⑫
一方その頃、セレスティーヌは刺されたマルクが運び込まれた病院へ到着していた。
すでに処置は終わっており、医者の話では背後からナイフで背中を一突きされたらしいが、深くまでは刺さっておらず命に別状はないとのこと。
「来てくれたのかセレスティーヌ」
意識不明と聞いていたがしっかりと意識があり思ったよりも元気そうな様子に安堵が胸に広がる。
「マルク様…無事で本当に良かったですわ」
「ああ、心配かけたな。大変な時期だというのに迷惑をかけてしまって本当に申し訳ない」
「…私たちは家族なのでしょう。心配するのは当然ですし、駆けつけるのは家族である私の正当な権利ですわ」
「そうだな、ありがとう」
少し照れながらツンとした口調のセレスティーヌに嬉しげに目を細めるマルク。
「それで犯人の男はまだ捕まっていないのでしょう?男に見覚えはございましたか」
「いや。背後から突然刺され振り返った時には後ろ姿だったからな。そのまま意識を失ってしまって追いかけることなど出来なかった…自分の不甲斐なさに怒りが沸く」
「そうでしたか」
悔しそうに歯を喰いしばるマルク。
「今回の件…私への不審な手紙と関連があると思っています。あまりにもタイミングが重なっておりますもの。犯人の男はなんらかの繋がりがあると思います。まさかマルク様が巻き込まれるなんて…」
自責の念に駆られたセレスティーヌは悲しげに目を伏せる。
ここでマルクが不思議そうに首をかしげる。
「ところで先ほどからよく犯人が男であることが分かったな」
「え?」
「俺が見た犯人はマントを纏い性別も分からなかった。しかも普段から人通りの少ない所で刺されたんだ。その時も周囲に人は居らず、意識を失った後すぐ発見されたのは奇跡だったと医師に言われたぞ」
セレスティーヌはマルクの疑問を改めて考えてみる。
何故自分は彼を刺した犯人が男性だと決めつけてたのか。
一体どこから犯人が男性だと思ったのか。
マルクの悲報を伝えた老執事は犯人の性別には触れていなかった。
あの時犯人を男だと言っていたのは―――
「大変っ! 行かなくちゃ!」
「どうした?」
突然叫んだセレスティーヌに目を丸くするマルク。
「あのヒトがピンチなの。助けなくちゃ!ではマルク様、また伺いますわ。お大事に!」
早口でまくし立てたセレスティーヌはマルクを残して風のように去っていった。
大急ぎで屋敷に戻ったセレスティーヌはすぐさま宰相の元へと駆けつけた。
「宰相様!」
「セレス、来てはいけない」
そこで見た光景に身体が硬直する。
宰相の太い首に突きつけられたナイフ。
それを持っているのはルートヴィヒだった。
セレスティーヌを見つめる二人の男性。
宰相は珍しく焦った様子で、ルートヴィヒは嬉しげに相好を崩した。
「セレス…あと少しだけ待っててくれ。さっさとこの悪党を始末してしまうから。そうしたら今度こそ二人で幸せになろう」
一見すると爽やかに微笑んでいるが、その瞳は仄暗くとてもまともな精神状態でないことが窺える。
「俺こそが君の王子様だ…俺だけが君と結ばれるべきなんだ」
うっとりと微笑むルートヴィヒをセレスティーヌは真っ直ぐ見据える。
「確かに宰相様はハゲデブ中年で臭いし見た目は最悪だし、王子様とは真逆のような方よ」
「ぐはっ」
つらつらと冷静に述べられる宰相の印象に、まだナイフの刃は届いてないはずなのに吐血する宰相。
「そう!そうだよな! 君の相手が本物の王子ならいざ知らず、金しか魅力のない中年男なんて許されるわけがない」
セレスティーヌの言葉に目を輝かせて子供のようにはしゃぐルートヴィヒ。
そんな彼にセレスティーヌは続ける。
「でもね…どうしたのかしらね。この頃、王子様にそこまで拘わる必要ないのではないかと思い始めたの」
「……は?」
恥じらうように頬を赤らめるセレスティーヌの言葉にルートヴィヒの表情が抜け落ちる。
「王子様ではないけど、オジサマも悪くないかなって…」
ダジャレのようなセリフをもじもじ照れながらも真剣に紡ぐセレスティーヌ。
「――ざけんな」
「え?」
「ふざけんな!」
今迄の情緒の不安定さともまた違う叫び。
これは激しい怒りからくる叫びであった。
「お前がっ、言ったんだろう! 王子様じゃないと結婚しないって!」
突き付けられた言葉に困惑するセレスティーヌ。
「馬鹿みたいに真に受けた俺をからかって笑っていたのか?」
「そんなこと…」
戸惑うセレスティーヌの様子にルートヴィヒは更に激高し、彼女を射抜くように睨みつける。
父親に連れられこの国へやって来た幼少期、ルートヴィヒは本当に孤独であった。
誰とも言葉が通じないというのは周りが思うよりもずっと堪えるものである。
使用人も現地の人間が雇われ、父親は多忙で顔さえ見ない日の方が多く母親は既に鬼籍に入っており頼れる者は誰も居なかった。
語学教師は存在するもののまだ幼いルートヴィヒに見合った教え方ではなく、叱責されるばかりで言葉を喋ることに完全に委縮してしまっていた。
この国の貴族の子供たちの集まりで、なるべく多くの子供と繋がりを持つよう父親から厳命されていたが、片言の言葉しか話せないルートヴィヒを周りの子供はあからさまに下に見ていた。
人間は他人から馬鹿にされ続けると自分自身まで己は愚か者なのだと思い込んでしまうものである。
自分は愚図で頭の悪い迷惑な人間なのだと地面を見つめ涙をこらえていた時、セレスティーヌが現れたのだ。
彼女は強引にルートヴィヒに前を向かせ手を引き色々な所に連れ歩き、彼が片言でも一切気にすることなく常に喋りかけてきてた。
詰まりながらの拙い返事も途中で遮ることなく最後まで聞いてくれて、どんどん遠慮なく話しかけてくる。
更に外国語を覚えたいというセレスティーヌに自国の言葉を教えるととても喜んでくれた。
セレスティーヌのお気に入りを無下にできる者はおらず、ルートヴィヒを悪く言っていた者たちは顔を青くしてもう近寄ることはなくなった。
セレスティーヌにとってルートヴィヒはお気に入りのおもちゃと大差ない。
薄々そのことには気づいていながらも、彼はセレスティーヌにどんどんと傾倒していった。
ルートヴィヒにとってセレスティーヌは世界そのものとなっている。
そんな世界が崩壊したのは突然であった。
『ねぇルゥ。セレスね、王子さまと結婚して世界一のお姫さまになるの!』
誰もが知る有名なお姫様の童話を腕に抱え楽しそうにそう宣言したセレスティーヌ。
彼女が突拍子もないのはいつものことだ。
『だったらボクは王子さまになってセレスと結婚する』
『あら無理よ。だってルゥは貴族の子供だけど王族ではないもの。セレスは本物のお姫さまになりたいの』
バッサリと切り捨てられてしまったプロポーズ。
セレスティーヌのこの夢は子供の一過性のものに終わらず本物の王子と婚約をしてしまった。
ショックを受けるルートヴィヒになどまったく気づかず、頑固で負けず嫌いのセレスティーヌは本物のお姫様になるべく勉強に熱中し、二人が会うこともなくなってしまった。
ルートヴィヒにとってセレスティーヌが世界でも、セレスティーヌにとってルートヴィヒは単なるお気に入りのおもちゃ。
最早その立ち位置すらも危うい。
―――捨てられた
そんな絶望がルートヴィヒを襲う。
だが彼は唯一の心の拠り所であるセレスティーヌを諦めなかった。
彼女が王子様と結婚するというのなら、本物よりも本物らしい王子様のような人間になればいい。
そして婚姻が結ばれる前に戦争を仕向ける、もしくは誘拐を企てるなりして引き離せばいいのだ。
誰を犠牲にしようが世界さえ手に入ればそれでいい。
たとえ彼女がルートヴィヒをゴミのように捨てた女であっても、ルートヴィヒの世界であることに変わりはないのだから。
そんな時、セレスティーヌが王子から婚約破棄され宰相と政略結婚させられた話が舞い込んできた。
物理的な距離がルートヴィヒの動きを遅らせ、その話を聞いた時にはもうセレスティーヌは人妻になっていた。
しかしルートヴィヒのすることは変わらない。
お姫様である彼女を浚うか、悲劇の人妻を窮地から救い出すかの差である。
今度こそセレスティーヌに相応しい王子様として颯爽と現れるはずだったのに。
そのために今まで死ぬ気で己を研磨し続けてきたのに。
そんなにあっさりと王子様ではなくオッサンが良いなんて、ギャグみたいな話があろうか。
それはルートヴィヒにとって到底許される事実ではなく、これほど恋い焦がれたセレスティーヌへ恨みの感情さえ沸き起こっていた。




