90.巨星墜つ――合衆国の悲鳴と枢軸の瓦解
# 海洋帝国日本史 第九章:赤きヒグマの台頭と新枢軸の崩壊
## 第八話:巨星墜つ――合衆国の悲鳴と枢軸の瓦解(1943年5月)
### 1.燃え上がる裏庭――南米赤化のドミノ(1943年5月上旬)
1943年5月上旬。
アメリカ合衆国がハワイの完全放棄を決定し、本土西海岸への引きこもり(要塞化)を急いでいたその頃。彼らが最も恐れていた「絶対的な悪夢」が、自らの足元である南アメリカ大陸で、取り返しのつかない規模の連鎖爆発を引き起こしていた。
「……アルゼンチンだけではありません! チリで、コロンビアで、立て続けに左派ゲリラと労働組合が武装蜂起を行いました! 首都の政府機関が次々と占拠されています!」
ワシントンD.C.の国務省は、絶叫と怒号が飛び交うパニックの坩堝と化していた。
ソビエト連邦・KGB(NKVD)が長期間にわたって蒔き続けていた「共産主義革命」の種は、アメリカがヨーロッパと太平洋で出血を強要されている間に、南米大陸の貧困層の怒りを吸い上げて一気に開花した。
「ペルーの親米政権が倒れました! ウルグアイ、パラグアイ、エクアドル、そしてベネズエラまでもが、次々と親ソビエトの『人民政府』樹立を宣言! ……ブラジルを除くすべての中南米諸国が、真っ赤に染まりました!」
アメリカという巨大な鷲の背中を、無数の赤い毒蜘蛛が這い上がってくるような絶望感。
建国以来、アメリカが何よりも固執してきた『モンロー主義(アメリカ大陸の絶対的支配)』は、ソビエトのインテリジェンスの前に、わずか数週間で完全に崩壊したのである。
「軍を出せ! メキシコ国境に陸軍を集結させろ! 赤い波が北米大陸に上陸してくるのを絶対に防ぐのだ!」
アメリカは、ヨーロッパで孤立する自国の陸軍を救出する船すら持たないまま、自国の裏庭で燃え盛る巨大な革命の炎に、完全に国家の心臓を鷲掴みにされてしまったのである。
### 2.帝都の亡命者――ギリシャの怨念
そして、アメリカが南米のパニックに完全に麻痺していた頃。
ユーラシア大陸の東の果て、大日本帝国の帝都・東京に、数隻の潜水艦と中立国の貨客船を乗り継いで、極秘裏に辿り着いた一団が存在した。
東京・霞が関の迎賓館。
日本の政府高官と情報部員たちに迎えられたのは、イタリアに背後から見捨てられ、ソビエト赤軍の蹂躙によって国を失った**『ギリシャ亡命政府』**の首脳陣であった。
「……はるばる極東の地へ、よくぞお越しになられました。大日本帝国は、貴国のアテネからの苦難の脱出と、その誇り高き抵抗に、深い敬意を表します」
日本の特使が頭を下げると、ギリシャの首相は血の涙を流さんばかりの表情で、その手を強く握り返した。
「……我々がイタリアではなく、この東京へ逃れてきた理由。それは、貴国が世界で最も強大で、最も義に厚い国家であると信じたからです。……あのマカロニ野郎は、我々を対共産の盾として使い捨て、赤軍が迫るや否や、我々を置き去りにして逃げ出した!」
ギリシャ人たちの瞳には、国を奪ったソビエトに対する憎悪と同じくらい、あるいはそれ以上に、裏切り者であるイタリアに対する『絶対的な怨念』が渦巻いていた。
「大日本帝国よ。我々はいつか必ず祖国を取り戻す。その時、イタリアには絶対に、この血の報いを受けさせる……! そのための力を、我々に貸していただきたい!」
日本の首脳陣は、悲痛なギリシャの叫びを静かに受け止めながら、腹の底で冷酷な地政学的計算を働かせていた。
「……イタリアは狡猾だ。今はソビエトへの盾として利用価値があるため、この世界大戦では『勝ち逃げ』を許すことになるだろう。しかし……戦後秩序において、ギリシャの怨念は、イタリアの喉元に突きつける『極上のナイフ』となる」
大日本帝国は、将来のヨーロッパの勢力図を見据え、ギリシャ亡命政府を自らの懐に温かく抱え込んだ。
独裁者ムッソリーニが目先の生存競争でギリシャを売り飛ばしたその代償は、遠い未来において、決して逃れられない強烈なカルマとなってイタリアに降り注ぐ運命を決定づけられたのである。
### 3.巨星墜つ――合衆国の死の淵(1943年5月22日)
そして、運命の1943年5月22日。
アメリカ合衆国・ホワイトハウス。
大統領執務室に一人残されたフランクリン・ルーズベルトの肉体は、長きにわたる戦争の重圧と、次々と舞い込む絶望的な報告によって、すでに生命の限界を超えようとしていた。
太平洋艦隊の消滅。ハワイの陥落と兵士たちの見殺し。
大西洋での戦艦群の轟沈。フランスで包囲された自国陸軍の飢餓。
そして何より、彼が最後にすがりついた自国の「裏庭」が、見渡す限りの赤に染め上げられたという現実。
「……なぜだ。我がアメリカは、世界で最も豊かで、最も強大な、民主主義の兵器廠であったはずだ……。なぜ、このようなことになってしまったのだ……」
ゼーゼーと苦しげな呼吸を繰り返しながら、ルーズベルトの脳裏に、開戦の日に掲げた「巨大な帝国主義への鉄槌」という傲慢な理想が過ぎ去っていく。
力で世界をねじ伏せようとしたアメリカの覇権主義は、大日本帝国とドイツの鋼鉄の意志に跳ね返され、そしてソビエトという見えない悪魔の毒によって、内側から完全に腐り落ちてしまった。
「……大統領! お薬の時間です!」
執務室に入ってきた側近が、車椅子の上で崩れ落ちているルーズベルトを見て、悲鳴を上げた。
「……あ、ああ……アメリ、カ……」
1943年5月22日、午後。
一年半にわたり、アメリカ合衆国を狂乱の世界大戦へと力ずくで引きずり込んだ最高指導者、フランクリン・ルーズベルト大統領が、極度の心労と脳溢血(あるいは心不全)により、その波乱に満ちた生涯を閉じた。
「大統領が……亡くなられた!」
この巨大な死の報告は、指導者を失い完全にパニックに陥っていたアメリカ政府の「政治的機能」を完全に停止させた。副大統領が急遽昇格したものの、燃え盛る世界大戦と裏庭の革命の火消しを同時に行うだけの統率力は、もはやワシントンの誰にも残されていなかった。
そして、この「アメリカという巨大な盾の消失」は、ヨーロッパで泥沼を泳ぎ続けていた同盟国たちに、容赦のない「最終判断」を下させる決定的な引き金となったのである。
### 4.老狐の牙――スペインのフランス侵攻(1943年5月28日)
ルーズベルト急死の報が世界を駆け巡ってから、わずか一週間足らず。
イベリア半島の主、スペインの独裁者フランコ将軍は、マドリードの総統府で、待ちに待った狩りの合図(狼煙)を確認した。
「……ルーズベルトが死んだ。アメリカは完全に麻痺し、もはやヨーロッパに介入する力は一ミリも残されていない」
フランコは、冷酷な目でヨーロッパの地図を見据えた。
「狩りの時間だ。瀕死の豚の喉笛を掻き切る」
1943年5月28日。
これまでフランスを「ドイツに対する肉の盾」として使い潰し、わざと中途半端な経済支援で生かさず殺さずの状態に置いていたスペインが、ついにその老獪な牙を剥き出しにした。
『我がスペイン国は、本日をもってフランス国との不可侵条約を完全に破棄し、新枢軸同盟からの離脱を宣言する!』
宣戦布告と同時。
ピレネー山脈の国境線と、地中海の海岸線から、完全に無傷で温存されていたスペイン陸軍の精鋭数十万が、フランス南部へと怒涛の勢いで雪崩れ込んだ。
「ス、スペイン軍が攻めてきたぞ!! 奴ら、裏切ったのか!!」
フランス中部の防衛線(ロワール川〜ヴィシー)でドイツ軍の進撃を必死に食い止めていたフランス軍は、突如として自らの「絶対安全な背後(南側)」から突き立てられた刃に、完全に恐慌状態に陥った。
「馬鹿な……! フランコめ、私を、この大フランスを裏切るというのか!!」
臨時首都マルセイユの政府庁舎で、ルクレール(新ナポレオン)は血を吐くような絶叫を上げた。
弾薬も食糧もなく、ドイツ軍に正面から押されているフランス軍に、背後から襲い掛かるスペインの無傷の大軍を防ぐ力など、残されているはずもなかった。
### 5.勝ち逃げの決断――イタリアの枢軸離脱(1943年5月29日)
そして、スペインの裏切りからわずか一日後。
地中海の向こう側、イタリアのローマでも、ムッソリーニが決定的な「泥舟からの脱出」を宣言していた。
「……フランスは終わった。アメリカも死んだ。これ以上、あの腐った同盟に付き合う理由はない」
1943年5月29日。
イタリア政府は、世界に向けて『枢軸同盟からの完全離脱』と、アメリカおよびフランスとの軍事協力関係の破棄を公式に発表した。
「総統! 我々もスペインに続いて、フランスの東側から侵攻しますか!?」
血気盛んな将校の問いに、ムッソリーニは冷や汗を拭いながら首を横に振った。
「馬鹿者! フランスの死体蹴りなど、スペインの老狐とドイツにやらせておけ。我々の背後には、あのギリシャを飲み込んだ『ソビエト赤軍』が、今まさにバルカン半島へ怒涛の勢いで押し寄せているのだぞ!」
ムッソリーニの判断は、極めて利己的でありながら、自国の生存戦略としては恐ろしいほどに正確であった。
彼は、大日本帝国やドイツとの極秘の単独講和工作を本格化させつつ、イタリア軍の全戦力を、フランスではなく「バルカン半島の対ソビエト要塞線(ニーシ〜ティラーナ線)」の防衛のみに全集中させたのである。
「我々は、ギリシャをソビエトにくれてやった。その代償として時間を稼ぎ、ドイツと共にこの赤い津波を食い止めるのだ! ……第二次世界大戦は、イタリアの『勝ち逃げ(生存)』で終わらせる!」
同盟国を次々と売り飛ばし、最も美味しい果実(中東・アフリカの一部権益と自国の保全)だけを抱え込んで、ムッソリーニは完全に自閉的な防衛体制へと引きこもった。
ギリシャ亡命政府の怨念が、未来のイタリアの首を真綿で絞めることになるとは、この時の彼は知る由もなかった。
### 6.エピローグ――新ナポレオンの孤独
1943年5月末。
アメリカという巨大なパトロンがルーズベルトの死と共に崩れ去った瞬間、世界を席巻した「新枢軸(アメリカ・フランス・イタリア・スペイン・トルコ)」という名の傲慢な同盟は、音を立てて完全に瓦解した。
スペインは背後から刃を突き立て。
イタリアはソビエトに怯えて引きこもり。
アメリカは国家の心臓発作で身動きが取れず。
トルコはシワスでの奇跡も空しく、赤軍の波に飲み込まれる寸前である。
「……誰も。誰も、私を助けないというのか……!」
臨時首都マルセイユの執務室で、ルクレールは一人、崩れゆくフランス帝国の幻影に手を伸ばしていた。
北と東からはドイツ国防軍が怒涛の進撃を再開し。
南と西からはスペイン軍が無慈悲な包囲網を縮めてくる。
国土の80%を失い、工業力を失い、同盟国を失い、軍の士気を失ったフランス。
「新ナポレオン」を自称し、イギリスに上陸して世界を支配しようとした男の夢は、いよいよその惨めで血塗られた最期の数週間へと、完全にカウントダウンを始めていた。
(第九章 第八話 完)
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