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氷の騎士令嬢は、王太子殿下に溶かされる

「キャワイイでちゅね~!モフモフですべすべ。リューちゃんは私の事が大ちゅきでちゅね~!」


アレンは自分の目の前の光景を呆然と見つめていた。




この国の王太子には婚約者候補の令嬢が3人いる。


淑女の鑑といわれる美しさと品を兼ねそろえた公爵令嬢のローラ嬢、

この国の宰相を父に持つ聡明な侯爵令嬢のアナスタシア嬢、

そして知略に富んだ知識と剣の実力もある辺境伯令嬢、ソフィア嬢。


三人の令嬢の誰がこの国の王太子妃となっても、相応しい血筋と実力を兼ねそろえている。

三人の令嬢にはいわゆる二つ名がある。

可憐な美しさと佇まいから、花の妖精姫ローラ。静かな美しさと落ち着きから月の妖精姫アナスタシア。そして常に表情を変えることなく、口数も少ない、冷たい印象から氷の騎士ソフィア。

三人のうち、ソフィア嬢だけは、美しいがあまり動かない表情やその透き通った冷たい氷の色をした瞳と、どこか中性的な雰囲気から騎士と呼ばれている。


王太子である、アレンは、2年前から交流を持っている三人の中で、誰を婚約者に選ぶべきか決めかねていた。

正直王太子としての立場という目線でしか、物事について考えたことがない。

両親は政略で決まった結婚で、隣国の王女であった母は教養も品も兼ねそろえた素晴らしい女性だが、父と母はいわゆる愛や恋などといった甘い関係ではなく、義務と責任のもとに共にあるような割り切った関係だ。

決して不仲ではないが、甘い二人の姿を見たこともない。


妹のアイラとも、仲は悪くないが、基本的に過ごす時間が違うため、食事の時間くらいしか共に過ごしていない。

もちろん、用もないのに会いに行くようなことは一切ない。


その日は恒例の、月に一度の婚約者との面談があった。

面談といえば、仕事のようだが、アレンにとってはまさに仕事の一環だった。

大体が月に一度、乃至2度ほどそれぞれと二人で過ごす時間を設けている。

アレンの秘書官で友人でもあるカイルは、未来の王妃として相応しいのはやはり、淑女の鑑と言われ、令息たちからもその可憐さから人気のあるローラ嬢を推している。

一向に婚約者を決めないアレンに、カイルはしびれを切らした。


「アレン様は色々考えずに顔だけでなら、誰が好みですか?」

「好み…など、考えたこともないな。正直、王妃となる器があれば誰でも同じだ。」

「いや…、アレン様って、恋したことないんですか?」

「恋?ないな。する予定もない。」

「マジですか…。」


という会話をしたのが1週間前の話だ。


そして今日は辺境からわざわざ会いに来てくれたソフィア嬢と二人で会った。

もちろん、カイルも近くに控えているし、彼女の専属の侍女も一緒だ。


「遠いところ、わざわざすまないな。」

「いえ、こちらこそ、殿下とお会いできて光栄でございます。」


そう返すソフィア嬢の表情は全く動いておらず、瞳もいつも通り、冷めたものだった。

当たり障りのない話と辺境の様子を聞いて、盛り上がることなく、いったん解散した。

妹のアイラが、氷の騎士としての名を馳せているソフィア嬢の熱烈なファンのため、夕食を共にしようと決まったため、いつもは王都にある辺境伯の別邸に滞在するところを、今日は王城の客間に部屋を用意したのだ。


辺境伯の領地は、隣国に接しているため王都からは馬車で丸2日かかるのだ。

そのため、社交シーズンを除くと三人の中で圧倒的にソフィア嬢と会う機会が少ない。

会話も少ないため婚約者候補となって2年たつが、相変わらずよくわからない令嬢だ。

ただ、侍女たちの間でも中性的な美しさをもつソフィア嬢は人気があるようだった。


「なでなでしていい??ううん、なでなでするね。ああ、可愛い!!気持ちいいの?きゃわいいね~!リューちゃん、今日は私と一緒に寝る?」


そう…。

だから、目の前の猫と戯れる…いや、猫のお腹に顔を埋めてスリスリしている令嬢が、氷の騎士様の異名を持つソフィア嬢だとは到底認識が出来なかった…。


彼女がリューちゃんと呼ぶその猫は、妹のアイラが誕生日におねだりしてプレゼントされた真っ白の雄猫だ。

他国の血統書らしいが、吊り上がった金色の目と潰れたような鼻が不器量なその猫に、有名な冒険物語のラスボスとして登場する怪物、リュウオウの名をつけたアイラに、なんてセンスだと呆れていたが…。

そのぶさ…いや、愛嬌のあるリュウオウを撫でくりまわし、さらにお腹に顔を埋めて頬ずりする様は…。


その時、その信じがたい光景を目の当たりにしながら一歩も動けない私と、リュウオウの目が合った。

ウットリとしていたその金の目に途端に警戒心を表し、

「ナォオッ。」

と、鳴き声まで可愛くない声で一声鳴いた。


「ん?リューちゃん、どうしたの?何かいた…?……あ………でん…か…。」

「……やぁ…ソフィア嬢…。」

「………。」


顔を上げた、いつもは美しい銀髪を高いところで一つに結んでいるきっちりとしたソフィア嬢の髪はボサボサに乱れ、ドレスのあちこちに白い猫の毛がついている。もちろん、スリスリしていた顔も毛だらけだ。


じっと見ていると、あろうことか、ソフィア嬢はスッと立ち上がり、パンパンと毛を払い落すと、乱れた髪をササッと手で整え、いつものスンとした表情をつくる。

「ごきげんよう、王太子殿下。」

「ブホッ!!」

思わず噴き出したアレンに、ソフィア嬢はカァッと真っ赤になる。


手で口元を押さえながら、笑いを必死で治めようとするが、すぐに先ほどの光景を思い出してまた吹き出してしまう。

「いやいや…、無理があるだろう!何もなかったみたいに…クッ…取り繕っても…フハ…あーーー、無理だ、悪い、我慢できない!ハハハッ!!」

噴き出して大笑いするアレンに、涙目で睨みつけるように真っ赤になっているソフィア嬢が可愛い。

なんだ、この令嬢…、いつもと違いすぎるだろう!

面白すぎる…。


「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか…。す、好きなんです…。」

ドキッ…

「す…好き…?」

え…、待って…。

アレンの心臓が急にバクバクと激しく動き出す。

「はい…、猫…大好きなんです…。我が辺境伯家は馬と犬はおりますが、愛玩用としての猫は父が許してくれないんです…。だからここに来たらリュウオウと思う存分戯れることが出来るから…いつも楽しみにしているのです…。」


赤い頬を隠すことなく恥ずかしそうにはにかんだソフィア嬢は、普段のスンとした氷の騎士と呼ばれる中性的な顔ではない。

普通の16歳の可愛らしい令嬢だ。

なんだ。いまいちどんな人かわかりかねていたが…可愛らしい…。

相変わらずアレンの心臓の音はうるさい。

なんだ、これ…。

なかなか治まらないぞ…。


「な、内緒にしていてください。こんな私を知ったら、みんなガッカリしてしまうでしょう…?」

困ったような顔でお願いするソフィア嬢に、悪戯心が湧いてくる。


「いいよ。そのかわり、今度からリュウオウと遊ぶときは私も一緒だ。」

「え!?いえ、それは…!」

「ん?何か問題ある?」

「…いえ…ありま…せん…。でも…。」

「もうさっき見たから…クックック…次は驚かないよ。ハハッ。」

「わ、笑うじゃないですか!」

「ハハハッ!それはもう慣れるまで諦めてくれ。」

「……わかりました…。」


少し拗ねたような赤い顔が、何とも言えず可愛らしい。

温かい気持ちになってじっと見つめる。


「何ですか…?」

視線に気付いたソフィア嬢が恨みがましい目でこちらを伺う。

「いや、氷の騎士様だなんて呼ばれているけど、普通の可愛い女の子なんだなって思って。」

「なっ!!」

途端に湯気が出るんじゃないかと思うほど真っ赤に染まったソフィア嬢が口をあんぐりと開けたまま静止する。


「ハハ、ほんともう、予想外だ。ほら、リュウオウが君が遊んでくれるのを待ってるぞ。」

その言葉でソフィアがハッとリュウオウを見下ろすと、撫でて?と、言うように期待のこもった金色の眼差しを向けて待っている。

「ご、ごめんね、リューちゃん!」

すぐにソフィア嬢はリュウオウを抱き上げて撫で始める。

気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らすリュウオウはご満悦だ。


執務の忙しさに、気分転換に抜けてきたが思わぬ息抜きになった。

近くで見つめていても、最初はこちらを気にして押さえていたソフィア嬢も、いつのまにかまた、リュウオウに夢中になり始めた。

氷のようだといわれるアイスブルーの透明な瞳はキラキラと輝いていて、騎士というより無邪気な天使みたいだ…。

ソフィア嬢の剣技を見たことがあるが、それは素晴しく流れるような剣さばきで、中性的な美しさから男性よりも女性のファンが多い。

辺境という、隣国に接した領土の為、辺境伯領は辺境騎士団と呼ばれる王都の騎士団にも負けない屈強な騎士たちが数多くいる。

彼女の兄や弟も優秀な騎士であり、もちろん辺境伯であるソフィア嬢の父は王国騎士団長でさえも勝てないと言われるほどの実力者だ。

ただ、出世欲がなく、平和を愛する穏やかな気質から、この度娘が婚約者候補に挙がったのだ。

もともと彼らの忠誠心は高いが、縁戚という絆で結ぶことは、常に隣国からの脅威に晒されている国土の小さなこの国では重要だった。

しばらく彼女たち…ソフィア嬢と猫を見て癒されてから執務に戻る。


「あれ、アレン様。珍しく遅かったですね。」

「ああ、そうだな。いい気分転換になった。」

いつも通りに書類を片手に椅子に座ると、カイルがじっと見ている。

「ん?なんだ?」

「いえ…なんかありました…?」


「いや、別に…。ただちょっと、面白い猫を見つけただけだ。」

「猫ですか?あぁ、アイラ様の猫…!あいつ、不細工ですよね~。」

「フ…そうだな…。」

思わず先ほどの光景を思い出して、笑いが漏れる。

「なんか憑き物が落ちたみたいな顔してますね…。だったらブサ猫にも感謝ですね。」

どこか嬉しそうなカイルに、小さく笑う。

「そうだな。」


アレンは書類を次々手に取り、仕事をこなしていく。

なんだか…不思議といつも以上に捗りそうだ。



「ソフィア様、今度の剣術大会に参加されるのですか?」

「はい。その予定です。ですが、今回は弟も参加する予定ですので優勝は難しいと思います。」

「まぁ、ライアス様が?かなりお強いそうですね。」

晩餐の席で、楽しそうにソフィア嬢に話しかけるアイラはまだ13歳の子供だ。

母譲りの美しい金髪に、王家の色である金色の目をした王女だ。

父である王は、家族への愛情表現などはあまりない人だが、アイラを見る目は優しい。

やはり、娘は可愛いのだろう。


「ソフィアさんの剣技はお父君である辺境伯から学ばれているのかしら?」

ワインを一口飲んだ後、母が問うと、ソフィア嬢は小さく頷く。

「はい、我が辺境伯家は3歳の誕生日を迎えたころより、剣の鍛錬が始まります。弟は生まれた時から体が大きかったこともあって2歳半で木刀を持ちました。」

「2歳半…。」

絶句したように驚く母に、少しだけ口角を上げたソフィア嬢が稽古の内容を話し始める。


父である王も興味深そうに聞いている。


アレンは話を聞きながら物怖じすることなく、アイラ憧れのスンとした顔でスラスラと話すソフィア嬢を見つめる。

頭の回転がいいのだろう。興味を惹く話し方。様々な知識。普段から剣を持つためか、姿勢が良く、細いのに令嬢にしては均整の取れたしなやかな体つきだ。

吹けば折れそうな令嬢ではない。


カイルが勧める公爵令嬢のローラ嬢は彼女の真逆だ。

吹けば折れそうな儚げな美貌と可憐な佇まい。出世欲の強い公爵が王族との縁戚を望んでいたため、彼女は幼い時から妃教育に匹敵する教育を受けさせてきたという。まさに淑女の鑑といった令嬢だ。

男性をたて、一歩後ろからついてゆくような、男性が好む性質を身に着けている。


宰相の娘である侯爵令嬢のアナスタシアは大人しい令嬢だ。

父である宰相が冷静でどこか冷たい印象のある秀才のため、幼い時から勉強付けだったようだ。

知識も深く、政治の話も出来るが、正直妻というよりも部下に持ちたいタイプの令嬢といった印象だ。

彼女は城の図書館によくいるため、文官たちに人気だ。


「ソフィア嬢は好きなものはあるのか?」


父が珍しく尋ねると、ソフィア嬢は落ち着いた様子で「読書と馬です。」と答えた。

ゴホッ!

思わず咳き込む。

「どうした?アレン。」

「…いえ、少しむせました…。」

猫もだろう!

少し警戒したようにソフィア嬢がこちらを軽く睨んだ。


「辺境は魔馬が有名だな。」

「…はい、辺境伯領で飼育育成をしております。魔物の様に強い馬ということで魔馬と呼ばれていますが、とても穏やかで優しい性格の馬が多いのです。山岳地帯で育てますので、足腰が強く、骨も普通の馬より太く頑丈なのです。毎日相当な距離を走らせるため、体力もあります。」

「私の馬も辺境伯から献上された魔馬だ。あれは良い。早くて力強い。」

フッと父が微笑む。


実は父も馬が好きなのだ。

暇を見つけては遠乗りに出かける父に、時々母が不満を漏らしているそうだ。


「ソフィア様はどのような本をお読みになるのですか?」

アイラが乗り出すように熱い視線を送っている。

13歳の少女から見たら、確かに中性的な美しさをもつ剣技も身に着けた令嬢は憧れの対象なのだろう。

兄である私の事もそんな目で見たことがないくせに、金色の瞳には熱が籠っている。


「兵法と呼ばれる本が多いですが、冒険の物語なども読みます。祖母が他国出身ですので、幼い時は祖母の国の本を、好んで読んでおりました。」

「ああ、確か友好国のデルストイ公国のご令嬢だったな。」

「はい、さようでございます。祖母の国はこの国と食文化が異なるため、新鮮で楽しく、子供のころは自分で祖母の国の料理を作ろうと調理場に入って料理長に叱られました。」

「まぁ、料理長が領主の娘を叱るの?」

「はい。父は間違っていることは相手が誰でも注意して良いと使用人たちには伝えております。それで不敬だと叱責されることはありません。刃物等が多い調理場は子供の遊び場ではないため、安全のために料理長が私を叱ることは当然です。結局料理長が私が作りたかった料理を作ってくれて、祖母の国の味を知ることが出来ました。」


「アイザックらしいな。」

王がソフィア嬢の父の名を呟きフッと笑う。

父は昔から強くて真面目で曲がったことの嫌いなアイザックを、兄のように慕っているのだ。


「ソフィア嬢はデルストイ公国の言葉がわかるのか?」

ふと、気になってアレンが聞くと、当たり前のように頷く。

「はい、もちろん。隣国との境界に位置する我が領は、侵入者が来てもわかるように、隣接する、アデリア国と、パドキア帝国、友好国のデルストイ公国や王妃様の母国であらせられるリエンタ王国の言葉を幼い時に身に付けます。兄は更に2か国をマスターしております。」


「すごいな…。私でもアデリア国の言葉はわからない。」

アレンが感心すると、ソフィア嬢はなんてことないように首を傾けた。

「アデリア国は長く敵対している国ですからね。交流自体がないので、共通語さえ身に付けていたら疎通が出来ますから。ただ、隣接する我が領は侵入者や密入者がいればすぐに捕らえられるよう、言葉の癖や訛りまでアデリア国の言葉の全てを学ばないと対処できません。そのため一番最初に学ぶ外国語がアデリア国の言葉です。」


「すごいわ、ソフィア様。まさに文武両道ですわね!素敵。」

アイラがはしゃぐと、ソフィア嬢は優し気な視線を返した。


この2年、私はソフィア嬢と何を話し、どんなことをしたか…。

人となりを知る努力などしていなかったのではないかと改めて思った。


これは他の令嬢2人のことももう一度知る必要があるな。

少し反省すると、まだ知らない婚約者候補の3人について、深く知るためにどうするか考える。

きっと、ソフィア嬢のように、他の2人にも思ってもいなかった一面があるのだろう。


翌日はソフィア嬢と共に王都を散策した。

一応、婚約者候補となって以来、誕生日などにはプレゼントを贈ってはいたが、相手の事などわかっていなかった為、3人共、普通の令嬢なら喜ぶであろう無難な物をカイルに頼んで贈っていた。

基本的には花や髪飾りなどの装飾品だ。

だが、よく考えると、ソフィア嬢の好きな物って違うのではないだろうかとふと思った。


「君の行きたい場所へ行こう。」

そう伝えると、嬉しそうに「良いのですか?」とアレンを店に案内した。

「ここは…。」

「はい、猫カフェです!ずっと行きたかったのです。猫を思う存分可愛がりながら、美味しいケーキも食べられるという、夢のような場所です!」

「…君、私に取り繕うの、やめたね…。」

あの瞬間を見られた時は誤魔化そうとしていたのに、一度バレたらもういいや、というように、素の状態を見せてくる。

「なんだか、今更かなって思いまして。王都に来るのもそれほど頻繁ではないので、この機に、精一杯、猫を満喫しようと思いまして。」

握り拳を作って笑うソフィア嬢の、年相応の可愛らしい笑顔に、またしても心臓がうるさくなる。

…おかしいな…なんか、ソフィア嬢が光って見える。

不思議な鼓動に首を捻りつつ、2人で猫カフェに入り、案の定、毛だらけで楽しそうに猫を満喫するソフィア嬢に癒される。

お土産に動物の毛で作られたフワフワの猫の小さな人形を買ってあげると、宝物にします!と大喜びされた。

その後、いくつか店を見てから彼女を辺境伯の別邸へと送り届けた。

「次は二ヶ月後の剣術大会で、だな。大会後、まだこちらにしばらく居れるなら一度会う時間を貰えるか?」

「はい。あの、殿下…今日はありがとうございました。とても楽しかったです。お土産もありがとうございました。」

近くに護衛やカイルが控えているからか、いつものようにスンとした顔で御礼を言うソフィアに、なんだか物足りなさを感じる。

もっと色んな表情を見たい。

無意識に手をソフィア嬢の頬に触れると、驚いたように目を見開いた。

ハッ!として手を引っ込めて、誤魔化すように「毛がついていた。」と言うと、ほんのり頬をピンクに染めて恨めしげな顔をする。

ほら、また可愛い顔をする…!

「ではな。また。」

平常心を装いながら、馬車に乗り込むと後から乗り込んできたカイルがニンマリと笑っている。


「…なんだ…?」

「いえ。面白い猫の正体がわかっただけです。」

「別に…。ただ、思ってたのと違っただけだ。」

「そうですね。もっと冷たい感じかと思っておりましたが…可愛らしい一面がおありですね。行きたいとこと言われた先が猫カフェだなんて。」

カイルは相変わらずニヤニヤとしていて、なんとなくイラつく。


「まぁ、私の前で見せる一面など、所詮見せたい部分だけなのだろう。来週はローラ嬢だな。」

「ええ。彼女はきっとそのままだと思いますよ。いつ見ても可憐な方ですから。」

「カイル。…人が本性を出すのってどういう時だと思う?」

アレンの言葉にカイルはそうですね…と呟く。


「予想外のことが起きた時。1人のとき。嫌いな人間といる時やまたその逆…などですか…。」

「ふむ。そうか…。」

「何を考えてらっしゃるのです?」

「お前も早く婚約者を選定しろと言ってるだろ。そのために少しな…。」



1週間後、ローラ嬢と会う予定の日、ローラ嬢に指定した城の庭園で待っていたのは彼女の幼馴染で伯爵令嬢のケイシー嬢だ。

彼女はとても肉感的な体つきをしていて、社交界では可憐で儚げなローラ嬢派と、色気と艶っぽさが魅力のケイシー嬢派と分かれるのだ。

ケイシー嬢は昔から私に対して好意があるとかで、社交の場で会う度、熱のこもった視線を送ってきては何とか関りを持とうと必死な様子だった。社交界でも人気の自分なら、王太子殿下を篭絡するのも夢ではないと周囲に持ち上げられ、その気になっているそうだ。

お互いをライバル視していると聞くローラ嬢が、婚約者候補に選ばれた折にも、爵位だけで選ばれたくせにと、陰では散々悪口を言っていたと聞く。そして今回、ローラ嬢との定期的な顔合わせのタイミングでケイシー嬢から私の18歳の成人の祝いの贈り物が届いたのだ。

それは以前ローラ嬢から送られたプレゼントである飾りピンとよく似たデザインで、宝石だけが違う飾りピンだった。

男性の襟元に付ける飾りピンは、自身の瞳の色のものや、恋人、妻、家族の瞳と同じ色の宝石が使われることが多く、宝石の周りのデザインも様々だ。

首元に飾ることから、意中の男性に贈る贈り物として人気だ。


正直全くケイシー嬢に対して興味はないが、ケイシー嬢のご実家であるローモント伯爵家は商売が上手くいっていて裕福であり、国内の流通の一端を担っているため、王太子としては蔑ろにしたくない家だ。

今は忙しい時期の為、改めて御礼を伝える場を設けるには時間に余裕がなかったため、今回は急遽ローラ嬢と時間をずらして同じ場所で会うことになったのだ。


それが急な賓客の訪問で私が遅れたことにより、こうして鉢合わせしてしまったわけだ。

カイルには今回は都合が悪くなり会えなくなったという伝言をケイシー嬢には伝えてもらったはずなのに、帰らなかったようだ。


しかし、ちょうど良い機会だと、アレンは少し離れた木の影で様子を見ることにした。


約束の時間より早く着たローラ嬢は案内されたガゼボで優雅にお茶を飲んでいるケイシー嬢を見つけると、案内した侍女を呼び止めた。

「ねぇ、あなた。この場所で間違いないのかしら?私は殿下に呼ばれて来たのだけど。」


おや…?私に話しかける時と違って声が低い。

「申し訳ありません、私はここへ案内するように言われたので…。」

「そんなわけないでしょう?それになぜ、ケイシー様が用もないのに、城の庭園でお茶をしているのかしら?」


イラついたような、これ見よがしにケイシー嬢に聞こえる声で侍女にキツい口調で返す。



「あら、ご機嫌よう、ローラ様。なぜ、こちらにいらっしゃるのかしら。今日は私が殿下に呼ばれているのよ。」

ケイシー嬢が勝ち誇ったような表情で厚めの口元に弧を描く。


「まぁ、ずうずうしい事。そもそもあなたは殿下の婚約者候補として名前が挙がったわけでもないでしょうに、なぜ、いつまでも殿下の周りをウロウロとなさっているのかしら。貴方もまもなく17歳でしょう?そろそろお早めに婚約者をお決めにならないといざ探し始めた時には良い方はいなくなっていますことよ。」

フンッと音が鳴りそうな様子で返事をするローラ嬢にムッとしたように猫のように吊り上がった眦を赤く染めてケイシー嬢が睨みつける。

「ローラ様こそ。本来であれば、公爵家という国内きっての高位貴族の令嬢であるあなたが、2年たった今も婚約者に内定していない。そのことの意味をよく考えた方が良いのではなくて?巷では可憐だ、儚げだなんて言われているようですけど、あなたがそんな儚げだなんて私は感じた事はありませんわ。

先日も私が誰にでも体を許す令嬢だなんて、あなたの取り巻き連中にいったそうですわね。おあいにく様、私は人望がありますから、そんな根も葉もない噂が広まる前に押さえることなど容易いのですわよ。」


「まぁ!なんて下品な物言いを。私はそんなこと言っていないわ。でも実際、チヤホヤしてくるあなたの体目当ての令息たちに愛想を振りまくだけの、なんの知識もないご令嬢ですもの。王太子妃としての爵位も持ち合わせていない脂肪が詰まっただけのそのお胸をさっさとしまってお帰りになったらいかがかしら?」

「なんですって!?ローラ様こそ脂肪さえもついていない真っすぐなお胸をお持ちの様で羨ましいわ。私は肩が凝ってしかたないので、軽そうでよろしいわね。」


二人のご令嬢の様子に、周りの侍女たちも若干引いている。

可憐な花の妖精姫は、今は鼻息荒く、ケイシー嬢につかみかかりそうな勢いだ。

ケイシー嬢はもともとの私の印象どおりだが。

そうか…。ローラ嬢はこんな苛烈なところがあるのだな…。


私の後ろに控えているカイルも目を見開いてショックを受けた顔を見せている。


そろそろ侍女たちが可哀想だと、さも今来たかのように、アレンは姿を見せた。


「すまない、待たせてしまって。ローラ嬢も来られていたか。」

「まぁ、殿下。ごきげんよう。」

ニッコリといつものように人形のような可憐な笑顔を見せるローラ嬢に軽く引いてしまう。

一瞬で仮面を身に付けたそのある意味完璧な淑女な様子は素晴しいと言ってよいだろう。

思ったよりも気の強い令嬢だと知れた。


「ケイシー嬢も今日は長く待たせてしまいすまなかったね。」

「いえ、殿下。お忙しい殿下の貴重なお時間を賜れるだけでも光栄ですもの…。こうしてお待ちしている時間も幸せでしたわ。」

プルンとわざとらしく体を揺らして胸を強調して妖艶に笑う様子に、こちらもなかなかだなと感心する。


まぁ、普通の令嬢というのはこういった二面性があるのが普通か。


そう思いながら、未だ立っていたローラ嬢に席を勧めて私も座る。

「あの、殿下…。どうして今日はケイシー様がここに…?」

笑顔の仮面を張り付けたままローラ嬢が疑問を口にする。

「…ああ、本当はローラ嬢に会う前にケイシー嬢には御礼を伝える予定で呼んでいたのだ。

成人の祝いとして、ローモント伯爵家より祝いの品を貰ったのでな…。そういえば貴方達二人は幼馴染と聞いている。だから、贈られた飾りピンの意匠が似ていたのだな。やはり、幼馴染というのは共に過ごす時間が多い分、好みも似るのかもしれないな。二人がくれた飾りピンはどちらもセンスの良い素敵なものだった。ありがとう。」

「…まぁ、殿下。喜んで頂けて嬉しいですわ!きっときっと使ってくださいませね。」

「そう…飾りピンをケイシー様が…。きっと殿下でしたらどんな品もお似合いになることでしょうね。」

ホホホ…と上品に笑うローラ嬢の目が笑っていない。


その時、草陰がガサリと音がしたと思ったら、リュウオウが飛び出してきた。


「キャァ!何!?」

驚いたように私の方へ身を寄せたローラ嬢と、ケイシー嬢に、あぁ、妹の猫だと説明しようとしたとき、

「お願い、私に近づけないで!」

と近くの護衛にローラ嬢が叫んだ。


「あら、猫ですわ。まぁ、なんて醜いお顔…。どこから入ったのかしら…。」

ケイシー嬢も眉を潜めてリュウオウを見ている。


「…カイル、悪いがリュウオウを捕まえてくれ。」

私の指示に素早くカイルが動き、リュウオウを抱き上げると、近くの護衛に渡す。


「リュウオウ…?殿下の知っている猫なのですか?」

驚いたように、二人が同時に声を上げた。

「あぁ、驚かせてすまない。あの猫は妹のアイラの飼っている猫だ。」

「ア、アイラ様の…。そういえばどこか気品がございましたわ…。お顔も可愛らしく…。」

「ええ!とても賢そうなお顔をなさっておりましたわ!私、猫は好きですの。ローラ様は昔から猫がお嫌いよね。」

「いえ!嫌いではなく、私は猫が近くに来ると目がかゆくなってくしゃみが出るんです…。でも可愛いとは思ってますわ!」

と、いつものように儚げな表情を見せるが、なんとなく嘘くさく感じてしまう。まぁ、猫に反応してしまう体質の者がいると聞くし、そうなのだろう。

「それはすまなかった。ところでせっかく友人である二人が揃っているんだ、良かったら色々話を聞かせてくれないか…。」


その後、ケイシー嬢が一緒なのが不服であろうローラ嬢と、空気を読まずに帰ることなく最後まで一緒にいたケイシー嬢と三人で過ごすと、その日の交流時間は終了となった。

別れの時に次回は共に王都へ出かけようという話をしてローラ嬢は嬉しそうに帰っていった。


そしてその2週間後、二人で王都へ出かけた。

町を散策するには豪華すぎるドレスワンピースを着たローラ嬢は、周りの目を奪うほど可憐な妖精のようだったが、アレンはソフィア嬢の時と同じように、好きなところへ行こうと伝えてみた。



その日、執務室でカイルとアレンはお互いの感想を述べる。

「正直、ローラ嬢は思ったよりも気が強そうですね…。立ち居振る舞いは完璧ですし品もおありでもちろん美しさは言わずもがなです…。王太子妃、そしていずれは王妃になるにはきっと気の強さも大事ですし…。」

夢に見ていた可憐な令嬢の違う一面を垣間見たカイルは冷静に分析しつつ少し歯切れが悪い。


「そうだな…。教養も品も問題ない。大事な場面ではソツなく対応出来るだろう…。」



王都で行きたい場所はどこだと聞かれたときに、ソフィア嬢は猫カフェと言った。その後、おいしい匂いにつられて露店で串焼きを買い、近くのベンチに座り、二人で食べた。今度は殿下の行きたいところへ行きましょうと言って、二人で武器の店へ行った。優秀な剣士でもあるソフィア嬢は興味深そうに一緒に剣を見て感想を言いながら剣帯を色違いで購入した。お土産だと父と兄と弟の分も一緒に購入していた。

帰る直前に見つけたお菓子の店で可愛らしいお菓子を買うと、アイラへお土産をと言ってアレンに渡してくれた。


ローラ嬢は歩くだけで視線を奪うように花のような可憐な装いで、佇まいは慎ましやかだった。

行きたいとこはどこだと聞いた時に、殿下についていきますと答えた。

では私が気にっている下町の露店に新しい食べ物があるのだと伝えると、にこやかに笑って、お店の中で座って食べることが出来ますか?と聞いてきた。

ソフィアがあまりに自然に串焼きに齧り付いていたものだから、普通の令嬢は確かにそんなものは外で食べないと我に返った。その後は令嬢の好きそうな小物の店やアクセサリーの店を回ると、夫人の間で評判のケーキの店でお茶を飲んだ。


その後、同じようにアナスタシア嬢とも、2度ほど交流の時間を作った。

彼女の好きな図書館と、王都へ共に出かけた。アナスタシア嬢は図書館で過ごすときに本に集中しすぎて私の存在を忘れると言った場面が多々あり、それはそれで面白い令嬢だなと思った。

気になる内容があればブツブツと声に出しているところも面白い。

王都へ出た時は博物館へ行きたいと言われた。一緒に回ると様々な知識を披露してくれて、とても勉強になった。想像以上に学があり、とにかく知識欲が豊富だ。なにか記念になるものを買おうと伝えると、では…と骨董品の店へ案内され、古い本を求めた。


「殿下、そろそろ婚約者をお決めにならないといけないですよ。18歳の誕生日はまもなくです。

2週間後の剣術大会が終われば、殿下の成人祝いの舞踏会が開かれます。

候補の3人の令嬢以外の方でも、殿下が好きになった方でよほどの身分差がなければ王も認めるとおっしゃっておりました。その時に…殿下が身に付けた飾りピンの方が…その相手となるのです。」


そうだ。

だから令嬢からは私に沢山の飾りピンが届いている。

婚約者候補の者は当然の事であり、それ以外の令嬢ももしかしたらという淡い期待を込めて贈る者もいる。王太子に贈られるものは通常よりも大きな宝石をつけるため、決して安くはない飾りピンは、相応の豊かな資産がある家でないと用意が出来ない。そのため自然とそれなりの家柄の令嬢に限定されるのだ。

「ローラ嬢はエメラルド。アナスタシア嬢はブラックダイヤモンド、ケイシー嬢はルビーでしたね。ソフィア様は…。」

「まだ、貰っていない…。」

「は?」

「あれから会っていないしな…。今度の剣術大会の後に貰える…と思っているんだけど…。」

少し不安になり、カイルを見る。

同じように不安そうな顔のカイルに、ため息をつく。

「まぁ、過去にも選ばれたくない令嬢が贈らなかった例もあるからな。そればっかりはどうしようもない。」

「いや、ダメでしょう。殿下は…。」

「なんだ。」

「いえ…。」



剣術大会の日が来た。

いつもはなかなか会えない辺境の騎士たちも参加するとあって、見物客はかなり多い。

国中から腕に自信のある剣士や騎士たちが集まるのだ。

もちろん、全員の総当たりではなく、さすがに年齢分けがある。

昨年の18歳以下の部の優勝者はソフィアだ。

見る者の目を奪う流れるような剣捌きは美しく、氷の騎士様と話題になった。

今年はソフィア嬢の2歳年下の弟のライアス殿が参加する。彼はソフィア嬢曰く天才だという。

体格にも恵まれた彼にはソフィア嬢も勝てなくなったそうだ。


久し振りに見るソフィア嬢は相変わらずスンとした表情で参加者の列に並んでいる。

きっちりと一つに結んだサラサラの銀の髪をなびかせてたたずむ様子は美しく、周りで黄色い声が上がった。

その日はアイラと共に並んで王族の席に座りながら、彼女を見つめる。

ふと、その時、ソフィアが顔を上げてこちらを見た。

透明な美しいアクアマリンの瞳をこちらに向けた瞬間、フワリと笑ったのだ。


ドクン…

ドクン…ドクン…ドクン

途端に騒がしくなる自身の鼓動に、これはいよいよ堕ちてしまったと唐突に理解した。


普段笑わないソフィアの不意の笑顔を見ていたのは私だけではなかったようで、キャア!と騒がしい悲鳴が聞こえた。

「お兄様!私を見て笑って下さったわ!!」

隣でアイラが嬉しそうに私の腕を掴んで揺らしてくる。


違う、私にだ。

自分で驚くほどの独占欲が湧き出て、出来るだけ自然に笑顔を返して手を振る。

ソフィアも軽く手を振り返すと、またいつものようなスンとした表情に戻る。


この距離が…もどかしいなんて…

生まれて初めての感覚だ。

この2か月は今までで一番長く感じた。

そうか…私はソフィア嬢に会いたかったのだ…。

普段と違う顔を見て可愛いと思った。

でもそれはきっとどんな相手でも同じように感じるかもしれないと、ほかの候補者の違う一面を見てみようと思った。

それは、ちゃんとした理由が欲しかったからだ。

自分がちゃんと冷静に彼女達を見て決めたと断言するため。

ただの恋心で選んだのだと言わないために、公正に決めたという理由が欲しかった。


目の前の舞台で華麗に舞うソフィアに、触れたくなる気持ちも、焦がれる気持ちも、それは一時の感情ではなくちゃんとした理由の元に生まれた気持ちだと思いたくて。

ただの恋に、理由付けをしたかっただけだ。


彼女の笑顔に一目ぼれしたのに。

こんな理由で王太子妃を選ぶだなんて、許される立場ではないのに。

あの時にはソフィアがいいと心に決めていたのに。


「わぁ!勝ったわ!!お兄様。ソフィア様、決勝よ!!」

嬉しい悲鳴を上げるアイラになんて声をかけたかわからない。ただ、一瞬も取りこぼすことなくソフィア嬢を見つめていた。

決勝はライアス殿が相手だ。

まだ14歳なのにすでに私の身長も超えていそうなほど大きな体。ソフィア嬢より頭2つ分高い彼は、姉であるソフィア嬢に人懐こい笑顔を向けている。

ソフィアが巻いている一緒に買った色違いの剣帯を見て祈るように手を握った。

頑張れ…でも、ケガをしないで無事に終わってくれ…。


「あぁ、負けてしまったわ。ライアス様って本当強くていらっしゃるのね。でもソフィア様惜しかったわ。見て、姉弟で健闘を称えあっているの、素敵。」

アイラに返事をすることなく立ち上がると、アレンは舞台から控室へ戻るソフィアの元へ走った。


「ソフィア嬢!」

「…殿下…。どうして…こんなところに…。」


控室にはソフィアと同じ辺境から来た騎士数名がいる。

「腕…見せてみろ。ケガしただろう?」

「大丈夫ですよ、少し掠っただけです。」

なんてことないように、笑うソフィア嬢に、共に傍にいた若い騎士が驚いている。

「ソフィ、殿下にその態度…。」

「フフ、もう、殿下にはバレちゃってるの。」

恥ずかし気に笑うその顔を、当たり前のようにその男に見せるソフィア嬢にモヤッとしたものが溢れる。


「君は?」

アレンがその若い騎士に尋ねると、ハッとしたように姿勢を正し騎士の礼をとる。

「は!私は辺境騎士団第二部隊副長、ゲイリーと申します!」

まだ20代前半くらいの体格の良い涼やかに調った顔立ちのその騎士は、彼女の事をソフィと呼んだ。


「…ソフィア嬢は私の婚約者候補の令嬢だ。あまり、愛称で呼ぶのは感心しないな。」

「…は、申し訳ございません。」

焦ったように謝罪するゲイリーをかばうように、ソフィア嬢が声を上げる。


「あの、殿下。ゲイリーは私の叔父です…。母の弟で…。」

「……。叔父…そうか…それは、すまなかった…。」

「いえ…、ご紹介が遅れて申し訳ございません。」

困ったように眉を下げたソフィア嬢に、気まずくなって謝る。

こんな、些細なことで嫉妬してしまうとは…。

本当、どうかしている。


「とにかく、きちんと治療をしてほしい。誰か医官を呼んでくれ。」


すぐに医官が到着し、赤く腫れた細く白いソフィアの左腕に包帯が巻かれる。

「そんな細い腕で、あれほどの剣技を見せられるなんてすごいな。努力したのだな。」

治療の様子を見ながら思わず言葉が出る。


「ありがとうございます。もう、弟には敵わなくなってしまいましたが。

でもあの子は本当にすごいのです。」

嬉しそうに弟の成長を喜ぶソフィア嬢の姉としての顔もやっぱり可愛い。


「ソフィア嬢、この後、良かったら一緒に食事をしないか。アイラも大興奮していたし、来てくれると喜ぶ。もちろん、私も。」

少し緊張した面持ちで伝えると、リュウオウの事を思い出したのか、フニャッと微笑んだ。


「はい。リュウオウにも会えますね!お伺いします。」

「ありがとう。楽しみにしてる。また後程な。」

「はい。」


控室を出たところで、どこかニンマリとしているカイルが立っていた。

「…なんだ?」

「いえ。貰えるといいですね。」

「……そうだな…。」

素直なアレンの言葉に一瞬驚いた後、カイルはフッと笑った。



その日の夕方。

いつものようにキッチリと髪を結いあげるでもなく、真っすぐな髪をそのまま下して、少しだけ可愛らしいドレスを纏ったソフィア嬢と共に食事の席についた。

想像以上にドキドキしている自分に驚く。

なぜかどんな仕草でも、スンとした表情でさえ、可愛らしく映るから不思議だ。

これが恋か。


アイラが興奮して話しかけるのを、ほほえまし気に目を細めて返事を返す様子に、自分の方も向いてほしいと願うなんて。恋をするつもりなどないと言っていたあの頃の自分は想像もしていなかった。


食事を終え、少し外を歩こうと、庭園に誘った。

今日も客間に部屋をとっているため、少しゆっくり話せる。


「今日の大会は素晴しかったな。上級の部では君の兄上が優勝したな。18歳以下の部では君の弟君の優勝、そして君が準優勝。辺境騎士団が強いのが頷ける。」

「ありがとうございます。でも、近衛騎士の騎士団長の子息がお強かったですね。」

「ああ、あいつはいずれ、騎士団長になると言われている男だからな。ところで…、リュウオウはいいのか?」

「え!!」

パッと嬉し気な顔を見せたソフィア嬢に、後ろに視線を送る。

カイルがリュウオウを連れてくると、ソフィアに預けた。

「リューちゃん!元気だった?」


フワリと抱きしめると、リュウオウが相変わらずだみ声で「ナァオォッ」と鳴く。


フフっと嬉しそうに笑って撫で始めると、ご満悦の様に目を細める。

「ありがとうございます、殿下。疲れが一気に取れます。」

「そうか。思う存分可愛がっていいぞ。」

「はい、ではお言葉に甘えて…。」


そういうと可愛い笑顔でリュウオウを撫でまくり顔をスリスリと押し付けたりしている。

庭のベンチに座り、ソフィア嬢を見つめる。

いつの間にかじっと見つめていたようで、ふとこちらを見上げたソフィア嬢が恥ずかしそうに笑った。


「殿下、あの、そんなに見ないでください…。」

「もう笑ってないだろう?」

「そういう問題ではないのです。なんだか急に恥ずかしくて…。」

カァッと赤くなるソフィア嬢の頬についたリュウオウの毛をそっと手を伸ばして取る。

思わず近くなった距離に驚いたソフィア嬢が、耳までピンクに染めた瞬間、頭のどこかで何かが切れる音がした。

「あぁ、もう、無理だ。」

「へ…??」

「すまない、ソフィア嬢。いきなりで申し訳ない。こんなこと急に今言われても困ると思うし、困らせるとわかっているのだが、私の成人の祝いの夜会で、君の瞳の色の飾りピンをつけたいと思っているのだが、迷惑だろうか?もちろん、自分で用意する。ただ、私の気持ちだけは周りに周知しておきたいのだ。」


「飾りピン…。」

「あぁ、君からは貰っていないからそれが答えなんだとわかってはいるのだ。だが、私は君が良い。結婚するなら君が良い。この先の人生、君が隣でいてくれたら私は幸せな未来を描けると確信できるんだ。」


まるで畳みかけるように言い切ったアレンは、その後急激に恥ずかしくなる。

これは…困らせたか…。

目の前で真っ赤になったまま固まってしまったソフィア嬢をみて申し訳なく思う。

だが、モヤモヤするのは性に合わないし、もう、心が決まってしまったからどうしようもない。

もとより婚約者候補としてこうして交流の場に来てくれているのだから、選ばれることも想定内だろうと、無理やり自分に納得させてしまった。


「その…嫌だろうか…?私ではダメか?」

急に不安になり、ソフィア嬢の顔を覗き込むと、ブホッと顔にリュウオウを押し付けられた。

「な…?ソフィア嬢?」

不服そうなリュウオウを受取り、もう一度ソフィア嬢を見つめると、ポケットからそっと箱を出した。


「あの、これ…。飾りピンです…。」

「……え…?」

「申し訳ございません…。実は今日お渡したくて準備していたのです…。でもなかなかタイミングがわからず…。」

赤くなったまま目を逸らして箱をズイッと押し付けてくるソフィア嬢の手からそっと受け取ると、ゆっくり開く。


中にはソフィア嬢と同じ透明なアクアマリンの宝石が埋め込まれた銀の意匠を凝らした飾りピンが鎮座している。

「貰っていいのか…?」

「…あなたが貰ってくれないと、行き場がありません…。」

真っ赤になったまま潤んだ瞳で睨み付けるように見上げるソフィア嬢は凶悪だ。

可愛すぎて死にそう。

もう、嬉しすぎて心臓がおかしな音を立てている。え、これ大丈夫か?

早すぎないか…?私の心臓、止まったりしないよな。


「…ありがとう…大事にする。そして必ずつけるよ。ソフィア嬢、君をエスコートして参加したいのだが、受けてくれるか…?」

愛おし気にソフィア嬢をみつめていると、蚊の鳴くような声で「はい…。」と聞こえた。


「ンナァオ!」

早く構えというように鳴き声をあげたリュウオウごと、ソフィア嬢を抱きしめる。

「…で、殿下!」

腕の中で一人と一匹がモゾモゾ動くが、構わずギュッと抱きしめる。


「私は君に恋に落ちた。きっと大事にするから、私の婚約者になってほしい。」

「…はい…。」

小さな返事が聞こえた瞬間に溢れ出す幸福感を、一生忘れないでいようと心に誓う。


すぐ近くに控えているカイルが嬉しそうに笑っていることも、ソフィア嬢の専属侍女が感激して目元を押さえていることも気付かなかった。



そして成人祝いの舞踏会。

アレンはソフィア嬢から贈られたアクアマリンの宝石の飾りピンをつけて、ソフィア嬢と共に入場する。


通常王太子は意中の令嬢のピンをつけて1人で入場し、意中の令嬢の元へ向かいダンスを申し込むというのが通例だったが、アレンは最初からソフィア嬢をエスコートして入場した。

それはもう、他は目に入らないと周りに周知する目的もあり、また、ソフィア嬢が他の者にエスコートされて入場するのを避けるためだ。



「殿下って、むちゃくちゃ独占欲強かったんですね…。」

と、カイルには呆れられたが、それは自分でもビックリした点だ。

あれからこの舞踏会までの一ヶ月間、私ってそうだったんだなという驚きと発見が沢山あった。

まず、会いたい気持ちが我慢出来ない事。

そしてソフィア嬢を可愛がりたくて仕方ない事。

剣術大会3日後、領地へ戻ったソフィア嬢を追いかけるように、視察という名目で会いに行った。

父君であるアイザック殿は驚いていたが、私が求婚したことを喜んでくれた。

愛情深く、穏やかな辺境伯家族と素のままで笑うソフィア嬢にさらに深く恋をして、結局、戻る時には一緒に連れて帰ってしまった。


今は結婚前と言うことで、ソフィア嬢は王都の辺境伯別邸に滞在しているが、この発表後は城内にソフィア嬢の私室を設けて王太子妃教育が始まる。


すぐ近くに彼女がいると思うと、嬉しい反面、我慢出来るのか不安だ。


「殿下?」

うっとりと、美しく着飾ったソフィア嬢を見つめていたアレンに、首を傾げて不思議そうに見つめ返すアクアマリンの瞳が美しい。


共に入場した2人の姿に、ローラ嬢が目を見開いて動揺しているのがわかった。

対してアナスタシア嬢はどこかホッとしたように見えた。

ケイシー嬢は一瞬悔しそうな顔をしたが、そのままローラ嬢に視線を送り、彼女の驚愕の表情を見て意地悪そうに笑った。


「今日は私の成人の祝賀会にご参加頂きありがとうございます。本日は皆様に私の婚約が調ったことをご報告申し上げます。

リブラルク辺境伯令嬢、ソフィアです。」

私の言葉にソフィアが一歩前に出ると美しいカーテシーを見せる。

「ソフィア・リブラルクでございます。」

ワッと会場中に歓声と拍手が起こる。

もともと氷の騎士様と呼ばれ、令嬢から人気のあるソフィア嬢は、どれほどスンとした顔でいようと、人々から悪感情を抱かれていない。

誠実で機転が効き、どんな会話にも澱みなく答えられる知識と寛容さ、そして飾らない素直な性格からだろう。


順に挨拶に来られた者達への対応も見事だった。

最初にお祝いの言葉を伝えたローラ嬢と公爵の少し引き攣った表情に気付くと、

「ローラ様のような品を兼ね備えた美しさや淑女としてのあり方には憧れておりますし、私には到底及ばないと自覚しております。もし宜しければ、私の友人となり、色々ご教授願えたら嬉しく思います。」と、プライドを傷つけることのない対応に、公爵やローラ嬢も面食らったようにもちろんです、と笑みを浮かべた。

ケイシー嬢は相変わらずの胸を強調したドレスに身を包み、ニッコリとソフィアを見つめた。

涼やかな美しさを持つソフィアが、フワッと笑い返すと、思わずカァッと頬を染めたのがわかった。

そうなのだ。

ソフィアは騎士としての名前が広がりすぎているが、体つきは細くても均整の取れた女性らしい体型で、体に自身のあるケイシー嬢でも、認めざるを得ないのだろう。

何一つ貶めるようなところがないのだから。

「ケイシー様は美しく魅力的だと、辺境でも人気です。きっと今日はダンスのお相手が引くて数多で大変でしょうね。」だなんて可愛い顔で笑うものだからすっかりケイシー嬢の心も掴んでしまった。




「全く…。君は可愛いが過ぎるぞ。」

不機嫌な声で、ソフィアを抱きしめたまま、ソファで文句とも甘言ともつかないことを言うアレンに、困ったようにソフィアが笑う。


「アレン様、もう、離して下さい。

私が誰かに笑いかけるたびに拗ねられたら大変です。」

あれから無事に2年の婚約期間が過ぎ、ソフィアの成人を待って2人は結婚した。

アレンはあれから周りが驚くほどの溺愛ぶりでソフィアを大事にしている。

部屋には2匹の黒い猫と茶色の猫がいて、抱きしめるアレンの腕の中、ソフィアは2匹を撫でたくて仕方ない。

「もう、今日は忙しくてベンジャミンもダークライトも撫でられてないんです!ちょっとだけ離して下さい!」

有名な冒険小説のラスボス、リュウオウの手下の2人の名前がつけられた2匹の猫は、婚約時にアレンがソフィアにプレゼントした猫だ。

「私より猫か…。そもそも君から聞いた初めての「好き」の相手もリュウオウだった…。」

拗ねたように口を尖らせるアレンを振り返るとソフィアは可愛い顔を近づける。

チュッと口付けられた後、潤んだ瞳で

「愛してます。」

と恥ずかしそうに笑った。

そしてすぐに立ち去ろうとするから捕まえてソファに押し倒した。


「ソフィアが悪い。」

慌てたソフィアの小さな悲鳴は唇の中に溶けていく。


アレンの瞳の端に、ベンジャミンとダークライトがそっと窓から出ていくのがみえた…











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― 新着の感想 ―
猫は正義。そしてソフィアが可愛い。 王太子の心の内が丁寧に描かれていて、ソフィアへの想いの変化がよく分かりました。 カイルになって、恋に落ちた殿下を見ながらニヤニヤしたいです。
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