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111.血を流さない戦場――黄金の祭典と夢の超特急

# 海洋帝国日本史 第十二章:黄金の狂騒と解き放たれる世界


## 第一話:血を流さない戦場――黄金の祭典と夢の超特急(1956年〜1960年)


### 1.恐怖の盾と、黄金の果実(1956年)


1956年。

EATO(極東条約機構)、NATO(北大西洋条約機構)、MTO(モスクワ条約機構)、そして少し小さいがNAFTA(加米墨同盟)。地球を分厚く覆う巨大な軍事ブロックと、その頂点に立つ特権的核保有国たちによる「恐怖の均衡」は、世界に奇妙な恩恵をもたらしていた。


「……相手の領土を一歩でも侵せば、世界が終わる。ならば、我々が他国に勝利し、自国の体制の優位性を証明する手段は、もはや『武力』ではない」


戦争という破壊行為が(表向きには)不可能となった世界で、超大国たちの余りあるエネルギーは、一気に**『経済成長』**と**『国民生活の向上』**へと向けられたのである。


ヨーロッパ諸国は、第二次世界大戦の終結から10年という歳月を経て、戦後復興のフェーズを完全に終了し、爆発的な『高度経済成長期』へと突入していた。ドイツ第三帝国の中央ヨーロッパ経済圏は凄まじい工業力を発揮し、フランスや北欧もその恩恵を受けて豊かな消費社会を謳歌し始めていた。


一方、大西洋の向こう側、メキシコの動乱で痛手を負い「要塞化」の道を選んだ**アメリカ合衆国(NAFTA)**もまた、その分厚い壁の内側で、再び黄金の時代を迎えつつあった。

「……外の世界がどうなろうと知ったことか。我々には、この巨大な北米大陸と、無尽蔵の消費市場がある!」

レッドパージの嵐が少しずつ落ち着きを見せ始めたアメリカ社会では、巨大なテールフィンを持つキャデラックがハイウェイを疾走し、郊外の芝生付きの一軒家には最新の大型冷蔵庫やカラーテレビが並ぶ、眩いばかりの『フィフティーズ(50年代)のアメリカン・ドリーム』が完全に復活を遂げていた。


### 2.大英帝国の賢明なる手放し――『英連邦』への移行(1956年)


しかし、世界が経済成長の喜びに沸く中、かつて「太陽の沈まぬ国」と謳われた**大英帝国**だけは、ロンドンのダウニング街で極めて重く、そして歴史的な決断を迫られていた。


「……首相。もはや、限界です。インドにおけるガンディーやネルーらを筆頭とする独立運動の圧力は、我々の駐留軍だけで押さえ込める規模を完全に超えています」


大英帝国の王冠の宝石と呼ばれた、巨大な植民地・**インド**。

第二次世界大戦を乗り切ったイギリスであったが、民族自決の波と、何億というインド民衆の独立への渇望を、武力で永遠に封じ込めることは不可能であった。もしここで武力弾圧を行えば、ソビエト(KGB)が必ず介入し、インドは泥沼の共産革命の火の海となる。


「……我々は、ナポレオンの狂気からも、ナチスの爆撃からも大英帝国を守り抜いた。だが、時代のうねりというものは、銃では止められないのだな」

イギリスの首相は、深く溜息を吐き、そして、極めて老獪で冷徹な「次の一手」を打った。


「……よかろう。インドの独立を、全面的に承認する。流血の惨事になる前に、我々の方からスマートに手放すのだ。……だが、決して彼らとの『繋がり』まで捨てるわけではないぞ」


1956年。

イギリスは、インドという巨大な権益を武力で維持することをあっさりと諦め、平和的な独立を承認した。

しかし、彼らは単に植民地を手放したのではなかった。独立したインドをはじめとする旧植民地諸国を、イギリス国王を精神的な紐帯とする巨大な緩やかな国家連合、**『英連邦コモンウェルス・オブ・ネイションズ』**という新たな経済・外交ネットワークへと見事に組み込んだのである。


「武力による支配(帝国主義)から、経済と文化による緩やかな連帯ソフトパワーへ」

このイギリスの極めて柔軟な方針転換は、世界中から賞賛を浴びた。のちに、第二次世界大戦後に独立を果たしていたエジプトでさえも、「ソビエトの脅威に対抗するための巨大な経済圏」としての魅力を感じ、この英連邦への加盟を選択することになる。


無駄な血を流さず、誇りを保ったまま巨大な経済ブロックを再構築する。それは、斜陽を迎えつつあった大英帝国が見せた、世界最古の覇権国としての「底知れぬ外交の知恵」であった。


### 3.空前の旅行ブームと時代劇の熱狂――大日本帝国の文化成熟


一方、ユーラシアの東の覇者・**大日本帝国**。

極東条約機構(EATO)の絶対的な盟主として、一切の戦争の火の粉を浴びることなく着実な技術革新と経済成長を続けていたこの国では、国民の生活水準の向上に伴い、空前の**『文化とレジャーの黄金時代』**が到来していた。


その火付け役となったのは、各家庭に普及し始めた白黒テレビ(やがてカラーテレビへ)と、映画館で上映される**『時代劇』**の爆発的なブームであった。


「……いよっ! 待ってました!」

銀幕の中で、髷を結った侍が悪人を斬り捨てる痛快な活劇。あるいは、江戸時代の情緒あふれる人情物。

帝国は、世界最高峰の科学技術(ロケットや航空機)を持ち、超近代的な高層ビルが建ち並ぶハイテク国家へと変貌していた。だからこそ、国民はその反動として、自らのルーツである「古き良き日本の伝統とロマン(武士道や江戸情緒)」に、強烈なノスタルジーとエンターテインメント性を求めたのである。


この時代劇ブームは、国民の間に「歴史の舞台を自分の目で見てみたい」という巨大な欲求を生み出した。


「……京都に行こう! 映画のロケ地になったお寺や、本物の歴史に触れたい!」


折しも、帝国では航空技術の民間転用が急速に進んでいた。

軍用機の技術を応用して開発された国産の大型旅客機(プロペラ機から初期のジェット機へ)が、帝国航空(JAL)をはじめとする民間航空会社によって運用され始め、東京から札幌、福岡、そして同盟国の首都(ソウルや北京)を、わずか数時間で結ぶ**『民間航空網の発達』**が実現していた。


豊かな給料を手にした帝国臣民たちは、週末や長期休暇を利用して、こぞって国内旅行へと出かけた。温泉地は歓楽客で溢れ、京都や奈良の古都にはカメラ(国産メーカーCanon)を首から下げた観光客の波が押し寄せる。

それは、国民全員が「平和と繁栄の果実」を心の底から実感し、謳歌している、美しくも熱狂的な時代であった。


### 4.夢の超特急――新幹線開業(1957年)


しかし、航空機による移動は、まだ一般大衆にとっては「少しだけ高嶺の花」でもあった。

そんな中、帝国の技術者たちが、国民の巨大な移動需要に応え、同時に「帝国の工業力の結晶」を世界に見せつけるために、途方もない国家プロジェクトを水面下で完成させようとしていた。


1957年、秋。

東京駅の真新しいホームには、これまでの鉄道の常識を完全に覆す、流線型の流れるようなノーズを持ち、白と青のツートンカラーに塗られた『未来からやってきたような列車』が、静かに滑り込んでいた。


「……皆様、本日は『夢の超特急』、新幹線の開業式典にお集まりいただき、誠にありがとうございます」

鉄道省の大臣が、誇らしげにテープカットのハサミを握る。


**『東海道新幹線』**の開業。

それは、帝国の首都・東京と、商業の中心・大阪を、最高時速200キロメートル以上という、当時の世界では考えられないほどの圧倒的なスピードで結ぶ、人類史上初の「高速鉄道ネットワーク」の誕生であった。


「……出発、進行!!」


プァァァァン!!という独特の警笛と共に、新幹線は滑るように東京駅を出発した。

車内には、揺れも騒音もほとんどない。窓の外の景色が、これまでの蒸気機関車とは次元の違う凄まじい速度で後ろへと飛んでいく。


「……信じられない! 富士山があっという間に通り過ぎていくぞ!」

「東京から大阪まで、たったの数時間で着いてしまうなんて……まるで魔法だ!」

乗客たちは、その圧倒的な速度と快適さに度肝を抜かれ、歓喜の声を上げた。


この新幹線の開業は、世界中に強烈な衝撃を与えた。

アメリカやヨーロッパの技術者たちは、「鉄道は斜陽産業であり、これからは自動車と飛行機の時代だ」と思い込んでいた。しかし大日本帝国は、高度なシステム工学、空力設計、そして軌道制御技術を完全に融合させ、鉄道というインフラを『次世代の大量高速輸送システム』へと劇的に進化させたのである。


「……見たか、世界よ。これが、理系国家・大日本帝国の底力だ」

新幹線は、単なる交通機関ではなく、「パックス・ジャポニカ」の圧倒的な技術的優位性と、平和な繁栄を象徴する、最も美しい銀色の矢であった。


### 5.平和の祭典――冷戦のショーウィンドウ


経済と科学技術が火花を散らす中、もう一つ、超大国たちが「自国の優秀性とイデオロギーの正しさ」を世界に誇示するための、熱狂的な『血を流さない戦場』が存在していた。

それが、**オリンピック(国際スポーツ競技大会)**である。


第二次世界大戦後、世界はオリンピックという平和の祭典を、完全に「冷戦のショーウィンドウ」として利用し始めた。


1948年、**ロンドン大会**。

イギリスは、傷ついた帝国の威信を取り戻し、「我々は健在である」と世界に示すために大会を開催した。


1952年、**モスクワ大会**。

ついに核保有国となったソビエト連邦が、第四インターナショナルの国々のステート・アマ(国家直属のスポーツエリート)を大量動員し、圧倒的なメダルラッシュで「共産主義の肉体と精神の優位性」を西側に見せつけた。


1956年、**ベルリン大会**。

大戦を無傷で乗り切ったドイツ第三帝国が、ヒトラーの指導のもと、再び(1936年以来となる)オリンピックを開催した。鉤十字の旗がはためく中、ゲルマン民族の強靭さと、復興したヨーロッパ経済の力強さを世界に誇示したのである。


そして、1960年。

この「平和の代理戦争」の舞台は、ついにユーラシアの東の果て、黄金の繁栄を極める大日本帝国の首都へとやってきた。


### 6.1960年――東京オリンピックの熱狂


1960年、夏。

雲一つない抜けるような青空の下。帝都・東京に新設された巨大な『国立競技場メインスタジアム』の上空を、帝国空軍のアクロバット飛行隊が、五色のスモークを引いて見事な五輪のマークを描き出した。


「……ここに、1960年東京オリンピック競技大会の開会を宣言します!」


世界中から集まった、資本主義陣営、共産主義陣営、そして独立を果たしたばかりの新興国の若きアスリートたちが、色鮮やかなユニフォームで行進を行う。


観客席を埋め尽くした数万の帝国臣民たち、そして最新のカラーテレビの放送を通じて世界数十億の人間が、この熱狂の祭典を見守っていた。


大日本帝国は、この東京オリンピックを「パックス・ジャポニカの完全な勝利宣言」として徹底的に演出した。

選手村には最新の家電製品(エアコンや冷蔵庫)が備え付けられ、スタジアムの計時システムは帝国の精密機械メーカー(セイコーなど)がミクロン単位の正確さで担い、海外からの観客は「夢の超特急(新幹線)」に乗って度肝を抜かれた。


「……信じられない。この国は、街にゴミ一つ落ちておらず、誰もが礼儀正しく、そして世界最先端のテクノロジーに囲まれて、本当に幸せそうに笑っている」

アメリカから来たジャーナリストも、ソビエトから来た役人も、帝国の見せつける『完璧な治安と高度な資本主義のユートピア』に、ただ圧倒されるしかなかった。


トラックでは、帝国の陸上選手たちが躍動し。

プールでは、水泳大国・日本の意地を見せつけるように、水しぶきを上げて金メダルを量産していく。

柔道の会場では、静寂に包まれた畳の上で、東洋の武士道が世界の力自慢たちを鮮やかに投げ飛ばし、礼節の美しさを世界に知らしめた。


「ニッポン! ニッポン!!」

熱狂と歓声。

それは、戦争という悲惨な泥沼を完全に過去のものとし、自らの努力と科学技術で世界の頂点に立ったという、大日本帝国臣民の魂の底からの歓喜の雄叫びであった。


### 7.エピローグ――静寂の裏で芽吹く嵐


1960年。東京オリンピックは、大成功のうちに閉幕した。

世界は、経済成長と技術革新、そして平和なスポーツの祭典に酔いしれ、「この黄金の時代が永遠に続くのではないか」という幸福な錯覚に包まれていた。


しかし。

スタジアムの歓声が止み、祭りの熱狂が冷め始めた頃。

世界地図の「超大国(北半球)」以外の場所――これまで大国たちの富を支えるために押さえつけられてきた『南半球の植民地』の奥深くで。


「……イギリスがインドを手放した。ならば、我々にもできるはずだ」

「白人どもの支配を打ち砕け! アフリカに、そしてアジアに、我々自身の国を創るのだ!」


民族自決というパンドラの箱が、ソビエトの冷酷な暗躍と武器供与によって、静かに、しかし確実にこじ開けられようとしていた。


血を流さない総力戦の裏側で、次なる巨大な歴史のうねりが、アフリカの熱帯雨林やアジアのジャングルから、黒い嵐となって吹き荒れようとしている。

黄金の1950年代が終わり、世界は激動と反乱の『1960年代』へと、その舵を大きく切っていくのである。


(第十二章 第一話 完)


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