74.巨竜の覚醒と赤いヒグマの影――ハワイへの布石
# 海洋帝国日本史 第八章:泥濘と狂乱の1942――崩れゆく世界と新たな火種
## 第四話:巨竜の覚醒と赤いヒグマの影――ハワイへの布石(1942年7月)
### 1.熱砂の完全支配――枢軸の偽りの勝利(1942年7月上旬)
1942年7月。
ヨーロッパにおいてアメリカ陸軍とフランス軍が泥沼の防衛戦に足を踏み入れ、イギリス本土で新鋭戦車の前にシャーマンが鉄くずと化していたその頃。
世界で唯一、枢軸陣営(米仏伊)が「圧倒的な勝利の美酒」に酔いしれていた場所があった。
中東・アラビア半島、およびアフリカ大陸である。
「……見渡す限り、我々の領土だ。砂漠の底に眠る黒い黄金(石油)は、すべてアメリカと新ローマ帝国のものとなった!」
パレスチナ方面でトルコ軍と泥沼の戦闘を続けるイタリア軍を尻目に、アメリカ陸軍の強力な機甲師団は、アラビア半島の広大な砂漠を南下し、現地の武装勢力や残存する英軍拠点を次々と粉砕していった。
さらにアフリカ大陸においても、フランスの軍勢が、イギリス軍の抜けた巨大な力の空白地帯を文字通り「塗り絵」のように自国の領土へと染め上げていた。
7月15日。
「閣下、アラビア半島全土の制圧を完了。さらにアフリカ大陸における連合国側の拠点は、事実上すべて消滅いたしました」
ワシントンD.C.のホワイトハウスで報告を受けたルーズベルト大統領は、ヨーロッパと北海での苦戦の鬱憤を晴らすかのように、葉巻の煙を深く吐き出した。
「素晴らしい。これで我々は、世界最大の資源地帯を手に入れた。イギリスは完全に干上がり、ドイツの戦車もいずれ動けなくなるだろう。……あとは、太平洋の忌まわしき極東の猿どもを、ハワイの海に沈めるだけだ」
アメリカは、この中東とアフリカの完全制圧により「資源戦争において絶対的な優位に立った」と確信していた。
しかし、彼らは気づいていなかった。その広大な砂漠の支配が、極めて薄氷の上に成り立つ砂上の楼閣に過ぎないこと。そして何より、彼らが中東とヨーロッパに全力を注いでいるその「隙」を、地球上で最も恐ろしい『赤いヒグマ』が、虎視眈々と狙っていたことに。
### 2.巨竜の産声――大和型三番艦『駿河』(1942年7月中旬)
中東の熱砂から遥か東。
大日本帝国・瀬戸内海、呉の海軍工廠。および横須賀の巨大ドック。
そこには、前年12月の開戦劈頭(横須賀奇襲とトラック沖夜戦)において、『武蔵』をはじめとする六隻もの戦艦を失うという未曾有の大出血を強いられた帝国海軍の、執念と怒りの結晶がそびえ立っていた。
「……見ろ。これが、大日本帝国が世界に誇る最強の矛だ」
ドックの巨大なゲートが開き、夏の眩しい陽光の下へ、文字通り「山が動く」かのような威容を現した鋼鉄の巨獣。
大和型戦艦・三番艦**『信濃』**、四番艦**『駿河』**
一番艦『大和』の戦訓を取り入れ、さらに装甲防御と対空火力を極限まで強化されたこの艦は、喪失した『武蔵』の魂を受け継ぐ、帝国海軍の新たな絶対的象徴であった。
全長263メートル、満載排水量七万トン超。その巨大な艦首には、人類史上最大の破壊力を持つ46センチ(18.1インチ)三連装主砲塔が、圧倒的な威圧感を放って天を睨んでいる。
「駿河だけではない。遅延していた新鋭空母二隻も、ついに就役の準備が整いました」
将校が指差す先には、最新鋭のカタパルトと装甲飛行甲板を備えた、見事な大型航空母艦が二隻『白鷺』『黒鷺』、真新しい軍艦旗をはためかせていた。
「これで、開戦初頭の穴はある程度埋まった。いや、戦力としてはあの時以上の『化け物揃い』だ」
軍令部の将将たちは、並び立つ巨大な艦列を見渡し、冷たく、そして狂暴な笑みを浮かべた。
生き残った第一航空艦隊の歴戦の空母群、戦艦大和と駿河を中心とする第一戦隊、そして極限まで練度を高めた水雷戦隊と潜水艦部隊。そしてまだまだこれから竣工する空母は多くあった。(戦艦は沈められなければ駿河で終了。)
「……目標は、ハワイ・真珠湾。ヤンキーどもが要塞化を進めているあの島を、我が帝国海海兵隊と共に『直接』奪い取る」
帝国陸軍と海軍は、かつてない規模の共同作戦(ハワイ攻略作戦)の立案を完了させていた。
「太平洋のど真ん中で、アメリカの太平洋艦隊に引導を渡す。帝国連合艦隊、出撃準備にかかれ!」
### 3.星条旗の防波堤――ハワイ要塞化と決戦の予感
大日本帝国が巨大な牙を研いでいることは、太平洋の波を越えて、アメリカの首脳部にもひしひしと伝わっていた。
ハワイ・オアフ島、真珠湾。
かつてののどかな南国の楽園は、今やコンクリートと鉄条網、そして無数の対空砲座に覆い尽くされた「太平洋最大の要塞」へと変貌していた。
「ジャップは必ず来る。ミッドウェーを足がかりにして、このハワイを直接狙ってくるぞ!」
太平洋艦隊の司令長官は、血走った目で海図を睨みつけていた。
アメリカもまた、ただ怯えていたわけではない。
大西洋艦隊から強引に引き抜いてきた空母『レンジャー』をはじめ、大急ぎで建造を前倒しして完成させたエセックス級の新鋭空母群、そして修復を終えた『レキシントン』『サラトガ』など、彼らも持てる海軍力のすべてをこのハワイに集結させていた。
「ヨーロッパへ陸軍を送っている場合ではない! ハワイが落ちれば、西海岸が直接火の海になるのだぞ!」
「大統領にはすでに進言している! しかし、ヤンキーの意地として、今さらヨーロッパの戦線から兵を引くことはできんのだ!」
アメリカは、二正面作戦の圧倒的な重圧に悲鳴を上げていた。
無尽蔵の工業力を持つとはいえ、陸軍の主力をヨーロッパと中東に展開し、海軍の主力を大西洋の対Uボート護衛と太平洋のハワイ防衛に完全に二分されるという現実は、アメリカという巨大な国家の血管を内側から破裂させんばかりに膨張させていたのである。
1942年夏。
太平洋には、嵐の前の不気味なほどの「静寂」が漂っていた。
日米両軍の巨大な艦隊が、互いの喉元を食い破るため、ハワイ周辺海域という「死のリング」へと静かに歩みを進めようとしていた。
### 4.這い寄る赤い影――ユーラシアの静かなる赤化(1942年7月下旬)
しかし、世界が「ヨーロッパの泥沼」と「ハワイの決戦」という二つの巨大な火薬庫に完全に目を奪われているその隙に。
地球上で最も広大な領土を持つ「北の巨人」が、音もなく、そして致命的な一手を打っていた。
ソビエト連邦の首都、モスクワ。クレムリン宮殿。
分厚い葉巻の煙が漂う執務室で、独裁者ヨシフ・スターリンは、ユーラシア大陸の巨大な地図を見下ろして、その口髭を満足げに歪めた。
「……アメリカの愚か者どもは、砂漠の石油とヨーロッパの泥沼に夢中だ。日本はハワイに全力を注ぎ、イギリスとドイツは自国の防衛で手一杯。……見事なものだ。世界は今、我々ソビエト連邦に対して『完全に背中を見せている』」
スターリンの冷酷な瞳が、地図のアジア内陸部――**中央アジア、モンゴル、チベット、そしてウイグル(新疆)**に向けられた。
「……赤軍を動かせ。銃弾を一発も撃つ必要はない。『保護』という名目で、静かに飲み込むのだ」
1942年7月下旬。
世界大戦のニュースが新聞の紙面を占める中、ソビエト赤軍の巨大な機械化部隊が、内陸アジアの広大な平原と山岳地帯へと、音もなく進駐を開始した。
イギリス帝国が中東とインドの防衛で手一杯であり、中国が四分五裂して内戦状態にある今、この広大なアジアの内陸部には「力の空白」が広がっていた。
ソビエト軍は、現地の軍閥や指導者たちに莫大な賄賂と脅迫を交え、事実上の無血開城を強要した。
「抵抗すれば、ヨーロッパでアメリカがやっているように、貴様らの街を絨毯爆撃で灰にするぞ」
圧倒的な武力と冷酷な恫喝の前に、中央アジアの諸都市やチベットのポタラ宮に、次々と「鎌と槌の赤い旗」が掲げられていった。
アメリカと枢軸国が、血みどろになってアフリカや中東の砂漠を奪い合っている間に。
ソビエト連邦は、ユーラシア大陸の心臓部を、誰にも気づかれることなく、そして一滴の血も流すことなく、完全に「赤色」に染め上げてしまったのである。
### 5.後背地の工作――中南米の暗躍
さらに、スターリンの「見えない侵略」は、ユーラシア大陸だけにとどまらなかった。
「……アメリカの裏庭に、火を放て」
スターリンの密命を受けた、ソビエト内務人民委員部(NKVD、後のKGB)の冷酷な諜報員たちが、工作船や中立国の商船に紛れ込み、次々と**中南米**へと上陸を果たしていた。
彼らの目的は、アメリカ軍との直接戦闘ではない。
長年アメリカの巨大資本(ユナイテッド・フルーツ社など)に搾取され、貧困に喘いでいる中南米の労働者や農民たちの心に、「共産主義革命」という名の猛毒を注入することであった。
「ヤンキーどもは、君たちの血と汗を啜って戦争をしている! 立ち上がれ、労働者諸君! 真の自由を、アメリカ帝国の手から奪い取るのだ!」
アルゼンチン、ブラジル、チリ、パナマ。
ソビエトからの秘密裏の資金援助と武器の供与を受けた現地の左派ゲリラや労働組合が、一斉に武装蜂起の準備を整え始めた。
アメリカ合衆国は、ヨーロッパや太平洋の彼方で戦争をしているつもりであったが、その足元の「絶対的な安全地帯」であるはずの後背地(裏庭)に、巨大な時限爆弾がいくつも仕掛けられていることには、全く気づいていなかったのである。
### 6.エピローグ――静寂の終わり
1942年7月末。
パックス・ジャポニカの誇る巨大戦艦『駿河』と新鋭空母群が、ハワイを目指して静かに抜錨した。
アメリカ太平洋艦隊もまた、生き残りを懸けて真珠湾で決戦の陣形を整えている。
ヨーロッパでは、日米の新型戦車が火花を散らし、泥沼の消耗戦が続く。
そして、ユーラシアの奥深くで、ソビエトの赤いヒグマが巨大な腹を満たし、冷たい目で次なる獲物を物色していた。
世界のパワーバランスが、音を立てて崩れようとしている。
そして迎える1942年8月。
この不気味な静寂を最初に切り裂くのは、ヨーロッパの大砲でも、ハワイの爆撃機でもなかった。
それは、アメリカ国民が絶対に安全だと信じて疑わなかった西海岸の沖合に、突如として浮上する「極東の深海の狩人」たち。
アメリカ本土への直接砲撃という、ルーズベルトを狂乱の底に突き落とす、未曾有のパニックの始まりであった。
(第八章 第四話 完)
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