第36話 王都炎上
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第36話 王都炎上 ― 影の軍勢、侵攻開始 ―
王都レグナリアの空は、夜が来るよりも早く黒く沈み始めていた。
その黒は自然の闇ではない。風もなく、雲もない。だというのに、空を覆うのは――生きて蠢く影だった。
最初にそれを知覚したのは、王都西門の監視塔に立つ若い兵士だった。
「……空が、揺れている……?」
瞬きするたび、視界の端で黒い波が膨らみ、縮み、また形を変える。影が生きているかのように。
兵士は恐怖より先に「理解できない」という無感情に近い混乱を抱いた。
だが次の瞬間、その黒が「目」を開いた。
無数の赤い光点。すべてが兵士を見下ろし、笑うように爛々と燃えあがる。
「――っ、侵攻……影の軍勢だ!!」
ようやく声が出た時には、空から降り注ぐ影の槍が、監視塔の壁を粉砕していた。
爆発的な衝撃。塔の半分が砕け、兵士の叫びは炎とともに夜空へ散った。
◆
王城の最上層、謁見間にいる国王アルヴェルトにも破壊音は届いた。
振り返ると、窓の向こうの王都の一角が赤々と燃えあがる。
「ついに……来たのだな」
声は震えていた。王でありながら、戦士ではない己の弱さを、アルヴェルトは噛み締めるしかなかった。
その横で、第一王女リィナが剣を握りしめる。
「父上、城の防衛を強化しなければ……!
影王が動いた今、王都は長くもちません!」
「わかっている。だが……」
アルヴェルトの眉が迷いと恐怖に揺れる。
その時、重厚な扉が力強く開いた。
「国王陛下! 影の軍勢、城下に突入を開始しました!
黒騎兵、影獣、影霊の三種が混成で……既に兵の線を破っています!」
伝令は血まみれだった。息が荒く、全身が震えている。その背後まで黒い影が追って来そうなほどに。
リィナは剣を引き抜いた。
「私が出ます。父上の護衛はここに残して。私は前線で指揮をとります!」
「リィナ……危険だ!」
「生まれた時から危険でした、影王の呪いを受け継いだ私には。
だからこそ――ここで逃げたら、意味がありません!」
王女の瞳には、恐怖よりも燃える決意が宿っていた。
アルヴェルトは、弱い王である自らが娘を戦場へ送るという残酷さに、胸が裂けるような痛みを感じた。
「……行け。だが、必ず戻ると約束してくれ」
「必ず、です。負けません」
その一言は、王都を覆う闇の向こうで、唯一の光のようだった。
◆
王都の通りには既に炎が走っていた。
民家が燃え、悲鳴が交錯し、兵士たちが影獣に喰われてゆく。
影獣は狼の形をしているが、中身は空洞で、斬っても斬っても再生する。
「影を切れ! 光を持つ者は前に!」
「おい、後ろからも来るぞ!!」
「ぎゃあああっ!!」
恐慌状態の叫びが、火と影の中で渦を巻いた。
その中心へ、リィナは疾走する。
風の魔法をまとい、影獣の群れをかき分けるように進む。
「退け!! 邪魔をするな!」
一閃。
王女の剣から溢れた蒼い光が、影獣の影核――僅かに光を欠いた黒い核石を砕く。
影獣は悲鳴とも嗤いともつかぬ音を上げ、霧のように消えた。
兵士たちが歓声をあげる。
「姫様だ! 姫様がいらしたぞ!」
「まだ押し返せる……まだ戦える!!」
希望の灯火が小さくともともる。
だが――その火はすぐに、さらなる「闇」に呑まれた。
◆
王都の中央広場。
そこに、空の影が凝集し、黒い渦となって降り立つ。
影は地に触れた瞬間、ゆっくりと“形”を取った。
漆黒の外套。
白銀の仮面。
そして人のものとは思えぬ、深淵の紅眼。
「……影王、ヴァルグラント……」
兵士たちが生唾をのむ。
影王はゆっくりと、燃える王都を見渡し、淡々と宣告した。
「――王都レグナリア。
ここから先は、影界の領土とする」
その声は冷たく、しかし圧倒的な重さで空気を歪めた。
リィナは剣を握り直す。
「来たのね。……父を、民を、影に渡さない!」
影王は静かに視線を落とす。
「王女リィナ。
おまえは“影の半身”だ。そろそろ気づく頃だろう。
この世界が、おまえを拒み始めていることに」
「……黙れっ!!」
リィナが突進するより早く――
黒い鎖が地面から伸び、彼女の足首を絡め取った。
「く……っ!!」
「おまえの力は、こちら側でこそ完成する。
抗っても無駄だ。おまえは――影の器だ」
「私は……誰にも……奪われない!!」
リィナの叫びと同時に、影王の背後からさらに巨大な影獣が現れ、王都中心部を踏み荒らし始めた。
炎は高く、高く上がり、王都全体が赤と黒に染まる。
影王の宣告どおり、王都は――崩壊の序章へと落ちていった。
わーあ




