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28.龍の抜け殻と黄土の動乱

海洋帝国日本史 

第四章:世界大戦と双頭の鷲(1900〜1918)


第七話:龍の抜け殻と黄土の動乱(1911〜1910年代後半)

1.紫禁城の黄昏――落日を拒む誇り

1910年代。ユーラシア大陸の東部、広大な黄土を支配してきた巨大な老竜が、ついにその命脈を絶とうとしていた。

およそ三百年間にわたり中華の覇者として君臨してきた大清帝国である。

北京の中心に座す紫禁城。

かつて世界の中心(中華)と謳われたこの壮麗な宮殿は、今や崩れゆく帝国を象徴するかのように、ひどく静まり返っていた。瑠璃色の瓦屋根には雑草がわずかに生え、朱塗りの柱は色褪せている。

太和殿の奥深く。

豪奢な龍座の前に立つのは、清朝の皇族・愛新覚羅アイシンギョロ家の長老たちと、幼き皇帝の摂政を務める皇太后であった。

彼らの顔には、深い絶望と、それに抗おうとする満州族としての強烈な「誇り」が入り混じっていた。

「南部の省が次々と独立を宣言し、革命軍を名乗る暴徒が北上しております。さらに、頼みの綱であった北洋軍までもが……」

軍機処の大臣が、震える声で奏上した。

袁世凱えんせいがいめ……! 皇帝陛下の恩寵を受けながら、自らが帝位を簒奪しようというのか!」

皇族の一人が床を叩いて怒鳴る。

アロー戦争、日清戦争(この世界線では清仏戦争や列強の介入による代理戦争)、そして義和団の乱。度重なる国難に対し、清朝はその都度、領土や利権を切り売りすることで辛うじて生き延びてきた。

しかし、もはや限界であった。近代化の波に取り残された旧弊な体制は、西洋の思想に触れた漢民族の知識人や、軍閥たちの野心によって内側から食い破られようとしていたのである。

「我々は満州族だ。かつてヌルハチ公が白山黒水の地から興り、馬上の武勇をもってこの中原を制した。漢民族の反逆者に跪くくらいなら、紫禁城を焼き払い、自刃すべきである!」

血気盛んな若手皇族の言葉に、皇太后は静かに目を閉じた。

「誇りだけで、この子(幼帝)の命と、祖先の祭祀は守れません」

皇太后の言葉に、堂内は水を打ったように静まり返った。

「北京はもはや、我々の都ではない。……故郷へ、満州マンジュの地へ帰る時が来たのです」



2.袁世凱の野望――新たなる中華帝国

紫禁城の主たちが絶望に沈む頃、北京城外の軍営では、全く異なる熱気が渦巻いていた。

清朝の正規軍である「北洋軍」を掌握する実力者、袁世凱。

彼は、丸々と太った体を軍服に包み、葉巻をくゆらせながら、居並ぶ将軍たちと西洋人の軍事顧問を見渡していた。

「清朝の天命は尽きた。愛新覚羅の小僧どもに、この複雑な世界を生き抜く舵取りなどできはしない」

袁世凱の目は、野心にギラギラと輝いていた。

彼は単なる簒奪者ではない。彼なりに「中華の復興」を強烈に願う愛国者でもあった。

「見ろ、東の海を。かつて我々が『倭寇』と見下していた島国の猿どもが、今や列強と肩を並べる大帝国(海洋帝国日本)を築き上げている。なぜ中華にそれができない!? それは、腐りきった旧体制が足枷となっているからだ」

袁世凱の背後には、ドイツ帝国の影があった。

青島チンタオに拠点を置くドイツは、アジアにおけるイギリスと日本の覇権を突き崩すため、袁世凱に巨額の資金と、クルップ社製の最新鋭野砲、モーゼル小銃を大量に供与していた。

「閣下。我がドイツの兵器と軍事ドクトリンをもってすれば、南部の革命軍など鎧袖一触です。そして、強固な独裁権力を確立した暁には、日本の影響下にある満州の利権も取り戻せましょう」

ドイツ軍事顧問の言葉に、袁世凱は深く頷いた。

「そうだ。強力な軍隊、強力な指導者。鉄と血だけが、バラバラになったこの巨大な国を再び一つにまとめ上げる。私が新たな皇帝となり、中華を再び世界の頂点へと押し上げてみせる!」

袁世凱の夢は、中華帝国の復活であった。

しかし、彼が軍事力によって強権的な支配を強めようとすればするほど、広大な中国大陸は、彼の意に反して無数の「小皇帝」たちが割拠する修羅場へと変貌していくことになる。



3.軍閥割拠――黄土を血で染める群狼

清朝の権威が失墜し、袁世凱が北京で独裁を強める中。

中国大陸の各地では、地方の軍隊を率いる将軍たちが、自らの領地を「独立国」のように支配し始めていた。世に言う**「軍閥時代」**の幕開けである。

彼らに国家への忠誠心などない。あるのは、自らの利益と野望のみであった。

「北京の袁世凱が何だ。俺のシマ(領地)の掟は、俺の銃が決める」

ある軍閥は、イギリスから武器を買い、地元の農民から重税を搾り取った。

別の軍閥は、アヘンの栽培を奨励し、その莫大な利益でフランスの傭兵を雇い入れた。

またある軍閥は、略奪と虐殺を繰り返し、逆らう村を次々と焼き払った。

「兵を養うには金がいる。金を得るには土地が要る。土地を奪うには、撃つしかないのだ!」

軍閥同士の私戦(内戦)が日常茶飯事となり、広大な黄土は血と泥にまみれた。

最も苦しんだのは、名もなき民衆である。

「昨日までは張将軍の軍隊に麦を奪われ、今日は李将軍の軍隊に息子を兵隊として連れ去られた。我々は、どうやって生きればいいのだ……」

列強(英仏独など)は、この混乱を静観するどころか、自国に有利な軍閥に資金と武器をバラまき、代理戦争を行わせて利権を拡大しようと群がった。中国大陸は、さながら貪欲な狼たちが肉を奪い合う、巨大な血の闘技場と化していた。



4.霞が関の冷徹なる計算――「泥沼には踏み込まぬ」

海を隔てた東京・霞が関。

大混乱に陥る中国大陸の情勢は、連日、電信を通じて帝国政府の中枢へと届けられていた。

「大陸が燃えております」

統合参謀本部の作戦室。

国防総省統合参謀本部情報総局の分析官が、巨大な中国地図に無数のピンを刺しながら報告を行った。

「袁世凱の北洋軍、南部の革命軍、そして各地で蜂起した地方軍閥。彼らの背後には独、英、仏の資金が入り乱れ、完全に統制を失っています」

「我が帝国の権益への影響は?」

第17代将軍・徳川家正の問いに、情報総局長が答える。

「現在、日露戦争の講和(ハルビン条約)により我々が獲得した『満州』および『遼東半島』の国境線には、帝国陸軍の精鋭を厚く配置しております。軍閥どもも、我が軍と正面からぶつかる愚は犯しません。しかし、火の粉が飛んでくるのは時間の問題かと」

陸軍の強硬派からは、「今こそ大陸へ大軍を派遣し、混乱に乗じて中国全土を帝国の支配下に置くべきだ」という主戦論も上がり始めていた。

しかし、首相の桂太郎と、元老となっていた伊藤博文の判断は、氷のように冷徹であった。

「莫迦を言え。あの広大で、民族も言葉もバラバラな大陸の奥深くまで軍を進めて、どうやって統治するのだ? 四億の人民を養い、治安を維持するコストを計算してみろ」

伊藤が扇子で地図の「万里の長城」の南側を指した。

「あそこは、底なしの泥沼だ。一度足を踏み入れれば、帝国の国力は急激に吸い取られ、やがて太平洋の対岸で牙を研ぐアメリカに背後から食い殺されることになる」

「では、座して見ているだけですか?」

「否」

家正将軍が、低い声で断を下した。

「大陸の泥沼には深入りしない。我々が守るべきは、帝国の『絶対的な防波堤』たる満州と、そこから産出される鉄と石炭のみ。……秘密情報部を動かせ。清の皇室を、満州へ『救出』するのだ」

同時に、国内の防諜も強化された。

「中国の革命派や軍閥の密使が、我が国で武器を調達しようと暗躍している。これらを一網打尽にせよ」

**内務省特別高等警察局(特高)**の捜査員たちが、横浜や長崎の港に目を光らせ、大陸への非公式な武器密輸ルートを徹底的に遮断した。帝国は、大陸の混乱が自国へ波及することを物理的にも思想的にも完全に封じ込めたのである。



5.紫禁城脱出――将軍府秘密情報部の暗躍

191X年、冬。

北京、紫禁城の北門(神武門)。

凍てつくような寒風の中、数台の質素な馬車が、音を立てずに門を出ようとしていた。

御者席に座っているのは、清朝の宦官ではない。分厚い外套を目深に被った、将軍府秘密情報部の工作員たちであった。

「……止まれ。何者だ」

城外を警備していた袁世凱の北洋軍の兵士が、銃を構えて道を塞いだ。

「最近、宮中の財宝を持ち出そうとする輩が多い。荷台を検める」

馬車の中には、幼き皇帝と皇太后、そして数名の側近が息を殺して隠れていた。見つかれば、袁世凱によって「保護」という名の軟禁状態に置かれ、政治的なカードとして利用されることは明白であった。

御者席の工作員(現地人に偽装した日本人)は、慌てる素振りも見せず、懐から重々しい皮袋を取り出した。

チャリン、と黄金の鳴る音がした。

「将軍。寒い中、ご苦労様です。これは宮中の古着を城外へ運び出すだけの、つまらぬ商売でして。……どうか、これで温かい酒でも」

工作員は、袁世凱軍の将校の手に、イギリスの金貨(ソブリン金貨)がぎっしり詰まった袋を握らせた。

将校は袋の重さを確かめると、ニヤリと笑って銃を下ろした。

「古着にしては、ずいぶんと重いようだが……まあいい。俺は何も見なかった。通れ」

軍閥の兵士たちにとって、忠誠心よりも目の前の金貨の方が遥かに価値があった。秘密情報部はこの「軍紀の腐敗」を正確に計算し、北京から天津に至るまでの各関所に、莫大な賄賂をばら撒いて退路を確保していたのである。

天津駅。

そこには、満州鉄道(満鉄)のマークが入った特別列車が、黒煙を上げて待機していた。

「陛下、急ぎこちらへ!」

工作員たちに守られ、清朝の皇族たちは列車に乗り込んだ。

車内には、帝国陸軍の精鋭部隊が完全武装で待機していた。もはや袁世凱の軍隊といえども、日本の国旗を掲げたこの列車に手を出すことはできない。

「発車!」

汽笛が北京の夜空を引き裂き、列車は北へ――彼らの祖先の地である満州マンジュへと向かって走り出した。

皇太后は、窓の外に遠ざかる北京の空を見つめ、静かに涙を流した。

「さようなら、紫禁城。……我ら大清帝国は、二度とあの玉座に戻ることはないでしょう」



6.満州国の建国――北の防波堤

数日後。

極寒の奉天ムクデン

かつて日露戦争で帝国陸軍が血を流して勝ち取ったこの地に、清朝の皇室は降り立った。

駅で彼らを出迎えたのは、帝国満州総督府の役人たちと、儀仗兵の列であった。

「皇帝陛下のご帰還を、心より歓迎いたします」

191X年。

日本帝国政府の全面的な支援(という名の強力な保護)の下、満州の地に新たな国家の樹立が宣言された。

**「満州国」**の誕生である。

首都は新京(長春)に置かれ、清の幼帝が再び玉座に就いた。

表向きは「五族協和」と「王道楽土」を掲げる独立国家であったが、実態は日本帝国の巨大な**「緩衝国バッファー・ステート」**であった。

行政の要職には日本人の官僚(総務庁)が就き、国防は帝国陸軍(関東軍ではなく、ここでは正規の満州駐屯軍)が完全に掌握した。

「我々が守るのは、皇帝の権威ではない。ここから産出される鉄、石炭、大豆、そしてロシアと中国本土に対する『絶対防衛線』だ」

しかし、清朝の遺臣たちにとっても、これは最悪の選択ではなかった。

南部の軍閥に殺されることも、袁世凱の傀儡として生き恥を晒すこともなく、祖先の地である満州で、一定の尊厳と安全を保障されたからである。

「日本は冷酷な主だ。だが、少なくとも約束は守る。我々は、この凍てつく大地で、大清帝国の誇りだけは守り抜くのだ」

満州国は、日本の巨大な資本投下と、内務省仕込みのインフラ整備(鉄道、ダム、都市計画)により、泥沼の中国本土とは別世界の、近代的な工業国家へと急速に変貌していくことになる。



7.エピローグ――二つの世界の分離

北京の総統府。

清朝皇室が満州へ逃亡し、日本の保護下で新国家を樹立したという報せを受けた袁世凱は、激怒して執務室の調度品を破壊した。

「忌々しい日本め! 私の皇帝即位の正当性を奪い、あまつさえ満州という豊かな土地を合法的に切り取りおった!」

袁世凱は、自らが「中華帝国の大総統(のちの皇帝)」に就任することを宣言した。

しかし、彼の権威はもはや北京とその周辺にしか及ばなかった。

南部では孫文らが率いる革命勢力が反発を強め、地方の軍閥たちは袁世凱の命令を無視して独自の徴税と軍備拡大を続けた。

ドイツ軍事顧問団も、本国がヨーロッパでの大戦(第一次世界大戦)に突入したため、支援を打ち切らざるを得なくなっていた。

「中華は……またしても乱世に逆戻りするのか……」

袁世凱の野望は、志半ばで病と絶望に飲まれ、やがて彼自身も歴史の波に消えていくことになる。

こうして、ユーラシア大陸の東部は、明確に「二つの世界」に分断された。

一つは、軍閥たちが果てしない血みどろの抗争を繰り広げ、列強がその隙を突いて利権を貪る、底なしの泥沼**「中国大陸」。

もう一つは、日本帝国の圧倒的な武力と冷徹な管理システムによって秩序が保たれ、巨大な工業地帯として要塞化された「満州国および日本帝国圏」**。

「泥沼には関わるな。我々は、高い壁の上から、彼らが殺し合うのを眺めていればいい」

東京の将軍府は、万里の長城の南で起きている惨劇に対し、徹底した「不干渉と防衛」の姿勢を貫いた。

帝国の眼は、すでに泥沼の中国ではなく、遥か北――大戦の疲弊によって今にも内部崩壊を起こそうとしている巨大な双頭の鷲、ロシア帝国へと向けられていたのである。

歴史の歯車は、ヨーロッパの塹壕戦と、極東の冷徹な地政学を巻き込みながら、1917年の「ロシア革命」という未曾有の破局へ向かって狂ったように回転し始めていた。

(第四章 第七話 完)



清朝の衰退と誇り、袁世凱の野心とドイツの影、軍閥たちの泥沼の抗争。これらを重厚に描きつつ、日本は決して「中国全土の支配」という愚を犯さず、情報機関を駆使して「満州という防波堤(緩衝国)」だけをピンポイントで確保する、Pax Japonicaの冷酷なまでの合理性を描写しました!byGEMINI


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