14.南の巨塔、北の飢餓
遂に第三章。18世紀後半の海洋帝国がどのようになっていくかお楽しみください。
# 海洋帝国日本史 第三章:覇権への鉄路
## 第一話:南の巨塔、北の飢餓(1860〜1870)
### 1.南洋八百万の民
万延元年(1860年)から明治初期にかけて、日本帝国の「重心」は、静かに、しかし確実に南へと移動していた。
1615年の「元和の御開拓」から約250年。
かつて流刑地や冒険の場所であった南洋(豪州・羊州・太平洋諸島)は、今や帝国を支える巨大な心臓部へと変貌していた。
帝国統計局が1868年に発表した国勢調査の結果は、東京の政府高官たちを驚愕、いや、安堵させた。
**『南洋地域総人口、八百万人ヲ突破ス』**
内地の人口が三千数百万人であることを考えれば、国民の四人に一人は「外洋生まれ」ということになる。
彼らは、高温多湿な気候に適応し、肉と小麦を主食とし、内地人よりも平均身長が五寸(約15cm)高い、屈強な「帝国臣民」であった。
彼らが生み出す富は凄まじかった。
豪州の羊毛は英国へ、小麦はアジア全域へ、そして鉄と石炭は帝国の重工業を支えていた。
「南洋が風邪を引けば、内地が肺炎になる」
もはや南洋は植民地ではない。「第二の本土」であった。
### 2.摩天楼の都・志度新
その繁栄の象徴が、豪州東岸に位置する**志度新(しどしん/シドニー)**である。
人口70万。
これは当時のロンドンやパリには及ばないものの、南半球最大の都市であり、江戸(東京)や大坂に次ぐ帝国第三のメガロポリスであった。
「ここが、本当に同じ日本か?」
内地から視察に来た若い官僚・**大隈重信**は、志度新中央駅(現在のセントラル駅付近)に降り立ち、度肝を抜かれた。
煉瓦造りの重厚な駅舎からは、蒸気機関車が白い煙を吐いて発着し、駅前広場にはガス灯が煌々と輝いている。通りには乗合馬車鉄道が走り、その両脇には三井物産や住友銀行の支店が入る5階建ての石造ビルが立ち並んでいた。
行き交う人々も活気に満ちていた。
ビジネススーツを着た商人、作業着姿の港湾労働者、そして鮮やかなドレスを纏った女性たち。
ここでは、内地の古臭い身分意識は希薄だった。
「能ある者が富む。それが南洋の掟だ」
志度新市長・**五代友厚**(史実の薩摩藩士、ここでは南洋の実業家・政治家)は、豪快に笑って大隈を迎えた。
「大隈君。東京の政治家はまだ『士族の反乱』などと小さいことを言っておるのか? こっちを見てみろ。ここでは毎日が産業革命だ。金と鉄が、滝のように流れている」
港を見下ろせば、世界中の船が停泊していた。
英国のティークリッパー、オランダの貨物船、そして日の丸を掲げた帝国の商船団。
志度新は、太平洋物流のハブとして、不夜城の輝きを放っていた。
### 3.西の守護神・西寧
一方、豪州大陸の西端。
インド洋に面した**西寧(せいねい/パース)**は、志度新とは異なる顔を持っていた。
「軍と要塞の街」である。
先の「日英戦争(1810年)」の激戦地となったこの街は、戦後、鉄壁の要塞都市として再建された。
港には、帝国海軍のインド洋方面艦隊(通称:西寧艦隊)が常駐。
日英同盟締結後は、ここが英国海軍との共同作戦拠点となり、インド洋のシーレーンを監視していた。
「英国の船が来れば歓迎し、それ以外が来れば沈める」
西寧要塞司令官・**乃木希典**(若き日の姿)は、水平線を睨みながら言った。
この街は、欧州への玄関口でもあった。
スエズ運河(1869年開通予定)を目指す帝国の船は、必ずここで水と石炭を補給する。
街には英国風のパブと日本の居酒屋が混在し、日英の水兵たちが肩を組んで歩く姿が見られた。
西寧は、かつての敵国同士が「海の盟友」として融和した象徴的な都市となっていた。
### 4.黒船来航――太平洋の対岸
しかし、この平和な海に、新たな波紋が広がろうとしていた。
慶応三年(1867年)。
南洋の北限、**茉莉亜那諸島・大宮島**。
帝国海軍の哨戒艇が、見慣れぬ旗を掲げた蒸気フリゲート艦を発見する。
星条旗。**アメリカ合衆国海軍「ワチュセット号」**である。
南北戦争を終結させた米国は、急速に太平洋へと触手を伸ばしていた。
「給炭と水の補給を求む」
米国艦長の要請に対し、現地守備隊は困惑しつつも、東京の指示を仰いだ。
執政・徳川斉順の判断は冷静だった。
「拒否する理由はない。ただし、丁重に、かつ厳重に監視せよ」
入港した米国艦を見た日本の技術者たちは、舌を巻いた。
実用本位で無骨なデザイン。だが、そのボイラーの出力と、大砲の鋳造技術は、英国にも劣らない水準にある。
「太平洋の向こう側に、もう一匹、巨大な龍がいる」
東京の海軍省では、米国に関する分析が急ピッチで進められた。
『彼らは捕鯨と中国貿易のために中継地を欲している。いずれ、ハワイかフィリピン、あるいは我が帝国の島々に食指を動かすであろう』
この「ワチュセット号」の寄港は、帝国にとって「太平洋は日本だけの内海ではない」という冷厳な事実を突きつける最初の警鐘となった。
### 5.台湾の光――「模範の島」
視線を北へ戻そう。
アロー戦争の結果、清国から事実上の「保護権」を認めさせた**台湾**。
ここでの統治は、驚くほどスムーズに進んでいた。
初代台湾総督・**樺山資紀**は、強硬な武断統治ではなく、現地の有力者を取り込む「同化政策」を推し進めた。
「住民の生命と財産を守る。その代わり、帝国の法に従え」
帝国政府は、南洋開発で培ったノウハウ――製糖技術、マラリア対策、インフラ整備――を惜しみなく台湾に投入した。
特に、台湾北部の基隆炭鉱の開発と、高雄の港湾整備は、現地の雇用を爆発的に生み出した。
清国統治下では「化外の地(野蛮な土地)」と放置されていた台湾の民衆にとって、厳格だが秩序をもたらす日本の統治は、むしろ歓迎すべきものだった。
「日本の役人は賄賂を取らない。道路を作る。学校を作る」
台湾は、帝国の「北の南洋」として、順調にその版図に組み込まれていった。
### 6.北の飢餓――朝鮮半島の闇
光が強ければ、影もまた濃くなる。
台湾の対岸、**朝鮮半島**では、地獄のような光景が広がっていた。
李氏朝鮮末期。
度重なる飢饉に加え、両班(貴族階級)による過酷な搾取、そして大院君による鎖国・攘夷政策により、民衆は塗炭の苦しみに喘いでいた。
「草の根を食い、土を食う」
道端には餓死者が溢れ、役人はそれを見ても見ぬふりをする。
ここに、影のように入り込む者たちがいた。
帝国海軍情報部、そして内務省公安局から派遣された工作員たちである。
彼らは、商人や僧侶に変装し、釜山や仁川の貧民街で「施し」を行った。
配られる米袋には、菊の御紋と、ハングルでこう書かれていた。
**『日本皇帝からの贈り物』**
「王様は我々を見捨てたが、海の向こうの皇帝様は助けてくれた」
噂は、飢えた民衆の間に燎原の火のごとく広がった。
工作員の一人、**金玉均**(史実の開化派だが、ここでは日本のエージェントとして養成された朝鮮人)は、ソウルの裏町で若者たちに説いた。
「見よ、日本を。蒸気船が走り、誰もが飯を食っている。なぜ朝鮮はできない? 腐った王と両班がいるからだ」
帝国政府の狙いは明白だった。
**「人道支援という名の侵略準備」**。
朝鮮半島をロシアに対する「防波堤」とするためには、不安定な李朝政権では役に立たない。
ならば、壊して作り直すしかない。
東京の小栗忠順首相は、冷徹に命じた。
「機は熟しつつある。民衆の怨嗟を煽れ。王宮が恐怖で震えるまで、釜の底を焚き続けろ」
### 7.歴史の転換点(1870年へ)
1870年を迎える頃、日本帝国の周辺情勢は、明暗がくっきりと分かれていた。
南では、志度新や西寧が繁栄を極め、800万の民が「パックス・ジャポニカ(日本の平和)」を謳歌している。
東では、アメリカという新たな巨人が、眠気眼をこすりながら太平洋を覗き込んでいる。
そして西では、朝鮮半島という火薬庫が、今にも爆発しようとしていた。
「南は守り、北は攻める」
これが、帝国政府が定めた次なる国家戦略であった。
ある夜、陸軍卿・西郷吉之助は、盟友の大久保利通に語ったという。
「おい、一蔵(大久保)。南洋の羊は肥えた。だが、北の虎が腹を空かせて近づいてきちょる。……朝鮮を獲らねば、日本が喰われるぞ」
帝国の軍靴の音は、熱帯のビーチから、凍てつく荒野へと向きを変えようとしていた。
繁栄の第三章は、血と鉄の匂いと共に幕を開ける。
(第一話 完)
AIってロマンある文章書くの得意みたいなんです。
自分がそのように書くようにいくつか指定したのもありますが、少し青臭いけど、良い文章センスしてます。構想だけ練って、修正しながらAIで書くのが自分が書きたいものを早く実現できるのかもしれません。
構想を練るのが趣味だから良いですよね笑




