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宰相にナイフを突きつけながらも、セレスティーヌに憎悪で歪んだ笑みをみせる。
「そうだよな、セレスの本性が贅沢好きの虚栄心が強いばかりの欲まみれでどうしようもなく卑しい女だってことは初めから分かっていたさ。分かっていながら俺はずっとそんな君を心の支えに生きてきた」
――贅沢好きの虚栄心が強いばかり
己を罵倒するルートヴィヒのセリフにどうしようもない既視感を覚えるセレスティーヌ。
ふと何かが頭の中に流れ込んでくる。
『セレスティーヌ。君はなぜそんなに虚栄心が強いんだ。少しは彼女を見習ったらどうだ?彼女は謙虚で健気でいつだって僕を立ててくれる。だというのに君ときたら贅沢三昧、いつも新品のドレスを身に纏いわがまま放題。呆れるね』
そういって隣の少女の肩を抱き寄せる王子。
ドレスは実家で購入しているものであり、そんなことを彼に注意される筋合いはない。
だったら王子が抱き寄せた少女の胸にある、とても彼女の実家では購入できないであろう大きな宝石が光っているそのネックレスはなんだというのか。
まったく身に覚えのない記憶に戸惑いを覚える。
婚約者である王子はセレスティーヌが居なくては公務すらまともにこなせないボンクラで、そんな彼を支えるために血の滲むような思いをしてきたセレスティーヌの努力を彼も分かっていてくれているはずだったのに。
隣の少女と一緒になり馬鹿にしたようにセレスティーヌに侮蔑の目を向ける王子に動揺する。
これは…自分が過去に経験した記憶。
失った記憶の一部なのだろう。
忘れていた心の傷。
プライドの高いセレスティーヌには経験したことのない敗北感を思い出して動揺は大きくなる。
嘗ての自分はこの屈辱をどのように処理したのか全く分からず身を震わせるセレスティーヌ。
「婚約者の王太子に捨てられたのもそれが原因だったのかな…ああ、可哀そうなセレスティーヌ。お姫様になる道を断たれオッサンに蹂躙され、それを無理やり自分が幸せなのだと思い込もうとして。すべては虚栄心を守るためだ。だが俺が来たからもう大丈夫。きっと君を本物のお姫様のような美しい心根になるように大きな愛で包んでみせるよ」
動揺するセレスティーヌに向かい嬉しげにつらつらと言葉を投げかけるルートヴィヒ。
「ふんっ、笑わせるな小僧」
うっとりと悦に入っている彼に向かい、ナイフを突きつけられながらも宰相が鼻で笑う。
「セレスはワガママ…自由に生きているからこそ美しいのだ。彼女が贅沢する様を喜べないなど、いくら若く雄々しく美しくふさふさだろうとも負ける気がせんわ」
宰相の言葉を聞いた瞬間、またしても頭の中に映像が流れる。
『こんなオヤジに無理やり嫁がされ、セレスがワシを嫌っておることは分かっている。だが、ワシは少し生意気で我儘なそなたが可愛くてならん。これ以上厭うてくれるな。いくら金を使ってもいい。好きな物を買いなさい。ワシの目に触れぬところならばこっそり恋人を持つことも我慢しよう。だからどうかワシから離れていかないでくれ』
絞り出すように告げられた言葉に沸き起こったのは喜びと愛しさであった。
これは宰相との結婚後の記憶だろう。
失った記憶の中にはこんなにキラキラと輝いたものがあることに驚きと同時にここまで宰相に愛され甘やかされている過去の自分に嫉妬を覚える。
「金を持っていることしか魅力のない…金でしかセレスの気を惹けない奴が偉そうなことを言うな! 俺の愛はそんな俗物的なものとは格が違うんだ!」
「お金で興味を惹いて何が悪いというの? 俗物的なのがそんなに悪いことなのかしら?」
思いがけないセレスティーヌの問いかけに一瞬ぽかんと間抜けな顔になるルートヴィヒ。
「お金は大切よ。多く持っていれば心のゆとりにもなるわ。パートナーに贅沢させる甲斐性があるヒトは素敵だと思うの。その愛情表現を受け取ることの出来る相手は間違いなく幸せよ」
先ほどの動揺が嘘のようにルートヴィヒに対峙するセレスティーヌの表情は晴れやかだ。
「第一お金だけしか魅力がないなんて、何故そんなことが言えるのかしら。知的で優秀であるからこそ今の地位と国一番の財力を生み出せたのよ。そんな宰相様に向かいお金しか魅力がないなんて…ルゥこそ随分と自信家なのね。彼に勝っているつもりなんて笑ってしまうわ」
ルートヴィヒを値踏みするように見て笑うセレスティーヌ。
「清貧の中で助け合うだけが愛ではないの。余裕ある生活を提供出来る者に魅力を感じるのも人間の生存本能。それもまた愛の一つよ」
そう語るセレスティーヌにルートヴィヒはギリギリと歯噛みする。
「所詮金が無くなれば崩れる関係など不誠実だ! 俺が真実の愛を教えてみせる!」
「金は天下のまわりもの。宰相様のお金がもしも無くなるのであれば、私が稼げばいい話よ。私の魅力の前ではお金だって向こうからやってくるわ」
冗談めかしにそういって胸を張るセレスティーヌ。
「それに宰相様のような優秀な方であれば何度だって財をなせるわ。まぁそれまでの少しの間なら無一文のオッサン一人くらい養うのもやぶさかではないわ」
「おおおセレスッ! 嬉しいがそんなことには決してならんよ。君に永遠にドレスを贈り続けることこそワシの使命! ワシの生きがい! こんなワシを受け入れてくれて嬉しいぞ」
国を担う宰相の使命が妻にドレスを貢ぐことというのは多少問題な気がしなくもないが、宰相は大真面目でありセレスティーヌは他人が聞けばふざけているとしか思えないセリフに頬を赤らめる。
「か、勘違いはしないでくださいね。見た目はまったく好みではないのですから」
ここでツンデレをかますセレスティーヌに宰相はデレデレと相好を崩す。
緊迫していたはずがいつの間にか甘いものを醸す空気にルートヴィヒは耐えられなかった。
「こんなの認めない! セレスは俺と結ばれるべきなんだ! 世界はそれで完結出来るのに!」
尚も言い募るルートヴィヒにセレスティーヌは一歩前へ踏み出した。
「セレス、危ないっ!下がりなさい!」
ナイフの間合いまで踏み込むセレスティーヌに宰相は焦るが、それを気に留めることなくどんどん二人に近付くセレスティーヌ。
「ごめんなさいルゥ。私はもう貴方と遊んであげられない、手を引っ張って一緒に進んではあげられないの」
ナイフを取り上げられると身構えたルートヴィヒに美しく、そしてどこか切なげに微笑む。
そして彼女の手はナイフではなく彼の頬へと触れた。
「おかしいでしょ、私ったらどんな素敵な王子さまよりこの一途なガマガエルが輝いて見えるのよ。魔法が解けて王子さまになることなんて絶対にないのに、それでもこのガマガエルの隣に居たいの」
セレスティーヌの美しい笑顔に圧倒されたのかルートヴィヒは固まったままだ。
「だからね、夢を見るのはもうおしまい」
その言葉と同時にルートヴィヒの心の中で何かがぱちんと弾けた音がした。
「そんなの…嫌だ」
喉から絞り出した声は弱弱しく完全に殺意は削がれている。
「私に王子さまは必要ないわ。ルゥも別のお姫さまを探してちょうだい」
頬に優しく当てられていた手で、拒絶を示すようにルートヴィヒの顔を押し出す。
決して乱暴でない強さであったがそもそも放心状態であったルートヴィヒは簡単によろめき手から零れ落ちるナイフ。
宰相がそれをすかさず拾う。
俯いたまま何の反応も示さなくなったルートヴィヒはナイフを落としたことにより、実は息を潜め救出のチャンスを伺っていた護衛達にすぐさま取り押さえられた。
その横では宰相がセレスティーヌの無事を確かめる為に駆け寄っている。
「セレス! 怪我はないか!?」
「私は大丈夫です。宰相様こそナイフが当てられた首?…いえ顎?に少し血が滲んでますわ。早く治療を」
「ワシは後でいい。それよりセレス、無茶してはいかん。心臓が止まるかと思ったぞ。オッサンの心臓は若者とは違い元気が足りんのだ、あまりいじめないでやっておくれ」
「…心配かけてごめんなさい。でもね、一番心臓をいじめているのはご自身の巨体です。そのお話を聞いて心配になりました。明日からはより一層の摂生に努めましょうね」
「ひぇ…」
記憶はまだ完全には戻っていないものの以前の気安さが戻りつつあるセレスティーヌ。
緊迫した様子で捕獲されているルートヴィヒの真横で暢気な夫婦の会話が繰り広げられている。
「それではこの者を連行してまいります」
護衛の責任者が夫婦に語りかける。
ルートヴィヒは俯いたまま反応がなく、今どのような感情を抱いているのか分からない。
「言い忘れていたわルゥ。私は虚栄心が強いわけではないの。豪華なものが似合うだけ。そんな私の魅力を一番引き出してくれる宰相様こそ私に相応しく、そしてまたこの国で一番美しく豪華な私が一番宰相様に相応しいのよ。覚えておきなさい!」
「……」
虚栄心が強いと言われたことが余程お気に召さなかったのか、取り押さえられ最早戦意を失ったルートヴィヒに物申してしまうセレスティーヌ。
ルートヴィヒがその言葉に反応を示すことはなく俯いたまま沈黙しそのまま連行されてしまったが、それでもかまわないのかセレスティーヌは胸を張って満足そうにその背中を見送った。
そんな気が強くて見栄っ張りなところ…つまり虚栄心が強いセレスティーヌもまた愛らしいと密かににやける宰相。
あばたもえくぼ。
長所も短所もまるごと受け入れ愛すことの出来る宰相に、ルートヴィヒは最初からか敵うはずがなかったのだった。




