表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

◆1◆

数ある作品の中からご覧いただきありがとうございます。

お楽しみいただけたら幸いです。

「リュシエンヌ・ドランブル!貴様が犯した罪により、私との婚約は無効とする。加えて此処で沙汰を言い渡す」



国中の貴族子息令嬢が通う王立学園の卒業式が終わり、生徒主催で行う舞踏会。そんな楽しいひと時はグレミヨン王国第二王子ジュルダンによって壊された。



彼が持つ婚約を記した羊皮紙を炎が包み、青白い揺らめきと共に跡形も無く消え去った。即ち二人を繋ぐ魔法契約も、消失した事を意味する。



「次期王子妃として、民を思い行動するのは当然の事。にも拘らず学園において生徒同士の交流すらも放棄し、剰え身分を笠に着て他の生徒を見下していたな。…しかも、此処に居るバザン伯爵家マリエル嬢を目の敵にし、果ては排除せんと手を回すとは許される事ではない!」



榛色の髪が肩先でふわりと揺れる女生徒がジュルダンに腕を絡め、薄紅色の目を潤ませ震えていた。もう大丈夫だからと女生徒を励ますと、吊り上げた目でリュシエンヌを見据え、更に大声で続けた。



「グレミヨン国王の名の下に、貴族籍を剥奪の上、国外追放に処す。一先ず、地下牢に閉じ込めておけ!」



凡そ想像もつかない極刑に、様子を見守っていた周囲は息を呑み、中には倒れてしまう令嬢もいた。普段は揃いも揃ってリュシエンヌを貶めた者ばかりだと言うのに。



けれどリュシエンヌは顔色一つ変えなかった。むしろ思わず零れそうな溜息を、何とか抑えなければいけないだけで。



ジュルダンは常日頃からそうだった。




あれは十歳の頃、ジュルダンの付き添いの下、茶会に参加した事があった。ジュルダンの婚約者として、彼の用意してくれたドレスを纏い、初めて二人で公共の場へ赴いた。当然ながら期待と不安が入り交じり、押しつぶされそうになりながらも、ジュルダンを支えるべく叩き込まれた所作で社交を熟していた。



とある侯爵夫人がジュルダンに挨拶しにやって来た。横に伴うのは良く似た面影の侯爵令嬢。焦茶色の瞳に可愛らしい笑みを浮かべ、真っすぐジュルダンを見つめていた。リュシエンヌの事など、まるで存在しないかのように。



「ジュルダン様!お会いできて嬉しいわ。今日のドレスはジュルダン様に合わせたのです。どうかしら?」


まるで幼子の様にドレスを摘まみながら、くるりと回る。瞳と同じ色の品よく巻かれた髪を靡かせて笑う。



余りにも稚拙。無礼を通り越した言動に、怒りより呆れて驚く。本来、ドレスの色は爵位順に決められ、前もって伝えていたはずだ。同じ色を纏う事は礼儀知らずとされ、下位貴族が調整し被らない様にするのが暗黙の了解となっている。



夏の晴れた空の様に澄んだ青い色のドレスを着たリュシエンヌと侯爵令嬢。どちらが非常識で責められるべきかは一目瞭然のはず。それなのに注意もせず、にこにこと微笑み頷いている侯爵夫人。



周りに居る人々は、この愉快な状況をただ黙って傍観する。リュシエンヌが上手く躱すも良し。無礼者に巻き込まれ、双方切捨てられるのも一興。自分たちに一切痛手が無い上に、上位貴族二家に揃って傷が付くかもしれないのだ。



「ネール侯爵令嬢、青い空は大地の様な貴女に相応しい。マチルド嬢とお呼びしても?」



咄嗟にリュシエンヌはジュルダンを見やり、思わず息を呑んだ。彼の瞳は真っすぐリュシエンヌに向かい、殆ど表情を動かしていないのに、蔑みの色が浮かんでいたから。リュシエンヌだけにしか見えない角度だった為、きっと他の人からは、いつもと変わらない人好きのする第二王子としか思われていないだろう。



温厚な殿下が婚約者ではない娘を選び、婚約者を切捨てた。これ以上ない余興は、ジュルダンの言動で勝敗が決まった。つまり今後のリュシエンヌの立場が確立された瞬間でもある。



主役となった二人が歓談する端をすり抜け、リュシエンヌは人々の視線を背中に感じながら侍女と休憩室へ下がった。すぐさま扉を閉めさせ、倒れる様に椅子に腰掛けた。同時に頬を熱いものが伝っているのに気づく。見れば鏡越しの自分が泣いていた。



悲しみだけでなく、訳が分からず混乱していた。リュシエンヌがジュルダンを思うように、彼も自分の事を好ましく感じているのだと信じていたから。まだ愛というには足りないものの、家族へ向けるような情があると。けれど現実は違っていた。




俯けば嫌でも青いドレスが視界に入る。ぽたぽたと青空に雨雲のような跡が増えていく。




ジュルダンがドレスを持参してドランブル公爵家へやって来た時は、ただ嬉しくて。こんな事になるなんて想像もつかなかった。



「リュシエンヌに私の色を贈りたいんだ」



指先に口付けを落としながら、彼は確かにそう言った。ジュルダンを支えていこう、その時、改めて誓ったのに。初めから、殿下に嫌われていた?だとしたら何故、このようなドレスを贈ってくれたのだろう。



…あれは、あくまでも婚約者としての義務。



それなりに歩み寄れている、そう思っていた自分が恥ずかしい。



ふと遠い昔の約束を思い出す。こんな事になるのなら、あの時、想いを抑えつけ我慢しなければならなかった理由すらも分からなくなる。




抜け落ちるの感情がドレスに重なり、振り払うように脱ぎ捨てた。予備の物に袖を通すと、公爵家の者としての矜持なのか、貴族的な笑みが貼り付く。



それからもジュルダンは社交界でのリュシエンヌを貶めるべく誘導し、かと思うと二人きりの時は甘やかな言葉を紡いだ。そんなジュルダンの態度に、一喜一憂をし続けた。何か行儀作法を失敗したのではないか、今日の会話で嫌われるような事を言ってしまったのかもしれないと、その都度自分を責めた。



いずれ己の妃になる者の評判を落とすなど為政者として、いや人として褒められた行動ではない。理解に苦しむ事なのだが、彼の所為にはせずリュシエンヌは自分が悪いのだと努力を怠らなかった。それでもジュルダンは、日常的に掴み処の無い行動を重ねていく。



そんな第二王子に倣い、周りの貴族がリュシエンヌを侮るのは必然だった。



僅かな弱みから他人を蹴落とす貴族社会において、リュシエンヌは外す事の無い大きな的として格好の餌食となっていた。社交会だけでなく学園生活でも遠巻きに笑われ、大きな声で陰口を浴びせられた。婚約者に愛されていない、落ちこぼれの日陰令嬢と。



当然、リュシエンヌとて指を咥えて待っていた訳では無い。例の茶会後すぐに、父であるドランブル公爵に報告を上げ、起こった出来事を包み隠さず話した。



「まさか…、殿下がそこまでとは気付かず、辛い思いをさせたね。ルシールにも合わせる顔がない。リュシエンヌを幸せにすると誓ったのに。情けない父を許しておくれ」



今は無き母の名を出し、項垂れてしまう。



そんな父に申し訳なく思うも、畳み掛ける様に最後まで話しきらなくてはならなかった。



第二王子はリュシエンヌを嫌悪、拒絶しているので婚約者を辞退したいと願い、加えて公爵家に迷惑が掛かるのを避ける為、ドランブル家から除籍して欲しいとも付け加えた。最終的に修道院へ入る旨を伝えると、険しい表情の公爵は眉間の皺を深くしながら、改めて事実を確認し、王家との交渉まで持ち込めるのか、一旦任せるようにと言いその場を収めた。



そこからは息を顰め、ジュルダンを極力避け逆らわないように過ごした。だというのに何処からともなくジュルダンは現れ、リュシエンヌに絡んでは悪意ある言葉を浴びせていく。ドランブル公爵からの通達も進展は無く、状況に変化は無かった。




そんな日常が繰り返されたある日。調べものをしようと学園の図書室に向かう途中リュシエンヌは、何者かの気配を感じ生垣に身を潜めた。学園生はリュシエンヌを見かけると貶めて来る者が多く、普段から人を避ける癖がついてしまっていた。


その人々が立ち去るのを確認する為に、耳を澄ませば複数人の声が重なり、その中に聞き慣れた、けれど一番耳にしたくないジュルダンのものが混ざっていた。


「いつ婚約破棄をなさるのです?かの令嬢に情けをかける、お優しい殿下も素敵ですけれど。流石にもう宜しいのでは」


「えぇ、そうですわ。殿下の御厚意に付け入るだなんて非常識にも程があります。これ以上、見ていられませんもの」


口々にリュシエンヌがジュルダンの婚約者として相応しくないと、ジュルダン本人へ直訴している。リュシエンヌも思わず頷く。この婚約が白紙に戻る事を望んでいるのは、彼女達だけではなく、リュシエンヌとて同じ事。ジュルダンにこれ以だけ嫌われているのだから、リュシエンヌは婚約を解消したかった。



ジュルダンは、ありがとうと令嬢達を鎮めたが、それでも納得しない者も居た。




「ですが…!」



「君たちの心配は受け取ったよ。これは王命、第二王子程度では辛くとも従うより他は無い。私も陛下に進言したのだが、結果は否だった。どうやらリュシエンヌが頑なに拒んでいるようでね。王家としても公爵家と軋轢を生むわけにはいかない…分かって欲しい」


令嬢達はジュルダンに慰めの言葉と公爵家への不満を次々と述べた。



彼方の空を見ながら、ふぅと溜息を一つ。そんな憂いのある王子の姿に令嬢達は釘付けになっている。



「いい加減、私も解放されたいよ」



とても辛そうに絞り出されたジュルダンの言葉は、鋭い刃物のようにリュシエンヌに突き刺さる。リュシエンヌは身を引く、そのように伝えてあるはずで、向こうが白紙撤回を望めば直ぐにでも契約は解消される。拒否などする訳がない。どうして嘘を吐くのか。


婚約期間には楽しい想い出もあって、けれどそれはリュシエンヌの独り善がりでしかなかった。彼に寄り添う努力をしてきたつもりだったのに、何時から間違えてしまったのだろう。分からない。



分からない。



分かりたく…ない。



リュシエンヌが無意識に歪めていた感情に限界が訪れていた。心の底にある最後の一欠片が、小さな音を立て粉々になっていく。殿下と分かり合えなかった事に一抹の寂しさはあったが、不思議と涙は出なかった。けれどこれ以上この場に居たくはなくて、音を立てないよう静かに背を向けて立ち去った。それ以来、ジュルダンに何をされても他人事として受け流せ、平穏を保てた。



ジュルダンに対しては何の感情も湧かなくなったものの、大勢から向けられる負の感情には精神だって削られていく。そんなに嫌なら、さっさと婚約など無にしてくれさえすれば皆が幸せなのに。リュシエンヌには無理でも、王族である彼にはそれが可能なのだから。何故しないのか。



何故。





そう思い続けていたリュシエンヌにとって、この状況は渡りに船。遂に来るべき時が来たのだと、目の前の出来事を躊躇いもなく受け入れた。流石にでっち上げの罪はやり過ぎだが、これもまたジュルダンの予測不能な行動だと思えば納得がいく。やはり、それほどまでに嫌われていたに違いない。



ともあれリュシエンヌが出した答えは一つ。




「仰せのままに」




深々と淑女の礼をとれば、白く輝く銀髪が肩からさらりと落ちる。大方の予想に反して泣き叫び縋る事なく、凛とした所作にその場に居た全ての者が釘付けになる。憑き物が無くなったリュシエンヌは、久方振りに晴れやかな微笑みを浮かべていた。その紅い瞳は吸い込まれそうなほどに澄み渡り、会場の視線が集中した。幾多の瞳に映る彼女は、まるで舞踏をしている様な優雅さを纏いながら衛兵に連れて行かれた。彼女が見えなくなっても会場のざわつきは収まらず、その騒ぎに乗じて彼女に続き何処かへ消えて行く者も幾人か見えた。



張本人のジュルダンだけ頬を染め呆けていたが、隣に居たマリエル嬢に小突かれ現実へと戻された。気を取り直し、二人は手を取り何曲も続けて踊り、第二王子の側近候補三人だけが二人を温かく見守っていた。







夜まで続いた会での出来事を、大人達が状況を正しく理解したのは翌日の昼過ぎだった。




結論から言えばジュルダンは国王に、こってりと絞られた。王妃が息子可愛さに取りなす事も無く、ジュルダンとマリエルは学園の新学期が始まるまで謹慎処分となった。勿論、別々の場所で、だ。



本来、地下牢とは平民の犯罪者を拘留する場所。貴族なら大罪人、例えば国家転覆を目論んだり、殺人を犯すような真似をしない限り生涯無縁である。仮にリュシエンヌのような公爵令嬢が罪を犯したとしても、貴族牢に入れられるのが定石だった。



すぐさまリュシエンヌ嬢が捕えられた牢へ、国王の手の者が遣わされた。



けれど、牢はもぬけの殻。



大きな金属製の南京錠は傷一つなく施錠されたまま。牢の内部にも何の痕跡も見当たらない。投獄されたのが幻だったとでも言うように、ドランブル公爵令嬢は煙のように消えていた。



グレミヨン王は、すぐさま彼女の行方を追ったが結果は振るわず。最上級の極秘事項とし、引き続き捜索を行うと約束した。




誰も口にはしなかったが、言い知れぬ不安が関係者に纏わりつく。何か大きな力が蠢いている、そんな気が拭えない。



浅慮な王子が起こした騒動は、静けさと共に底知れぬ恐怖を引き寄せていくようだった。




◇◇◇




「それでは明日より登城し、講師達から指導を受けなくては、ね」



「週に三日だ、一年で完了させるように」



国王陛下と王妃は見るからに機嫌が良さそうで、ジュルダン王子とマリエル嬢に向かって、ににこにこと笑いかける。これから一年、バザン伯爵令嬢はジュルダンに並べるように教育が施される予定だ。



「我々二人、互いに支え合いながら励んでまいります」



「私、ジュルダン様と一緒に妃教育を頑張りますわ!お義父さま、お義母さま!」



王妃は黄色い和蘭撫子を豪奢にあしらった意匠の扇を静かに口元に添えた。



「それは頼もしい事。精進なさい」



王妃激励の言葉に、マリエルは目を潤ませながら何度も頷く。横ではジュルダンがありがとうございますと妃へと礼を述べた後、マリエルと見つめ合い微笑んだ。



徐に国王陛下の右手が払われ、謁見はそこで終了となった。




◇◇◇




今日から最終学年に進級したマリエルは、たっぷり時間をかけ身支度をした。ジュルダンが手配してくれた使用人は、流れるような動きでマリエルの要望を次から次へと叶えていった。


榛色の髪を複雑に編み込み、蒼玉の付いた髪飾りと同じ色の矢車菊を挿した。ジュルダンの寵愛を一身に受けていると、全身で表したかったから。マリエルの薄紅色をした瞳とも相性が良くて、思わずにやけてしまう。



「ありがとう、これならあの公爵令嬢なんか目じゃないわね。私の方が断然、可愛いもの。貴女たちもそう思うでしょう?」



気遣いの出来る淑女のマリエルは、下々の者への配慮も忘れない。ご覧なさい、とても驚いた顔をしているわ。きっと御礼を言われた事など無いのでしょうね。どうぞ感動して頂戴な。



こうして未来の王子妃に相応しい恰好で、学園へと向かった。マリエルの心は希望に満ち、彼女を祝福するように見上げた空は光に溢れ輝いていた。


いけ好かない上位貴族の令嬢を出し抜き、第二王子の新たな婚約者の座に収まったのだ。本当に上手くいった。疑われる事も無く、自分の力を存分に揮えたのだから。



リュシエンヌとかいう令嬢、全くもって気に食わなかった。



生まれながらに公爵家の地位と財産があり、未来の王子妃という名誉を手にした幸運。白く輝く銀髪に紅の瞳という稀なる色を持つ美貌は、まるで御伽噺の原初の女神のようだ。無駄の一切ない貴族としての作法、学力だって一二を争う優秀さ。



全て偶々だというのに。大人達は挙って褒め称えていた。マリエルだって公爵家に生まれてさえいれば、あれくらい出来ていたはずなのに。瞳の色だって、あとちょっと濃ければ私が原初の女神の再来と称えられた に違いない。あの女さえ居なければ、ずっとそう思ってきた。



そして漸く。



その誰もが認める令嬢に、マリエルは勝った。何が公爵家だ、ざまぁない。思わず緩む頬を、謹慎中に教わった王宮仕込みの妃教育を思い出して何とか抑えた。







マリエルは新しい教室へと移動した時に、気づいてしまった。学園にきてから感じていた違和感の正体。



そう、去年と比べて周りが寂しいのだと。




自分の周りに侍るはずの子息達が、今年は居ないという事に。ジュルダン殿下に幼馴染のアルシェ、エドモン様やフィルマン様も一つ年上で、卒業してしまった。



彼等は成人した事により、新たな仕事を任されたと聞く。ジュルダンに至っては、再教育も併せて寝る間も無いほどに執務と勉強をしているらしい。



マリエルは学園に一人残されたが、まぁ平気だ。例の一件以降、公爵令嬢は領地に戻ったと噂に聞いた。尤も、あれだけの事があった訳で、恥ずかしくて王都になんて居られなかったのだろう。最早、マリエルの敵認定から外れてしまったから、居ても居なくても大差はない。そんな今、学園はマリエルの一人天下だ。



高位貴族の子息は、他にも学園に在籍しているし、同学年だけでなく後輩にも美しい男は沢山居る。マリエルが見つめれば、誰もが頬を染め嬉しそうに頬を染める。



また力を使い、新しい縁を作り学園生活を満喫すればいい。彼等を侍らせた時を思えば自然と口角が上がっていく。



「ごめんなさい。寂しさのあまり、お傍に来てしまいましたわ。私、他の方と馴染めなくて。…えぇ、殿下と親しくさせていただいているだけで、嫉妬され疎まれておりますの」



胸の前で両手を握り締め、目尻に涙を浮かべる。



「私は皆様と仲良くしたいのですが」



遠慮がちに俯けば、皆がマリエルの味方になる。




はずだったのに。





「私には婚約者が居る。立場上、誤解を受けるような行動は出来なくてね。力になれそうもない」



「自分の事は己で何とかするのが当然だろう。先ほど教諭に呼び出されていて、先を急いでいる。他を当たってくれないか。では、失礼するよ」



「…あぁ、君は…。用はそれだけか?私の研究の邪魔をしてまで、するべき事ではないだろう」




今年は、いまいち上手く行かない。持て囃してくれたのは、子爵以下の令息が数名だけ。不本意だが、まあいい。下位貴族だけれど、顔だけは良いし。何よりマリエルを恨めしそうに睨む彼等の婚約者達へ、眉尻を下げ儚げな微笑みを向けられる。優越感に浸りながら。



どの道、私が妃になれば人が群れるはず。それからでは遅いのに。遠巻きに此方を見るだけで近づこうとしない者を視界に捉え、彼等に対する評価を決めた。



私が王族になった暁には、容赦しない。居ない者として一瞥もくれてやらない、そう心に決めれば僅かに留飲が下がった。







マリエルの妃教育も本格的なものになり、ジュルダン殿下だけでなくエドモン、アルシェ、フィルマンともすれ違いの日々が続いた。


彼等に会えないのは釈然としないものの、マリエルの妃教育は順調そのもの。決して簡単とは言い難いけれど、頑張れば付いて行けない程でもなく。放課後に数時間、王宮に立ち寄り、学園では教わらない高度な内容を熟し身に着けていく。



この程度の教育内容に、公爵令嬢は死に物狂いにならなければならなかったのか。…なーんだ、実は彼女ってば大したこと無かったのだと思わず笑いが漏れた。優秀が聞いて呆れる。しかも彼女が妃教育を始めたのはジュルダン様と婚約した頃だと聞いた。となると、六年も前。その間、一体何をしていたのだろう。




…第二王子妃、王妃にだってなれるのではないか。何しろ私は優秀なのだから。



立派な王妃になる、そう思えば尚更頑張れた。




◇◇◇




黴臭い石造りの地下牢は、時折何処かで水滴の音がするだけで、静まり返っていた。寝具など何一つ備えていない固い寝台に、リュシエンヌは軽く腰を下ろした。




頭上高くにある小さな窓から、僅かに星空が見える。星の瞬きを眺めながら、今後について漠然と思いを巡らせていたその時。



遠くから微かにカツンカツンという規則正しい足音が聞こえ、同時にチラチラと灯りが此方へ向かってきた。今までより大きなガツンという音と共に、灯りがリュシエンヌを照らす。思わず眩しさに顔を背けた。



「無様だな、リュシエンヌ」



ジュルダンの鋭い視線が絡みつく。第二王子自ら出向いて来たようだが、奇妙な事に彼を守る兵は誰も居なかった。



流れる様に立ち上がり、臣下の礼を一つ。顔は下を向いたまま、リュシエンヌは動きを止めた。



「ここから出してあげてもいいんだ。…私の言いつけを守れるならば…ね」



けれどそれが返事だと言わんばかりに、頭を下げたままリュシエンヌはピクリとも動かない。



「…強情な所も嫌いじゃない…が、余り私に逆らわない方がいい」



ガシャンと鉄格子を鳴らして、また来るよとジュルダンは元来た路を戻って行った。音が遠ざかり、再び暗闇が辺りを包んだ時、リュシエンヌは溜息と共に身体を起こした。




ここまでご覧いただきありがとうございます。

宜しければ次もご覧ください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ