43.復讐のハーケンクロイツと帝国の抱き込み
海洋帝国日本史
第五章:沈みゆく鷲と赤い星(1920〜1941)
第九話:復讐のハーケンクロイツと帝国の抱き込み(1933)
1.絶望の底から響く演説――ベルリンの熱狂
1933年(昭和8年)1月。
凍てつくような寒風が吹きすさぶドイツの首都ベルリン。ブランデンブルク門を抜けて行進する褐色のシャツを着た突撃隊(SA)の松明の炎が、夜空を赤く染め上げていた。
「ドイツ国民よ! 腐りきったヴァイマル共和国の時代は終わった!」
首相官邸のバルコニーに立ち、マイクを握りしめて絶叫する男。
国家社会主義ドイツ労働者党党首、アドルフ・ヒトラーである。
第一次世界大戦の敗戦国ドイツは、ヴェルサイユ条約によって本来ならば天文学的な賠償金をフランスからむしり取られ、国家として完全に解体される運命にあった。
しかし、1919年のパリ講和会議において、日本帝国の全権・牧野伸顕と小栗忠一が放った**「賠償金の肩代わり(日本の対英仏債権との相殺)」**という超絶外交により、ドイツはフランスの直接的な搾取と領土割譲から辛うじて救われていた。
さらに、大恐慌が世界を襲った際にも、日本はドイツを「円・ポンドブロックの第三優先(債務国としての優遇枠)」に指定し、最低限の貿易ルートを維持してやった。
だが、それでもドイツ国民の苦しみは限界に達していた。
街には失業者が溢れ、共産主義者(共産党)がソビエトのコミンテルンの支援を受けて武装蜂起を企てている。
「我々を苦しめているのは誰だ!? それは、我々を奴隷のように扱う憎きフランスの貪欲と、国家を内側から腐らせるマルクス主義、そして国際金融資本である!」
ヒトラーの演説は、大恐慌でプライドをズタズタに引き裂かれたドイツ国民の心に、強烈な電気ショックを与えた。
「我々には『生存圏』が必要だ! ゲルマン民族の誇りを取り戻し、東方の赤い悪魔を打倒する強靭なドイツ帝国(第三帝国)を再建するのだ!」
ジーク・ハイル! ジーク・ハイル!
広場を埋め尽くした何十万もの群衆の熱狂的な歓声は、ヨーロッパ全土を震わせる巨大な地鳴りとなって響き渡った。
2.独裁者の奇妙な「感謝」
ヒトラーは、アーリア人種至上主義を掲げる極端なレイシスト(人種差別主義者)であった。史実の彼は、東洋人を一段劣る民族と見なしていた時期もあった。
しかし、この『パックス・ジャポニカ』の世界線においては、彼の中に日本帝国に対する複雑で、かつ強烈な**「畏敬と感謝」**が刻み込まれていた。
総統地下壕の執務室。
ヒトラーは、側近のヘルマン・ゲーリングやヨゼフ・ゲッベルスを前に、世界地図の極東部分を指差した。
「見よ、この極東の帝国を。彼らは有色人種でありながら、アングロサクソン(イギリス)と対等に世界を分割し、白人国家を打ち破った。そして何より……あの忌まわしいヴェルサイユの豚ども(フランス)から、我々ドイツの首の皮を一枚繋ぎ止めてくれた恩人である」
ヒトラーにとって、日本帝国は単なる金貸しではなかった。
自国の富を貪るだけの英仏米とは異なり、日本は「天皇と将軍という神聖なる権威」を戴き、共産主義を国内から完全に排除している「完璧な反共国家」であった。
「日本の『特別高等警察』や『秘密情報部』が、国内の赤色分子を容赦なく弾圧している手法は、我々ゲシュタポも大いに学ぶべきだ」
ヒトラーは、目を爛々と輝かせた。
「彼らは我々の債権者だ。だが、同時に世界で最も頼りになる『防共の同志(名誉アーリア人)』でもある。……日本およびイギリスと同盟を結び、東と西からあの憎きスターリンのソビエトを挟み撃ちにするのだ!」
3.霞が関とホワイトホールの冷徹な密約
ヒトラーのこの熱烈な「秋波」は、直ちにロンドンと東京のインテリジェンス機関によって傍受・分析されていた。
ロンドン、ホワイトホール(イギリス官庁街)の秘密会議室。
**大英帝国MI6(秘密情報部)**の長官と、日本帝国・将軍府秘密情報部の欧州総局長が、最高機密のティータイムを共にしていた。
「ヒトラーという男、ずいぶんと我々(日英)にご執心のようですね」
MI6長官が、皮肉っぽく紅茶をすすった。
「彼は再軍備を宣言し、ラインラントへの進駐を目論んでいる。ヴェルサイユ条約の完全な破壊ですな。本来なら、我々同盟国が率先して彼の首に縄をかけるべきですが」
日本の情報局長は、葉巻の煙をゆっくりと吐き出した。
「フランスは、ヒトラーを潰せと我々に泣きついてきていますね。しかし……今、彼を潰すことに、我が両帝国にとって何のメリットがあるのでしょうか?」
二人のスパイマスターの顔に、冷酷な笑みが浮かんだ。
日英両帝国にとって、最大の懸念事項は**「ソビエト連邦の巨大化」と、コミンテルンによる「共産主義の輸出」**であった。ソ連の軍事力とイデオロギーは、インドや中国大陸、満州といった両帝国の権益を直接脅かす癌細胞である。
「ヒトラーは狂犬だ。だが、極端な『反共主義者』という素晴らしい首輪がついている」
日本の局長が、チェス盤のナイトを指で弾いた。
「ならば、その首輪を我々が握り、意図的にリードを長くしてやればいい。彼がソビエトを噛み殺すための『防共の盾』として機能するよう、裏から餌(資源や資金の猶予)を与え、抱き込むのです」
「同感です」
MI6長官も頷いた。
「フランスは怒るでしょうが、彼らは大戦で我々の足を引っ張った恩知らずだ。勝手に怯えさせておけばいい。……狂犬とヒグマ(ソ連)に東ヨーロッパで血みどろの殺し合いをさせ、我々アングロ・ジャパニーズは、高みの見物と洒落込みましょう」
4.帝国の抱き込み――ベルリンの密使
1934年。
東京からベルリンへ、一人の特命全権大使が極秘裏に派遣された。
かつて軍縮会議でアメリカを手玉に取った海軍の若き天才、山本五十六(情報総局の密命を帯びた武官として同行)と、外務省のベテラン外交官である。
ヒトラーは、日本からの使節団を総統官邸の最も豪奢な部屋で、最高の礼遇をもって出迎えた。
「よくぞ来てくれた、極東の偉大なる友よ!」
日本の外交官は、ヒトラーに対し、一枚の重々しい親書(第18代将軍・徳川家晴の署名入り)を手渡した。
「我が帝国および大英帝国は、貴国の『正当なる主権回復(再軍備)』に対し、深い理解を示す用意がございます」
ヒトラーの顔が、狂喜に歪んだ。
世界最強の日英同盟が、自らの再軍備を(裏口からではあるが)黙認してくれたのである。
「ただし、条件がございます」
山本五十六が、鋭い眼光でヒトラーを見据えた。
「総統閣下。貴国が矛先を向けるべきは、あくまで東(ソビエト連邦)です。我が帝国が抱える貴国の『莫大な債務』について、もし貴国がソビエトに対する防波堤として確固たる役割を果たすのであれば、その返済期限の無期限延長、および、円・ポンドブロックからの工作機械や希少金属の特別輸出枠を認めましょう」
「素晴らしい……! なんという寛大な措置か!」
ヒトラーは、山本の手を両手で固く握りしめた。
「約束しよう! 我がドイツ国防軍は、必ずやボルシェヴィキの悪魔どもをウラル山脈の彼方へ駆逐する! そして、日本帝国と共に、この世界から共産主義を完全に根絶やしにしてみせる!」
こうして、**「防共協定」**の極秘の雛形が成立した。
表向きは三国同盟のような強固な軍事同盟ではない。あくまで日本とイギリスが、ドイツという狂犬を「ソ連封じ込めの手駒」として飼い慣らすための、冷徹なパトロン契約であった。
5.パリの恐怖――孤独な雄鶏
このベルリンでの密約を、最も恐ろしい形で察知した国があった。
隣国、フランスである。
パリ、エリゼ宮(大統領府)。
フランスの首相と軍部首脳たちは、MI6と日本情報部がわざと漏らした「独日接近」の情報を前に、顔を青ざめさせていた。
「イギリスと日本は、我々を見捨てたぞ! 奴らはドイツの再軍備を容認し、ヒトラーをけしかけてソ連と我々を同時に牽制しようとしているのだ!」
フランス陸軍の将軍が、怒りで机を叩き割らんばかりに絶叫した。
フランスにとって、ドイツの復活は国家の死を意味していた。
第一次世界大戦で国土を蹂躙され、何百万人という若者の血を流した恐怖の記憶が、フランス人のDNAに深く刻み込まれている。
「このままでは、再びドイツの鉄靴でパリが踏み躙られる! 日英のブロック経済からも弾き出され、同盟国すら失った我々は、どうやって生き残ればいいのだ!」
「……新たな同盟を探すしかない」
フランスの指導者たちは、絶望の中で、ヨーロッパの地図を見渡した。
東には、世界中から孤立し、ヒトラーの脅威に怯え始めたソビエト連邦。
南には、地中海帝国の復活を掲げ、同じく日英から疎外されて鬱屈しているムッソリーニのイタリア。
そして大西洋の対岸には、黄禍論を煽り立て、日本への復讐(経済的打破)に燃えるルーズベルトのアメリカ合衆国。
「イギリスと日本という『持てる者たち(既得権益層)』が結託して世界を支配するなら、我々『持たざる者たち』が手を結ぶしかない」
恐怖と怨嗟に狂い始めたフランスに、やがて強烈なカリスマと軍事的天才を持つ「新たなる指導者(新ナポレオン)」が誕生する土壌が、この瞬間に完全に整ったのである。
6.エピローグ――廻り始めた狂気の歯車
1930年代半ば。
世界は、恐慌というショック療法を経て、全く新しい「狂気の陣形」へと再編されつつあった。
盤石の「円・ポンドブロック」を築き上げ、満州国と極東ロシアという防波堤に加え、ヨーロッパに**「ドイツ」という最強の狂犬**を放ち、高みの見物を決め込む日本とイギリス(パックス・ジャポニカ&パックス・ブリタニカ)。
その圧倒的な支配体制に対し、生存の危機と恐怖に追い詰められ、イデオロギーの違い(民主主義、共産主義、ファシズム)すら乗り越えて「反・日英」の野合を組み始めようとする、アメリカ、フランス、イタリア、そしてソビエト。
東京・江戸城の将軍府。
若き第18代将軍・徳川家晴は、情報総局から上げられた「フランスとアメリカの不穏な接近」を報じる電報を、暖炉の火に投げ入れた。
「ルーズベルトめ。自らの手を汚さず、不満分子(フランスやソ連)を扇動して我々の包囲網を作ろうという腹か。……面白い」
家晴の冷たい瞳に、炎が赤く反射した。
「だが、アメリカが直接牙を剥いてこない限り、我々は動かない。帝国は泥沼の戦争など望んでいないのだ。彼らが中国大陸の野犬(軍閥)に餌を与えようと、高き防波堤の上から冷笑してやればいい」
次の戦場は、軍艦の浮かぶ海ではなく、広大で泥深い黄土の大地――中国大陸。
大国たちの思惑が交錯する「代理戦争」の幕が、静かに切って落とされようとしていた。
(第五章 第九話 完)




