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49.沈黙の機動部隊と、驕れる平和

海洋帝国日本史 

第五章:沈みゆく鷲と赤い星(1920〜1941)


第十四話:沈黙の機動部隊と、驕れる平和(1941)

1.新オレンジ計画――紙の上に描かれた狂気

1941年(昭和16年)、秋。

ワシントンD.C.、アメリカ海軍省ビル地下の極秘作戦室。

分厚い鋼鉄の扉で閉ざされたこの密室の中で、数十枚の手書きの海図と作戦命令書が、数名の最高幹部たちの間を無言で行き交っていた。

「経済封鎖は、彼らの防波堤の前に完全に無力化された。もはや、我々に残された道は一つしかない」

海軍作戦部長が、かすれた声で静寂を破った。

「帝国軍の主力がフィリピンや南洋で待ち構えているという前提をすべて捨てる。我々が叩くべきは、彼らの手足ではない。……帝国の心臓、そのものである」

机の上に広げられた海図には、アメリカ海軍が長年温めてきた対日戦争計画「オレンジプラン」を根底から覆す、狂気の**「新オレンジ計画(帝都奇襲・元首暗殺作戦)」**の全貌が描かれていた。

「作戦の第一段階。ハワイの真珠湾パールハーバーおよび周辺海域において、大規模な『太平洋艦隊の演習』を実施する。ただし、これに参加するのは、第一次大戦型の旧式戦艦群と、偽装した商船団のみだ」

作戦担当将校が、ハワイ周辺を指差した。

「彼らには、通常の三倍の頻度で無電(無線交信)を交わさせる。日本の強力な暗号傍受網に対し、『アメリカ艦隊はハワイで訓練中であり、太平洋の東側に留まっている』という偽のデータ(幻影)を食わせるのだ」

「そして、作戦の第二段階。真の主力(第一撃部隊)の動きだ」

将校の指が、ハワイから遠く離れた、誰も通らないような北太平洋の荒れ狂う極寒の海域をなぞり、日本列島へと真っ直ぐに伸びた。

「完全な無線封止を行った**米海軍機動艦隊(正規空母六隻、新鋭高速戦艦六隻)が、アリューシャン列島南方の濃霧に紛れて一気に南下する。目指す発艦ポイントは、帝国の首都・東京の喉元……『千葉県南方沖(房総半島沖)』**である」

作戦部長は、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「発艦した数百機の艦載機部隊は、日本のレーダー網を掻い潜るため、海面スレスレの超低空飛行で関東平野へ突入する。目標は三つ。帝国海軍の心臓部である『横須賀海軍基地および海軍工廠』。政治の中枢である『霞が関官庁街』。そして……」

将校たちの顔に、冷や汗が流れた。

「最大の目標は、東京・江戸城(将軍府)の爆撃。……日本帝国の最高権力者である将軍(徳川家晴)の命を直接奪い、指揮系統を完全にパニックに陥らせる『斬首作戦』である」

それは、近代国家同士の戦争においてタブーとされてきた、国家元首の直接暗殺を伴うテロリズム的な奇襲計画であった。アメリカは、それほどまでに追い詰められていたのである。

「さらに、帝国の防波堤を内側から崩すため、二つの陽動作戦を同時並行で実施する」

海軍情報局(ONI)の将校が付け加えた。

「一つ。ミッドウェー基地から長距離爆撃機(B-17)を限界ギリギリの航続距離で発進させ、南洋の要衝である**『虎玖トラック軍港』へ奇襲爆撃を行う。二つ。帝国海軍のもう一つの造船拠点である『くれ海軍工廠』**に対し、潜水艦から軍の特殊部隊を極秘裏に潜入させ、ドックと発電施設に対するゲリラ破壊工作を実施する」

航空機による帝都斬首、爆撃機による南洋牽制、そして特殊部隊による国内テロ。

すべてが紙と万年筆だけで立案され、タイプライターのインクすら使われなかったこのアナログの狂気は、日本の情報網の「盲点」を完全に突き、静かに、そして確実に実行のフェーズへと移行しつつあった。


2.大英帝国の憂鬱――ホワイトホールの警鐘

しかし、パックス・ジャポニカの誇る防壁の向こう側で、このアメリカの「不自然な動き」に神経を尖らせている別の巨大な眼が存在した。

同盟国・大英帝国の首都ロンドン、ホワイトホール。

**MI6(秘密情報部)**の本部である。

「……ワシントンの動きが、どうにも腑に落ちませんな」

MI6の長官は、首相官邸でウィンストン・チャーチル(あるいはそれに相当する強硬派首相)に対し、極秘の分析報告を行っていた。

「日本の情報総局は、『アメリカの太平洋艦隊はハワイで訓練中であり、電波情報に異常なし』と判断しているようです。しかし、我がMI6の通信解析班は、ハワイから発信されているアメリカ海軍の電波に、奇妙な『癖』を発見しました」

長官は、解析波形のグラフをテーブルに広げた。

「通信の『量』は、確かに全艦隊がそこにいるかのような膨大なものです。しかし、モールス信号を打つ通信士オペレーターの『打鍵のフィンガープリント』を解析した結果……熟練の航空母艦の通信士たちの波形が、ここ数週間、完全に消失しているのです」

チャーチルの太い眉が、ピクリと動いた。

「つまり、アメリカの空母群はハワイにはいない、ということか?」

「ええ。旧式艦と商船に無電を打たせている『偽装』の可能性が極めて高い。……アメリカは、同盟国(日本)に対して、全空母を投入した大規模な奇襲攻撃を仕掛けるつもりです」

チャーチルは、深く、重い溜息をつき、葉巻の煙を燻らせた。

「ルーズベルトの奴め、ついに狂ったか。自らの経済の失態を誤魔化すために、眠れる巨大な竜(日本)の尾を踏むとは」

イギリス政府にとって、この状況は極めて憂鬱なものであった。

「永遠なる日英同盟」が結ばれている以上、日本がアメリカと開戦すれば、イギリスも自動的に対米戦争に引きずり込まれることになる。さらに、この開戦のタイミングを狙って、ヨーロッパで蠢く「新枢軸」の残党――ルクレール率いるフランスと、ムッソリーニのイタリアが、牙を剥いてくることは明白であった。

「……戦争の連鎖ドミノが始まるぞ。舞台は太平洋から始まり、必ずこのヨーロッパへと飛び火する」

チャーチルは、窓の外のロンドンのどんよりとした空を見上げた。

海軍本部アドミラルティに伝えよ。地中海艦隊と本国艦隊に、最高レベルの戦争準備スタンド・トゥを下達しろ。フランスとイタリアの艦隊が動いた瞬間、先制攻撃で奴らを海の底へ沈める準備を整えよ。……大英帝国は、決して二度も不意打ちは食らわん」

海の向こうの同盟国が、奇襲の危機に晒されている。

しかし、大英帝国とて自国の防衛で手一杯であり、広大な太平洋のどこに潜んでいるかもわからないアメリカの空母群を、日本に代わって探し出すことは不可能であった。

世界は、誰も止めることのできない巨大な滝壺へと、猛烈な速度で引きずり込まれようとしていた。


3.北太平洋の亡霊――沈黙の進軍

1941年、冬。

北太平洋、アリューシャン列島南方海域。

荒れ狂う波と、視界を完全に奪う濃霧の中を、巨大な鋼鉄の塊が、一切の光と音を殺して南下していた。

米海軍機動艦隊・第一撃部隊。

空母『エンタープライズ』『レキシントン』『サラトガ』『ヨークタウン』『ホーネット』『ワスプ』の六隻と、それに随伴する新鋭高速戦艦群である。

「無線封止、継続中。周囲に日本の哨戒船の影はありません」

空母エンタープライズの艦橋で、ハルゼー提督(あるいは作戦司令官)は、凍りつくような海風を顔に受けながら、双眼鏡で濃霧の先を睨みつけていた。

艦隊は、無線はおろか、艦内放送すら極力制限し、夜間はタバコの火一つ点けることすら厳禁とされていた。

もしここで日本の潜水艦に発見され、一報を打たれれば、本土から無数の装甲空母と陸上爆撃機が飛来し、艦隊は日本の土を踏む前に海の底へと沈められる。

それは、文字通り「薄氷を踏む」ような、絶望的な緊張感の連続であった。

(日本の連中め、自分たちの防波堤(絶対国防圏)と情報網を過信しているはずだ。我々が、まさか北の極寒の海から、直接彼らの心臓(東京)を狙ってくるとは夢にも思っていまい)

発艦ポイントの「千葉県南方沖」まで、あと数日。

アメリカの若きパイロットたちは、揺れる空母の待機室で、目標である「江戸城(将軍府)」と「横須賀軍港」の模型を何度も確認し、血を吐くような緊張の中で出撃の時を待っていた。

彼らの背負う爆弾が、世界の歴史を永遠に変える引き金となることを、誰もが痛いほど理解していたのである。


4.驕れる平和――帝国の心臓、横須賀

その頃。

アメリカ艦隊が目標とする日本帝国の心臓部、横須賀海軍基地。

そこは、北太平洋の殺気立った暗雲とは対照的に、雲一つない抜けるような冬晴れの空の下、信じられないほどの「平和と弛緩」に包まれていた。

「万歳! 帝国海軍万歳!」

軍港を囲む丘の上には、小旗を振る無数の市民の姿があった。

この日、横須賀軍港では、帝国海軍が極秘裏に建造を進めていた世界最大の超弩級戦艦**『武蔵』**の、大々的な就役式典(あるいは観艦式)が執り行われていたのである。

港の中央には、基準排水量六万トンを超える巨大な鋼鉄の城『武蔵』が、誇り高く日章旗と軍艦旗をなびかせて停泊している。その隣には、長門型戦艦の二番艦**『陸奥』**が、美しいシルエットを見せて静かに錨を下ろしていた。

さらに、軍港の奥の巨大なドライドックには、第一航空艦隊の旗艦である**航空母艦『赤城』**が、飛行甲板の拡張と近代化改修工事のためにスッポリと収まっていた。

足場が組まれ、工員たちが無数の火花を散らしながら溶接作業を行っている『赤城』は、現在、海に浮かぶことすらできない完全に無防備な状態であった。

軍港の士官クラブでは、白いマフラーを巻いた航空隊の若き士官たちや、第一種軍装に身を包んだ将校たちが、熱燗の日本酒を傾けながら談笑していた。

「ルーズベルトの奴、石油を止めたくらいで我が帝国が屈するとでも思っているのか。滑稽な話だ」

「全くだ。我々には南洋の備蓄がある。アメリカの太平洋艦隊など、ハワイから一歩でも西へ出てくれば、我が無敵の潜水艦隊と装甲空母群が、ハエのように叩き落としてくれるわ」

彼らの顔に、危機感や緊張の色は微塵もなかった。

それもそのはずである。横須賀は、パックス・ジャポニカの「内地の中の内地(絶対的な本土)」である。

広大な太平洋には、南洋道ミクロネシアの島々が幾重にも防波堤として連なり、そこにはレーダーと哨戒機が目を光らせている。アメリカの艦隊が、それらの防衛網をすべて素通りして、本土へ直接攻撃を仕掛けてくるなどというシナリオは、彼らの常識ドクトリンの中には全く存在していなかった。

「上様(将軍)がおわす帝都の空を、敵機が飛ぶことなどあり得んよ。我々は、このまま盤石の態勢で、アメリカが経済的に自滅するのを高みの見物と洒落込めばいいのだ」

士官の笑い声が、平和な午後の軍港に響き渡った。

彼らは知らなかった。

情報の防壁を過信した結果生じた「アナログの死角」から、すでにアメリカの巨大な刃が、自分たちの喉元数センチにまで迫っていることを。

そして、この抜けるような青空が、間もなく数千発の爆弾と、黒煙と、引き裂かれるような悲鳴によって、文字通りの地獄絵図へと変わることを。


5.エピローグ――静寂の終わり

1941年12月X日。

真冬の冷たい海風が、横須賀の軍港と、帝都・東京の摩天楼を吹き抜けていく。

江戸城(将軍府)の奥深くでは、秘密情報部の長官が、未だ掴めぬアメリカの「見えない影」に焦燥感を募らせ、胃を痛めながら書類の山と格闘していた。

大英帝国のチャーチルは、地中海への先制攻撃のタイミングを計り、時計の針を睨みつけていた。

中国大陸では、泥沼の戦場に雪が降り積もり、ソビエトのスターリンはクレムリンの窓から不気味な笑みを浮かべていた。

そして、千葉県南方沖の荒れ狂う波の上。

無線を完全に切った六隻の巨大なアメリカの航空母艦が、ついに風上へとその巨体を回頭させた。

「……全機、発艦(Launch all planes)!」

ハルゼー提督のくぐもった号令と共に、空母の飛行甲板から、星のマークを描いたドーントレス急降下爆撃機とデバステーター雷撃機、そしてワイルドキャット戦闘機の大群が、轟音と共に次々と鉛色の空へ飛び立っていく。

機体は海面スレスレの超低空を這うように飛び、日本のレーダー網の下を抜け、一直線に関東平野へと殺到していった。

人類の歴史が、永遠に分岐する瞬間。

日米の全面衝突。そして、それが引き金となって連鎖的に爆発する、ヨーロッパでの英仏伊の激突。

パックス・ジャポニカの誇った「黄金の防波堤」が、血と鉄の嵐によって試される時が、ついにやってきたのである。

(第五章 第十四話 完)






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― 新着の感想 ―
AIにすら扱き下ろされる禁じ手(宣戦布告無しの国家元首抹殺)を21世紀にやった国がいるらしい… なんで現実さんはフィクションを悠々と凌駕していくんですかねぇ!?
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