海を渡る歌
幕が開く
海を渡る歌 ― 唄詩歌島、出現 ―
潮風が王都の高台まで吹き抜けたその日、リクは違和感で目を覚ました。
胸の奥を揺らすような、低く、長い……歌。
いや、“声”と言った方が近い。
言語ではなく、意味が直接頭に響いてくる不思議な波動。
「また聞こえる……。昨日よりはっきりしてる」
寝台から起き上がると、セリアが窓辺で同じ方向を凝視していた。
「海の方角だよ。リク、あれ……呼んでる」
彼女の髪が風に揺れ、その瞳は微かに金色に光っている。
風の精霊としての感覚が、遠くの“異界の波”を拾っているのだ。
リクはうなずき、胸に手を当てた。
そこには赤い紋章──“神熊”レッドベアーの加護が静かに脈打っている。
すると、熊の声が微かに響いた。
『海の奥……古い歌だ。封じられた神の匂いがするぞ、リク』
「封じられた……神?」
熊の声は続く。
『これは呼びかけだ。ただし、歓迎ではない。
“鍵を持つ者”を試すための歌だ』
鍵──それは、リクの中に宿る“神の欠片”。
影王の核と共鳴したあの力だ。
セリアは外を指さした。
「見て。海の向こう、光ってる」
水平線の上に、淡い青白い帯がゆらゆらと揺れていた。
蜃気楼かと思ったが、風の精霊であるセリアが首を横に振る。
「あれは……境界。
この世界と、消えた島をつなぐ扉が、開き始めてる」
◆
その日の午後。
王城の謁見室は異様な緊迫感に包まれていた。
老王エルヴァンが玉座で目を細め、海図の前に立つリクとセリアへ告げる。
「海軍より報告が届いた。
昨夜、沖合に“島の影”が現れた。だが近づこうとした船が、歌の波に弾かれたという」
「歌で……船が?」
「唄詩歌島だ。」
王の表情は険しい。
「百年前に消えたはずの島だが、神を歌で縛っていた古代部族が住んでいたとされる。
もし島が復活するなら──世界の均衡が崩れかねん」
セリアが問いかけた。
「だから私たちに?」
「そうだ」
王は頷く。
「リク──お前は“神熊”の加護を持つ者。
セリア、お前は風の精霊の魂そのもの。
神と精霊の力を併せ持つ者だけが、その島に入れると記録されている。」
静まる謁見室。
リクの中で赤い力が低く唸った。
『行くぞ、リク。あの歌……俺を呼んでいる』
◆
翌朝。
リクとセリアは王都港の出航台に立っていた。
新造船《アマネ号》の甲板では乗組員たちが緊張の面持ちで準備をしている。
「本当に行くの?」
村から駆けつけたマヤが心配そうに見上げる。
リクは笑って頷いた。
「ああ。行かなきゃならない。あの島が目覚めた理由を確かめるために」
セリアは風をまとってマヤの頭を撫でる。
「大丈夫。すぐ帰るよ。……必ずね」
マヤはぎゅっと拳を握った。
「約束だよ!」
◆
出航の合図が鳴り、アマネ号は白い波を蹴りながら海へ出た。
水平線の彼方。
薄青い“歌の膜”が、まるで生き物のようにうねり、近づく者を試すように揺れている。
セリアが耳元で囁いた。
「リク……あれが唄詩歌島の入口だよ」
リクは深く息を吸った。
海を渡る歌は、今も響いている。
――来たれ、鍵を持つ者。
赤き獣と風の娘よ。
失われた神を呼び戻せ。
リクは前を見据えた。
「よし……行くぞ、セリア」
彼らの船は、青い壁へと突き進む。
新章の第一の幕が、静かに、しかし確実に開かれた。
唄詩歌島へ…




