、慰める様にポンポンと腰を軽く叩いていた。

 この状況を生み出した当の子供は、何か不味い事言ったのかなと困惑気味に二人のやり取りを見ていた。

 

 歳の事で傷付いて、歳下に慰められる事の虚しさよ。

 嗚呼、悲しきかな26歳。それで良いのかカブトムシ。体の表面は硬くても、中身はもしかしたら意外と柔らかいのかもしれないツェイトだった。






「すみません、さっきから失礼なことばかりしてしまって……。私の名前はシノンと申します。びんぼーはたもとのさんなんぼーです」


 程なくして気を取り戻したツェイトとセイラムに、子供は先程の発言の謝罪と共に自己紹介を行い、其処でツェイト達も名乗る事となった。


 そこでシノンの口から出て来た言葉に、ツェイトは思わずこけそうになる。いきなりツェイトの巨体でこけそうになるのだから、周囲の地面に微弱な揺れが生じてしまい、セイラムとシノンが吃驚していた。


 何処かの名家の子かとは思っていたが、先程の名乗りからすると、もしかしたら凄い家の出なのかもしれない。

 この国の政治機構が昔の日本と同じなのかは定かではないにせよ、あの肩書きはあからさま過ぎる。恐らくは名前も偽名だろう。


「びん……なんだって?」


「びんぼーはたもとのさんなんぼー。私の様な者はそう言うのだそうです」


 小さな体で、胸を張るその姿に微笑ましさを誘われる。伝聞口調と言う事は、誰かにそう言われたのだろう。誰がこのシノンに吹き込んだのかは、何となくツェイトは見当が付いていたが、一応訊ねる事にした。


「それ、誰が言ってたんだ?」


「少し変わってますけど、とても頼りになる私の知り合いです。二人いるのですけど、一人は貴方と同じで、私達よりも虫に近い姿をしていますね」


 どうやらその知人とやらは、シノンから信頼されている様である。それでいて自分と同じ虫の姿をしていると言うのならば、もはや確定だろう。あの二人だ。


「もしかして、そいつの名前はヒグルマか、ダンって名前じゃないのか?」


 二人の名前を出すと、シノンは予想通り目を丸くして驚いた。


「二人を知っているのですか?」


「まぁ、ちょっとした知り合いだよ」


「成程、お知り合いでしたか……ん?………あぁ!」


 何か合点がいったのか、シノンは両の手をポンと合わせてツェイト見た。その際のシノンの眼には、キラキラと何か期待が込められている様な気がした。


「もしかして、貴方がツェイトさんですか!?」


 その問いに、ツェイト達が驚く。とはいえ、自分の事を伝えた相手はヒグルマ達なのだろうと言う事は、先程のやり取りでツェイトには予想が付いていた。割とネタにされやすい体なので、何かの話題で自分の事を出したのかもしれない。


「そうだけど、どうして俺の事を?」


「前に、ヒグルマさん達が貴方の事を話していたんですよ。カブトムシの姿をしているとの事でしたので、凄く印象に残っていました」


 初めて見た時は、吃驚して分かりませんでしたけど。とシノンは、先程の騒動を思い出して一瞬だけ顔を曇らせた。

 カブトムシは、元の世界でも子供たちの間では人気だったが、この世界でも虫を愛でる文化はあるのだろうか。この世界の様に、昆虫種族が存在している世界では余計気になるものだ。

 嬉しそうに話しているシノンに、ツェイトは適当な理由を付けてさりげなく訊ねてみる。


「俺は辺境の森に住んでいたから良く分からないんだが、カブトムシって人気なのか?」


「そ、それはそうですよ! カブトムシはクワガタと並んで、この国では力の象徴になっているんですよ!」


「……セイラムは、この事を知っていたのか?」

 

「うーん、憶えがある様な、無い様な……」


 腕を組んで唸るセイラムだが、恐らくは知ってたが忘れていたのかもしれない。

 それで町の人たちは俺の事を見ていたのか? とツェイトはこの町に来た時に感じた視線を思い返した。自身の体の大きさも注目の理由に含まれているだろうから、一概には判断できないが、行く途中拝むように見ていた者もいた為、シノンが言っていた様に象徴として見ている者もやはりいるのだろう。


 が、今はこの事はさほど重要ではない。今問題なのは、どうやってヒグルマ達の長屋へ行くかだ。

 話が少し脱線してしまったが、自分達の状況を思い出してどうすればいいのかと考えたツェイト。そこでシノンを見て閃いた。


「なぁ、シノンはここ等辺をよく通るって言ってたよな」


「えぇ。昔からよく此処へは来ていましたので、この住宅区の地理はそれなりに知っているつもりですけど」


 しめた、地獄に仏とはこのことか。ツェイトはこの子供に仏の姿を見た。


「だったら頼みがあるんだが、ヒグルマさん達の住んでる長屋への道を教えてくれないか?」


 そこでツェイトは自分達の状況説明も忘れずに付け加えておく。するとシノンは快く引き受けてくれた。


「でしたら一緒に行きましょう。私もヒグルマさん達の所へ行く予定でしたので」


「そうか、いやぁ助かった」


「本当だよまったく……私もうお腹が空いて仕方が無かったんだ」


 話が纏まって安堵したツェイトの横で、セイラムがだらしなく口を開けながら腹をさすっていた。

 そう言えば、この町に来てから何も食べていない。ツェイトは自身があまり空腹を感じていなかったのですっかり忘れていた。この町へ来る最中に、セイラムは袈裟掛けにしていた風呂敷の中から木の実を取り出して齧っていたが、それとて極僅かな量である。


 空を見上げれば、太陽は既にてっぺんまで昇り終え、地平目がけて沈みはじめていた。時間的にはおやつの3時とまでは行かなくとも、2時くらいにはなっていそうだ。

 今日はまだ朝に軽く軽食を口にしただけだったので、あまり腹の好いていないツェイトはともかくとして、セイラムは中々堪えているのではないだろうか。


「なら、ヒグルマの所に着いたら何か食わして貰おうか。まぁ、あいつら貧乏みたいだから、茶漬けが出てくればめっけものかもしれないけど」


「でしたら、私が御馳走しましょう。お二人へのお礼をしていませんでしたし」


 そこでシノンが提案する。そりゃあそれだけ立派な服を着ているのならお小遣いもそれなりの額を持たされているのかもしれないが、ツェイトは断った。


「気持ちは嬉しいけれど、子供におごってもらうのはちょっと、なぁ」


 子供の財布にたかる大人なんて、傍から見ると情けなくてしょうがない。

 一端の社会人として、というよりは、ツェイトが今まで培ってきた倫理観がシノンの提案を拒んだ。簡単に言ってしまえば、大人のプライド云々と言う奴なのだが。


「……と、俺は思うんだが、セイラムはどうする?」


 ツェイトがそう思っていても、今腹を空かしているのはセイラムだ。彼女の意思がそこに存在していないツェイトの言葉など、この場では意味を成さない。


「私もツェイトに賛成かな。別に我慢できない程でもないし、お金だって持っているんだ」


 苦笑しながら槍を担ぎ直すセイラム。どうやらツェイトと同意見の様だ。セイラムは一応お金を持ってはいるが、それも大金と言う程のものでもないので、そう頻繁には使えない。少なくとも、今は使うべきではない筈だ。


 二人の返答に、其処まで気にしなくても良いのに、と少し寂しそうにしていたシノンだが、突然声を上げた。

 

「あ!」


「え、どうした?」


「さ、財布が、無いんです」


 体中を手さぐりで調べながら慌てるシノン。さっき連れ去られそうになった時に、ゴロツキ達に奪われてしまったのかもしれない。

 どちらにせよ、これで長屋に行かなければどうしようもなくなった事だけは確かになった。


「……それじゃ、行こうか?」


「そうしましょわ!?」


 財布が無い事に肩を落としているシノンを、ツェイトが片手で持ち上げて左肩に乗せた。突然の事だったので、シノンは目を白黒させている。


「ごめん、恥ずかしかったか?」


 考えてみれば、やたらと目立つ自分の肩に乗るとなると、多くの大衆の注目に晒される可能性がある。そんな所にいれば居心地が悪いかもしれない。軽率だったかなと不安になったツェイトだが、そうでもないらしい。


「い、いえそうじゃなくて! 私は一人で歩けますよ!」


「……そうか。でも、こっちの方が多分早く着く」


 ツェイトとシノンの身長差は3~4倍は違う。それに伴い歩幅も違う訳だから、どうしても移動する速度に差が出てくる。そこで、ツェイトはシノンにはナビ代わりとして肩に乗せる事にしたのだ。

 そう訳を告げると、シノンはならお言葉に甘えてっとツェイトの肩に乗っかる事となった。


「ついでだ、セイラムもどうだ」


 ちょいちょいと、片膝を着いたツェイトがセイラムを手招きする。セイラムは、山奥の村に住んでいたので歩く事は慣れてはいるだろうが、先程から歩き詰めだったし、腹も空いているのだ。結構疲れてるんじゃないのかとツェイトは考える。


「う、うーん……じゃあ、そうさせてもらおうかな」


 頬を指で掻きながら躊躇していたセイラムも、村から旅立ったあの時の様に、ツェイトの胸の前で組んだ腕を椅子代わりにして座り込む事になった。

 二人が座った事を確認したツェイトは、グッとその巨体を立ちあがらせる。その際、シノンが嬉しそうに声を上げた。さしずめ、アトラクションの乗り物に乗った気分なのだろうか。


「角は危ないから触っちゃだめだ。掴むなら俺の頭か首辺りにしてくれ」


「はい、分かりました」


「よし。じゃあ道案内、宜しくな」


「はい! えっと、此処からでしたら……」


 シノンが道を示せばそこをツェイトが歩き出す。


 その日住民区内では、少年と少女を乗せた巨大な甲虫の巨人が歩き回る姿がしばし確認される事となった。





「意外に呆気なく着いたな」


「私達の苦労ってなんだったんだろう……」


「あ、あはは……」


 呆然とする二人に、シノンはただ苦笑するしかない。

 ツェイト達はシノンの指示通りに道を通って行ったのだが、目的地であるヒグルマ達の長屋にあっさりと着いてしまったのだ。

 流石は地元育ち(?)は違うと言うことか。



 そして、そんな彼らの前にいるのはヒグルマ達の三人。自分達の徒労に虚しさを感じている二人とその他1名とは違い、彼らは目を丸くしてツェイト達を、正確にはツェイトの肩に乗っているシノンを見ていた。女侍に至っては、震え出す始末だ。それがどんな感情によって引き起こされているものかは不明だ。


「わ、若様っ!!」


 ツェイトの元へと駆けよって来る女侍に合わせて、ツェイトも肩に乗せていたシノンを降ろした。すると駆けよって来た女侍が、シノンの両の肩をガシッと掴み、掴まれたシノンはビクリと体を震わせた。


「何処へ行ってらしたのですか! 皆心配したのですぞ!!」


 叱り付けている女侍の表情は、怒りと共に安堵している様な複雑な顔をしていた。それだけシノンの事が心配だったという事だろう。


「……ごめん、次からは気を付けるよ」


「次からでは遅いのですよ、若! しばらくは外出は禁止させて頂きます」


「えぇ! そんなぁ……」


「当然です。若は、ご自身の身分と言うものに関して自覚が足りません! そこを改めて貰わなければ、とてもではないですが迂闊に外へはお出しできません」


 シノンと女侍の二人で会話が白熱している所、セイラムを降ろしているツェイトの元へヒグルマとダンがやって来た。


「子守をさせちまって悪かったな。それで、あの坊主は何処で見つけたんだ?」


「城壁の近くで、ゴロツキ達に運ばれている所を、な」


 ツェイトの言葉に何っと、ヒグルマ達の眼が鋭くなった。


「その話、詳しく聞かせちゃくれねえか?」





 場所は昼間、ヒグルマ達と話をしていた川のそば。夕方に近付いて来た為か、屋台を転がして店を開ける支度をしている者達がちらほらと見受けられた。場所が住宅区内の為、出稼ぎから返って来た者達が主な客層と言った所か。


「な、何と言う不届きな! 若にそのような狼藉を働く者がいるとは!」


 女侍、ミキリはツェイト達の説明を聞き、シノンにされた仕打ちに憤慨する。もし目の前に先の賊達がいたのならば、叩っ切ってしまうのではないのかと言う程の剣幕だ。


 先程移動する際にミキリが自己紹介をし、ツェイトとセイラムに礼を述べていた。見た目通り根は真面目らしく、頭こそ下げはしなかったものの、非常に感謝している旨を言葉と態度で告げていた。


 一応ミキリはシノンとの話が済んだようだが、何やらシノンの方はもの凄く残念そうな顔で俯いていた。どうやら先程女侍が言った謹慎が決定となったみたいだ。実際に命令を下すのは彼女では無く、彼女の上司か、シノンの親になるのだろう。


「……しかし危なかったな、もう少しで町の外に連れ出されてたかもしれねえ。良い所で出くわしたもんだ」


「セイラムちゃん、あんがとうよ。おかげでシノンが無事に見つかったぜ」


 顎に手をかけて思考に耽っているヒグルマの隣にいたダンが、セイラムに感謝した。


「い、いや気にしないで。私もあの時カッとなって動いていたから……あまり、深く考えてないんだ」


「だが、それでも無事にこうして若様を此処まで連れて来たのは他ならぬ貴女達だ。私からも重ねて礼を言う。本当にありがとう」


 ひとしきり怒って冷静になったミキリも加わり、立て続けに礼を述べられた事に照れているのか、セイラムはあさっての方に視線を向けながら、己の触覚をつまんで弄っていた。

 

 するとそこで、その場の空気を変える様にヒグルマがパシッとキセルで自分の掌を叩いた。


「お前さん達2人には借りが出来ちまったな」


「借りだなんて、そんな大層な事は……」


「俺達からすりゃ大した事よ」


 ヒグルマに其処まで言わせるあのシノンと言う子供の事がツェイトは気になったが、下手な詮索は藪蛇に繋がりかねないので口にはしない。それに、訊けば応えてくれるかすら分かりもしないのだ。

 本人もそこらへんの事は伏せている様なので、ならばその事には触れないで別の話題に変える事にした。


「じゃあ、子守代として飯でも奢ってもらおうか」


「あん? お前の? ……何かしこたま食いそうだな」


「いや、俺じゃなくてセイラムだ。朝食べてから殆ど何も口にしてないんだ」


「何? そういうのは早く言え。嬢ちゃん、何が食いたい?」


「え? あの、えぇっと……」


「……俺とは随分対応が違うじゃないか」


「おめえの図体で飯なんて頼まれたらこっちの財布がたまんねえんだよ。調子に乗って店ごと食うなよ?」


「おい、怪獣か俺は」


「見ての通りとしか言い様がねえな」


 軽口をたたき合い、戸惑い、笑い、苦笑する。様々な感情が飛び交せながら一行は進む。

 空は青空から夕暮れ時へとその色合いを変えている最中で、美しいグラデーションを空一面に彩っていた。






「何ぃ! しくじった!?」


 ワムズの城下町から少し離れた山の麓付近。その森の中にある小屋の中。本来其処は、木こり達が利用する休憩所として大分昔に立てられていたものだったのだが、現在其処を利用している者達は木こりでは無い。


 声を荒げたのは、顔の右半分に大きな切り傷のある壮年の昆虫人の男。目つきは鋭く、こめかみから目を通り、顎にかけて刻まれた一本の切り傷が、その男をより凶悪な面構えにさせていた。

 筋肉が男の着こんでいる作務衣の様な服を押し上げ、男の体つきを傍目から見ても逞しいものだと思わせる様に自己主張しており、その常人よりも太い両手足には、手甲と脚甲が装着されていた。

 積み上げられた木材の上に腰掛け、不機嫌な顔で目の前にいる者達を睨みつけている。


 彼の前には、申し訳なさそうに身をすくませているゴロツキの男達が複数。そのゴロツキ達は、シノンを連れ去ろうとしていた連中であり、壮年の男の手下の者だった。


「俺達は高い金貰って雇われてんだぞ! それでこのザマはどういうこった!? この馬鹿どもが!」


 小屋を響かせんばかりに罵声を飛ばす壮年の男の迫力に、手下のゴロツキ達はビクリと身を震わせた。


「そ、それが……城壁を越える所で邪魔ものが入りやして……」


「……邪魔? まさか、クエスターの二人組か!」


 壮年の男は声を荒げる。脳裏に浮かぶのは2、3年前からこの国に姿を現し、確かな実力で名を挙げて来た2人のクエスターの男達。

 一人は背中に鉄の筒を背負った昆虫人の男。そしてもう一人は、アリジゴクの姿をした、自分達とは全く違う昆虫種族の男。


 いずれもワムズ国内で起きた騒動に度々介入しては、騒動の解決に協力している者達だ。その名は世間でも、そして彼らの様な裏の社会とでも言うべき、犯罪者達の界隈でも知られていた。


「あんの野郎ども……今度は俺達の仕事にまで首を突っ込んできやがったか!」


 厄介なのは力だけでは無い。一介のクエスター風情ならば、何処ぞの権力によって社会的に抹殺される事もあったのかもしれないが、あの二人はそうはいかない。なぜならば、彼らの背後にいる存在が、更に強力な権力を以て彼らを守っているのだ。下手に手を出せば此方が危ない。如何にして2人を対処するべきか、壮年の男は思考をフル回転させていると、手下のゴロツキの一人が訂正した。


「い、いえ。それが、違ぇんですよ」


 何? とゴロツキの言葉を聞いた壮年の男は、先程まで取り乱していたのが嘘の様に落ち着きを取り戻す。


「奴らじゃ無い? だったら、どこの誰がやった」


「へぇ、それが……見上げるほどにでかくておっかねえカブトムシの男と、妙ちくりんな手足をした小娘の二人組でさぁ。あいつらに二人やられちまって、暫くはまともに動けねえ体になっちまいやした」


 ゴロツキの言葉に、壮年の男は首を傾げる。


「何だそいつらは、あの二人の仲間か?」


「分かりやせん……何せ、突然の事だったもんで……」


「……連中じゃねえ、か」


 壮年の男は、無精ひげの生えた顎をさすりながら思案する。カブトムシの男と言う存在が気になるが、だからと言ってこのまま引き下がっては腹の虫が収まらないのもまた事実。

 手下たちがそわそわと見守る中、考えのまとまった壮年の男は膝を叩いて立ちあがった。


「此処は一つ、依頼主に話を通した方がよさそうだな」


「お頭、俺達はこれからどうするんで?」


「俺はこれから城下町に行く。お前らは俺が指示を出すまで隠れてろ。特に今回仕事に出た奴は絶対に町に入るな。例の二人組に顔が割れちまってるだろうからな、人相書きでも出されちゃたまんねぇ」


 壮年の男がテキパキと手下達に指示を出し、手下達もそれに返事を返した。

 粗方言い終えた壮年の男は、ぶっきらぼうに小屋の戸をあけると、軽やかな足取りで城下町へと向かって行った。




「……ったくよぉ、ボロい仕事かと思えばこれだ。面倒くせぇったらありゃしねえ」


 口では愚痴ってはいるものの、壮年の男の口元には確かに笑みが浮かんでいた。

更新速度を上げるべく、試験的に文字数を少なくして投稿しております。


文字数を取るか、速度を取るか、それが問題です。


……いや、内容も大事ですよ? うん、本当。

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