45.新ナポレオンの誕生と孤狼の嘲笑
海洋帝国日本史
第五章:沈みゆく鷲と赤い星(1920〜1941)
第十一話:新ナポレオンの誕生と孤狼の嘲笑(1935年)
1.恐怖が産み落としたカリスマ――パリのクーデター
1935年。ヨーロッパ大陸の西端、フランス共和国・パリ。
かつて「光の都」と称賛されたこの街は、絶望と怨嗟のどん底にあった。
東では、日本の莫大な資金援助(借金肩代わり)によって息を吹き返したドイツ(ヒトラー)が、猛烈な勢いで再軍備を進め、ラインラントへと進駐していた。
海を隔てたイギリスは、日本帝国と共に「円・ポンドブロック」という黄金の防壁に引きこもり、フランスの経済的・軍事的なSOSを冷酷に黙殺した。
「我々は、イギリスと日本に見捨てられた! ドイツの軍靴が、再びシャンゼリゼ通りを踏みにじろうとしているのに、無能な政府はただ震えているだけだ!」
失業者が溢れ、共産党と極右勢力が路上で血みどろの市街戦を繰り広げる中、第三共和政の弱腰な政治家たちは完全に国民の信用を失っていた。
その極限の恐怖と混乱の空白に、一人の男が滑り込んだ。
フランス陸軍の若き英雄、アレクサンドル・ルクレール将軍である。
「フランス国民よ。腐りきった政治家どもをセーヌ川へ投げ捨てよ。我々を救うのは、イギリスの慈悲でも、アメリカのドルでもない。我々自身の『鉄の意志』である!」
1936年、ルクレールは軍の一部を率いてパリに入城。熱狂する市民と兵士たちに推戴される形で無血クーデターを成功させ、自らを「国家主席(事実上の終身独裁者)」とする新政府を樹立した。
彫りの深い精悍な顔立ち、扇動的な演説、そして軍事的な天才。
国民は彼の中に、かつて全ヨーロッパを震え上がらせた偉大なる皇帝の面影を見た。
**「新ナポレオン」**の誕生である。
2.ルクレールの新体制――制限なき陸軍の肥大化
権力を掌握したルクレールが最初に着手したのは、崩壊した国内経済の立て直しであった。
彼は、海の向こうのルーズベルト(アメリカ)が始めたニューディール政策を徹底的に模倣し、さらにそれを軍国主義的に先鋭化させた。
「すべての失業者を、国営の軍需工場とインフラ建設に動員せよ!」
ルクレールは、国家の全資本を投じて巨大な公共事業を開始した。しかし、彼が造ったのはダムや公園ではない。ドイツ国境にそびえ立つ難攻不落の巨大要塞群「マジノ線」の大拡張と、**「世界最大規模の陸軍」**の創設であった。
「ワシントン海軍軍縮条約は、戦艦の数を制限した。だが、陸軍の戦車と大砲の数に制限はない! イギリスと日本が海を支配するなら、我々フランスは大陸を圧倒する『無敵の陸軍』を創り上げるのだ!」
ルクレールの号令の下、フランス全土の工場は戦車と野砲の生産ラインへと切り替えられ、数百万人の若者が徴兵された。
経済は一時的に息を吹き返し、失業率は劇的に改善した。しかし、それはアメリカと同様、「軍拡」という麻薬によって無理やり心臓を動かしているだけの、極めて歪で危険な繁栄であった。
3.新たなる野合――米・仏・伊・西の接近
ルクレールの台頭を、大西洋の対岸で狂喜して出迎えた男がいた。アメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトである。
「素晴らしい。フランスに、日本とイギリスを憎む強力な指導者が現れたぞ」
ルーズベルトは、直ちに特使をパリへ派遣した。
日本とイギリスの強固な同盟(パックス・ジャポニカ&ブリタニカ)に対抗するためには、アメリカ単独では分が悪い。ヨーロッパに強力な「反日英の橋頭堡」が必要だったのである。
さらに、この「反日英」の野合に、地中海沿岸の二つのファシズム国家が吸い寄せられていった。
ベニート・ムッソリーニ率いるイタリアと、内戦を経てフランコ将軍が権力を握ったスペインである。
彼らもまた、大恐慌で日英のブロック経済から弾き出され、恨みを募らせていた。
「古代ローマ帝国のように、地中海を再び我々の海にするのだ!」
ムッソリーニとフランコは、身の丈に合わない過大な誇大妄想(地中海制覇)を抱き、強力な陸軍を持つフランス(ルクレール)、そして莫大な資金力を持つアメリカ(ルーズベルト)との軍事同盟へと傾斜していった。
こうして、歴史の皮肉とも言える**「奇妙な枢軸」**が、日英独の同盟網に対抗する形で形成されようとしていたのである。
4.クレムリンの冷笑――孤狼の分析
世界が二つの巨大な陣営(日英独 vs 米仏伊西)へと分断されていく狂騒を、モスクワのクレムリンから、氷のように冷たい目で見つめている男がいた。
ソビエト連邦の絶対的独裁者、ヨシフ・スターリンである。
「フン……。資本主義の豚どもが、互いの喉を掻き切ろうと滑稽なダンスを踊っているわ」
スターリンは、分厚い報告書をデスクに放り投げ、パイプの煙を吐き出した。
彼の目には、アメリカとフランスが結成しようとしている「新枢軸」の危うさが、完全に透けて見えていた。
「ルーズベルトの奴め。中国大陸で蒋介石に金を与えて日本を泥沼に引きずり込もうとした戦略が、日本軍の『国境絶対防衛(不干渉)』の前に完全に失敗した。焦った奴は、今度は国内で『黄禍論』などという幼稚な人種差別を煽って国民をまとめようとしている。……あのような感情論に頼る国家は、大戦略を見失う。いずれ自滅する末路が見えているわ」
さらに、スターリンは「新ナポレオン」ことルクレールのフランス陸軍についても、冷酷な評価を下していた。
「ルクレールの軍拡は、表面上の数だけだ。奴らの戦車部隊は旧態依然とした歩兵の盾に過ぎず、新時代の戦略とは思えない、甘さが露呈している」
「ましてや、イタリアやスペインの地中海制覇など、喜劇にもならん。自国の工業力と資源の欠乏という現実(身の丈)を直視できない誇大妄想狂どもだ。……あのような烏合の衆(米仏伊西の野蛮人ども)と組めば、我が祖国まで泥船に引きずり込まれるのは明白だ」
スターリンの冷徹な知性は、ルーズベルトやルクレールからの「非公式な同盟の打診」を、鼻で笑って一蹴した。
5.孤立無援のパラドックス――水と油の地政学
しかし、スターリンとて、現状を手放しで喜べる状況にはなかった。
米仏伊西の「新枢軸」を烏合の衆と切り捨てたものの、ではもう一方の陣営――**日本、イギリス、ドイツの「旧枢軸」**と組めるかといえば、それは絶対に不可能であった。
「ヒトラーは我が国を滅ぼすと公言している狂犬であり、日本帝国は我が方のコミンテルンを徹底的に弾圧し、極東ロシア王国という忌まわしい壁を築き上げた不倶戴天の敵だ。連中とは完全に水と油だ」
スターリンは、巨大なユーラシア大陸の地図を見下ろした。
西からは、日本の支援を受けて牙を研ぐドイツ国防軍が睨みを利かせている。
東からは、世界最強の海軍力と技術力を持つ日本帝国が、満州の防波堤の上から冷たく銃口を向けている。
世界で最も広大な領土を持つソビエト連邦は、地政学的に、完全に**「孤立無援の孤狼」**となっていたのである。
「……構わん。我々は、誰の手も借りない」
スターリンの黄色く濁った瞳が、狂気と決意にギラリと光った。
「資本主義者とファシストどもが、互いに食い合い、世界を灰燼に帰すまで待てばいい。我々はその間に、シベリアの奥深くで重工業を極限まで錬成し、無尽蔵の戦車と大砲を造り上げる。そして、奴らが疲弊しきった最後の瞬間に、赤軍の巨大な鉄槌を下し、すべてを共産主義の海に沈めてやるのだ!」
スターリンは、自らの権力を絶対的なものとするため、国内の軍部や党幹部に対する大規模な「大粛清(血のパージ)」を静かに決意した。外の敵と戦う前に、内なる不安要素を完全に根絶やしにするためである。
6.エピローグ――嵐の前の静寂と、北欧の火種
1930年代末。
世界は、三つの巨大なイデオロギーと軍事ブロックに完全に分断された。
絶対的な防波堤の中でテクノロジーを極め、アメリカを迎え撃つ準備を冷徹に進める**「日本帝国と大英帝国(および狂犬ドイツ)」。
恐慌のルサンチマンと黄禍論、そして領土的野心を原動力に結集した「アメリカ、フランス(新ナポレオン)、イタリア、スペイン」の野合。
そして、その両陣営の潰し合いを雪のクレムリンから虎視眈々と狙う、孤独なる「ソビエト連邦」**。
東京・江戸城。
第18代将軍・徳川家晴は、情報総局から上げられた「フランスの軍拡」と「スターリンの沈黙」の報告書を読み、微かに目を細めた。
「世界の役者はすべて揃った。あとは、誰が最初に決定的な引き金を引くか、だ」
その引き金は、誰も予想しなかった北の果ての雪原で引かれることになる。
孤立を深めたソビエト連邦が、自らの西側の「防波堤」を広げるため、小国フィンランドへと無慈悲な侵略の牙を剥いたのである。
しかしスターリンは知らなかった。
その雪深い森の奥で、フィンランド軍と共に、極秘裏に派遣された日本帝国の**「将軍府秘密情報部」と「統合参謀本部情報総局」**の暗殺者たちが、ソビエト赤軍を地獄へ突き落とすための凶悪な罠(北欧連合の樹立)を張り巡らせて待っていることを。
(第五章 第十一話 完)




