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しばらく悪の高笑いに聞き惚れていると、宰相に従者らしき者が慌てた様子で近寄り耳打ちをする。


「なに!? リュカが!?」


宰相の驚き交じりに飛び出した名前にセレスティーヌのぼんやりとしていた意識が引き戻される。

リュカとは赤子のことだ。何故か名前を聞くだけで胸が圧し潰されそうな切なさがこみ上げるあの赤子のことだ。


「――ああ――そうか。わかった」


先ほどまでのふてぶてしい悪役顔はどこへやら。

余裕のない表情で耳元の従者に相槌を打つ。


「今すぐに屋敷に戻る」

「待って!」


踵を返しそうな宰相の太い腕を捕まえるセレスティーヌ。

ほとんど無意識であった。


「あの子に何かあったのですか?」

「ああ、突然高熱を出したようだ。だがすでに医師を手配している。安心しなさい」


セレスティーヌの顔を見た宰相は少し困った顔でそう言うともう一度彼女に背を向け歩き始めようとする。


「私も屋敷に戻るわ!」


セレスティーヌは咄嗟にそう叫ぶと、驚いた宰相は彼女の方に振り向いた。


「いいのかいセレス」

「ええ、早く帰りましょう」


「待ってくれセレス!」


二人揃って一歩を踏み出そうとした時、ルートヴィヒが叫んだ。


「宰相家に戻るつもりか? また苦しむことになるんだぞ」

「ごめんなさいルゥ。今は急いでいるからまた今度にしてちょうだい」

「すでに医者はいるのだろ!? だったら君が行ったところで意味はないはずだ!」


宰相と繋がれた方とは反対の手を取り必死に止めようとするルートヴィヒ。


「離してっ!」


セレスティーヌはルートヴィヒの手を勢いに任せて強く払いのける。


「自分でも分からないけど今あの子の傍に居てあげないと、私は私では無くなってしまう気がするわ。誰かが強く訴えるの。早くリュカの所へ戻れと。心の内側から必死に叫んでる」


恐らくそれは忘れてしまったもう一人のセレスティーヌなのであろう。


「だからごめんなさいルゥ。私、行くわね。さぁ宰相様、早く!」

「……」


セレスティーヌはルートヴィヒを見ることなく、宰相の巨体を浮かせる勢いで引っ張り瞬く間に会場を去っていった。

だからこの時ルートヴィヒがどんな顔をしていたのか、彼女がそれを目にすることはなかった。



久々に宰相家に戻ると一目散にリュカの元へ駆けつけた。

ぐったりとベッドに横たわる小さな体。

最後に目にした時はえらく泣き喚いていたが、今日はとてもその元気はないようで薄目を開けてぼんやりと空を見つめている。

額に汗を浮かべているのにその顔色は青白い。

泣きそうになりながらリュカを覗き込むと、セレスティーヌの顔を捉えたようで口の形が変わる。

『ママ』と言いたかったのかもしれないがそれを音にする体力はないようで、薄目すら閉じられてしまった。

だが一瞬、リュカが安堵の微笑みのようなものを浮かべたことをセレスティーヌは見逃さなかった。


彼女は一晩中リュカについて汗を拭き濡れタオルを冷たいものに変え続け、彼の容態を見守った。

そうして朝になると熱は嘘のようにすっかり引いていた。

医者がリュカを診てもう心配ないと頷くと、セレスティーヌの大きな瞳から涙の粒が溢れてきた。


「良かった…」


安堵とともに思わず声が漏れる。

見たことのない母の姿が気になるのかリュカが不思議そうにこちらに手を伸ばす。


「まぁ、まぁ」


それが抱っこの要求であると何故か理解できる。リュカを抱き寄せ色味の戻ったふくふくの頬に顔を寄せる。

それに対してリュカは元気な喜びの笑い声で返した。

宰相はそんな二人を嬉しそうに黙って見守る。

彼もセレスティーヌ同様一晩中リュカの傍にいておろおろと意味もなく部屋中を歩き回っていた。


「宰相様…お願いがございます」


セレスティーヌはリュカを抱いたまま意を決して宰相に声をかける。


「この子の体調が万全になった暁には、どうか私にこの子を引き取らせていただきたいのです」


嫁のみならばいざ知らず、子供を連れて出て行くなど貴族としてはありえないことである。

だが宰相はそんなセレスティーヌの要求にあっさりと頷いた。


「医者もリュカの熱はセレスと離れたストレスによるものではないかと言っていた。ワシはセレスとリュカ、ついでにマルクが平穏無事ならばそれ以上のものは望まない。リュカにはセレスが必要だ。この子を連れて行きなさい」


寂しげに微笑む宰相を見て、またしてもセレスティーヌは大いに胸が痛んだ。

リュカにしているように優しく抱きしめどこにも行かないと伝えて慰めたい。

しかしあれだけ拒絶をして今更そんな虫のいいことは出来ない。

互いに遠慮した重苦しい空気をリュカが破った。


「あー、ぱ。ぱぁ!」


昨晩高熱に苦しんでいたとは思えないご機嫌な声をあげるリュカ。

最近彼は『ママ』という単語を覚えそれを日々連呼していたのだが、どうやら今回のお喋りはいつもと違うようだ。


「あら? もしかして今のパパって言ったのかしら…」

「なにぃ! 本当かいリュカたんんん!もう一度! もう一度だけ言っておくれ!!」


寂しげな様子から一変、一気にテンションが急上昇した宰相はリュカへ駆け寄る。


「ほうらリュカたん。もう一度、パパって言ってみてくれ。パァパ、パパ、パ…いでででで!リュカ!やめて!髭は引っ張らないで!」

「ウキャー!」


宰相の髭をおもちゃにして楽しそうなリュカ。


「ほら、リュカ。お父様が困っているわ、おててを離して」


見かねたセレスティーヌが声をかける。

するりと口をついて出た自分のセリフに驚くセレスティーヌ。

こんな平和なやり取りに既視感があるのだ。


「いててて…」


鼻の下を抑えながら痛そうにする宰相を見て、昨日からの騒動はようやく一息ついたのだと実感する。

するとずっと疑問であったことが再び気にかかってきた。


「あ、あの。一つお伺いしたかったのですが。昨晩の夜会でなぜ最初のダンスを他の男性と踊るように勧めたのでしょう」


あれでは不仲説を払拭するどころか噂を助長してしまう。


「…ああ、あれなぁ。あれは単純に怖かったのだ」

「怖かった?」


あれほど傍若無人な様子であった宰相が恐怖など感じることに驚く。


「あのままセレスがあの男の手を取ってしまうのを見るのを恐れたのだ。若く美しくふさふさの髪の男は誰がみても君とお似合いだった。だから君にあの者と踊りたいと言われるのが怖くて先に手を離した…無様だろう。こんな図体のでかいオッサンが君の去る姿に怯えて小鳥のように内心震えていたのだから」

「私はっ!若かろうが、美しかろうが、ふさふさだろうが貴方ではない人間と踊りたくなどなかった!私の昨夜の目的は貴方とパーティでつつがなく過ごすことでしたのに! 私は不要なのだと突きつけられたようで悲しかったです!」


一見怒っているように見えるセレスティーヌであるがその瞳には悲しげな色が浮かんでいる。そんな彼女を見て頼りなげな細い肩を慌てて掴む宰相。


「セレスが不要であるはずがない!君は世界中のどんな宝物よりも…」

「ぶぅぅ!」

「あ、すまんリュカ」


セレスティーヌの腕の中にいたリュカは宰相に挟まれ狭苦しかったのか抗議の声を上げる。


「まぁ、ぱ」

「リュカたん?」


離れようとした宰相の袖を掴んで何か言いたげに二人を呼ぶリュカを目にしてセレスティーヌは腹をくくる。


「今更何を言うのだと思われるでしょうが…私、この家に戻りたいです」

「ほ、本当かいセレス!?」

「失った記憶はこの家にあります。きっと記憶が戻るきっかけになるモノも多いはずです。それにこの子もきっと、お家に居たいと訴えているのですわ」


セレスティーヌは覚えていないだろうが、リュカが自分から宰相に接触するのは珍しいことなのだ。

宰相の袖を掴むリュカを見て愛おしそうに目を細めるセレスティーヌ。

記憶を失い、リュカを未知の生物として恐れた彼女からは考えられないような慈愛に満ちた眼差しだ。

少しずつではあるが崩れたものが修復される兆しを感じる。


「勝手なのは重々承知なのですが、どうか戻ることをお許し頂けないでしょうか?」

「許すなどとんでもない!それは、ワシの、願いだ」


年甲斐もなくクシャクシャに顔を歪ませ目元を潤ませる宰相。


「どうかワシから離れて行かないでおくれ。好きなことしなさい。好きなものを買いなさい。別の男に心を移しても死ぬ気で我慢しよう。でも、どうか、最後にはワシの所へ戻ってきておくれ」


かすれた声でそう願った宰相はリュカごとセレスティーヌを抱きしめた。

こうしてセレスティーヌは宰相家に戻ってきた。



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― 新着の感想 ―
まあ息子もハゲ親父の愛をママ不在でいつも以上に受けたら高熱もでるよね
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