87.崩壊する大国と見捨てられた楽園――裏庭の赤化とハワイ放棄
# 海洋帝国日本史 第九章:赤きヒグマの台頭と新枢軸の崩壊
## 第五話:崩壊する大国と見捨てられた楽園――裏庭の赤化とハワイ放棄(1943年3月後半)
### 1.モンロー主義の死――ホワイトハウスの墓標(1943年3月下旬)
1943年3月下旬。
アメリカ合衆国の首都、ワシントンD.C.。
春の訪れを告げるポトマック川の桜が蕾をほころばせようとしていたが、ホワイトハウスの大統領執務室の中は、まるで冷たい墓底のような、息の詰まる絶望と死の気配に支配されていた。
「……アルゼンチンが、共産主義者の手に落ちただと? なぜだ。なぜ我が国の情報局は、自国の足元に潜り込んだ赤いネズミどもに気づかなかったのだ……!」
車椅子に深く沈み込んだフランクリン・ルーズベルト大統領は、土気色の顔で呻き、震える手で南アメリカ大陸の地図を握りつぶした。
ポリオの後遺症と異常な高血圧は彼の肉体を限界まで蝕んでいたが、それ以上に彼の精神を破壊したのは、建国以来アメリカが何よりも固執してきた**『モンロー主義(アメリカ大陸への他国の不干渉)』が、内側から完全に粉砕された**という事実であった。
「……ソビエトKGBの工作員たちが、何ヶ月も前から南米の労働組合や左派ゲリラに資金と武器を流し込み、革命の扇動を行っていたのです。我々が、ヨーロッパの泥沼とハワイの防衛にすべての目を奪われている、その盲点を完璧に突かれました」
国防長官が血の気のない唇を震わせながら報告する。
南米大陸の最南端、アルゼンチン。
そこで産声を上げた親ソビエトの**『アルゼンチン人民共和国』**の存在は、単なる一国の政変ではない。それは、ソビエト連邦という世界最悪の赤い悪魔が、アメリカ合衆国の柔らかい下腹部に、巨大な「共産主義の橋頭堡」を直接打ち込んだことを意味していた。
「...軍を出せ。直ちに海兵隊をブエノスアイレスに上陸させ、アカの反乱軍を一人残らず皆殺しにして、親米政権を打ち立てるのだ!」
ルーズベルトは血走った目で絶叫したが、その声は空虚に執務室に響くだけであった。
### 2.麻痺する巨獣――無き艦隊と袋のネズミ
統合参謀本部の将軍たちは、誰一人として大統領の命令に「イエス」と答えることができなかった。
重苦しい沈黙の後、海軍作戦部長のキング提督が、絞り出すように口を開いた。
「……大統領。アルゼンチンに派兵するための『船』が、我が国には一隻も残されておりません」
その言葉は、アメリカ合衆国という無尽蔵の工業力を誇る超大国が、完全に「戦略的な機能不全」に陥っていることを示す、死の宣告であった。
「……我が国の太平洋艦隊は、ハワイ沖、アイルランド沖で全空母、全戦艦を失いました。駆逐艦や軽巡洋艦すらもハワイエクスプレスやドイツへの護送船団への派兵で多く失っています。……我が国は現在、二つの大洋はおろか、メキシコ湾の安全すら自力で確保できない状態なのです。確かに重巡洋艦はサンディエゴとノーフォークに数隻残存していますが、これを派遣し沈んだ暁には米海軍は再建不能となります。」
戦時量産型の粗悪な輸送船(リバティ船)は次々と建造されていたが、それを護衛する駆逐艦も、制海権を握る戦艦も空母も、すべて海の底であった。人員の不足も絶望的であり、熟練の船乗りはUボートの犠牲となってすでにこの世にいなかった。
「ではどうするというのだ! 我が国は数百万の陸軍を持っているというのに、南米の反乱一つ鎮圧できないとでも言うのか!」
「……お言葉ですが、その陸軍の主力は、ヨーロッパのフランスで弾薬不足に喘ぎ、中東のアラビアで帰還方法をなくし、そしてアイルランドという孤島で完全に袋のネズミとなっております」
アメリカは、強大すぎたがゆえに、世界中に自らの手足を伸ばしすぎていた。
そして、その手足を繋ぐ「血管(海軍と輸送船団)」を、大日本帝国とドイツに完全に切断されてしまったのである。
巨体を持つがゆえに、血液が回らなくなり、自らの重みで身動きが取れなくなる巨大な獣。それが、1943年春のアメリカ合衆国の真の姿であった。
「アルゼンチンの革命は、必ず北上してきます。チリ、コロンビア、ペルー……南米全土が赤化するのも時間の問題です。……大統領、もはや我が国に、海外の領土や他国の戦争にかまけている余裕は、一ミリも残されておりません」
マーシャル陸軍参謀総長が、冷徹な現実を突きつけた。
「国家の心臓(本土)を守るため。……決断を」
### 3.大動脈の切断――『ハワイ・エクスプレス』の終焉
ルーズベルトは、呼吸器系の発作を起こしたかのように胸を掻き毟り、その目から屈辱と絶望の涙を流した。
「……見捨てろと言うのか。あの島で、我が国のために血を流している若者たちを」
「西海岸の要塞化と、本土迎撃作戦に全資源を集中させなければ、次はカリフォルニアに赤い旗が立ちます。……太平洋の防波堤は、すでに決壊したのです」
1943年3月末。
アメリカ合衆国政府は、国家の生き残りを懸けた、最も血なまぐさく、そして最も冷酷な決断を下した。
**『ハワイ諸島防衛のための、一切の補給および増援作戦の完全停止』。**
それは、太平洋の覇権を諦め、アメリカ合衆国が北米大陸という「巨大な要塞(引きこもり)」へと完全に移行することを意味していた。
西海岸では、サンフランシスコ砲撃の恐怖も冷めやらぬ中、突貫工事でコンクリート製の巨大なトーチカと沿岸砲台が築かれ始めた。
しかし、この本土防衛へのシフトが意味するものは、太平洋の絶海に取り残された数万のアメリカ兵への「公式な死刑執行」に他ならなかった。
### 4.見捨てられた楽園――ハワイ島の絶望
ハワイ諸島最大の島、ハワイ島。
マウナ・ロアやキラウエアといった活火山の荒々しい溶岩大地が広がるこの島で、オアフ島とマウイ島が陥落した後も、アメリカ陸軍の残存守備隊は狂気じみた徹底抗戦を続けていた。
「……弾薬を節約しろ! ジャップの海兵隊がまた上陸を仕掛けてくるぞ!」
灼熱の火山灰と、皮膚を焼き焦がすような熱帯の太陽。
オアフ島のように深く複雑なジャングルや地下壕を掘ることが難しいこの火山島において、アメリカ兵たちは文字通り「溶岩の岩陰」に身を潜めながら、海から押し寄せる大日本帝国の猛攻に耐え忍んでいた。
「司令官! 本土からの無線通信が傍受されました! ハワイ・エクスプレスの輸送船団は、いつ到着するのですか!?」
泥と血と汗にまみれた若い兵士が、無線の暗号紙を握りしめる司令官にすがりついた。
司令官の目は、すでに死人のように虚ろであった。
彼は、震える手でその暗号紙を握りつぶし、溶岩の熱風が吹く海を見つめた。
「……船は、来ない」
「え……?」
「ワシントンからの最終命令だ。……我が軍は、ハワイを戦略的に放棄する。残存部隊は、各個の判断において、ジャップの軍門に降るか、あるいは……」
その言葉の意味を理解した瞬間、前線の兵士たちの間に、言葉にできないほどの巨大な絶望と虚無感が広がった。
「……嘘だろ。俺たちは、本土の家族を守るために、こんな地獄の釜の底で戦ってきたんだぞ……!」
自分たちは、本土の時間を稼ぐための「捨て石」ですらなかった。
ただ無計画に大洋の真ん中に放置され、弾薬も食糧も与えられず、国家から「あとは勝手に死んでくれ」と切り捨てられただけの、ただの肉の塊であった。
「うわぁぁぁぁぁっ!!」
絶望に発狂した兵士が、銃を乱射しながら海へ向かって走り出し、直後に帝国軍の艦砲射撃によって赤い肉片となって吹き飛んだ。
### 5.帝国の旭日――太平洋の絶対国防圏の完成
「……ヤンキーどもの砲撃が、完全に止んだぞ」
沖合に展開する帝国海軍の艦上から、双眼鏡でハワイ島の海岸線を観察していた将校が呟いた。
弾薬が完全に枯渇し、国家に見捨てられたという「精神的な背骨」を完全にへし折られたアメリカ守備隊に、もはや抵抗する気力は1ミリも残されていなかった。
数日後。
ハワイ島の海岸に、ボロボロの白いシャツを木の枝に結びつけたアメリカ兵たちが、次々と亡霊のように姿を現し、砂浜に崩れ落ちた。
1943年4月(※次話への接続)。
大日本帝国は、ついにハワイ島を含むハワイ諸島全域の「完全制圧」を完了させた。
真珠湾に帝国連合艦隊の巨大な艦列が錨を下ろし、ホノルルの総督府では、王女を戴くハワイ臨時政府が、大東亜共栄圏の新たな一員として、アメリカの圧政からの解放を声高らかに宣言した。
大日本帝国は、太平洋のど真ん中に「絶対に破られることのない、鋼鉄の絶対国防圏」を完成させたのである。
### 6.エピローグ――崩壊の連鎖はアジアへ
1943年3月が終わりを告げようとしていた。
アメリカ合衆国は、自らの覇権主義の代償として、南米の裏庭に「共産主義」という消すことのできない猛毒を注入され、恐怖とパニックの中で太平洋の要衝を切り捨てた。
世界最強の工業国家は、その巨体を内側から腐らせ、完全に自閉的な要塞へと引きこもる準備を始めていた。病魔に蝕まれるルーズベルトの命の灯火も、風の前の塵のごとく揺らいでいる。
そして、世界の勢力図が根底から覆るこの巨大な地殻変動は、決してアメリカ大陸だけで終わるものではなかった。
アメリカという巨大なパトロン(支援者)が機能を停止したことで。
その資金と武器に完全に依存していた、アジアの「ある巨大な軍事政権」が、音を立てて崩壊の時を迎えようとしていたのである。
舞台は、太平洋から再びユーラシア大陸の東端――**中国大陸**へ。
四分五裂する広大な黄土の大地で、新たな軍閥と、大日本帝国のインテリジェンスが、中華の歴史を無惨に叩き割る『北中華連邦』の建国劇が、今まさに幕を開けようとしていた。
(第九章 第五話 完)
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