転生皇女と呪われた主人公
雪のように真っ白な毛並み、月のような金色の瞳。しっかりと躾けられているのか、吠えることも怯えることなく首輪に繋がれた紐を引かれて現れたのは一匹の子狼だ。
成長したらだいぶ大きくなるだろうその子狼を一瞥して、連れてきた父を見上げる。満足げな彼の表情とは裏腹に私の心はブリザードが吹き荒れていた。
「……お父様、どうしたんです、この子は」
「ユリアの八歳の誕生日プレゼントにと思ってな。真っ白で美しい狼だろう。父様はお前が狼好きだと隠していてもちゃんとわかっているぞ」
「…………だからって、欲しいとは思っておりませんでした」
誰だ。私の情報を横流したのは。後ろに控えていた執事長と侍女達をさりげなく睨んでもニッコニコの笑顔で返される。完全に素直じゃない子供を見る目の彼らにすぐに目をそらして諦めた。
ああ、こんなことなら狼なんて興味ないふりじゃなく、嫌いなふりをしておけばよかった。なんて、今さらすぎる後悔だ。
原作とは違った形だとはいえ、結局は我が家に来てしまった子狼を見つめる。今は狼の姿をしている彼の正体が人間だと、一体誰が信じられるだろうか。
「実はディルクも狼を欲しがっていてな、ユリアが気に入らんのなら別の子にしよう」
「お、お待ちください、お父様……」
「うん? どうかしたかな、ユリア」
わざとらしく首を傾げる父が外では厳格な性格にも関わらず家では妻子を溺愛していると誰にも信じてもらえないように、この子狼が本来は人間だなんて誰も思うわけがない。原作の読者だった私だけが知っていて、私だけがこの先の未来も知っている。
もうすでに関わらないでいる道は途絶えてしまったんだ。だったらもう、腹を括るしかないじゃないか。
「ディルクはまだ子供です。アニマがどういうものかもまだわかっていないでしょうから、私が弟の手本となりましょう」
「つまり? どういうことだい?」
「……っ、だから、この子は、私にください……!」
「はい、よく言えました。いい子だね、ユリア」
えらいえらいと頭を撫でられながら居心地の悪さに顔を赤くする。見た目こそ私もまだ八歳の子供だが、中身はプラス二十余年だ。普段は落ち着いていて大人びた子として扱われている私の子供じみた態度に大人達はそれはもう嬉しそうに微笑んでいる。
ああもう、本当に居たたまれない……! 中身は父親と同世代だとは考えないようにして、父から子狼の繋ぎ紐を受け取る。子狼はじっとおとなしく座ったまま私を見上げていた。
「いいかい、ユリア。契約を交わしたらこの子が君のアニマになるんだ。しっかりと後悔のないようにやりなさい」
「はい、お父様」
アニマとは魂のことだ。この世界では一人につき一匹の動物と一生を共にする代わりに、事故や病気になった際に一度だけその動物の命をもって生き長らえる慣習がある。
父の肩には白い蛇が居座っているし、執事長の足にはコアラがくっついているように、彼らは生涯共にあり、彼らを犠牲に一命をとりとめることができるというわけだ。
魂を分け合うアニマの契約は一生に一度だけ。だからこそ人々はアニマを大切にし、家族以上の信頼関係を結ぶことになる。彼らとの信頼関係の分だけ何かあった時の見返りが大きくなるのだから。
──だったら、それがもし、動物じゃなくて人間だったら?
「……よろしくね、私のアニマ」
吠えることも、唸ることもしない子狼はぱたんと垂れていた尻尾を一度だけ揺らす。
アニマとの相性もあるので様子を見て神殿で契約を結ぶのは一週間後。それまでに逃がすか、匿うか、別の誰かのアニマにするか考えなくては。ああ、でも、今はまだ。
「誕生日おめでとう、ユリア。可愛い私の娘」
「ありがとうございます、お父様」
優しくて甘いイケメンのパパに媚を売っておくのも悪くない。後ろに撫で付けられた私と同じ金髪に綺麗なアメジストの瞳、年齢を感じさせない美壮年のお父様に軽く抱き上げられながら照れないように無心で笑みを浮かべる。
この帝国の皇帝ともあろう人の娘として生まれた私は皇女ユリア・ディヴァントとしてここにいる。この世界は前世でハマった『獣魂』と呼ばれる漫画の世界であり、主人公は呪いで狼の姿に変えられたこの白い子狼だ。
本来なら私がアニマショップで駄々を捏ねて手に入れる筈の子狼は実は人間であり、そうと知らずにアニマの契約を結んだユリアは十年後、とある事件に巻き込まれることになる。そこでユリアと主人公は深い傷を負うが、アニマの契約で一命をとりとめたのはユリアではなく主人公の方だった。
つまり、ユリアの命を犠牲に、主人公が助かったのだ。まるで、そうなることが当然のように、人間ではなく獣側が生き長らえた。
人々はそれに恐れ、戦慄し、自分のアニマに初めて猜疑心を抱く。そしてその恐怖は国を揺るがし、娘をアニマに奪われた皇帝は狂気に染まり、やがて全ての獣を排除しようとする。
そこで立ち上がったのは主人公だ。成長した白狼は獣の王となり、人間に立ち向かった。戦いののちに主人公が皇帝を討ち取り、この国の王として玉座に座って初めて彼の呪いは解け、銀髪で金色の瞳の美青年が多くの獣を従えて終わる、といったストーリーである。
そう、私ことユリアは死ぬ。お父様も狂って死ぬ。最悪の結末すぎる。
「さあ、名前を決めてごらん。アニマとの間に結ばれる最初の繋がりだ」
そっと子狼の前に下ろされて名付けを促される。とはいえ、私は本当の彼の名前を知っている。リヒト・オルガナ。皮肉にも人という言葉を持つ彼の名前に笑ってしまう。
私がユリアとして生まれた時点で、ずっと主人公の存在に怯えて生きてきた。いくら私が関わりたくないと思っていても、原作の強制力で私は結局死ぬんじゃないかと。現に私は主人公とこうして出会ってしまった。私の意思とは裏腹に、物語は始まろうとしている。それがどれほどの恐ろしさか、私と同じくまだ幼い子狼は理解すらしてくれないだろう。
「ルガル……ルガルにします」
「ふむ、王、支配者か。大それた名だが、皇女たるユリアのアニマには相応しい」
「ふふ、いえ」
微笑んで、かぶりを振る。言う必要はない。私だけが皮肉を込めて呼んでやろう。
狼男だと。