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 数日後、セレスティーヌは使用人たちの制止を振り切り一人実家へ戻っていった。

宰相は止めることなく去っていくセレスティーヌを黙って見送った。

セレスティーヌの実家は彼女の結婚後に兄が継いでいるらしく、父母は兄に勧められ今は長閑な場所で隠居しているとのこと。

宰相家を出た際すぐに父母を頼ることを思いついたが、その前に家長になったらしい兄に報告もなしというわけにもいくまい。

幸い生家は宰相家からも近く、兄に顔を見せてから父母の住む田舎へ向かおうと思っていた。

宰相との婚姻となると、王家と繋がるよりも実家へのメリットは大きかったのかもしれない。

勝手に宰相家を飛び出したことを叱られるかもと覚悟するが、それは杞憂に終わる。

セレスティーヌの兄は出戻った妹に理解を示し、ここに住めばいいと優しく受け入れたのだ。

セレスティーヌと似た美しい顔を悲しげに歪める兄。


「宰相殿から早馬で電報を貰っている。結婚後の記憶がないそうだね。どうか迎えてあげて欲しいと書いてあったよ」


家を飛び出すのを止めなかった宰相がまさか実家に話を持って行ったとは。

項垂れてすごすごと立ち去る宰相の顔が浮かぶ。

兄は顔色の悪いセレスティーヌをそっと抱きしめた。


「可哀そうに。記憶を失くすだなんて、よほど辛い目に合っていたに違いない」


そう、彼は妹を昔からそれは大層溺愛していた。

セレスティーヌの傲慢で金遣いの荒い性格は彼が育んだといっても過言ではない。

彼女の欲しがる物は彼が何でも用意したし、常に褒めそやしてちやほやと扱った。


「嫁ぎ先から逃げ出すことが出来て本当に良かった。お前が結婚してからというものの、心配しない日はなかったのだ。安心しなさいセレスティーヌ。お前の部屋はお前が出て行ったその日のままにしてある。いつかこんな日が来てもいいようにね。もうずっと一生ここに居るといい。兄様とまた一緒に暮らそう」

「お兄様…」


彼はセレスティーヌと似た麗しき美青年であるがシスコンが祟り優良物件に見せかけた事故物件として未だに独身だ。


「僕が他国に留学している間に元王太子のクソガキと宰相のクソジジイが組んでセレスティーヌを罠にはめるなんて思いもしなかった。止められなかった自分を何度責めたことか。あの時は本当にすまなかった」


セレスティーヌを溺愛する兄の涙ながらの語りに、やはり王太子との婚約破棄と宰相との婚姻は事実なのだと受け入れざるを得なくなった。

更に顔色を悪くし、いつになく大人しい妹を見た兄はギリギリと歯を喰いしばる。


「結婚後もお前の様子が気になり何度もここに戻ってくるよう手紙を送ったのだ。だが返事はいつだって日々楽しく暮らしているから心配ないとしか書かれない。あんなオッサンと結婚させられ辛くないわけがないのに…。兄妹で会う時もあの宰相がいつも同行していた。あの蛇のようなねっとりとした視線で僕らを見張っていたのだ。恐らく手紙の内容も逐一検閲していたに違いない。宰相の魔の手から本当によくぞ逃げ出したね」


最早憎悪に近い恨み言をぶつぶつと続ける兄の腕の中で、セレスティーヌに罵られて落ち込みながらも距離をとって決して近寄ろうとしなかった宰相を思い出して兄の話に若干の違和感を抱いた。


「今度は絶対に何者からもお前を守るから安心しなさい。たとえ相手が国を裏で牛耳る悪の親玉であったとしてもね」


こうしてセレスティーヌは終わりの見えない日々を実家で過ごすこととなった。




宰相はあれから足しげくセレスティーヌの実家に通う。

セレスティーヌに会わせろとは決して言わず、何か彼女が不自由していないか、欲しがっている物はないのかと兄に尋ねるばかり。

兄はそんな宰相を冷たく門前払いする。

貴方が近くにいては妹の症状が悪化してしまうので帰ってくれとセレスティーヌに似た顔で睨まれればすごすごと帰るほかない。

宰相が妹に持ってきたどのような贈り物も兄が突き返していたのだが、医者の手配だけは宰相が絶対に譲らず、世界各地から集められたあらゆる分野の名医と呼ばれる者たちがセレスティーヌの実家に何人も集った。

だがどの医者が診てもセレスティーヌの記憶が元に戻ることはなく、日に日にセレスティーヌの気持ちは落ちていく。


今日も兄に追い返されて大きな背中を丸めて引き返す宰相の後ろ姿を自室の窓から眺めて深いため息を吐くセレスティーヌ。

何故かあの後ろ姿を見ると心に靄がかかったように複雑な感情が湧き出る。

嘗ては活発だった妹が部屋に引きこもりこうも落ち込んでいる様子が心配でならない兄は、何くれとなく妹の世話を焼こうとする。


「セレスティーヌ、いつもの商人が来たよ。新しいアンクレットはどうだろうか。あまり持っていなかったよな」


兄が言うのは他の装飾品と比べれば持っていないという話であり、もちろんセレスティーヌにあまり持っていない装飾品などない。

かつては際限なく湧き起こっていた物欲が今は不思議と全く湧かない。

だが心配そうな顔の兄をこれ以上煩わせるのも憚られ、仕方なく籠りっぱなしの部屋から移動する。


「これはご無沙汰しておりますセレスティーヌ様! いやぁ相変わらずお美しい。女神のように麗しき圧倒的美貌を拝見できましてとても光栄でございます」


セレスティーヌの結婚前から出入りしている商人が大げさな身振り手振りで喋りかけてくる。

商人はギョロ目が特徴的な中年男性で、父母の代からの付き合いがある。

分かりやすい高級品をこれでもかと嫌味に身に着けギラギラしたものを感じる男だ。


「ええ久しぶりねシャルバン」


セレスティーヌが美しいなどと当たり前すぎる台詞をスルーし尊大に挨拶を返す。


「本日も他とは違うお品を多数揃えておりますよ。社交界の華と名高いセレスティーヌ様がお持ち頂いても見劣りしない品ばかりです」

「ほらセレスティーヌ。気になるものがあれば何でも言いなさい」


兄と商人シャルバンの二人がかりでセレスティーヌに勧めてくるので気が向かないながらも綺麗に並べられた品々を流し見る。

だがどれもピンとくるものがない。


「これなんかどうだろう。美しい赤のルビーがお前の白くて細い足首に映えると思うのだが」


アンクレットを兄から手渡されてまじまじと見つめる。

品は悪くはない。デザインもそこそこ可愛らしい。

今までこの商人と取引した品で満足のいかないものなどなかった。

胡散臭い男ではあるが、取り扱う品は一流ばかりなことは間違いない。

だというのに何故か今はまったく魅力を感じないのはどうしたことか。


「今は欲しくないわ。ごめんなさい」

「そうか…ではこちらの指輪はどうだ? 石は小さめだがよくよく見れば花のデザインになっているぞ。可愛らしいのではないか?」


よく見なければ分からないが指輪に付いた小さな宝石一つひとつが花の形にカットされている。

キラキラした目でそれを勧める兄にまたしても首を横に振る。


「その指輪はお兄様の方が合うのではないですか?」

「は!?」

「一見シンプルなデザインですし男性が身に着けても違和感ございませんわ」

「そ、そうか…。そこまでセレスティーヌが勧めるのならばこれを買おうかな」

「ええ。お似合いです」


嬉しそうにシャルバンとサイズ直しの話に移る兄を尻目に、セレスティーヌはこっそり溜息を吐く。

兄との会話中、そんな彼女の様子を横目で気にするシャルバン。


「ふむ…ではとっておきのこちらはいかがでしょうか」


全く物欲の沸かない異常事態にどうしたものかと途方に暮れて商品に目を巡らせていると、シャルバンがとある商品を勧めてきた。

それは真新しい本であった。

可愛らしい表紙のそれは、普段高価な品ばかり取り扱っているシャルバンには珍しくごく普通の本に見える。


「これは?」

「実はこの本…まだ巷で出回ってはいない例のシリーズの最新作なのですよ。とあるルートから手に入れたのですがね。いやぁ苦労しました」


シャルバンは待ってましたとばかりに自慢げにギョロ目を輝かせながら、それでいてさも重要かのように潜めた声で言う。

彼が何を言っているのかさっぱり理解できないセレスティーヌは小首を傾げる。


「例のシリーズ…ってなに?」

「セレスティーヌ様が主役の例の本ですよ。これ一冊しか手に入らなかったのですが、当事者であるセレスティーヌ様の為です。特別にお譲りいたしましょう」


自分が主役とはどういう意味だろうか。

改めて手渡された本をマジマジと眺めるが理解できない。


「セレスティーヌッ! こんな低俗な本は読んではいけない」


兄が焦ったように本を取り上げようとするのをひょいと避ける。

セレスティーヌに買い与えるのが趣味のような兄のその素振りに俄然この本に興味が湧いてきた。


「シリーズということはまだ数冊あるのよね? それも全部欲しいわ。用意出来る?」

「なんとまだお読みではございませんでしたか。すぐさまお届け致しましょう」


シャルバンのその回答に満足したセレスティーヌは鷹揚に頷く。

気を反らそうとしてか兄が横から色々な品を勧めてくるのを全て受け流しながら、少しでも興味の引かれる事柄に出会えたことに密かに安堵した。

本は数刻もしないうちに届けられた。

受け取ったセレスティーヌは色々言ってくる兄をあしらいながら自室に戻り本を手に取った。


その日のうちにシリーズすべてに目を通した。

本にはセレスティーヌと思わしきヒロインと宰相の息子らしきヒーローの不倫物語が美化して書かれており、これが巷で人気だというのだから人の業を感じる。

セレスティーヌはすべての辻褄が合ったことで脳内がすっきりした。

記憶を失くす前の生活にどうしても矛盾を感じていたのだ。

あのように気色の悪いオッサンと普通に夫婦生活を送りあまつさえ子供まで儲けたなど気色の悪いことをプライドが高く傲慢なセレスティーヌが受け入れるはずがない。

だがあの赤ん坊の実の父親が宰相の息子の方となれば納得ができる。

あの赤ん坊自体には宰相家の血がしっかりと受け継がれているわけだし問題はどこにもない。

宰相はお飾りだろうが若く美しい妻を自慢できる。

セレスティーヌはオッサンの妻という不名誉に目を瞑れば国一番の資産を好きにできる。

更には次代の宰相家を担う息子の方と恋仲になっておけば宰相の死後も安泰だ。

記憶を失う前のセレスティーヌはなかなかの策士だったようだ。

だが誰もが幸せになれる関係図というのはそれ程悪くはないのではなかろうか。

頭の中で完成された完璧な筋書きに満足した。


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