113.カリブの悪夢――13日間のキューバ危機と鷲の喪失
# 海洋帝国日本史 第十二章:黄金の狂騒と解き放たれる世界
## 第三話:カリブの悪夢――13日間のキューバ危機と鷲の喪失(1966年)
### 1.裏庭の引火――キューバ革命(1966年初頭)
1966年初頭。
世界がビートルズの音楽や、大日本帝国のカラーテレビ、そして独立したアフリカ諸国との新しい経済圏の誕生(過渡期)に沸き返っていた頃。
アメリカ合衆国主導の北米要塞ブロック(NAFTA)のすぐ足元、フロリダ半島の目と鼻の先に浮かぶ最大の島、**キューバ**において、歴史の導火線に火がついた。
「……ヤンキーどもの支配は、今日で終わりだ! キューバは、我々自身の手で、真の自由と社会主義を打ち立てる!」
アメリカの傀儡であったバティスタ独裁政権に対し、ヒゲ面の若き革命家、**フィデル・カストロ**と**チェ・ゲバラ**に率いられたゲリラ軍が、ハバナの街へと雪崩れ込んだのである。
この革命は、単なる一国の政変ではなかった。
19世紀の「モンロー主義」以来、中南米を自らの絶対的な勢力圏(裏庭)として支配し、南米社会主義連合(SASU)をグアテマラの壁で封じ込めてきたアメリカ合衆国に対する、決定的な、そして最も屈辱的な「挑戦状」であった。
革命軍は、ハバナのNAFTAのフラッグを引き裂き、アメリカ資本の砂糖工場やカジノを次々と接収。そして、真っ赤な腕章を掲げたゲリラたちが、鹵獲したアメリカ製の戦車に乗って、歓喜する市民の前を行進した。
「……おのれ、アカ(共産主義)のネズミどもが! 我が国の目の前で、何を企んでいる!」
ワシントンD.C.のホワイトハウスでは、リンドン・ジョンソン大統領が、顔色を変えてデスクを叩いた。
アメリカは、グアテマラ防衛線を守るためにメキシコを核で焼いたというのに。その壁を内側から食い破られ、喉元に「赤い時限爆弾」を仕掛けられたのである。
### 2.SASUの介入と、暗闇の輸送作戦
アメリカの焦燥を、海の向こう側で冷酷に嘲笑っていた国があった。
ソビエト連邦(MTO)の全面的な支援を受け、南米大陸を真っ赤に染め上げた巨大な軍事ブロック、**『南米社会主義連合(SASU)』**である。
彼らは、19世紀から20世紀にかけて、アメリカが南米諸国に対して行ってきた度重なる武力介入や、資源搾取(バナナ戦争など)の恨みを、決して忘れてはいなかった。
「……ヤンキーどもは、自国の本土が脅かされる恐怖を、まだ本当の意味では理解していない。……彼らの目の前、キューバを我々の【不沈空母】とし、そこにソビエト製の『特別な槍』を配置するのだ」
SASUの最高指導者と、モスクワのクレムリンは、完全な秘密裏に悪魔の合意を交わした。
1966年夏から秋にかけて。
ソビエトの軍港から、SASUの巨大な貨物船に、奇妙な形をした「長さ数十メートルの円筒形」の荷物が、分厚いキャンバスで覆われて積み込まれた。
それは、ソビエト製の最新鋭中距離弾道ミサイル(SS-4)と、それに搭載される**『核弾頭』**であった。
「……これで、ワシントンも、ニューヨークも、デトロイトも、我々の射程圏内だ。ヤンキーどもは、明日から死の恐怖に怯えながら目覚めることになる」
暗闇に乗じて、カリブ海を渡る死の輸送船団(工作船)。
1966年10月。ソビエトの核ミサイルは、アメリカのCIAやNSA(国家安全保障局)の監視網を潜り抜け、キューバのジャングルの奥深くに建設された発射基地へと、次々と運び込まれていったのである。
### 3.CIAの探知――13日間の始まり(1966年10月14日)
1966年10月14日。
アメリカ空軍の超高度戦略偵察機『U-2』が、キューバ上空を通過し、ジャングルの奥深くを撮影した数千枚の写真。
それを解析していたCIAの画像分析官は、一枚の写真の前で、心臓が凍りつくような衝撃を受けた。
「……馬鹿な。これは、ソビエトのセミパラチンスク実験場で見た、ミサイルの発射台じゃないか……!」
彼の手には、史実のキューバ危機と同じく、ソビエト製中距離ミサイルがキューバに配置され、実戦配備寸前であることを示す、決定的な証拠が握られていた。
翌日。ホワイトハウスの大統領地下バンカー(シチュエーションルーム)は、かつてないほどの怒声と悲鳴に包まれた。
「……ソビエトの核ミサイルが、キューバに!? 射程は2000キロ以上。ワシントンまで、わずか数分で着弾するだと!?」
U-2が撮影した写真を前に、ジョンソン大統領は顔面を蒼白にさせた。
グアテマラで南米赤軍を核で焼いたアメリカが。今度は、自らの喉元に「核の刃」を直接突きつけられたのである。
「……閣下。直ちに、キューバへの全面空爆と、陸軍による上陸作戦(侵攻)を命じてください! ミサイルが実戦配備される前に、根こそぎ叩き潰すのです!」
軍首脳(アールGウィラー陸軍大将)は、机を叩いて即時開戦を主張した。
しかし、CIA長官と、司法長官は、それに待ったをかけた。
「待ってください! もし空爆の際、ソビエトの技術者や兵士が一人でも死ねば。レオニード・ブレジネフは、ただちにニューヨークか、あるいは米国領中東のテルアビブに対して、核攻撃(第三次世界大戦)を仕掛けてきます!」
アメリカの意地(全面侵攻)か。
それとも、全人類の滅亡(核戦争)か。
追い詰められた鷲は、15歳でICBMを打ち上げた帝国の若きエリートたちが謳歌している平和な世界とは全く異なる、人類史上最も冷酷で、最も絶望的な「13日間のチキンレース」へと突入したのである。
### 4.海上封鎖と、核のカウントダウン
大統領は、軍部の主張する「空爆」を退け、極めて老獪な、しかし戦争寸前の強硬手段を選んだ。
1966年10月22日。
大統領はテレビ・ラジオ演説を行い、世界中に「キューバへのソビエト製核ミサイル配備」の事実を暴露。そして、キューバの周囲数千キロに及ぶ海域に対し、**『海上封鎖(クアランティン:検疫)』**の発令を宣言した。
「……キューバに向かうすべての船舶に対し、我がアメリカ海軍が強制作戦を実施する。もし、ソビエトのミサイルを積んだ船がこのラインを越えようとすれば……我が国は、一歩も引かない」
カリブ海の蒼い海原。
アメリカ海軍の『キティホーク』級航空母艦を中核とする巨大な艦隊が、キューバを包囲するように展開した。
駆逐艦の主砲は水平線を睨み、空母からは艦上戦闘機が次々と発艦し、ソビエトの潜水艦を求めて対潜哨戒機が乱舞する。
そして、その海上封鎖のライン(死の境界線)へ向かって、ソビエトから派遣された、ミサイルを積んだSASUの貨物船団が、静かに、しかし真っ直ぐに進撃を続けていた。
「……敵貨物船、海上封鎖のラインまで、あと10海里。……あと5海里。……あと1海里……!」
アメリカ海軍の駆逐艦と、ソビエトの貨物船、そしてその船を守るソビエトの潜水艦が、至近距離で睨み合う。
どちらかが一発でも弾を撃てば。どちらかが一歩でも先に進めば。
その瞬間に、地球上の六つの核保有国が、互いの国へ向けてICBMのボタンを押す。
1966年10月27日。**『暗黒の土曜日』**。
アメリカの駆逐艦が、警告のためにソビエトの潜水艦へ向かって弱めの爆雷(練習弾)を投下した。
冷たい海の底、ソビエト潜水艦の艦内。極限の熱気と酸素不足、そして爆発の衝撃波にパニックを起こした艦長は、ついに悪魔の命令を下そうとした。
「……ヤンキーが核を撃ったに違いない! 地上はすでに戦争だ! ……我々も、核魚雷を発射しろ!」
もし、この潜水艦の副艦長(ヴァシーリー・アルヒポフを想起させる人物)が、艦長の命令を身を挺して止めなければ。人類の歴史は、この日をもって終わっていたであろう。
世界は、たった一人の人間の「理性」によって、滅亡の淵から辛うじて踏みとどまったのである。
### 5.残酷な妥協と、鷲の喪失
海の底でのギリギリの回避が行われていたその裏で。
ワシントンとモスクワ(第四インターナショナル)の間では、KGBとCIAの秘密ルートを通じた、血を吐くような「妥協」の駆け引きが続いていた。
「……スターリン。……いや、閣下。……我々は、貴国のミサイルがキューバから撤去されるなら、決してキューバへは侵攻しないと誓う。……さらに、貴国が要求していた、米領パレスチナ地方に配備されている我が国の核ミサイル(ジュピター)も、秘密裏に撤去しようではないか」
アメリカは、自らの喉元に突きつけられた刃を遠ざけるため、中東の米国領(まあ言っても外地)の安全保障を(秘密裏に)売り、さらに自らの最大のプライドであった「キューバへの介入権(プラット修正案以来の権利)」を完全に手放すという、屈辱的な『妥協』を申し出た。
1966年10月28日。
ソビエトの最高指導者は、アメリカの申し出を受け入れた。
「……よかろう。我々は、キューバの独立を尊重するアメリカの誓約を信じ、ミサイルを撤去する。……ヤンキーども、自国の裏庭が、完全に消滅したことを噛み締めながら、生き残るがいい」
世界中を恐怖の底に叩き落とした「13日間」は、静かに幕を閉じた。
しかし、その結末は、アメリカ合衆国にとって、建国以来最大の「喪失と敗北」であった。
数日後。
キューバのジャングルからは、ソビエトの技術者たちの手によって、核ミサイルが撤去され、再び貨物船に乗せられて海の向こう側へと引き揚げられていった。
そして。
ハバナのバルコニーでは。
カストロが、引き揚げていくミサイル船を背に、真新しい『キューバ独立国』の旗を掲げ、数百万の民衆に向けて勝利の雄叫びを上げた。
「……見ろ! 鷲は我々の勇気に恐れをなし、去っていった! キューバは、ついに、NAFTAの植民地から解放されたのだ!!」
アメリカ合衆国は、核戦争という究極の恐怖から身を守るため、自らの目の前にある「キューバ」という最大の権益と誇りを、完全に失った。
NAFTAの裏庭(中南米)への支配力は完全に瓦解し、南米社会主義連合(SASU)は、このアメリカの「敗北」を見て、自らの社会主義連合(英独西の経済圏とは異なる、南米系独自の赤色同盟)の盤石さに確信を深めたのである。
### 6.エピローグ――静寂への足音
1966年。
『カリブの悪夢』は去った。
世界の大国たちは、核戦争の一歩手前まで進んだことで、「恐怖の均衡」の脆さを痛感し、これ以上の核の増産や拡散を防ぐための「冷酷な秩序(NPT体制)」を、より一層強固なものにしていった。
大日本帝国の将軍府は、このアメリカの失態を、冷ややかに見つめていた。
「……アメリカは、自国の裏庭を失ったか。……愚かなことだ。帝国のアラブ特別県を見ろ。武力ではなく、富と誇り(内地化)で束ねれば、彼らは絶対に裏切らない。……アメリカの『力による支配』の限界が、これで証明されたな」
帝国は、自らの『管理資本主義(帝国式統治)』の正しさに絶対の自信を深め、さらなる経済成長と宇宙開発へと、そのリソースを注ぎ込んでいく。
黄金の1960年代は、このキューバ危機という最大の悲劇を通過し、より「血を流さない競争」へと固定化されながら、1970年代という、次なる地政学の嵐へと突き進んでいくのである。
(第十二章 第三話 完)
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