ここにいる
白銀の髪は暗がりの中でも美しく輝いていて、とろりと蕩けた金色の瞳から涙を流す姿はまるで神聖なもののように清らかで綺麗だ。
檻の中、しかも全裸に狼の耳と尻尾という恰好でもある意味美少年には似合っている。こういうのが性癖の人間には刺さりそうだなぁと思うくらいには。
「ぅあっ、え、なっ、わあっ……!?」
ポカンと顔を見合わせていたのも一瞬で、すぐにルガルは慌てふためいて自分の体を手で隠そうとする。不可抗力でバッチリ見てしまったが私も中身はまともな大人だ。すぐに手近にあった真っ白なテーブルクロスを引っ張って檻に近付ければ、お礼と共に伸びてきた手にパッと取られる。
少し心許ないが体を包めるほどには足りたようだ。真っ赤になった顔だけを出したルガルはまだこの状況に混乱しているように見えた。
「大丈夫?」
「ぁ、えっと、うん……いや、待って、なんだか、よく……」
「落ち着いて。深呼吸したら?」
「う、なんだかユリア、あんまり驚いてない……?」
「十分驚いてるわ。狼がいきなり人になるんだもの」
私じゃなかったらそれはもうパニックになるだろうが、前世でケモミミキャラはたくさん見てきた私だからこその寛容性だ。皇女としての落ち着きと寛大さだと思ってもらえると都合がいい。素直にそっかと応じたルガルはまるで疑いもしないで深呼吸をしていた。
「落ち着いた?」
「うん……おれ、人間に戻れたんだ……」
「戻れた? でもあなた、耳と尻尾はそのままよ?」
「えっ! ……ほ、本当だ…………」
裸ということにしか目が行ってなかったのだろう、耳と尻尾を手で確認したルガルの表情が複雑に染まる。
人間に戻れた、と言うからにはちゃんと追及した方がいいのかもしれない。元々隠し事は苦手そうなタイプだ。罪悪感で潰れそうになるくらいならここで明らかにしてちゃんと人間扱いした方がお互いに気が楽だろう。
ルガル、と名前を呼べばしゅんと垂れた耳がピクリとこちらを向く。そういえば、ルガルという皮肉を込めた名前も使うのはこれで最後かもしれないなぁ。
「これが、あなたの秘密なの?」
「、ぁ……」
真っ赤な顔が、途端に青褪める。狼が人になるなんてさすがに異世界でも普通じゃない。不可思議なアニマの恩恵でもありえない。
檻の中で白い布一枚だけに包まれたケモミミの美少年が震えている。改めて絵面がやばいなぁと思わざるをえない。
「ルガルは、人になれるの?」
「……、……違うよ。おれは元々、人なんだ。でも、気付いたら狼になってて、それで……っ、騙して、ごめん……! だからアニマの契約も、失敗したのかもしれない……ごめん、ごめんなさい、こんなアニマ、嫌になった、よね……?」
さっきの今でまたしても不安になってしまったルガルに小さく息をつく。すぐにショックを受けるルガルこそわかっていない。私が本来どれだけ図太く、生に執着しているかを。
ビクビクと怯えるルガルはアニマの契約で成長したからか見た目は私より五歳くらい年上だろうか。それでも痩せていて骨は浮いていたし細マッチョとも言えない体つきを思い出す。正直原作の堂々とした主人公ならともかく、今のルガルは好みじゃない。
「世界は広いもの。私が知らないだけで、そういう人がいたっておかしくはないわ。それに、あの男だって人間のくせに私のアニマになろうとしていたのよ。あんな男よりルガルが何十倍もマシよ」
「そ、れは……そうかもしれないけど……でも、おれだって、ユリアを利用しているようなものなんじゃ……」
「私はね、ルガル。この世界で生きていられるならなんだっていいの。ルガルが狼だろうが、人間だろうが、私のために生きて、怪我なく過ごしてくれるならどっちでも構わないわ。人間なら尚更、私の考えを理解して、尊重してくれるでしょう?」
「……、ユリアは……どうして、そこまで……」
戸惑った言葉は続かない。あくまでルガルは私のために生きようとしただけで、心から生きたいとは思っていないのだろう。だから中途半端に呪いが解けただけだ。
ルガルはわからない。私が生きたいと願う意味もまだ理解できない。だって自分が、そう思えないから。
「私には、夢があるの。ずっとずっと、叶えたい夢が」
「夢……?」
これは前世から引きずっている私の遺恨とも言える執念。女として生まれたからには、一度くらい経験してみたいのだ。
「心から愛し合う人と結ばれて、子供を、育てたいの」
愛してくれた両親がいた。素敵な人と結婚して、孫を見せてあげたかった。今はもう、朧気になった前世の両親に、私は何も返せない。
だけど、今の両親には何か一つでも残したい。私が生きた証を、幸せだった軌跡を、残して逝きたい。そして願うことなら私も曾孫まで拝んで死にたい。貪欲に生きたい。
「……ユリアはまだ、子供だよね……?」
「あら、恋愛に歳なんて関係ないわ。好い男には早めに唾をつけておかないと、誰かに取られちゃうもの。お父様も婚約者は自分で決めていいって仰ったわ。だから早く好い人を見つけなくちゃいけないの」
「そう、なんだ……、……?」
「ルガル? お腹痛いの?」
胸元を押さえて黙り込んでしまったルガルが心配になって檻に顔を近付ける。水もご飯もろくに食べていないから人間の体になって耐えきれなくなったのだろうか。
さすがに狼用の器に入った水を勧める訳にもいかず、できるだけ急いで足を引きずりながら水差しとコップを持ってくる。ふらつきながらもなんとか死守して戻ってみれば、檻の中のルガルが飲むには不便だったようだ。
「……なんで狼に戻ってるの?」
『……わからない……』
もふもふとした白い毛並みの狼が一匹、テーブルクロスを纏ったまま気落ちしたように踞っている。一瞬で呪いが進行する主人公のメンタルが怖い。
「何か条件があるのかしら。ルガルさえ良かったら調べてみるわ。お父様にも相談してみましょう」
『……今度こそ、引き離されたりしない?』
「私がさせないわ。それより、ルガルには本当の名前があるんじゃないの? そっちがいいならそうするけれど」
ルガルの呪いは何かと曖昧な部分が多い。彼自身の生きたいという気持ちでどうにかなるものなのだが、今のルガルにはまだ難しいのかもしれない。
ただでさえルガルにあまりいい感情を抱いていない皇帝にどう説明したものかと頭を悩ませながらそういえばと名前のことを尋ねる。ルガルよりもリヒトの方が彼にはピッタリのネーミングセンスだ。
『……いや、ルガルがいい』
「え? でも」
『おれは、ルガルだよ、ユリア』
頑なな態度にルガルがそれでいいならわざわざ無理強いするほどでもない。頷けばホッと安堵した様子を見せるルガルはまだ心から私を信じきっているわけではないのだろう。
お互いにこれから歩み寄っていければいい。少なくとも、ルガルは私を嫌っていないし、私のために生きたいと思ってくれた。今はそれで十分だ。
「おやすみ、ルガル」
今日はもう遅いからとルガルに促されるままにベッドに戻る。少し無理をした足が痛んでなかなか寝付けなくても、私の心はどこか達成感に満たされていた。
『おやすみ、ユリア』
部屋の隅にいても、声は届く。私のアニマはここにいる。