42.FDRと黄禍論
海洋帝国日本史
第五章:沈みゆく鷲と赤い星(1920〜1941)
第八話:FDRと黄禍論(1930年代前半)
1.車椅子の救世主――終わらない悪夢
1933年(昭和8年)、冬。
アメリカ合衆国首都、ワシントンD.C.。
凍てつく寒さの中、連邦議会議事堂前に集まった数十万の群衆は、新大統領の就任演説に一縷の望みを託していた。
「我々が恐れるべきは、恐怖そのものだけである!」
第32代大統領、**フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)**の力強い声が、ラジオを通じて全米に響き渡った。
小児麻痺により下半身の自由を奪われ、車椅子での生活を余儀なくされていた彼だが、その不屈の闘志と朗々たる演説は、大恐慌で打ちのめされたアメリカ国民に強烈なカタルシスを与えた。
「ニューディール(新規巻き直し)だ! ルーズベルト大統領が、我々を地獄から救い出してくれる!」
ルーズベルトは就任直後から、「百日議会」と呼ばれる怒涛のスピードで法案を成立させた。銀行を一時閉鎖して金融システムを強制的に立て直し、テネシー川流域開発公社(TVA)などの大規模な公共事業を立ち上げて失業者に仕事を与えようとした。
政府が市場に積極的に介入し、借金をしてでも経済を回す。完全な自由市場の放棄であり、アメリカ資本主義の大転換であった。
しかし、現実は彼の演説ほど美しくも、簡単でもなかった。
就任から数年が経過しても、失業率は依然として二桁台の高止まりを続け、企業の倒産は後を絶たなかった。公共事業で一時的な雇用は生まれても、根本的な「モノを大量に消費する巨大な胃袋」が消滅したままだったからである。
「大統領。ニューディール政策は、出血多量の患者に輸血をしているだけの対症療法に過ぎません」
ホワイトハウスの執務室。ルーズベルトの側近である「ブレーン・トラスト(知識人顧問団)」の一人が、絶望的な経済指標を前に頭を抱えた。
「我々の工場は、世界中の市場へ製品を売り捌かなければ維持できない規模にまで肥大化しているのです。しかし、海の外は……」
ルーズベルトは、車椅子の上で忌々しげに葉巻を噛みちぎった。
「ああ、わかっている。イギリスと日本が築き上げた、あの忌まわしい『関税の壁(ブロック経済)』のせいだ」
2.黄金の壁と、燃え上がる嫉妬
ルーズベルトの机の上には、極東の島国に関する報告書が山のように積まれていた。
「日本帝国は、大恐慌のダメージをすでに完全に脱却しております」
国務長官のコーデル・ハルが、苦々しい声で報告する。
「彼らの『円ブロック』は完璧に機能しています。豪州と南洋から無尽蔵の資源を吸い上げ、満州と日本本土の工場で加工し、アジア全域へ売り捌く。さらに、大英帝国の『ポンドブロック』と特恵関税を結び、我々アメリカの製品を世界の市場から完全に締め出しています」
「それだけではないぞ、ハル」
ルーズベルトの瞳の奥に、暗く、どす黒い嫉妬の炎が揺らめいた。
「我が国から逃げ出した資本(黄金)が、東京の丸の内へと流れ込んでいる。昨日までウォール街でふんぞり返っていた連中が、今や極東の猿どもに頭を下げて金を投資しているのだ。……こんな屈辱が許されるか!」
白人至上主義的な価値観が色濃く残る1930年代のアメリカにおいて、「アングロサクソンの超大国が、アジアの有色人種の帝国に経済で完全に敗北し、富を吸い尽くされている」という事実は、耐え難い屈辱であった。
さらに、ルーズベルトを焦らせたのは国内の不満であった。
「ニューディールは失敗だ! 大統領は我々を欺いた!」
長引く不況に耐えかねた国民の中から、共産主義に傾倒する者や、過激なポピュリズムを支持する者が現れ始め、アメリカ社会は内側から引き裂かれようとしていた。
このままでは、次の選挙で敗北するだけでなく、アメリカという国家そのものが内部崩壊してしまう。
ルーズベルトは、冷徹な政治家としての「劇薬」を打つ決断を下した。
「国民の不満を、国内の政治から『外の敵』へと逸らすのだ」
ルーズベルトは、車椅子の車輪を力強く回し、窓の外を見た。
「我々が貧しいのは、我々が悪いからではない。海を隔てた遠くの野蛮な帝国が、我々の富を不当に奪い取っているからだ。……あの黄金の壁を叩き壊すための『正義の戦い』に向けて、国民の感情を一つの方向へ束ねるのだ」
3.黄禍論の再燃――プロパガンダの猛毒
1930年代半ば。
アメリカの新聞、ラジオ、そしてハリウッド映画のトーンが、不自然なほど一斉に変化し始めた。
それは、アメリカ政府と巨大メディア資本(ハースト系新聞など)が結託して引き起こした、大規模な**「反日プロパガンダ」**の嵐であった。
『東洋の黄色い悪魔が、我々の仕事を奪っている!』
『日本帝国の不公正なブロック経済が、アメリカ人の子供たちを飢えさせている!』
新聞の風刺画には、出っ歯で眼鏡をかけ、軍服を着た猿(日本人)が、巨大な壁を築いて白人の労働者を締め出し、陰でニヤニヤと笑いながらアメリカの金貨を盗み取る姿が連日のように描かれた。
ハリウッドもまた、このプロパガンダに加担した。
「フー・マンチュー」のような東洋人の悪役像がさらに先鋭化され、「狂信的な将軍に率いられた、感情を持たない残酷なアジアの軍隊」が、アメリカの平和を脅かすというB級映画が次々と作られ、大衆の脳髄に刷り込まれていった。
黄禍論。
かつて19世紀末にヨーロッパで唱えられた「黄色人種への恐怖」が、大恐慌という絶望のスパイスを加えられ、最強の猛毒となってアメリカ社会に蔓延し始めたのである。
「パパ。あの黄色い人たちは、僕たちをやっつけに来るの?」
「ああ、そうだ。奴らは卑怯で残忍だ。俺たちが貧乏なのも、全部あの猿どものせいなんだよ」
カリフォルニアの街角では、日本人移民や日系アメリカ人に対する露骨な差別や暴力事件が急増し、彼らはゲットーのような地区へ追いやられていった。
ルーズベルトの計算は、完璧に的中した。
国内の失政に対する怒りは、見事に「日本への憎悪と恐怖」へとすり替えられたのである。
そして彼は、この恐怖をテコにして、次なる巨大な一手を打った。
4.軍拡という名の特効薬(ケインズ政策)
「日本帝国の脅威に対抗するため、我々は『二洋艦隊(太平洋と大西洋の双方を制圧できる海軍)』を建設しなければならない!」
ルーズベルトは連邦議会に立ち、巨額の海軍拡張法案(のちのヴィンソン・トランメル法に相当)の成立を強烈に訴えた。
彼が本当に欲しかったのは、軍艦そのものではない。軍艦を造るための**「莫大な雇用と経済波及効果」**であった。
「造船所をフル稼働させろ! 鉄鋼、機械、労働者、すべてを軍需産業に叩き込め! これは単なる軍拡ではない。アメリカ経済を蘇らせる究極の公共事業だ!」
ニューディールの橋やダムの建設だけでは足りなかった需要を、「戦争の準備」という名目で無理やり創出する。これこそが、資本主義のバグを修正する最大の特効薬(軍事ケインズ主義)であった。
「アメリカは孤立主義を捨て、世界に正義をもたらす『民主主義の兵器廠』とならねばならない」
ルーズベルトは、ラジオ演説(炉辺談話)で国民に甘く語りかけた。
経済の回復と、憎き日本帝国を叩き潰すための軍備拡張。アメリカ国民は、この熱狂的な愛国心という麻薬に深く依存していくことになった。
5.帝国の冷眼――若き鷲(家晴)の覚悟
アメリカ全土が反日の熱狂に包まれていた頃。
太平洋の対岸、帝都・東京の江戸城(将軍府)には、アメリカ国内のあらゆる情報が、将軍府秘密情報部の暗号電文によってリアルタイムで届けられていた。
「ルーズベルトは、自らの経済失政のツケを我が国に押し付け、国民を戦争へと扇動しております」
情報部からの報告書を読み上げた側近の声に、第18代将軍・徳川家晴は、静かに頷いた。
家晴の顔には、祖父(第17代家正)の死から数年を経て、若さを残しつつも、氷のように冷徹な君主としての威厳が完全に備わっていた。
「愚かなことだ」
家晴は、執務室の窓から、夕日に輝く帝都の摩天楼を見下ろした。
「自らの欲望で経済を壊しておきながら、それを他人のせいにして武器を取る。……あれが、自由と民主主義を標榜する国家の正体か」
「上様。アメリカの海軍拡張計画は本物です。彼らは本気で、我が国のブロック経済を武力でこじ開けに来るつもりです。いかがなさいますか。大英帝国やフランスと連携し、外交的な抗議を行いますか?」
「抗議など無意味だ。ルーズベルトは、戦争をしなければ自国を維持できないところまで追い詰められているのだからな」
家晴は、振り返り、統合参謀本部の将官たちを見据えた。
「狂犬には、言葉ではなく『力』で応えるしかない」
家晴の声が、重く、深く響いた。
「我が帝国が極秘裏に進めている『装甲空母』と『レーダー』の開発をさらに加速させよ。アメリカが軍艦の『数』で我々を脅かそうとするならば、我々は『次元の違う戦術』で、彼らの太平洋艦隊を海の底へ沈める。……一隻残らずな」
6.エピローグ――避けられぬ衝突軌道
1930年代半ば。
パックス・アメリカーナ(アメリカの平和)の幻想は完全に崩れ去り、その残骸の中から、嫉妬と憎悪にまみれた好戦的な猛禽類が立ち上がった。
片や、世界恐慌を自作自演のブロック経済でやり過ごし、南洋から満州に至る広大な帝国を盤石なものとした「海洋帝国日本」。
片や、恐慌の痛みを癒すためのカンフル剤として軍需産業を暴走させ、国民を黄禍論の熱狂で染め上げた「アメリカ合衆国」。
二つの超大国は、もはや外交や経済の妥協点を見出すことは不可能であった。
世界という名のチェス盤の上で、互いの存在そのものが許しがたい「イデオロギーの敵」へと変貌してしまったからである。
「ルーズベルトよ。来るなら来い。貴様らの流す血で、我が帝国の防波堤をさらに高く築き上げてやる」
若き将軍・家晴が江戸城の天守から太平洋を睨みつける頃。
ヨーロッパの中心では、日本の支援(借金の肩代わり)によって息を吹き返したドイツにおいて、狂気の独裁者がついに国家の全権を掌握しようとしていた。
舞台は再び、ヨーロッパへ。
人類を破滅へと導く「第二次世界大戦」の役者たちが、いよいよ全員、歴史の表舞台に揃おうとしていた。
(第五章 第八話 完)




