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互いに想い合っていた令嬢を、国の為と他の男に取られた。どうにか取り返そうと画策するも、彼女はすぐに妊娠してしまった。
ぎりりと奥歯を噛み締めながら、椅子に深々と身を委ね目を閉じた。
あの男は勿論憎いが、それを指示した実の兄である国王に加え、助け出す事が出来なかった木偶の坊な自分にも腹が立つ。
苛立ちに拍車がかかるのは、生まれた男の子が憎い男に瓜二つだからか。灰色の瞳がやや赤みを帯びているところは、愛しい人を連想させ激しい憎悪に苛まれた。
子育てと称し、領地に戻ってしまうと中々会えもしなくなった。再会を試みるも気付けば数年が経っており、彼女は二度目の妊娠、娘が生まれた。ままならない現状に歯噛みをしていると、彼女が産後の肥立ちが悪く体調を崩したと風の噂で聞いた。それからも中々治らなかった。見舞いと称し、何度か会いに行ったが、あの男の守りは固く二人きりで彼女に会う事は出来なかった。
そして数年後、彼女はあっけなくこの世を去った。
己の無力さに絶望している中、彼女の子等に会う事ができた。中でも娘は彼女の命を奪った悍ましい存在。けれど日に日に彼女に似ていき、まるで生き写しのように成長していく。忌むべき者でありながら唯一彼女を感じられ、私を惑わし続ける。よく似ているが、老婆の様な色素の無い髪に、瞳の色だって春の花々の薄紅色ではなく、血のように濃い。
彼女ではないのだ、騙されてはいけない。
…早く実行しなくては、あの秘術を。
姿形のよく似た人間を依り代にして死者を蘇らせる。禁術に指定さてれいるだけあって、依り代は多ければ多いほどいい。表立っては発見されていないが、彼女へ部位を提供した選ばれし者は総勢十名を超えている。最後に用意した、あの五月蝿い伯爵令嬢で大半を補って、全て彼女に近い姿になったものの、まだ術は発動しない。
やはり姿形だけでなく、血にも共通点が無いとダメなのだ。愛しい人が残した最後のものだから、なるべく残そう思っていたが仕方があるまい。
…もう彼女しかいない。
「さぁ、始めよう。最後の仕上げだ」
◇◇◇
領地に戻ったリュシエンヌに、来訪者があった。
王命で訪れた王弟ジェイドとジュルダン第二王子だった。昔を思い出され懐かしさを感じたが、最近の出来事が脳裏を掠め、現実に引き戻された。
会いたくないけれど、王族二人を無下にも出来ない。いきなり来て無礼だと待たせる訳にもいかず、支度も早々に客間へと向かった。
「お待たせいたしました事をお許しください」
臣下の礼をと頭を下げたリュシエンヌは、軽い衝撃を感じた。よろめきはしなかったが、見過ごせる訳でも無い。様子を窺う為、無礼にならない程度に急いで顔を上げた。
「…叔父上…?」
目を見開き驚くジュルダンを横目に、この場にはそぐわないチッと舌打ちが聞こえた。
「ジェイド王弟殿下、何を…」
ジェイドの掲げた手からは、禍々しい白い光がリュシエンヌに向かって伸びていた。それを物ともせず弾き返しているのは、リュシエンヌの周りを囲う黒い水晶柱。
「…忌々しい」
普段の温厚な声からは想像が付かない、地を這う様な声にリュシエンヌだけでなくジュルダンも驚きを隠せない様子。
しかし、ハッと我に返るとジュルダンはジェイドに向かって行く。
「リュシエンヌに一体…!彼女は私の…がっ…!」
ジェイドが指を僅かに動かせば、ジュルダンは側面の壁へ打ち付けられた。
「お前はもう必要ない。命が惜しくば、そこで大人しく寝ていろ。血の繋がった甥にかける最後の情けだ」
気を失って動けなくなった甥を確認すると、ジェイドは小さく頷いた。空ている左手でパチンと指を鳴らせば、ジェイドの横に等身大の人形が現れた。
「…!」
その異様さにリュシエンヌは声にならない声が漏れた。
よく見れば継ぎ接ぎだらけで、形を保っているのが不思議なほど。けれど何故か湧き上がる既視感に、リュシエンヌは頭を捻る。
「君には最高の名誉を与える。その血をルシールの為に捧げよ!!」
この様な状況で聞いた母の名前に、リュシエンヌは瞠目した。成程、目の前の人形は確かに母と同じ髪色をしているし、どことなく面影があるような気がする。
「お母様の為…?」
「君の血があれば彼女は甦る。今こそ償いをするべきだ。…ルシールを殺したのは自分だと理解しているのだろう?」
家族は誰も責めなかった。けれど母の死については触れてはならないものとなっていたのも、また事実。自分が犠牲になれば…お母様がお戻りになる?
ならば
「リュシエンヌ、正気を保て!付け入れられるぞ!」
黒い閃光が走り、ジェイドから伸びていいた白いものが霧散した。足の力が抜け、膝を付きそうになったリュシエンヌは後ろから力強く支えられた。
「…フィリベール様」
リュシエンヌを包む手から僅かに力んだのが伝わった。
「…来るぞ」
コツコツコツと規則正しい足音と共にジェイドが二人に近づいてくる。
「これはこれは、コデルリエ王国の王太子殿下。我が国に何用で?…前触れも無く訪問されるとは、少々礼儀に反するのではありませんか」
カツンと両足を揃えて二人の前で止まった。フィリベールはリュシエンヌを背に庇うべく前に身体を滑り込ませた。
「まぁ、私も鬼ではない。今すぐ一人で引き返すのであれば、見なかった事にして差し上げましょう」
「そのご提案は遠慮いたしましょう。此方を離れるにしてもリュシエンヌと共になければ意味がありませんので」
互いに感情を読み取れない笑みのまま、視線を逸らさず状況を窺っていた。両者とも隙がなく、時が止まったように時間が過ぎて行く。
不意に両者の間、ややジェイドに近い所にドサリと物音がして何かが湧いて出た。
フィリベールとリュシエンヌの注意がそちらに向く。
うーんと小さな声と共に、見知った顔が口を開いた。
「あ!無能令嬢じゃない。漸く変な場所から出られたと思ったのに、最初に見る人が貴女とはね」
この場の緊張感にそぐわない発言をしながら、きょろきょろと辺りを見渡し、「まあっ」といいながら壁際に駆け寄った。
「ジュルダン様、迎えにきてくれたのですね。マリエル、嬉しいですわ。さぁ、帰りましょう」
両手でジュルダンの頬を包み、甘い声で語りかけるが、それもすぐに悲鳴に変わる。バシっと音がしてマリエルの手が振り払われたからだった。
「うっ…。無能は貴様だ、私に触れるな!」
「えっ…ジュルダン様…?」
困惑したマリエルへ更に畳みかける様に、ジュルダンはまだ痛む頭を摩りながら睨み付けた。
「何を指して彼女を無能呼ばわりしているか知らないが、妃教育の事なら見当違いも甚だしい。リュシエンヌは幼少期を含めたたった六年で習得している。すぐにでも王妃として熟せる最上級のものをだ。…それに比べお前はどうだ。貴族令嬢が幼い頃に学ぶ基礎中の基礎、誰もが知っていて当たり前の事を、さも難解なものを会得したように燥いでいると聞く。この間抜けが、恥を知れ!」
「まぬ…えっ…え?」
「さぁ、叔父上。早く!」
「そうだね、流石に聞くに堪えない」
退屈そうにジェイドは頷くと、マリエルに手を翳した。白い霧がマリエルに向かって広がり、蜘蛛の巣のように纏わりついた。
「いやっ!た…助けて。ジュルダン様!やだ、これ取れない」
必死に抵抗するも一瞬で全身が覆われたと思ったら、直ぐにマリエルから離れていた件の人形に吸い込まれていく。
直後、糸が切れた操り人形のようにマリエルは力なく崩れ落ちた。
すぐさまフィリベールがリュシエンヌを抱き締めた。マリエルが視界に入らない様に。
マリエルの目は堕ち窪み、瞼すらも内側に入り込んでいた。傍にはガラス製の眼球が二つ転がり、暫くすると動きを止めた。その色はマリエルと同じ薄紅色だった。
「依り代は完成したのでしょう?これでリュシエンヌは私のものだ」
喜色を帯びた昏い表情でジュルダンは掠れた様に笑っている。それを見ながら肩を竦め、普段と変わらない笑みを浮かべるジェイド。
様子は違えど、二人の王族は異様な空気を纏っており、気が抜けない。
「あと一つ、肝心な物が抜けているんだ。ジュルダンの御陰で手に入った。君はもう帰っていいよ」
「ではリュシエンヌは…」
満面の笑みのジュルダンは、自身の叔父の表情から何かを感じ取ったようだ。目に見えて表情が抜け落ちていく。
「ジュルダンよ、何度も言わせるな。必要なのは血だ。ルシールの血縁者、それも近い者が打て付けだ」
「ふざけるな!散々、叔父上に協力したのだって…」
先程同様にジェイドが翳した手から出た白い霧がジュルダンを包むとその場に倒れてしまった。
「先ほど気を失ったままであれば、二度も倒れずにすんだものを」
マリエルに視線を向け、ダンっと足を鳴らした。
「余計な事ばかりする虫けらめ。これでも甥っ子は可愛がっているのですよ」
ぎりぎりと踏みつけた足を上げると、粉々になった薄紅色の破片が散らばっていた。
「何てことを!」
思わずリュシエンヌは声を上げた。ゆっくりと此方を見るジェイドと目が合った。
「他人の心配をしている暇などないでしょう」
ジェイドの手がこちらに翳される。フィリベールは身を挺して庇おうと両手を広げた。初めの衝撃はリュシエンヌの首飾りから出た黒い盾が弾いた。
次の衝撃に向け、備えようとするフィリベールの腕が強く握られた。
「守られるだけなんて、絶対に嫌。そうなったら、私自身も貴方すらも許せなくなってしまうもの」
紅い瞳には強い意志が灯り、決意が見て取れた。
「そうだな、二人で切り抜けよう」
重ねた掌を握り締めた。黒い盾が色濃く大きく変化した。
「馬鹿め、一人で逃げれば命だけは助かったものを」
ジェイドの白い霧と、それを弾く強化された黒い盾。双方の力は拮抗しているかに見えた。が、じりじりと白い光を強めフィリベールとリュシエンヌは押され始めた。
ジェイドの澄ました笑みから、にやりと口角が歪んで上がる。
「これで終わりだ。ルシールに其の身を捧げる事を誇りに思って死ね!」
遂に白が二人を包み込んだ。
◇
「呆気ないものだな」
尚も激しく白光し続けるのをジェイドは見つめていた。禁忌の秘術は完遂され、伝承通りであればルシールは人形から甦るはずだ。
光が弱まると其処には膝を付き俯くフィリベールと、下を向き浮かぶリュシエンヌが居た。しかしその髪は銀ではなく榛色をしており、ジェイドを見つめる瞳は普段の彼女とは異なり柔らかな薄紅色だった。
「あぁ、ルシール。私だよ、ルシール!」
彼女に向かって一歩一歩踏みしめながら近づき、微笑む顔に手を伸ばした。
「貴方は幸せになれるのですか?」
微笑みながら問う彼女にジェイドは力強く頷いた。
「あぁ、ルシール。君さえ居てくれれば他に何もいらない」
ガキンと音がして黒い盾が水晶柱となり、内側にジェイドが閉じ込められていた。黒く透ける壁を慌てて叩くもびくともしない。
「ルシール、これは一体…?」
けれど薄紅色の瞳はジェイドを見据えたまま。葡萄酒をグラスに注ぐように色味が深くなっていった。
「ルシール…ではないな。貴様、何故意識を保てている!くそっ、此処から出せ!」
紅い瞳を煌かせ、リュシエンヌは改めて問う。
「私達が身代わりになったとして、貴方は幸せになれるのですか?」
ジェイドは見る見るうちに顔を真っ赤にすると、髪を振り乱し激情で声を荒げた。
「お前が!お前さえ居なければ!ルシールが死ぬ事は無かった。その身を捧げ償え!」
ジェイドは黒い水晶の中で白い魔力を練り上げる。先程よりも更に膨大な量の光が蠢く。耐え切れないのか、黒い障壁は徐々に薄くなり膨らんでいく。ジェイドはニタリと笑い両手を広げた。
「あぁ、この薄気味悪い人形は貴殿の物だったな。返却するぞ」
日々の挨拶をするかのような気安さで、フィリベールが右手を揚げた。音も無く継ぎ接ぎ人形が浮かび、水晶柱に取り込まれた。
途端にジェイドの魔力とぶつかり激しい火花が散る。フィリベールとリュシエンヌは目配せで頷くと互いに結界を重ねた。
徐々に衝突が弱まり、遂に何も動かなくなった。水晶には無数に亀裂が入っており、小さくパキリと音がして砂のように崩れて消えてしまった。中から幾つもの光の珠が弾け、四方八方へ飛んで行った。
凄まじい靄が立ち込め、この空間の視界が遮断された。その為、どちらともなく二人は手を取り、様子を窺った。
次第に辺りが晴れていくと、静まり返った中に残されたのは一体の人形だけ。継ぎ接ぎは消えており、金色の髪に青空を映して揺らめく瞳に変化していた。
フィリベールがパチンと指を鳴らすと黒い球体が現れ、人形を吸い込んだ。揺らめきながら漆黒に輝き、それ以上は中を窺い知る事ができなくなった。
「最上位の呪具として、責任をもって保管すると約束する」
サッと手を払うと、光を一筋残しながら跡形も無く消え去った。
◇
「リュシエンヌ!ねぇ、リュシ―!」
ジュルダンが泣き叫ぶ。その聞くに堪えない声にマリエルは意識を浮上させた。
辺りに散らばる割れたガラスの破片に自分を映した。特に変わった様子もなく見えたが、薄紅色の瞳に無数の星が浮かんでいるのに、その時は気付かなかった。
怪我をしない様に、注意深く何も無い床に手を付き、ゆっくりと立ち上がる。
ジュルダンはリュシエンヌに語りかけ縋りついた所をフィリベールに立ちはだかれていた。その情けない姿を目にしたマリエルは急に萎える。
「なにあれ、ばっかみたい。…私も莫迦みたい」
何時の間にか騒ぎを嗅ぎ付けた人々が集まっていた。誰もマリエルに構う事もなく、現状の把握に必死だった。
「帰るわ! 私忙しいのよ」
マリエルの後を慌てて「送ろう」とモルヴァンが追っていった。
周りに居る者が次々と最上級の礼を取り始める。
「良い、緊急につき不問とする」
グレミヨン国王が静かに口を開いた。次の瞬間に吼えた。
「お主は謹慎を言い渡す、連れて行け」
「リュシエンヌ!こっちを見てよ、リュシ―!」
叫びながら引きずられて行くジュルダンに、リュシエンヌは目を伏せたまま淑女の礼を取る。ジュルダンの姿が消えるまで頭を上げなかった。
「コデルリエの王子よ、礼を言う。愚弟愚息がすまなかった。リュシエンヌよ、其方が娘になる事を楽しみにしていたのだが残念だ」
「勿体ない御言葉にございます」
「近いうちにドランブル公爵家へ正式な詫びをすると誓おう」
徐にドランブル公爵マケールが王に礼をする。
「今の御言葉で十分でございます。これ以上の謝罪は謹んで辞退いたします。我々はこれにて、御前を失礼いたします。愛娘が隣国に嫁ぎます故」
頭を上げたドランブル公爵は晴れやかな笑みを浮かべていた。
◇◇◇
「つまり禁術の代償として呪い返しを受けて、かの王弟ジェイド自身が人形に取り込まれ、呪具となったのですね」
「あぁ、同時に溜め込んでいた様々な人物の一部は全て元の持ち主に戻った。皆、以前と変わらぬ様子で過ごせていると報告があった」
明るい陽射しを優しく遮る木陰の庭園でフィリベールとリュシエンヌは紅茶を飲んでいた。
「そうですか、少し安心いたしました」
「君の元婚約者についてだが、彼自身も騙されていた所も鑑みて廃嫡は免れたが王位継承権は最下位へ、辺境の騎士団に放り込まれて鍛え直されているそうだ。側近の三人も一緒に」
バターが香るフィナンシェを齧りながら、リュシエンヌは頷いた。
「どうでもいいかもしれないが、バザン伯爵令嬢も無罪放免とはならなかった。何しろ禁止されている魅了を手あたり次第使用していたからな」
リュシエンヌと同じものを手に取り、フィリベールは優雅に口に運ぶ。
「魔術は封じられ、貴族籍を抜かれ今は平民だ。加えて向こう三年、貧困街での奉仕活動を言い渡されたと聞く」
「適切な判断…なのでしょうね」
やや厳しくも感られたが、彼女が軽い気持ちでした自分本位な事で数多くの人々が国が危険に晒されたのだから仕方ないと言い聞かせた。
「しかし…」
僅かに渋い顔を覗かせたフィリベールの歯切れが悪い。
「ジェイド王弟殿下の事でしょうか?」
喉を潤すように紅茶を流し込んだ後、リュシエンヌを捉えた瞳が首を縦に振った。
「件の人形は強固な牢のように閉ざされ、彼を捕えたままだ。加えて気になる変化といえば、元の人形は無表情なはずなのだが…」
途切れた言葉を促すように、リュシエンヌはフィリベールを見つめた。
「…笑っているんだ。まるで人形の中で夢でも見ているかのように」
結局グレミヨン国王も、その扱いに匙を投げ人形はコデルリエ王国の地下深くに封印されている。恐らく今後も日の目を見る事はないだろう。
「粗方落ち着いたのですから、来てくださったのでしょう?それとも私は、まだ待たなくてはいけないのかしら」
「もう待たせない。待ちたくない」
フィリベールの瞳が、リュシエンヌを捉えたまま輝きを増したように見えた。互いの両手を絡めると、蕩ける様に微笑んだ。
「リュシエンヌ、貴女を愛している。もう離さない」
「フィリベール、愛しているわ。いつまでも貴方と共に」
二人を祝福するように、澄み渡る青空には虹の橋が架かっていた。
◇
「あぁ、ルシール」
目の前で愛する人が笑っている。それだけで幸せだ。
想い焦がれた人の夢を見続ける。人形が朽ちる、その時まで。
おわり
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