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「久しぶり、セレス」


青年は人好きのする爽やかな笑顔で口を開いた。

気安い口調で声をかけられたセレスティーヌは、一瞬彼が誰であったか記憶の引き出しを引っ掻き回す。


「ええ、本当久しぶりね、ルゥ」


引き出しの奥深くにしまわれていた記憶から“ルートヴィヒ”という名の人物を引っ張り出したセレスティーヌは、脳をフル回転させていたことを悟らせぬような余裕のある笑みで返事をする。

記憶にある彼の姿とはかけ離れていたのだから一瞬考えてしまうのも無理はない。

セレスティーヌの知る彼はまだほんの子供で、兄の方が年は近い筈なのにセレスティーヌよりも背が低かった。

その上少女のように愛くるしく、当時のセレスティーヌは彼を気に入りお人形感覚で連れまわしていた。

美しいブロンドと青い瞳は変わらないものの、目の前の彼はもうとても少女のようには見えない。

背丈も随分と伸びて長身の兄と並ぶほどだ。

温和そうだが男性らしくキリリと締まりのある整った顔をしている。

金髪碧眼の、王子様より王子様らしい、まさに絵本から飛び出してきたような美丈夫に成長したようだ。


「見違えたわ、ルゥ。昔は女の子のように可愛らしかったのに、まさかこんなに素敵な男性になるなんてね」


セレスティーヌは昔馴染みの成長を喜び、彼の傍に歩み寄る。

昔を懐かしみ、再会に喜び手を差し伸べた。

嬉しげに微笑んだルートヴィヒもその手を取る。

そのまま握手をしようとしたセレスティーヌだが、ルートヴィヒは手を握り込むことなくそっと優しく包むようにし、そのまま片膝を地面につけてしまった。


「お待たせしましたお姫様」


セレスティーヌを見上げると爽やかに微笑み、彼女の手の甲にそっと口づけを落とす。

その王子様のようなキザな行動にセレスティーヌから笑いが漏れる。


「ふふ、さまになってきたわね、ルゥ。昔は私の方が王子様役は上手だったのに」


幼い頃、交代でお姫様と王子様の役を演じて遊んでいた思い出が蘇り懐かしくなる。


「そうだろ。さすがに俺はもうお姫様役は勘弁だから、ぜひ王子様役に固定して貰えると助かるかな」


立ち上がったルートヴィヒが砕けた口調で返すと、一気に場の空気が気安いものとなった。


「いつこちらへ来たの?」

「つい先日さ。父の役職を引き継いでね。史上最年少での外交官抜擢なんだよ、凄いだろ」

「ええ、本当に立派になったわね」

「そんなにストレートに褒められると照れるな」


仲の良さそうな二人の様子を少し離れた場所で兄は満足げに見守る。

セレスティーヌが王太子から婚約破棄を告げられ更には宰相に嫁がされた時、兄は短期留学中で王太子と宰相の策略を止めることが出来なかった。

両親は宰相を恐れてセレスティーヌを易々と差し出してしまい、今このような悲劇的な状況に陥っている。

留学さえしていなければと後悔もするが、だがその留学は悪いことばかりでもなかった。


留学先の国で幼馴染ともいえるルートヴィヒと再会できたのだから。

彼は幼い頃外交官である父親に連れられてこの国にやって来た他国の少年であった。

彼がこの国に来たばかりの頃、まだこの国の言葉を覚えておらず上流階級の子供たちの集まりに参加させられていても一人浮いてしまっていた。

そんな時に声を掛けたのがセレスティーヌであった。

その時のセレスティーヌは妹を欲しがっており、可愛らしいルートヴィヒをいたく気に入っていた。

お人形遊びにドレスの着せ替え、奥様ごっこにお姫様ごっこ。

セレスティーヌはルートヴィヒ相手にメルヘンチックな遊びを毎日のように繰り広げていた。

年上の、それも少年にそれらに付き合わせるのは酷ではないかと注意しようか迷った当時の兄だが、二人とも楽しそうだったので微笑ましく見守ったのは良い思い出である。

仲睦まじい二人であったがセレスティーヌが王太子との婚約者に内定すると厳しい妃教育を受けるために遊ぶ時間がなくなってしまった。

そのうちルートヴィヒの方も父親の仕事の関係上自国へ引き上げることになり、それ以来親交が途絶えた。


そして留学先で十数年ぶりに再会したルートヴィヒは、少女のようだった姿を捨て去り随分と立派な青年へと変貌を遂げていた。

明るく気さくな性格で昔の思い出も相まってすぐに親しくなり、まだ勝手のつかめていない他国での生活の手助けも買って出てくれた。

セレスティーヌの婚約破棄を知らされ、留学先から飛んで帰る際も兄と同じくらいセレスティーヌを心配してくれていた。


「ルートヴィヒがどうしてももう一度セレスティーヌに会いたいと煩くてね、屋敷に招待したのさ。こうしていると幼かったあの頃が蘇ったようだ」

「本当に。まるで子供の頃に戻ったようだわ」


久々のセレスティーヌの心からの笑顔に兄の心も満たされる。

愛する妹にいくら幼馴染とはいえ男を近づけるのは兄としては複雑だったのだが、セレスティーヌの気晴らしになったようで良い結果となった。


「体調不良で婚家から戻っているんだってな。経過はどうだ?」

「ええ。身体は平気よ」

「身体は平気ということは、心は違うということか?」

「っ…」


ルートヴィヒの鋭い指摘にセレスティーヌは咄嗟に返事を返せなかった。


「何か困っていることがあるなら是非俺を頼って欲しい。どんな形でもいい。セレスの助けになりたいんだ」


直接的なことは何も聞かずに手助けしたいと申し出てくれるルートヴィヒ。

真剣な目で訴える彼を後押しするように兄が口を開いた。


「実は昔の話だが君たち二人を婚約させてはどうだろうかという話もあったのだよ」


仲睦まじい二人に大人たちからそんな話が上がっていた。

どちらの家もそれぞれの国にとっては重要なポジションにある。

友好関係が続いている二国間の関係をより強固なものにするために二人の婚約は悪くない話であった。

当時の兄は可愛い妹を他国に嫁にやるなど断固反対していたが、今のこの状況を鑑みると宰相との婚姻関係を続けるよりも二人が結ばれた方がずっとマシだ。

ルートヴィヒと再会して今までの反応から推測するに、彼の方はセレスティーヌを意識しているのは確実だ。


「子供の頃、この国で孤立していた俺を救ってくれたセレスに今こそ恩を返したいんだ」

「…ルゥ」


セレスティーヌの白くしなやかな手を取り真っ直ぐ見つめてくるルートヴィヒは、元婚約者の王太子よりもよほど王子様に相応しい凛々しさだ。

思えばセレスティーヌの幼い頃に理想としていた王子様は目の前のルートヴィヒのような人物だったように思う。

こうして王子様のような男性に手を取られ見つめられると、恐らく昔のセレスティーヌならばきっと胸がときめいたはずである。

しかしマルクの時同様に、セレスティーヌの胸が弾むことは一切なかった。


「どうもありがとう。でも大丈夫。自分で乗り越えてみせるわ」

「…そうか。セレスらしい。相変わらず君は強いな」


ルートヴィヒは少し寂しそうな表情を見せながらも手を放して微笑んだ。



「あの、私は屋敷の中へ戻るわ」


少しの罪悪感を抱きながらもそわそわした様子でそう申し出るセレスティーヌ。


「あのヒトがそろそろ来る頃だと思うの…」

「ああ、もうそんな時間か。セレスティーヌは自室へ隠れていなさい」


兄妹の会話にルートヴィヒが首を傾げる。


「客人か。もしや都合が悪いのに無理に予定を詰めさせてしまったか?」

「そんなことはない。ルートヴィヒはこちらから呼び立てたのだから。先方が勝手に毎日押しかけているだけだ。すぐに追い返すからゆっくりしていってくれ」

「追い返すって…誰が来るんだ?」

「…宰相殿だ」


嫌そうに顔をしかめる兄にルートヴィヒは目を丸くする。


「宰相殿というと…セレスと婚姻を結んだという、あの?」

「ああ。セレスティーヌはまだ気分がすぐれないと言っているのに図々しく訪ねてくるんだ」

「毎日来るのか?」

「そうなんだ。セレスティーヌに会わせたりはしていないがな。まったく、その行為自体がセレスティーヌを追い詰めているという自覚がないのか」


ぶつぶつと文句を吐き出す兄をよそにルートヴィヒはセレスティーヌへと目を向ける。


「何があったかは知らないが、体調不良の原因は彼なのだろう? 一度直接話し合ってはどうだろうか。良ければ俺も同席しよう、何か力になれることがあるかもしれない」


ルートヴィヒのその申し出にセレスティーヌは目を見開く。


「だ、だめよっ! あのヒトには会えないわ!」


動揺した様子で大きく首を横に振る。


「だがずっとこのままという訳にはいかないと思うが」

「でも今日はだめなの! だって…だって今日はお肌が少し荒れているもの!」

「…肌?」


セレスティーヌは自分の頬に手をあて何やら焦っているが、兄とルートヴィヒには美しく透けるような白い肌にしか見えない。


「こんなお肌ではとても会えないわ」


セレスティーヌは自分でも何を言っているのか分からなかった。

だが何故だか宰相の目にコンディションの悪い自分を晒すと考えただけでもぞっとする。

あの細い目で肌荒れを見破られて、そして美しくないと幻滅されたら…そんな考えに至ると居てもたってもいられなくなる。


「わ、私、とにかく部屋に戻るから! ルゥはゆっくりしていって!」


困惑する二人を置いて逃げるように自室へと戻ったセレスティーヌ。

部屋に設置された可愛らしい猫足の白いドレッサーの前に座ると鏡に映る自身の顔を確認してため息を吐く。

微かにカサつく頬は凝視しなければ誰も気づくことはないだろう。

ひとしきり自分を眺め終わると、今度は窓の外を気にし始める。

2階の自室からチラチラと外のエントランスを眺めてはまたため息を吐く。

これはこの時間の毎日の日課で、宰相が訪ねて来るときは必ずこっそり彼の姿を眺めてしまう。

醜い巨体が更に大きくなりすぎてはいまいか、なぜか見張らなければならないという使命を感じるのだ。


今日も昨日と同じ時間にセレスティーヌの実家へやって来た。

2階の窓の更にカーテンの後ろから下を見下ろすと兄と宰相がいつものようにやり取りをしている。

まずはその太い腕を確認して、赤子を探す。

もしかしたら宰相があの赤子を一緒に連れてきているかもしれない。

何故かそんな期待のようなものをしてしまうが、今日もどうやら一人のようだ。

流石に会話は聴こえてこないが相変わらず兄により邪険に追い返されようとしているらしい。

今日も今日とて上から見下ろす頭皮が眩しい。

目くらまし攻撃かの如く明るく輝くそれはどこか神々しさも感じていつまででも見続けていたい気がしてカーテンに隠れながら凝視する。

見つめ続けるといつもより長くやり取りをしているのに気づく。

何やら兄に言い募っているらしく、顔をしかめた兄が嫌そうに対応している。

しばらくするとようやくやり取りが終わり帰って行った。

丸い背中を更に丸めてすごすごと門を出て横付けした馬車に乗り込む姿を最後まで無心で眺めていると部屋の扉がノックされた。

その音に驚き肩が跳ねるが、咳払いを一つして落ち着きカーテンの後ろから出て訪ねてきた兄を何事もなかったかのように落ち着いて迎え入れる。


「あの男がセレスティーヌにどうしてもこれを渡せときかなくて受け取ってしまった。不快なら捨てなさい」

「…これは?」


クリームのようなものが入った可愛らしい瓶を受け取る。


「肌ケア用品らしい。そろそろ肌荒れが始まる頃だろうからと無理やり押し付けてきたんだ。セレスティーヌの肌に合わせて作らせたこのクリームでないと肌荒れを乗り切れないとかなんとか言って」


兄は嫌悪の表情を浮かべるが、セレスティーヌの方は気分が高揚する。


「これを私に…」

「旅行など一定期間自宅でない場所で過ごすとセレスティーヌはいつも肌荒れするからなど抜かしていた。この屋敷こそがセレスティーヌの自宅に決まっているのに!この屋敷ではセレスティーヌが心安らげないとでも言いたいのか! あの男は喧嘩を売っているとしか思えない!」


いつものごとく止まらぬ宰相への罵詈を吐き捨てる兄の言葉はもはやセレスティーヌの耳には一切入ってこない。

まだ言い足りなさそうな兄を雑に追い返し一人きりになると、手の中のクリームをジッと見つめる。

見たことのないデザインの瓶だが、もしかしたら特注なのかもしれない。

試しに少し肌に塗り込むとなんだかしっとりと吸収されるように肌に馴染んだ。

一体成分はなんなのか、まるでセレスティーヌの肌質の為に用意されたかのような心地良い仕上がりに驚く。

セレスティーヌは無言のまま手の中の瓶を大切そうに囲い込んだ。



それから更に数日後。

突然の来訪者が現れた。


「マルク様? どうされたのですか?」

「随分突然ですね」


宰相の息子であるマルクを驚きながらも兄同伴で迎え入れる。

兄はマルクのことも気に入らないようでつっけんどんな対応をするが、セレスティーヌはそれどころではなかった。

もしや赤子や宰相に何かあったのかとマルクが口を開くのを内心ハラハラしながら待った。


「先触れもなく押しかけてしまい申し訳ございません。これをどうしてもセレスティーヌに受け取って貰いたくて」


申し訳なさそうな顔でマルクが差し出したのは一枚の封筒であった。


「これは?」

「来週の夜会の招待状だ。どうか父に同伴してほしい」

「あのヒトと…」


驚くセレスティーヌにマルクは言いにくそうに説明する。


「セレスティーヌが実家に戻ってしまった噂が社交界で出回ってな。普段から父をよく思っていない者たちはここぞとばかりにそれを突いてこようとする。来週の夜会もそういう連中が手をこまねいているのに、パートナーありきの夜会に単身乗り込もうとしている」


地位のある既婚の年配男性が相手を連れずに夜会へ訪れるのは確かに悲惨だ。

話題のネタにされ陰で嘲笑されるのは必至である。


「セレスティーヌにパートナーを頼むよう進言したが、君の負担になることは出来ないと突っぱねてな。だったらせめてパートナーを務めてくれる女性を連れるよう説得したがそれも聞く耳を持とうとしない。自分の隣に並ぶ女性はセレスティーヌ以外に存在しないと言い張りこのまま一人惨めに笑い者になろうとしている」


ずる賢くてプライドが高く、女好きのいけ好かないオッサン。

それがセレスティーヌの中の宰相のイメージである。

実家に帰った妻など気にせずとも金で極上の容姿の女性を侍らすことなど簡単なはずだ。

それで事足りるはずなのに、なぜ自ら惨めな思いをしようというのか。


「すまないセレスティーヌ。こんなことを頼むのは君を蔑ろにしていると取られてしまうかもしれない。だが今のこの状況のままで良いとはどうしても思えないんだ。記憶を思い出せともよりを戻せとも言わない。だがどうかもう少しだけ父に歩み寄ってはくれないか?」


深く頭を下げたマルク。

セレスティーヌが彼の近くへ寄ろうとするが、それを兄が制止する。


「勝手なものですね。不遜な態度で金儲けと権力ばかり欲する。そんな振舞いが敵を作り出し少しの弱みにも食いつかれることになる。普段の行いが自身に返ってくるだけのこと。お父上にはお一人でご参加をとお伝えください」


冷たく言い放った兄にマルクは反論できず悔しげに目を伏せる。


「どうぞお引き取りを。この招待状もお返しいたします」


マルクへ返そうとセレスティーヌの持つ招待状に手を伸ばす。

そんな兄の手をセレスティーヌはヒョイと避けた。


「夜会は謹んで参加いたします」

「本当か!?」

「セレスティーヌ!?」


セレスティーヌの宣言に兄とマルクは驚きの声を上げる。

その二人に向かいニヤリと少し悪戯っぽく笑いかける。


「その代わり、ドレスは最高のものをそちらでご用意くださいとお伝えになって。安物のドレスなんかこの私に用意しようものなら参加してあげないんだから」


セレスティーヌの発言に茫然自失で固まる兄と喜ぶマルク。

二人に背を向け自室へ戻るセレスティーヌは先ほどまでの鬱々とした気分が晴れて足取りも軽くなった。

早く貰ったクリームを肌に塗りこもう。

全身エステと髪のケアも頼まなくてはいけない。

宰相はどんなドレスを寄越してくるだろうか。

あのオッサンの度肝を抜くような美貌に仕上げなくてはと気合を入れるセレスティーヌであった。


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