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10.黒い霧と黄金の亀裂

# 海洋帝国日本史 第2章:近代化と内的葛藤


## 第4話:黒い霧と黄金の亀裂(1842〜1850)


### 1.尾張の咆哮、薩摩の沈黙


天保十四年(1843年)。

「廃藩置県」の噂が現実味を帯びる中、反幕府勢力の結集軸となったのは、意外な人物であった。

御三家筆頭・**尾張徳川慶勝よしかつ**である。


尾張徳川家は、本来なら将軍家を支える立場にある。しかし、慶勝は激怒していた。

「家慶(将軍)と斉順(芸州)は狂ったか! 異国の機械に魂を売り、あまつさえ神君家康公が定めた『藩』を消すとは。これは徳川の自殺に他ならぬ!」


彼は「尊皇攘夷」を掲げていたが、その実は「封建制度の維持」を叫ぶ守旧派の旗頭であった。

この尾張家に同調したのが、**水戸徳川家(斉昭)**や、譜代の名門・**井伊家**である。彼らは「伝統的権威」の崩壊を何よりも恐れていた。


一方で、外様大名の雄・**島津斉興(薩摩)**と**前田斉泰(加賀)**は、複雑な表情を浮かべていた。

品川の薩摩藩邸での密議。

「尾張殿は、鼻息が荒いな」

島津斉興が茶を啜りながら呟く。

「彼らは『昔に戻したい』だけだ。だが我らが求めているのは、徳川の独占を打破し、我ら自身が海外と商売する自由だ。……目的が違う」


そこに、仙台の**伊達慶邦**が割り込む。伊達家は、北方の警備負担を押し付けられた恨みから、最も過激な倒幕論者となっていた。

「島津殿、今は手を組むしかあるまい。まずは共通の敵、江戸の『英国かぶれ政府』を倒す。その後のことは、勝ってから決めればよい」


こうして、**「尾張・水戸・薩摩・仙台・加賀・井伊」**という、呉越同舟の巨大な反政府連合(列藩同盟)が形成されつつあった。彼らに足りないのは、一つだけ。

戦のための「金」であった。


### 2.三井と住友、そして「土佐の若鷹」


「いくら必要だと仰るのですか」

日本橋、三井越後屋の奥座敷。大番頭は、尾張家の使者が提示した額に冷や汗を流していた。

「三百万両。……新しい国ができれば、三井には財務省のポストと、南洋貿易の独占権をやろう」


三井、住友、そして新興の鴻池。

彼らは迷っていた。幕府の「徳川独占」には不満がある。しかし、尾張家のような復古主義者が政権を取って、本当に商売になるのか?


その迷いを突くように、一人の男が彼らの間を飛び回っていた。

土佐藩の商務組織「土佐商会」を取り仕切る、**岩崎弥次郎**(後の三菱財閥創始者・弥太郎の父、あるいは先駆的存在としての架空の策士)。

「旦那方、ここは尾張様に賭けるべきぜよ。腐った幕府を倒せば、新しい利権の山分けだ」


岩崎は、外様大名たちと財閥を繋ぐフィクサーとして動いていた。

しかし、彼の目は笑っていなかった。彼の懐には、別の「主」からの指令書が入っていたのである。


### 3.深夜の来訪者――海軍情報部の脅迫


ある雨の夜。

深川にある住友の寮に、濡れた合羽を着た男たちが踏み込んだ。

「御庭番か?」住友の当主が震える声で問う。


男はフードを取った。その下には、帝国海軍の制服。

海軍情報部(後の情報総局)・**勝海舟かつかいしゅう**である。まだ若いが、その目は鋭いカミソリのように光っていた。

「住友殿。尾張家への資金提供、感心しませんな。それは『内乱罪』に当たりますぞ」


「し、証拠は……」

「ある。土佐の岩崎が全て吐いた。いや、最初から彼は我々の協力者だ」


勝は、青ざめる住友当主の前に、一枚の書類と、一枚の許可証を置いた。


「我々は、あんた方を潰したいわけじゃない。むしろ、これから作る『新しい国』には、あんた方の金と知恵が必要だ」

勝はニヤリと笑った。

「取引といきましょう。尾張や薩摩には、金を貸し続けてやりなさい。……我々の指示通りに、ね」


### 4.「禁教」の終わりと「帝国国教会」


勝が提示した「飴」は、財閥たちが喉から手が出るほど欲しかったものであった。


**一つ、欧州貿易における「徳川独占」の廃止。**

「これからは、三井も住友も、自由にロンドンやパリと商売をしていい。最新の機械を輸入し、工場を建てろ」


**一つ、キリスト教の「解禁」。**

「えっ、禁教を解くのですか?」

「『解禁』ではない。『管理』だ」


勝の説明は、あまりに合理的で、かつ狡猾であった。

幕府は、英国国教会アングリカン・チャーチをモデルにした**「日本帝国国教会(帝都教会)」**を設立する。

トップは天皇。実務は内務省神官部が管理する。

「異国の神を信じることは許す。ただし、バチカンやロンドンの指図は受けさせない。あくまで『日本の宗教』として登録させるのだ。これで、欧州の商人も文句はあるまい」


「……悪魔のような知恵ですな」

「『帝国』の知恵と言ってくれたまえ」


この夜、日本の財閥は、完全に幕府(改革派)の軍門に下った。

彼らは表向きは反乱軍のパトロンとして振る舞いながら、その資金の流れ、武器の購入ルート、人員の配置情報は、すべて海軍情報部へと筒抜けになっていったのである。


### 5.疑心暗鬼の同盟


1848年頃になると、反幕府連合の中に不協和音が響き始めた。

原因は、皮肉にも「金が集まりすぎた」ことである。

「三井も住友も、やけに気前がいい。……良すぎる」


薩摩の島津斉彬(斉興の跡を継いだ英明な君主)は、違和感を抱いていた。

彼は、独自に入手した情報から、幕府海軍が新型の蒸気軍艦を次々と就役させていることを知っていた。

「幕府は、金がないはずではないのか? なぜこれほどの軍拡ができる?」


一方、尾張徳川家や水戸家などの親藩・譜代勢力は、資金を得て熱狂していた。

「これで勝てる! 奸臣・水野忠邦を斬り、大政を本来の徳川(古い形)に戻すのだ!」


井伊直弼(譜代筆頭)もまた、この熱狂に乗せられていた。彼は「国を開く」ことには反対ではなかったが、大老として自分が主導権を握れない「将軍独裁(大統領制)」には我慢ならなかったのである。


島津斉彬は、側近の西郷吉之助(隆盛)に漏らしたという。

「吉之助。我々は、沈みゆく泥船に乗せられているのではないか? 尾張殿は『過去』を見ている。だが、江戸の将軍は……『遥か未来』を見ている気がしてならぬ」


### 6.嵐の前夜――将軍の死と「遺言」


嘉永三年(1850年)。

改革を主導してきた第12代将軍・徳川家慶が急死する。

死因は心不全とされたが、大奥による毒殺説も流れた。


江戸城・大奥は、反乱軍に呼応する動きを見せていた。

「家定様(次期将軍)は病弱。これを操れば、我らの世が戻る」

大奥の老女たちは、改革派の粛清を画策する。


しかし、家慶は死の直前、水野忠邦と海軍総裁・芸州斉順に、一通の**「遺言(勅命書)」**を託していた。

そこには、将軍の継承者についての驚くべき指名と、ある作戦の発動命令が記されていた。


**『次期将軍(第13代執政)は、家定にあらず。芸州家・徳川斉順を指名す』**

**『時来たれり。抵抗する獅子身中の虫を、焼き払え』**


これは、徳川宗家の血統を(一時的に)傍流に移してでも、改革を完遂するという執念の決断であった。

この発表が行われた瞬間、尾張・水戸・薩摩、仙台、岡山、彦根、福岡、佐賀などの列藩同盟は、「将軍位の簒奪」を大義名分として、一斉に挙兵することになる。


そして財閥たちは、静かに店のシャッターを下ろし、裏口から「帝国政府軍」への莫大な献金を持ち出した。


「さあ、祭りの始まりだ。……勝つのは、海を持つ者だけだ」



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