それでも、盾でありたい
その日、訓練場には小雨が降っていた。
屋根のある見学スペースにも誰の姿もなく、薄曇りの空だけが音を立てていた。
カレンは報告書の提出ついでに立ち寄っただけだった。
ふと、目に入ったのは、濡れた土の上に立つ男の背中だった。
ゴルザン。
革の訓練装備を着けたまま、木剣を肩にかけて、じっと立っている。
ただそれだけの姿なのに、不思議と目が離せなかった。
(傘も差さずに……いったい何をしてるのよ)
彼はまるで、自分自身と対話しているようだった。
***
(守るのが、あいつだった)
(そばに立って、笑ってたのも、あいつだった)
その記憶を、今さら引きずるつもりはない。
ただ、あのとき、何もできなかった自分がいたことだけは、消えない。
それでも——
(今は、俺が前に立つ番なんだ)
守るのは、誰かじゃなくて、誰かの“選択”そのもの。
それが間違っていようと、未熟であろうと。
前に出た者が、後ろを守る。それが、”盾”という役目だ。
***
その翌日。
カレンとゴルザンは、新設拠点の視察任務に同行していた。
現場に慣れていない新人職員が一人、荷運びで足を取られて転びそうになる。
「きゃっ——」
その瞬間、誰よりも早く駆けたのはゴルザンだった。
肩を差し出して、衝撃をそのまま受け止める。
「前、よく見て歩け」
その言葉に怒気はなかった。ただ、淡々とした声。
新人が頭を下げ、すぐに立ち去ったあと——
「……あの速度、私は間に合わなかった」
カレンがぽつりと呟いた。
「……足が勝手に動いた。昔からな」
ゴルザンはそう言って、肩の埃を払った。
「それ、怪我のもとですよ」
「もう怪我するほどの身体でもねぇよ。……昔に比べりゃな」
脳裏に、かつて守れなかった背中がよぎる。でも今回は、間に合った。
たったそれだけのことなのに、どこかで、小さく安堵している自分がいた。
雨の訓練場を思い出した。
びしょ濡れになりながら、ただ立ち続けていた男。
彼が何を思っていたのか、今なら少し分かる気がした。
「……どうして、そこに立つんですか?」
カレンの問いに、ゴルザンは少しだけ視線を上げる。
「それが俺の役目だと思ってる。……それだけだ」
言葉は相変わらず不器用だった。
でもそこには、確かな意志があった。
(そんなこと、私は今まで考えたことがあったかしら)
思わずそんなことを考えて、カレンは自分で苦笑した。
理屈で動くことに慣れすぎていた。
けれど——この人は、違う。
決まりがあるから動くのではない。誰かが困っていたから、ただ動く。
それだけのことが、こんなにも自然にできるなんて。
(……どうやったら、私もあんなふうに動けるのかしら)
(完璧じゃない。でも——迷いはない)
カレンはその背中を、まっすぐ見つめた。