表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「冷酷な辺境伯」に身代わりで嫁いだら、三ヶ月の契約のはずが溺愛されて逃げられません  作者: 凪乃


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/12

伯爵令嬢は、こんなこと致しませんわ

 辺境伯領に来て二週間。


 母のことが心配で眠れない夜もあったけれど、日中はなんとか「カミラ」を演じ続けていた。


 あの夜、ヴィクトル様に泣いているところを見られてから、ヴィクトル様は少しだけ変わった気がする。


 直接何かを聞いてくることはない。ただ、朝食のときに温かい茶を自分で淹れてくれたり、夕食の後にテラスから月を見るよう勧めてくれたり。


 不器用な気遣いが、嬉しくて、苦しい。



「カミラ様! 大変です!」


 メルティが息を切らせて飛び込んできた。


「領民の子供が怪我をしたって! 薪割りの斧が足に当たったみたいで——出血がひどいそうです!」


「え——医師は!?」


「巡回先で、今日は留守です! 侍女たちもおろおろしていて——」


 考えるより先に、体が動いていた。


「案内して」


「え? フローラ——じゃなくて、カミラ様、何を——」


「いいから!」



 屋敷の裏手に駆けつけると、八歳くらいの男の子が地面に座り込んでいた。右足のすねから血が流れている。周りに侍女が三人、おろおろと立ちすくんでいた。


「見せて」


 男の子の前にしゃがみ込む。


「お姉ちゃん、だれ……?」


「大丈夫。痛いよね。ちょっと見せてね」


 傷口を確認する。深さはそれほどでもない。骨には達していない。ただ、出血が多い。


「メルティ、清潔な布と水を。あと、もし台所に蜂蜜があれば持ってきて」


「はいっ!」


 メルティが走る。


 侍女の一人が目を丸くしていた。


「カミラ様が——お手当てを?」


「母が……伝えてくれたのよ。こういうときの対処を」


 嘘だ。伯爵令嬢の母が怪我の手当てを教えるはずがない。でも今は、子供の方が大事だった。


 メルティが布と水と蜂蜜を持ってきた。


 手際よく傷口を洗い、蜂蜜を薄く塗り、布できつく巻く。母に教わったやり方だ。侍女として、領民の怪我の手当ては何度もしてきた。


「はい。もう血は止まるわ。医師が戻ったら、ちゃんと診てもらってね」


 男の子が泣きやんで、こくりと頷いた。


「お姉ちゃん、ありがとう」


 小さな手が、私の手袋に触れた。


 心臓が跳ねる。——大丈夫、手袋は外していない。


「……いい子ね」


 頭を撫でた。


 周囲の侍女たちが、呆然とした顔でこちらを見ていた。



「カミラ様、すごいです! お怪我の手当てがお上手で——」


「ええ……まあ、少し心得があるだけよ」


 立ち上がって、スカートの汚れを払う。


 振り返ると——


 ヴィクトル様が、少し離れた場所から見ていた。


 いつから。どこまで見ていたのだろう。


 目が合った。ヴィクトル様は何も言わなかったが、その目は——温かかった。



「おお、これはこれは。辺境というのは、やはり野蛮な土地でございますな」


 その声は、午後に来た。


 伯爵家からの使者だった。中年の痩せた男で、名をドルフと言った。表向きは「カミラの様子を確認するため」の訪問だが、目的は明らかだ。辺境伯領の利権を探りに来たのだ。


「この屋敷も、王都と比べればずいぶんと質素でございますな。カミラ様にはさぞお辛いでしょう」


 ドルフは応接間で茶を飲みながら、辺境伯領を見下す発言を繰り返した。


「辺境の税収はどの程度で? 鉱山の権利は? 伯爵閣下がお知りになりたいのは——」


「ドルフ殿」


 私は茶碗を静かに置いた。


 カミラお嬢様なら、この手の使者には適当に合わせるだろう。父親の意向に逆らわない、従順な娘だったから。


 でも——私は、もう黙っていられなかった。


「辺境伯領は質素ではございません。民のために必要な投資を優先した結果、このような暮らしになっているのです」


「はあ?」


 ドルフの目が丸くなった。


「この領地の麦の収穫量は、北部三領で最も高いと聞いております。魔物被害の減少率も、辺境伯様の尽力で王国随一です。それを質素と呼ぶのは——」


 ニコラスに教わった帳簿の数字が、するすると口から出てきた。この二週間、真面目に学んできたことが、今ここで役に立つとは思わなかった。


「——少々、ご認識が違うのではないでしょうか」


 ドルフは口をぱくぱくさせた。伯爵令嬢がこんな具体的な数字を挙げて反論するとは、思っていなかったのだろう。


「し、しかし、伯爵閣下がお知りになりたいのは——」


「父にはこうお伝えください。辺境伯領は健全に運営されており、外からの干渉は不要です。カミラは元気に暮らしておりますと」


 にっこりと微笑んだ。


 カミラお嬢様の微笑みを、完璧に模倣して。


 ドルフは顔を赤くして、何も言い返せなかった。



「やりすぎですよ、フローラ——じゃなくて、カミラ様」


 使者が帰った後、メルティが廊下でこっそり言った。


「カミラ様があんなに堂々と反論するわけないじゃないですか。バレますよ?」


「……ごめん。でも、あの人の言い方が許せなかった。この領地を見下すなんて——」


「わかりますけど! でも——」


 メルティが言葉を飲み込んだ。


 廊下の向こうに、ヴィクトル様が立っていたからだ。


 ……聞かれた?


「ヴィクトル様」


「使者は帰ったか」


「はい。お見送りいたしました」


 ヴィクトル様は、しばらく私を見つめた。


 怒られるだろうか。伯爵家の使者に逆らったのだ。政治的に問題があったかもしれない。


「……ニコラスに聞いた。お前が帳簿の数字を使って使者を論破したと」


「あ——すみません、出過ぎたことを——」


「——礼を言う」


 え。


「俺が言えば角が立つ。お前が言ってくれたことで、伯爵家への返答が穏便に済んだ」


 ヴィクトル様の口元が、かすかに上がった。


「お前は——伯爵令嬢にしては、やはり変わっている」


 その言葉に、もう何度目かわからない胸の痛みを感じた。


 伯爵令嬢ではないから、変わっているのだ。


 私はただの侍女だから。


 使者は顔を赤くして帰った。でも、伯爵への報告にはきっと——「カミラは辺境伯に肩入れしている」と書くだろう。


 次の手紙が来るのが、怖かった。


侍女の技で領民を救うフローラ。

「伯爵令嬢は、こんなこと致しませんわ」——バレる? バレない?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ