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109.黄土の不毛な泥沼――中華代理戦争と死の商人たちの宴

# 海洋帝国日本史 第十一章:冷たい方程式と拡散する悪魔の火


## 第七話:黄土の不毛な泥沼――中華代理戦争と死の商人たちの宴(1953年〜1954年)


### 1.妄執の龍たち(1953年初頭)


1953年。

大日本帝国が宇宙空間へ向けて巨大なロケットを打ち上げ、日独米ソ英西が核兵器を抱えて冷たい睨み合いを続けている中。

この超大国による「絶対的な恐怖の均衡(固定化された平和)」に、強烈な不満と妄執を抱き続けている二人の男がいた。


一人は、四川盆地の奥深く・成都を首都とする**『中華人民共和国』**の絶対的指導者、**毛沢東**。

もう一人は、豊かな沿岸部・広州と上海を拠点とする**『南華共和国』**の総統、**陳公博**(汪兆銘の後継者)である。


彼らは、イデオロギーこそ「共産主義」と「資本主義」で完全に真っ二つに分かれていたが、その腹の底には、全く同じ、熱病のような狂気(中華思想)を宿していた。


「……我々こそが、四億の民を導く正統な中華の支配者である。日・英・ソの連中が勝手に引いた武漢条約の国境線など、ただの屈辱的な紙切れに過ぎない」


超大国たちが、ICBMや宇宙開発といった「空の彼方」の競争に目を向けている今こそ。既成事実を作って一気に相手を飲み込み、中国大陸を統一する千載一遇の好機である。

二人の独裁者は、互いにそう錯覚してしまったのである。


事の発端は、南の陳公博であった。

イギリス(香港の資本家)と上海の巨大な地場財閥から莫大な資金援助を受けていた南華共和国は、有り余る富に任せて、国境地帯で共産党に対する挑発行為(反共ゲリラへの資金援助や小規模な越境射撃)を執拗に繰り返した。


「……南のブルジョワの豚どもが、我々を舐め腐っている。よかろう、人民の怒りの鉄槌を下してやる」

1953年春。

南華の挑発を大義名分として、毛沢東はついに**『南華解放(宣戦布告)』**を高らかに宣言した。

武漢条約によって分断されていた黄土の大陸に、再び数百万の兵士が殺し合う「中華紛争(代理戦争)」の地獄の釜の蓋が、呆気なく開け放たれたのである。


### 2.大国たちの冷笑――掌の上の戦争(1953年春)


「……馬鹿な連中だ。せっかく我々が三竦みの平和を与えてやったというのに、自分から泥沼に飛び込むとはな」


東京、霞が関の将軍府。

そしてロンドンのダウニング街。

さらにはモスクワのクレムリンにおいてすら。

毛沢東と陳公博の「勝手な暴走(開戦)」に対する超大国たちの反応は、極めて冷ややかで、そして残酷なまでに一致していた。


彼らは、自陣営の「子分」が統一の夢を見ていることなど百も承知であった。しかし、超大国たち(日・英・ソ)には、どちらかの陣営を勝たせて『巨大な統一中国』を誕生させる気など、毛頭なかったのである。


「……適当に武器を売りつけて、奴らの血を流させておけ。互いに疲弊しきったところで、再び元の国境線に戻してやればいい」

東京とモスクワの間では、砲声が鳴り響いたその日のうちに、極秘の特使が飛び交っていた。

「そちらの毛沢東が本気で南を飲み込もうとしたら、我々は介入するぞ」

「分かっている。南華が長江を越えてきたら、我々も黙ってはいない。……お互い、子分の管理には気をつけようではないか」


この戦争は、始まった瞬間から「国境線が1ミリも変わらないこと」が、大国間の密室の談合によって完全に決定づけられていた、史上最も不毛でシニカルな『出来レースの殺し合い』だったのである。


### 3.死の商人たちの狂乱――東西の『戦争特需』(1953年〜1954年)


しかし、前線で何百万人死のうが、兵器と物資を供給する側にとって、この戦争は「天から降ってきた黄金の雨」に他ならなかった。

超大国たちが直接血を流さないこの代理戦争は、東西両陣営の周辺国に、空前絶後の**『軍事特需(死の商人の宴)』**を巻き起こした。


**【資本主義ブロックの熱狂:韓国、満州、極東ロシア】**

「作れ! 弾薬も、野戦食も、軍服も、南華軍からの発注はすべて言い値で買い取られるぞ!」

大日本帝国の強固な防波堤として工業化を進めていた**大韓民国**や**満州国**、そして**極東ロシア王国**の工場群は、24時間眠ることなくフル稼働を始めた。

帝国本国が高度な航空機やICBMといった「先端技術」にシフトしている間、韓国や満州は、泥臭い陸戦兵器や消費物資の大量生産を請け負い、この特需によって国家の経済規模(GDP)を数倍にまで爆発的に跳ね上がらせた。彼らは他国の血を養分にして、盤石な経済大国への階段を一気に駆け上がっていったのである。


**【第四インターナショナルの歓喜:トルコとブルガリア】**

そして、この死の商人の狂熱は、共産主義ブロック(第四インターナショナル)側においても、極めていびつな繁栄をもたらしていた。


「……素晴らしい。毛沢東同志が、我が国の旧式戦車(T-34)と砲弾を、どんどん買い取ってくれるぞ!」

黒海の沿岸、ヨーロッパの火薬庫であったはずのバルカン半島。

ここで最も高笑いしていたのは、王制を維持したままソビエトに寝返った赤色王国・**ブルガリア**と、瞬く間の復興を遂げた**トルコ**であった。


ブルガリアの広大な小麦畑と軽工業工場は、中華人民共和国の数百万の人民解放軍を食わせるための「兵糧と軍服」を無限に生産・輸出。ソフィアの王宮は、中国から支払われる金塊とソビエトからの優遇措置によって、ヨーロッパでも屈指の絢爛豪華な繁栄を極めていた。

トルコもまた、ボスポラス海峡の通行権と地理的優位を活かし、ソビエト製の兵器を運ぶ「巨大な物流のハブ」として莫大な中抜き(手数料)を貪っていた。


「中国人が殺し合う限り、我々の懐には黄金が転がり込んでくるのだ! 偉大なるプロレタリアートの連帯に乾杯!」

ブルガリアやトルコの資本家(あるいは赤い貴族たち)は、遠いアジアの泥沼に最高級のワイングラスを掲げ、この終わりのない特需を心から祝福していた。


### 4.貴州の泥沼――命のすり潰し合い


後方の国々が黄金の雨に歓喜しているその頃。

最前線である中国大陸の南西部、**貴州省**や**雲南省**の険しい山岳・密林地帯では、人類の尊厳を完全にかなぐり捨てたような、地獄の殺戮戦が展開されていた。


「突撃! 人民の海で、南の反動分子どもを押し潰せ!」

毛沢東の戦術は、相変わらずの「人海戦術」であった。ソビエトやブルガリアから送られてきた無数の大砲による準備砲撃の後、数万人の歩兵が、銅鑼の音と共に死を恐れずに南華の陣地へと突っ込んでいく。


ドガァァァァァァン!!


「撃て! アカの連中に一歩も領土を渡すな!」

迎え撃つ南華共和国軍もまた、大日本帝国やイギリスから購入した最新鋭の重機関銃と迫撃砲で、強固な防衛線を構築していた。

南華の部隊は、日本式の苛烈な軍事訓練を受けており、その火力と規律は共産党軍の想像を絶していた。


ダダダダダダダダッ!!

機関銃の十字砲火が、突撃してくる人民解放軍の兵士たちを、文字通り「草を刈るように」なぎ倒していく。死体の山が築かれ、その死体を乗り越えて次の部隊が突撃してくる。

貴州の赤い土は、両軍の兵士たちの血で文字通りドス黒い泥沼と化していた。


開戦当初、奇襲に成功した共産党軍が貴州省の北部を制圧したが、すぐに弾薬を補給された南華軍が猛烈な反撃に転じ、国境線を越えて逆に領土を切り取る。すると今度はソビエトの軍事顧問団がテコ入れを行い、再び共産党軍が押し返す。


一進一退。

数キロの尾根を奪い合うために、毎日数千人の若者の命が、まるで工場のプレス機に放り込まれるように、無残にすり潰されていった。


「……俺たちは、いつまでこんな不毛な殺し合いを続けなければならないんだ」

泥にまみれた南華の兵士も、共産党の兵士も。誰もがこの戦争の「出口のなさ」に絶望していた。


### 5.残酷な幕切れ――首根っこを掴まれた龍(1954年)


1954年。

中華紛争が勃発してから一年以上が経過し、両軍の死傷者が数百万人に達しようとしていた頃。


「……もう十分だろう。これ以上やらせると、我々の経済ブロックにもインフレの悪影響が出始める」

「同感だ。そろそろ、あの馬鹿な子分どもの首輪を引く時だ」


東京、ロンドン、そしてモスクワの首脳たちは、時計を見るようにして「戦争の終了ゲーム・セット」の合図を出した。


その方法は、極めて冷酷で、一方的であった。

ある日突然、ソビエトから毛沢東の元へ向かっていた弾薬と燃料を積んだ貨物列車の運行が『設備の点検』を理由に完全にストップした。

時を同じくして、イギリスの香港銀行と、大日本帝国の商社から南華共和国へ向けられていた莫大な軍事融資と物資の引き渡しが、『金融市場の調整』を理由に一斉に凍結されたのである。


「……なんだと!? 砲弾が届かない!? ソビエトは我々を見捨てる気か!」

成都の毛沢東は、前線からの悲鳴に顔を青ざめさせた。


「……弾薬庫が空っぽです! これでは、明日の防衛線を維持できません!」

広州の陳公博もまた、完全に断たれた補給線に愕然とし、自らが大国の「掌の上で踊らされていた事実」にようやく気がついた。


弾薬も、燃料も、そして兵士に食わせるパンもなければ、いかに数百万の軍隊が向かい合っていようと、一歩も動くことはできない。

両軍の巨大な軍事機械は、まるで電源のコンセントを引き抜かれたおもちゃのように、突如としてその場でピタリと機能を停止した。


### 6.エピローグ――何も変わらない世界と、次なるブロック化


1954年末。

大国たちによる強引な調停(という名の脅迫)により、中華人民共和国と南華共和国の間で、屈辱的な『停戦協定』が結ばれた。


停戦ラインは、驚くべきことに、開戦前と「1ミリの狂いもなく」同じ場所――武漢条約で定められた元の国境線に引かれた。

数百万の中国人の若者が血を流し、貴州の山々をハゲ山に変えた挙句。毛沢東も、陳公博も、ただの一寸の領土も得ることはできなかったのである。


「……我々の流した血は、一体何だったのだ」

傷ついた兵士たちが、無念の涙を流しながら元の国境の塹壕へと引き揚げていく。

彼らの血肉は、ただ韓国や満州、そしてブルガリアやトルコの工場を潤し、大国たちの経済を活性化させるための『純粋な養分』としてのみ消費されたのだ。


この極めて皮肉で残酷な結末は、世界中の国家に「冷戦というシステムの絶対的な法則」を教え込んだ。


『――超大国(核保有国)が認容しない限り、もはや自国の意志だけで国境線を書き換えることは不可能である』


この絶対的な無力感を悟った周辺諸国は、もはや単独で国家の安全を守ることを完全に放棄し、超大国の差し出す「巨大な軍事同盟のブロック」の下へ、我先にと逃げ込むことを決意した。


1954年、タイ王国で王政を打倒した軍事政権が誕生。

そしてインドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)が、大日本帝国の完全な後盾を得て完全独立を果たす。


泥沼の中華代理戦争が終わったこの年。

世界は、イデオロギーと核兵器によって完全に固定化された境界線を、さらに分厚い「多国間軍事同盟」というコンクリートで固めようとしていた。


極東の『EATO(極東条約機構)』。

ヨーロッパの『NATO』。

そして共産圏の『MTO(モスクワ条約機構)』。


人類を三つの巨大な檻に閉じ込める、冷戦の「最終的な城壁(鉄のカーテン)」が、いよいよその全貌を現そうとしていた。


(第十一章 第七話 完)


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