17.半島に雪が降る
# 海洋帝国日本史 第三章:覇権への鉄路
## 第四話:半島に雪が降る(1872〜1880)
### 1.飢餓のソウル、豊穣のプサン
明治五年(1872年)初頭。
朝鮮半島は、二つの世界に引き裂かれていた。
北部と首都・漢城は、死の静寂に包まれていた。
連年の干ばつに加え、閔氏政権による苛斂誅求が極まり、農村は荒廃していた。
「王様は、我々の米を全て奪い、清国への貢物と自分の宴に変えてしまった」
道端には餓死者の遺体が転がり、それを野犬が喰らう地獄絵図。
対照的に、南部の港町・釜山の日本人居留地周辺は、異様な活気に満ちていた。
帝国の輸送船がピストン輸送で運び込む「南洋米」と「豪州小麦」が、山のように積み上げられているのだ。
「並べ! 押すな! 日本の皇帝陛下からの施しだ!」
海軍情報部の工作員たちが、炊き出しを行っていた。
湯気を立てる白い米。それを受け取る民衆の目には、涙と、ある種の「信仰」が宿り始めていた。
工作員・**金玉均**は、集まった若者たちに熱く語りかけていた。
「見ろ。我々の王は民を見捨てたが、海の向こうの隣人はパンをくれる。どちらが真の『徳』を持つ君主か、言うまでもないだろう!」
### 2.御庭番の火種――「甲申の蜂起」の演出
東京・霞が関。
内務卿・土方歳三と、海軍情報部長・勝海舟は、冷徹に作戦図を見下ろしていた。
「薪は十分に乾いております。あとは火をつけるだけ」
勝が報告する。
帝国海軍情報部は、朝鮮全土の東学党(農民宗教集団)や不平士族に、密かに武器と資金を流していた。
使用された武器は、帝国軍が廃棄した旧式ゲベール銃。資金は、三井物産釜山支店が用意した。
1872年春、事件は起きる。
ソウル近郊で、飢えた農民が米倉を襲撃。これを守備兵が惨殺したことをきっかけに、怒りは爆発した。
**「悪政を正し、民を救え!」**
暴動は瞬く間に全土へ拡大。しかし、その暴徒たちの先頭には、なぜか鮮やかな「日章旗」が翻っていた。
彼らは叫ぶ。
「日本軍よ、我らを助けに来てくれ!」
これは、情報部が仕組んだ完璧な自作自演、いや、**「招待状」**であった。
### 3.電撃戦――釜山上陸と鉄道工兵
「在留邦人と、朝鮮の民衆を保護する」
この大義名分の下、帝国政府は即座に派兵を決定した。
1872年5月。釜山港。
蒸気輸送船団から、カーキ色の軍服に身を包んだ**「帝国陸軍・朝鮮派遣軍」**が上陸した。
司令官は、**大山巌**中将。
彼が率いるのは、単なる歩兵だけではない。この作戦の真髄は、後続部隊にあった。
「工兵隊、前へ! 銃など撃たなくていい、レールを敷け!」
帝国軍は、進軍しながら「鉄道」と「道路」を建設していったのである。
釜山からテグ、そしてソウルへ。
泥濘の道を行く李朝軍に対し、帝国軍は整備された補給路を使って、圧倒的な速度で北上した。
途中、何度か李朝軍(虎狩り部隊など)との戦闘が発生した。
しかし、村田銃とガトリング砲、そして正確無比なアームストロング砲の前には、火縄銃と弓矢は無力だった。
「戦争ではない。これは文明による『清掃』だ」
大山巌は、無駄な殺生を禁じ、降伏する兵には食料を与えて解放した。これがさらに、民衆の日本軍支持を加速させた。
### 4.王の逃亡――正統性の崩壊
上陸からわずか3ヶ月。
8月には、帝国軍の前衛部隊が漢江の南岸に到達した。
王宮・景福宮は大混乱に陥っていた。
高宗と閔妃は、清国に援軍を求めたが、清はアロー戦争の傷跡と、日本との条約(天津条約の変形版)により動けなかった。
「アイゴ! 日本の鬼が来る!」
恐怖に駆られた高宗は、最悪の選択をする。
夜陰に乗じ、王宮を捨て、北の国境・豆満江を越えて**「ロシア帝国」**へと亡命を図ったのである。
この一報は、ソウル市民を絶望させ、同時に激怒させた。
「王が、国を捨てた……」
儒教国家において、民と社稷(国家)を捨てて逃げる君主は、その瞬間に「天命」を失う。
翌朝、ソウルに入城した大山巌は、無人となった王宮を見て、厳かに宣言した。
**「王は去った。これより、この地は日本皇帝陛下が預かる」**
それは、侵略者としてではなく、「統治能力を失った土地の管理者」としての入城であった。
### 5.国家改造――6.3.3.4制と「知」の種まき
1873年、日本は朝鮮を**「保護国(準領土)」**とし、**「朝鮮総督府」**を設置した。
初代総督には、近代化の設計者・**伊藤博文**が就任した。(南洋で芸州徳川家に買われた吉田松陰が広島に作った松陰塾の最優秀傑作である。)
伊藤は、武断統治を主張する軍部を抑え、ある壮大な計画を実行に移す。
「朝鮮を永遠の属国にするつもりはない。いずれ自立してもらわねば、日本の財布が持たん。そのためには『人』を作ることだ」
伊藤が導入したのは、日本本土と同じ**「6.3.3.4制」**の教育システムであった。
1. **小学校(6年):** 義務教育。ハングル(当時は蔑まれていた固有文字)を復活させ、日本語と共に教える。読み書きそろばんを徹底させる。
2. **中学校(3年)・高校(3年):** 実業教育。農業、工業、商業のスキルを叩き込む。
3. **大学(4年):** ソウルに「京城帝国大学」を設立。エリートを育成し、将来の官僚とする。
「両班が独占していた儒教など捨てろ。これからは科学と実学だ」
総督府は、朝鮮全土に数千の学校を建設した。
身分を問わず学校に通えるようになった子供たちの目は輝いた。これが、後の「教育熱心な朝鮮」の原点となる。
### 6.緑の革命――農業指導とインフラ
教育と並行して行われたのが、農業改革である。
帝国農務省から派遣された技師たちは、痩せ細った朝鮮の農地を見て愕然としたが、すぐに腕まくりをした。
* **禿げ山の緑化:** 燃料として乱伐されていた山々に、植林を義務付ける。
* **水利事業:** 日本の土木技術でダムと用水路を建設。干ばつに強い農地を作る。
* **品種改良:** 寒冷地に強い北海道米の品種を持ち込み、肥料の使用法を指導する。
「肥料をやれば、米が二倍獲れる」
最初は疑っていた農民たちも、黄金色に実った稲穂を見て、日本の指導員に深々と頭を下げた。
さらに、鉄道(京釜線)が開通し、物流が劇的に改善された。
釜山から東京までは、船と鉄道でわずか二日。
朝鮮の物産は日本へ、日本の工業製品は朝鮮へ。
巨大な経済圏が誕生しつつあった。
### 7.歴史の窓:未来への種子
**【歴史の窓】20世紀の「漢江の奇跡」の伏線**
この時期、日本帝国が行った朝鮮統治は、世界の植民地経営とは一線を画していた。
欧米が植民地を「資源収奪の場」としたのに対し、日本は朝鮮を「本土の延長(準内地)」として扱い、持ち出し覚悟でインフラと教育に莫大な投資を行った。
その理由は、**「ロシアへの恐怖」**である。
朝鮮が弱いままであれば、いずれロシアに飲み込まれ、日本の喉元に刃が突きつけられる。
ならば、朝鮮を強く豊かにし、日本と共にロシアと戦える「弟」に育てるしかない。
伊藤博文が導入した「6.3.3.4制」と「国民皆教育」は、朝鮮民族の識字率を劇的に向上させた。
この時に撒かれた「知」と「産業」の種は、後の独立後(第二次大戦後)、アジア屈指の工業国家・経済強国として花開く基盤となったのである。
### 8.エピローグ――北の亡命政権
1880年。
平和を取り戻し、近代化の槌音が響くソウルの北。
ロシア領・ウラジオストク。
一室に、やつれた顔の高宗がいた。
彼はロシア皇帝の庇護を受け、「朝鮮亡命政府」を名乗っていた。
「日本に奪われた王座を取り戻すのだ……」
その背後には、ロシア軍の将校たちが、冷ややかな笑みを浮かべて立っていた。
「ご安心を、陛下。シベリア鉄道が完成すれば、数十万のコサック騎兵が貴方をソウルへお連れします」
日本が手塩にかけて育てた「近代朝鮮」。
それを、ロシアという巨熊が虎視眈々と狙っている。
国境の豆満江では、帝国陸軍の歩哨と、ロシア軍の斥候が、互いに銃口を向け合い始めていた。
次の戦争は、この半島を舞台に、すべてを焼き尽くすことになるだろう。
(第四話 完)




