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パーティから数日たったある日。


「それにしてもセレスティーヌ様が戻られて本当に安心いたしましたぞ」


穏やかな口調の老人が優しく微笑む。

彼は宰相家が昔から贔屓にしている商人で、記憶を失う前のセレスティーヌもよく彼から商品を取り寄せていたというが覚えてはいない。

商人が屋敷に訪れるので欲しい物は全て買いなさいと当然のような顔で言ってのけ、忙しなく仕事に出かけた宰相。

入れ違いにやって来た老人により並べられた信じられない程高価な品々を見ながら、そういえば騙された商人のシャルバンはどうしただろうかとふと頭をよぎる。


「実はセレスティーヌ様ご本人にこのお話をして良いのか迷いますが、貴女様がご実家に戻られてすぐに商人の間で貴方様の悪評が流れておりました」

「まぁ。私の?」


老人が戸惑いがちに始めた話の内容に目を丸くする。


「はい、セレスティーヌ様が無茶な納期で商品を納入させただの、ほぼほぼ利益の出ない価格で取引をさせられただの、とにかくわがまま放題だというのです。もちろんセレスティーヌを直接知る者はそのような狭量なお方ではないと否定しましたが、末端の若い商人の間で貴女様はとんでもない顧客だと噂が広まったのです」


老人の話に耳を傾けながらよくわからない事態になっていたことに只々茫然とする。


「調べていくと貴女様がご実家でお関わりになっていたシャルバンの仕業であることが発覚しました」

「シャルバンが…」


丁度今しがた思い出していた男の名前だ。


「奴はもともと業界ではその強引さから評判の悪い男でしたがの。目利きの実力は確かなものでそこそこ商人としての手腕はございましたが、人間としては二流でした。セレスティーヌ様がご実家にお戻りになり頻繁にお会いするようになったのをきっかけに、今や社交界の華であらせられる貴女様のお名前を使ってやりたい放題。取引相手に自分の都合のいい要求をのませるため、セレスティーヌ様のご威光に逆らえば社交界の貴族からの仕事は今後一切なくなるとあらゆるところで脅しをかけていたとか」


セレスティーヌ自体はシャルバンからは大した商品は買ってはいないというのに。


「自分はセレスティーヌ様のお気に入りだと好き勝手に吹聴して回っていたようですぞ。しかしまぁ奴も年貢の納め時でしょう。この国で一番触れてはいけない逆鱗に触れたのだから自業自得でしょうな」


カラカラと笑う商人の言葉に思い出すのはあの夜の宰相であった。

彼はこのことを知っていたのだろうか。


「おっとお喋りが過ぎると宰相様に叱られますな。せっかく愛しい女性を陰から守ろうという童のような格好付けがこれでは台無し。年を取ると余計なお節介をしてしまう。悪い癖だ」


茶目っ気のあるウインクが飛んでくる。


「そうじゃそうじゃ。今日お訪ねした目的をすっかり忘れておった。どうぞ、お納めくだされ」

「これは?」


立派な装飾の施された箱を手渡される。


「宰相様からセレスティーヌ様へのプレゼントとしてご依頼があった首飾りです。少し前に完成しておりましたが、セレスティーヌ様のご不在が続きお渡しが遅れました。ご容赦くだされ」


箱を開けてみればそれは見事な首飾りがベゼルに鎮座していた。

一つ一つが主役級の大きさと輝きをもつ石をふんだんに使用した物凄く立派な首飾り。

それこそどこかの国の王女が持つような豪華さだ。


「素敵ね…」

「はい、それこそどんな商人も無理をしてでも取り扱いと願うような代物ですな。これを身に着けたセレスティーヌ様が社交界に出れば瞬く間に噂が広まり取り扱った商人も評判うなぎ上りでしょうな」


もしこれをシャルバンが持ち寄っても、あの時のセレスティーヌは喜ばなかったであろう。

だが今この時、宰相がセレスティーヌの為だけにこれを用意したのだと思えば心は恋する少女のように弾む。


「ふふ、本当に素敵」


手に取った首飾りがキラリと光った。







※※※※※※


セレスティーヌは幸せな夢を見ていた。

素敵なパートナーと手を取り合い見つめ合う夢だ。

澄んだ美しい瞳に映る自分は蕩けるような甘い表情をしている。

すっきりと通った鼻筋に優しげに弧を描く唇。

男らしく骨張った固い指がセレスティーヌのほっそりとした指に戯れるように絡み付く。

彼の手は手首へ腕へ肩へと段々と移動し、気づくと厚い胸板に捕らわれているではないか。

爽やかな甘い彼の香りがセレスティーヌの鼻を擽る。

逞しい腕の中から伺うと、彼の美しい顔が迫ってきた。

愛しい彼を受け入れるべく目を瞑るが、頬にサラリとした感触を感じ驚いて目を開ける。

てっきりキスを求めていると思っていたが、彼は逞しくもスラリとした背を窮屈そうに屈めてセレスティーヌに甘えるように頬ずりしていたのだ。

愛おしくて仕方ないというように何度も何度もセレスティーヌの頬にすり寄り首筋に唇を掠めさせる。

彼のサラサラとした髪の毛が頬と首筋を掠めてくすぐったい。

思わず小さな笑い声をあげるセレスティーヌに今度こそ彼の唇が迫った。



そこで唐突に夢は途切れた。

まだ馴染みの薄い天井を見上げてため息を吐き、夢の内容を頭の中で反芻させる。

昔から実はどこかメルヘン的な思考を持つセレスティーヌ。

それに加えて我が強く、親の権力は絶大。

となればお姫様になりたいと望むのは必然で。

いつか素敵な王子様と幸せになりたい。

少女ならば誰しもが一度はそんな願いを抱くだろうが、セレスティーヌのそれは願いなどと可愛いものではなく野望と言えるほどだった。


だがそれが今はどうだろう。

正面で懸命に草を食む家畜…もといサラダを食すオッサンの朝食の姿を目にして脱力感に襲われそうになる。

宰相家の朝食は家族揃ってとる習慣があるらしく、向かいには宰相、その隣に息子のマルク、セレスティーヌの隣には乳母に付き添われた赤子のリュカが着席している。

何故かこちらを見てソワソワと落ち着かない様子のオッサン。

セレスティーヌに何かをアピールするかのように大げさにモシャモシャ草を食んでいる。


「父上、頑張って野菜を食すのは結構ですが少しドレッシングをかけ過ぎなのでは? 塩分の取り過ぎは良くないですよ」

「う…」


息子のマルクから注意が入ると草を食む勢いが落ちた。


「うー、あー」

「はいリュカ様、あちらの野菜ポタージュですね」


落ち込む父親など気にも留めていない隣のリュカ。乳母がポタージュを掬ったスプーンを差し出すと大きく口を開ける。

食欲旺盛に数種類の離乳食を思い思いに楽しんでいるその姿は、高熱で苦しんでいたことなど嘘のように元気だ。


結婚前のセレスティーヌは家族で朝食を取るという習慣はなかった。

朝は静かにゆっくりと身体を目覚めさせるものだと思っていたが、明るく賑やかなこの朝食も嫌いではない。

自然と零れてしまう笑みのまま、ハーブティのカップを傾ける。


ふと向かいの宰相と目が合い嬉しそうににんまり締まりのない笑顔を向けられる。

やはりその姿はセレスティーヌの理想とは程遠いものである。

酸いも甘いも経験した末に汚れが染みつき落ちなくなってしまったかのように濁った瞳を持つ肉に埋もれた細い目。

少なくとも輝く未来を夢見る青年のような煌めきは完全に失われている。

鼻も少し肉に埋もれてぺちゃんと潰れ、その下の髭は整えられているが流行遅れでおっさんくさい。

フォークを握る指はもちもちしているパンのようだ。

宰相の腕の中は恐らくギュムッと柔らかであろう。

香ってくる匂いだって使い古した油のような加齢臭に汗のツンと酸っぱい柑橘系の匂いを混ぜ合わせた最悪なものに違いない。

そしてなんと言っても極め付けは存在しない頭髪である。

どんなに金と権力を持っていようが逃れることは出来ない遺伝子の悪戯。

ハゲは七難を凌駕する。

今朝の夢の中の彼と、何故にこうも違うのか。

理想と現実は違うというがここまで正反対にならなくてもいいのではないか。


しかしどうしたことか、この宰相と夫婦だと初めて告げられた時のような嫌悪を今はまったく感じない。

ただ夢の中のように抱きしめられても圧死するリスクがあるのでやはり少し瘦せさせた方がいいだろうと考えるセレスティーヌは、いつの間にか夢の中の理想の彼との光景に宰相を当て嵌めてしまっていることに気づいていなかった。



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